最後のロンドン23/March/1998

 明日は飛行機に乗るだけなので、事実上今日がロンドン最終日だった。一日を振り返ると、朝は郵便局へ荷物出し、それから職場に行き、残務整理。昼はSOHOの馴染みの店、通称「学食」こと、新美食軒で、焼鴨飯と酸辣湯という黄金コース。その後区役所に行き、駐車許可証の返納。それから職場に戻り残務整理。何とか終わり、6時には家に戻り整理。7時から家主のチェックがあり、それから車を知人宅(Wimbledon)に置きに行った。そこから電車で家に帰り、Paddingtonのマクドナルドで、英国最後の夕食となるMac Mealを買って家で食べた。そうこうしているうちに、日付は24日に変わった。今日出発だ。
 思えば最後の一日も、普段と変わらない一日だった。効率の悪い郵便局の窓口。相変わらずエンジンの調子の悪いバス。信号無視を平気でする人々、そして私。バスの2階から見える、Hyde Parkのすばらしい眺め。Parliament Square辺りを歩く観光客の群。自分が感傷的になったところで、街は普段と変わりなく動いている。
 2年間この街に住んで、「ロンドンは素晴らしい」とか「ロンドンが大好きだ」なんて絶対に言いたくない。でも、私は「ロンドン住んでおもしろかった」と言いたい。この街に住んで、悪いこともたくさんあった。呆れることも、いい加減にしろと思うことも腐るほどあった。でも、それを補うだけの魅力がある。だから「おもしろい」という感想になるのだ。いいことも悪いこともあるから、おもしろいのだと思う。
 だけど、私がたどり着いた結論は、「私は日本が大好きだ」・・・もとい「私にとって日本で生活する方が楽だ」ということ。言葉の問題もあるが、最大の問題はやはり文化だと思う。全ての英国人が日本語を話すことができる時代がやってきても、私は英国に永住することはできない。やはり日本の文化にどっぷりと浸かって生きていく方を望むのかも知れない。
 まぁそれはそれ、これはこれ。私にとって、この2年間は、かけがえのない貴重な期間であったことは言うまでもない。このホームページを通じて、様々な人たちと友達になれたことが、大きな収穫だったと思う。本当にこれまで御愛顧いただいたことに感謝したい。
 ところで、この2年間で何が思い出深いか・・・
3位 北極圏に行ったこと
2位 Shakatakのライヴに行ったこと
1位 Monaco Grand Prixが観戦できたこと(やはりこれですね。Ken Herbertさんよぉ)
けど、なんと言っても、ロンドンの住民として、ここで普通の生活ができたことが、最大の思い出なのだろう。結局後になって思い出すのは、大きな行事の出来事じゃぁなくて、ふだんの生活で、どこで昼飯食ったとか、TESCOのパンはまずいとか、そんなことなんだろう。いつ、思い出が浮かび上がってくるのか。ロンドンが恋しくなるのだろうか。わからない。まぁなるようになるだろう。そういうことで、帰りまぁぁす

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地下駐車場22/March/1998

 訳あって、自分の車を知人の家の地下駐車場に置かせてもらうことにした。訳というのは、明日自分のResident's Parking Permitを返却しに行くのだが、許可証を返却しに行くと、路上に駐車できなくなってしまうため、どこか合法的に駐車できるところを確保しなければいけなかったためだ。
 さて、その地下駐車場に行って驚いた。狭いのだ。何がって、通路が狭いのだ。その要因は柱。柱が実に変なところに立っているのだ。まぁ建物が古いから、昔使い始めたときは、こういうことは想定していなかったのかも知れない。車が走っていたとしても小さい奴だったのかも知れない。所が今では大型車が結構多い。私のBMWですら、あの地下は小さく感じた。車2.5台分の幅しかない通りに、縦列で停めろと言っても至難の業。まぁしかしながら普段から狭いところに停めるのには慣れていたので、何とかやった。でもちょっときつい。
 あと、柱の立ている所では、至る所にこすった跡が残っている。私の車でもおっかなびっくり通るのに、もっと大きな車はどうするのか?まぁよく走るものだ。
 地下に入って、建物の古さを感じた。現状には合わない構造だ。でも使い続けている。この国の建物保存規制の下ではしょうがないのかも知れない。


道路工事21/March/1998

 この名前を見て、パチンコ台を思いだした人は、私と仲良くなれるかも知れない・・・。さて、最近道路工事がたけなわだ。道路工事以外でも、道路を遮断しての大がかりな工事なども行われている。うちの近くでは、Paddington駅に大きなものを搬入しているようで、駅横の大きな道が完全に遮断されている。そこはタクシーもバスも使う道なので、迂回車両のため、うちの周りは大混乱である。前々から言っているが、迂回表示などが的確ではないため、渋滞を悪化させているのだ。
 それにしても、こういう工事には必ず大型車両が付き物なのだが、こういった車両が、狭い路地をすり抜けていく。それもあまりスピードを緩めないで・・・。巧いというか、危ないというか・・・まぁびっくりである。


