デジ登場

新展開

ジョンシクが韓国語の掲示板を作ってくれて、自分にとっての「インターネットを使う韓国語学習」というものが一変した。それまで個別にメールをやりとりし、最初は懸命に、しかし徐々に間があいて、そのうちに愛想をつかされて音信不通・・・というパターンで何人もの韓国の友人を失って来た。別に相手に不満があるとか、忙しくてまったく時間がとれないとか、何か理由があって連絡がとれないのではなく、外国語でのやりとりがなんとなく面倒になる、という波がときどき訪れるのである。これは韓国とメールを交換したい、自分のパソコンで韓国語が打てるようにしたい、と試行錯誤を繰り返した頃から比べると、あまりにも贅沢な悩みである。自分のHPを見てメールをくれる、しかも大げさに言うと国境を越えてメールをくれる、そして9割9分までが好意的なメールをくれる、それなのに自分自身の怠慢から疎遠になってしまう・・ああ申し訳ない。

だからジョンシク、パラム、これから登場するデジなどは非常に心が広く、外国人が韓国語を読んだり書いたり聞いたりしゃべったりすることを深いところから理解して、我慢強くつきあってくれる希少価値のある友人なのである。掲示板ができたとき、自分はそれまでにやや疎遠になりつつあった人たちにメールを書きまくった。掲示板に参加してくれれば、こちらの近況をあまり待たせずに報告でき、彼らも掲示板で新たな別の日本人と知り合ってくれれば一石二鳥であると思ったからだ。実際に掲示板に現れてくれたのはそのうち数名だったが、そのうちの一人がデジである。

関係ないが自分はそのとき、韓国語を勉強中の日本人や在日の人にも呼びかけた。韓国語の読み書きの練習として、こんな機会はなかなかないわけで、個人的にそういう練習相手を持つ人や、いまさら練習しなくても大丈夫だという人はともかく、もっと多くの人が積極的に参加してくれるものと思っていた。が、日本側は惨憺たる状態である。最初だけ書き込んで、韓国人側の熱烈かつまじめな応答にも関わらず、そのまま消えて行く輩が多い。無視されたり馬鹿にされたのならともかく、ジョンシクなど大喜びで歓迎の気持ちを書き込んでいたのに、返事もせずに失礼極まりない。でたらめなカタカナ韓国語を書き込んでるヒマがあったら、辞書片手にもっと勉強せぇと言いたい。・・・と、むくれてみても始まらない。それぞれの事情もあるだろうし、「練習はしたいがうぉるの掲示板じゃイヤだ」ということかも知れない。宣伝活動があまりにも小規模だったせいもあるだろう・・・というわけで、いまはもうどうでもよい。各自勝手にやってくれ。

話を戻すと、そういうわけで、メールよりも掲示板がメインになったのである。韓国語での日記も、掲示板に書けば事足りるので更新していない。さらに、自分の掲示板で投稿に慣れると、イ・スンチョルのファンクラブサイトや、日本語を勉強するサークルみたいなところでも書き込んで、交流がさらに広がってきた。前回と今回の、スンチョル・ファンクラブとのいきさつ等はその賜物なのである。

ドキュメンタリー?

デジが初めてメールをくれたのはいつのことだったろうか。ある大学(デーハッキョのほう)を休学してある放送局で勉強中のデジは、自分の旅行記を翻訳サイトを通して読み、そして何かがひらめいたそうで、自分を題材としてドキュメンタリーを撮りたいという申し出だった。うまく行けば(とんでもなくうまく行けば、ということだと思う)テレビに出るかも知れないということで、なんだか照れくさくなる依頼だった。返事はのらりくらりと保留してある(あるいはもう諦めたか?)が、そんなことよりも自分は、このデジという新しい弟分に実際に会って、そのバイタリティに衝撃を受けるのである。

ジョンシクがアルバイトに忙しく、実に久しぶりに金浦空港に1人で立つ。飛行機を降りて、入国審査のあいだにデジに初めて電話をかけてみると、野太い声が返って来た。唄がうまそうな声、というのが第一印象で、かつとんでもない大男を想像する。実際には中肉中背よりちょっと肥えた程度なのだが、声の印象やら彼の渡航遍歴やらの影響で、いまでも「デジはなんだかでかいヤツだ」という思い込みがある。ノースウエストの夕方の便なので(相変わらずノースウエスト便を使うと、夜着いて朝帰るパターンのために1日損をした気になる)ソウルの中心には10時過ぎに着くことになり、呼び出すには微妙な時間である。しかしデジは快く「これから会いに行きます」と言ってくれ、自分はとりあえず12時前の就寝は放棄する(笑)。毎度のバスで鐘路(チョンノ)へ向かう途中で、ジョンシクからの電話を受ける。空港に到着してからの自分は、まるで帰省した韓国アジュmマみたいである。

前回の,新品トイレットペーパーが入水自殺を図った光景が生々しく蘇るモーテルの前を通って、その先のモーテルに荷物を置く。デジとの約束の時刻が迫っている(と、勝手に思っていた)ので急いで鐘閣(チョンガク)駅に向かう。デジは家がソウルだと言っていた。だからホイホイと出て来られると思ったのだが、あとで聞くととんでもない錯覚だった。地下鉄で言うと端っこも端っこ、正確な住所はソウル市ではないのである。それなら自分も中間地点まで出かけたものを・・・デジは外国人の自分に気を使ったのである。・・・しかし自分の旅行記を読んだのなら、今ではそこそこ地理に明るくなっていることがわかっているはずだが?

