国立パリ管弦楽団 日本公演 (1999年1月2日掲載)



国立パリ管弦楽団 日本公演 ジョルジュ・プレートル指揮 (1998年11月10日 宮城県民会館)



曲目 ムソルグスキー : 組曲"展覧会の絵"
(ラヴェル編曲)
ドビュッシー : 交響詩"海" - 管弦楽のための3つの交響的素描 -
ラヴェル : ボレロ


 国立パリ管弦楽団は、1967年に、当時の文化大臣アンドレ・マルローの提唱により、パリ音楽院管弦楽団を母体として創設された、ヨーロッパの歴史の中では比較的若いオーケストラである。(初代)常任指揮者にシャルル・ミュンシュを迎えてから、31年の月日が経ち、伝統ある優秀な管楽器を携え、輝かしい色彩豊かな音色が世界中の人々を魅了し続けてきた。
 来日公演は、3年ぶりである。今回は"日本におけるフランス年"に因んで、実に28年ぶりに名匠ジョルジュ・プレートルが指揮をする事で、話題になった。

 独奏楽器(特にピアノ)の演奏会は、私にとりましては、どうしても"勉強"の要素が強いので、楽しめる気分にはなれないのですが、そういう意味では、オーケストラの演奏会は無責任(?)に聴けるので嬉しいのです。又、視覚的にも色々な楽器の動きが眺められるのが大変面白いのです。
 客層もオーケストラの場合は、男性陣がめだちます。日常生活の種々雑多なものからしばし離れて、優雅な雰囲気に浸りたくて集まるのか、それとも名門オーケストラを一目”見たくて”馳せ参じるのか、どちらなのでしょうね?とにかく客席は期待と熱気で大入り満員でした。

 最初の曲目のムソルグスキーの展覧会の絵は、はじめの部分を、大変に残念な事に聴き逃してしまいました。(開演時間に、私が遅れてしまった為。)演奏の途中で座席を捜すのはご法度なので、仕方なく1階奥の立ち見で、全体像を眺めていたのでしたが、案外、落ち着いて観察出来るものです。客席の様子とオーケストラと指揮者のコミュニケーションがなんとなくいまひとつで、集中力を欠いているようにみえました。 休憩時間になり、1階真ん中よりもやや左寄りの座席に腰を降ろしながら、これからの演奏の先行きが不安になってしまいました。(もしかしたら、分かりにくい指揮なのかなア?色々な表現をしたいのだろうけれど、さすがの国立パリ管弦楽団も、細かい指示に技術的についていきにくいのかなア?)等と考えていると、楽団員達が又、どやどやとステージに現われました。さて、後半は、フランス音楽の真髄とも云えるドビュッシーとラヴェルの作品です。

 調弦が終わり、場内が静まり返ると、大ベテラン指揮者、ジョルジュ・プレートル(74歳)が、しっかりした足取りで、ステージに姿を見せました。(日本では知る人ぞ知る存在ですが、実は、フランスの名匠としてヨーロッパでは一目置かれています。)

ドビュッシー:交響詩"海"

 本当はまんべんなく全ての楽器を見渡したかったのですが、私の眼は、プレートルただ一人に釘付けになってしまいました。なんて魅力的な音楽を内に秘めた人なのでしょう!指揮者は、自分自身が実際に音を出して演奏する訳ではないのですが、これは、まるで魔法を見せられているようです。先程まで私が心配していたパリ管が、(余計なお世話ですが)プレートルの魔術(催眠術?)によって本来の柔和な洗練された香りを漂わせ、叙情的な繊細なニュアンスを醸し出し始めました。---静かな情景から一変して暗く不気味にモンスターのように荒れ狂う大波が、目の前に迫ります。リアルな描写に鳥肌がたちます。これ程までに感激して聴いたドビュッシーの"海"は多分、はじめてだと思います。
 まさに、客席とステージが一つになったと思った次の瞬間、嵐のような拍手が湧き起こりました。皆、今のこの興奮を隠し切れないようです。