手紙で知らせろ20/March/1998

 借りている家の退去の際に、どのようにして大家に知らせればいいのか。契約書を読んで見ると、「手紙で30日以上前に知らせろ」とある。ただ、"write"と書いてあるのだが、書き方は指定されていない。
 ちなみに私は、1月ちょっと前に、電話で大家と不動産屋双方に連絡しただけ。それだけでも、ちゃんと家賃は日割りにしてくれたし、出国前日にチェックを行い、当日まで家を使っていいと、家主は言ってくれた。しかし、人によっては家賃の日割りについては、「手紙がなかった」とのことで、受けられない人もいた。結局契約云々もあるが、最終的には家主の人柄が、こういうことを左右するということがわかった。とにかくうちの家主は人がいい。これだけでも私は幸運だったのかも知れない。


混乱を極める受付方式19/March/1998

 昼食後、帰国便のチケットを取りに行ってきた。たまたまAldwich方面に行ったので、帰りにSeattle Coffee Companyで、Caffe Latteでも・・・と思ったが、なんと財布の中身は37pだけ。日本にはがきが送れる位しかなかった。仕方なく店のちょっと先にある銀行でお金をおろしたのだが、そこまで行くと戻るのも何だ・・・ということで、職場に戻る途中にある、Coffee Republicという、同じ様な店に入った。
 この手の店は、受付が一つだけあり、そこで商品を注文し、別のところで商品を受け取るという形になる。と・こ・ろ・が・だ。受付が受付に専念してなかったため、窓口が混乱していた。一般のこの国の店では、受け付けた人が金銭の授受だけではなく、商品を作ったり集めたりするのが普通。そういった感じで、受付が少し動いていたのだ。そりゃぁ英国流と言えば英国流なのだが、こういう形を想定していない店の配置で、そういうことをされると、窓口が混乱する。また、受け取る方も受け取る方で、奥の受け渡し口で黙って待っていればいいものの、なぜか受付のところで待っている。使う方も慣れていないのだろう。
 長年培ってきた方式は、なかなか変えられないものなのだろう。他の例でも、Shefieldの路面電車が、最初大陸の方式を導入し、事前に切符を購入し、自分で刻印するということにしようとしたが、結局従前の方法である、車掌から切符を購入するという方式に戻ったというのも、長年の方式は変えられないということを示していると思う。
 ところでLatteを手にすると、紙コップが熱い。Starbucksのように、紙コップに巻く筒のようなものが用意してあればいいのに・・・と思いながら、StrandLatteを飲みながら歩いた、小春日和の今日であった。


カラオケボックス18/March/1998

 今日は職場の送別会。ゆっくりとギリシャ料理屋で美味しいものを食べ、さぁ終わりかと思ったとき、「カラオケ行こう!」の一言。私にとっては1年以上ぶりのカラオケ。誘いを断るわけがない。しかしそのとき既に22時半。いったいどうしたものか・・・。
 ロンドンのカラオケと言えば、日本料理屋併設のものがほとんどで、こんな遅い時間から始めること自体不可能・・・しかし待てよ、Ronnie Scottsの向かい側に、「カラオケ」と書いた看板を見つけたことがあった。そこならなんとか・・・という記憶を頼りに、出かけていった。総勢6名である。
 店を見つけ、受付に行くと、何かそこは日本のカラオケボックス。中も日本のカラオケボックス。違うのは値段が高いことくらいだが、まぁそれは仕方ない。内容は、結構新しい(のだろうが・・・)曲の入った日本のカラオケの他、韓国語のカラオケ、そして当然のごとく英語曲のカラオケもあった。
 私のとってはパラダイスだ。日本では英語の曲を飲み会の席なので歌うのは、結構顰蹙となる。結局同志で集まったときだけ、英語の曲が歌える。けどここはロンドン。英語の曲が当たり前。おまけに今日は現地スタッフも参加していたので、なおさら英語の曲の方がいい。うたぼんを読んでみると、Swing Out Sister"Breakout"とか、Phil Collins"Another Day In Paradise"、はたまた何故かShakatak"down on the street"まで入っていた。充実の品揃えで、思わず歌って結局終わったのが深夜2時半。ぐったりである。
 やっぱり日本人は歌うことでストレスを発散するのだろうか。それにしても酒のせいか、今、頭がガンガンと痛い。


