春闘ってなに?

春闘は1955年、金属や化学など八つの産業別労働組合が話し合い、始りました。
その後、6-70年代にかけて、全国的な闘いへと大きく発展しました。労働組合が春闘でめざしたのは次の二つです。
 第一は、それまでバラバラだった賃金交渉を全国の労働組合が春の時期に一緒に闘うという統一闘争を組んだことです。
 第二は、「賃金の生活費原則」を前面にかかげ、企業規模などにかかわらず、全ての仲間の賃上げをめざしたことです。
 半世紀にわたる春闘によって、労働者・国民のくらしや職場は大きく改善しました。
 今では当たり前の「春になると賃金が上がる」というルールは、春闘の前進のなかで勝ち取られたものです。労働組合は、春闘を通じて、全ての仲間に人間らしく生活する権利があり、経営者には労働者の暮らしを守る責任があることを明らかにしたのです。

 春闘は、労働組合が勝ち取った賃上げを地域の賃金相場に反映させることによって、労働組合のない職場の仲間の暮らしを守る役割を果たしてきました。また、中小企業での賃上げが全国で実現した時は、それを背景に下請け単価の上がるなど中小企業の地位と発言力も高まりました。さらに、「国民春闘」をかかげ、最低賃金制度や年金・医療など社会保障制度を改善させてきました。

 90年代以降、「春闘解体」の攻撃が強まるなかで、賃金の生計費原則が否定され、「賃金は成果や業績で決まる」という考え方がひろがっています。それは、私たちが春闘を通じて勝ち取ってきた憲法二十五条の「生存権保障」(人間らしく生活する権利)や二十八条の「労働基本権」(賃金・労働条件は労働組合との協議をつうじて決定されるべき)の理念を真っ向から否定するのものなのです