(注:本編スタート直後の話です)



 龍龍でのバイト中。
 ゴミを捨てに路地裏に出ると、そこに少女が行き倒れていた。

司「おい、生きてるか?」
少女「……う…」

 声をかけると目を開いたが、一言呟いただけですぐ気を失った。

少女「あいやー」
司「そのあまりにもベタすぎる中国人言葉はどうかと思う」

 厄介ごとの匂いがプンプンしたが、放っておくわけにもいかない。
 上司で同じ中国人である劉家輝店長を呼んだ。

司「劉さん。中国人の女の子が行き倒れになってるんですが、どうしましょう?」
劉「ふむん」

 劉さんは顎に手を当てて何事か考え始めた。
 いかに破天荒な人と言えども、真面目に対応すべき時は心得ているようだ。
 さすが店長代理という役職に就いているだけのことはある。

劉「この子を龍龍に入れて、特殊高級浴場ルームを新設するって言うのはどうかな?」
司「誰がそんなことを聞いた」

 劉さんを張り倒した。

司「仕方ない。今夜のところは俺の家に泊めておきます」
劉「おや、珍しいね」
司「……放置しといて何かあったら寝覚めが悪いからですよ」

 劉さんに手伝ってもらって、少女を背負った。
 さして重そうには見えなかったが、思った以上に軽かった。
 体に無駄な脂肪が無いというのもあるだろうが、栄養失調による衰弱があるのも間違い
ない。

劉「司くん司くん」
司「なんです?」
劉「これ、忘れ物だよ」

 呼ばれて振り向くと、鞄を差し出された。
 女の子の側に落ちていた鞄だ。

司「この子のでしょうか?」
劉「だろうね。一緒に持っていった方がいいと思うよ」
司「そうします」

 鞄を受け取る。

司「じゃ、すいませんけど劉さん。今日はこれで早退させて下さい」
劉「いいよ。明日も遅刻しないでね」
司「はい。それじゃまた明日」
劉「女日照りが長いからって、一晩中やってちゃ駄目だよ」
司「さっさと仕事に戻りやがれ煩悩大魔王」

 からからと笑う劉さんに背を向けて、俺は家路を辿った。








 部屋に戻った俺はまず布団を敷き、背負ってきた女の子を寝かせた。
 濡らしたタオルで顔を拭ってやるが、目を覚ます気配は無い。

司「まあ、そうだよな」

 あんな路地裏でぶっ倒れるまで無理してたんだ。
 そうとう衰弱しているのだろう。
 睡眠が一番の良薬だ。
 よく眠っているようだし、無理に起こすこともない。

司「…さてと」

 路地裏から持ってきた鞄に目を向けた。
 これがこの少女の持ち物だとして、何か身元がわかるものがあるかもしれない。

司「悪い、見せてもらうな」

 小さく声をかけて、俺は鞄を開けた。

司「…なんだこりゃ?」

 鞄には、少しの札束と、たくさんのビンが入っていただけだった。
 どのビンにも、カプセル剤のようなものがギッシリ詰まっている。

司「ビタミン剤か?」

 何気なくビンを開け、二錠ほど口に放り込んだ。
 もう一度鞄の中を見回すが、やはり他の物は入っていない。

司「身元に繋がるものはないな」

 ビンを戻し、鞄を閉じた。
 仕方ない。
 明日少女が目覚めたら、詳しいことを聞いてみよう。

司「…ふあ」

 なんだか疲れた。
 俺も寝よう。
 予備の枕を取り出して、部屋の隅に転がった。

司「………」

 実は、俺の特技は眠ることだ。
 寝ようと思ってから眠りにつくまでの平均所要時間は0.91秒。
 昼寝学の世界的権威・野比○び太をも0.02秒上回る世界記録保持者なのだ。
 ほら、そんなことを考えているうちにもたちまち眠りに落ちて……。 

司「………」

 落ちて……。

司「………」

 落ち……。

司「うう……」

 おかしい。
 眠れない。
 むしろ体が熱くなってきたような気がする。

司「ぐう……」

 くそ、どうしたんだ今日は。
 仕方ない。
 ここは基本に戻って、ジャンピングシープを数えることにしよう。

司「…羊が一匹…羊が二匹…」

 だめだ、効果が無い。
 眠れるどころか、余計に体が熱くなってくる。

司「…羊が十二匹…羊が十三匹…」

 気のせいか、ほのかに甘い匂いがしてきた。
 何の匂いだ? これ…。

司「…ひ…羊が二十四匹…羊が二十五匹…」


 ガッデム!
 勃っちまったい!

