Created: 2003-08-17@646
Updated: 2003-08-17@646

2003-08-17

100本突破記念

先月の18日に、ついに今年1月からの観賞映画本数が100本を突破(映画鑑賞リスト(2003)参照)。記念すべき100本目は「ニューヨーク最後の日々 」だった。

100本突破記念ということで、今年見た映画の中で心に残ったものについていくつか書き留めておきたい。

「ベッカムに恋して」

インド系イギリス人の女の子が女子サッカーのプロリーグ目指して頑張るという内容。ベッカムは最初と最後にちらっと出てくるだけ(しかも試合映像と遠景のみで当然セリフ無し)。ひょっとしたら、見た後の爽快感という点ではこれまでで今年一番だったかもしれない。

最近分かってきたのだが、どうもこの手の若い人達がまわりの障害にもめげず1つの目標にひた向きに頑張るという、冷静に考えるととってもありがちで青臭い話が僕は大好きみたいなのだ。去年だって一番の映画は「ピンポン」だったし、この前テレビで放映していた「ウォーターボーイズ」もそうだ。この2つは何回見ても最後のほうで、同じ場所でダーダー泣ける。

この映画がいいのは、インド文化の華やかさとスポ根がうまくミックスされていることだと思う。映画のテーマ的には一見フェミニズムといった近代的価値観で占められているように見えるれども、インドの伝統的な文化に対してもリスペクトであふれている。クライマックスシーンではそれがもっとも象徴的に表されていて、見ていてとっても嬉しい気持ちになったのだ。音楽もステキ。主人公のジェスもかわいいし。

DVDは10/3に発売。ジェスの吹き替えは椎名へきるらしいです。

「アザー・ファイナル 」

これもサッカーをテーマにした映画。去年のW杯サッカー決勝と同じ日に開催された、FIFAランキング最下位である203位のモントセラトと202位のブータンとの公式戦を題材にしたドキュメンタリー映画。カリブ海に浮かぶ人口1万の国モントセラトと、日本にも馴染みの深い人口66万の仏教国ブータン、それぞれの関係者たちのインタビューを中心に、試合までの経過を中心とした展開。

もちろんプロリーグなど無く代表チームのメンバーは兼業の人達ばかり。モントセラトに至っては火山噴火で国の半分が火山灰に埋まり未だ復興途中であり、W杯本戦に出場するような国々とはあまりにも対称的な環境。試合が開催されたブータンの競技場は、言ってしまえば単なる原っぱに座席を付け加えたような場所。それでも選手や大会関係者たちのサッカーへの熱い想い、そして競技場に駆けつけたブータンの観衆たちの笑顔に思わず心打たれてしまった。最後にモントセラトの選手とブータンの人達が肩を寄せ合いながらW杯の決勝戦をテレビで観戦するシーンが、なんとも言えない幸福な空間に感じた。

DVDは8/22に発売。レンタルは始まっているみたいで、近所のTSUTAYAには並んでました。

ホテル・ハイビスカス

ついこの間観た。ちょうどお盆ということもあってタイムリーな時期に観れたのであったが、上映期間が短いのが残念な映画だ(梅田ではフルタイム上映は8/22まで)。

何といってもこの映画でいいのは父ちゃんである。収入を母ちゃんの夜のバーでの勤めに頼り、日がな一日ビリヤード場で居眠りし、夜は酒を飲んで三線を弾き、歌って過ごす。というふうに前半はいかにもダメ親父的な描画がなされるが、友人のパイナップル農場の手伝いに行けば実は働き者だったりするし、ビリヤードも上手だ。

物語のクライマックスにもなる、娘の美恵子への語り。決してセリフとして長い語りではないけれど、少ない言葉の中から父ちゃんが内部でとても安定した人物であることが分かる。アメリカに行ってなかなか帰ってこない母ちゃんへの想いが、一見すれば「3番目の男」としてむなしい感じさえするであろう父ちゃんにとっては満足がいっているものであること、その優しさにホロっと来てしまった。さらに、そんな母ちゃんへの想いと先祖信仰がうまく結びついるのだ。そんな思いが短いセリフで、素朴な言葉で綴られていた。

この夏に見た映画では一番面白かった。

アイリス

アルツハイマーに冒され、自分にとって全てだった「言葉」を失っていく作家。その夫による介護の生活と、若き日の思い出によって構成される映画だ。

この映画が自分にとって印象に残るものになったのは、数年前に亡くなった祖母の記憶に重なる部分をどうしても見いだしてしまうからだ。だたし、祖母の場合はアイリスのような短期的なアルツハイマーではなくて、老化に伴う健忘の症状だったのだ(医学的な違いとかは詳しくないので、もしかしたらある程度同じものに分類されているものなのかも)。

症状が進むにつれて、まるで幼女のような表情、言動になっていく。それはある視点で見れば「症状」と称されるのかもしれないけれど、僕には人間の一つの防御活動なのかとも思ってしまうのだ(これも医学的な根拠は無し)。死を直前にして痛みや苦しみから開放されいるように見えるのだ。この認識はあくまで外部から見た勝手な考えであることは自覚しているけれども、自分の死生観に影響を与えていることは確かだ。ちょっとそんなことをこの映画を見ながら思い出してしまって、ダーダー泣きながら見ていた。

DVDは既に発売済み。

© ぴぐもん, 2003