韓国へ韓国へ

帰国して

不満から始まるのである。
帰国して、韓国へ行ってきたと言うと、しかも1人で民間人の家に泊まってきたのだと言うと、ほめてくれなく てもいいから、もう少し身を乗り出して話を聞いてくれたらと思うのだが、うちの職場ではそんな期待はしては いけなかった。誰も何も聞いてくれない。聞かれないのに自分からこれこれこうで、こんなに感動したなどとは 話せない。それでも何人かはどうだったと聞いてくれるのだが、うちの職場に限定すると、みな無関心であった。

1度韓国へ行ったというだけで国際人ぶったりはできないのだが、それにしてもうちの職場はつまらないのが多 い。うちは○○系列だが、その親会社へちょっとペコペコしに行くことが世間を、そして世界を見ることだと思 っている人が多い。まぁ人それぞれ事情があるから、あまりコケにしては気の毒だと思う。そんなことより自分 は次を計画しなければならないのだが、なんだか不満であった。もうちょっと修行ができていれば平気で我が道 を行けるのだが、1人や2人理解者がいてほしいのが人情である。

ワイルドに生きていらっしゃる、仕事がバリバリできる、そんな尊敬の念を持って見ていた人々が、一変してつ まらない人間に見えた。みんなが恐れおののく(笑)韓国へ1人で行ってきた自分の話よりも、ちょうど新婚旅 行でハワイへ行った人の話を興味深く聞くのである。それは、海外の体験を聞いているのではない。ホテルの飯 がどうの、途中でケンカしなかったかどうか、費用がいくら掛かったのか。「英語は通じたか」という自分の質 問は「日本語で大丈夫だ」との答えで終わった。まぁハワイだから、現地人とのふれあいがどうのなんて話に 持っていくのもヤボだろう。ましてや新婚旅行なのだ。彼らのやりとりを聞いてるうちに、こいつらに話しても ムダだと思った。

しかし、さすがに営業部門はすごい。自分が逆に目を輝かせてその体験を聞かせてもらえる。しかも学生時代に 猿岩石みたいなことを体験したつわものもいる。以来、営業の知り合いが研究所を覗きに来たりすると、自分は 仕事を遅らせても彼に自分の話をし、また彼がどこの国へ出張して来たのかを聞かせてもらうのである。

韓国語を始めて、声がやや大きくなった。親は「オマエは明るくなった」という。暗かったわけじゃないんだが。 会社では怒りっぽくなった。こんなこと言っても仕方ないが、まず職場に韓国人がいないのが不満なのである。 次に韓国に浸かろうという人がいないのが不満で、ちょっと条件を緩くしてどこかの国に友人(その国の)がい て何度も行き来する人ならどうか、これもいない。そうやってレベルを下げていってもダメなのだ。海外旅行経 験なし、今後も行くつもりなしという人が多くてもうどうしようもなくつまらない職場なのだ。会社でいつもイ ライラしていることになった。

そんな日々に希望を与えるのが、次にいつ韓国に行くかと言う計画であった。もちろんハラボジにまた会いに行 くためでもある。だがこの会社での毎日の不満がなかったら、2度目の韓国旅行はもっと先になっていたろう。 そして7月中旬の便をさっさと予約してしまったのである。

パーフェクTV

韓国で痛感したのは、まず耳だ!ということだった。毎日何か聞いていたい。それもNHK講座のようなもので なく、理解できなくて構わないから韓国語オンリーの放送を受信したい。そこでラジオが聞けぬものかと苦心し たのだが、日本の放送局の電波が強すぎてダメだった。高い無線機でも買わねばならんか・・・と思ったときに パーフェクTVを教えてもらった。職場の人間もたまには役に立つ。パーフェクTVを契約すれば、韓国語だけ のチャンネルもあるという。それだ!と飛びついて、ボーナスを待たずにチューナーとアンテナを買って、TV も古かったので買い替え、朝っぱらから韓国語が聞ける環境を整えてしまった。いまでもちゃんと理解できない が、それでいいのだ。韓国ドラマやバラエティーは本当に役に立つ。韓国語会話の独特のリズムや言い回しが少 しずつだがわかるものである。最近少し不満も感じる(放送時間通りに始まらないとか、歌番組が1ヵ月ぐらい 遅れているとか)ようになったが、自分の最強の武器である。KNTVというのが、その韓国語チャンネルだが、 このチャンネルは日本語字幕が少なくてよい。これは人の好き好きで、勉強に使うならもうひとつの、字幕が多 いKチョネルがよいという人もいるだろう。ここでいう字幕とは日本語字幕のことだが、自分は先日KNTVの アンケートで、要望の項目に「ハングル字幕の出る番組が見たい」旨を回答した。私見だがもっとも勉強になり そうである。日本語字幕は、直訳すると日本語としておかしいところを意訳してあるので、かえって不便に 感じる。
こんな武器を得て、2度目の韓国でハラボジやヒョンを、ヒアリングの上達と、ドラマやヒット曲の知識で驚か せることになった。

