そして任務

話し中

アカスリを終えてさっぱりとして、地下鉄で九老工団(クロゴンダン)に向かう。ジョンシク君には、ハナの妹に会って冬服を受け取ってから電話する予定だ。自分はまだハナの妹にすんなり会えると信じている。たぶんハナの妹もそう思っているのだろう。しかしそう簡単には会えないのである。

九老工団に、2時10分に着く。きっかり2時に会う約束をしたわけではなかったが、あと10分ほど早く到着するか、または2時の時点でどこかの駅から電話をかけていれば、自分はずっと楽にハナの冬服を手にしていたかも知れない。 ハナの妹が、「2時から4時までが休憩時間」だと昨日の電話で言ったので、自分は日程に自由度を持たせるために、「2時頃に駅から電話します」と言った。それは、行く途中で何か面白いことがあれば、ハナの妹は後回しにしてもいいという考えだったからだ。

そんないい加減な態度でいたからバチが当たったのだろうか?この先、何も予定通りに進まないのである。改札を出てすぐに店に電話をかける・・話し中。その同じ場所で数回かけ直すが・・話し中。自販機でコーヒーを飲んで、電話をかける・・話し中。改札口を離れて駅前に出てタバコを吸って、電話をかける・・話し中! そのたびに何度かかけ直しているから、もう電話番号を暗記してしまっている。

自分はこんなとき決まってバカな行動に出る。昨日の電話で、ハナの妹は「駅からなんとかかんとかで、すぐですから」と言っていた。それなら自力で店を探し当ててビックリさせてやろう・・そして自分は、その店の電話番号を頼りに虚しい探偵ごっこを始めたのだった。 駅前には太い道(ソウル中心に比べたらずっと狭いが)が走っており、とりあえずその道のこちら側から探す。たいていの食堂には扉や窓に電話番号が書いてあるから、その局番を見て徐々に地域を狭めて行こうという作戦だった。が、これが如何に愚かな行動であるかは、あとでわかる。

道のこちら側でみつからなかったので、歩道橋を渡って反対側の商店街をあたる。この時自分の頭の中には、「ハナの妹が勤めるのは大衆的な食堂」という勝手なイメージが出来上がってしまっている。「不動産」の看板がときどき目に入るから、「ここで調べてもらおうか?」とも思ったが、ちょっと自分の立場を説明するのが難しいので(詮索されないかも知れないが)やめる。10〜15分間隔で電話をかけるが、ずっと話し中である。

駅からそれほど遠くはないだろうという考えから、あまり歩かなくても済む範囲で---と言っても商店街が続いているような通りではその端まで---調べ尽くして、時計を見ると3時に近くなっている。そして相変わらず話し中・・腹が立ってきた。探し始めはちょっと功名心もあったからそれほどではなかったが、歩き疲れると伴にイライラしてくるのだった。いったい何回電話をかけたのだろう?10回や20回ではない。ハナの妹の「オッパ」(誰やねん!)の携帯電話にも数回かけてみたが、今日は誰も電話に出ない。 ついに自分は、日本にいるハナに電話をかける。ハナが悪いのではない。それはもちろんわかっているが、まだ起きたばかりの様子のハナに「いったいどうなってんだ!もう1時間も電話してるのにお前の妹の店はずっと話し中だぞ!」と、つい強い調子で言ってしまう。 「今どこ?」「駅だよ駅!く!ろ!こん!だん!店と携帯以外の電話番号知らないのか?」ハナはようやく事態が飲み込めたようだ。「ごめんなさい。私も電話してみるから、またあとで」・・期待した「第3の電話番号」はないようで、たとえあってもハナは知らないようで、それからまたしばらくぶらぶらしては電話をかけるのを繰り返す。責任を感じたハナもずっと電話をかけ続けているようで、店、携帯、ハナ、すべてが話し中である。

ようやくハナに電話が通じた。話し中の電話は肉親がかけても他人がかけても同じ事、実の姉だからといって話し中が解除になるわけはない。「ずっと話し中なの」と、すまなそうに言う。「いや、ハナが悪いんじゃない。気にするな。どうせこの辺にいるから、4時に店が始まったらまたかけてみるから」「ごめんなさい」「うん。任せておけ。服はちゃんと持って帰ってやるから」

バスに乗れって?