「今どこか」「あと何分かかるのか」待ち疲れた自分は何度もデジに電話をかける。その何度目かに「あとひと駅です」とデジが言うのだが、この「はんじょんごじゃん」がなかなか聞き取れずに往生し、何度か聞き直してようやく意味を理解する。聞き慣れない単語だとそのときは思ったが、実はよく使う言葉である。まだまだ語彙が不足していることを再認識した瞬間である。突っ立って腕組みしたり、座ってスポーツ新聞を広げたり、地上に出てタバコを吸ったり、30分ぐらい時間を潰したころにようやくデジが現れる。

鐘路はよくわからないというデジと、結局仁寺洞(インサドン)まで歩いて一軒の飲み屋に入る。チョゲタン(乱暴に言うと貝の辛いスープ、あさりのメウンタン?)をつつきながらの話は、これが実に面白い。世界のあちらこちらを旅行し、とくに南米がお気に入りだという。目下、コロンビアやペルーを1ヶ月半の予定で周るための準備中であり、自分が日本に帰国する前日に(実際は予定が数日ずれて、自分が帰国してからとなった)発つそうだ。大学や放送局での勉強はどうなるのか、資金はどう調達するのか、謎は多いがとにかく面白い。自分はこんなときに情けない。これまで韓国でああしたこうした、という話を韓国人に向かって話しても、間は持つのだがなんだかインパクトに欠けるように思える。韓国以外の国は、かろうじて2ヶ月前のアメリカ出張の話ができる程度である。

話の途中で自分が聞き取れないそぶりを見せると、デジはすぐさま英語を使う。過去に旅先で日本人に出会ったときは英語でコミュニケーションをとっていたそうだ。自分よりスムーズに英会話ができるようだが、しかし聞き取りにくい。自分もそれほどしゃべれないのにこんなことを言うと失礼なのだが、やはりコングリッシュ(Korean Englishを略した造語)なのである。ネイティブには聞き取れてもジャングリッシュな自分には非常に聞きづらい。たぶんデジも自分の英語を聞いたら同じことを思うのだろう。しかしデジの英語はいろんな国でそれなりに通用したのだという裏づけがあって、そこが自分よりも数ランク上なのである。荒削りだが実績のある英語である。またまた「英語は大事だなぁ」と思うが、だからと言っていまからここ韓国で英会話を始めるつもりもない。

この日は「うぉるさん」で終わるが、滞在中にもう一度会う頃には「ヒョン」に変わる。ジョンシクに次いで2人目の弟の誕生なのだが、ジョンシクはデジよりも年下なのでデジもまた「ヒョン」と呼ばれることになる。いずれ2人を連れて三成(サムソン)のヒョンの店に行くこともあるだろう。そうすると「ヒョン!」という呼びかけが複雑に入り乱れて、ジョンシクが「ヒョン!」と呼べば3人が「ウェ!」と答えるという光景が・・・まさか(くだらない妄想でした)

時刻は3時に近い。閉店時刻をとっくに過ぎているようで、表に出る。いったいデジはどうやって帰るのか。モーテルで眠らせてやってもいいのだが、一緒に遅くまで飲んだとはいえ、お互いにこの日はまだ遠慮がある。タクシーで帰るというのでタクシー代を渡そうとするが、堅く断られる。この辺が実は韓国人の、いや韓国男児の、いや女もそうだろうか?・・・よくわからないから曖昧にしてしまうが、とにかくデジのプライドである。「タクシー代出してやろうか?」と一度口にするのはOKで、むしろ言ったほうがいいみたいだが、何度も金を渡そうとするとプライドが傷つくようである。この日のことをさっそくデジが掲示板に書き込んでいたが、「最初は気分がよかったけど、だんだん気分が悪くなった」と率直に述べている。そうなのだ。自分は適当なところで金を引っ込めたつもりだったが、それでもデジにとってはくどい申し出だったらしい。こっちはデジよりずっと年上で、しかもデジは学生の身であって、日本人的には自分が何もかも払ってやるのが当然で、そうしないとこっちの胸が痛むのだが、そこは向こうに従うしかないのだ。これがもし、自分がソウルで働いているのなら、事情が違ってくるような気もする。・・・ともあれ、気分のいい弟、デジの登場である。

旅行記12−2
帰ろう