そこは、桃源郷なのだろうか。
天国なのだろうか。
時渡城。
時の流れは既に止まり、透明な悲しみと金剛石の輝きの希望に満ちていて。
そしてとても優しい場所。
第一話『夜啼鳥』
1 式神召喚士
風吹きすさぶ公園の、小さな木陰のベンチ。
そこに、ちょこんと座っている少女がいた。
金糸の長い髪を二つに結っていて、裾の短い着物のような衣を纏っている。
手には錫杖。
「もぅ・・・また失敗しちゃったなァ・・・」
頬を膨らませて、手に持った錫杖に視線を落とす。
「どーしても第3界系式神召喚術は失敗しちゃうんだよね・・・」
大きなため息をはいて、視線を空に戻した。
そして徐に、懐から『水』と書かれた一枚の符を取り出し、その中央に杖の先を当てる。
「・・・えい、水面(みなも)」
白い煙が立ちこめて、小さな爆発音がして、これまた小さな・・・全長30cm位の少女が現れる。
人間ではあり得ない造形の。
手には水掻き、腰に鰭。下半身は魚。
月長石のような煌めきの肌に天から降ってきた星のような瞳の、まるで人形のような少女だった。
「水面〜・・・どーしよう、第3界系のまた失敗しちゃった」
『・・・・・・・この話題で呼び出されるの一体何度目かしらね?』
不思議な、聴覚を超越し直接頭に響くような声。
水面、と呼ばれた破夜の式神の声だ。
「ふぇぇぇぇそんなこと言わないでよぅ」
『ああもうハヤったら一体いくつになったら顔くしゃくしゃにして泣きべそかく癖治るの?』
「だってぇ・・・ほんとに困ってるんだもん」
『師匠様に聞けばいいじゃない、そんなこと』
「だってだって御師匠様忙しいもん、迷惑かけられないよぅ」
『あのね、あの人はハヤの師でしょーが。そんでハヤはあの人の弟子でしょ?めーわくとかそんなもんじゃないのよ』
「うぅぅぅ・・・でもぅ・・・・・・・・」
『あぁぁぁぁぁ語尾をタルく伸ばさないっ!』
小さな少女『水面』は声を出来るだけ張り上げて叫ぶ。
「ふぇぇぇぇぇ」
『泣くなぁぁぁぁぁぁぁ!』
両手で顔を覆って俯いてしまった破夜に、水面はたまらず怒鳴りつけた。
「・・・・・・・・・・・なにやってんだか」
場所は少しずれ、公園の外れの崩れかけた神殿の傾いた白い柱の上。
烏の濡れ羽色の艶やかな黒い長い髪の美しい少年。
華奢な体つきに整った顔、切れ長の二重の緑柱石の瞳。
何処を取っても少女なのだが、大きく開いた衣服の隙間から見え隠れする平たい胸元とぞんざいな言葉遣いだけが
彼を少年に見せている。
さて彼は遠目で、先ほどからの破夜と水面のやりとりを観察している。
声はもちろん届かないのだが、大体いつも会話は決まっていたから別に困りもしない。
「どーせ第3界系の呪文がうまくいかないとかそんな感じだろーな」
飽きたのか、ごろんと体を反転させて別の方に体を向けた。
「・・・随分破夜にご執心ね」
含み笑いと一緒に女の声が彼の耳に届いた。
「なんだ、嫉妬か」
少年も笑みを口の端に浮かべながら言う。
「はん、馬鹿。あたしはあんたなんか好みじゃないもの、大体綺麗な男なんて信用できたもんじゃないわよ」
がさり、と柱の下の茂みが鳴って、声の主の・・・少女が現れた。
年の頃なら少年と同じ17.8だろうか。
夕日のような色をした短い髪を後ろで鬱陶しそうに縛っている。
腰には短剣。動きやすそうな軽い衣服を身につけている。
そして気怠そうに深い闇色の視線を少年に向けた。
「大体葉月、あんたこんな所でサボってていいの?」
葉月と呼ばれた柱上の少年は、余裕の微笑みを見せた。
「いいさ、どーせ師匠は夕刻まで会議でいない」
「あっそ」
まァあたしには関係ないけど、とつぶやいて少女は完全に茂みから抜け出して大きく背伸びをした。
「じゃ、あたしはもう行くから」
背を向けて歩き出す。
「じゃぁな、口うるさい深鈴」
くすくすと可笑しそうに笑って葉月は手を振る。
深鈴は振り返らずに、口の中で何かを呟いた。