狭霧
act.4 髪結

日差しも少しずつ暖かくなってきたこの頃、寮門の傍。は今晩の夕食の買い出しに出かけるところだった。
「確か、エルクストリートの青果屋さんが安かったですよね〜」
呟きながら、自分の足元を駆け回るさりあを撫でる。
「さりあ、御留守番を宜しくお願いしますね」
さりあは一声鳴くと、自動ドアが開くのを待ってから寮の中へと駆けていった。
その様子を見送ってから、は踵を返し商店街へと向かう。
その時だった。声が掛かったのは。
「買い物か、
「五飛、奇遇ですね。はい、そろそろ夕食の買い出しに行こうかと」
向こうの歩道から歩いてきた、おそらく本部から帰ってきた所であろう五飛にそう返事をして、は微笑んだ。
「・・・手伝ったほうがいいか?」
尋ねられ、は目を丸くしてから、頬に手を当て考えた。
「時間がおありでしたら・・・助かります」
「そうか」

かくして、2人連れ立ち商店街へと向かうこととなった。




「ごめんなさい、安易にこういうところを近道するべきじゃ無かったですね」
申し分けなさそうに、五飛の背中に庇われたが言う。
「・・・気にするな」
正面を睨み据えながら、簡潔に五飛が応えた。

昼、なお薄暗い路地。
寮から商店街までの、が最近開拓した近道だ。
とは言っても、通るのは此れがたったの二回目なのだが。
そして今、2人の前に立ち塞がっているのは、野卑な薄っぺらい笑みを浮かべた男が8人程。
おそらく、この後ろ暗い闇の路地にある、後ろ暗い店の常連だろう。
その無気味な笑み、その色の悪い、痩せた体躯は。
不吉な毒虫に体の内部から蝕まれるような、そんな『クスリ』の常用者であることを如実にあらわしている。
つまり、が一人で何事も無く此処を通った一度目は、運が好かったことになるだろう。

「いけねぇなぁ・・・餓鬼が、こんな処に来て・・・」
「それとも・・・楽しい『ユメ』を見に来たかい?」
透明なパックに入った、粉末状の『クスリ』をひらひらと見せながら、男の一人が言う。
「生憎だが、そんな低俗なものに浸るつもりはない」
さらりと紡がれた五飛の言葉に、男達がひく、と顔色を変えた。
「そうですね。そんなものに頼らなくても、夢は見れますから」
さらに、の台詞。その聖母のような優しい笑みに、一片の嘲笑が交じる。
男達は憤怒の表情で、無言で懐からナイフを取り出した。


ぱちんと軽い音がして、飛び出し式の銀色の刃が姿を現す。
或いは革の鞘から引き抜かれ、ギラリとした牙が晒される。


五飛はその様子を面白くもなさそうに見遣ると、すぅっと流れるように身構えた。

「無手で十分だ。・・・貴様等などはな」

ナイフを手に突進してきた男の鳩尾に蹴りを食らわせ、その反動を利用して撓るように刃の切っ先を避ける。
相手には数的有利がある。
だが五飛にあるのは、地理的有利だ。
確かに相手の数は多い。更に『クスリ』には弱冠の筋力増強作用があるらしく、男達の不健康に痩せた体躯には
不釣り合いなほどの腕力、跳躍力がある。
ただし、このような狭っ苦しい路地では、並んで攻撃出来るのはせいぜい2人まで。
つまり、いくら数が多かろうとも、一遍に掛かれる人数は限られてくる。
さらに相手が悪い。

五飛はあっさりと2人を昏倒させると、既に次なる相手のナイフをその体ごと弾き飛ばし、壁に打ちつけていた。

「強いですね〜」
ぱちぱちぱち、と拍手を贈りながら今現在することの無いが呟いた。
既に、男達は残り、僅かに2人。
五飛は傷一つどころか、息すら上がっていなかった。
「く・・くそっ!」
冷や汗を流しながら、忌々しげに男が舌打つ。
構わず五飛は一歩前へ踏み出した。
「ひ、ひィ・・く、来るなぁぁぁ!」
絶叫を上げ、残党の片割れが背中を向けて逃げ出した。
五飛は眉根を寄せ、吐き棄てるように言う。
「弱い上に、腰抜けか」
「・・あァ、お前は随分強いからなァ・・・」
残された方が、唇を捲れ上げるようにして笑い、まるで感心しているような声音で言った。

