いつの頃だっただろう。

 自分が、両親に好かれていないと気付いたのは。

 遠足の日にお弁当を作ってくれなかったとき?

 年に一度の授業参観に来てくれなかったとき?

 転んで膝をすりむいても、絆創膏一つ貼ってくれなかったとき?

 多分、全部正しい。

 正確に言うなら、私は、物心ついたときから──もしかするとその前の段階の頃から、

薄々感じていた。

 私は、おとうさんとおかあさんに。

 望まれている存在じゃ、ないのかもしれない、と。

 一つ一つの小さな──でも私の心を確実に押し潰す出来事は、起こる度に私の考えを補

強してくれた。

 やっぱり、私は好かれていないんだ。

 私はいらない子供なんだ。

 だから、おとうさんもおかあさんも。

 私のためになんか、何もしてくれないんだ────。

 

 

 

 

 

 

 たまには家を出て、近所の公園で遊んだ。

 でも、おかあさんが一緒に来てくれることはほとんどなかった。

 一人で家から出ることを止められたこともなかった。

 交通事故に遭ったり、迷子になってしまうかも知れなかったのに。

 なのに私は、小学校に入る前から、自由に外出することができた。

 公園には、私と同年代の子供達がいた。

 彼らは私を快く受け入れ、仲間の輪に加えてくれた。

 皆と一緒に遊ぶことで、私は初めて「楽しい」という感覚を知った。

 楽しく遊ぶことができたおかげで、私はどうにか、歪な精神成長を免れることができた。

 あの時の友達には、本当に感謝している。

 でも。

 遊んでいる時は楽しかったけど、その後は嫌だった。

 日が落ちて辺りが陰ってくると、皆のおかあさんがやってくる。

 遅くまで遊んでいる我が子を心配して、迎えにやってくる。

 呼ばれた子の方も、喜んで駆け寄って。

 そうして、親子で手を繋いで帰っていく。

 その後姿が、私は。

 羨ましくて、妬ましくて、たまらなかった。

 私は何も悪いことなんかしていないのに。

 皆と同じことをして欲しいだけなのに。

 自分を呼びに来てくれるおかあさんは、皆にはちゃんといるのに。

 どうして、私には。

 どうして、私にだけは。

 それが、ないんだろう────。

 

 

 

 

 

 

 私は頑張った。

 たとえ、おとうさんとおかあさんが、私のことを好きじゃなくても。

 私のことを嫌いであっても。

 私は、おとうさんとおかあさんを、好きでいようと。

 二人を嫌いにならないようにしようと。

 二人に、少しでも私を好きになってもらおうと。

 そのために、自分に出来ることを精一杯やろうと思った。

 その頃の私にとって、自分一人で頑張れそうなことと言えば、学校の勉強くらいしかな

かった。

 だから私は勉強をした。

 いっぱい勉強して良い成績を取れば、褒めてもらえるかもしれない。

 私は、二人が誇れる子供になれるかもしれない。

 そうしたら。

 もしかしたら、私を好きになってくれるかもしれない。

 私は毎日机に向かった──もっとも、それは部屋の隅っこにある段ボール箱だったけれ

ど。

 公園にも行かなくなり、学校でも遊んだりしなくなった。

 ただひたすら、勉強のことだけを考えて一日を過ごした。

 ふと気が付けば、友達がいなくなっていた────。

 

 

 

 

 

 

 私は泣かなかった。

 泣き喚く煩い子供になってしまったら、きっと、今以上に嫌われてしまう。

 そう思ったから、いつもじっと我慢していた。

 いつか、おとうさんとおかあさんが、私を好きになってくれるかもしれない。

 そんな、来るのかどうかすら分からない遠い日を信じて、私は生きていた。

 成績が良くなっても私の問題は一向に良くならなかったけれど、でもこれ以上悪くなる

ことはないと思っていた。

 今がどん底なのだから、あとは上に上がっていくだけだと思っていた。

 その意味では、私はまだ多少なりとも気楽な生活を送れていた。

 でも、それは大きな間違いだった────。

 

