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2001.05.18
ウェブサイトを公開していると、“知らない人”や“予期しない人”から、メールで感想やら質問やら情報やらを頂いたりして、「ありがたいな〜」としみじみ思ってしまいます。お金がもらえるわけでもなく、返事がもらえる確証があるわけでもないのに、わたくしめのような「どこの馬の骨」かも分からぬような輩が書いた文章を読むだけでなく、更にお便りくださるとは…。ネットの基本精神、ココにありって感じで、素敵です。 んでもって今回、初めてリクエストのメールが届きまして、初めてのことにびっくり。ありがとうございました。というわけで、頂戴したお題は経済の本の紹介。 どこの誰が言いだしたのか「風が吹けば桶屋が儲かる」などという言葉がありますが、私の経済に対する認識は、こんなものです。何がどう裏で繋がって作用しあっているのかさっぱり分からない(笑)。しかも、何から何まで繋がってるから厄介。面白そうだとは思っているけど、奥が深そうなので、なかなか首を突っ込めないまま今日まできてしまったド素人なのでアホなこと書くこと請け合い(請け合ってどうする・笑)。 グローバリズム(地球主義)は、インターナショナル(国際的)やワールドワイド(世界的)とは似て非なるもの。国際・世界という言葉が「国」や「国境」を意識するのとは違い、地球まるごとを1つの球としてとらえる考え方。例えばISOに代表されるような「グローバル・スタンダード」って考えも、この主義の産物のひとつ。地球規模って魅力的だし、平和そうだし、お得だし、なんだかいいよね。規制なんか無くしてガンガンやろうぜ! ということで、グローバルという言葉が黄門様の印籠のようになりつつある。 この「グローバリズム」と「経済」が結びついて「自由競争主義」「自由主義経済」が生まれた。自由競争・グローバリズムの祖と考えられているのはアダム・スミスである−ということに経済学の世界では、なっている。そりゃそうだわな。個人が自分の利益を追求するべく自由に経済活動をおこなえば、それだけで「神の見えざる手」によって自然に経済はあるべき姿に落ち着くというのがスミスの著作『国富論』の論旨だっていうんだから。だから、現在、自由経済やグローバル・エコノミーの擁護者たちは、スミスを「自由経済の守護神」と位置づけ、彼らの論理はスミスの論理に依拠している。
この本の面白いところは、グローバリズムを擁護する者たちが拠りどころにしているアダム・スミスが、実はグローバリズム批判者だったと主張するところにある。さらにグローバル化の進展は「世界経済の不安化要因」ではないのかとスミスが危惧していたと読みとっているところにあると思う。スミスを信奉しつつグローバリズムを推し進めようとする者にとっては皮肉なことだが、なぜそういう結論を導き出したのか、スミスの著作『国富論』『道徳感情論』のどこからその立場を読みとったかを1冊を費やして考察している。
かくして、筆者の話は『ケインズの予言−幻想のグローバル資本主義(下)』へと移っていく。そう、この本って上下巻だったのよね…。というわけで、この話、続きます。 |
2001.05.16
あるところには、あった『バンチ』。読んでみて、やっと分かったケンシロウの謎(って大ゲサな・笑)。「聴コミ」だと「この子には、我が兄上けんしろうの名をもらい、名付けよう、けんしろうと!」ってリュウケンが言ってるんだけど、両方「けんしろう」なものだから、「はぁ?」って感じだったんだけど、読んでみたら、「我が兄拳志郎の名をもらい、名付けよう、ケンシロウと!」ってことで、「なるほど」と納得(音はそのままもらってるから分からなかったの)。今回連載が始まったのは、拳志郎の方のエピソードで、かつてテレビで一世を風靡した(笑)ほうはケンシロウ。どうでもいいけど、リュウケン、かわいい。生まれたてのケンシロウの顔を見て眉尻下げてる姿は、「あのリュウケン」とは思えん(笑)。でも、1935年に拳志郎が既にいい大人で、ケンシロウが1970年代生まれ(で、活躍するのが、言うまでもなく199X年ね・笑)というのは、少し、計算が合わないというか…無理があるような気がするのは、私の読みが浅いから? 拳志郎も、ちょっと雰囲気が「お笑い」っぽいんですけど。匂いマニアって設定とか。それに拳志郎とやられ役のこのやりとりに、どことなくほりの○ゆきチックなものを感じて笑ってしまった。 拳:この指を抜いたら…お前 死ぬよ や:ウソ!? 拳:ぬく? や:いや ぬかないでぇー 拳:だめ …文字だけだと、いまひとつだけど。 どこまで本気なのかよく分からない(笑)。 |
