クリスマス・イブ

諦めていたが・・

長い連休はもうGWまでない。と思ったらじっとしていられなくなった。12月になって間もなく、会社が理不尽な「年末最終出勤日の全社員出社命令」を取り下げた途端、諦めて仕舞い込んでおいた「韓国に行きたい病」がムクッと起き上がった。

詳しくは書けないが、当初は本当にそういうことだったのだ。遠方帰省派・海外旅行派の猛反発を買うだろうなと思ったが、自分はあっさりと諦めていた。もう今年は4度も行っているし、そろそろ韓国も寒くなるし。ところがこちらが騒ぎ立てなくても、会社の方で考え直したようなのだ。本当はそんな「粋な計らい」なんかじゃなく、もっと景気の悪い話なのだが、旅行記の本筋には関係がないのでそういうことにしておく。 とにかく規則の上では休暇を取ってもよいことになった。そして自分は途端に元気になったのである。が、原則として有給休暇の取得は自由なのだが、実はヘラヘラと旅行に出かけられる状況ではない。それはわかっているが、わかっているが・・1度諦めたものが再燃するときには、もうブレーキが利かない。

休みが取れるという知らせの1時間後には、もうチケットを予約してしまった。それでも会社側の発表がぐずぐずしていたせいで、既にもっとも安いチケットは売り切れていた。かろうじて3万を切る値段でユナイテッドに決まり、課長の眼を見ないように休暇の申請をして(順序が逆だろう!)ホッと一息ついたのである。

不快な機内

ユナイテッドの機内食はとても不味い。元から機内食になんか期待はしていないが、不味いにも限度がある。不味くても温かいものならまだいいのだが、鮨(イナリをまっぷたつにしたものと、巻き寿司と、にぎりが2つ)に茶蕎麦にクッキーという、温かみ指数ゼロの、機内サービスというより「町内会の運動会のお手伝いご苦労さん」的な支給物の残り物である。あまり腹に入れずにソウルで美味いものを食べよう、そう思いながらも結局全部食べてしまった。食べたが不味いのだ。いっそのこと簡単に、おにぎりにタクアンでも出してもらいたい。

自分は4人掛けの通路側で、隣りは最初から最後まで落ち着きのない韓国アジュmマである。このアジュmマは最初、間違えて別な場所に座っており、その席の客に注意されてスチュワーデスに誘導されて隣にやって来た。発音はうまいが文法のおかしな日本語で、席を替わってもらえないかということを自分に言ったが、自分はそれを無視して頭上の座席表示を指差してから、「ここがDでこっちがEです」と座席をまた1つずつ指差してやった。 何だか知らないが、「席を替わってくれ」なんて言い出すのは決まって韓国のアジュmマである。通路側や窓側に座りたかったら、もっと早く空港に来てチェックインすればよいのだ。それをのんびりギリギリにやって来た上に、他人の厚意で少しでもマシな席にありつこうとする。冗談じゃない、と思った。

アジュmマは仕方がないという顔で席についたが、それからずっとせわしない。持参したカセットをヘッドホンで聴き始める(離陸時はダメなんじゃないのか?)のだが、しょっちゅうテープを入れ替える。そのたびに両肘を張って作業をするので、自分はうとうとするたびに起こされる。1度は急に自分の下半身におおいかぶさって来たので、「何やってんだ!」と怒鳴りそうになりながら睨み付けると、リップクリーム(口紅ではない)のキャップを落としたという。そして前傾姿勢でしばらくモゾモゾやっている。鬱陶しくてしょうがない。自分はそのキャップをアジュmマのすぐ足元で発見して、「ヨギ イッソヨ!」と吐き捨てるように言うのだった。 機内食を下げる時は、スチュワーデスが来るのを待っていられずに、自分の機内食の盆の上に乗せてしまうのだった。そしてアジュmマは空いたテーブルの上でまたカセットテープの交換である。ソウルに着くまでに自分は、このアジュmマの行動のすべてが気に入らなくなっており、次に何かされたら「ちょっとじっとしていてください!」と言うつもりでいた。

が、そのアジュmマは気にならなくなった。通路を挟んだ隣の夫婦(奥さんだけ韓国人のようだ)が連れている子供がけたたましく泣き出したのだ。赤ん坊なら自分も諦めるし、寛大な心でその夫婦に同情もするだろう。が、もうちょっと大きな子供である。そろそろ「話せばわかる」年頃なのではないだろうか。着陸前の高度の下げ方がややぎこちなく、機体がぐらつくのが怖いらしくて泣き止まない。 着陸してもまだ泣いている。まだ自分も、安眠は妨害されたが怒ってはいない。子供なんだから。

