龍龍でのバイト中。
 ウェイターとして忙しく働いていると、ガーッと入り口が開く音が聞こえた。

司「いらっしゃ……」

 いらっしゃいませと言いながら振り向きかけて、俺は固まった。
 見慣れた顔が六つ、雁首揃えて並んでいたからだ。

寛「しゃ…しゃ…シャイニングウィズダム!」
司「しりとりじゃねえ! しかもマイナーだし! シャイニングったら普通ガンダムだろ!」

 まとめて突っ込んでおいた。

司「どうしたんだよ、みんなして」
末莉「いえ、こんな物が家に届いていたのですよ」

 末莉が差し出したものを見てみる。

『中華料理の店龍龍 特別ご招待券』

司「送り主は、やっぱあの人か?」
末莉「はい。招待して下さるなんて、本当に親切な人ですよね」
司「いや、絶対裏があると思う」

 何の気なしに裏返してみる。

『何名様でも可。百人乗っても大丈夫。ただし司くんは駄目。この券は六人用だから』

司「あの人はもしかして骨川家の血筋を引いてますか?」
末莉「は?」
司「いやなんでもない」

 改めて券を見返す。
 特別招待というだけあって、無料で食い飲み放題の待遇を受けられるらしい。
 うちの店はこの界隈でも高級な部類に入るため、こんな券をまともに買おうと思うなら、
五桁では足りないだろう。
 それだけのものをポーンと出すなんて、あのセコい劉さんにしては気前が良すぎる。

司「何かよからぬことを企んでいるんじゃないだろうな」
劉「君は何気に失礼な発言が多いよね、司くん」
司「どわっ! い、いたんですか店長」
劉「ノンノン、代理だっていつも言ってるだろう」

 いきなり現れた劉さんは、チッチッチと指を振って見せてから、「それにしてもどわっ!
だって。今時ギャグ漫画でも見受けられないレトロな驚き方だねえ。さすが司くん!」と、
なんだかよく分からない理由で俺を褒めた。

青葉「馬鹿にされてるのよ、あなたは」
司「お前らみんなエスパーか」
寛「一般的にはテレパス、精神感応と呼ばれる能力だな」
司「聞いてもいないのに勝手な解説を入れるな」
寛「精神官能と書くとなにやら倒錯した趣があると思わんか?」
司「字でしかわからないネタをかますな!」

 延々とほざき続ける既知外を無視して、俺は高屋敷ご一行五名様に向き直る。

司「で、夕食を食べにきたってところか?」
真純「そうなの。それに、司くんの仕事場も見られるし」
司「見たって別に面白いもんじゃないぞ」
青葉「客として、従業員である貴方をアゴで使うのは十分面白いわよ」
準「………ホスト以外で働いてる司が想像できなかったから」
司「だからわざわざ見に来たのか……お前もたいがいヒマだな、準……」

 俺は大きく溜息を吐いた。
 まったくどいつもこいつも、他人事だと思って。
 唯一俺を茶化さない春花にしても、

春花「食い放題……食い放題……うふ〜」

そんなことを呟きながらにへら〜と薄笑いを浮かべている。
 中華料理は春花のホームグラウンドだし、どれほど食うか予測もつかない。
 まあいくら損害が出ようとも、損するのは劉さんだ。
 春花にはたくさん食べてもらって、少しでも俺の恨みを晴らしてもらいたい。

司「よし、春花! 遠慮せずバクバク食うんだぞ!」
春花「あいー」
司「値段や在庫なんか気にしないで、ガツガツ食い漁るんだ!」
春花「ういー」
末莉「何気にヒドイ修飾語の連発です…」

 フロアを見回すと、いつの間にか劉さんの姿が消えている。
 まあいてもいなくても同じ、というかいると邪魔なのでいないのは有り難い。
 俺は恭しく頭を下げ、普通の客を相手にする時と同じ要領で一同を案内した。

司「こちらのお席へどうぞ」
寛「うむ、ご苦労。これはチップだ、取っておきなさい」
司「は、ありがとうございます」

 寛が差し出した紙幣を受け取る。
 こども銀行券だった。

司「これを何に使えと?」
寛「ズボンのポケットに入れておけば、トイレに入った時に『紙が無い! 神は消えた!』
などというダジャレを言わずに済むぞ」
司「もとから言わねえよ!」

 他の面々もテーブルについていく。
 みんなが着席したのを見計らって、青葉がゆったりと机上で腕を組み──仕草の一つ一
つがサマになっているのはさすがだ──、そして言った。

