《プログラム》
*懇親会 (5:00〜7:00)(会費:一般会員-6000円、学生会員-5000円)会場:青学会館
*理事会を、12:30より総研ビル10階第12会議室で開きます。
「へティーの遺産」
橋本賢二(大阪教育大学)
1958年の短篇「黄色い家の遺贈」("Leaving the Yellow House")は、ベローが、その前年、劇作家のアーサー・ミラーとその夫人マリリン・モンローと共に、西部の先住民居住区で過ごした経験をもとに書き上げた前期の作品で、のちに短篇集『モズビーの回顧録』(Mosby's Memoirs and Other Stories, 1968)の中にも収められた、魅力的な長めの短篇小説である。主人公の72歳になる女性ハティー・シモン・ワゴナー(Hattie Simmon Waggoner)は東部出身の元来、教養のある女性。しかし今では離婚し、砂漠で一人暮らす身寄りのない老女。しかも最近車の事故で大怪我をして体が不自由になり、もう遺言を書かねばならない時を迎えた。長く苦しい人生を生き延びてきて、やっと辿り着いたつかの間の平安。この家も財産も、誰にも渡したくない。事故を起こしたときでも、入院費を惜しんで医者に行こうとせず、結局、骨はうまくつながらなかったが、口にしたのはかさんだ輸血代のことばかり。発電機のガス代をケチって治療具をはずしたほどだ。思い悩んだハティーはついに自分あての遺言書を書く。「この黄色い家、その土地、水利権のすべての財産を、この私、ハティー・シモンズ・ワゴナーに譲ります。」
作者のベローも遺書を残したのだろうか。2005年とうとうこの世を去り、今は東部ヴァーモント州ブラトルボロ(Brattleboro)のユダヤ人墓地に埋葬されている。ベローが晩年を過ごした夏の家があるハリファクス(Halifax)の近くである。
そして同じヴァーモント州のほど近い場所に、意味ありげなベローズフォールズ(Bellows Falls)という町がある。この名前にソール・ベローも惹かれたのだろうか。今から100年ほど前、そこに「ベローズフォールズの誇りと苦悩」と呼ばれた人物がいた。1834年、東部マサチューセッツ州のニューベッドフォードで大捕鯨船団を所有するクエーカー教徒の富豪の家に生まれたその人物は、病気がちな母に代わって、6歳までに父親に経済新聞を読み聞かせてもらって育った。やがて両親から700万ドルの遺産を受け継ぐと、南北戦争の折に北軍の劣勢で暴落した公債を買い占めた。工業力のある北軍の勝利を見越していたその人物は、結果的に巨万の富を得た。ニューヨークに出たその人物は、株取引に才能を発揮し、やがて「ウォール街の魔女」と呼ばれるようになる。
その資産は想像を超えるものとなった。シカゴ大火災のあと、安くで買い占めたその土地はシカゴ中心部(ダウンタウン)の半分に及んだ。いくつかの鉄道会社を所有し、息子の誕生日には、実物の列車をプレゼントしたという。サンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフも彼女のものとなった。
彼女が亡くなった1916年、その遺産は1億ドルを越えていた。今のお金に換算して、1兆8千億円にのぼる。そして1998年に出た本によると、その人物は20世紀において、世界で36番目の金持ちであり、そして世界で一番金持ちの女性となったのである。
しかしながら驚くことは、この女性の暮らしぶりだった。21歳の誕生日に、ケーキの上に並べられたろうそくを引き抜き、店に持参し代金を返してもらったその女性は、ニューヨークでは安アパートに住み、湯を沸かすのも惜しんで、冷たいオートミールや割れたビスケットを主食とし、一週間を5ドルで暮らした。手を洗わず、まるで魔女のような着たきりの黒いドレスの洗濯は汚れたときにすそを洗うだけ、下着と共にすりきれるまで着用した。失くした2セントの切手を捜して一晩を費やしたこともあった。息子が脚をケガしたとき、無料の医院を捜し回るのに時間をかけすぎて、とうとう子供の脚は切断されるという悲劇さえあったという。
その女性の名前はヘティー・グリーン(Hettie; Hetty Green)。世界で最も金持ちで、世界で一番ケチな女性としてギネスブックにも記されている。
晩年に頻繁に卒中に見舞われたヘティーは、車椅子の生活を余儀なくされた。そして最後の瞬間も、牛乳のことでメイドと口論をしていたという。
世界一お金に執着した女性ヘティー・グリーンは1916年81歳で亡くなった。それはソール・ベローが生まれたちょうど翌年のことだった。生まれ故郷ニューベッドフォードにはヘティーの記念館があるという。
本名であるヘンリエッタ(Henrietta)の愛称はヘティーとハティー。
ベローはヘティー・グリーンから遺産をもらった。それは器として、魅力的な人物を生み出すヒントをベローに与えた。ヘティー・グリーンの姿から人生に対するひとつの洞察を得たベローは、それをモンローと過ごした砂漠の中に置いた。ひとつのミスマッチがそこに生まれ、かつてないアクティブなストーリーが誕生した。砂漠の中で富にしがみつく、死の危機に瀕した年老いた女性ハティー・ワゴナー。そしてその姿は、ベローが生み出した別の形の「勇気」。生にしがみつく姿は、あさましくもあるが、たくましくもある、ベローがわれわれに残してくれた「遺産」のひとつである。