ラヴェル:ボレロ

 プログラムの組み立て方には色々な方法がありますが、前半には割合に小品を並べたりして、後半に大曲を持ってくる例が多いように思います。ラヴェルのボレロの構成は、前半のムソルグスキーの展覧会の絵のそれと較べますと、決して大がかりなものではありませんし、過去に私が聴いた事のあるオーケストラのプログラムでは、ボレロは前半に置いてあったように記憶しているのですが--。(バレエでは、ラヴェルのボレロは超有名な作品ですし、当日の目玉ですから、当然"トリ"扱いではありますが--。)"日本におけるフランス年"に因んで、後半はフランス音楽の最高傑作を聴かせようと、プレートルが粋なはからいをしてくれたのかナ?

 ラヴェルのボレロは名曲なだけに、演奏者達にとって、非常に緊張を強いられる厄介な曲のようです。特に、小太鼓奏者は大変でしょう。初めから終わりまで、たった2小節のフレーズによる"タン、タタカタン、タタカタンタン"のボレロのリズムの繰り返しを、10何分間いささかのテンポの乱れも許されずに、しかもpppからfffに至るまでを刻み続けなければならないのです。又、他の楽器の奏者も、ワン・フレーズのメロディをなんと18回も、次々と違う楽器のソロで披露しなければならないので、緊張感がお互いに伝染してしまうのだそうです。

 さて、肝心のパリ管のラヴェルのボレロですが、プレートルはこの曲で本領を発揮する事を計算して、わざわざ前半に、ムソルグスキーを実験的に(作為的に?)置いてみたのかアーーと思ってしまう程、それはそれは素晴らしい出来でした。(私の想像では、多分、前半では、大曲を奏させながらホールでの音響を試してみたり、後に影響する身体のウォーミング・アップも兼ねて、色々な可能性を体感しながら、団員にも少々の遊びを許したのではないかなと思っています。)

 とにかく、老匠プレートルは、スゴイ人です。パリ音楽院でトランペットと作曲を学び、名指揮者クリュイタンスに貴重な助言を受けていたようです。1946年、22歳の時にオペラ指揮者としてデビューし、1966年、パリ・オペラ座の音楽総監督に就いた後、コンサート指揮者としてもウィーン・フィル、ベルリン・フィル、ロンドン響等、ヨーロッパの著名なオーケストラへの客演で活躍し、現在は、ウィーン響の名誉指揮者でもあります。当日のパンフレットには、プレートルの指揮は、分析的な棒の振り方とは対極にある、作品のドラマ性を重視した、叙情的で、演劇的で、パントマイム役者のマルセル・マルソーを思い起こさせる程の指揮台の千両役者であり、並のオーケストラでは、彼の微細な指示に、敏感に反応するのは、技術的に難しいのではないかと書いてありました。確かに、私の座席からは、ありとあらゆる彼の表情が見えて、ほんのわずかな動きでさえ、見逃してしまっては勿体ない程、惹き付けられるものがありました。非常に官能的で魂を揺す振られると云ったら良いのか、とにかくエネルギッシュにチャーミングに語りかけてくれるのです。しかも、本能的であるばかりではなく、高貴で酒脱。特に、ラヴェルのボレロでは、並外 れたテクニックを見せてくれました。右手では三角形を正確に振りながら、(ボレロは3拍子)左手でメロディーラインを実になまめかしくなぞります。他の楽団では聴く事の出来ない、独特の歌いまわしが、心地良く耳をくすぐります。聴くものの内面にまで入り込んでくるプレートルとパリ管の異彩を放った音楽は、いよいよクライマックスへ---。


 夢のようなひとときが過ぎて行きました。客席の表情には、素敵な時間を共有出来た喜びが、あふれています。

 ---だから、生演奏は素晴らしいのです。---。



参考資料:
 国立パリ管弦楽団 1998年日本公演のパンフレット
 音楽の友(1998年11月号)
 山本直純 著 ”チャルメラ協奏曲”  他


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