シートベルト装着のサインが消える。皆一斉に立ち上がって荷物を降ろして通路に並ぶ。ここでその子供が一層泣き出した。「降りる!降りる!」と喚きながらぎゃーぎゃーと泣く。悪いことにお母さんがなだめようと抱き上げたので、自分の耳元で泣いている。自分は隣のアジュmマから一刻も早く離れたくて早々に立ち上がったのだが、前が皆同じように通路に出るから、一歩も進めない。前方がモタモタしていることに苛立ちながら、耳元の「降りる〜!!」の絶叫を我慢する。今となってはさっきのアジュmマの方がマシだ。 行列がノロノロと進み始めると泣き止むが、前がつかえて止まるとまた大音量で泣き出す。自分は「モンジョ カセヨ」とお母さんを先に行かせたが、後ろが前になっただけで泣き声の音量は変わらない。自分はもう、自分が怒っていることを自覚していた。何だか、自分の周りだけつねに落ち着かないのだった。

あのアジュmマから、泣き喚く子供から、自分は逃げるように先を急いで入国した。預けた荷物はなし、税関に申告するものなし、そしてササッと両替を済ませて出口を抜ける。適当に目線を走らせながら歩くうちに、ジョンシク君が見つかった。ついに学生生活も終わり、クリスマス・イブにとくに約束もないということで、今回も出迎えてくれた。

バカヤロー

「バスで行こう」と自分は言った。というのも、この日は旅館もホテルもかなり混みそうなので、まず鐘閣(チョンガク)に直行して旅館を押えたかったのだ。地下鉄の方があるいは早いのかも知れないが、乗るまでと乗り換えにかなり歩かなくてはならないので、それがしんどかったせいもある。そう、このとき既に自分は風邪気味だったのだ。

空港バス601番。自分はKALリムジンよりもタクシーよりも地下鉄よりも、この座席バスが好きだ。安いし、車内のラジオが「韓国に来たなぁ」という気分にさせてくれる。ジョンシク君は初めて乗るらしい。

バス停に1人のハラボジが立っていた。そして建物の手すりに腰掛けて、アガッシが1人バスを待っている。自分は、このバスは油断していると素通りしてしまうことを知っていた。ここではタクシーを捕まえるぐらいの意思表示をしなければならない。ハラボジが話しかけてくる。「600番はここでいいんだね」言っている間に目の前を600番が素通りした。「はい、あ、あれです・・行っちゃいました」気の毒だがこのハラボジの立ち方では素通りされる。もちろん運転手によっては、誰かが乗っても乗らなくても止まってくれるのだが、自分はこういう光景を何度か見ているので、目的の番号がやって来ると道路に2〜3歩踏み出して待つ。

ハラボジにではなく、自分はジョンシク君に向かって言った。「ほらな、ここのバスはタクシーみたいにしてこうやって(手を突き出す)捕まえなきゃならんのさ」するとそれを聞いていたハラボジが烈火のごとく怒り出した。「どこの世界にタクシーみたいに捕まえるバスがあるか!」そのあと「ナップン セッキヤ!」と言う。これはかなりきつくて汚い罵声である。あとから別な機会にジョンシク君に聞いたのだが、罵声にもいろいろあって、知らない人に言うとケンカになるが友達同士では親しみの呼びかけになるものがある。(インマァ、ジャシガァ)このときハラボジの吐いた「セッキヤ!」は、親しい間でも使えばケンカになる言葉である。

そのあとハラボジは怒りがおさまらずに、自分に向かって怒りの言葉を並べていたが、どうも韓国語がちょっとおかしい。ところどころに日本語的な合いの手が入るし、韓国語の発音が自分にもわかるぐらいに悪い。そして挙げ句の果てに「バカヤロー」と来た。ははん、在日のハラボジだなと思った。思ったが自分は日本語は話さなかった。こちらを韓国人と思い込んでいることだし。普通、とくに訓練されていない韓国人が「バカヤロー」と言う時は「ッパガヤロ」となる。この点からも、そのハラボジが在日であることを確信した。(日本で生まれたのだろうか?それとも・・韓国よりも日本での生活が圧倒的に長いみたいだが、この人の年齢では在日何世という言い方ができるのかどうかわからない)