[発表要旨]
ソール・ベローは一般には、『宙ぶらりんの男』(1944)や『犠牲者』(1947)、『オーギー・マーチの冒険』(1953)、『雨の王へンダソン』(1959)、『ハーツォグ』(1964)や『フンボルトの贈り物』(1975)などの長編が親しまれているが、『この日をつかめ』(1956)をはじめとして中編や短編にも優れた作品が多い。このシンポジウムでは、もっぱらベローの短編や中編を手がかりとして、ベローの文学世界にアプローチを試みたい。
中・短編を手がかりにしたい積極的な理由の一つに、ベロー自身が(特に晩年になって)自分は短く書くことを心掛けていると述べている点が挙げられる。ベローは選集 Something to Remember Me By (1991)(この選集は表題の作品と"The Bellarosa Connection"と"A Theft"の3編を収録)の foreword のなかで次のように書いている−"It's difficult for me now to read those early novels, not because they lack interest but because I find myself editing them, slimming down my sentences and cutting whole paragraphs."。ベローが以前に書いた文章に手を入れたくなるというのは、謙遜もあり、ベローには優れた長編が多いというのも事実であるが、N. ホーソーンやW. フォークナーに匹敵すると言っていいほど、短編も得意としている。
短編や中編を取りあげるもう一つの理由は、中・短編には短いからこその統一性、完結性、緊張の持続、明瞭さなどがあるはずであり、これがベロー理解を、ひいては長編小説やベローの文学世界を理解する助けとなってくれるかもしれないからである。長編が短編小説の理解を助けてくれるのはもちろんであるが、短編がいわば逆照射によって、長編小説の理解を深めてくれないか、このような考え方をパネリスト全員が共有している。私たちは、幾つかの短編・中編の主題や登場人物の性格、生き方などを多面的に論じることによって、この作家の特徴や問題意識といったものを浮かび上がらせることができればと願っている。
発表は最初、半田が序論として、短編集 Mosby's Memoirs and Other Stories(1968)から主な作品を取り上げ、特に主人公と作者の距離の問題を論じる。次に、村田がユーモアを視点として Seize the Day と短編集 Him with His Foot in His Mouth and Other Stories(1984)から "A Silver Dish" を中心にして論じる。次に、佐川が再び Mosby's Memoirs and Other Stories を取り上げ、"Leaving the Yellow House" と "The Old System" を中心にして、ベローの「回帰と希望」について論じる。最後に、池田が再び短編集 Him with His Foot in His Mouth and Other Stories を取り上げ、"A Silver Dish"と What Kind of Day Did You Have? の共通項に注目し、論を展開する。(文責:半田)
半田拓也
このシンポジウムのトップバッターとして、私はベロー作品の特徴を述べることから始めたい。
ベローの永年の朋友であったKeith Botsford教授(ボストン大学)は、NPR(National Public Radio)のウェブページに掲載された"Author Saul Bellow Dies at Age 89"という訃報記事のインタビューで、ベローの特徴は何かという質問に答えて、ベローが『オーギー・マーチの冒険』(1953)を契機にして、アメリカの言語に新しい息吹を吹き込んだことと、ベローが類まれな観察者である点を挙げている。確かにベローは『オーギー』を契機として、処女作品『宙ぶらりんの男』(1944)と第二作『犠牲者』(1947)の重苦しい雰囲気から脱却し、自由で伸びやかな言語を用い、『雨の王へンダソン』(1959)ではこれにユーモアの要素を加え、独特の語りの面白さを作り出していった。ベローが鋭敏な観察者であることは、ノーベル賞の受賞理由にも「人間への洞察と現代文化に対する巧妙な分析」が挙げられている。また、ボッツフォード教授は、ベローのユダヤ性について質問され、ベローがユダヤ系作家というレッテルを貼られることを嫌っており、ベローは「普遍的な作家だ」と答えている。 これは、ベロー作品のユダヤ性を認めた上で、その普遍性を強調したものと考えられる。
