楽しそうでない旅

食堂には事欠かない場所だったから、毎回違うところに入った。どうも腹時計が他人と違うのか、入ると たいてい空いている。そして帰る頃に客がやってくる。自分は空いてる方が都合がよかった。アジュマが ヒマなら、そして日本からの個人旅行者に関心を持ってくれれば、少し会話ができる。前回よりも韓国語 を使う機会が少ないので、焦りもあった。ハラボジのアパートでは、老人から子供までが交互に話し掛け てくれたので韓国語漬けになれたが、1人で行動するとたくさん耳には入るが話す相手があまりいない。

最初にハラボジとトンカツを食べてから、最終日にうちの会社の人と豚カルビを食べるまで、常に1人で 黙々と食べていた。カルビタンとソルロンタンとビビンバpがそれぞれ2回ずつ、あとは名前の思い出せ ない魚の定食と・・・ちっとも他人に紹介できないのが少し後ろめたい。自分では「うまい」し、「楽し い」のだが、文章にするとちっとも楽しそうじゃない。

前回、英語が出てこなくて困ったと書いたが、今回はもっと困った。英語しかしゃべれない人に道を聞か れたのだ。ブロンドの、同世代の女性だ。「ロッテホテル!」だけ繰り返すのである。「・・・・・・」 口をついて出ようとするのは韓国語ばかりである。簡単な文章ほどやっかいだ。ロッテホテルは本当に知 らなかったのだが、「モルゲンヌンデヨ」をかろうじて飲み込んで「アイ ドン ノウ」。中学生にも劣る。 炎天下で向こうも歩き疲れている様子だったからなんとかしたかった。そうだ地図があるではないかと思 って「チド カッコイッス・・・」まで言ってうーんと唸って「アイ ハヴァ マップ」。更に「チャm カ マンニョ」と言ってしまってからちょっと考えて「ウェイルァ ミニッ」。大汗をかいてやっと説明したら、 急いでいた彼女は、実にきれいな発音で「 Thank you! Good-bye! 」と言い残してさっさと行ってしまった。

ところが韓国人に道を聞かれて、きちんと教えることができたのだ。永豊文庫から出てしばらくあてもな く歩いていると、背後から単車が近づいてくる。歩道だというのに。自分を追い抜くとアジョッシ(歳は 同じぐらいに見えた)が永豊文庫はどっちへ行けばいいですかと聞く。なんだいま自分がいた場所かと、 「まっすぐに」と言おうとして「コッチャン」をド忘れしてしまった。右も左も言えるのにまっすぐが言 えない!とうろたえたが、すぐにその方向を指差して「向こうの方です」と答えた。礼を述べて単車は走 り去った。ちょうど仮免の試験で、車庫入れは右も左も得意なのに、運悪く縦列駐車をテストされたみた いだった。

もうとにかく韓国語を使わないと韓国まで来た意味がない。どんな買い物をしても食堂に入っても、交わ す会話は限られている。もう最終日になってたまらなくなって、江南のヒョンの店に行く。地上への出口 を3回間違えて、やっと店にたどり着いた。ちょうど昼飯時の終わる頃で、客は2組しかいなかったから ヒョンや奥さんやママの妹に相手になってもらえた。ヒョンはいつもまず握手である。どんな韓国人でも するのか、ヒョンの癖なのか、外国人(自分)は握手する習慣があると勘違いしているのか、よくわから ない。ドラマの中で握手シーンはどうだったろう・・・と考えていると、矢継ぎ早に何か言ってくる。上 達してもやはり対等に会話するのは無理で、何度も聞き返す。「何で韓国に来たのならまずここへ来ない んだ」というところはわかったが、最近起こったニュースなどはわからない。わからなくてもいい。こん な風にしたかったのだから。

自分が「ピョルン ネ ガスメ」とか「シュポ ソンデイ」とか、TV番組の名を挙げるのでみな驚いていた。 しかし日本による韓国の漁船だ捕という、韓国の大ニュースを自分がよく知らないことに不満のようだっ た。と言ってもそれで険悪な空気になることもなく、また別の話になった。そうやって会話不足の鬱憤を 晴らし、暑い中を歩きまわった数日を思い出しながら、まずここでヒョン達に会うのが正解だったなぁと 考え、「次はまずここに寄ろう」と決めた。

旅行記2・完

追記

2度目の韓国旅行は自分でも「あっけないなぁ」と感じた。ハラボジから離れて1人でうろうろする毎日 は、気楽だが思っていたほどスリリングではなかった。なんでも物珍しいのが最初の旅行だったが、今回 は「ただの商店街」のようなところは珍しくなくなっていた。それじゃあ名所旧跡をめぐろうかとも思っ たのだが1人で行って面白いところではないのでやめた。結局どこかへ行ってきて晩飯のあと仁寺洞をう ろつく毎日になってしまった。ソウルから出ないのが失敗だったと思う。3度目はソウルから高速バスに 乗って南下してみたのである。

旅行記2−3
帰ろう