「ワイセンベルク讃」(1998年5月13日掲載)


ワイセンベルク讃


 では、初回はブルガリア生まれのピアニスト、アレクシス・ジギムント・ワイセンベルク(WEISSEN BERG 1929年~)について
 彼は現在69歳。故郷ブルガリアでピアノの手ほどきを受けて第二次世界大戦後、17歳でニューヨークのジュリアード音楽院で学び、レーヴェントリット国際コンクールで優勝したのを皮切りに、その才能を世界的に有名な指揮者、ジュージ・セル、ユージン・オーマンディらに認められ、卓越した技術と、現代的なスタイルを兼ね備えたピアニストの一人として国際的に注目を集めるようになりました。
 レコーディングにも意欲的に取り組み、ピアノ独奏を始め、カラヤン指揮、ベルリンフィル・オーケストラとの協演のもの等、諸分野でAngle、EMI、RCA、DD(ドイツ・グラモフォンレコード、ポリドール株式会社発売)数多くのものが世に出ています。又作曲の方にも意欲的で、ジャズを好み自作の演奏を時々行う多彩な活動ぶりも話題を呼びました。
 来日回数もかなり多く、かつての"大阪国際フェスティバル"の常連出演者でもあり、ハリウッドの映画スターばりの容貌に魅せられファンになった方も数多くいらっしゃる事と思います(私もその一人ですが.....)。

 さて、ワイセンベルクの経歴を長々と述べましたが、実は先月半ばから約1ヶ月間、協奏曲を含む彼のソロ・リサイタルが全国的に行われるハズだったのですが、突然、病気療養の為、医師の判断により、中止になってしまったのです。私も旦那と旦那の母と聴きに行くつもりで(仙台は4月25日(土))、前々からチケットを購入し楽しみにしていたものですから、大変残念な思いです。
 でも一方、こんなことをお話するのは不謹慎かも知れませんが、中止になったことで奇妙な安堵感を覚えました。
 と云うのはワイセンベルクは69歳。精神はともかくとして、体力的に"盛り"とも"脂がのっている時期"とも決して断言できる年齢ではなくなりました。しかも来日して直ぐ(多分演奏会の数日前に録ったものだろうと思いますが)、彼はテレビ朝日の「徹子の部屋」に出演していたのですが((注)彼は黒柳徹子とは以前からの知り合いで仲良しのようですが。)、体調不良のせいだったのか実に精気の無い顔でその目がもはや老人でした。徹子さんの質問への受け答えにもかつての様にユーモア溢れた温かな空気は感じられずなにかとっつきにくくて、これからの過密スケジュールを前に、どうも乗り気になれない様な、途方に暮れている様な感もありました。
 日本での演奏予定の曲目も、大曲揃いでしたので、私もテレビを見ながら、「本当に弾けるのかなァ。」と不安に思っていた矢先でしたので"中止"は納得できたのです。

 それにしても、ラクな仕事なんぞ、この世にはありませんが、コンサート・ピアニストとはなんて過酷な職業なのでしょう。勿論、見方を変えれば自分の好きで一番向いている分野をそのまま職業にできるのですからこんな幸福な選択は無いかもしれませんが....。
 一昔前の伝説的なピアニストならばともかくとして現代は、マスコミ、メディア、それに加えて交通機関の発達したスピード社会。その環境の中で、繊細な神経の持ち主である芸術家が自分自身のリズムを守り、信念に忠実に生き抜くのは至難の技ではないでしょうか。よくも悪くも、今の時代では万能選手、タフである事(したたかさかな?)が要求されているのかもしれません。
 各国を演奏旅行している、あるピアニストの談です。
 「今迄随分と色んな国を回ったが結局、空港と駅と会場しか知らないなァ。」
 これって笑い話なのでしょうかね!?

 再びワイセンベルクの話題に戻ります。今から20年程前の話ですがNHKの夜の番組で、芥川也寸志と黒柳徹子が司会をしていた"音楽の広場"という実にほのぼのとした番組がありまして、その頃活躍中の著名な音楽家が招かれていて、ワイセンベルクも何回かゲスト出演していました。子供達と一緒に茶目っ気を出して、後ろ向きにピアノを弾いてみせて遊んでみたり、実に魅力的なオジサマでした。私がワイセンベルクに好印象を持つようになったのはこの番組のおかげではないかと思います。
 しかし、悲しい事にこんなワイセンベルクも、すさまじい酷評を浴びることもあります。過密スケジュールの為に、精神統一と練習のバランスが崩れてしまったのか、追加公演でメロメロになってしまった演奏を聴いて、私もかなりショックを受けたことがあります。今から10年程前の東京での公演でしたが...。でも、アンコールは6曲も弾いてくれて、これは実にすばらしい出来でした。
 一言でどんなタイプのピアニストかと云うと、バロックから現代までの幅広いレパートリーを持ち、ステージでは冷静で、知的で、ピアノと云う楽器を自由自在に操れる抜群の指を持ったバランス感覚の良いピアニストと評されている様です。
蓄音機の絵  彼のレコードの中で私が一番好きなのは現在発売されているかどうかわかりませんが、東芝EMIのショパンノクターン(夜想曲)全集です。これはいわゆる小品集ですが、小規模な作品だからこそ、かれの長所(緻密な計算の行き届いた感がある)が生かされた傑作だと思います。ピアノを習ったことがある方は、もし楽譜をお持ちでしたら、是非、眺めながら聴かれると良いと思います。
 彼のスゴイ所は、楽譜にかかれたものを少しもディフォルメしたりせず、端然と表現している所です。元々、精神的に孤高な人なのかも知れませんが、自分をある枠にいれて、その範囲で音そのものを歌わせる作業は、実は一番難しい所を狙っている訳で、相当な技量と集中力がなければその高みには登れないのです。一方、ショパンはピアノの音の響きを実にリアルに追求した作曲家で、ピアノという楽器に精通し、人をロマンティックに酔わせるのではなく、むしろ覚醒させるような(自分の最も弱い所を刺激してしまうような)デリケートさを持つ音の清澄な動きが要求されるので、ワイセンベルクの資質に一番合うのかもしれません。このレコードは本当に品格の高いお薦めしたい一枚ですので機会がありましたら、是非お聴きくださいね。

 最後に、昔からのワイセンベルクのファンとして一言。
 とにかく、お身体をお大事に。
 たくさんの演奏会よりも、その時その時の健康状態にあった、無理せずに集中出来る小品集の演奏会のほうが、私としましてはずーっと好きですし、聴きたいです。若い頃(26才~36才)、10年間も活動を止めてしまわれた時期がありましたが、今はもうそんな必要はないでしょう。どうか温かく貴方を見つめる音楽ファンが益々増えていきますように!!休養されましたら、どうぞ、又、日本へいらして下さい。

 少々堅い内容になりましたが、もし、よろしければ、ご意見等なんでも結構ですのでお寄せください。私も勉強になりますので...。よろしくお願いいたします。

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参考資料
1988年 アレクシス・ワイセンベルク、ピアノリサイタルのパンフレット
東芝EMI ショパン・ノクターン全集等、レコード・ジャケットの解説
吉田 秀和著「世界のピアニスト」等  他

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