1999/04/10 更新

私的関連情報
 
 

その1
 
 「永遠の片想い」のコーナーでも書きましたが、スタジオぴえろ10周年記念イベントの後、僕は真理子ちゃんをヨイショする4コママンガを書いて、スタジオぴえろファンクラブ会報「PIERROT SHIMBUN」に投稿しました。
 それが採用されて、掲載されました。奇しくも、真理子ちゃんの交通事故を知らせる訃報と同じ号でした。
 スタジオぴえろさんからは、「PIERROT SHIMBUN」の内容をホームページに掲載することは承諾できないとの返答が来ています。でも、僕が書いて投稿した分については(ぴえろさんには確認していませんが)多分問題ないと思いますので、ここに掲載します。

 解説すると、当時ファンクラブ会報では、「対決!魔女ッ子シリーズ」というコーナーがありました。これは、例えばマミとエミがトップ10のNo.1を賭けて戦ったらどっちが勝つか? といった内容です。
 10周年記念イベントで真理子ちゃんは第1部の司会を行いました。そして、太田貴子さんの持ち歌で、「GIRL FRIEND」という曲があり、イベントでその曲を歌っていました。
 ご存じの通り、真理子ちゃんの持ち歌でも「Girl Friend」という曲があるので、それをパロディーにして、同時に真理子ちゃんの宣伝もしたマンガです。ユーミは真理子ちゃんの代理。マミは貴子さんの代理です。
 僕は絵の才能が全くないので、非常にへたくそな作品になっています。

ここで歌を一曲

  ス**** ス*** ス***
  へたくそだっていいから
  パ***・キ**** ******
    (志賀真理子:「青空パステル・キャンバス」より)

 う〜む。やっぱり歌詞は一部でも掲載するのはまずいのだろうか。
 まあ、きっとみんな歌詞は知っていると思いますので、補って下さい。
 
 
 

その2

 みなさん。小森まなみさんを知ってますか?
 ハーバーライト物語で主題歌を歌い、脇役ですが声優もやっていたので、ご存じの方も多いと思います。
 ラジオのパーソナリティーとしても有名です。
 1989年12月24日(日曜日)、真理子ちゃん二十歳の誕生日の日に、小森まなみさんは、自分のラジオ番組「mamiのRADIかるコミュニケーション」で真理子ちゃんのことを紹介してくれました。心に残る放送でした。人生最悪のクリスマス・イブにおいて、唯一心の慰めでした。
 まなみさんのことを知らない方は、YAHOO! JAPANで「小森 まなみ」で検索して下さい。1998年4月1日現在、32件がデーターベースに存在しています。
 真理子ちゃんは3件だけなのに。

 まあそれはいいとして・・・

 1989年12月29日(金曜日)、小森まなみさんから、真理子ちゃんのことを色紙に書いてもらいました。「彼女」とは真理子ちゃんのことです

 小森まなみさん。わがまま聞きてくれてありがとうございます。この場を借りてお礼申し上げます。・・・と言っても見てないか。

 「永遠の片想い」でも書きましたが、ぴえろファンクラブ会報34号では真理子ちゃん追悼の記事が組まれました。そこで、僕の出した手紙が3通掲載されました。その内の1通がこの色紙です。小森まなみさんには許可をもらった上で、ぴえろに投稿しました。
 その後、僕は小森まなみさんのラジオから卒業し、会う機会もなくなりました。そのため、この色紙をホームページに掲載することについては、小森まなみさんの承諾をもらっていません。でも、ぴえろファンクラブに投稿することは許可をもらったので、大丈夫だと思い、掲載します。
 (その後、RADIコミ宛に郵便で報告しました。正式な掲載許可はなかったものの、特に不許可の連絡もないといった状況です。)
 
 
 

その3  (←1998/05/15追加)

 上記のように、ぴえろファンクラブ会報34号では真理子ちゃん追悼の記事が組まれました。
 そこで、僕の出した手紙が3通掲載されました。
 その内の1通は、上で掲載した小森まなみさんの色紙です。
 残りの2通は、ポエムと弔文です。
 スタジオぴえろさんに確認したわけではありませんが、僕が書いて投稿した分については多分問題ないと思いますので、ここに掲載します。

 これを書いたのは、真理子ちゃん逝去を知ってから数週間程度経ってからだったと思います。

 

上記「その2」「その3」に関しては、「ぴえろ全書」に掲載されています。(←1999/04/10追加)
 

 

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