続・新聞勧誘の体験

さて、今回の一件で流石に私は一介の「新聞嫌い」という枠を超えて、この「新聞の拡張」にともなう諸問題を調べてみる気になった。「世の中こんなもの」で諦めるのは大ッ嫌いなのだ。
 てはじめに、ネットで「新聞勧誘」をワードに検索をかけてみると、以下のような記事を洗い出すことができる。面白いのは、どの記事も枕詞のように「許さん」「ひどい」「悪の」「悪徳」といった言葉が冠せられていることだろう。

「一人暮らしの人へ」
アパートに帰ってくると部屋の玄関口で二人の若い新聞勧誘員が待っていたが…という話。
「その後の経過」
その後、交番へ届けることにしたが…という話。

「悪の来訪者Foot in the door」
いくつかの訪問販売について解説。いきなり「悪」と断定してますが(笑)

「悪徳商法マニアックス」
いや、俺のせいじゃなくて、検索で「新聞勧誘」かけるとこういうのばっかりなのよ。

「嗚呼、新聞勧誘」
なるほど。ドアを蹴ればいいのか。

「ドアをノックするのは誰?〜知られざる新聞勧誘の実態〜」
中央大学のサークルがやってるミニコミページらしい。「新聞セールス近代化センター」への取材など興味深い。

「解剖!新聞屋さんの裏側」
かなり事情がわかります。お役立ちサイト。

「セールス問題ほか」
リンク情報が載ってます。でも、リンクが妙に死んでるのが怖い。

「新聞の勧誘とそいつらへの対応」
やはり、「出ない」のが基本のようだ。


以上のようなサイトでわかったことをいくつかあげてみよう。
■今回きたような「拡張員」は、新聞社の販売店とは別組織に属する者であり、彼らの行動について販売店に苦情を言ってもとりあってはもらえないこと。「言っとくけど、どこ出ても負けるよあんた」などと言われたという人もいるが、いくら別組織とはいえ情のない対応といえよう。
■とりあえずとりかわした契約についてはクーリングオフできるが、すればまたすぐにああした拡張員が攻撃を再開する、というのは各新聞社から購読者のリストが流れていて、彼らはとっていない者を即座にチェックできるからだ。

新聞社としては拡張団は「別会社」であるという建前上、拡張団に対する苦情を新聞社が受けるということはないようだ。新聞社は拡張団がとってきた契約を買い上げるという形をとっているからだそうである。(拡張団がどういう組織かについては、サイトによって「団は新聞社の子会社みたいなもの」/「まったくの別組織」と、見解の相違がみられる)しかしながら、そうして累積した契約の総数を「総購読部数」として誇らしげに掲げるからには、そこに汚いつながりを認めずにはいられまい。拡張員の実態を充分知っていて契約を買い上げているのなら、同罪である。もちろん我々の支払う額としては宗教系の訪問販売に比べれば微々たるものかもしれないが、問題としてはさらに大きい。我々のような大学生が地方から出てきて一人暮らしをはじめた時に最初に遭遇する社会悪の一つであるにもかかわらず、それを後ろから糸を引いているのが社会悪を告発するべき立場にいるジャーナリズムであるからだ。この構図、ぞっとするものだとは思われないだろうか。

 今回のような脅迫、更にそれを然るべき筋に届けるというのなら個人的報復も辞さないという意志の表明は、新聞の勧誘活動というもの自体に「悪質な訪問販売」の烙印を押すものであると私は考える。さらにこうした拡張員が組織だって存在しているのならば(彼には複数の「部下」がいるのだそうだが)「新聞マフィア」と言っても過言ではないのではないか。さらにこれが一拡張員だけの問題ならばともかく、同様のケースが多数存在しており、なお、それを重々知りながら、拡張という制度の存在を新聞社が容認しているという構造は、健全なジャーナリストならばそれを「腐敗の構造」とでも呼ぶべきものにあたるのではないか?

 さて、ここまで問題提起をしたところで、私としては次にどのようにするべきかをもう少し考えてみたい。クーリング・オフをするべきだろうか。そうした場合に、またあの黒眼鏡の男が舞い戻ってきたとしたらどうするか。(新聞社からリストが流れる限り、ここの「担当」である彼には逐一情報が渡る筈なのである)奴を向こうに回して瞬着を鍵穴に流し込まれることへの対策に右往左往しなければならなくなるのだろうか。正直気が重い。その後、クーリング・オフを決行してみた。
 いっぽう、私は常々新聞の宅配制度そのものが言論の自由な発達に与える悪影響ということを考えてきた。とくに「専売店による」宅配制度の問題である。例えば、イギリスでは配達網はあるものの、専売店による購読者争いというのはなく、読者は一週間の曜日毎に別の新聞を配達してもらう事ができる。また、フランスには配達制度がなく、すべてスタンド売りである。その結果、新聞同士の競争が起こり、各紙とも言論に個性があり、緊張感があるといわれている。一方、日本の新聞はどれを読んでも大差ない、記者クラブで受けた情報のタレ流しという批判が多い。これをどう考えるだろうか。宅配制度の存在によって日本の家庭に新聞が深く根を下ろしていることは確かである。人口千人あたりの新聞発行部数では日本はノルウェーに次いで世界第二位なのだそうだ。が、その割には日本の新聞のクオリティについてはあまり良い意見を聞いたことがない。戦争中に大本営の放送塔と化した過去を清算せずにのうのうと戦後社会に生き残った、という批判を聞くことはあっても、である。
 この宅配制度というもの、本当に必要なのだろうか?そもそも宅配制度がなければ日々宅急便を装った悪しき訪問者に脅えながら暮らさなければならない現状もあり得ないはずである。東京で、学生として一人暮らしをする際に、新聞の購読契約を結ばなければ安心して家にいることができないという事がどんなに理不尽なことであるか、どうしたらこの理不尽をなくすことができるか、次項から引き続き考えてみたいのである。  


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