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2004年04月のサイト鑑賞

実行の代償

2004.04.20

それはそれとして。

先の記事のパウエル国務長官の発言を読んでたら,カナかな団の躁鬱_Previewの2004年04月15日付,804 人質作戦:ふたつのケースを思い出した。

「そもそも、仮面ライダーがいるから、ショッカーが悪さをするんです。憲法違反のライダー、ハンターイッ。」

そうなんだよなぁ。仮面ライダーは無条件で正義が認められているけど,道交法違反とか,その他刑法を照らし合わせると,犯罪者なんだよなぁ。

先週AXNでやってたスパイダーマンで,FBIの捜査官(を騙ったKingpin)に対してSpider-manは,僕が悪者じゃないってコトを宣伝してよ,的なことを頼んでいた。これだけではなく,Marvel世界ではスーパーヒーローは基本的に嫌われている(X-MENに至っては人類のためにどんなに働いても迫害される側だったりするが,まぁこれは差別主義の問題だから関係なし。)。

しかし,スパイダーマンは,警察から追われ,見つかったら拳銃で威嚇射撃をされ逃げなければいけなくても,人を助ける行為を止めようとしない。何の見返りもなく(まぁ,スパイダーマンの場合は,自分の写真を撮って生活していること考えると,単純に純粋とは謂えないけど),ある意味犯罪に手を染め,人に誤解され嫌われても,正しいことを行い続ける。

確かに,ヒーローの行動をすべて法規に当てはめれば,間違いなく何らかの法律違反に当たるだろう。それを子供に隠さずに見せる文化が欧米にはある。これは日本にはなかなか見られない。

パウエル国務長官のBut if nobody was willing to take a risk, then we would never move forward.って発言を見て,なんとなくそんなことを思い出して,文化の違いを感じたりした。

まぁ,アメリカにもSupermanやBatmanみたいな(バットマンは微妙かな),日本のヒーロー感に合った奴らもいるのだけれどね。でも,どうも私はこういう輩よりも,Spider-manのようなヒーローの方が好感が持てたりする。

責任

2004.04.20

巷ではイラクで誘拐されたらしかったり,なかなか解放されなかったり,そう思ったら開放されたりって話でもちきりだったりする。斯く謂う私も誘拐直後は2ちゃんねるのニュー速+板を楽しく読ませて貰っていたわけですが。

そんななか,巷で流行の自己責任って言葉について,自己責任:ややこしいときは面倒でも情報源に当たれ : ウェブログ@ことのはから。

ちなみに「自己責任」とは「自分のやったことは自分で責任をとれ」という意味合いで使われていますが、もともとは法律用語で「自分の取らなければならない責任は限定されている」というときに使う言葉らしいです。

誘拐された三邦人に対して自己責任という言葉を使うと「彼らは自分の責任のある範囲だけ責任を負えばいい」という意味になってしまい、「全責任が彼らにある」という主張からはずれてしまうので、そういう人は「自業自得」とか言った方がいいと思います。

ふむふむ。なるほど,マスコミが使っている自己責任ってのは誤用なわけですな。

それはそれとして,今回の話で自業自得って謂うのは,どうも違和感があるように感じます。というのも,2ちゃんねる等での批判を読んでいると,自己責任を叫んでいる人たちの主張は全責任が彼らにあるというものではないように感じるから。

ではどんな主張だと思うかと謂うと,分際を知れ,というか,礼節を尊べ,くらいなのではないかなと。要は,自己防衛がなっていなかったことは事実としても,それほど問題にはされていないと思うのです。問題とされているのは,理由はどうあれ助けてもらう側が何故そんなに偉そうなのか,って部分ではないのかなぁ,と。

なので,自分なら今回の件を表現するなら,「手前勝手」って言葉で表現するなぁ。

つまりは,あくまで感情的な批判でしかないと思うデスよ。その辺の感情を逆なでするから,共感を得られていないのではないかなぁ。ボランティアはもちろん悪いことではないのだけれど,それが持つ印象を悪くしたことが,今回の誘拐されたボランティア従事者の最大の罪だと思います。

開放的

2004.04.10

年度初めは地獄のような様相で,ネット回線もGNOくらいにしか使わない状態。忙しくてもGNOは出来ていいね。まぁ,それはそれとして,なんとかweb閲覧くらいしたいよなぁ。

そんな訳で「素晴らしきこの世界」の会うサイクル/会わないサイクルより。

Webは作っておきながら掲示板は作らない、blog移行も断固拒否、双方向連絡が可能な手段はメールだけ。そんなことやってる人間が開放的な訳がねぇだろうがぁぁあああ!自分が書きたいこと書くためにやってるだけであってレスポンスがどうなろうと知ったこっちゃねぇんだよぉぉぉおおお!!