 

 

 

 

 

 離婚する。

 あの日、夜遅く帰ってきた両親は、私を顔を見るなりそう言った。

 言葉の意味がよくわからなかった。

 「離婚」という単語の意味は知っていたけれど、それが私の両親に何の関係があるのか、

本当に分からなかった。

 私は呆然と立ち竦んでいた。

 でも二人はそんな私のことになど構わず、離婚届にサインをして、捺印し、さっさと部

屋を出て行った。

 私を残したまま。

 はっとして、咄嗟に窓に取り付くと、おとうさんとおかあさんが、別々の道を、別々の

方向へ歩いて行くのが見えた。

 あの光景は、今でもはっきりと思い出すことが出来る。

 全身がぶるぶると震えて、寒気がして、眩暈がして、脂汗が噴き出してきて。

 体が火照るように熱くて、凍りついたように寒くて。

 悲しくて、辛くて、寂しくて、悔しくて。

 それは「絶望」という名の予感だった。

 このまま二人を行かせてしまったら。

 きっと、私はもう二度と、あの人たちの子供になることはできない。

 そう思ったとき、私は自分が泣いていることを知った。

 今までずっと我慢していたのに。

 どんなに泣きたくなっても、無理矢理飲み込んできたのに。

 でも、二人に帰ってきて欲しかったから。

 私のことを嫌いでもいいから、せめて側にいて欲しかったから。

 だから。

 私は泣きながら、帰ってきてくれるように叫んだ。

 おとうさんとおかあさんは驚き、一度こちらを振り返ったけれど。

 やがて踵を返し、そのままどこかへ歩いていって。

 そのまま、二度と帰っては来なかった────。

 

 

 

 

 

 

 保護者を失った私は、遠縁の親戚に引き取られることになった。

 私の家の近くに住んでいて、学校を変える必要が無いから──というのが、私がその人

のところに引き取られた理由だった。

 逆に言えば、それ以外の理由は無かった。

 親を失くした哀れな子供を引き取ってやろう、などという憐憫の情のひとかけらさえ、

そこには無かった。

 引き取られた先の家で、私は理由に相応しい扱いを受けた。

 私はそれまで、この世で最も酷い待遇は「無視」だと思っていたけれど、それは違うと

いうことを知った。

 悪意を持って接される事に比べれば、無視の方がまだ良かった。

 無視されるのは慣れていたけれど、悪意には耐える自信がなかった。

 でも、自信が無くても、私はこの家にいるしかなかった。

 私は大人しく、ひっそりと目立たないようにして、家の奥の一室に閉じこもっていた。

 それからしばらく経って、私に一通の知らせが届いた。

 おとうさんとおかあさんの訃報だった。

 読んだ瞬間、全ての色と音が消えた。

 無声映画に入り込んでしまったみたいに。

 白黒の世界の中、私はとうとう本当に一人ぼっちになってしまったのだと、奇妙なくら

い冷静に考えていた。

 やがて少しずつ世界が戻ってきて。

 それに合わせて、自分のことが少しずつわかってきた。

 どうやら、私は心のどこかで、まだ微かな期待を抱いていたらしい。

 いつか、おとうさんとおかあさんが、私を迎えに来てくれると。

 家族三人で仲良く暮らせるようになると。

 そう信じていたらしい。

 その希望だけが、私をこの家に留めておいたらしい。

 そのことを、今この瞬間、はっきりと自覚した。

 分かってみれば、簡単なことだった。

 そして、それはすなわち。

 もうこの家にいる理由は無いということだった。

 私は僅かな荷物をまとめると、夜を待って家を出た。

 なんだか夜逃げみたいだ。

 そう思うと少し可笑しくて、小さく笑った。

 その後で、自分が久しく笑っていなかったことに気付いた。

 最後に笑ったのはいつだっただろうか。

 愛想笑いじゃなく、本当の意味で笑ったのは、いつ以来だろう。

 思い出すことは、できなかった────。

 

