でんしゃのはなし

その1・新快速今昔

関西・中京地区以外の人はなじみのない列車の種別、新快速。特にここでは関西地区の列車についての話。他地区の方のために説明すると、この列車は大阪を中心とした東海道本線・山陽本線(他に湖西線など)を走り、昔から停車駅が少なくスピードの速い列車として親しまれてきました。初めて「新快速」という名前が登場したのは大阪万博があった頃、と聞いています。このころは京都〜大阪〜神戸の三大都市間の移動は平行する私鉄の利用がポピュラーであり、それに対抗して当時の国鉄が従来より停車駅の少ない快速として走らせたようです。東京圏なら「特別快速」という列車が既にあり、当初は関西でもその名称を使うことが考えられたそうですが、関西人の気風のためか東京と同じ名前を使うことが忌避され(?)「新快速」という名称になったそうです。

当初は従来の快速列車と同じタイプの電車を用いていたのですが、のちに急行列車の減少によって余った急行用の電車が使われるようになり、乗り心地等の面でも従来の快速とは一線を画していました。さらに時代が進んで1979年には、新快速専用の車両(117系)が登場します。扉は片側に2箇所で、扉の間には前後に向きを変えられるタイプのシートを装備していました。実はこの装備は、平行する京阪・阪急では早くから採用されていて、国鉄がその後を追った形になっています。

ちなみに、1985年頃までは新大阪駅に止まらないという特急よりも「特別な」列車だったのですが、これは京都〜大阪間の所要時間を少しでも減らす為の措置だったようです。また、京阪神付近の東海道・山陽線は複々線になっていて、日中は普通列車(快速等含む)と特急・急行・貨物などの列車は別な線を走っていたのですが、1986年には新快速に限り終日列車線、つまり特急などと同じ線を走るようになり、本数が増えていきました。本数が増え、利便性が向上すると乗客も増加し、1987年の国鉄民営化を経て、1989年にはさらに性能を向上した車両(221系)を登場させます。この車両は扉が片側に3箇所有り、従来の快速用と同じなのですが、座席は117系と同じタイプのシートになっています。この車両は多数製作され、のちにJR西日本を代表する存在になっていきます。新快速のほとんどが221系で運行されるようになると、従来最高110km/hだったのを120km/hに上げて、日本で最も高速な通勤電車となりました。速度向上で浮いた時間で停車駅も増えました。このことより新快速利用者はさらに増えていきます。

そんな新快速にさらなる変化が起こったのは1995年、阪神淡路大震災の後です。阪神間の鉄道は長期間に渡って寸断されていたのですが、JRが最も早く全線復旧させると他の路線(阪急・阪神)を利用していた人も代わりにJRを利用するようになり、JRの乗客は急増。これに対応すべく新快速の本数を大幅に増加したのですが、他の路線が復旧しても新快速の便利さに気づいた利用者はそのままJRを利用するほどで、新快速は常に混雑する列車となりました。

新快速にはさらに高速走行可能な新型車が導入されるなど、常に最高のサービスが提供されるのですが、その反面他の列車(各駅停車・快速)のサービスはなかなか向上しないため、新快速の止まらない駅の利用者はあまり喜んでいないのでは?と思います。ただ新快速は停車駅が少ない分、乗車区間も比較的長いため(すなわち運賃が高額になりがち)、JRにとっては荒稼ぎができる列車なのかもしれません。

停車駅が少なく、しかも高速であることは非常にコスト面でも有利なんだそうです。このように鉄道のシステムを限界まで活用している新快速ですが、そろそろ他の路線でのサービスも向上させてもらいたい、とも思います。


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