強行の旅

例によって

ちょっと重い気分で旅立ち、帰ってからまた重くなる。 不況による残業ゼロ規制その他の締め付けで収入は減る方向で、そんな中で韓国旅行だと言えば、いかにも浮かれてふわふわした感じがする。 昨今の韓国旅行のイメージは、エステだのグルメだのお買物だの、かつてのキーセンツアーよりは明るい方に変わってきたように思うが、 どちらにしても自分にはありがたくない。まぁ遊びに行くのは確かだから傍目には同類でも仕方がない。

帰ってきてみやげのガムを配ったら、前回のガムを封も切らずに持ってる人がいてちょっとムッとする。 だがそれも仕方がない。自分なんかもらう土産のほとんどはゴミ箱に投げてしまうので、持っていてくれるだけマシだと思う。 それよりもっと腹立たしいのは、飛行機の座席のところにあるボタンの知識である。

それは単純な質問のはずだった。座席に座ったまま、通り過ぎるスチュワーデスを呼び止めるとき、なんと言えばいいのか? 日本語なら「すみません」、韓国語なら「チョギヨ」とかなんとか言えばいいのだが、英語ではなんと言うのか? 「エクスキューズミー」というのがすぐ浮かぶのだが、なんだか簡単すぎて不安である。 実際ノースウエストに乗ると、日本人か韓国人スチュワーデスが自分の近くにいる可能性は低く、だいたいいつも英語でのサービスになる。 英会話からすっかり遠のいた自分は、コーヒーを頼んで「コーク?」なんて聞き返される始末であるから、ますます「声掛け」に自信がないのだ。

今までに乗った飛行機はほとんど国内線、去年初めて香港旅行をしたという男が答える。「呼び出しボタン押したらええやん」と。 「そんなもんあるか!」と自分は答えたが、その後休憩所で4人に訊いたところ、皆そのボタンの存在を知っていた。 それも、「そんなことも知らないのか」という態度で教えてくれたりするのである。 何年も前に新婚旅行か修学旅行でおのぼり旅行をしただけで、たぶんパスポートの在処も忘れているであろう彼らに言われるとさすがに腹が立つ。 だいたいそんなボタンをどうして知っているのかというと、座席据え付けのマニュアルを読んだらしい。 東京−ソウルはあっという間だが、飛行機に10時間ぐらい乗っているとヒマでたまらなくてマニュアルにも手が伸びるそうだ。 今はこうして落ち着いているから、それはもっともな理屈だと思うが、そのときは「だいたい韓国なんか近過ぎるんだ」と言われてカッとなった。 カッとなっていろいろ言い返せるならいいが、如何せん目上の人ばかりで、自分はただ脹れっ面で煙草に火をつけただけだった。 唯一の救いは、自分よりもっと旅慣れていろんな国にホームステイ経験のある人が、「ええ?そんなボタンあるの?私も知らなかった!」と言ってくれたことである。

まぁとにかく行きの飛行機である。非常口のすぐ横でスチュワーデスの真ん前という座席に、日本語の上手な韓国アジュmマ2名と座ったのである。 自分は通路側で、窓側のアジュmマはフラワーデザインの有名な先生だと、真ん中に座ったアジュmマが教えてくれたが、自分は当然その偉さがわからない。 テレビにも出たりする先生だそうだが、そんなに偉い先生がエコノミーのしかも非常口横になんかお座りになられるものだろうか?

この座席の客は、緊急時にクルーの手伝いをしなければならないという。 飛行機の緊急時には、たぶん我々は死んでいるはずなので何もできそうにないが、そういうことを承諾した客しかその座席に座らせてはならないという規則があるらしい。 英語で書かれたその旨を、2人のアジュmマは納得しない。そんな面倒な席なら替えてくれとスチュワーデスに訴える。 ところが2人のスチュワーデスは、見かけは我々と同じだが英語しか話せず、「コリアン?」と訊いてアジュmマがそうだと答えると、どこかから韓国人スチュワーデスを連れて来た。 そのスチュワーデスは自分の方もときどき見ながら説明してくれる。「そういうときは手伝ってくださいますね?」と最後に付け加えた。 自分は「はい。そのとき生きていれば」と答えたが、あまり受けなかった。離陸態勢に入ってもアジュmマは席を替えてもらおうとするが、もうどうしようもあるまい。 自分は脚を伸ばして見せ、「前の席がなくて楽ですよ」と慰めた。

ときどきアジュmマと話しながら、なかなか面白い2時間半を過ごした。降りる時は重たい荷物を降ろしてあげて、入国審査のところで別れた。 空港ではジョンシク君が待っている。こんな遅い時間に来なくていいと言ったが、CDとビデオを持って出迎えてくれた。 前の旅行記を読んだらしく、自分の荷物を背負うと、代わりにジョンシク君の軽い荷物を持たせてくれた(笑)

新林(シルリム)

地下鉄で新林に向かう。地下鉄に乗ってソウル中心へ向かう場合、あまり外国という感じがしない。カチ山で乗り換えてようやく韓国を感じる。 なんて考えていたにも関わらず乗り過ごした。信じられないことだが、韓国人のジョンシク君とソウル8度目の自分が、この夜は合計3回も失敗をした。 2度乗り過ごし、1度進行方向を間違えたのだ。新林に着くまで苦笑いばかりしていた。 SPEEDファンのジョンシク君に、自分はカレンダーを買って行った。新聞広告紙でくるんだそれを、税関で質問されたが開けられることもなく無事だった。 徐々にSPEEDから心が離れつつあったようだが、このカレンダーでまた持ち直したようである(笑)。