 

 

 

 

 

 親に続き、住む家まで失くした私は、ダンボールハウスを作ることにした。

 家で一人遊びをすることが多かった私は、紙細工や工作で色んな物を作っていた。

 そのおかげで、ダンボールハウスくらいならどうにか作る自信があった。

 親に無視されていたことが役に立つなんて、複雑な気分だった。

 ダンボールハウスを置けそうな場所を見つけると、知り合いの工場の人にダンボールを

わけてもらって、早速作ってみた。

 想像だけで作ったにしてはなかなか立派な物が出来た。

 中に入ってみると、意外に暖かかった。

「これなら、私一人くらい住めそうです」

 ぽたり。

 水滴が、一滴落ちた。

 雨かと思って天井を見たけど、濡れていない。

 でも、顔を上に向けたから、気付いた。

 それは、私の涙だった。

 私の目から出て、頬を伝い、下に落ちたものだった。

 私は泣いてなんかいないのに。

 どうして、涙が落ちたのか。

 それは一体、どういう意味の涙だったのか。

 いくら考えても、答えは出なかった────。

 

 

 

 

 

 

 ダンボールハウスは雨に弱い。

 せっかく作った第一号の家は、僅か三日で大破した。

 また涙が出そうになったので、グッと鼻をすすって抑え込んだ。

 濡れてぐちゃぐちゃになったダンボールハウスの残骸の中から、荷物を取り出して元の

ようにまとめて、ダンボールをゴミ箱に捨てて。

 次のダンボールハウス設置場所を探して、私は歩き出した。

 こんな生活、いつまでも続けられるとは思っていない。

 いざとなったら、どこかの施設にでも行くしかないかな。

 孤児院あたりだろうか。

 それは、あんまり嬉しくないな。

 どうしよう。

 どうしたら、良いんだろう。

 ダンボールハウスでの生活を続けながら、私はずっと考えていた。

 どうしたら、私は幸せになれるんだろうか────。

 

 

 

 

 

 

 そうして、ダンボールハウスが七回壊れて。

 八回目に壊れる場所を探していて。

 私は辿り着いた。

 高屋敷家に。

 それは偶然だったのか。

 必然だったのか。

 私にはわからない。

 わかりたいとも思わない。

 私にとって大切なことは、たった一つだけ。

 そこが、私が住むべき家で。

 私が、幸せになれた場所だということ────。

 

 

 

 

 

 

 高屋敷での生活は楽しかった。

 色んな人がいた。

 色んなことがあった。

 皆でちゃぶ台を囲んで、仲良くご飯を食べた。

 たくさんお話をした。

 喧嘩もいっぱいした。

 バラバラになりそうなことも何度もあった。

 でも、その全てが私には新鮮で、嬉しいことだった。

 一緒にご飯が食べられる。

 一緒にお話が出来る。

 一緒に喧嘩が出来る。

 一緒に。

 一緒に──。

 共に何かが出来る人がいるというのは、こんなに嬉しいことだったんだ。

 そして。

 いつも私を守り、助け、慈しんでくれた、あの人と出会った────。

 

 

 

 

 

 

「は〜、こんなに楽しく暮らせるなんて。毎日が夢みたいです」

 ある時、あの人にそんなことを言ったことがあった。

「…夢か。お前らしい感想だな、末莉」

 あの人はちょっと呆れた風に言って──でもいつもと同じ、優しい目で私を見てくれた。

「え、え? 私、何か変なこと言いましたか?」

「いや、変じゃないさ。ただな…」

 そこで一旦言葉を切って、あの人はちょっと天井を見上げた。

 何と言おうか、言葉を選んでいるみたいだった。

 少し考えてからあの人は私に向き直り、口を開いた。

「夢は、いつか必ず覚めるものだ。夢に浸りすぎると、後が辛いぞ。だから──」

 だから──。

 その先に続く言葉を、あの人は言わなかった。

 ただ小さく笑って、私の頭を撫でただけだった。

 それはあの人なりの気遣いだったのかもしれないけれど、私が子供だということを殊更

に強調されているみたいで、少し嫌だった。

 

