くしゃみが出たら、誰かに噂されている。
これってほとんど常識になってますよね。
でも、こんな考え方があるのは日本だけなんだそうです。
アメリカやヨーロッパの西欧列強、韓国中国の大東亜共栄圏(ボケです、念のため。ぼくは戦争論者ではありません)のどこにも、「くしゃみは人の噂」などという思想はありません。
ではなぜ日本にだけ、こんな変わった考え方があるんでしょうか。
ぼくはしばらくこの命題に取り組み、やがてある仮説に辿り付きました。
その仮説をここで発表させていただきたいと思います。
仮説 円融天皇の憂鬱(仮題)
時は西暦980年、平安時代中期。
この時代に帝位についていた天皇・円融天皇は、それはそれは立派な天皇でした。
いつも民衆のことを考え、何事にも情けを持って判断を下し、決して無理な悪政を敷くことなく、国と国民が少しでも豊かになるよう日々政治・経済の勉強を欠かしません。
また自身の暮らしぶりにおいても無駄な贅沢など一切せず、「これらは全て国民の血税である」として、質素で慎ましい、とても現人神(あらひとがみ)とは思えぬ生活をなさっておられました。
そのため国庫は潤い、国民からの支持率も急上昇。
日本の歴史上稀に見る賢君として、後世の歴史学者たちも手放しで褒め称えたほどです。
しかし、そんな立派な円融天皇でしたが、たった一つだけ短所がありました。
円融天皇には、くしゃみを頻繁に繰り返すという癖があったのです。
それも一日に一回や二回程度ではありません。
一時間に一度は必ずくしゃみをするのです。
もし円融天皇が天皇でなかったならば、くしゃみくらいどうということはありませんでした。
しかし、いつの時代にも、名君を妬み、自分がその地位に取って代わろうとする不届き者がいるものです。
その不届き者──仮に道満としておきましょう──道満は、どうにかして円融天皇を失脚させ、自分が政治の実権を握りたくてたまりませんでした。
そこで道満は、円融天皇の悪癖であるくしゃみに目をつけました。
「天皇は呪われている、くしゃみが止まらないのがその何よりの証左だ!」
として、平安京中に触れ回ったのです。
何を馬鹿な、と今の常識で考えれば普通に判断できるのですが、この当時はまだまだそういった怪しげなモノが跳梁跋扈していた時代。
たかがくしゃみであっても、実は呪いの発現なのかもしれない。
そう考えてしまう者の数も、決して馬鹿に出来ないのです。
そういった天皇を貶めるような話は、もちろん円融天皇の前でおおっぴらに行われることはありませんでしたが、そこは賢君。
天皇も、自分のくしゃみについて良くない噂が飛び交っていることは薄々察していました。
しかし、自分についてあれこれ言われるのは構わないけれど、もしそれが元で内乱などが起きてしまったら大変です。
戦争で一番苦しむのは、常に力の無い民衆です。
そういった者達を守り救うことこそ、為政者である自分の務め。
円融天皇はそう考えました。
そこで、稀代の陰陽師として名高い安倍晴明を招き、加持祈祷をしてもらうことにしました。
安倍晴明ならば、このくしゃみを繰り返す癖をどうにかする手立てを知っているだろうし、もし本当に呪われていたのだとしても、その場ですぐ払い落としてもらえると考えたからです。
しかし、そう言われて困ったのは安倍晴明です。
安倍晴明は、円融天皇のくしゃみが呪いなどではなく、単なる体質の問題であることをとっくに見抜いていました。
体質では治す方法がありませんし、無論お払いなどきくわけがありません。
それでも、さすがは歴史に名高い安倍晴明。
翌日平然と円融天皇の御前に参上すると、開口一番こう言ったのです。
「天皇陛下、陛下のくしゃみは呪いなどではございませぬ。それは人々の噂なのでございます」
これだけでは、いかな円融天皇と言えどもさすがに理解できません。
不可思議な表情を隠そうともせず、安倍晴明に問い掛けます。
「噂とな? それはどういう事じゃ?」
「はい、陛下は現人神たるお方です。陛下はそれに相応しいお体をお持ちなのです」
晴明はキッパリと歯切れ良く答えました。
その言い方は人を安心させる力を持っていましたが、やはり円融天皇の疑問に答えるものではありません。
「安倍晴明よ。そちは一体何が言いたいのじゃ?」
「陛下。陛下のお耳は、神として極めて優れた力をお持ちなのです。どこかで陛下の噂話がされたなら、例えそれがどれだけ遠く離れた場所であろうとも、陛下のお耳はそれを確実に聞くことが出来るのです。そしてそれを聞いたという証として、くしゃみが出るのです」
「…なるほどのぅ」
天皇とて、褒められて悪い気がするはずがありません。
まして神に等しい力を持っている、とまで言われたのです。
円融天皇は晴明の言葉に大きく頷きました。
「陛下。ご理解いただけたでしょうか?」
「あいわかった。ご苦労であった、安倍晴明。大儀である」
「ははっ」
安倍晴明は多くの褒美を貰い、内裏を後にしました。
これは安倍晴明のでまかせです。
円融天皇がどれだけ優れた為政者であろうとも、そんな力は持っていません。
でも全てが嘘であるというわけでもありません。
円融天皇の優秀さは日本中の人々が知るところであり、円融天皇に感謝する話など、毎日のようにどこかで行われているでしょう。
その意味では、晴明の言は正しかったとも言えます。
この一件以来、円融天皇はくしゃみをする度に、
「おや、またどこかで私の噂話をしているのだな」
と呟くようになりました。
それを聞きつけた近習が
「陛下、それはいかなる意味でございましょう?」
と訊ねると、円融天皇は楽しそうに安倍晴明から聞いた話をするのです。
やがてこの話が一般民衆にも広まる頃には、もはや道満の虚言に耳を貸す者はいませんでした。
もともと多くの臣下に慕われていた円融天皇です。
そこに陰陽師として高名な安倍晴明の「呪いではない」というお墨付きがついた以上、円融天皇を疑ったりする者などいるはずがありません。
こうして円融天皇はその後も善政を行い、安倍晴明もまた天皇の庇護の下でより一層の名声を得たのでした。
めでたしめでたし。
よかったねよかったね。
…と、いつの間にWhiteになったんだ。
まぁそれはともかく、この後も「くしゃみは人が噂をしている証拠である」という俗信自体は延々と生き続け、現代に至った…というのはどうでしょう。
以下、上記の仮説に対する注釈です。
史実と照らし合わせるならこの仮説はウソ八百です。(全然ダメじゃん)
この時代は藤原支配全盛期で、藤原道長・頼道が太政大臣をやっていました。
当然天皇が政治の実権を握っているわけがなく、単なるお飾りに過ぎなかったんです。
ただ、安倍晴明が生きたとされているのはこの時代です。
それだけは本当です、ちゃんと調べましたから。
この注釈を読まずに上記のウソを見破れた人は日本史の知識に自信持っていいです。
ぼくだったらわかんないです。(いよいよダメじゃん)
この円融天皇、一応は実在の人物ですが、カンペキに架空の性格にしちゃってます。
うーむ、我ながらうそ臭いまでのいい人っぷりだ。
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