「シカゴのベロー」
橋本賢二(大阪教育大学)
アメリカ合衆国はひとつの国であっても、むしろひとつの大陸であると考えたほうがいいのかもしれない。太平洋と大西洋を領海に併せ持ち、もっとも温暖な気候部分をすべて支配下におさめつつ、さらにヨーロッパやアジアからこの上もなく遠くに切り離されたその豊かな巨大国家は、近隣諸国から攻め込まれる心配がほとんどなく、ヨーロッパや日本などが持っている国防意識などとはずいぶん違った戦争感を持っているようにも思える。
アメリカ本土で行われた戦争でもっとも大きな被害を出したのは、皮肉にも同じアメリカ人同士が戦った南北戦争であり、合衆国を脱退し新しい国家を作った南部を破壊し尽し、両軍合わせて50万人以上もの戦死者をだしたこの戦い以外、悲惨な戦争はもっぱら国外で戦われた。さらにケネディ時代にキューバに核が置かれなかったことにより、アメリカだけが近距離に自国に向けられた核兵器を持たないという、特殊な安全状況を手に入れることもできた。こんなこともあり、戦争に無関心なアメリカ国民を参戦に導くには、いつも国民を奮い立たせる作戦が必要となっている。
さらに、同じアメリカという国家の中においてさえ、その地形や地域の状況はずいぶんと違っている。東海岸の北部はこまやかな山、川、丘がある美しい自然に恵まれた場所で、大農場は作れず、小規模農業、海運、産業などに適し、農業国を工業立国へと変貌させる原動力となった。一方南部は、縦走するアパラチア山脈が内陸部にまで入り込み広大で肥沃な土地があり、複雑な作業を要する綿花、タバコなどの大農業に適していたために、奴隷がいつまでも必要なままであった。北部が奴隷解放を主張することができた裏にはこんな事情もあったのである。
また中西部まで入っていくと山はあたりからすっかりなくなり、大地はまったくの平面となる。さらに五大湖の水面とあいまって、見晴らすかぎりのフラットな大地が延々と続くこととなる。このあたりでは山を見ようとすれば、車で州を越えて相当走らなければならなくなる。日本においての道案内は、主にビルや交差点、公園や橋などの建築物を使ってなされるが、この地においては、何マイルも建物や町さえ見当たらないため、「西に何マイル」などと、方角と距離を使って示されることが多いという。
また西海岸では、のんびりとした文化的な背景もあるのだろうか、地図上の距離や位置感覚は希薄で、場所を尋ねると、「ここから5分くらいかな」と、時間を用いた返答が返ってくることが多いとも言われている。
これだけを見てみても、アメリカをひとつの国家としてとらえようとすることのむつかしさがわかるのではないだろうか。
ニューヨークなど、東部の特徴は海に面していることにもある。日本にいてはわからないが、内陸育ちの人々には、海洋の存在はショックでもあり、場合によっては、拒否感さえ示す対象にもなりうるらしい。ベローの短篇「ゼットランド」のなかに、メルヴィルの『白鯨』を読み、広大な海洋のイメージに酔って目まいを起こし、溺れそうになっていくシカゴ育ちの主人公の姿がある。また考えてみれば、フィッツジェラルドのギャツビーの姿にも中西部と東部という対立は色濃く描かれている。そうなると、普遍的な作品を書いたと思われているソール・ベローの場合でも、その若いころを過ごしたシカゴという土地が持っていた影響力は、決して見過ごせないものとなってくるのではないだろうか。
2004年3月30日アルク社から出版された『ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち』の中で、『シカゴ育ち』などの作品で知られるスチュアート・ダイベックが、ベローのことに触れている部分がある。インタビューは2000年8月31日に行われたものであるが、同じくシカゴを舞台に書いている作家として、ベローは無関心ではいられない存在らしい。
実験都市として存在しているシカゴという場所が持つ「揺籃力」が、フォークナーやウェルティ、オコナーを生み出した南部のそれにも匹敵するものであると語るダイベックは、それらの作家は場所の感覚がとても強烈で、場の作家、という要素が強いと認めたうえで、「では、シカゴについて書いているほかの作家については?つまりその、場所の感覚ということに関して」と聞かれ、次のように答えている。