しかし、「バカヤロー」がどうにも不愉快だった。もちろん、一連の罵声は自分やジョンシク君に向けたものではない。さっき素通りして行ってしまったバスの運転手に対してである。しかし「バカヤロー」をこっちが理解しないと思って使ったようである。相手が理解できなきゃ何を言ってもいいのか。あんまり聞き捨てならないことを日本語で言うようなら、「そんな言葉は恥ずかしいからやめてください」と日本語で言ってやろうと思ったが、ふいにハラボジは「ミアナダ」と詫びた。また揉め事の寸前で止まった。堪えてよかった。

そのあとハラボジは「つまらんことを聞かせてすまん」というようなことを言ったようだが、よくわからなかった。ジョンシク君に「さっきの運転手に対する抗議をどこにすればいいのか」という意味のことを訊いていたが、そこへ600番が来たので、自分が道路に出て止めてあげた。ハラボジはまだブツブツ言いながらも乗り込んだ。ジョンシク君に「あのハラボジの韓国語、ヘタだよな?」と確認すると、この間のハナの妹よりヘタだったそうだ。だから自分にもわかったのだろう。 そこへ、600−1番というバスが素通りして行き、後ろのアガッシが立ち上がって呆然としている。今度は自分は小さい声で、「だからこうやって待ってなきゃいかん」とジョンシク君に言って、路上に1歩踏み出した。やって来た601番を見事一発でしとめた(笑)自分は、ズカズカと乗り込むのだった。

旅館

いつもの旅館に部屋がないという。事情を知らない自分は「あ、そうですか」と引き下がったが、あとで知人に訊くとコツがあるらしい。韓国ではクリスマスの12月25日は祝日なので、24日の晩は旅館が大変混み、料金も割り増しとなる。そして旅館の主人は、部屋に空きがあってもとりあえず「ない」と言う場合があるそうだ。ここで例えば「W50000払うけど・・部屋あります?」などと交渉して、やっと泊めてくれたりするものらしい。なんだかその日限りのふざけた商売であるが、そういうものだという。だが、その時それを知っていても、自分はとりあえず他をあたっただろう。割り増し料金に、さらに上乗せして払ってまで泊まりたいような旅館ではないのだから。ただこの旅館の場合は、今までに何度も泊まってアジュmマと顔見知りなので、本当に満室だったのかも知れない・・と思いたい。なお、いま自分が対象としているのは旅館とかモーテルという安宿の場合で、ムグンファがいくつも並ぶような高級ホテルについては知らない。

ところで第一銀行の向かいの、ずいぶん前から工事中のビルはいったい何なのか?もうほぼ完成しているように見え、近代的なかなり立派なビルだ。ホテルなのか企業の集まるビルなのか、よくわからない。ジョンシク君も知らないという。工事中の囲いのどこかに「これこれこういうものができます」という看板がありそうなものだから、帰るまでに突き止めてやろうと思っていたが忘れてしまった。記憶が正しければ、前回の旅行から今回までの2ヶ月弱のあいだに急に工事が進んだようである。鐘路1街で空港バスを降りたときに何か変な感じがしたのは、このビルのためだった。

旅館を探す。探すと言っても気持ちはのんびりしていた。まだ日没前だし、根拠はないが「鐘閣駅周辺どこも満室」なんてことはなかろうと思ったからだ。なんとかなる、ならなければハラボジのところもジョンシク君のところもある、そう考えれば気楽なものだ。「いつまでも観光公社で紹介されたところでヌクヌクしておってはいかんのさ」と、イソップ童話の「狐と葡萄」みたいな負け惜しみを頭の中でつぶやいて歩き始める。前回の「ネズミ旅館」を、とりあえず一瞥しただけで通り過ぎる。そのまま第一銀行(チェイル ウネン)の向こうの太い道を渡ってみる。ずっと自分の荷物をしょっているジョンシク君が気の毒だからサッサと決めたい。

旅館そのものはすぐに見つかる。部屋は空いているというから値段を訊くと「今日はW35000です」と言う。「いつもいくらです?」「W26000です」・・探せばまだ安いところはあるだろう。しかし自分はこの旅館(なんとホテルという看板を出しているのだ。外も内もモーテルそのものだが)が沐浴湯の上に位置している点が捨て難かった。こういうところはシャワーの湯の出がいいからだ。「今日はどこでもこのぐらいしますよ」とアジョッシが言う。それを鵜呑みにしたわけじゃないが、そのままそこに決めた。部屋にはビデオデッキがあり、結局見なかったがフロント(というか案内所)の前には映画のビデオがズラリと並んでいる。旅行者にしろ、フラリと入った不倫(じゃなくてもいいが)のカップルにしろ、部屋でビデオなんか見るんだろうか?少なくとも自分にはそんな暇はない。こんなもの要らないから、W1000でも安くしてほしいものだ。何となく胡散臭そうに見えたアジョッシもその奥さんも、2泊のあいだになかなか親切な人らしいことがわかった。