小包カウンター17/March/1998

 何とか引越荷物の搬出も終わり、家の中は備え付けの家具と手持ち荷物だけ・・・と言いたいところだが、結構ゴミやがらくたが残っている。日本からの客人が持ってきてくれた「東京スポーツ」も、今読み返してみると、またおもしろい。
 「集荷時刻がわからない」とのことだったので、1日休みを取っていたのだが、黒ネコさんが昼頃にきたので、その後あいてしまった。とりあえず、お土産品を入れた箱を、郵便小包で送ろうと、郵便局へ行くことにした。なぜお土産だけ郵便小包なのか?。それは、引越荷物として航空便で送った場合、私が日本に着いてから、通関となり、帰国後1週間位しないと荷物が取れない計算になる。これでは困ってしまうのだ。
 こういうときに郵便局が近いというのはありがたいもの。Paddingtonの郵便局へと向かった。中には長蛇の列・・・と言うほどではなかったが、まぁ結構並んでいた。私はParcelなので、別の窓口なのだが、列の最後尾につける。なぜなら、ここの郵便局では、Parcelの窓口には専門の係員をおいていないのだ。じゃぁどうするのか。一般の郵便窓口、当然切手も売るし、各種払い込みなども受け付けている所にとりあえず行き、郵便で送るか、小包で送るか、そこのカウンターの前の秤で量った上で、係員が判断し、その係員がParcelの窓口に移動して、作業を行うという、実にわかりにくいことをしているのだ。
 ある意味で言えば、全ての人が来た順に用をたせるので、公平なやり方だとも思うが、26pの切手を1枚買いに来た人と、自動車税を払いに来た人と、100通の郵便物を出しに来た人と、12kgの小包を出しに来た人が、同じ列に並ぶというのは、どうも私にとっては理解しがたい光景だと思う。これも考え方、文化の違いなのだろうか。

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申告書類16/March/1998

 夜通しの箱詰め作業は続く・・・明日の集荷は、「何時に行くかわからない」という脅しのような回答のため、予断を許さない。まぁ、これがこの国流なのだが・・・。
 ところで、引越も国際引越となると、通関手続きが必要となるため、内容を記載した書類を作る必要がある。これは日本から英国に来たときもそうであったが、逆も当然そうである。せっせと箱詰めしながら中身を確認して書類を作っている。
 その中に、内容物の価格を記載する欄がある。まぁ普通のものならいいのだが、私のように、旅先でのパンフレットならまだしも、ちらしやレシート、はたまた航空券の半券まで後生大事に取っていて、それを送ろうとしているものにとって、「こういったものに価格がつけられるのか?」と考えてしまう。はっきり言って価値はゼロ。でもとりあえず価格を入れなければいけない。
 また、こういった類のものが、もし通関時に開封検査となって中身を見られた場合、いったいどうなるのか・・・。どういう判断が下されるのか・・・。まぁ、「なんでこんなもの金かけて送るのか」と、呆れられるのだろうが。


ホームセンター15/March/1998

 明後日は荷物の集荷・・・でも準備は遅々として進まない。気分転換に(完全に逃げてるが・・・)、ホームセンターに梱包用資材を買いに行った。
 日本のホームセンターと言えば、家電、家具、文具、園芸用品、車用品など、何でも取りそろえている。しかしながらこの国のホームセンターは、「園芸と家の改装」に特化しているような気がする。一番充実しているのが園芸用品。外に大きなコーナーを設置している所も少なくない。また、家の改装の面から言えば、バスタブやシャワーユニット、トイレの便器、カーテン、キッチン、何でもかんでもある。しかしそれ以外の分野は弱いのだ。
 結局、薄々のガムテープと、メジャーを買ってきた。今まで何度か行ってはいるが、庭付きの家のある人、または改装できる家を持っている人以外は、使い勝手が悪い。ということは、そういう人が多いのかも知れない。持っている人は持っているものだ。


おみやげはスーパーで14/March/1998

 そろそろ日本への土産物を日本へ・・・とはいえ「うまいものなし」のこの国、食べ物系でなにをおみやげにすべきか?。答えは決まっている。「ショートブレッドと紅茶」である。そうなると、だいたいみんな行くのがFortnum & Mason"だとおもう。でもここは高い。じゃぁ、大量に買わなければ行けない私はどこを使えばいいのか・・・答えはスーパーだ。
 スーパーと言ってもどこでもいいわけではない。やはり最高級(とはいえスーパーはスーパーだが・・・)のWAITROSEでなければいけない。ここの商品は、美味しいと思う。この国にあって、こういった存在は貴重だ。ということで、私は、WAITOROSEPB(Private Brand)の大量のショートブレッドと紅茶を購入してきたのであった。
 レジに立つと、否応にも目立つ。ちょうど私の前に並んでいたおばさんが、私の籠を見て反応してきた。