3時半。ジョンシク君を呼ぶ。すぐ来てくれと言ったが、30分ぐらいかかると言う。しょぼくれた姿でまたコーヒーを飲んでタバコを吸って時間をつぶす。駅前にはいくつか屋台が並んで、ットッポッキやら揚げパン(?)を売っている。しかし今これを食べてしまうとあとに差し支えるから、なるべく見ないようにして辛抱する。もう4時まで電話はあきらめるつもりだったが、3時50分、もう指が憶えてしまった番号をヒマつぶしに押すと、なんとかかった!

電話に出たハナの妹は、すでにハナからの電話を受けたあとのようで、何度か詫びてから事情を説明してくれる。そのときはよくわからず、店のアジュmマがずっと電話を使っていたのかと思ったが、あとからよく聞くと、(たぶん2時頃に)電話を使ったアジュmマが受話器をキチンと戻していなかったらしい・・冗談じゃないよ!(と、韓国語でなんと言えばいいんだろう?)・・あとで店に行くと言って電話を切る。

しばらくしてジョンシク君が来てくれたので、ザッと事情を説明して「これからその店に行く」と告げる。もう1度店に電話をかけてジョンシク君に店までの道順を聞いてもらう。横で聞いていると・・なんと、バスだのタクシーだのと言っているではないか!その辺を歩き回って店が見つかるわけがなかったのだ。電話を終えたジョンシク君は「結婚式場みたいですね」と言う。頭の中でさっきまでの大衆食堂像が崩れ落ちる。

駅前からバスに乗る。さっき自分が途中まで歩いてみた道を、さらにまっすぐに進む。2つ目のバス停で降りるそうだが、車内放送なんかないからジョンシク君の土地勘に頼るしかない。しかしそれにしても、ここは自力で見つけるのは不可能である。昨日の電話でハナの妹が言った「駅からなんとかかんとかで、すぐですから」を頭の中で反芻してみて、もしかするとバス停が「駅前に出てすぐ」だったのではなかったかと思い至った。もう遅い(笑)

ハナと妹

バスを降りて、指定された(らしい)交差点のところで待っていると、ハナの妹が現れた。ハナより小柄で、あまり似ていない。しっかり者という印象を受けたが、本当は妹じゃなくて姉ではないかと思ったほど、その・・まぁはっきり言ってしまうとハナの方がずっと若くてきれいである。しかし日本の韓国クラブでホステスになったら、たぶん妹の方が有能だろうと思う。何かにつけて動作がテキパキしており、それでいて落ち着いている。・・等と勝手な分析をしながら中に入った。

入った所は結婚式場ではなく、その隣にある食堂だった。食堂というより宴会場のような、「なんやら会館」という感じだ。従業員はハナの妹を含めて皆揃いの制服を着ており、これまた自分が想像していた雰囲気と違ってずっと高級だ。自分はまずハナの冬服が数着入った、思ったより小ぶりな紙袋を受け取り、「これからこの学生(ジョンシク君のこと)と飲みに行くから食事はいらない」と言ったが、ハナの妹は勘弁してくれない。この人の歓待の気持ちも、もちろんあったのだろうが、電話でハナから言われてもいたのだろう、どうしても自分に何か食べさせるつもりのようだ。

カルビサルの準備がなされ、ビールまで運ばれる。ジョンシク君は自分の持っていたスポーツ新聞を一心に読み始めてしまったので、ほとんど自分がハナの妹と話す。もっともジョンシク君に何か話せと言ったところで、初対面のハナの妹に対して話すことなど何もないだろう。ハナ同様にテグ訛りで話すハナの妹は、あまりキャラキャラと笑わず常に落ち着いている。ちょっとこれまで出会った韓国人とは勝手が違い、話がまったく弾まない。例えば「お姉さん元気ですか?」「はい元気ですよ」の次の会話が続かない。 自分は「ハナが日本でホステスをやっていることは知られてはならない」という決意をして臨んでいたのだが、ハナのことにしろどんなことにしろ会話が絡み合って進まないので、自分が「いらんこと」をしゃべってしまう心配はいらなかった。

