八分音符 感激!八分音符
読み物

「恋人よ〜、僕は旅立つ〜・・・」

この唄い出しで始まる曲をご存知だろうか。今から23年程前に筒美京平が作曲し、当時アイドルであった太田裕美が唄い、大ヒットした曲、「木綿のハンカチーフ」である。この歌が流行った年に私は産声をあげた。

そんな訳で、私が数年前まで「太田裕美」を知らなくても当然だと言えよう。

ナツメロ(注:10〜20年程前の曲)は中学校の時分から好きだった。きっかけは家のテレビにある。母親に占領されていた家のテレビは、アニメやお笑いなどが投影される時間帯がほぼ限られていて、それ以外の時間帯は母親が優先的にチャンネルを支配していた。流行のトレンディドラマなども見られず、悔しい思いをしていた私だが、仕方なく見ているテレビに、ごくまれに音楽の番組が映し出されることがあった。往々にしてそれは「昭和歌謡」の番組で、内容は「一杯のコーヒー」等を唄っている煤けた映像が流しだされる、中学生にとってそれはそれはつまらない(興味のそそらない)ものであった。そういうナツメロを越えた「懐かしいメロディ」好きな母は、必ずそういった類の番組をチェックしていた。新聞のテレビ欄に「ナツメロ」と記載されている日は、必ずその番組を見るハメになっていたのだ。

ところが、一口に「ナツメロ」と言っても既述の通り、私の言う「ナツメロ」や「昭和歌謡」などと色々と世代によってさらに分別される。

そこで思わぬハプニングが起きた。

その日の「ナツメロ」は私の言う「ナツメロ」に近い内容で、中尾ミエや園まりといった、私の言う「ナツメロ」とは少し古い時代の人も出てはいたが、大体が私の言う「ナツメロ」をベースとした番組だったのだ。その番組の中で、私に一際印象深く残ったのが「木綿のハンカチーフ」を唄っていた太田裕美であった。唄っていた、といっても当然、当時のVTRなのだが。

もちろん、他にどんな歌を唄っているのか興味はあった。けれども、母は「木綿のハンカチーフ」しか知らなかったし、他に情報を得る手だては当時の私にはなかった。そういう訳でそこから私の中の「太田裕美」は止まっていたのだが、最近になり「ナツメロ」がちょっとしたブームらしく、私の言う「ナツメロ」を集めたオムニバスのCDがショップに並ぶようになった。

私の方も多少の知識をつけ、他にも気になる曲やアーティストがいたので、そのCDを手に取ってみると、そこには「木綿のハンカチーフ」の文字が。当然、そのCDを購入し聴いた。

聴きながらジャケットを見ると、作曲者に「筒美京平」と記載されており、驚いた私はより一層太田裕美に注目するようになった。

とまあ、私が太田裕美に惹かれたいきさつが述べられているが、実際はこんないきさつなどたいした物ではなく、簡単に言ってしまえば「歌声の心地よさ」にものすごい勢いで落ちてしまった、と言う訳である。

声量こそ外人のヴォーカリストには負けるものの、その声の美しいことといったらない。是非、この文章を読んでる方々も、一度でいいからこの美声を聴いて欲しい。きっと虜になるだろう。

と、何が言いたい文章なのかだんだんわからなくなってきてしまっているが、ここまで私を熱く語らせる「太田裕美」、いや、太田裕美「さん」と、1999年1月28日に念願の対面を果たしたのである。時間にして約2分。とても僅かな時間だが、私にとってこれは今まででもっとも嬉しかった出来事の1つとして心の中に残った。

簡単にその経緯を説明すると、その日は学校のホールでプログレでは有名な「AYUO」氏による民族楽器の演奏が行われた。そのライヴでのゲストヴォーカルとして来校された太田裕美さんが、4曲ほど熱唱されて、その帰りがけを狙って声を掛けたのだ。

ま、私は恥ずかしがりやさんなので声を掛けるのは相当のパワーを費やしたが。

そんなわけで、殆ど会話もしていないが、大ファンであるアーティストが目前に現れたら誰だって緊張して何もできなくなるであろう。

そんな中、頑張ってサインを頂いた私はエライ。

むっ、結局何が言いたいんだ、この文章。

とにかく、ウレシかったよぉぉぉ。


サイン
頂いたサイン。ウレシ〜!

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