イディオロギー的、あるいは思想的には、ベローは中道であり、虚無主義に懐疑的、また精神分析には浸かりながらも批判的と言えるだろう。人間には魂、soulというものが先天的に備わっていると考えるのも、見逃せない特徴のように思われる。想像力の傾向としては、渋谷雄三郎氏が『ベロー ― 回心の軌跡』の中で、ベローの特徴を「想像力が過去にさかのぼるとき、その表現が最もリアリティをはらんでくるといった資質の作家である」と述べているが、これもベローの世界を活写する一文であろう。
短編集 Mosby's Memoirs and Other Stories(1968)の各作品では、ベロー文学の主題がストレートに語られているように思う。例えば、"Leaving the Yellow House"における死の主題、"Looking for Mr. Green"における agreement の主題などである。今回の発表では私は、特に主人公と作者の距離の問題を論じたいが、その際、ベローの推敲跡についての若干の考察を含めたい。というのは、この短編集の現行版には、以前の版や雑誌に掲載された version との間には、約520箇所を数える異同があり、この推敲跡を辿ることは、作者と主人公の距離を考えるヒントが得られそうだからである。
* Saul Bellow's view of man, his imagination, his revision
村田希巳子
ベロー作品の登場人物をユーモアの側面から分析すると、二つの典型的なタイプが際立っていることが分かる。
一つは、ユダヤ的ユーモアの典型的人物像であるシュレミールである。人が良いのでだまされやすく、またいつもへまばかりしているため、社会からひどい仕打ちを受け、妻からさえも虐待され、傷つき、みじめに生きていく。横暴な妻の支配下で強迫観念に苦しむ夫や、寝取られ亭主は、シュレミールの典型的な人物像である。その中で、自分自身の苦境を必死に訴え、独白する姿は、読者の同情と哀れみを誘うが、同時に人間の愚かさを露にし、失笑の対象とならざるを得ない。彼らは、見知らぬ人の葬儀に迷い込んで大泣きをしたり、電車の中で出会った見知らぬ若者を自分の未来の息子と思い込んだりするなど、はた目にも滑稽な体験をする。その体験を経て、多くの場合、彼らは覚醒し、人類愛、家族愛へと導かれ、精神的に救済されていく。こういったシュレミールには、短編 "A Father-to-be" の Rogin や "Something to Remember Me By" の Louie、"Him with His Foot in His Mouth" の Showmut、中編 Seize the Day の Wilhelm、長編 Herzog の Herzog などがあげられる。 今回の発表では、この人物像の代表として、Seize the Day の Wilhelm を中心に分析していく。
もう一つの典型的人物像は、ピカレスク小説的悪漢である。権謀術数を駆使して生きるこのしたたかな悪漢は、ギャングの街シカゴなどを背景に生き、トールテール(ほら話)にも出て来そうな気配の持ち主で、抱腹絶倒を誘う。豪快で、悪知恵を駆使し、苦境を吹き飛ばし、社会と闘うたくましさはいかにも典型的なアメリカ的人物のように見える。しかし、よく見ていくと、このピカレスク小説的悪漢は、数カ国語を使いこなすインテリで、ユダヤ人の伝統的な知恵を駆使し、長い虐待の歴史を生き抜いてきたに違いない、ユダヤ人のもう一つの性格を持つヒーローでもある。この代表的人物としては、短編 "A Silver Dish" に登場する父親の Morris、さらに長編 The Adventures of Augie March に出てくる、祖母の Lausch などがあげられる。今回は、"A Silver Dish" を扱うことによって、ベローのピカレスク小説的悪漢を分析していく。
以上、できるだけ他作品にも言及しながら、この2作品の典型的人物像を分析することにする。そして、全く異なって見える2人物像の共通点を挙げることで、ベロー作品のユダヤ的ユーモアの特質を考察する。
* Jewish humor, schlemiel, picaresque
佐川和茂
われわれはなぜベローを愛読するのか。彼が永遠のなぞを探求しているからであろうか。人間とは何か?人生の英知とは何か?神とは?宇宙とは?あるいは彼のユーモアや機知が発揮された濃密で論争的な文体に惹かれるからであろうか。それが読者の思索を促し、生き方を模索させるからであろうか。それとも彼の描く人間に魅力を感じるからであろうか。
それでは、短編 "Leaving the Yellow House" は、何を語ろうとするのであろうか。ハティという老女の辿ってきた人生を描き、混交の人生を受け入れ、黄色い家に込められた彼女の記憶を読者に残そうとすることであろうか。ソール・ベローの作品には、混交の中に希望を見出す姿勢や、混沌の中より自己を秩序付け方向付けようとする態度が顕著ではないか。この点を、"Leaving the Yellow House" の中に探っていく。