司「う……」

 ま、まさか…。

司「あう……」

 まさか俺は、羊に欲情してしまったと言うのか?!

司「ぐう……」

 絶望的な気持ちで股間を見ると、信じられないくらい大きくなっていた。
 処女が初めて男のモノを見た時に「やだ……信じられない……こんなに大きいの?」と
言う気持ちがよく分かった。

司「駄目だ! 何を考えているんだ俺は!」

 ホントに何を考えているんだ俺は。

司「……くそっ」

 どうにもならなくて、飛び起きて便所に飛び込んだ。
 ズボンから出した瞬間、出た。

司「うう……」

 気持ち良さのあまり、涙が出た。
 しかし逸物は勃起したままだった。

司「ううううう……」

 泣きながら、暫く逸物をしごき続けた。

司「……シクシクシクシク……」

 十分以上しごき続けて、漸くおさまった。

司「……われ泣きぬれて 蟹とたはむる……」

 情けなさのあまり、自分でも何を言っているのか良く分からない俺だった。

司「………しかし、おかしい」

 便所から出た俺は、うーんと腕を組んで考えた。
 いくらここ三年ほど女を断っているとはいえ、これは異常だ。
 何か変な薬でも飲まない限り…。

司「そうか。あれ、薬か」

 そこまで考えて、さっき飲んだカプセル剤を思い出す。

司「あんな薬を持っているなんて、どういうやつなんだ。明日きっちり聞かないとな」

 横になろうとして、ふと思いついて秘蔵の写真集を一冊取り出して眺めた。
 ちゃんと興奮した。

司「良かった…俺はまともだ…」

 安堵できたおかげか、今度は0.91秒でちゃんと眠りにつけた。








 翌朝。
 妙にすっきりとした目覚めを迎えた俺は、布団で寝ている少女に目を向けた。

少女「……ZZZ…」

 まだ眠っていた。

司「ま、朝飯作ったら起こせばいいか」

 台所に立ち、二人分の朝食を作る。
 朝から中華というのは少し重いが、それくらいは我慢してもらいたい。
 しかし、そこまでは良かったのだが。

司「☆$◆◎♯?」
少女「□%♪★!」

 意志の疎通が困難だった。
 忘れていたが、少女は中国人なのだ。
 しかも日本語が話せない。
 一方の俺も、日本語と最低ランクの英語が理解できるだけのエセバイリンガル。
 マトモに話が通じるはずがない。

少女「春花」
司「ちゅんふぁ? それがお前の名前か?」
春花「(こくこく)」

 どうにか名前はわかったが、それ以上何もわからない。
 身元や薬のことを聞きたくとも、聞きようがないのだ。

司「……待てよ」

 よく考えれば、身近にいるじゃないか。
 性格面で大いに問題があるとはいえ、少なくとも日本語と中国語に堪能であることだけ
は間違いない人が。

司「よし、春花。行くぞ」
春花「?」

 よく理解していないらしい──言葉が通じないのだから当たり前だが──春花の手を引
いて、俺は龍龍に向かった。








司「そーゆーわけで、春花を連れてきたんですけど」
劉「…なるほどね」

 黙って俺の話を聞いていた劉さんは、そこでちらりと春花を見やった。

春花「っ!?」

 ピクリと怯える。
 それも無理はない。
 劉さんは切れ長の目を吊り上げ、ゾッとするような冷たい光を見せていたからだ。

司「…劉さん?」
劉「ん? なんだい?」

 振り向いた劉さんは、いつもの劉さんだった。

司「…あ、いえ。なんでもありません」
劉「そう」

 短く答えると、春花に向かって中国語で話し掛けた。

劉「────?」
春花「────」

 中国語がわからない俺には当然理解できない。
 ツカサという単語が出てきた時に、ああ俺の話をしているんだな、と思うくらいだ。
 しばらく黙って待っていると、劉さんが俺を見た。