「まぁ、なんでこんなに・・・」
「お土産なんですよ」
「なるほどねぇ、安いしねぇ」

ここの商品は、それなりのレベルを保っていると思うし、同程度のものを買うなら、スーパーのPB商品を買った方が安い。結構な量だったが、免税店の半額程度で済んだ。多分日本への郵送料の方が高くつくような気がするのだが・・・。
 ところで、今日買ったときに、レジの人は、20個のショートブレッドを、一つづつバーコード読みとりにかけていた。数えて一つだけ通すようなことはしないのだろうか。こういう状況で、今日のような光景に出くわすこともしばしば。のんびりしているというか、非効率的というか、この判断はそのときの余裕によって違う。


うなぎ13/March/1998

 私はうなぎが大好きだ。日本でうなぎといえば「蒲焼き」である。しかし、ヨーロッパに来ていろいろなうなぎ料理にお目にかかった。
 中華では、うなぎの八宝菜の様なものがある。細かく切り、粉をつけて揚げたうなぎを、野菜と一緒に炒め、しょうゆ味でとろみをつけた奴、これがちょっとお高いが美味しい。店によっては、£4.50程度で、それがのっかった中華飯みたいなものを出すところもある。これはお薦め。
 オランダに行ったときに、空港で冷凍薫製うなぎにお目にかかった。これがまた美味しい。冷たいまま御飯と御飯の間に挟むと、油が出てきて柔らかくなる。これに蒲焼きのたれをかけるとまた美味しい。薫製うなぎは、北欧でもよく売っている。
 ベルギーのブルージュでは、うなぎのクリームソース煮を食べたことがある。これまたソースとうなぎの味が合っていて美味しい。アナゴやドジョウでは、あの味は出ないと思う。
 とまぁ、いろいろな使い道のあるうなぎなのだが、イギリスではうなぎの身をゼリー状に固めた食べ物があるそうだ。まぁ、試してみるのもいいのだろうが、「イギリス料理」と言うだけで、腰が引けてしまうのは、この国にいくら慣れても、食文化だけは慣れることのできない現れなのだろうか。そんなことを、ストックホルムで買ってきた、うなぎの薫製で御飯を食べながら考えた、今日この頃であった。


時刻表12/March/1998

 BRの時刻表というものがある(こういうネタを書くと、名古屋に住む鉄道探求会・通称「テ探会」のメンバーが、目を輝かしそうだが・・・)。年2回、夏ダイヤと冬ダイヤを掲載して発行するのだが、これの引き方が、日本のそれと大違いであるのが、実に面倒だ。
 日本の時刻表であれば、最初の方にある地図を見て、そこに書いてある路線図とページ番号で、掲載ページを確認し、目的の列車を探す方式なのだが、この国のものはそうではない。まず、出発地の駅名を、巻頭の索引で探す。そして、その下に書いてある、目的地名を選択し、そこに書いてあるページを見るという方式。絵で訴えるのではなく、あくまで字による検索である。そのうえ、ルートがたくさんあるときなど、ページ番号がたくさん書いてあり、それをいちいち全て確認しなければいけない。実に面倒だ。
 本の面では面倒だが、実はBRのオンライン時刻表のあるホームページがある。こういう面では、さすが一歩進んでいる(まぁ、英語で作るだけだし、列車数も少ないからできるのだろうが・・・)。日本のJRも見習って欲しいものである。


ダイヤなき運行11/March/1998

 Moggyさんと最後の晩餐・・・というか、最後の飲み会の約束をしていた。場所はNew Maldenの焼き肉屋(何故?)。集合場所のPutney Bridge駅(これまた何故?)まで職場から電車で向かうことにした。Embankment駅に行くと、丁度Wimbledon行きの電車がやってきた。この時間帯は、District Lineなら、1分おき位に電車がやってくるから助かる。それも目的地まで乗り換えなしとは、Bestである。
 Earl's Court駅に着くと、向かい側に止まっていた電車が目に入った。なんとWimbledon行き。今乗っている電車と同じ目的地行きだ。そっちは、Edgware Road支線から来た電車だ。しかしまぁなんで同じ駅行きで、同じ線路を使う電車が、同じ駅で同じ時間に並んでしまうのだろうか。だいたいにしてどっちが先に出るのだろうか。まぁ、向こうが先に着いていたのだから、先に出るのかなぁ・・・なんて思っていた矢先、自分が乗っている電車の扉が閉まり、発車した。向こうの電車は、私の乗った電車に待たされて、追い越された形になったのだ。
 まぁ、なかなか来ない電車に腹立たしく思うことは結構あったが、まさか同じWimbledon行き、それも始発ではなく途中の駅で、2本並ぶとは、まさに「ダイヤなき運行」としか言いようがない。とにかく電車を走らせて、先に来た順とか、そんな感じで走らせているといったことなのだろうか。バスでよく、20分来ないと思ったら、5台連なって来たといったことは、もう慣れっこになってしまったが、鉄道ダイヤも同じ様なものなんだろう。
 まぁそんこんなで、Putney Bridge駅から、265番のバスでNew Maldenへ。スーパーでちょっと買い物をした後、焼き肉屋でビールに焼き肉!といった黄金パターンプラス、アガシュの方の韓国語指導で、オイキムチのオイが、キュウリのこととわかり、納得。またキムバップとは、キム=のり、バップ=御飯ということもわかり納得(間違っていたら御指摘下さい)。まぁ中身の濃い飲み会で気づけば22時半、あらびっくりで店を出て、帰りのバスを待つこと15分、今度は定刻にバスが来た。さすがに夜間はダイヤ通りの運行になるのだろう。
 帰りのバスで、Moggyさんと信用できないダイヤの話をしていて一言。「Circle Line、どこ回ってるんでしょうね?」。回ってるならちゃんと来い! 


