ある日曜日。
 特にすることもなく、俺は居間でテレビを見ていた。
 キッチンからは、マルチの鼻歌が聞こえてくる。
 うららかな春の日差し。
 …いや、もう晩春と言った方がいいか。
 塀の上には、ひなたぼっこに興じるどっかの猫。
 スズメの鳴き声。
 
「ああ…。平和だなぁ…」
 
 俺はこの平和な、幸せな日常に、この上ない幸福感を感じていた。
 だが、俺のこんなささやかな幸せをぶち壊す、招かれざる客が現れた。
 
「ちょっと! その言い方は何?! まるでドラ○エのモンスターみたいじゃないの!」
「うるせえな。俺の幸せをぶち壊すような奴は、誰だろうとモンスターと同義なんだよ」
「…あかりでも?」
「あかりは俺の幸せを壊したりはしない。だからモンスターじゃねぇよ」
「あたしだって、別にあんたの幸せをぶち壊す気はないけど」
「その気がなくても粉々に打ち砕くだろ、お前は」
「きぃぃ、何ですってぇ?!」
「だいたいだな。いつの間に上がりこんだんだ? 勝手に人の家に入ってはいけません、って小学校で習わなかったのか?」
 
 …言うのが遅れたが、いつの間にか、志保が俺の前にいた。
 相変わらず、根拠のない自信に満ち溢れた顔をしている。
 
「だから、その言いぐさは何?! 根拠のない自信ですってぇ?!」
「人のモノローグを読むなよ。で、いつの間に上がりこんだんだ?」
「まったく…。あんたは一度礼儀作法ってものを勉強した方がいいわね…」
「…あの、浩之さん」
 
 ぶつぶつ言う志保の後ろから、マルチが顔を出した。
 
「おう、マルチ、どした? 昼食の支度、できたのか?」
「いえ…。私が志保さんをお招きしたんです」
「え? マルチが?」
「はい。この間のメンテナンスの帰り、偶然志保さんにお会いしまして。それで、
浩之さんに御用があるとお聞きしたものですから…」
「わざわざあんたに会いに来てあげたのよ。感謝しなさいよね!」
「そっか、マルチが呼んだのか」
「はい…。あの、浩之さんに言わないでくれ、と言われたものですから…。隠していて申し訳ありませんでした」
 
 ぺこんと頭を下げるマルチ。
 
「いや、いいよ、マルチ。マルチは悪くない。悪いのは志保だ」
「ちょっと、何であたしが悪いのよ?!」
 
 志保は俺の言葉を聞き、聞き捨てならぬと反論する。
 
「…あのな。今のマルチの言葉から言うと、いつの間にかお前が俺のそばにいた理由にはならないんだけどな」
「ぎくっ!」
「…こっそり忍び込んだんだな?」
「…や、やーね、忍び込むなんて人聞きの悪い。ちょっと…その…まあ、確かにチャイム押さずに入ったりはしたけどさ…」
「それを忍び込むって言うんだろうがぁ!」
 
 慌てて言い訳する志保に思わずつっこむ。
 
「ま、まあ、いいじゃない。あたしとあんたの仲でしょ?」
「いつ俺とお前がそんな仲になったんだよ…」
「あ、志保さん、これ何ですか?」
「えっ、それは、そのう…」
 
 志保の後ろにいたマルチが、後ろで組まれた志保の手の辺りを見て声を上げた。
 
「…志保。後ろに何持ってるんだ?」
「…や、やーね、何も持ってないわよ」
「マルチー。志保、何を持ってるんだー?」
「カメラですー、浩之さん」
「ちょ、ちょっとマルチ!」
 
 息の合った俺とマルチの連携プレイ。
 
「カメラぁ? …志保。おめー、今度は何企んでるんだ?」
「だ、だからぁ…。そんな人聞きの悪い言い方やめてって言ってるでしょ? 知らない人が聞いたら勘違いするじゃない」
「勘違いじゃなく、真実だと思うが…」
「なんですってぇ?!」
「…ごまかすな。今度は何の用なんだ?」
 
 俺はもう騙されない。
 前にも、こんなふうにいきなり志保が来て、酷い目…かどうかはわからないが、とにかくめんどくさい事があったのだ。(第一話参照)
 
