ぴえろ10周年記念イベント
− 志賀真理子ちゃんからのメッセージ
−
その背景について
ぴえろファンクラブ会報「PIERROT SHIMBUN」32号(1989.9)p.6に、真理子ちゃんからのメッセージが掲載されています。
ぴえろ10周年記念イベントが行われたのが1989年7月24日と30日。
真理子ちゃんがアメリカに出発したのが8月26日。(←一部、9月説もありましたが、8月26日で間違いないことが確認できました。2001/02/05修正)
上記のファンクラブ会報が発行されたのが、真理子ちゃんがアメリカに旅立った後(本文の記述より)となっています。
実際に会報が届いた日にちは覚えていません。
また、10周年記念イベントの半年程度前から、真理子ちゃんはほとんど芸能活動を行っていません。
当時の活動内容から考えても、会報発行の時期を考えても、ファンに対するメッセージとしては、まず間違いなく最後のものだと思います。
予定より遅れて発行された翌号(33号)には、訃報(欄外に2行)が載りました。
上記のように、志賀真理子ファンにとっては、真理子ちゃんからの最後のメッセージに当たる、貴重な内容であると言えます。
しかし、ぴえろファンクラブ会報のみに掲載された内容ですので、ファンクラブ会員以外の人は全く読むことの出来ない内容です。
それどころか、存在すら知らないと思います。
また、「びえろ全書」にファンクラブ会報が一部掲載されています。
しかし、この真理子ちゃんからのメッセージのページは、残念ながら掲載されませんでした。
よって、ここに掲載したいと思います。
ただし、真理子ちゃんの書いた(または話した?)原稿が、そのまま変更なしに掲載されているかどうかは分かりません。
僕のファンクラブへの投稿も、修正や校正されてから掲載されることがしばしばありました。
紙面の都合や会報の〆切の関係もあるでしょう。また真理子ちゃんは、イベントの割とすぐ後に、留学に出発してしまいました。
そのため、文章を一部修正しても、真理子ちゃんに確認を取れなかった可能性もあります。
参考資料 : ぴえろファンクラブ会報「PIERROT SHIMBUN」32号(1989.9)p.6/「魔法少女たちのコメント」
コメントに対するコメント(当方の個人的見解による)
やはり、ぴえろさんにとっては、または大部分のファンにとっては「魔法少女」なんですよね。良くも悪くも。
ちなみに、太田貴子さんと富永みーなさん(正確には冨永みーなさん)からのコメントも掲載されていました。
当ホームページに掲載の予定は、申し訳ありませんがありません。
小幡洋子さんは、イベント未参加で、コメントもありませんでした。
どうも洋子さんは、10周年記念イベントのこと自体知らなかったようです。(情報提供:TOSHIさん)。
今日は。志賀真理子ちゃん。
>この間は、スタジオぴえろの10周年イベントで、みなさんに会う事が出来てとてもうれし[い]かったです。
ファンの前に公に姿を現したのは、僕の知る限り、1988年12月のバースディコンサートが最後のようです。
(もっとも、僕は参加していませんが。)
よって、おそらく真理子ちゃんがファンの前に姿を現したのは、半年以上ぶりだと思います。
イベントの中でも、真理子ちゃんは「皆さんの前に顔を出すのはすごく久しぶり」という旨のことを言っていました。
僕にとっても、真理子ちゃんに会うことのできた、唯一の貴重な機会です。
とはいえ、イベントの時は別に貴重とは感じませんでした。後から大切さに気付いたという方が正確です。
真理子ちゃんは、イベントにおいて歌を歌いませんでした。
そのため、結局真理子ちゃんの生の歌を聞くことは、とうとう出来ませんでした。
>パステルユーミは、もう終わってから随分たつのに、こんなにたくさんの人が、まだ覚えていてくれて、ファンでいてくれるんだなぁと思って、とても感激しちゃいました。
う〜む。イベントでは、どちらかというとユーミはあまり盛り上がらなかったような気がします。
マミが一番盛り上がっていたような。
やっぱりユーミはマイナーなのでしょうか。
でも、ぴえろ20周年を過ぎても、まだユーミのことを覚えていて、ファンでいる人もいますよ。
>それに、他の魔法少女シリーズの『クリーミィマミ』の太田貴子さんや富永みーなさんにも久し振りに会えたし、あの頃の事をいろいろと思い出してしまいました。
これを読むと、魔法少女シリーズの声優さん達の間でも、あまり普段の交流は無かったようですね。
まあ、「ファッション・ララ」を除けば、魔法シリーズが終わってしばらく経っていたし、真理子ちゃん最後のアフレコが「魔女っ子クラブ四人組」で、それからもだいぶ時間が経っていたし。それに、皆さん自分の生活と仕事で忙しいでしょうから、定期的に合ったりはしなくても当然なのかも。