解約10/March/1998

 そろそろ、電話、電気、ガスなどの解約を通知しなければ・・・と手紙を書き始めた。やはり手紙文化、レターで通知するのが正式であるようだ。去年帰った人の文例を参考に・・・というか、ほとんどそのまま、BTへの手紙を作ってしまった私であった。
 そんなこんなのんびりしていた私であったが、よくよくケーブルテレビのINVOICEを見てみると、「請求日の1ヶ月前までに、手紙で連絡するように」とあった。あっ、あと2日で1月前になる・・・急がなければ、4月分まで取られるところであった。接続の時は、3日位でやってくれたが、解約はなかなか面倒だ。
 おまけに、銀行引き落としであるDirect Debitにしている場合、請求会社と、銀行両方に連絡しないと、永遠に引き落としされると言う話も聞いたことがある。日本の便利な方式に慣れた身とすれば、実におかしな話し。まぁ、損しないためにも、面倒であるが、地道に一つづつ手続きしていく必要がある。


Lovely!9/March/1998

 私の家は、私が退去した後で売りに出される・・・とは聞いていたが、既に買い手がついているようであった。今日はその買い手が、家を見に来るので、19時半までに帰るように不動産屋から言われていた。明るいうちに職場を出て、家へと向かう。ここぞとばかり引越の準備にいそしんだ。そして1910分、まず業者さんが来た。とりあえず上がってもらい(当然靴は脱がせた)、とりとめもなく雑談。共通のネタを探すのに苦労したが、カプセルホテルの話で盛り上がる。そして買い手が・・・1人だと聞いていたのに、なぜか3人来た(当然靴は脱いでもらった)。
 家の中に入り、いろいろと見ていく。そのときによく発していた言葉、それが"Lovely!"である。まぁLovely自体、英国人がよく使う単語、まぁよく聞こえてきてもおかしくない単語ではある。しかしながらまぁよく使う使う・・・。暗く汚いベランダを見てLovely、台所を見てLovely、バスルームを見てLovely・・・とにかくつきない。
 そういえば、スーパーでお釣りが出ないようにお金を出したときにもよくLovelyと言われる(私の知っている人は、Excellent!と言われたことがあるそうな・・・)。まぁよく使う。便利な単語だ。けど若い女性が言うのは何だが、50過ぎのおっさんに"Lovely!!!"とか言われるのも何かねぇ・・・。

昨日の雑感に、今日の収穫を追加しました


時間優先?人優先?8/March/1998

 ストックホルムの空港、アーランダは遠い。市内から約40km、成田の60km程ではないものの、ヨーロッパの空港の中では飛び抜けて遠い。普通は市内まで空港バスを利用することとなり、片道3035分で、料金は60SEKである。今までその方法しか知らなかった。しかし・・・
 郊外電車(Pendeltåg)で約40分、北の終点Märsta駅はアーランダ空港に近い。案の定、そこから空港まで路線バス(583)が出ている。駅から所要時間はたったの10分だ。もしTouristkortがあれば、それで乗車することができる。これを利用しない手はない。我々は、スーパーで買い出しした戦利品をザックに入れ、混み合う電車へと乗車した。
 ところで今日は雪だ。結構降っていた。電車が遅れることを心配していたら、案の定中央駅を出発してすぐに徐行、そして停止。途中駅の発車表示を見て確認したところ、だいたい34分の遅れ。そして終着を前にまた徐行。ちょっと気をもむ。何せMärstaでは、30分ごとの列車の到着を待つように、バスが発車する仕組みだからだ。でも同じSLが運営しているのだから、当然電車が遅れれば、バスが待っているはずだ。
 電車は18時ちょっと過ぎに駅に到着。バスは181分発。当然待っているはず・・・・と、バス停にバスの姿はない。なぜ?とりあえずバス停まで雪の中歩いて行くが、バスは来ない。「もしや折り返し用のバスが遅れているのでは」と思いきや、バスは来ない。10分待ったが来ない。どうやら時間優先で行ってしまったようだ。行ったとしても客は居ないはずだ。何故?疑問は募るばかり。
 しょうがないので、暖かい駅の待合室まで戻り、バスを待つことにする。次のバスは1831分だ。発車予定時間ちょっと前にバス停に行くと、そこには結構人が来ていた。もしかして我々と同じ様な面々?そういえば待合室で見たような人もいた。バスは定刻通り来た。早速乗車。と、発車の気配はない。どうやら遅れている電車を待っている模様だ。「あれ?さっきはそうじゃぁなかったようなのに・・・」でもこのバスは待っている。連絡バスだから当然だとはいえ、我々は狐につままれたような感じである。
 バスは7分ほど遅れて発車。途中は雪が降り続いていたため、結局空港に着いたのは1850分。しかし20時のフライトなので楽楽である。それにしても我々が乗り損ねたバスはいったいどうしたのだろうか。時間優先で行ってしまったのではなく、何かの理由で運行中止になったと考えたい。でもそうなら、きちんと言ってくれSL!。しかしもしかしたらスウェーデン語で言っていたのかも・・・よくわからない。