ダイベック うん、ほとんど正反対の存在としていつも名が挙がるのが、ベローとオルグレンだ。僕はどちらも大好きだった。べつにどっちかを選ばなくちゃいけないと思ったことは一度もない。オルグレンの方はずっと若いときに読んだ作家で、ベローはもっとあとになって知って、今も興味津々で読んでいる。ベローは天才だと思う。あの言語の豊饒ぶり、想像力の豊かさには、何度読んでも舌を巻いてしまう。フォークナーの中西部版というのにもっとも近い存在じゃないだろうか。ベローもフォークナーも、文章に同じ豊饒さ、同じレトリックの力があると思うんだ。
一人の作家にとって、その作品の舞台は、単なるステージとしての意味以上のものを持っていることを、改めて認識させられる談話ではある。
(2007年4月1日〜2008年3月31日)
《著書》
- 日本ソール・ベロー協会編『ソール・ベロー研究―人間像と生き方の探求』(大阪教育図書、2007年6月1日)
- 半田拓也(福岡大学) [p.i]
- 第T章 ベローが生きた時代、ベローがなしたこと―中・後期の展開を軸に 橋本賢二(大阪教育大学) [p.1]
- 第U章 反ユダヤ主義とソール・ベローの40年代―『宙ぶらりんの男』と『犠牲者』を中心に 大工原ちなみ(富山大学) [p.21]
- 第V章 『犠牲者』における他者への責任―レヴィナスを手がかりに 杉澤伶維子(同志社大学・非) [p.39]
- 第W章 逸脱する思索―『オーギー・マーチの冒険』 片淵悦久(大阪大学) [p.55]
- 第X章 アフリカはどこに存するのか―『雨の王ヘンダソン』試論 鈴木元子(静岡文化芸術大学) [p.73]
- 第Y章 複合体としての主体―『ハーツォグ』におけるソール・ベローの知識人観 大場昌子(日本女子大学) [p.89]
- 第Z章 記憶と希望―『サムラー氏の惑星』と『エルサレム紀行』 佐川和茂(青山学院大学) [p.101]
- 第[章 レヴィナスから読み解く『フンボルトの贈り物』 坂野明子(専修大学) [p.117]
- 第\章 初期3短編における超越思想をめぐって 町田哲司(関西外国語大学) [p.137]
- 第]章 「頭」と「身体」―短編「未来の父親」を中心に 伊達雅彦(尚美学園大学) [p.153]
- 第]T章 ベロー作品におけるユーモアの質の変遷―『この日をつかめ』と「銀の皿」を中心に 村田希己子(北九州市立大学・非) [p.171]
- 第]U章 ソール・ベローと短編―短編集『モズビーの回想録』の中の人々 半田拓也(福岡大学) [p.187]
- 第]V章 二つの親子関係―「銀の皿」と『どんな日だった?』 池田肇子(福岡女学院大学) [p.205]
- 第]W章 SAUL BELLOW: Leaving Behind the “Irritated Self” Keith Botsford (ボストン大学) [p.225]
- 片淵悦久(大阪大学)『ソール・ベローの物語意識』(晃洋書房、2007年12月20日)
目次
- まえがき
- 序 ユダヤ系アメリカ文学とソール・ベロー [p.I]
- 第T部 回想と瞑想 [p.25]
- 第1章 仮想された自己対話―『宙ぶらりんの男』 [p.31]
- 第2章 「あること」と「なること」―『雨の王ヘンダソン』 [p.50]
- 第3章 瞑想の物語学―『フンボルトの贈り物』 [p.69]
- 第U部 思索する自己探求者 [p.89]
- 第4章 逸脱する思索―『オーギー・マーチの冒険』 [p.96]
- 第5章 饒舌と沈黙―『ハーツォグ』 [p.114]
- 第6章 「内なき外」の迷宮―『学生部長の十二月』 [p.133]
- 第7章 脱線への強迫観念(オブセッション)―『心の痛みで死ぬ人たち』 [p.151]
- 第V部 ユダヤ系小説としての修辞法(レトリック) [p.171]
- 第8章 ユダヤ人同胞を待ちながら―『犠牲者』 [p.177]
- 第9章 さまよえるダヴィデの星―『この日をつかめ』 [p.198]
- 第10章 脱ホロコースト文学の地平―『サムラー氏の惑星』 [p.211]
- 第11章 帰るべき場所―『ベラローザ・コネクション』 [p.233]
- 第12章 アメリカのユダヤ人、その生と死―『ラヴェルスタイン』 [p.249]
- 結び ソール・ベローの物語意識 [p.271]
《論文》
- IWATA, Jun(武庫川女子大学・非)“Herzog?from Martin Heidegger to Paul Tillich―” Mukogawa Literary Review 44 (2008): 1-24.