劉「そういうわけで、司くん」
司「はい?」
劉「これからもよろしくね」
司「は?」

 何が『そういうわけ』なんだ?
 話についていけない俺を他所に、春花は俺の腕を抱いてにこにこしている。

司「ちょ、ちょっと待って下さいよ。何で俺が面倒みるんですか。同じ中国人同士、劉さ
んの方が適任でしょう」
劉「おや、私に任せちゃっていいのかい? そうすると、私は昨日言ったことを実行する
よ?」
司「ぐっ……」

 俺にじゃれついている春花を見る。

春花「ん?」

 邪気のない微笑み。
 真っ直ぐで純粋な瞳。
 こんな少女を劉さんのどす黒い欲望の餌食にしてしまうのは、さすがに気が引ける。

司「…わかりました。春花は俺が面倒みますよ」
劉「その方がお互いのためだね」
司「でも!」

 俺は劉さんの前に鞄を突き出した。
 春花の持っていた、怪しげな薬の入った鞄だ。

司「これは劉さんが処分して下さい。こんな怪しい薬、俺はいりません」
劉「ふむ。……この薬は、あれか。となると……」
司「劉さん?」
劉「ああ、いや。まあいいだろう、これは私がどうにかするよ」

 鞄が劉さんの手に移る。
 たったこれだけでも、だいぶ肩が軽くなった気がした。

司「助かります。危険な匂いのする薬でしたから」
劉「私としても嬉しいよ。これはなかなか有用そうな一品だからね」
司「…くれぐれも悪いことには使わないように」

 一応釘をさしておくが、多分大丈夫だろう。
 劉さんはこれでも、そういった方面では割とキッチリしている人だから。

司「じゃ、一旦帰ります。遅番の時間になったらまた来ますね」
劉「休んでもいいよ?」
司「休むほどのことはないですよ。さ、春花、帰るぞ」

 帰るぞ、と言ったところで春花は理解できないのだが、手を引いてやるとすんなり俺に
ついてきた。
 今更ながらに、こいつに信頼されていることを実感する。

春花「ほ?」
司「いやなんでもない」

 劉さんに何を言われたのか知らないが。
 無垢な信頼が、少し重かった。








 アパートまで戻った俺は、自室の鍵を取り出した。
 春花にも複製してやった方が良いだろうな──そんなことを思いながら鍵を回す。

司「?」

 鍵はかかっていなかった。
 出る時にかけ忘れたか。
 それ以上不審にも思わずドアを開く。

男「おう、遅かったなマイサン。そろそろランチの時間だぞ」

 見知らぬ男がテレビを見ていた。
 年齢四十〜五十前後、白いYシャツに紺のスラックスを穿き、銀縁めがねをかけている。
 いかにも『日本のお父さん』といった風体だが、俺の知己にこんな人間はいない。

司「………」

 外に出て表札を確認する。

『沢村司』

 確かに俺の部屋だ。

司「誰だあんた」
男「カッ! 人に名を尋ねるときはまず自分から名乗るものだと教わらなかったのかこの
青二才めが!」

 男が一喝した。
 あんたに言われる筋合いはないと怒鳴りたかったが、さっさと男を追い出したいので名
乗ってやることにする。

司「俺は沢村司、この部屋の住人だ。で、あんたは?」
男「私は広田寛、この部屋の住人だ」
司「ウソつけっ! 俺はあんたを住まわせてやった覚えは無い!」
寛「当然だ。私がこの部屋の住人となったのはつい二時間前のことであるからな」
司「不法侵入と言うんだそれは!」
寛「私は自宅に帰宅しただけだが?」
司「ここは俺の家で、あんたの家じゃない!」
寛「ならばたった今からここは僕と君のスウィートホーム」
司「冗談じゃない! 今すぐ出てけ!」
寛「だがその娘は住ませてやるのだろう?」