出発

前回アシアナで行ってとても印象がよかったので、またアシアナに乗りたかったのだが旅行会社の手違いで大韓 航空になった。それだけならいいが、予約した日が取れなかったと言って日程を1日前にずらした航空券をよこ した。結果的にはこれ幸いと1日多く有休をとったのだが、もしその日に抜けられない会議などあったらどうし てくれるのか。今後のこともあるので一応苦情を言っておいたが、アシアナの料金でKALに乗せてあげるから いいではないかと、丁寧に言うのであった。まぁいいかと思ってしまったが、なんだか変な論理である。

KALは、アシアナに比べてどこがいいのだろうと注意していたが、何も違いはみつからなかった。自分はアシ アナの制服の方が好きなので、(この論理も変だが)アシアナのファンである。それにKNTVで毎日のように アシアナのCFを見ているので、親しみもある。このKALはリコンファームのときに弱った。ソウルのKAL の電話番号が変わっていたのだ。今回はずっと旅館やモーテルに泊まったので、電話を掛けるときは自分しかい ない。1人でその機械的な番号変更のお知らせを聞き取るのは、実に大変だった。何度も何度も聞かねばならな い。韓国語と英語で流れるそのテープから、本文は韓国語を聞き、移転先の電話番号は英語を聞いた。

2度目だから多少は余裕を持てたが、今度はほとんど1人で行動する予定なので、希望したとはいえ不安がある。 一応挨拶の電話をと思って前々日ごろにハラボジに電話をすると、「ああ懐かしい声だ、また会えるのだ」と感 傷にふける間もなく、「そうかいわかった、まずうちへ来なさい」と、電話を切られてしまった。国際電話でも ソウルから電話しても、ハラボジはいつもこの調子だ。苦笑して受話器を置きながら「しまった!」と思った。 自分が今回は旅館に泊まりたいと言ったのを、ハラボジは「旅館を探してください」と受け取ったのだ。

金浦空港から、前回ハラボジと乗ったバスは自信がなかったので(乗るのはいいが降りる場所が)地下鉄に乗っ た。ニュースで知ってはいたが、2ヵ月半の間に地下鉄料金が上がっている。帰りに空港バス(座席バス)に乗 ったが、これも値上がりした。あのKALリムジンは知らない。それに、今回1度も乗らなかった市内バスも値 上がりしている。ついでにヨイドの貸し自転車もガイドブックに記載された料金より上がっていた。タクシーは どうだったろう。実は今回乗らなかった。

そういえば地下鉄の印象を何も書いてなかった。いまさら旅行記1には戻れないので、前回の分も含めて書く。 まず、ある程度読んで知っていたので物売りにはビックリしなかった。それよりそんな物売りの差し出すもの を買う人がいることに驚いた。窓にくっつける日よけ(?)を初めての目撃では4〜5人の乗客が買っていた。 アコーディオンを持ったアジョッシも、遠くから徐々に近づいてくるから「まぁこんな人もいるのだろう」と思 って受け入れていた。自分は異文化に対して柔軟なのだ。自分が「んん?」となったのは、ドアの近くに貼られ たスパイの存在を警告したポスター(もうちょっと小さい。ポスターでなくてなんというのか言葉が出てこない) だった。いろいろあったがネズミの絵が描いてあるものが印象的だった。

地下鉄改札を抜けて地上に出ると、うーん、この人をなんというのだろう。たぶんあの言葉でいいと思うがここに 書いていい言葉かどうかわからない。這っている人である。そして大きく音楽をかけている。そしてザルが置い てある。通りすがりの人が金を入れるところを見たような見なかったような。。。

江南駅で地上にでると、ワァッとアジュマが寄ってくる。手に手に小さなビラを持っている。よく読むまでわか らなかったがサラ金の類のようである。このビラは裏に地下鉄路線図が描いてあるものがある。自分は最初にハ ラボジが1枚もらって渡してくれた路線図付きビラをしばらく愛用していた(車内で日本語のガイドブックを開 くなんていうのは自分の流儀に合わない)が、実はその路線図は自分にとってその後重要な、鐘閣が抜けていたの だ。それに気づいて、たくさんのアジュマに渡されるままにすべてのビラをもらってみた。するとそのうちの1 人が「カードを作りますか」というようなことを言ってきたので、すっかり得意になった伝家の宝刀で追い払っ た。「はんぐkさらみ あにぇぇよぉ」これで勧誘関係はひいて行く。

蚕室に着く。暑い。実は空港も、いや日本から暑かった。そのせいか、前回わからなかったマヌル・ネmセ(ニ ンニクの臭い)が成田の出発ロビーで並んでいるときから漂っていた。この臭いはしかし、「おお韓国!」と思 うだけでとくにイヤではない。今回はとくに臭いが強烈な季節なのか、鼻がマヒすることなく至る所で韓国臭を 感じた。

2ヵ月半しか経っていないので記憶は鮮明だ。タクシーをちらっと意識したが、そしてクソ暑いが、歩くことに した。前回何往復かした、広い道路の広い車道を「とpたー」などとつぶやきながら懐かしいハラボジのアパー トを目指して歩いた。

旅行記2−2
帰ろう