私は、緊張で震える手を電話に伸ばした。
 受話器を取り上げ、ダイヤルを回す。

ジーコロコロ。
ジーコロコロコロ。

 もう何度もかけた番号。
 メモ帳で番号を確認するまでもなく、正確にダイヤルできる。

ジーコロコロコロ。
ジーコロ。

 古めかしい黒電話。
 プッシュホンの方が便利なのは分かっているけど、誰も変えようとは言わない。
 誰も変えたいと思わない。
 みんな、この電話機が好きだから。
 この電話機をみんなで囲んでいた、あの頃の空気が大好きだから。

トゥルルルル……。
トゥルルルル……。

 電話が繋がり、受話器から発信音が流れる。
 私は受話器を抱えるようにして、向こうの人が出てくれるのを待つ。
 留守だったならまたかけ直せばいいだけのことだけど、できればいて欲しい。
 向こうに電話をするのは結構緊張するのだ。
 あと、希望としてはあの人が出てくれると嬉しい。
 あの人の声が聞きたい。
 話がしたい。
 たとえ望みがなくたって、好きなものは好きなんだから。
 ……本人達の前では絶対言えないけど。

トゥル…。

?「はい、高屋敷です」

 発信音が途切れた。
 聞き覚えのある声。
 前はちょっと怖かったけど、今は優しい声。
 あの人じゃなかったけど、でも青葉おねーさんはいてくれた。
 私は意気込んで口を開く。

末莉「あっ、ああああのっ、わ、私ッ………」

 慌てたせいで舌をかんでしまった。
 受話器の向こうから、呆れたような──実際呆れているんだと思う──溜息が聞こえる。

青葉「末莉。慌てなくていいから、ゆっくり話しなさい。ただでさえあなたはおっちょこ
ちょいな上に粗忽者なのだから」
末莉「ふぁい、わかりまひた……」

 久しぶりに聞く毒舌が嬉しい。
 前に電話したのは、確か一ヶ月と十日前。
 あの時も、結局何も言えなかった。
 今日こそはちゃんと話したい。

末莉「あ、あの。そちらの方はいかがですか?」
青葉「変わりないわ。静かな暮らしも悪くないものよ」
末莉「そ、そうですか……」

 ちょっと暗くなる。
 やっぱり、新婚さんは二人っきりの方がいいんだろうか。

青葉「そんな声を出すんじゃないの。あの頃の賑やかな暮らしだって、捨てたもんじゃな
いんだから」

 私が落ち込んだのを察して、青葉おねーさんが慰めてくれた。
 こんな風に優しい声をかけてくれることが、嬉しくてたまらない。

青葉「それで、どうなの? あなたの『真・家族計画』は」
末莉「は、はい、それがですね…」

 言おうとして、その都度口ごもってしまう。
 まだ上手く行ったわけじゃないし、それに、やっぱり新婚家庭に割り込んでしまうんじゃ
ないかという懸念がある。
 私は少し迷って、そして結局いつも通りの答えを口にした。

末莉「順調です。もうすぐ、五人揃ってそちらにお邪魔できると思いますっ」
青葉「…そう。まだなのね」

 短い言葉の中に、寂しげな響きがこもっている──というのは私の欲目だろうか。

末莉「私、頑張ります。だから、もう少し待ってて下さい」
青葉「ええ。期待してるわ、末莉」

 それからお互いの近況などを話して、受話器を置く。
 ガチャンと音をたてて電話が切れる。

末莉「………はあ」

 また、何も言えなかった。
 言わなきゃいけないことがあるのに。
 伝えなきゃいけないことがあるのに。

末莉「駄目だなあ、私……」

 少し暗くなりながら居間に戻る。

春花「ん、マツリ。電話終わった?」
末莉「あ、はい。終わったことは終わったんですけど……」

 お煎餅を食べながらテレビを見ていた春花おねーさんに、苦笑いで答えた。
 隣でコーヒーを飲んでいる準おねーさんも口を開く。

準「また言えなかった?」
末莉「そうなんです…」

 自分で言ってどよーんと落ち込む。

末莉「少しずつ先延ばしにしてるうちに、どんどん言い難くなってしまいまして」
真純「まあ、言い難いわよねえ。もう五人揃ってるなんて」

 真純おかーさんが台所から顔を出した。
 夕食の料理の下ごしらえをしていたみたいだ。
 そういえば、今日は時間があるからちょっと凝ったディナーにするって言ってた。
 わざわざディナーなんて言い方をするあたり、おかーさんの気合が感じられる。

春花「なんでずっと言わなかった?」
末莉「最初のうちは、こっちでの事情が片付いてから報告しようと思ってたんです。でも
それが上手くいかなくて、いつの間にか五人揃っちゃって…」
寛「言い出す機会がないまま、今日まできてしまったというわけか」