そ,そう?

後段の自分が書きたいこと書くためにやってるだけであってレスポンスがどうなろうと知ったこっちゃねぇって部分はまったくの同意なンだけど,前段はどうでしょう。

私も現在は掲示板ないし,blog移行なんて考えてもいないし,双方向での連絡手段はメールだけですが,開放的な方だと思っているンだけどな。

つ〜か,人と会話するのなんてリアルとGNOでだけで十分っす。文章書いているときは相手を考えて書くけど,書き終わった後まで相手のことを考えなきゃならんのは嫌だなぁ。

批評や反論は聞かない,って意味ではなく,反応されるのを前提にした文章なんて書きたくないな,って意味で。

必要ならばそういう文章を書くのも吝かではないのだけれども,常にそんな文章を書くのは嫌。反応される必要がある人や,反応が欲しい人は,掲示板作ったり,weblogだかなんだかを作ればいいけど,それは開放的とは違う話ではなかろうか,と思うわけです。

まぁ,文章の書き方と,選択するシステムには因果関係はないと謂えばそれまでなんですどね。そういうシステムを選ぶ必要もないって話。

OL要素と参照

2004.04.10

年度末は地獄のような様相で,ネット回線もGNOくらいにしか使わない状態。忙しくてもGNOは出来ていいね。昨日は2周年記念任務も受けれたし。貰ったのは終戦間際にギャンMと,初期ゲルググ発売後なのにドム☆にすら劣る事務駒だったけど。

まぁ,それはそれとして,年度初めも忙しいけど,四十九日も過ぎたし,なんとかweb閲覧くらいしたいよなぁ。

なんな訳で,とりあえず適当に観てたら,気になるネタがあった。カナかな団の躁鬱_Previewの2004年04月09日付,799 参照経由で,SSのMovableType: お題をもらったより。

ol要素について文献を紐解いてみると、「li要素としてマークアップした項目の並び順に意味がある事を示すのがol要素である」・・とまあ、こんな訳になりますかね?

私は「文書の構造上、項目の順序に意味があるのであって、スタイルシートのlist-style-typeは別物、何であろうと構わない筈だ!」という解釈をするので、UA依存で振付けられた番号や記号だけで参照する方法は望ましくないと感じます。

じゃあ、どのように参照するのがベターなのか?と考えました。

私ならイロハ順だろうとabc順だろうと、必ず存在する「ひとつめの項目」・「ふたつめの項目」といった参照方法をとるかと思います。

全くもって同感で,私もOL要素で書かれたものについて言及するときは,「一つめ」「二つめ」と謂っております。

ただ,なにか回答に違和感がある。なんだろうと思って,そもそものネタ元のADP: ol要素がわからないを読み直してみた。

つーか、そもそもマークアップされる前の時点で、つまり元のテキストの状態で、それなりに意味がとおっていることがのぞましい(エディタにコピペするときなどを考えればわかりやすい)ので、数字そのものを参照すべき場合は、ol要素は使えないのかもしれない。

なんだ。違和感の元は,疑問の提示の前に解決していたみたい。

要はだ。以前の法文のマークアップ話の時[see 法文のマークアップその2その3]はどっちだか判断できなかったのだが,第81条の22とか,第1項とか,第3号とかって謂い方をするものは,そもそも順番に意味があるのではなく,その番号なり呼び名に意味があるのではないかと。

そういうものは,DL要素で定義すべきなんじゃないかな,と。

じゃぁ,OL要素ってのは,どんなときに使うのかと謂えば,料理のレシピを書くときとか,折り紙の折り方を描くときとか,そういうときなんじゃないかな,と。まぁ,レシピと謂っても,材料書くときはUL要素でいい訳で,作り方書くときだけだけど。

単に,人の文章読んでたら,自分の中のモヤモヤが溶けてすっきりしたってだけなんですけどね。

文責,その他

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