おまけ 今日の収穫(買ったCD)
NEWTONE "NEWTONE"
 かつての同僚である、餃子の王将ポパイ定食復活期成同盟会長氏のお薦め。日本からメールを送ってもらいまでしたのだが、ロンドンでは手に入らず、StockholmNKデパートのCD売場で探して購入。ここは普通のRock, Popsのコーナーの他に、スウェーディッシュコーナーがある。当然Robynもあった。
 で、感想だが、確かに
Swing Out Sister系の、餃子の王将ポパイ定食復活期成同盟会長氏(長い・・・)が好みそうな曲調。ヴォーカルは男性だが、音楽的にはSOS的だ。個人的にはJamiroquaiよりは好みだ


ストックホルムの市内交通7/March/1998

 ストックホルムの市内交通は、Stockholms Localtrafik(略称:SL)が運営している。そのため、地下鉄(Tunnelbana)、バス(Bass)、市電、郊外電車(Pendeltåg)といった公共交通はZone制による共通運賃となっている。これはヨーロッパの他の都市と同じ様な感じだ。そして、当然一日乗車券のようなものがある。それが、Touristkort(ツーリストカード)である。
 今回の旅行では、120SEK72時間券を購入した。定期サイズの時期券と、まるでロンドンの一日券のような感じだ。しかしながら、この券には、特典が付いており、「ストックホルムの明治村」とも言える野外博物館「スカンセン」の入場料が半額になり、またストックホルムのテレビ塔「カクネス塔」の入場料が無料になる。おかげで今回我々がこの旅行で入場料を払ったのは、スカンセンの半額の他は、トイレくらいだった。
 とにかく、ヨーロッパ各国では、こういった感じの市内交通全てに有効の一日券や24時間券の類を発行している。まぁ、日本の場合は事業者の独立採算性を基本としているため、どうしてもなじまない点があるのかも知れないが、時代も変わってきている。こういったヨーロッパ方式の良い点も見習う必要があるのではと思う。


ガムラスタン6/March/1998

 最後の旅行地はストックホルムにした。なぜなら、もう一度行ってみたい所があったからだ。それは「ガムラスタン」である。
 ストックホルムは近代的な街だと思う。地下鉄も張り巡らされているし、地下街もまぁまぁ充実している。道路は立体交差で効率的な流れを保っているし、それこそ長距離バスの発着所、City Terminalなど、超近代的なビルだ。それでいて、伝統的な景観も保ち、自然も残っている。そして、古くからの町並みをそっくり残した地区、それがガムラスタンなのだ。
 昼頃に市内到着後、インフォメーションのあるスウェーデン館に行った後、早速ガムラスタンへ向かった。地下鉄の駅を降り、何気なく坂を上っていくと、そこには幅の一定ではない、少しづつ曲がっている、狭い路地があった。両側にはお店が軒を連ねている当然建物は古いもの。これだ!これである。ヨーロッパ的魅力だ。
 こういった景観は、他のヨーロッパの都市にも、それこそロンドンにもあるかもしれない。しかしながら、ストックホルムの魅力は、こういった古い街と、新しい街との融合だ。ガムラスタンは一つの島になっている。そしてその路地は、国会議事堂を通り、新市街の歩行者天国へと続いていく。19世紀の街が、あっという間に現代の街になってしまう。しかしその間に何のギャップもない。新市街の方は、その街中を避けるように地下や上空に道が通り、ガラスを多用したビルが建ち、ある角度から見ると、実に近代都市だ。しかし、別の角度から見ると、景観が嫌味のない、いかにも「北欧的」な景観にもなる。私にとって魅力的な街だ。今まで行ったヨーロッパの街の中で、最も好きなところだ。
 ストックホルムの都市計画は、自然や歴史との調和を最優先としているようだ。間違ってもロンドンのように、突然と無計画に作ったとしか言い様のない、無味乾燥なビルが建つようなことはない。