もう1つ、SESが日本で発表したシングルCDも渡した。彼は元々はSESファンである。 彼が最初にメールをくれたとき、挨拶代わりに大きなSES画像を10枚ほど送ってくれたのだった。それがいまではピンクルの方がいいと言う。 「それじゃお前、思うつぼじゃないか」ということを韓国語で言うのに苦心した。 SESが日本進出のあいだにピンクルを売ろうとしているプロダクションの思うつぼだと言いたかった。 (なんのことかわからない方へ:アイドルグループのことです。気にしないで下さい^^;)

ヒョロヒョロッとした、初めて見る顔のジョンシク君の友達が現れて、一緒にテジカルビを食べる。 妙に脂っこい肉で、ジョンシク君はまずかったそうだが自分は久々のテジカルビだからけっこう美味かった。 2軒目でプデッチゲとパジョンを頼んでレモン焼酎を飲んだ。知らない人のためにどんな味かというと、ハチミツレモンの濃いやつ、という感じである。 だがしっかりと焼酎なのでこれは危険な飲み物だと思う。韓国版スクリュードライバーと言ったら言い過ぎだろうか?

自分が渡したSESの日本語CDを、ジョンシク君が友達に見せていると、隣りの席でタkカルビ(たぶん)を食べていた、シャレた恰好の怪しい2人組みの1人がスッと寄って来た。 「それ、どこで手に入れました?」みたいなことを訊く。ジョンシク君の友達が「日本で買って来たんですけど」と答えるとその男は首を傾げながら席に戻った。 しかしそのあと2人で、しきりにこちらをチラチラ見ている。・・怪しい。

そのCDがどれほどの価値のものかわからないが、自分の想像は例えばこうである。 韓国でなかなか手に入らないSESの日本発売のCD、これをなんとかたくさん仕入れてバカ高い値段でSESファンに売ろうと。 ところが学生風情がすでにその宝物を手にしている。こんな感じで世間に出回ってしまったら自分らの商売はあがったりである。 あるいは、海賊版テープを作る時に、その中にSESの日本曲を入れれば飛ぶように売れるであろう。 そしてその、のどから手が出るほど欲しいブツを、隣りの席の学生風情が手にしている。

ちょっと考え過ぎだったかも知れないが、とにかく自分は危険を感じた。 これから外に出て襲われても3対2でこちらに分はあるが、もし向こうがテコンドーの達人だったらたまらない。 ・・学生2人は背を向けているが、自分には怪しい2人の視線がすべて見える。 結果的にはなにごともなかったが、自分は注意深くその2人の体格から戦力分析をしていたのだった。 店を出てノレバンに向かう途中でも、自分は時々振り返って警戒していたのである。 こうして書いているとバカみたいだが、そのときはちょっとスリリングだった。

結局ノレバンは開いておらず、旅館を探して寝ることにした。鐘閣(チョンガク)まで行って寝ると言うとジョンシク君が眼を丸くする。 タクシーで1万ウォンぐらいかかると言う。それでも自分はタクシーに乗ってしまった。朝起きて仁寺洞(インサドン)方面へ散歩したい。 荷物を軽くするために着替えをあまり持ってきておらず、洗濯をしなければならない。それを乾かすには2泊以上の連泊が必要で、かつソウル駅に近くていつでも地方へ発てる環境にいたい。 理由はいろいろあったが、とにかく鐘閣が都合がいいのだ。結局あとになってみれば、翌日は蚕室(チャムシル)へ向かい、また地方へ行くにも永登浦(ヨンドゥンポ)があるのだから新林でもよかったのだ。 正直、深夜にちょっとタクシーを飛ばして見たかったというのが大きかったのだ。

タクシーでも同じことを言われた。「新林にも旅館はたくさんあるのに」と。それは適当にごまかしたが、日本人ということはじきにばれてしまった。 別に隠そうとも思わないが、最初から最後まで韓国人のふりをするのも楽しいものである。

そのアジョッシは京都やら大阪やら岡山やら、その他自分も知らない地方都市の名前を挙げて、かつてそこで働いたことがあると話してくれた。 韓国語のわからない日本人が乗ってくると日本語を使うのだという。が、日本語はちっとも出て来ない。 自分に気を使ったのか、本当はそれほどしゃべれないのか、非常に聞き取りづらい韓国語でボソボソと話し続けた。荷物がなければ助手席に乗ったのだが、後部座席からだとよけいに聞き取りづらい。 わからないところは適当にごまかしておいたが、信号待ちの時にメモを取り出して電話番号を書き始めた。 さすがにごまかしちゃまずいと思って、身を乗り出して懸命に聞き取り態勢に入った。 もらったメモには携帯と家の電話の両方が記されていた。「今度韓国に来る時は電話してくれれば一杯おごろう」ということだった。 本当に電話をかけるかどうかわからないが、いきなりのほのぼのとした時間、大満足の9600ウォンだった。

旅行記8−2
帰ろう