4.音の主治医


 私のピアノを担当して下さった調律師のS氏が、この春、突然に、関西方面に転勤が決まり、先日、仙台を後にされた。
 S氏が仙台で過ごされた期間は、僅か2年半。勿論、その限られた時間の中でも、数々の楽しい思い出は出来たけれども...。

 それにしても。
 時の流れは、余りにも、はやすぎる。
 これから私は、どのように頭を切り換えていくべきなのか...。

 途方に暮れてしまう。

 弦楽器と違い、ピアノは、奏者自身が調弦を行う事の出来ない楽器だ。又、それを専門に勉強している者にとって、自身の練習用の楽器は、正に宝物。大切な身体の一部なのだ。
 ゆえに、ピアノを常に、理想的な音を出せるように、良いコンディションに整えて下さる調律師の存在は大きい。要するに、いざという時に安心してお願い出来るかかりつけのお医者さんの役目をして頂いている訳だ。

 調律の仕事は、実に、多種多様である。例えば、まず音程を合わせる。天気や湿度の変化、又、くせのある奏法や、その使用頻度によって、消耗されているハンマーを、出来るだけ快い状態に調節する。タッチの深さや、ペダルを調整する。そして、最終的には、(奏者)が試弾し、一緒に楽器の全体的な鳴り方を聴く。等々...。

 話は少し逸れるが、我が夫の趣味は、なんと恐ろしい事にCar Race(!)なのである。聞いてみたところによると、実は、ピアノの演奏と非常に共通点が多いようだ。
 例えば、ピアノの調律(チューニング)は、車のエンジン調整と同じ単語。又、メンテナンスの面においても、調律同様、たとえ家庭用の一般的な車でも、半年ぐらいの間隔での整備、点検が必要である。Car Raceの名選手にとっては、殊に、その高度な運転技術を生かす為に、車自体の性能の優秀さ(馬力、耐久性を含む)が要求され、従って、マシーン整備は、更に精密な複雑なものとなる。
そして、走行前の綿密な話し合いによる、最終的な総合的な調整に最善を尽くす。これらのメカニックのチームプレイの元に、Car Raceは成り立つ。  そして、本番。走行開始! 緻密に計算された事前のイメージトレーニングと現実との闘いである。そう。Car Raceは、単なるスピード狂では出来ない。頭の冴えと、やはり凝縮された男のロマンが再現されたものなのだろうか?
 正直なところ、どうしても身の危険が伴うジャンルなので、(たとえ審判の手伝いをするにしても)夫には、余り熱中してもらいたくはないのだが、ピアノの演奏会における、会場での事前の準備を含めて、その頭の使い方までが酷似しているので、真っ向から反対も出来ず、困ってしまう。まあ、ピアノでは首の骨を折るような心配はないので、その点だけは違うけれども...。

 閑話休題。

 とにかく、調律の仕方で、又、何方が担当なさるかで、楽器の音色、音質等、細部が違ってきてしまう。演奏の魅力を引き出すのは、最終的には、やはり調律師と奏者の相性の良さである。この組み合わせは、厳密に考えていくと、とても難しい。根本的に、音楽的な趣味、嗜好において、両者に共通点がある場合には、割合上手くいくような気もするが、奏者がどのような楽曲を選ぶかによって、又、体格的な問題にまで及び、諸事情が複雑に絡んでくるので、これはもうその都度話し合いをしながら、2人で1つのものを創る作業を徹底していかなければならない。ある意味では、本当に気の遠くなる試みであろうが、それが、良い方向に進みつつあるのを実感する時、これは、何にも代え難い喜びなのではないだろうか。

 本当に短い期間だったが、S氏には、何よりも大切なものを教えて頂いた。
 それは、"楽器を可愛いがる"と云う事。
 たとえ製造番号が似通っていたとしても、ピアノ1台1台には、それぞれの個性がある。気に入って購入した楽器でも、相手は"生き物"なのだから、気持ち良く鳴ってもらうには、まず相手がどのような性格なのかを、早めに把握しておく必要がある。(ピアノには、非情な機械の要素と、多分に人間的な部分との両面がある。)
 S氏に回数多くみて頂いたのは、丁度2年半前に購入した新しい方のピアノである。(因みに、ウチには、レッスン用(?)の2台のピアノが練習室に並べて置いてある。)正直なところ、このピアノは、最初の頃はまだ堅くて、よく判らなかったのだが、少しずつ弾き込んでおよそ8ケ月たった頃から、突然、いい音が聞こえるようになった。それ以来、特に愛着を覚えるようになり、今では、何か運命的なものを感じているのだ。

 私が今迄好んでいた音質(音域)は、中音より低い方である。楽曲も、シューベルトやシューマン等の渋めの室内楽的な作品に惹かれる。他の楽器でも金管よりも木管。弦楽器もチェロが好きだ。
 別に高音を扱う楽器を敬遠している訳ではないが、伝わるものがストレートで、神経を刺激してしまう時もあって安らげないのだ。だから、抽象的な響きを持つピアノにまで、同じ効果を求めてしまう。高音域がキャンキャン響くような設定はどうしても苦手...。---だったはずなのだが、最近は少しずつ変わってきたようだ。自分の音楽的基盤が、ここ数年、かなり内向的になり、偏りがあったように思えてきたのだ。元々の性格的な好みは変わりようがないが、現在は、一番重きを置いているのは、楽曲の全体的なバランスである。この場合、人前で演奏する設定をかなり意識している。(外にも目を向けなければ、人前での演奏など到底不可能だと云う事に気付いたのだ。)
 演奏は、主観と客観の分量を頭のどこかで意識していなければ、おかしなものになってしまう。