 

 

 

 

 

 いつから私はあの人を好きになったんだろう。

 どうしてこんなにも好きになれたんだろう。

 わからない。

 自分のことなのに。

 自分の気持ちなのに。

 わからない。

 でも、きっかけは多分。

 私を、あの家から──一人になった私を引き取り、苦痛と悲しみだけを与えてくれた、

名目上の『保護者』から救い出してくれたこと。

 『妹』として、私を本当の家族にしてくれたこと。

 あの時に、漸く私は。

 孤独の呪縛から逃れることが出来た。

 私は一人じゃなくなったんだということを、実感することができた。

 あの時から、私は、あの人を見る目が変わった。

 それまでは、単なる憧れに過ぎないと思っていた。

 でも違った。

 私は気が付いた。

 いつの間にか、自分があの人を中心に回るようになっていることに。

 目線は無意識にあの人の姿を探し、耳はあの人の声を一番に聞き分け。

 夜布団に入ったときに思い浮かべるのはあの人のこと。

 あの人のことを思うだけで胸が高鳴った。

 あの人と一緒にいられるだけで、私は嬉しかった。

 だから。

 有頂天になっていた私は、嫌なことは考えないようにしていた。

 もし、あの人がいなくなったら。

 私の両親と同じように、家を出て行ってしまったら。

 その時、私はどうするんだろう。

 それでも、私は楽しく生きていけるんだろうか。

 それは一番考えたくないことだった。

 大丈夫。

 あの人は、私を家族だと言ってくれた。

 今までに、そんなことを言ってくれた人はいなかった。

 だから、今度はきっと大丈夫。

 きっと、私は捨てられたりしない。

 きっと、私はずっとあの人のそばにいることができる。

 私はあえて何も考えないようにしていた。

 このまま、穏やかな時がずっと続くと信じて。

 何事もなく、幸せなまま、生きていけると信じて。

 でも、それはやっぱり。

 浅はかな考えだった。

 

 

 

 

 

 

 家族計画。

 広田寛さん──寛おとーさんが提案し、私たちが共に暮らすこととなったその計画は、

僅か二ヶ月で崩壊した。

 一度は家族の形態を取っていた私たちは、再び元の他人の寄せ集まりに戻ってしまった。

 呆気ないほど簡単に。

 理由はいくつか考えられるけれど、そんなことに思いをめぐらせても、何の意味もなかっ

た。

 たとえ原因が判明したとしても、それを取り除くことが出来たとしても。

 家族計画は、既に終わっているのだから。

 私たちは、もう家族ではないのだから。

 賑やかだった高屋敷の家から、住人が一人減り、二人減り。

 ちゃぶ台に空席が目立つようになっていって。

 家族の痕跡は、急速に失われていった。

 そうして、家に残ったのが、私と、青葉おねーさんと、あの人だけになって。

 とうとうあの人が、家を出ようとして。

 私は、あの人を止めようとして。

 初めて好きだって言って。

 私の全てを捧げようとして。

 あの人に怒られて。

 私は癇癪を起こして。

 そして。

 私は、捨てられた。

 

 

 

 

 

 

 あの人がいなくなって。

 私を捨ててこの家を出て行って。

 私は笑えなくなった。

 どんなに顔に力を込めても。

 つまんでも、引っ張っても。

 私の顔は、どんな感情も表しはしなかった。

「…困ったな…どうしよう…。笑えないよ、私…」

 たはは、と苦笑いを浮かべようとしたけれど。

 それすらも出来なかった。

 あの人が、自分の中で、こんなにも大きな存在になっていたなんて。

 今更気付いても遅いのに。

 もうあの人に捨てられてしまったのに。

 私は何もする気が起きなかった。

 部屋の隅で膝を抱え、小さくうずくまるようにして。

 無為に時間を過ごした。

 そのうちに、白い煙が部屋の中に入ってきて。

 なんだろう、と思うこともなく。 

 意識を失った。

 