- 佐川和茂(青山学院大学)「古い道を歩む―ラビ・スモールの世界を訪ねて―」『青山スタンダード論集』3(2008年1月16日):167-188.
《エッセイ》
- 片淵悦久(大阪大学)「この登場人物がいい―タムキン博士(ソール・ベロー『この日をつかめ』)」『英語青年』6月号(2007年):19.
- 三杉圭子(神戸女学院大学)「この登場人物がいい―フンボルト・フォン・フライシャー(ベロー『フンボルトの贈り物』)」『英語青年』6月号(2007年):27.
《発表》
- 岩橋浩幸(大阪大学・院)「依存・共存・自己実現―思索小説として読むThe Adventures of Augie March 」(日本アメリカ文学会第46回全国大会、広島経済大学、2007年10月13日)
《海外ベロー関係文献》
- Halldorson, Stephanie S. The Hero in Contemporary American Fiction: The Works of Saul Bellow and Don DeLillo. New York: Palgrave Macmillan, 2007.
- Preface [p.ix]
- Chapter 1 [p.1]
- Differing the Hero: Form [p.1]
- Where Have All the Heroes Gone? [p.1]
- Defining the Hero [p.5]
- Welcome the Assumed Hero [p.8]
- Defining the American Hero: Story [p.11]
- 3D Reality and the End Narrative [p.11]
- A Brief Overview of Saul Bellow's Heroes [p.16]
- A Brief Overview of Don DeLillo's Heroes [p.22]
- Chapter 2 [p.31]
- Henderson the Rain King : The Hero Surrendered [p.31]
- The Novel and its Hero [p.31]
- The Hero in the Novel [p.42]
- Chapter 3 [p.71]
- Mr. Sammler's Planet : The Hero Accused [p.71]
- The Novel and its Hero [p.71]
- The Hero in the Novel [p.85]
- Chapter 4 [p.109]
- White Noise : The Hero Defended [p.109]
- The Novel and its Hero [p.109]
- The Hero in the Novel [p.121]
- Chapter 5 [p.145]
- Mao U : The Hero Returned [p.145]
- The Novel and its Hero [p.145]
- The Hero in the Novel [p.158]
- Conclusion [p.179]
- News from The Republic of Letters 16 Toby Press (Oct. 2006)
- By Way of Farewell on Saul Bellow
- Gold, Herbert. A Genius for Grief [p.3-25]
- Walsh, Chris. Bellow as Teacher [p.27-29]
- Botsford, Keith. A Friendship [p.31-35]
- Weinstein, Ann Cheroff. Me and My (Tor)mentor: Saul Bellow: A Memoir of My Literary Love Affair. New York: iUniverse, 2007.
- 2007年4月1日:『ニューズレター』第19号発行
- 8月1日:「大会案内」」「理事会案内」発送
- 9月14日:2007年度理事会(於高槻市総合センター内展望レストラン)
- 9月14日:第19回日本ソール・ベロー協会大会(於高槻市立生涯学習センター)
- @ 開会の辞 町田哲司(会長・関西外国語大学)
- A 総会 司会:佐川和茂(代表理事・青山学院大学)
- B シンポジウム コーディネータ:片渕悦久(大阪大学)
- 講師
- 1. 岩橋浩幸(大阪大学・院)
「The Bellarosa Connectionにおける記憶・語り・自己成型」
- 2. 伊達雅彦(尚美学園大学)「恋愛小説という視点―The Actual を読む」
- 3. 大工原ちなみ(富山大学)「A Theft における喪失」
- C 講演 Jay Halio(デラウェア大学名誉教授)
“ Saul Bellow's Novels of Contemplation: The Dean’s December.”
