4.森永エンゼルの成立
 三章補筆で述べたような複雑な状況はあるものの、それが蝶の羽根あれ鳥の羽根であれ、とにかく有翼の幼児像が「エンゼル」の名で明治期には受容されていたという事は分かった。その状況が分かれば、森永が有翼の幼児像を「エンゼル」として社票にした事の理解も容易になるだろう。森永の開祖、森永太一郎が森永西洋菓子製造所(森永製菓の前身)の登録商標としてエンゼルマークを登録したのは明治三十八年のことである。森永社史にはこう書いてあるようだ。
 「森永の世界に誇るエンゼル・マークは創業まもなく生まれ、星霜五十四年(昭和二十九年現在)、大衆に親しまれている。現今の森永はあらゆる食糧に従事しているが、創業当時は珍菓マシマローなどに力を注いだ。この菓子はアメリカではエンゼルフード(天使の糧)とも賞せられ、創業当時の撒布文にも特のその製造に力を致したことが記してある。」

 ここで森永太一郎が登録した最初のエンゼル・マークがこれであり、はっきりと鳥の羽根をもった幼児として描かれている。もしもこれが蝶の羽根を持ったフェアリー的な天使であったら、日本における「エンゼル」という図像の理解にはまた違った状況が生まれていたかもしれない。また、森永太一郎はクリスチャンであったが、彼がもし異教的図像に反感を抱き、ルネサンス以前の正統的な天使像を採用していたら、森永のエンゼルはグリコのスポーツマンの様な大人のエンゼルであったかも知れないのである。歴史に「もしも」はないとは言え、面白い想像であるとは言えないだろうか。

5.キューピーと現代のエンゼルたち
 有翼の幼児としてのクピド像はヨーロッパからアメリカに渡って「キューピー」というキャラクターとして商品化された。キューピーちゃんはさらに幼児化が進み、生まれたばかりの赤ん坊の様になっているが、きちんと羽根は生やしていてキューピッドの属性を持っている。このキューピーちゃんは現在キューピーマヨネーズの商標として一般に知られているが、日本において「有翼の幼児像=クピド」というもう一つの図式を知らしめる代表選手と言えるだろう。また日本でも、バレンタインデーの時期になると、弓と矢を持って相手のハートを射止める恋の神様としての本来的なキューピッド像が多く見られるようになるが、「愛の天使キューピッド」などといった、キリスト教的属性とギリシア神話的属性がごっちゃになった呼称が聞かれたりするのは、宗教的属性への関心の低い日本ならではというべきだろう(例えば"Cupid, the angel of lovers"といったような言葉が成立しうるだろうか?)。
 森永エンゼルに代表される天使像が、それがもともと西欧の図像混淆から引き起こされたものとはいえ、結果的には極めて日本的な、宗教色のとれた天使像…いうなれば「日本的エンゼル」というべきもの(これゆえにこの小論のタイトルを「ニッポンのエンゼル」としてみた)であるのと同様、日本のキューピッドもまた、西欧的クピド像からはかけはなれたまさに「ニッポンのキューピッド」であると言えるだろう。  最後に、現代における「天使」画像について述べておきたい。現代においては、「天使」という概念は図像的にますます混淆している…というよりも、かなり自由な解釈が可能な抽象的存在になっていると言えるだろう。「天使」や「クピド」といった伝統的な具体的存在としてよりも、「天使的なモノ」という一種の雰囲気によってそれらは印象づけられる。アメリカ映画「シティ・オブ・エンジェル」はヴェンダースの「ベルリン天使の詩」のリメーク映画であるが、そこに登場する天使は人間と変わりない姿で、伝統的なキリスト教図像学的にみた「天使」の定義にあてはまるものではない。庵野秀明のアニメーション「新世紀エヴァンゲリオン」では、訳語が"Angel"でありながら日本語では「使徒」(キリスト教の言葉では「使徒」の訳語は"Apostles"となる)という名称を持った奇怪な存在が登場する。彼らは外形もまったく異なる様々な存在であり、「人類の敵」である「使徒」という名付けによってのみひとくくりにされる集団である。ここでは"Angel"という存在について伝統的な名称やその指示内容といったことには縛られない、良く言えば自由な、悪く言えばいーかげんな解釈が行われていると言える。この最後のような例は、現代日本のような天使/クピド/フェアリーといった意味と図像の混淆が進んだ状態でなければ生まれ得なかった、とすればやや結論を急ぎすぎることになるかもしれないが、本来のコンテクストを離れた地平で自律的に存在してきた「ニッポンのエンゼル」たちの生命力の高さを表す例であることは間違いないところであろう。我々にとってやはり「エンゼル」は「天使」ではなかったのである。

(参考文献)
荒俣宏「広告図像の伝説」(平凡社)
高階秀爾「ルネサンスの光と闇」(中公文庫)
日本の美術No.36「洋風版画」(至文堂)
タイモン・スクリーチ「大江戸視覚革命」(作品社)
イタリア・ルネサンスの巨匠たち17「マンテーニャ」(東京書籍)
高橋克彦「新聞錦絵の世界」(角川文庫ソフィア)
「新世紀エヴァンゲリオン・フィルムブック」(角川書店)

(展覧会)
「薔薇とエンジェル展」新潟県巻町「ロマンの泉美術館」

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