 

 

 

 

 次に気が付いた時、私はあの人に抱きしめられていた。

 高屋敷の家が燃えていた。

 あの人と青葉おねーさんは、命をかけて、私を助けてくれた。

 あの人は私に謝ってくれた。

 悪かったのは私なのに。

 駄々をこねて拗ねていた、私の方なのに。

 私もあの人に謝った。

 迷惑かけて、ごめんなさい。

 バカなことをして、ごめんなさい。

 私が悪かったです。

 もう、しませんから。

 だから。

 だから──。

 どうか、私をお側にいさせて下さい────。

 

 

 

 

 

 

 その時から、私と、あの人──司との生活が始まった。

 

 

 

 

 

 

 それから。

 司と歩んできた、長い長い道のり。

 やっぱり、色んなことがあった。

 私はずっと司に世話をかけていて。

 私は恩返しらしいこともできなくて。

 だからせめて、ずっと司のことを好きでいようと決めて。

 時は、緩やかに過ぎていって。

 純粋に、私たちは幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 私と司、二人きりの生活。

 高屋敷の日々が懐かしくないと言ったら嘘になる。

 でも、満ち足りていた。

 自分の存在に罪悪感を感じることもなく、一人ぼっちの孤独に泣くこともなく。

 いつも司と共にあった。

 誰よりも愛する人と。

 やがて子供が生まれて。

 二人が三人になって、三人が四人になって、四人が五人になって。

 まるで、あの時みたいね。

 そう言うと、司はちょっと困った風に笑っていた。

 その気持ちは私にもわかる。

 あの時は、まさかこんなことになるなんて、予想もしていなかったから。

 自分がこんなに幸せになれるなんて、夢にも思っていなかったから。

 

 

 

 

 

 

 家族計画。

 あの時の七人も、今では私一人になってしまった。

 最年少ということで、私は皆に可愛がってもらったけれど。

 今はそれが悲しい。

 最年少者が最後に残る。

 そんな当たり前のことすら、私は忘れていたんだ。

 

 

 

 

 

 

 高屋敷の家は再建された。

 私たちは一家揃って引っ越した。

 間取りは変わらなかったから、前以上に手狭だったけれど。

 騒がしくて、雑然としていて、毎日のように何がしかの事件が起きて。

 本当に、信じられないくらいに楽しくて、温かくて、幸せだった。

 そういえば。

 この頃、青葉さんに聞いてみたことがある。

 司があの時、なんと言いたかったのか。

「だから──」に続く言葉は、なんだったのだろうか、と。

 ふふ。

 不思議ですね、司。

 こんなこと、ずっと忘れていたのに。

 今になって思い出すなんて。

「だから──」

 だから──。

 青葉さんは、貴方は夢に頼りすぎるなと言いたかったのだと言った。

 それはその通りなのかもしれません。

 けれど。

 けれど、司。

 それだけではなく。

 貴方はあの時、もう一つの言葉を、暗に言っていたと──。

 全く逆の意味の言葉を、言葉の裏に載せていたと──。

 そう思うのは、私の甘えなのでしょうか?