いっぽう、"The Old System" は、老いてますますユダヤ的なものに傾倒していったベローが、ホロコーストを含むユダヤの歴史、その宗教、思想、伝統をわれわれに残そうとする作品であろうか。
ベローは年を経るに連れて、ユダヤの「古い道」より学ぼうとする姿勢を表し、ホロコーストを経たユダヤの歴史や宗教に深く入って行ったのではないか。彼の作品には、『雨の王ヘンダソン』、『ハーツォグ』、『エルサレム紀行』、『サムラー氏の惑星』などを含めて、神の意思を問い、神との契約に添って生きようとする神秘的な要素が窺えるのではないか。この点、アイザック・バシェヴィス・シンガー、エリ・ヴィーゼル、ハイム・ポトクらが参考になると思える。彼らと似て、ユダヤ教ハシディズムに関心を抱き、創造の器より飛散した光を回復しようとする神話を重視し、それをホロコースト以後の文明修復に結び付けようとする意図が、ベローに見られるのではないか。
ベローの短編の魅力を語りつつ、比較アプローチとして、彼の長編や他のユダヤ系作家にも触れていくことにしたい。
* Saul Bellow's view of Judaism, mixture and order, the Holocaust
池田肇子
短編 "A Silver Dish" は、1978年9月 The New Yorker に初出した、ノーベル文学賞受賞後の最初の作品である。翌年7月 Saul Bellow (S B) のサイン入りで限定300部の愛蔵版が出ていることから、作家の思いが込められた作品であると考えられる。この作品は、1980年度の The O. Henry Awards の第一席を受賞している。他方、中編 What Kind of Day Did You Have? は、1984年 Vanity Fair に掲載され、同年第2短編集 Him with His Foot in His Mouth に収録された。
5つの短編から成る本短編集の2番と4番の掲載順にある両作品に、何らかの共通項を期待して検討してみたい。テーマ上での大きな共通項は、ベロー作品によく見られる「親と子の関係」である。父と息子、父と娘というヴァリエーションではあるが、親からの自立を含む人生の再評価を期した子の精神的飛翔が描かれている。その過程で主人公たちが生きる、アメリカ社会(American materialism)に対するユダヤ2世としての作家ベローのスタンスが表明される。また、興味深いことに "A Silver Dish" の冒頭も疑問文で始まる。疑問の提示にはその解答が求められるから、語りの手法としてはそれだけ読者の関心を引くものと言える。
* Saul Bellow's narrative, father and son/daughter, American materialism
(2005年4月1日〜2006年3月31日)
(2005年4月1日〜2006年3月31日)
収入の部 | 円 | 支出の部 | 円 |
---|---|---|---|
前年度繰越金 | 64173 | 通信関係費 | 27401 |
会費 | 217130 | 大会・懇親会関係費 | 147366 |
懇親会費 | 55000 | ISBS 会費 | 133489 |
_ | _ | ホームページ関係費 | 21015 |
_ | _ | 次年度繰越金 | 7032 |
合計 | 336303 | 合計 | 336303 |
2006年4月1日
会長 町田哲司 印
会計書類等を監査の結果、以上の報告に相違ありません。
会計監査 橋本賢二 印
2000年度の名簿から、FAX番号とE-mailアドレスを追加しております。まだ掲載していない方で、今後掲載してもよい方は、「郵便振替用紙」に番号、アドレスをご記入ください。E-mail, Fax等で事務局までお知らせいただいても結構です。迅速な意見の交換や、連絡に便利ですのでよろしくお願いします。
また、現在の名簿の掲載事項のうち、削除を希望される項目がありましたら、お手数ですが、事務局までご連絡ください。
事務局では、ニューズレターに掲載する原稿を募集しております。ベロー研究に関係のあることでしたら何でも結構ですので、事務局までお送りください。
2006年度会費納入用の郵便振替用紙(日本ソール・ベロー協会:00940-5-109785)を同封いたしておりますので、よろしくお願いいたします。 会費は2000円ですが、昨年の総会で学生会員資格が承認されましたので、今年度より学生の方は1500円となります。 また、日本ソール・ベロー協会と提携関係にあるアメリカの International Saul Bellow Society(ISBS)にも所属する方は、 日本ソール・ベロー協会2000円+ISBS 5000円で7000円、学生の方は、 日本ソール・ベロー協会1500円+ISBS 5000円で6500円となります (この場合、振替用紙の通信欄に、氏名、住所、所属を英語でお書き添えください)。 ISBSに所属しますと、同学会の機関誌 Saul Bellow Journal を受け取ることができます (年に一回程度発行されます)。
(2005年9月8日改正)