ちなみに、四人組のアフレコ終了後も、何故か真理子ちゃんだけ先に帰ったそうです。おかげで、取材に来たカメラマンが、真理子ちゃんだけ写真を取れなかったとのことです。(参考文献:株式会社ネットワーク発行
EMOTION ビデオフォーラム Vol.9 p.1、及び、徳間書店発行 アニメージュ87年7月号p.101記事より)。用事があったのかな?。
>いま、改めて思うと、パステルユーミをやって本当によかったなぁって思います。
個人的に、真理子ちゃんは「ユーミ」の声優をやっていたことを後悔しているのではないか、というイメージが多少あったのですが、それは無さそうです。もしかすると、ユーミが比較的マイナーな番組で、いつまでも「ユーミ」声優のイメージで見られることが無かったからかな、なんて思ったりして。
みーなさんは、ペルシャ以外にも数多くの声優や舞台のお仕事をしているので、いつまでもペルシャのイメージで見られるということはまず無いと思います。しかし、貴子さんや洋子さんは、結構いつまでも「マミ」「エミ」声優のイメージで見られる面が強かったように思います。それは不幸なことではなかったにせよ、決して幸せではなかったのでは、と個人的には感じています。
率直に、真理子ちゃんの「本当によかったなぁ」というコメントを読んで、安心しました。
僕にとっても、もしも「ユーミ」が無かったら、真理子ちゃんのことを知ることはなかったでしょう。
真理子ちゃんがパステルユーミをやってくれて、良かったと思います。
もしも真理子ちゃんのことを知らなかったら、あんなに悲しむこともなかったけど、愛することも慰められることもなかったでしょう。
>このイベントの仕事を最後として、私は、2年間、海外で、ジャズが好きなのでいろいろ勉強して来ようと思います。
この真理子ちゃんのコメントを読んで、「僕もジャズを本格的に聞いてみようかな」と思いつつ、結局聞いていません。
わざわざ2年間も海外留学するとは、よほど本格的に勉強しようと思っていたんでしょうね。本当にジャズが好きだったのでしょう。
ジャズを仕事にするつもりだったのかな。その辺は、よく分かりません。
>このぴえろ新聞が出る頃には、私はもう日本には、いないわけですけど、帰って来たら、また、みなさんに会えたらいいなぁと思っています。
今となっては、悲しいコメントですね。結局実現しませんでした。
真理子ちゃんに最後に日本で会ったのは、成田空港まで見送りに行った人でしょう。
それは、真理子ちゃんの友人のようです。最近、その時撮影した写真を見せてもらいました。
色褪せた、単なるスナップ写真ですけど、元気な真理子ちゃんが写っていました。
家族の元には、事故の直前に「来月三日に帰国する」との手紙が届いた(新聞記事より)そうなので、一時帰国する予定だったようです。
真理子ちゃん、さようなら。
So−long! Good−bye.
でも僕の中では、「さようなら」ではなく、「おやすみなさい」と言う気持ちです。
今日は、志賀真理子です。
この間は、スタジオぴえろの10周年イベン
トで、みなさんに会う事が出来てとてもうれ
しいかったです。パステルユーミは、もう終
わってから随分たつのに、こんなにたくさん
の人が、まだ覚えていてくれて、ファンでい
てくれるんだなぁと思って、とても感激しち
ゃいました。それに、他の魔法少女シリーズ
の『クリーミィマミ』の太田貴子さんや富永
みーなさんにも久し振りに会えたし、あの頃
の事をいろいろと思い出してしまいました。
いま、改めて思うと、パステルユーミをや
って本当によかったなぁって思います。
このイベントの仕事を最後として、私は、
2年間、海外で、ジャズが好きなのでいろい
ろ勉強して来ようと思います。このぴえろ新
聞が出る頃には、私はもう日本には、いない
わけですけど、帰って来たら、また、みなさ
んに会えたらいいなぁと思っています。
その時まで、さようなら。
ぴえろファンクラブ会報「PIERROT
SHIMBUN」32号(1989.9)p.6より引用
原文のままです。
間違いと思われる箇所が2カ所ありますが、そのままにしてあります。
・とてもうれし[い]かったです
・富永みーな(正しくは、ワ冠の、冨永みーな)
当ホームページで使用した「PIERROT
SHIMBUN」の画像および文章は、
(株)スタジオぴえろ・ファン窓口により掲載承諾を受けたものです。 再配布や再掲載は禁止されています。 また、状況によっては、予告なく削除する可能性があります。 なお「PIERROT SHIMBUN」の著作権は、スタジオぴえろにあります。
|