 寛おとーさんも帰ってきた。
 背広姿のまま、居間のちゃぶ台につく。
 みんなが座る位置はちゃんと決まってる。
 高屋敷家で暮らした時と同じ配置。
 おにーさんと青葉おねーさんが足りないけど、いつか必ず埋めてみせる。
 それが私の当面の目標。

末莉「そうなんです。こうして五人で暮らせるようになったのは、嬉しいんですけど…」

 そう。
 今の私達は、五人で家族計画を遂行している。
 あの悪夢のような火事を経て、それでもまたこうして集まれたのは、やっぱりみんな、
高屋敷での生活が楽しかったからなんだと思う。
 少なくとも私はそうだし、他の皆もそう見えるから。




 あの時、バラバラになってしまった高屋敷一家。
 その七人を、また一つ屋根の下に集めてみせる。
 そう決めた私は、引っ越していくおにーさんと青葉おねーさんを見送り、高屋敷家跡地
にとどまった。
 またホームレスに逆戻りすることになったけど、野宿には慣れてるし、それにもう前と
は違う。
 一人で無理して生きてた頃とは違う。
 家族がいる、家族を探しているという支えがあった。
 誰かを見つけるまでは一人で頑張るしかないけど、どんなに辛くても耐えられると思っ
た。
 耐える自信があった。
 でも、そんな心配は無用だった。




 私が高屋敷跡地にテントを張って二日目に、跡地の様子を見に来た寛おとーさんに会っ
た。
 寛おとーさんは真純おかーさんと一緒に住んでいるとのことで、私も一緒に住まわせて
もらえることになった。
 何でも、おかーさんはおとーさんの紹介した職場で真面目に働いていて、そのおかげで
ちゃんとしたマンションに住めるようになったとのこと。
 そしておとーさんも、新しい会社を作るために頑張っている。




 準おねーさんは、景さんと一緒の施設で働いている。
 大口の出資者が現れて資金面の心配はなくなったそうだけれど、人手と人材の不足が深
刻で、有能な準おねーさんは重宝されているそうだ。
 当初準おねーさんはすぐ辞めるつもりだったけど、景さんをはじめとする施設の人達が
懸命に引き止めた。
 経理を担当できる人をワザと入れなかったこともあって、辞めるに辞められなくなった
という。
 ずるいやり方だよねって言ってたけれど、私は知っている。
 その言葉が、本心ではないことを。
 そう言う時の準おねーさんが、少し照れた風に笑っていることを。
(付け加えると、最近準おねーさんはご飯を食べてくれるようになった。今はまだちょびっ
とだけど、少しずつ量が多くなっている。嬉しい)




 春花おねーさんは、おにーさんが働いていたお店で働いている。
 元々はお店の社員寮にいたけど、危険が無くなったことのお墨付きを店長にもらえたか
ら、と言って私達と一緒に暮らすことを了承してくれた。
 何のことかよくわからないけど、一緒に暮らせるのならそれでいい。




 こうして、意外なほどあっさりと五人揃ってしまった。
 でも、揃ったのはいいんだけど…。

真純「引っ越せないのよねー」

 私の言葉を引き継いで、おかーさんが言った。
 引っ越せない。
 それが、私がおにーさん達に現状を報告できない唯一にして最大の理由。
 おとーさんもおかーさんも準おねーさんも春花おねーさんも、みんな仕事がある。(つ
いでに私も学校がある)
 私の学校はともかく、仕事がある皆は、それを放り出すわけにはいかない。

寛「高屋敷の生活は良いものだったが、さすがにあの経済的不安定さまでは引き摺りたく
ないからな」
準「私も、ちょっと抜けられない」
春花「私もー」
末莉「…ですよね」

 どうしよう。
 この問題を何とかしないと、引っ越すどころの話じゃない。
 真・家族計画、存亡の危機。

末莉「うーん…」

 私がウンウン唸っていると、おとーさんが不意に口を開いた。

寛「末莉」
末莉「はい?」
寛「この写真を見たまえ」

 差し出された写真を見てみる。
 かつて七人で暮らしていた時に、おとーさんが撮った写真だった。

末莉「わあ、こんな写真があったんですか。いい写真ですね」
寛「気に入ったかね? いるなら焼き増ししてやろう」
末莉「はい、ありがとうございますー」

 ペコリと頭を下げた。
 思えば、私はあの頃の写真を一枚も持っていない。
 もっとたくさん撮っておけばよかったと、今更ながらに私は後悔した。

末莉「…それで、この写真がなにか?」
寛「うむ、ここに霊が映っていてな。US○ジャパンに送れば採用間違いなしだろう」

 おとーさんが指差したところには、確かにそう見えなくもない模様があった。
 でも私は違うと思う。
 おかーさん、準おねーさん、春花おねーさんも同じ意見っぽい。
 四人で「違うんじゃないですか?」「違うよね」「違うわよね」「違う」と話し合って
いると、おとーさんがシクシク泣き出した。

