カマと釜飯

1997年9月に信越本線の横川〜軽井沢間(碓氷峠)が廃止されてから、早くも2年近くが経とうとしています。この区間はJRでもっとも勾配が急な区間で、一般の列車では通過するのが困難なほどでした。そのためにこの区間ではそれを補助する機関車、EF63型を連結することによって、急な碓氷峠を越えていたのです。

本当はこの区間が廃止される前に私自身も乗車してみたかったのですが、廃止前のフィーバーを敬遠してしまったので、とうとう乗ることはできませんでした。今回訳あってこの碓氷峠を訪れることができました。

…さらに番外編として、大阪から東京へ向かったときのショートトリップも掲載。こちらをご覧下さい。


今回は草津温泉に一泊してから碓氷に行きました。当日は温泉祭の準備中で、温泉街の中心にある「湯滝」の上にステージが組んでありました。源泉ということもあり常に湯煙が上がっていて、夜間は天然のスモークになっていました。でも硫黄の匂いはやはりすごかったです。



ステージの裏側です。木でできた水路をお湯が流れていて、そこに湯ノ花をためていました。



湯滝を下から見たところです。お湯の色がエメラルドグリーンになっているところが幻想的でした。それにしても常にこれほどの量のお湯が湧いていることも驚きです。



今回は、春の三崎ツアーでも世話になったsuzumuさんの愛車に乗せてもらいました。正面に写っているのは同じく三崎で写真をとってくれたyohi氏です。ここから浅間山を見物しつつ軽井沢方面に向かいます。



快晴の浅間山。山の全景をこれほどはっきり見たことはあまり無かったので嬉しかったです。かつての噴火跡「鬼押し出し」を見学しようと思って、入場券を求めると1200円。けっこう値が張るんだなと思ったら、実は鬼押し出しだけでなく火山博物館の入場料でした。この博物館は最近できたらしく、博物館というより遊園地のアトラクション的な雰囲気でした。ちょっとお金をかけすぎのような気もします。



浅間山から軽井沢を通ろうとすると、大渋滞。あちこち抜け道を回って碓氷峠にさしかかった頃にはもう3時過ぎでした。写真は信越本線の「旧線」であったアーチ橋です。煉瓦造りの構造物は時代を経ても美しいですね。この橋の向こう側には2年前まで列車が走っていた信越本線の「新線」があります。



峠を下って横川駅に到着。遅い昼食ということで駅前の「おぎのや」に入りました。店の看板には「元祖峠の釜めし」と書かれています。今ではあちこちに支店が出ていてさほど珍しくもなくなった「峠の釜めし」ですが、横川駅前の店ともなると本物っぽく感じてしまいます。



実際には釜飯しか売っていないわけではなく、他に鰻丼などの軽食もあるのですが、もともと炊き込みご飯や釜飯の好きな私は懲りずに釜飯を注文したのでした。実は今年の5月にも上信越自動車道で釜飯を食べていたりします。



店の前にはEF63の動輪が飾ってありました。蒸気機関車の動輪は公園などで見かけることがありますが、電気機関車のは初めて見ました。



横川駅のそばには、もと横川運転区だったところに「碓氷峠鉄道文化むら」がオープンしていました。ここでは横川〜軽井沢間の在来線廃止に伴い役目を失ったEF63型機関車を始め、日本各地で活躍した機関車が展示されています。



先ほどの煉瓦アーチ橋が使われていた頃は、レールが通常のものとは違い坂道を滑らず登るための歯型の付いたレール(ラックレール)に機関車の歯車をかみ合わせることによって走っていました。この方式はヨーロッパの山岳鉄道などでよく利用されていますが、複雑な構造のためスピードアップに向かず、碓氷峠ではこの方式は廃止され、線路も新線へと切り替えられました。



もともと機関車の検査庫であった建物に、EF63が展示されています。ここでは検査に用いたと思われる道具類が、廃止直前の状態のままになっていて、まるでついさっきまで作業が行われていたかのように見えます。機関車の検査の進行状況を書いている黒板もその時のまま、といった感じでした。



展示されている機関車の運転席に入ってみました。機関車自体は非常に大きいのに、運転席は嘘みたいに狭いです。天井も低く、運転に携わっていた人々の苦労がうかがえます。この機関車はもっぱら他の列車の後ろ(上り坂の場合。下り坂の場合は前方に)に連結して使用されるので、機関士は横の窓から前方を見て安全確認を行っていたそうです。



これは碓氷峠がアプト式だった時代(前述の煉瓦アーチ橋が使われていた頃)の機関車、ED42です。この機関車はアプト式ということもあって通常の機関車とはずいぶん構造が違っています。EF63がモータの力を歯車によって車輪へ伝達しているのに対して、ED42では蒸気機関車のようなロッドによって伝達しています。



ここでは碓氷峠で活躍した機関車の他にも、全国で活躍した車両が展示されていますが、これはそのうちの一つ、DD51 1号機です。DD51はかつて多数生産され、たディーゼル機関車で、現在でも電化されていない区間で貨物列車や寝台特急を牽引していますが、この1号機だけは試作的要素が多く、他号機の角張ったデザインに対してライト類など丸みを帯びているところが違います。



関門トンネル(下関〜門司)で活躍したステンレス製機関車EF30や、特急列車などを牽引したEF58なども展示されていました。ここで展示されている車両は綺麗な状態が維持されていて、好感が持てます。


碓氷峠鉄道文化むらでは展示されている車両の他に、体験運転ができる機関車もあります。今回は残念ながら体験することはできませんでしたが(要予約とのこと)、ぜひまた来てみたいと思っています。

※「カマと釜飯」の「カマ」とはもともと蒸気機関車のボイラーを指していたのが転じて機関車全体に対する通称となったものです(鉄道用語)。


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