選挙人登録5/March/1998

 この国では、英国、アイルランド、Commonwealthの国籍がある人に、選挙権が与えられている。国政選挙以外では、EUの国民も投票権がある。なんて門戸が広い!しかしながら、そこにある大きな問題点、それは「住民登録制度がない」ということだ。
 いわゆる「住民票」がないのだ。確かに住民税のような意味合いのあるCouncil Taxを払っているので、「そこに人が住んでいる」ということはわかるが、そこにある情報は、単身者か、2人以上の世帯か?ということだけ。いったいその人が選挙権を有しているのか否か、わからないのだ。
 そこで登場するのが、選挙人登録という制度。「私はこの区(市)に住んでいて、選挙権を持っています」と、住んでいる区(市)役所に登録するのだ。用紙は毎年秋に配られる。選挙は毎年5月の第一木曜にだから、半年以上先の話となる。
 ところで、こんな状況の中、どうやって緻密な人口統計を取っているのだろうか。日本なら、住民基本台帳があるから、一発で人口が出るが、この国で、国勢調査以外に人口を調べる手段があるのか。やはりこの国の統計は信用できない。

予告!!
 すみませぇぇん。これが最後の旅行です。許して下され・・・。それにしても私の週末は全て旅行で費やされているような・・・その分食事が質素になってしまっている・・・。ということで、明日から2泊3日で、私がヨーロッパで一番大好きな景色のある街、ストックホルムに行って来ます。どうしても最後にもう一度行きたかったもので・・・。次の更新は、日曜の夜です。


パブはすぐには閉まらない4/March/1998

 今日も鐘が鳴るまでパブにいた。とはいえ、パブに行ったのが既に21時半だったから、仕方ないとは思う。英国人と飲んだ。よく飲むよく飲む・・・。こっちは2PintGUINESSでお腹も満タン。閉店15分前の鐘で「さぁ、そろそろ終わりか」と、ちょっと安心。そして閉店時間にまた鐘。「さぁ、帰るか・・・」。しかし誰も動かない。店の人も「帰れ」とは言わない。とりあえずとりとめもなく話し、15分後、やっと店を出た。
 パブは23時にきちんと閉まるものと思っていたが、そうではないようだ。確かにもうアルコールの販売はしないが、客をむげに帰らすようなことはしない。なかなか粋だと思う。そこで気づいた

「そういえば、完全に閉店時間を過ぎるまでなんてパブに居たことはなかったなぁ」

だいたいパブは、飲み始めに使っていた。食べ物なんて出ないし、やはりビールを飲んでしまうし、なんと言っても座れるかどうかわからないから、日本人の感覚から言って、2次会、3次会などで行くような所ではない。だいたい飲み始めがパブ。そして中華とか和食なんかに行っていた。
 けど今日は、英国人が相手。彼らの習慣に合わせた感じだ。結局最後までビール(まぁスタウトであったが・・・)は、何か変な感じではあるが、帰る頃には酔いが結構さめ、明日の仕事には支障がない感じ。なかなかいいものである。結局家に着いたのは午前零時。まぁこの程度なら、翌日もすっきりと起きて、仕事に向かえるのかなぁなどと思う。日本のような、終電過ぎても深酒、そしてラーメン屋、などというのは、やはり体に悪いのだろう。


日付表記3/March/1998

 今日は199833日。この国では略して、3/3/98といった感じで書く。じゃぁ翌日は?。ためらいもなく4/3/98と出たら英国人。3/4/98と出たら米国人である。英国流はDay/Month/Year、米国流はMonth/Day/Yearとなる。
 今では完全に前者に慣れてしまった。しかし、英語の文献などで、英国・米国以外で出版されたものの場合、どちらの表記になっているのか、パッと見で判断に困るときがある。それは1日〜12日の場合だ。4/12/1998の翌日は?私の感覚だと、5/12/1998であるが、これがアメリカ式だったりすると、4/13/1998。全く理解が異なる。
 そういえば季節の表記がちょっとだけ違うことは基本中の基本。今日たまたま米国のHPに掲載されている、とあるニューズレターに、"Fall, 1997"とあるのを見て、「あぁ、Autumnじゃぁなかったんだっけ。」と再確認してしまった。日付・季節の表記は、多分日本では米国流が使われることが多いのだろう。日本で英語に戸惑う自分の姿が目に浮かぶようだ。


