3.番外編 第1回仙台国際音楽コンクール 雑感 (ピアノ部門第2位 イ.ヂンサン(韓国)について


 このコンクールは、仙台市の開府400年を記念して行われた。(ピアノ部門は2001年5月26日-6月9日。)ヴァイオリン、ピアノ両部門共、協奏曲を課題にしているのが特徴。
 期間中は、連日満員の聴衆が集まり、梅田俊明指揮の仙台フィルハーモニー管弦楽団に支えられ、非常にハイレヴェルの演奏が繰り広げられていた。

 今回のコンクールは、都合で毎日は聴きに行けなかったが、予選の時から良いなぁと密かに思って聴いていた韓国のイ.ヂンサン君(19歳)が入賞出来たのが、なによりも嬉しい。
 一体全体どういう勘が働いたのか、自分でもよく判らないが、パンフレットに載った写真を見た途端、"あ、この人は絶対に良い演奏をする!"と確信してしまった。韓国というよりも、日本人により近いような、切れ長の知的な眼を持つ端正な好青年である。
 予選の曲目はモーツァルトの協奏曲(1楽章)とショパン等のロマン派以降のエチュードだが、彼の(勿論、彼の師事している韓国の先生のアドヴァイスにもよるのだろうが)選曲がなかなか手堅く、単なる指の動きだけのテクニックに留まらず、自分の得意分野をよく知った上で、コンクールというよりも、リサイタルを聴いているような、音楽的にも内容の濃い誠実さが伝わってきた。
 以後、幸運にも、セミファイナル、ファイナルと彼の演奏を聴くことが出来たのだが、現在の彼の特徴は、知と情のバランスに優れていることだろう。とにかくこの年齢で、抑制を効かせ、品格という枠の中で、情熱的なアプローチが出来るのは、ものすごい才能だ。特に、ファイナルでの、ラフマニノフの協奏曲第2番は、鬼気迫るものがあり、曲の構成がよく見えてくる、魅力的な演奏だった。(後で目にしたインタビュー記事によると、ファイナルが一番緊張して、無我夢中だったそうだが...。)

 それにしても、ヴァイオリン、ピアノ両部門を通じて感心したのは、中国や韓国の音楽教育の素晴らしさだ。西洋音楽は日本よりも、もう少し遅れて入ってきた訳だが、もはや、インターナショナルなこの時代においては、国や伝統ではない。音楽に対する素直な気持ち、暖かな心、感性、情熱、そうしたものを喚起させる土壌、教育が徹底されているということだろう。しかも、非常に客観的に、的を射た方法で。
 自分がどれだけその音楽が好きで、どのように表現したいのか、それを具体化させる。言葉にすれば、あまりにも基本的なことだが、初心に帰るということ、即ち、その曲に初めて触れた時の新鮮な喜びをいつも持ち続けているかどうか。演奏には、その人の音楽に対する姿勢、人となりが現われるのだ。

 いわゆる華があるタイプではないかも知れないが、非常にシャイで、礼儀正しく、音楽に対する愛情溢れるイ.ヂンサン君は本当に魅力的だ。この先、どのような試練が待ち構えているか判らないが、音楽家として、どうか良い人生を送れますように...。どうか幸運で、煩わしい人間関係に巻き込まれたりしませんように....。全く、周囲も気遣って頂きたいものだ!
 又、何年か後、更に成長した姿を見たいです。とにかく、自分自身を大切にして、プレッシャーを感じたりせず、息の長い着実な芸術家を目指して頑張って下さい。

P.s 極論過ぎたかも知れない。
 とにかく、クラシック音楽の表現には、ある種の規制がつきまとう。音楽に国境はないなんて、簡単に口には出来ないことだ。例えば、宗教上の理由や政策で演奏不可能なこともあるし、皆自国の作曲家に対しては、はかりしれないプライドを持っているし、彼等に受け入れられるのは、大変なこと。自由な表現を求めて、はてしなく自己流になってしまっては、元も子もない。

 コンクールに関しては、賛否両論あるだろうが、軌道修正の大切さ(自分の立っている場所の確認)をいつも教えられる。
 今回のイ.ヂンサン君の表情で私が曳かれたのは、怖さを熟知している顔であったことなのだ。繊細で謙虚で、決して物慣れた風ではない、複雑な(?)挑戦者の初々しさが彼にはある。

 この表情が、いつまでも変わらないでいて欲しいなぁ。原点に戻ること(良い意味でのオーソドックス)を再確認させてくれた彼の功績は、大きいのではないだろうか?

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