 貴方はあの時──

 

 

 

 

 

 

「おばあちゃん!」

 突然声をかけられた。

 いつの間にか、男の子が私の側に立っている。

 この子は──

「こら、駄目よ広。おばあちゃんは書き物をしているんだから、邪魔しないの」

 子供の母──若葉の娘で私の孫に当たる子だ──が、男の子をたしなめて。

「ごめんなさい、おばあちゃん。せっかくの誕生日に、広が騒がしくて」

 私に頭を下げる。

 若葉似のこの子は、とても礼儀正しく育ってくれていた。

「気にしないで。私のために、子供たちが集まってくれたんだから。怒ったりするもので

すか」

 そうそう。

 司。

 今の私には、曾孫がいるんですよ。

 偶然か否か、その子の名前は広というんです。

 貴方がこのことを知ったら、きっと嫌な顔をするんでしょうね。

 でも、私は今でも、たまに思うんです。

 私はこんなに幸せになっていいんだろうか。

 誰にも望まれずに生まれてきた私が。

 この身に余るほどの幸せを手にして、いいんだろうか。

 もしかしたら、全ては、私の夢なのではないだろうか──と。

 

 

「…夢か。お前らしい感想だな、末莉」

 ふと、懐かしい言葉が聞こえた気がして。

 振り向けば。

 そこに、皆がいた────。

 

 

 

 

 

 

 ああ。

 みんな。

 みんな、久しぶり。

 変わってないですね。

 みんな、私を迎えに来てくれたんですね。

「ふん。司が無理に引き摺ってくるからよ」

 青葉さん、そんなこと言ってても、ちゃんと最後まで付き合ってくれますよね。

「……その、末莉には確か、三十年前に千円ほど貸したはずだから……」

 準さん、そのお金は借りてから一時間後に返したじゃないですか。

「マツリー、久しぶりー。また按摩してあげるね」

 春花さん、嬉しいですけど、それだけは勘弁して下さい。

「末莉よ、お前を迎えに来たぞ! あの日の約束どおり、お前の誕生日に! どうだ、こ

れで父が嘘つきではないと分かったか!」

 寛おとーさん、来るのが遅すぎです。

 私、待ちくたびれちゃいました。

「こんな時になんだけど、末莉ちゃん、また家事手伝ってね。ホントに末莉ちゃんがいな

いと大変で大変で…」

 真純おかーさん、私でよかったら、喜んで手伝います。

「………あー…なんだ………」

 司…。

「…ま、お前が寂しがってるかなって思ってな。そろそろ、いい頃合だし。迎えにきてや

ったぞ。喜べ、末莉」

 喜ばないはずがないでしょう、司…。

「そんなこと言っちゃってー。司が一番寂しかったくせに」

「なっ、バッ、春花!」

「司くん、嘘ついちゃ駄目よ。毎日毎日溜息ついてたじゃない。末莉ちゃんに会いたくて

会いたくて、たまらなかったのよねー」

「善き哉善き哉。最後に愛は勝つ!」

「……司、何度も末莉を迎えに来ようとした。まだ早いって止めるの、大変だった……」

「今の貴方は、さしずめ死神といったところかしら? 魔女より酷いわね」

「どいつも勝手なことを…」

 ああ…。

 みんな、本当に変わってない…。

 私も、またそこに加われるんですよね?

 家族の中に入れるんですよね?

 ね、司…?

「…何言ってんだ、末莉」

 そう言う司は、いつものちょっと意地悪で、でもとっても優しい顔で。

「お前はずっと前から、家族の一員だったじゃないか。ちょっと離れていただけだ」

 その口調は変わってなくて。

 あんまりに懐かしくて、嬉しくて。

「さあ、帰ろう、末莉。俺たちの家へ…」

 司が差し伸べる手は温かくて、優しくて。

「…はい…、はい……っ! 帰りましょう、私たちの家へ……っ」

 私は手を取って。

「夢じゃ…ないんですよね? …おにいさん」

 久しぶりに──実に数十年ぶりに使う呼び名を、口にして。

「ああ、夢じゃない」

 司は私の頭を軽く撫でて。

 そして、言ってくれた。

 私が考えていた、私が望んでいた、その通りの言葉を────。

 

 

「だから、夢だなんて言うな。これは、現実なんだから。決して覚めたりしない、確かな

現実なんだから────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(西暦2080年某月某日、高屋敷末莉没。

 その死に顔は安らかなものであった──)