パブの鐘2/March/1998

 今日は住居探しに、日本から4月からの赴任予定者が来たので、夕食をとりに中華街へ。そしてバスで帰途へ・・・しかしそのバスに乗った4名が、Paddingtonにあるパブ"Pride of Paddington"になぜか行くことになった。たまたまその周辺に住んでいる同僚同士だ。着いたのは既に21時を過ぎていた。ここのパブは椅子が多いので、座って飲むことができて、私は結構好きだ。たった1杯のビールで話が弾み(経済効率のいい集団だ・・・)気が付くと鐘の音。そう、閉店のお時間が近づいたということだ。
 パブに営業時間は、11時から23時というのが普通。今日の鐘は2255分と、閉店5分前になった。ただ、店によっては15分前に鳴らすところもある。古くからの伝統ということもあるようだが、実に趣のある時刻の知らせ方だと思う。
 ということで、今日は結構飲んでこのページを打っているわけだが、鐘の音が鳴らなければ、もっと飲んでいたいところだったろう。この鐘は「さぁ、飲んでる時間は終わりました。さっさと家に帰って寝ましょうね」と教えてくれる、良識の鐘なんだと思う。ただ、「さぁ、夜はこれから。今からエンジン全開!」となる人には、ボクシングのゴングのような効果を生むのかも知れないが・・・。


ムーミン谷のある町1/March/1998

 フィンランドといえばムーミン。まぁ、そういう年でもないのだが、フィンランド国鉄(VR)の新型列車がたまたまそっちの方にしか走っていないということもあり、ムーミン谷のある町、Naantaliへ行くことにした。列車の切符は、到着日に駅で購入しておいてあった。
 VRの新型列車、Pendolino S220は全席指定。2等でも1-2シートと、超豪華。早速今日のためにわざわざ持ってきたCD"Sibelius, Symphony No.2 in D Major"を聴いて、フォンランド気分に・・・と思いきや、なんと周りは関西からの日本人ツアー旅行客で埋め尽くされたのだった。そう、昨日はFINNAIRの大阪便の到着日。どうりで日本人が居るはず。ヘッドフォンの横から聞こえる関西弁に、遠き日本を懐かしみながらも(このツアー、JR東海ツアーズの主催のようだった)、外に流れる雪景色を眺めていた。やはりフィンランドの風景にシベリウスは似合う(当たり前か?)。途中、日本人ツアー観光客は降車した。いったいどこに行くのだろうか?。まぁそんなこんなで2時間弱、フィンランドらしい森の中を抜けて、列車は終点Turku(スウェーデン語名Åbo)に到着した。
 Turkuはヘルシンキが首都になる前の、フィンランドの首都であったところである。とはいえ、都市の規模は現在ではヘルシンキには及ばない。寂しい駅前を歩き、Naantali行きのバスに乗るべく、地球の歩き方情報をたよりに、シンフォニーホール前の1番バス停へ向かう・・・も、なんと1番だけないのだ。25番はあるのに・・・。よく張り紙を見てみると、地図とフィンランド語を照らし合わせてみる限り、どうやら乗り場が市場広場の方に移転したようなのだ。と、雪がちらついてきた。悲しいときには悲しい景色になるものだ。結局U字型に市内を歩いた格好になったが、無事乗り場に到着。ちょうどバスが止まっていたので、すぐに乗り込むことができた。バスは5分ほど待って発車した。
 なんとバスは、今まで歩いてきた方向へと走っていく。たまたま私が歩いたルート外の所に、停留所があったようだ。何とも悲しいこと。まぁしょうがない。バス停案内もなく、バスはどんどん進んでいく。30分ほどでバスターミナルらしき所に到着。どうやらここが終点のようだ。帰りのバス時刻を見ようとしたが、どこにも表示がない。まぁしょうがない。おまけに地図もない。まぁしょうがない。地球の歩き方にある地図を頼りにとにかく歩いていく・・・が、方角が分からないので、また遠回りしてしまった。雪が降ってきた。どう考えても気温は氷点下だ。5分ほど歩いただろうか、海に出た。その先にあるのがムーミン谷。そこにたどり着くまで、どこにムーミン谷があるのかさっぱりわからなかった次第。俗っぽい宣伝が全くないし、町自体ムーミンで売っているという感じでもない。だいたいにして、たまたま島にムーミン谷を作っただけであって、別にこの町がムーミンゆかりの地というわけでもないのだ。
 行ったに何をしに来たのだろうか・・・いつものパターンだ。でも私はこういった旅が好きなので、別にかまわない。観光案内所は閉まっていた。ひともまばら・・・というか、ほとんど居なかった。店は開いているのか閉まっているのかわからない次第。結局帰りにHESBURGERMOSじゃぁない)でハンバーガーを食べて、バスで帰途についた。結局滞在時間1時間弱であった。
 だいたいにして、今日は19:25の飛行機で帰らなければ行けなかったので、時間がなかった。時間があれば、ムーミン谷に入ることもできたろうに・・・でもこんな雪の中で何かやってるのだろうか・・・海も氷結してるし・・・。結論「夏にゆっくり来るべきだ」。しかしながら、春まだ遠い、フィンランドの冬を体感できたのは、貴重な体験だった。ちなみに買える直前、駅前のスーパーでいつもの買いだし。やっぱり食材は英国以外に限る。


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