風邪の前兆

自分が考えていたよりも、ソウルは寒い。帰る頃の気温(−6℃)に比べればまだこの日は暖かいのだが、埼玉から来てすぐだから寒く感じた。「寒い!もっと暖かい服を買いたい!」と言うと、ジョンシク君は「じゃ南大門市場(ナmデムンシジャン)に行きましょう」・・ここでずっと歩いて行ったのだが、これは失敗だった。たぶんここで風邪をひいたのだろう。

まず、以前眼鏡を作った店に連れて行ってもらって、2個目の眼鏡(W30000)を同じレンズで作り、出来上がるまでのあいだに上着を買いに出た。少し厚手のジャケットにセーターに・・と考えていたが、ダウンジャケットを買ってみたらセーターなんか要らなくなった。このダウンジャケットは定価が12万ぐらいで、それをW60000で売っていた。それをジョンシク君がアジュmマに交渉してW57000になった。アジュmマはかなり不機嫌な顔で悪態をつきながら負けてくれたが、それぐらいでひるんではいけないのだなぁと、ジョンシク君が平気な顔をしているのを見ながら思った。

できた眼鏡をかけ、買ったばかりのダウンジャケットを着てうろつく。眼鏡は、以前買った典型的韓国型楕円フレームよりは丸に近い。どうも自分の顔にはこの方が合うような気がする。ダウンジャケットはなるほど暖かい。しかしこの暖かさが危ない。うまく前を開閉して調節しないと、汗をかいたり冷えたりの繰り返しは風邪のもとであるから。旅行前に1度風邪をひき、よく休まずに薬だけ飲んでごまかしていたが、そのぶり返しと新たな風邪がミックスされた形で後日ボロボロになってしまうのだが、このときはまだ元気だった。この夜と、翌日のソウル散策がいけなかった。

まぁ、風邪については自分がいけないのだ。あまり失敗失敗と言うと、つきあってもらったジョンシク君に申し訳ない。そういえば、ジョンシク君の軽いポカの「怪我の功名」によってこの日、意外なうまいものを知ることができた。それは牛肉の茹でたもの、「スユk」である。もともとジョンシク君は自分に是非食べさせたいものがあったのだが、その名前をなかなか思い出せなかった。そこでとりあえず入った店で、アジュmマにいろいろと訊ねながら注文したのがこの「スユk」だった。ジョンシク君は「ああ、こんなものじゃなかったのに・・」と悔やんでいたが「何言ってんだ、これうまいぞ」と、自分はガツガツと食べ続けた。ちょっと無理な喩えだが、しゃぶしゃぶを下品にしたようなものである。茹で肉をつまんで醤油ベース(だと思う)のタレにつけて食べ、一緒に出て来たスープ(これはあまりうまくない。このスープの立場は「蕎麦湯」みたいなものだと思う)をすする。酒の肴なのだろうけれど、これでご飯を食べても合うだろう。今回もっともうまかったものは、初日に食べたスユkと、最終日に食べたサmギョpサルだった。

寝る前に、明後日からどこへ行こうかと考える。今回は全羅道(チョルラド)に、とくに全羅南道(チョルラナmド)に行ってみたかった。日本で知人に話すと「行くな」と言われた。ちょっとえげつないぐらいに悪く言うので、かえって行ってみたくなったのだ。その知人は女性だが、かつてソウルの屋台で、酔った学生が日本人観光客にからんでいるのを叱り飛ばしたことがある。彼女は当時、とくに親日家というわけではなかったのだが、学生が聞きかじりの日本の過去の悪事を並べ立てて、当時を知っているはずもない若い観光客に説教をしている姿にカチンと来たのだという。それだけ「公平」な感覚を持つ人物が、こと全羅道のことになると悪く言うのである。自分は「そんなあんたが、どうして昔の人みたいに全羅道を悪く言うのか」と訊いてみたが、納得できるような答えは返って来なかった。

これは自分の眼で確かめなければならない。計4泊ほどで何がわかるか、という気もするが、行ったことが「ある」と「ない」ではまったく違う。とりあえず光州(クァンジュ)、そしてもっと田舎へ進もう・・さてどこへ?それは光州で考えればよい。まだもう1日ソウルである。

旅行記9−2
帰ろう