『桜樹の剣』。
それは何時の頃からか、時渡城の住人が時に自称する称号。
桜樹によって与えられた『二度目の生』。
それ即ち、桜樹の思惑通りに動く事を余儀なくされた『生』。
それでも生きる。
桜樹はそういうひとなのだから。
自分たちには、まだ残されているものが在るから。
・・・それは、『罪』か?
第二話『神の剣』
1 落ちてきた災厄?
「ねぇ、ルート・・・西の森のほう、何か見える?」
うっそうと茂る森の端。
随分昔に拓かれた、小さな村との境に建てられた、高さ20mほどの見張り塔の最上階で、座り込んでいる金髪
の少女が傍らの青い髪の青年に尋ねた。
「うっせぇな、ちゃんと見張りしてるよ。何も見えねぇ。・・・ちっ、今日も大人しくしててくれればいいんだけどな」
「希望的観測ね」
「クミン、うるせえぞお前」
ふん、と鼻を鳴らして青年・・・ルート=エボニーは、敷かれたマットの上にごろんと横になった。
「ちょっとルート、サボんないでよ」
途端に、少女・・・クミン=フォシルが抜き身の短剣の背で、ごつんとルートの頭を殴った。
「痛ぇっ!」
「うるさい!さっさと起きないと次は刃のほうで殴るわよ!」
その一言に、ぶつぶつ言いながらもルートは起き上がる。
「狂暴女」
「・・・だって、ちゃんと見張りしてないと怖いじゃない」
ルートの悪口にも取り合わず、クミンは森の彼方を睨みながらぼそりと呟いた。
「クミン・・・」
「・・・・・・また、来るかも知れないんだよ?あいつが。きっと、また来る・・・」
クミンは膝を抱いて、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「・・・・・・・・・ああ、そうだな」
「怖いよ」
クミンの呟きは、風に乗って霞んでいった。
この世界は、時渡城で便宜上『オブシダン』と呼ばれている。
正式な管理番号などもあるには有るが、めんどくさいからと時渡城の連中は誰も覚えない。
そしてそれは、この際どうでもいい事である。
・・・オブシダンは、魔法の技術を忘れた世界だ。
そう、遥か昔にはこの世界にも魔法によって繁栄した文明が在った。
しかし魔法という殺傷能力の高すぎる技術を使用した戦争によって滅び、今は魔法を忘れ狩りと農耕で概ね
平穏に暮らしている。
そんな、世界。
そんな世界が、今回の『桜樹の剣』の出向先であった。
「・・・風が出てきた」
沈黙を、そんな呟きで破ったのはルートだった。
吹き抜ける強風は、急ごしらえの、木を組んだだけの簡素な見張り塔を揺らす。
「降りたほうがいい?」
「お前は降りろ。俺が見張ってる」
「けど・・・」
「降りろ」
有無を言わせぬルートの言葉。
クミンはそれ以上何も言えなくて、黙ってはしごを降りていった。
「・・・・・・・・・さて。あいつら、昼間から来るか、それともこの前みたいに・・・」
一人になってから呟いて、ルートの頭に幾晩か前の情景が甦る。
闇に紛れて突如として現れ、牙を剥き、爪を振りかざす異形の者。
悲鳴と、混乱。そして、血の匂い。
その夜を境に、居なくなった隣人。
「・・・・・・・・・」
ルートは我知らず、拳を握り締めていた。
「・・・っ!?」
唐突に、西の森が何か光った気がしてルートは勢い良く立ち上がる。
ぎしぎしと鳴る手すりから身を乗り出して、そちらのほうを凝視した。
「来やがったか・・・!?」
ぎりぃっ、と奥歯が鳴った。
次の瞬間。
屋根から乗り出した背中に、加重を感じた。
「んなっ!?」
体が、前のめりに倒れる。
(上から何か降ってきた!?)
それを確認する前に、ルートのからだは宙に投げ出されていた。
「うひゃああああああっ!!!なんで〜っ!?」
(女の声?)
無駄に冷静な思考を働かせながらルートは地面がすぐそこに迫っていることを感じた。
クミンの悲鳴が、聞こえる気がする。
「あーもうしょーがないなぁっ!!」
(しょうがねぇのはこっちだよ)
どうも人間は、妙なところで落ち着くようにも出来ているらしい。
ルートはきっちり、頭の上で響く女の声に突っ込みを入れていた。
すると。
「疾っ!!」
ひゅぉんっ!!
風が鳴る。
「・・・お?」
ルートが気が付くと、落下は止まっていた。
地面から距離にして、2メートル。
足元の空中から頭上にかけて、ルートを囲むように見た事も無いような不思議な文字らしきモノが、蒼い
光で綴られている。
「・・・・・・危なかったー」
再び、背後で女の声。
ルートが首を捻ると、そこにいたのは冷や汗を掻きながら自分の衣服を掴む紫色の短い髪の女だった。
「・・・・・・・・・あ、はじめましてこんにちは。次いでに巻き込んじゃってゴメンナサイ」
女はルートの視線に気が付き、ぺこりと頭を下げる。
一瞬どう反応しかえせばいいのか分からなくてルートは硬直した。
「いやなんだか言い訳臭いんだけど転送装置の調子悪かったみたいで・・・って考えてみりゃあたしの
所為じゃないじゃん」
「ルートぉ!」
顔色を悪くしてクミンが駆けてくる。そこでルートはやっと我に返った。
「お、おい」
「はいー?」
「降ろせ」
「あ、はいはい了解。・・・疾」
女の言葉と同時に、ルートは女ごとゆっくり下降を始める。
たとん、と地に足がついたところで蒼い光の文字は消えた。
「お前・・・一体?」
「え?あたし?」
「ルートっ!!」
呆然と女を眺めるルートを、鋭く呼ぶクミンの声。
どぐぅっ!!
思わずルートが振り返ると、腹部に叩き込まれたのは見事な右ストレートだった。
「ぐふっ・・」
「おー、見事なパンチ」
一声唸って、前のめりに沈み込むルート。
ぱちぱちぱち、と所詮人事なのか拍手する女。
「てっ・・手前・・・・・・クミン・・・なにしやがるっ」
「ルートがいきなり落ちてくるからでしょ!?心臓止まるかと思ったじゃない!」
「あ、ごめんねーお嬢さん。ソレあたしの所為」
「え?」
至極明るく宣言する女に、クミンはその時点で気が付いた。
「あたしは皐。ちょっとした用事でここに来たんだけどー・・・あたしをココまで送ってくれた人が、間違えて
空中に放り出しちゃって。丁度真下にいたアナタを巻き込んで落下しちゃったの」
ゴメンねー、と再び憎らしいくらいの笑顔で皐は説明する。
ちなみにルートとクミンは、それ以前の問題として信じられないといった顔つきだ。
「空中に・・・放り出すって・・・」
「お前、何処から来たんだよ?」
「え?あ、あははははははははははは」
ルートの質問に、皐は盛大に乾いた笑いを漏らしながら視線を逸らす。
そして視線の先になにかを感じ取って、呟いた。
「あ。なんかすっごいヤな感じの奴が来る」
「すっごいヤな感じ・・・?」
皐の言葉に、クミンは首を傾げる。
しかしルートははっと顔色を変え、クミンを背に庇った。
「え、ルート?」
「クミン、村の連中に知らせろ!アイツが来やがった!!」
叫ばれたルートの言葉にクミンは顔色を変え、一瞬躊躇しながらも、ルートに無理しないでと叫んでから踵を返して走り出した。
そんな二人と森の奥を、複雑そうな表情で見比べる皐が居た。