 私のピアノは新しいし、まだまだ弾き込み方が足りないので、本領を発揮するまでにはもう少し時間が必要だが、良い状態にはなってきている。何よりの収穫は、このピアノの高音が綺麗だなアと思えるようになった事。これは、やはりS氏のおかげである。
 こんな事を書いては、生意気かも知れないが、S氏に調律して頂いたウチのピアノは、"一寸だけ固めのアイスクリーム"のような風情である。好みは人それぞれだと思うが、私はこのような感覚が好き。アイスクリームを冷凍庫から出して、その凍ったままのものに、焦ってかぶりつくような人はそれ程は居ないと思うが、ピアノの世界では、そのような(タッチをする)人が、案外少なくないのである。一瞬、音が思うように出ないと感じても、決して安易にぶっ叩いてはいけない。それはピアノの状態が悪いのではなく、奏者自身に問題があるのだから...。要するに、鍵盤に触れる前のタメが不充分なのだ。ピアノではなく、それを弾く方の手に細工が施されていなければならない。
 それに、弱い指やタッチでは、ピアノはそれこそ欲求不満になり、いい鳴り方をしなくなる。思い遣りをもって、いたわるように丁寧に弾かなければ、応えてはくれないのだ。
 ウチのピアノは、耐久性についてはまだ未知数だが、音そのものは、なかなか厳しいものを持っている。というのは、具体的に云えば、指の当たる角度によって、心地よい響きが得られる時もあれば、詰まった状態(ポーンという音の伸びが感じられない)になってしまう時もあり、なさけないが、私自身がまだまだ使いこなせているとは言えない。しかし、このピアノからは、教えられるものが多く、響かない場合は、どこか自然でないテクニックで弾いていたのだなあと原因を捜し当てて、自分なりに奏法を変えてみる。音の出し方は、自分ではそう汚くはない方だと思っていたが、客観的に自分の音楽を聴くのがいかに難しいかを、痛感しているところだ。とにかく、美味しいアイスクリームの表面にスプーンを突き立てる事勿れ。程良い溶け具合を鑑賞しつつ、いと滑らかにスプーンを馴染ませようではないか。

 私自身の変化は、勉強する楽曲の選び方にも現れてきた。シューマンには、相変わらず古巣に戻って来たような懐かしさを感じ、この世界に入っていく時の自分の心の状態が一等好きだが、根本的にこの作曲家の発想は、弦楽器なので、ピアノで弾くのが、体力的に骨が折れる事もある。ひたすら想像力が要る。
 今は、ピアノの持つ美点を最大限に引き出したショパンを改めて弾いてみたくなり、楽譜をあれこれ眺めている。シューマンとは対極に立つ作曲家だが、ピアノの減衰する音の集合体で作品が紡がれているので、テクニックとしては自然で無理が無い。ロマン派には属するが、どこか古典派の香りがするショパンのピアノ曲。自分に酔うのではなく、もっとニュートラルにシンプルに消えゆく音のはかない美しさを私なりに追ってみたい。又、同じように、ピアノの倍音を利用して作品が出来ているドビュッシーにも素直に興味が出て来た。(楽器が自然に鳴るように、曲自体が出来ているので、弾いていて身体にも違和感が無い。)

 将来としては、内に情熱は秘めているが、表面的には淡々と聞こえるような、ポイントを外さない演奏を心がけたい。もしかしたら、一番難しい線かも知れないけれど...。


 S氏には、調律だけでなく、精神的なケアを含めて本当に多方面でお世話になった。特に、生徒の発表会で、色々助けて頂いた事は忘れられない大切な思い出だ。
 転勤の多い仕事は、その度に頭の切り換えが必要で、大変だなあと思う。新天地では、仕事の内容が少し変わられると伺ったが、お身体に充分お気を付けて、益々ご活躍下さるように、心からお祈りしている。

 ひとつだけ残念に思うのは、ここ1年程、私が体調を崩して、思う存分ピアノに集中出来なかった事。この先、自分の演奏会を持てるか否かは、そう大した問題では無いように思えるが、どのような状況の際も、常にアンテナを立てて、音楽にとっての良い情報が掴めるように努力を続けていきたいと思っている。そして、ピアノに向かう事に、いつも温かい協力をしてくれる夫と共に、後悔しない大切な日々を過ごしていかなければと思う。

 Ps.
 "もう仙台に来る事はないだろうなあ。"
 3月半ばに、最後の調律にいらした時の、S氏の言葉。
 そんなことをおっしゃらず、是非、又、機会を作って仙台にもお遊びにいらして下さい。
 お姿も見られず、お声も聞けず...。 空白の世界は哀しくて、恐ろしい。

 特徴のある、あのオールバックの髪形が懐かしいよー。(すいませーん。)

 3月、4月は、なんて落ち着かない季節なんだ。でも、負けたくないなー。


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