ハンス・ライグラフ ピアノリサイタル (1998年6月20日掲載)



ハンス・ライグラフ ピアノリサイタル (1998.5.22)イズミティ21小ホール(仙台)


 ハンス・ライグラフ(1920~)は、ストックホルム生まれのオーストリア人。
 レパートリーは幅広く、特にウィーン古典派の演奏には定評がある。
 教育者としても有名で、ザルツブルグのモーツァルテウムの教授(1972~)、ベルリン芸術大学(1988~)でも教鞭を取り、国際的に活躍するピアニスト達を育てている。

 このリサイタルの感想は本当は次の一言だけで終わりにしたい。
 - いい音楽だった。 幸福な時間を過ごせた。 -
 これ以外のものをくどくど書くのは全く以って蛇足かつ興醒めなのだが...。それではこの"音楽の楽しみ"という企画がたった2回目にして終わってしまうし...。(え?なんですと?もう終わった方がイイって!?)
 まあ書く作業も私の勉強のウチですから今回もどうぞヨロシクおつきあい下さいまし...。

 私の周囲にはどういう訳か、「人間性ともって生まれた才能は別物ダ。」なんてしたり顔で断言したがる知ったかぶりの器の小さい人間が少なからず居て、その度にイヤーな気分にさせられるのだけれど、(のっけから悪口になってしまった。)天は時々二物を与える事だってあるんだゾ。
 - すぐれた人格は必ず演奏に反映される。 -
 ライグラフのリサイタルを聴いて、率直にそう感じた。
 この日弾いたのは、ハイドンとベートーベンの初期のソナタ、休憩をはさんで、ブラームスの3つの間奏曲Op.117、ドビュッシーの前奏曲第2集より6曲。
 これらの選曲は一般向けではなくやや専門的に勉強している方達寄りかも知れないが、演奏者自身にも大変誠実であり、聴き手を考慮に入れた親切なプログラムだと思う。
 パンフレットの解説でも触れていたが、当日の演奏も、ハイドン->ベートーベン->ブラームスの時代の流れがごく自然に感じられた好演で、78歳と高齢だが、(確かに指さばきに少々危ない箇所はみられたけれど。)驚いてしまう程みずみずしい、精神的な若さがあふれんばかりの音楽だった。特にブラームスなどは、私がこの曲に対して今まで持っていた固定観念が、完璧にくつがえされてしまったのだ。
 ブラームスの晩年の作であるOp.117の間奏曲は作曲家自身により「わが悲しみの子守り歌」と名付けられている為、私などは枯れた境地を表現しようと必死になってフニャフニャした奏法を身につけようとしたのだが、この78歳のおじいちゃんの方が、老人ブラームスの中にまだ潜んでいた"青春"を捜し当て、それを実際につかみ出して聴き手に見せてくれたのだった。
(例えば、内声を(あくまでも暗示的にだが)通常よりも浮き上がらせて弾いてみたり、なかなか心憎い演出をしている。)
 演奏家と教育者の二足のわらじをはいているライグラフが、特に勉強を続けている者達に対して、「これからもまだまだ色々な角度から見た解釈があり得るのだヨ。」と啓示してくれたような気がするのだ。
 最後に弾いたドビュッシー(いわゆるフランスもの)は年月をかけて巨大に育ってしまったドイツ・ロマン派の音楽に反発して生まれ出た革命家といっても過言ではなく、特に前奏曲の第2集は、感情よりも暗示的な感覚や雰囲気が最優先されている作風なだけに、ドイツ系音楽家のライグラフが一体どのように捉えているのだろう?と思いながら聴いていたが、語り口が少々堅いかな?と感じられる箇所も所々見られたにせよ、全体を通してみると、これもなかなかチャーミングなのだった。
 お得意のウィーン古典派の音楽を核として、結局どの分野にも通じる柔軟性を持っているのだなァ。(やはり教育者としてもツボを心得た人なのだろうなァ。)
 ライグラフの大きくて温かな愛情は会場をいっぱいに包み込んだ。
 アンコールは3曲。特に感動したのは最後に弾いてくれたシューベルトの楽興の時Op.94-6。(いわゆるポピュラーな楽興の時No3を選ばなかったのがこの人らしさだろう。)
 スゴイなァと思ったのはこの素朴なシューベルトの中にシューマンや、メンデルスゾーンの要素を自然に聴き手に感じさせたことである。

 本当に幸福な一夜だった。
 ありがとうございました。

 少々堅い内容になりましたが、もし、よろしければ、ご意見等なんでも結構ですのでお寄せください。よろしくお願いいたします。

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参考資料
ハンス・ライグラフ、ピアノリサイタル 1998.5.22 イズミティ小ホール(仙台)のパンフレット  他

 次回は5.26に行われたウラディミール・アシュケナージ ピアノリサイタル in 仙台



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