「…べっつにぃー。ヒロの写真って、その筋に高く売れるのよねー」
 
 すっとぼけた顔でごまかそうとする志保。
 本来なら聞き流して本件を聞くべきなんだろうが…。
 
「ちょっと待てい。なんだ、その筋ってのは? 聞き捨てならんぞ、その言葉は!」
 
 志保の言葉は聞き流せなかった。
 それが志保の手だとは分かっていたんだが・・・。
 
「だから、その筋よ。ヒロの写真を欲しがるような筋。いやー、これが結構ボロい儲けになってさぁ」
 
 上手くごまかせたと思った志保がいつもの調子でしゃべり始める。
 
「あああ、浩之さんも志保さんも、落ち着いて下さいぃ…」
 
 そんな俺達の間でおろおろしているマルチ。
 
「だから、その筋ってのは何なんだ! 気になるじゃねーか!」
「あたしもねぇ。今はバリバリやってるけど、フリーになった直後は色々資金面で苦労してさぁ。いやー、結構儲けさせて貰ってるわよ、浩之」
 
 意味深にウィンクする。
 それを見た俺は、激しい目眩を覚えた。
 
「失礼ね! こんな美女のウィンクを受けて目眩するなんて!」
「ああ、浩之さん、大丈夫ですか?」
「…もういい。もういいんだ、マルチ…」
 
 どこかで聞いたような気がするなぁ、と自分で思うセリフを言いながら、俺は
 マルチに身体を支えてもらい、志保に向き直った。
 
「…で、本当の用事はなんだ? まさか俺の写真を撮りにわざわざ来たわけじゃないんだろ?」
「まぁね。あたしも忙しいし、もう資金面でも苦労してないしね」
 
 俺の疲れ切った表情を見て、志保も真面目に話し出した。
 だったらなんでカメラ隠してたんだ、と思ったが、それは口には出さなかった。
 
「ま、あんたには色々世話になったからね。いい物をあげようと思ってね」
「いい物? いや、物貰うより、まずは車返すぜ」
「車? ああ、いいのいいの。もう所有権もあんたに移ってるしね。今更返してもらったりしたら、また面倒な手続きがいるわ。そっちの方が迷惑よ」
「…そっか。じゃ、ありがたくもらっとく」
 
 志保の好意だ。
 俺は素直に受け取ることにした。
 
「で、今日の用件はこれ。はい、あげる」
 
  すっ。
 
 志保が差し出したのは、「エクストリーム全日本選手権本試合観戦チケット」だった。
 ちなみに、まともに買うと一枚六〜七千円くらいする。
 
「…志保。これって、もしかして…」
「そう。葵ちゃんが出てるやつよ。あんたも見たいでしょ?」
「そりゃ見たいけど…。でも、いいのか?」
「いいのよ。あたしはプレスの特等席で見られるから」
 
 志保はマルチを見た。
 
「とーぜん二枚あるからね。もちろん隣同士、さらにアリーナ席! どう、嬉しいでしょ?」
「わ、私も行っていいんですか? はいっ、嬉しいです!」
 
 本当に、心から嬉しそうに笑顔を浮かべるマルチ。
 …おのれ、志保。
 マルチを取り込むとは、卑怯者め。
 これで、俺は受け取らないわけにはいかなくなったではないか。
 
「さ、ヒロ。長岡志保さんの好意、ありがたく受け取ってよね」
 
 知ってか知らずか(いや、絶対に分かっててやったんだ)、笑顔を浮かべてチケットを差し出す。
 
「…ああ、ありがとよ」
 
 やむをえず、チケットを受け取る。
 
「じゃ、そういうことだから。大会があるのは来週の日曜よ。ちゃんと来るのよ、いい?」
 
 用件は済んだとばかり、そそくさと帰り支度を始める。
 
「あ、ああ。分かった、来週の日曜だな? 必ず行くよ、な、マルチ?」
「はいっ、楽しみです、浩之さん! 志保さん、ありがとうございます!」
 
 …マルチがこんなにも嬉しそうにしてるんだ。
 まあ、いいかな。
 
「じゃ、あたしはこれで。来週の日曜よ。忘れるんじゃないわよ!」
 
 志保はチケットを渡すと、さっさと帰っていった。
 
「うーん…。あいつ、ほんとに何しに来たんだろ。わざわざチケット渡すためだけに来たのか? まさかなぁ…」
 
 俺が頭をひねっていると。
 
「あ、そうでした、浩之さん。お昼ご飯の用意ができました」
 
 マルチがふと思い出したように言った。
 
「そっか。じゃ、とりあえずは昼食にするか」
「はい」
 
 俺はマルチと一緒にキッチンへと向かった。

「…うーん。志保のこと、何かひっかかるんだよなぁ。何か不自然な感じがしたんだけど…。何だったかなぁ…」