 男──寛は俺の傍らを指差した。
 そこには春花がいる。
 俺と寛のやり取りなどどこ吹く風で、にへら〜っとしていた。

寛「その娘は良くて、何故私はいかんのだ?」
司「そ、それは……、春花は劉さんに頼まれたから……」
寛「まあ聞け、司」

 寛は眼鏡をクイと押し上げ、どっかと腰をおろした。
 やむなく俺と春花も上がり、寛に向かい合って座る。

寛「私の見たところ、その娘は危険だぞ。およそまともな出自の者ではあるまい」
司「……それは、俺も感じてる。けど、その辺は追々劉さんと相談して……って、だから
そんなことお前に関係ないだろう!」
寛「結論を急ぐな。中国からの密入国者となれば、ほぼ間違いなくマフィア絡みだろう。
もしそういった連中がここを襲ってきたとしたら、お前はその娘を守れるのか?」
司「そ、それは……」

 俺は言葉に詰まった。
 確かに寛の言う通りだ。
 春花は厄介ごとの種火で、武装した連中が襲撃してこないとも限らない。
 何も言えない俺を見て、寛はニヤリと笑う。

寛「案ずるな司。私がいれば、見事春花を守り抜いてみせよう!」
司「あんたが? とても強そうには見えないが」

 体つきは貧弱だし、特に機敏な動きが出来るようにも見えない。
 包丁を持たせたところで、コンビニ強盗すら出来ないだろう。

寛「侮るなよマイサン。これでも若い頃はフランス外人部隊『レジョン』の精鋭だったの
だ!」
司「あーそうかい」

 寛の戯言は聞き流すとしても、誰かが一緒にいた方が良いというのは正しいかもしれな
い。
 撃退するのは無理でも、いないよりはマシだろう。

司「わかった、いいだろう。とりあえずお前も一緒に置いてやるよ」
寛「賢明な判断だ、マイ同志」
司「何がマイ同志か」

 その辺も含めて、今夜じっくり劉さんに相談しよう。
 春花の面倒を見るよう言ったのは劉さんだし、それなりの手を考えてくれると思う。
 本当は劉さんに保護してもらうのが一番安全なんだけどな。
 春花を側に置きたくないみたいだし、俺がどうにかするしかない。

司「………はあ」

 俺は重い溜息を吐いた。








 バイトの時間になったので、龍龍の門をくぐった。

司「ちわーす」

 制服に着替えて店舗に入る。
 劉さんの姿は無い。
 休んでいるらしい。
 
司「昼来た時はいたんだけどな…」

 そんなことを呟きながら仕事をしていると、誰かに声をかけられた。

女「こんにちは」

 会ったことの無い女の人だ。
 龍龍のマネージャー服を着ている。
 新しく着任した上司だろうか。

司「あ、はい、はじめまして。沢村司です」
女「劉楓です。よろしくお願いしますね」

 そう言ってにっこり笑った。
 笑顔の綺麗な人だと思った。

司「あ、劉って…もしかして?」
楓「はい。劉家輝の妹です。今日からしばらく、兄の代理を務めさせていただきます」

 楓が語ったところによると、劉さんは所用で当分出社できないという。
 その間店を閉めるわけにもいかないので、無償でこき使える妹を代役に立てたというこ
とらしい。
 ちなみに楓は無償ということにひどく立腹であるようだった。

司「そうですか…」

 春花のこと、劉さんに相談したかったんだが。
 いないんじゃ仕方ない。
 寛もいることだし、そう急ぐ必要はないだろう。
 今度会った時に相談しよう。

楓「ところで、沢村さん。私のこと、兄から何か聞いていませんか?」
司「劉さんから? いえ、特には。妹がいるって今日初めて知ったくらいですから」
楓「そうですか……」