「けど、憶えとけ、餓鬼。・・・真っ向勝負だけが、喧嘩じゃねぇンだ」

その台詞と。
五飛が殺気を感じ取り、振り返ったのはほぼ同時だった。
男は狂ったような壮絶な笑みを浮かべ、背中を向けた五飛にナイフを振りかざす。
五飛の動きのほうが一瞬早かった。
ナイフは虚空に弧を描き、髪を括る紐を切るだけに留まった。解放された黒髪が、宙に踊り狂う。
しかし、を気遣うあまりに、彼女を後ろに庇いすぎたのが悪かった。
逃げたと見せかけ別の路地から回り込んだもう一人の男が、に向って刃を突き出す。
五飛がの元に辿り着くのと、男のナイフがの薄い皮膚を裂くのとでは、完全に後者が先なように見えた。
しかし。

...がンっ!!

男の体は極めて短い放物線を描き、薙ぎ倒されるように地に伏した。

上段回し蹴り。
見事なまでに、の足技が決まった瞬間であった。

完全に硬直する五飛と残った男。
それを気にせずは、はしたないことをしてしまったと言わんばかりにぱんぱんとスカートの埃を払うと、にっこりと
無邪気な笑顔を浮かべた。
「えっと。残念でしたね」
その台詞が自分に向けられたものだということを理解するのに、男は弱冠の時間を要した。

どうにか気を取り直す頃には、同じく立ち直った五飛の一撃によって、あっさり意識を手放すのだが。




「〜♪」
漆塗りの赤い櫛で髪を漉きながら、はとっても上機嫌だった。
ただし、漉いているのは自分の髪ではない。
五飛の髪を・・・先程ナイフで紐を解かれてしまったので、結い直している最中だ。
の熱烈な希望で、彼女がそれを担当している。
ちなみに買い出しは、出払ってる人が多いし残っている食材でどうにかなるかも、ということで中断され、寮にUターン
してきた。そしてここは、談話室である。
「さっきはすみません、面倒に巻き込んでしまって」
「気にするなといっただろう」
五飛はみごとな仏頂面だ。
「はい」
はまた笑顔に戻り、髪を結ぶ為に纏めの作業に入った。
ちなみに。五飛の仏頂面の理由は、多分にそこにある。
「・・・
「はい?」
「止めろ。自分で結ぶ」
「最後までやらせて下さい。五飛の髪さらさらで、触ってて気持ち良いです」
それが困ると言っている。その台詞を飲み込んで、五飛は無心を貫こうとする。
けれど、の指が髪を撫でる度、こそばゆいような感覚が訪れる。
先程など、髪を纏め上げる際にの爪が首筋を掠めて、思わずこの場から逃げ出したくなった。
常の五飛に似合わぬ弱気である。
はそんなことには微塵も気付かず、楽しそうに髪を梳く。
五飛はどうにか瞑想に入ろうとするが、今ちょっと震えが来た。頬が熱い。
「・・・・自分で結うっ///」
「駄目です♪」




随分時間を掛けて、烏の濡れ羽色の髪が結い上げられた直後、五飛はダッシュでその場から立ち去った。

その時なら、世界記録更新も狙えた。多分。

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後書き
閑話休題風、『髪結』でした♪
五飛ちゃん(笑)は楽しいです。書くのは難しいですけど。
というか、此れに限らず管理人シリーズは楽しいです。
長ぁーく続けられるシリーズにしたいです♪
さて、漢字2文字タイトルを続けて、ネタが切れるのはいつの日か(笑)。
タイトルには毎回悩まされます。

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