何となく違和感を持ったまま、ハナの妹が焼いてくれる肉を食べてビールを飲む。無言の空気がイヤな自分は、ハナの妹にちょっと話し掛け、短い会話の後で今度はジョンシク君に話し掛け、シラッとした空気をなんとかしたかったのだが、あまり成果が上がらぬまま時間が過ぎて行った。肉をお代わりし、ビールを追加し、かなり満腹に近い状態でその店を出た。

何となくの違和感・・それは本当に微かなもので、その日を回想している今となっては、いろんな事情がわかってしまった今となっては、もう忠実には再現できない。自分が考えもしなかった事情---実はハナもハナの妹も、中国からの帰国子女だったのだ。

ハナの妹に別れを告げてバス停に向かいながら、「あの人は日本人ですか?」とジョンシク君が訊く。自分は笑いながら否定したが、「どうしてあんなに韓国語がヘタなんですか?」とジョンシク君が続ける。そう言われても自分にはわからない。聞き取りづらいのは方言のためだと思い込んでいるし、きれいな標準語で言われたって全部聞き取れるわけではないのだから、自分にはそういう「違和感」はわからなかった。だからそのときは「いや、韓国人だ」と言い張った。 そして後日、預かった冬服を日本でハナに渡し、そこですべてが氷解した。ハナは自分にいろいろな嘘をついていた。それがこっちの利害に絡むような嘘ではないからあまり腹は立てていないが、それでも気分は良くない。まず、テグ生まれというのが嘘で、本当は中国で生まれ育ち、5年ほど前に韓国のテグに移ったのだそうだ。両親はともに韓国人で、それがなぜ中国に住んでいたのかは訊かなかった。いや、ハナは自分に語ったのだが、自分がその部分を聞き取れなかっただけかも知れない。

今回の旅行に直接には関係ないが、先日ハナは「韓国に帰る」と言って暇乞いのようなことを言って来た。そして、ちょっと離れた所に住むオンニ(日本人に嫁いだ実の姉らしい)の家にパスポートを預けてあるが、1人では行けないから一緒に行ってくれと言われ、その途中の電車の中で自分は、「日本語を少しも覚えられないなら、早く韓国に帰った方がよい」「だからよく決心した」と言い、また「日本でうまく金が儲けられなかったことを恥ずかしがることはない、これもいい経験だ」なんていう激励の言葉までクソまじめに語ってしまったが、つい先日「いま**で働いている」という電話があった。 「あのとき嘘ついたのよ・・」自分に対してなぜそんな嘘をつく必要があったのか?また、なぜ嘘だったことをわざわざ知らせて来るのか?わからないことはまだあるが、もうどうでもよい。

が、旅行中の謎は解けた。まず自分の感じた違和感とは・・それは残念ながら、ハナの妹の韓国語のつたなさを聞き取ったからではない。ハナの妹の口から「韓国語お上手ですね」のような言葉が出なかったからだった・・と、今は思う。普通、自分ぐらいの韓国語レベルなら、それを聞いた韓国人の口から、お世辞にちょっとプラスアルファの加わった「お上手ですね」が開口一番出てくるものだ。それが出ないと言うことは、ハナの妹もまた「外国人の韓国語」なのだろう。 まだ他人にお世辞を言う余裕がないのであり、どちらかというと「お上手ですね」なんてお世辞を言われる立場で頑張って来たわけで、そしてその感覚がまだ抜けていないのだろう。結局、これまで初対面の韓国人との最初の会話は、「韓国語、お上手ですね」に続いて「どうやって勉強しましたか?」「なぜ勉強を始めましたか?」と矢継ぎ早に質問されることで話がテンポよく弾み、それで打ち解けることができていたのに、ハナの妹との会話ではその公式があてはまらず、そこが自分の抱いた違和感だったようだ。(本当だろうか?)