 俺が答えると、楓はやけにガッカリしたように見えた。

司「あの、それが何か?」
楓「いえ、良いんです。それじゃ、仕事お願いしますね」

 矢継ぎ早に仕事を指示された。
 劉さんと同じく、仕事に手は抜かない人のようだ。

司「はい、わかりました」

 手早く片付けないと、開店に間に合わない。
 俺は早速仕事に取り掛かった。








 こうして、俺の奇妙な生活が始まった。

司「ただいま」
春花「おかーり、ツカサ!」
寛「うむ」

 家には俺の帰りを待つ同居人が二人。
 春花はニコニコ笑っていて、寛はどこかから拾ってきた古新聞を読んでいる。

春花「ツカサ、日本語日本語!」
司「ああ、ちょっと待ってろ」

 俺は春花に日本語を教えていた。
 本人が覚えたいと言うし、俺としても日本語を覚えてもらった方が助かる。

寛「司よ、夕食はまだか」
司「食費くらい入れろ無駄飯喰らい」

 寛は俺との約束を守り、いつも春花と一緒にいるらしい。
 一応安心できるが、こいつはサラリーマンじゃないのだろうか。

司「あんた、働いてないのかよ」
寛「働いているとも」
司「ずっと家にいるじゃないか」
寛「家族を守ることが父の仕事だ」
司「……誰が家族だ」
寛「ライオンの父も、家族を守るかわりに妻子に養ってもらっているのだぞ」
司「家族なんかじゃない」

 そう、家族なんかじゃない。
 春花も寛も、一時的に匿ってやっているだけだ。
 時期がきたら二人とも出て行く。
 なし崩しに共同生活をしているだけだ。

司「家族なんかじゃない」

 俺はもう一度繰り返した。

寛「…そうか」

 それ以上寛は何も言わなかった。
 沈黙も寛の話術の一つのようで嫌だった。








司「おはようございまーす」
楓「おはようございます、沢村さん」

 龍龍のバイトに、見慣れたにやけ顔はない。
 店長代理の代理がすっかり板についた楓が、現在の俺の上役だ。
 真面目だし理性的だし勤勉だし、劉さんよりよっぽど有能な人だ。

司「楓さんの方が上司なんですから、敬語使わなくて良いって言ってるじゃないですか」
楓「ですけど、日本では、妻は夫に尽くすものでしょう?」
司「は?」
楓「あ、いえ、何でもありません。じゃあ仕事お願いしますね」
司「はい」

 ただ、時々意味不明なことを言うのはどうにかして欲しいが。








 そんなある日、寛から嫌な話を聞いた。

司「襲撃があった?」
寛「うむ」

 俺の留守中に、三人組の賊がやってきたと言う。

司「お前が追い払ったのか?」
寛「せいぜいがチンピラ上がりの連中だ。私の敵ではない」

 春花を見る。

春花「あはー」

 だらけていた。

司「まあ、春花に危険がなかったのならそれで良い」
寛「いやに気を遣うな。もしや春花にホの字なのか?」
司「違う!」

 古い言い回しだった。

司「まあ良い。今後ともこの調子で頼む」
寛「泥舟に乗った気でいるが良い」

 突っ込むのも面倒だった。








 数日後、住んでいたアパートが倒壊した。

司「おおおおおおおおおお?!」

 前夜家を出た時は何ともなかったのに。
 翌朝帰宅してみたら、ダンプが突っ込んでいた。

寛「司よ。春花護衛というクエストはこなしたぞ」

 寛がどっかから湧いてきた。

春花「ツカサ〜」

 春花が寛に手を引かれてやってきた。

寛「男女差別はいかんぞ!」
司「俺のモノローグを読むな」

 それに男女差別じゃなく、常人と既知外の区別だ。

司「しかし、これはどういうことだ?」
寛「あれは草木も眠る丑三つ時のことであった。趣味の心霊写真撮影を行っていた私は、
我が家へと向かってくる怪しげなダンプを念写したのだ」
司「お前の趣味なんかどうでもいいが、それで?」
寛「さらに念写すると、ダンプには五人の賊が乗っていることがわかった。私という脅威
の存在に気付いた連中は、ダンプで突っ込むことでこちらを混乱させようと考えたのだ」
司「要するに、お前が変に撃退しちまったから、相手のやり口も激しくなったということ
か?」
寛「あの場合仕方あるまい。春花を連中から守れと言ったのは司だろう」
司「それはそうだが…」

 寛と言い合っていると、大家がやってきた。

大家「ちょっとよろしいですか、沢村さん」

 完璧に俺が悪いと思っている目だった。

司「………」

 目眩がした。








劉「で、家なき子になっちゃったの? 司くん」
司「いや、そういうわけじゃないんですけど…。ある意味家なき子の方がマシというか…」

 その日の夜。
 遅番の仕事に出てきた俺が、眠い目を擦りながら働いていると。
 「やあ!」と声をかけてくる人がいた。
 劉さんだった。
 所用とやらのカタがついたので、龍龍の仕事に戻るそうだ。