- 懇親会(於高槻市総合センター内展望レストラン)
- 2008年1月20日:「年頭のご挨拶」「日本ソール・ベロー協会2008年度大会予告と研究発表の申し込み募集」発送
- 支部例会
- 日時――2008年3月26日(水) 午後2:00〜5:00
- 場所――青山学院大学・青山キャンパス総研ビル7階第12会議室
- 発表―「More Die of Heartbreak を読む」
@伊達雅彦(尚美学園大学)
A坂野明子(専修大学)
B大場昌子(日本女子大学)
C佐川和茂(青山学院大学)
- 懇親会―レストランBeacon
(2007年4月1日〜2008年3月31日)
収入の部 | 円 | 支出の部 | 円 |
前年度繰越金 | 62,359 | 通信関係費 | 21,272 |
会費 | 227,830 | 大会・懇親会関係費 | 279,747 |
懇親会費 | 114,000 | ISBS 会費 | 93,864 |
寄付(大阪教育図書より) | 10,000 | ホームページ関係費 | 15,744 |
_ | _ | アルバイト代 | 1,000 |
_ | _ | 次年度繰越金 | 2,562 |
合計 | 414,189 | 合計 | 414,189 |
2008年4月1日
会長 町田哲司 印
会計書類等を監査の結果、以上の報告に相違ありません。
会計監査 橋本賢二 印
2000年度の名簿から、FAX番号とE-mailアドレスを追加しております。まだ掲載していない方で、今後掲載してもよい方は、事務局までお知らせください。迅速な意見の交換や、連絡に便利ですのでよろしくお願いします。
また、現在の名簿の掲載事項のうち、削除を希望される項目がありましたら、お手数ですが、事務局までご連絡ください。
事務局では、ニューズレターに掲載する原稿を募集しております。ベロー研究に関係のあることでしたら何でも結構ですので、事務局までお送りください。できれば、添付ファイルにてお願いいたします。
2008年度会費納入用の郵便振替用紙(日本ソール・ベロー協会:00940-5-109785)を同封いたしております。
一般会員は2,000円、学生会員は1,500円となります。また、日本ソール・ベロー協会と提携関係にあるアメリカの International Saul Bellow Society(ISBS)にも所属する一般会員は、日本ソール・ベロー協会2,000円+ISBS 5,000円で7,000円、学生会員は、日本ソール・ベロー協会1,500円+ISBS 5,000円で6,500円となります(この場合、振替用紙の通信欄に、氏名、住所、所属を英語でお書き添えください)。ISBSに所属しますと、同学会の機関誌 Saul Bellow Journal を受け取ることができます(年に一回程度発行されます)。
(2005年9月8日改正)
- 第1条(名称)本会は日本ソール・ベロー協会と称する。
- 第2条(目的)本会はソール・ベロー及び関連諸分野の研究と、会員相互の交流をはかることを目的とする。
- 第3条(事業)本会は前条の目的を達成するために次の事業を行う。
- 1. 総会の開催
- 2. 調査・研究のための諸活動
- 3. 調査・研究成果の刊行
- 4. 会報(ニューズ・レター)の発行
- 5. 研究発表会・講演会等の開催
- 6. その他、本会の目的達成に必要と認められる事業
- 第4条(会員)会員はソール・ベローの研究に関心を持ち、所定の年会費を納めたものとする。
- 第5条(会費)本会の年会費は2,000円、ただし学生会員の場合は1,500円とする。アメリカのInternational Saul Bellow Society(ISBS)にも加入する場合は7,000円、学生会員の場合は6,500円とする。
- 第6条(役員等)本会に次の役員等を置き、会員の中から選出する。
- 1. 会長、代表理事各1名。理事会が理事の中より候補者を推薦し、総会で承認を得る。
- 2. 理事。各地区毎に若干名。構成員数に応じて増減。総会で選出する。
- 3. 会計監査 1名。総会で選出する。
- 4.その他、本会に必要と思われる諸役については、適宜会員の中から総会の決議に基づいて
会長がこれを委嘱する。
- 第7条(役員の任期)役員の任期は2年とし、再任を妨げない。
- 第8条(事務局)事務局は、総会の承認を得た事務機構に運営を委託する。
- 第9条(経費)本会の運営は会員の会費、寄付金、その他の収入をもって当てる。
- 第10条(事業年度)本会の事業年度及び会計年度は毎年4月1日に始まり、翌年3月31日に終了する。
- 第11条(会則の変更等)本会の会則の変更、会費その他の重要な事項の決定は総会の議決による。
- 申し合わせ事項
- (1) 総会及び研究発表会は年一回開催する。
- (2) 本会の本部、事務局は下記の所へ置く。
- (本部)関西外国語大学 町田哲司研究室内
- (事務局)大阪教育図書内