また、ハナの妹が「オッパ」と呼ぶ、最初に携帯電話に出た男は、実は同棲中の彼氏だったようだ。・・「お姉さんから話聞いてます?」「はいはい」と電話で話したが・・うん、ハナが将来、彼にとって「ヌナ」になるのだろう。

それにしても、ジョンシク君がすぐに見破った「ネイティブでない韓国語」を、自分はまるでわからなかった。韓国語を始めて、間もなく2年になるというのに・・自分にとっては何よりも、そのことが大きなショックだった。

音楽テープ

ジョンシク君と明洞に出る。ジョンシク君は前回(新堂洞でラーメン抜きの変なプデッチゲを食べた)の埋め合わせに、明洞のある店(名前も場所も失念)でプデッチゲを食べるつもりだったようだが、自分はいまカmジャタンに夢中なのである。それでカmジャタンを食べさせる店を探す・・いや、その前にまだ買物が残っていた。

それがリヤカー売りの音楽テープだ。音楽と言ってもいろいろあるのだが、自分がここで言う「音楽テープ」は最新歌謡であり、「新世代最新歌謡」とか「X世代最新歌謡」というタイトルを付けて売られている、海賊版テープのことだ。地方に行くとW2000〜2500だが、ソウルのど真ん中ではW2500〜3000に上がる。それでも破格に安い。安い代わりに我慢しなければならない点が多々あるのだが、自分にとってこれは「練習用」であって「鑑賞用」ではない。唄えるようになったら用なしになる代物だからこれでいい。 それに、特に気に入ったものはCDできちんと正座して(嘘)聴くことにしている。

しかし、痛いほどわかっていながら、またジンクスにやられるのだ。あれほど街角に並んでいたリヤカーが、今日はまったく見えない。そして警察がうろうろしている。あとで知人に訊くと、たぶんその日は摘発を恐れて商売を控えたのではないかと言う。韓国では「見つけたらすぐ買う」のが鉄則だ。

明洞から鐘路まで歩いたが、途中に1台見つけただけだった。その1台はチラッと見て品数が少なかったので素通りしたのだが、結局そこまで戻って来てしまった。知人への土産も含めて10本ほど買う必要があったが、そのリヤカーには数本しか並んでいない。アジョッシ(ハクセンみたいだったが)に10本欲しいんだと言うと、数メートル離れた菓子売りの屋台の下から出して来た。これはいつでも音楽テープの屋台を店仕舞いできるように「隠しておいた」のだろうか。そして「10本も買うんだからサービスしなきゃね」と言うと、ちょっと年かさのアジョッシがどれでも1本持って行けと言う。たぶん2本でも3本でも平気なんだろうと思いながら、合計11本を黒ビニールに入れてもらって、ようやくカmジャタンを食べに行く。

サラッと書いたが、この日はすごい距離を歩いている。午前中はネットカフェと沐浴湯を探し、午後はハナの妹の店を探し、夕方からリヤカーを探し、そしてカmジャタンの店を探している。こういうときは、知っている店に向かう方が利口だと思い、鐘閣と仁寺洞の間の、カmジャタン専門店に入る。ここは前回たいへん美味かったから、自分は自信を持ってジョンシク君を案内したのだ。 が、どうも我々はこのごろ食の神に見放されているようで、出て来たカmジャタンは水っぽくて最低の出来だった。これならうちの近所で食べる方がずっと美味い。ジョンシク君に不味いものばかり奢っているようで、お兄さんは胸を痛めながらビールをあおるのだった。

韓国50泊

「旅行」で50泊したところで、それは「生活」の2週間にも劣るかも知れない。しかし「旅行」の30泊よりは上なのである。民家に旅館にモーテルに民宿に、ホテルとユースと旅人宿以外は全部泊まった。もちろん上だとか下だとか言っても意味はない。自分の中で勝手に決めているだけだ。だから自分だけ嬉しければそれでいい。

韓国での50泊目は実はこの日ではなく、前日か前々日なのだが、思い出したのはこの帰国前夜である。満腹なのにまた屋台で菓子類を買い込み、パンパンに膨らんだ中華ホットkや、見かけはカレーパンだが中身はうす味の肉まんみたいなものや、頭の先と尻尾にアンコのない小型の鯛焼きを、最後のしめくくりに口に押し込みながら、「そういえば50泊か」と急に思い出したのだ。100泊はいつになるだろうか?そんなに長く韓国への旅行を続けるのだろうか?韓国語はいつまで勉強するのか?・・
今日だけで棒のようになった足を投げ出し、これからしなければならない帰り支度を10分、20分と後回しにしながら、深夜まで考え続けた。


旅行記8・完

旅行記8−5
帰ろう