劉「じゃあ家はあるの?」
司「まあ一応は。不法滞在なんですけどね」

 早朝から一日歩き回った俺達は、一軒の古い廃屋を見つけた。
 人も住んでいないようだし、一夜の宿を借りることにしたのだ。

劉「不法滞在と言えば、例の女の子はどうしてる?」
司「別に。何が楽しいのか知らないけど、いつものほほんと笑ってますよ」
劉「ふむ。彼女にとっては、日本にいるというだけで大きな喜びなんだろうけどね」

 劉さんは思案顔になった。
 俺は仕事をしながらフロアを見回してみたが、楓はもうお役ご免になったようだった。

劉「まあいいか。そっちは君に任せるよ」
司「そっち?」
劉「今に分かるよ。さー、労働労働!」

 それは、全くいつも通りの劉さんだった。








 翌朝帰宅した俺は、また驚いた。
 『家族』が一人増えていたのだ。

末莉「あ、は、はじめまして。河原末莉です」

 末莉もまた、俺たちと同じ家なき子の身の上らしい。
 昨夜俺が出た後、高屋敷家を廃屋と勘違いした末莉が入ってきた(正確には勘違いでは
ないのだが)。
 寛と春花が話を聞き、境遇を哀れんでこの家に一緒に住むことにしたのだと言う。

司「馬鹿馬鹿しい。傷を舐めあってるだけじゃないか」
末莉「うあっ、すいません」
司「お前に怒ったわけじゃない」

 ジロリと春花達を睨む。

春花「はぐはぐ」
寛「ぷっぷくぷー」

 春花は朝飯を食うのに夢中で、寛はシャボン玉で遊んでいた。

司「んなもん買う金あるなら食費にしろよ」
寛「石鹸から作った自家製だ」
司「他にすることないのかよ…」

 大きく嘆息する。
 こいつにまともに付き合っても、神経をすり減らすだけだ。

末莉「あ、あの…」

 末莉がおずおずと声をかけてきた。
 俺は面倒くさくなって、投げやりに答えた。

司「ああ、いいよもう。何言っても無駄っぽいからな」
末莉「す、すみません。お世話になります…」
寛「順調にファミリーが増えていってるな」
司「増やしたくて増えてるんじゃない」
寛「ちゃぶ台を囲めるくらいになれば、もう立派な高屋敷一家だ!」
司「悪夢だ…」

 何だか嫌な予感がした。








 予感は的中した。
 その後も『家族』は増え続けた。
 他人に依存しないと生きていけない真純。
 金にのみ拘り、他人に心を開かない準。
 高屋敷家の持ち主であり、他人を完全に拒絶する青葉。
 この三人が加わり、寛による『家族計画』の発動があったため、高屋敷家は七人家族と
いうことになった。


 他人同士の家族ゴッコなんて、上手くいくはずがない。
 俺はそう思っていたし、どうして参加してしまったのか後悔することも多かった。
 実際に家族計画瓦解の危機が幾度も起こったからだ。
 しかし、それでも家族計画は続いていった。
 一番心配だったのが春花の抱えていたトラブルだが、アパート倒壊の一件以来、何の事
件もなかった。
 街角で春花がからまれることもなかったし、高屋敷家まで賊が押し寄せてくるというこ
ともなかった。
 その頃から急に劉さんの経営する系列会社が勢いを伸ばし始め、龍龍も支店をあちこち
に出すようになった。
 俺は劉さんの勧めに従い、正社員となって働くことにした。




 家族計画の問題はまだ山積みに残っている。
 解決すべきことはたくさんあるし、家族間でのいざこざも多い。
 それでも。
 それらは全て内部的な問題であり、外部からの圧力はなかったため。
 総じて、高屋敷家はいつまでも平和だった。







 そして、俺は思う。

寛「どうだ、司。家族とはいいものだろう?」

 俺は──。

司「ああ。家族って、いいもんだな」