寛「寂しい…。やはり司がおらんとツッコミが決まらん…」
末莉「おにーさんはツッコミがお上手でしたからねー」
寛「よって自分でツッコんでおく。『心霊写真見せてどないすんねん!』」
準「私の知ってる司は、関西弁なんか使わなかった」
末莉「うあ、こーゆーときだけ的確なツッコミを…」
寛「と言うわけで、今度こそ本物だ。この写真を見たまえ」

 再びおとーさんが差し出した写真を見る。
 おにーさんと青葉おねーさんを、上空から写した写真だった。
 しかも二人はキスしていた。

末莉「わ、わ、わ。こ、こんな写真、どうしたんですか?」
寛「気象衛星ひまわり4号からの映像です」
準「ひまわり4号は、2000年に廃棄されたんじゃ……?」
寛「その通り。だから容易にハックできるのだ」

 なんだか微妙に犯罪の匂いがするけど、いつものことなので気にしない。

末莉「そ、それで、おとーさん。この写真が、イッタイ?」

 動揺して語尾がカタカナになってしまった。

寛「新婚アツアツのラブラブバカップル家庭に、我々が押しかけるのは図々しいとは思わ
ぬか?」
末莉「そ、それは…思います、けど。でも、二人が良いって…」
寛「まあ聞け、末莉。一方の我々も、当分引越しなど考えられぬ身の上だ。ならば、どこ
に同居せねばならん理由がある?」
末莉「え……」

 おとーさんが言いたいこと。
 それは、私が何度も考えてきたこと。
 そして、その度に打ち消してきたこと。
 だって。
 そうやって、割り切ってしまったから。
 家族計画は、終わってしまったのだから──。

寛「ぬ? 末莉よ、もしやお前は何か勘違いしているのではないか?」
末莉「……勘違い?」
寛「うむ。まあその勘違いの一因は、私にもあるのやもしれぬが…」

 おとーさんはそこで言葉を切った。
 責任を感じているみたいだった。
 だから、私は慌てて言った。
 あの時は仕方がなかった、もう済んだことだ、と。
 おとーさんは納得していなかったけど、話を続けた。

寛「お前の言う真・家族計画も、他人同士で家族を作ろう、というものであろう?」
末莉「はい、そうです」
寛「ならば、一緒に住まなくとも良いのではないか? 離れていても、家族になることは
出来ぬか?」
末莉「……それは、とても難しいことだと……思います」
寛「だが不可能ではないだろう。ではそうすべきだと私は思う」
末莉「………」

 話を聞いていた他の三人の顔を見る。
 みんな、おとーさんの意見に賛成していた。
 それは当然だろう。
 私もおとーさんに賛成だったから。

末莉「そう…ですね。それで頑張ってみます」
寛「うむ」
真純「そうよ、末莉ちゃん。一緒には住めなくても、いつだって遊びに行けるんだから」
春花「てんちょも会いたい言ってた。ツカサに会いに行くって言えば、休みくれる」
準「劉家輝店長もついてくだろうけど」

 みんなの言うとおり、いつでも会いに行ける。
 だから、頑張ってみようと思う。
 同じ家に住んでいるからって、家族になれるわけじゃない。
 それなら、同じ家に住んでいなくても、家族になれるかもしれない。
 私は、そう信じてる。

末莉「…あ」
真純「どうしたの?」
末莉「いえ。今度こそ、おにーさん達にちゃんと話さなきゃいけないなって。でも自信が
なくて…」
真純「うーん、そうかもしれないわね」
準「…なら、手紙」
末莉「手紙?」
準「口で上手く言えなくても、手紙なら上手く伝えられる…から」
末莉「…そうですね。私も、そう思います」

 準おねーさんのアドバイスに従って、私は手紙を書くことにした。
 最初はただ五人集まっていることを伝えるだけのつもりだったのに、いざ書き出してみ
ると、書きたいことが次々に浮かんでくる。
 話したいことがいっぱいある。
 それこそ、何から話せばいいのかわからないくらいに。
 でも。
 最後に書くコトは、もう決まっている。




 真・家族計画は、家族計画とは異なった形になりそうです。
 多分、みんなで一緒に暮らすことはできません。
 でも。
 私達が家族であることは、変わりません。
 そして、いつか、きっと。
 一つ屋根の下で、楽しく暮らしましょう──。