多民族国家の Mac OS X

…多分に偏見がちりばめられているかとおもいますが…異文化同士の接触というのはいつもこんなもんかも、という話。

(2003/03/24 追記)このページの内容は MacOSX Public Beta の頃の状況をもとにした、古い話です。現在の MacOSX にはそぐわない部分も多いし、自分自身が今はもう、ここに書いてある考えがしっくり来ません。よって非推奨文書とします。

哀 (i) 戦士編

Web 上のマカサイトやそれ系の BBS ではあんまし身になる OSX 関係の情報がないんで OSX 関係のメ〜リングリストにはいってます。流量がけっこうあってネタもそれぞれディ〜プな 2 カ所。(Mac OS X-jp MLMacOS X 秘密研究所 ML

で、そ〜ゆ〜トコではやはり技術畑なシトがおおいわけで、ご多分にもれずそゆひとは元からウニにも詳しかったりするわけですな。それどころか生活背景がカンペキに純ウニなひととか、ウニの派生 OS である NeXTSTEP を背景にしてる人とか。もちろんウニなにするものぞ、な純マカなひとも当然多いけど。

んで、結構意見対立しやすいんだなーこれが。対立とまで行かなくても、おたがい疑心暗鬼というか「なんでキミらはコレがわかんねぇ〜んだよ〜」みたいな。

OSX がウニベ〜スなのをいいことに、マクとしての OSX よりもウニであることの特徴や利点を説いてまわるかわりに、あんまし従来のマク OS にシンパシーが無い「ウニ族」。ウニベ〜スとなったけどそれはあくまで「ベース」の話であって、マクのマクたるゆえんは絶対失いたくない「マカ族」。宗教やコトバや習慣がちがうことからの部族対立の様相。

それに加え、これは従来からある対立軸でもあるんだけど、「開発者的立場」と「純ユザ的立場」とゆー視点。その視点でも、ウニ族はなんでも自力でやるのを旨としてるのもあって「開発者的立場」に立つひとがおおいし、逆に、歴史的に「はじめてパソユザが開発者と利用者に明確に別れた場所」の住民であるマカは、やっぱり「純ユザ側」なひとがおおいわけで。あ、 NeXTSTEP 由来のシトは当然のように「ウニ族」であり「開発者側」なりよね。

「ウニ族」はそこらの一般 OS ユザより知識に長けている自負やプライドあるし、ウニでないものやウニが分からない人を見下す傾向があって鼻につくし、「開発者」はコンピタでモノゴトをやる上の限界や制約を肌で予測できるがゆえにどうしても「コンピタ的都合」を勘案してしまうきらいがある。

「純マカな純ユザ」的には、ウニ要素はよそからの流入文化であるし、コンピタ的都合が比較的すくない OS をこれまで使ってきた経験からして、自分たちの守ってきたものが踏みにじられていくような、文化侵略されてるかのようなキブンになっちゃう。

すれちがい宇宙(そら)編

たとえば「デスクトプメタファてなんぞ」なギロンがえんえんと平行線のまま続いたりとか。

デスクトプメタファの定義が明文化されていないのはたしかだけど、マカにとっては、マクそのものがデスクトプメタファを具現化したそのものなのよね。マクがデスクトップメタファ(といわれるモノ)を採用したのではなくて、マクで 16 年間脈々と営まれてきたものがデスクトップメタファなんだと、そういう認識。

もちデスクトップメタファと呼ばれるものの原型が XEROX の例の研究所で生まれたことは知ってます。しかし研究室の実験レベルだったものを実際の人間生活の中へ持ってきたのは Mac でして。はい。

マクはそこにあるモノに触れてるかのように操作できるのがよい、そういう肉体感覚。どこになにがあるかを空間感覚で把握できるマク。コンピタヲタクじゃない「その他の人々」のためのマク。ユザが全知全能の神であるかのような「気持ちのいい錯覚」を与えてくれるマク。

でもあちら側はそれを過小評価する。過去において有効だったかもしれないけど、新世界においてそんな古い枠組みにコダワるのは進歩がない。オレらの流儀のほうが効率がいい、論理的だ。コンピタはどう転んでもコンピタだ、無味乾燥でロジカルな抽象空間に浮かぶ鋼鉄のハコだ。コンピタはそれを扱う異次元的能力のある人間こそが有効に使えるのだ。「錯覚」などではなくスキルに比例して際限なく神に近づけるのがウニだ。などなど。素肌感覚がちがいすぎる。

実は建設的意見も大いに含まれてるのかもしれないけど。そうじゃないみたいに感じてしまう猜疑心の強いマカ族、そうじゃないみたいに感じさせてしまう高飛車っぽいウニ族。

どっちもどっちだ。ヽ(´ー`)ノ

なにを賭けるのか〜なにを残すのか〜

んま、 OSX ちうのはこれまでと違って多民族国家になるんだねぃ…、と思ったしだい。

「素肌感覚がたいせつなの〜」というマクと、「ロジカルで合理的なことがだいじなの〜」というウニと、その出身者たちが合体して、そりがチカラになるのか空中分解するのかー。あー、まったくたいへんだなぁ。

ぼくはといえば、「 Mac にとても似てる UNIX 」ならいらないなー。

よく言われることだけど、たしかに MacOSX は現状でも世界でもっともフレンドリィな UNIX かもしんない、けどもフレンドリィ世界一は昔から別にあって、それは MacOS だお。MacOSX が Apple のいうような「世界で最高の OS 」になれず、その座を引き継げないのなら、もう Mac を使ってる意味はないっす〜。

追記

注1) あ、「ウニ族」「マカ族」「開発者」「純ユザ」てのは、肩書きやら職業やらが実際にそうである、とゆーイミではなくて、心のアイデンチチ〜のふるさとがどこにあるのか、てかんじです。(だから生業が開発者でも、純マカで純ユザな意見を叫ぶシトもおりますし、逆にむかしからマクとウニを使ってきた上でウニ的価値観を叫ぶシトもありますな)

注2) マク= Mac、マカ= Mac ユーザー、ウニ= UNIX またはソレ系、ユザ=ユーザー ということでヨロシク。さいきん字打つのが億劫でのぉ。げほげほん。


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