青葉「では、まず満漢全席をいただこうかしら」
司「いきなりかよ!」

 しょっぱなからぶちかまして下さった。
 ちなみにうちの満漢全席は一食百万円だ。
 以前劉さんに「一桁間違ってませんか」と確認したが、「一千万は高すぎると思うよ」
と言われ、そーゆー料理なんだと納得して引き下がったこともあるくらいだ。

司「まあいい、俺の懐は痛まないんだ。じゃ、今オーダーを入れてくる」

 テーブルから離れ調理場に入ったところで、劉さんの姿を見つけた。
 側には楓の姿もある。

劉「いいか楓。彼らがお前の恋敵だ」
楓「きょ、強敵揃いですね…」
劉「うむ、だが勝機はある。臆することはないぞ妹よ」
楓「はいっ! 私、頑張ります!」

 俺は聞かなかったことにして、調理場に満漢全席のオーダーを告げた。
 思わぬ大物料理のオーダーに料理人はみな一様に驚き、直ぐに調理にとりかかる。
 その後ホールの雑事をこなしていると、劉さんがニタニタしながらやってきた。

劉「司くん。楓、どうだった?」
司「は? どうとは?」
劉「またまたー。聞いてたんだろ? 楓の健気さにクラッとこない?」
司「あの、ああいうことは本人のいないところで話して欲しいんですが」
劉「強敵や宿敵は”とも”って呼ぶけど、恋敵は絶対に”とも”なんて呼ばないよね」
司「人の話をきけや」
劉「せっかく、楓を司くん専用にカスタマイズしたのに」
司「唐突に話を戻すな!」

 適当に劉さんをあしらっていると、少しずつ料理が上がってくる。
 調理が終わり次第料理を六番テーブルへ運んだ。

寛「なんじゃこの料理は! こんなもの、私の口には合わんぞ! 私の口に合うものを出
せ! うむ、おかわりだ、早くもってこい司!」
司「残飯なら裏のゴミ箱にいくらでもあるぞ」

 ちょこちょこ様子を見た感じでは、割と上手く行っているようだ。
 寛が馬鹿みたいに食器をチャンチャン鳴らしたり、真純がそれをとりおさえたり、青葉
が性格に似合わない華麗な作法で食べていたり、準が相変わらず水ばかり飲んでいたり、
春花が味も何も気にせず次から次へと口へ料理を放りこんで料理人を泣かせていたり、末
莉が箸を落として即座に飛んできたウェイターに替えの箸を差し出されて恐縮していたり
したが、概ね問題はないと言えるだろう。

劉「司くーん、ご指名だよー。六番テーブルのお客さんからー」

 あらかた料理を運び終えた頃、劉さんの脳天気な声が俺を呼んだ。
 言わずもがなだが、六番テーブルとは連中が陣取っているテーブルだ。

司「劉さん。ここって、一応中華料理店ですよね?」
劉「まあ、マフィア組織の中枢部に見えたら困るねえ」
司「だったらなんで指名制なんですか!」
劉「面白いから」

 しれっとそんなことを言い放つ。

司「さすが店長代理。責任の無い立場は気楽でいいですね」
劉「ちなみに店長は君だから」
司「嘘ッ?!」
劉「ホ・ン・ト☆」

 首を絞めた。

司「ただのバイトを店長にすんなよ!」
劉「あっはっは、いや大したことでもないじゃないか、はっはっは、ンッガッグッ!」
司「都合の悪いことは笑って誤魔化すのやめろ」
劉「ワターシ、ガイジンアルヨ。ジャパニーズ、アイキャントスピークネ」
司「そのエセ外人喋りは何のマネだ!」
劉「いや、そう言われても…ねえ?」

 わざとらしく目を逸らす。
 視線の先、六番テーブルには、いつの間にか楓が加わっていた。
 暫く姿を見ていなかったが、どこにいたのか。

司「何です?」
劉「龍龍の店長は劉司・楓夫妻だって、もう宣伝しちゃったんだよねえ。楓もすっかりそ
の気だし、式場の予約も済んでるし」
司「ちょっと待て、初耳だぞそんな話」
劉「だから今話してるじゃないか」
司「今頃話してどーすんだよ!」
劉「君以外みんな喜んでるんだよ。君さえ我慢すれば丸く収まる」
司「俺は本人だ!」

 俺は憤然と歩き出した。

劉「漸く楓の愛を受け入れてくれる気になったんだね。今日から僕等は兄弟だ!」
司「違いますッ!」

 劉さんに怒鳴り、六番テーブルに向かう。
 ふざけた婚約話を解消するためだ。
 だが、近づくにつれ、テーブルの様子がおかしいのに気付いた。
 楓がシクシク泣いており、他の六人が(寛でさえ)気の毒そうに見つめている。

司「よう、どうし……」

 そこまで言いかけて、俺は再び固まった。
 高屋敷家一同から、一斉に非難の視線を向けられたからだ。
 みな、俺に対する不信を隠そうともしない。

司「な、なんだよ。俺が何したってんだよ」

 重苦しい空気を打ち破り、漸くそれだけを言った。

 ずいっ。

末莉「見損ないました、おにーさん…」

 そんな言葉と共に、末莉が何かを突きつける。
 受け取って見てみて、目玉がガビョーンと飛び出した。
 俺と楓の婚姻届だった。
 両名の名前が記入されている上、押印まで完了している。
 これを役所に提出すれば、その瞬間から俺と楓は夫婦になってしまうだろう。

司「あ、あのな、末莉。俺がこんなもの、書くわけないだろう」
青葉「…こんなもの?」

 俺は末莉に対する弁解として言ったのだが、反応したのは青葉だった。
 つり目がちの目をさらにつり上げ、明らかな怒気を俺に叩きつける。

青葉「本気ではなく、遊びだったとでも言うの? そんな気持ちで楓を惑わせたと? 最
低。ロリペド以下。女の敵。もう二度とうちの敷居を跨がないでちょうだい」
司「お、おいおい、どうしたんだよ青葉。らしくないことを言うじゃないか」

 軽口を叩いてみても、青葉の表情は緩まない。
 それは他の五人も同じだ。

司「みんな、おかしいぞ。どうしてそんなにあっさり信じるんだよ。そんなわけないだろ。
何か変なモノでも…」

 その時、ハッと閃いた。
 突然の劉さんの招待状。
 俺だけ適用範囲外。
 暫く姿を見なかった楓。
 俺と楓の婚約話をあまりにも簡単に信じ込んだ六人。
 それらを総合すれば、出てくる答えは──

司「一服盛ったな…楓?」
楓「大丈夫です、体に害はありません。効果は一時的なものですから」
司「そういうことを言ってるんじゃない! 俺は……」

 楓に一言文句を言ってやろうとして、驚いた。
 楓は泣いていた。
 拳を握り締め、泣くのを必死に我慢しようとして──堪えきれずに零れた涙が、楓の胸
元を濡らしていた。

司「お、おい。何も泣くことは…」
楓「申し訳……ありません……。でも、私は……本当に、沢村様をお慕いしているのです…。
そのことだけは、お伝えしたかった……」
司「………」

 俺は言葉に詰まる。
 女心の機微など知らぬ俺に、何が言えようか。

司「…わかったよ。もういいから、今日みたいなことは二度としないでくれな」

 結局、それだけを言った。
 楓は俯いていたが、やがてコクンと小さく頷いた。








 この一件が元で──というわけでもないが、俺と楓は婚約した。
 店長の話が本当で、劉さんに「結婚してくれないと引っ込みがつかないんだよ〜」と泣
きつかれたこともあるし、純粋にこの人たちが好きだということもある。
 楓と付き合ってみて、思った以上にいい女だったということもある。
 劉さんの組織の一員になれば、高屋敷家の周りをうろつく連中をどうにかできると思っ
たこともある。
 でも、そんな理由なんかどうでもいい。
 婚約は俺が自分の意志で決めたことだし、結果俺は婚約前よりも幸せになることができ
た。
 それ以上何を望むことがあろうか。








劉「今だから言えるんだけどね」

 劉さんの下で本格的に働くようになって数年。
 戸籍上は俺の『義兄』となった劉さんが、真面目な顔で話し始めた。

司「なんです?」
劉「実は私はね。あの日、何故あの場所に春花くんがいたのかを知っていたんだ」
司「は?」
劉「それを利用して、君を取り込もうとしていたんだよ」
司「はあ」
劉「なんと愚かなことをと思うよ。そんなことをしたって、家族が作れるはずもないのに」
司「愚かも何も、さっぱりですけど」
劉「ごめん」

 頭を下げられた。

司「よくわからんので、いいです。劉さんには恩義もあるし」
劉「ありがとう」

 顔を上げた劉さんは、心底嬉しそうだった。
 ずっと気にかかっていた事なんだな、と何となく思った。

劉「よく出来た弟で、お兄ちゃんは嬉しいぞマイブラザー」
司「ひっつくな暑苦しい」

 でも、相変わらずうっとうしい人だった。