2001.05.15
谷川史子の新刊『魔法を信じるかい?(2)』(集英社・りぼんマスコットコミックス クッキー)。書店で一瞬見つけられなかったよー、背景が黒いから。意外でしたわ、まさか黒のベタ塗りとは。多分、この人は使わないだろうな〜と勝手に思っていた筆頭の色なので、その予想をいい意味で裏切られ、ちょっとドキッとしてしまった。黒ばっかり使ってたら、こうはいかないよね。 現物が手元にないんで、ひとまずネットで聞ける音声ドラマ(“世界初 連載漫画と同時掲載のWEB音声ドラマ”という触れ込み「聴コミ」と名付けたらしい)だけ聴いてみた。なんかどちらも、それぞれアレとアレがかぶって、ストーリーがよく分かりませーん(笑)。関連あるんですか、ないんですか。でも新たにケンシロウの「お前はもう○んでいる」を聞けるとは思ってませんでしたので、すこしラッキーな気分。 原哲夫、北条司が同じ雑誌で連載していてコミックでの新しい試み…というと、去年休刊(廃刊?)してしまった雑誌の『BART』を思い出してしまうんだけど。キャストもちょっと似てるし…。『BART』は消えてしまったけれど、轍を踏むな『コミックバンチ』。 |
2001.05.12
風邪ひきました。あー、はだずづばり(=鼻づまり)。季節の変わり目は大変です。そんなわけで、この前の話はもう、言いたいことのだいたいは書いたので、つまり、おせっかいなCMだーということで。お茶を濁しちゃおっと(爆)。 ミステリーとカテゴライズしてしまうのは惜しい(だったら何のジャンルなのさと言われても困るんだけど)『片思い』(東野圭吾著・文芸春秋)には、男であることや女であることを、他人より意識せずにはいられない人たちが何人も出てくる。かといって、それはそういった人たちに限った話ではなくて、それを顕在化させたエッセンスのようなものだから、現在生きている人なら多かれ少なかれ、抱く疑問・葛藤・意識の揺れに通じている。男だ女だってコトがたいした問題ではなくなる日まで、続く問題だろう。 大学時代のアメフト部に所属していたマネージャー(♀)が、10年ぶりに現れ、実は自分の心は男だと告白する。しかも、不可抗力から殺人を犯してしまった−と。この平たく言ってしまえば「性同一性障害」の元マネージャーを「かくまう」と決めたことから、事件は転がり始める。彼女(?)と、かかわるうちに、過去の思い出や、同じ心の障害に悩む人、それを乗り越えた人だけでなく家族や夫婦の「男」と「女」の問題を絡めながら、「殺人事件」の真相に迫っていくものだから、読み始めたらとまらなくて困った(笑)。
かといって、男と女の問題も決して半端という気はしない。さまざまな立場の人物を登場させ、それぞれの角度から例を提示。男と女をメビウスの帯に例えたところは、的を射た表現な気がして、「ううむ」感心しちまった。
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2001.05.08
この検索エンジンいい感じっすね。NAVER Japan。 番組の終わり頃に、出席者に「おとなになってよかった、と思うのはどんなとき?」という質問をした。そこでリカちゃん(笑)は、「マンガ読み放題、ゲームし放題」と答えた。「んー、まったくだ!」と、テレビの前で大きくうなずいていたのは私です(笑)。 でも、この答えは番組的にはあまりウケなかったらしい…という話がメルマガの「香山ココロ週報」(さっき届いた65号)に書いてあった。で、同じ質問に次の人が「やっぱり夫に出会って子どもができたこと、自分の家族を持てることですね」と言うと、周囲の賛同を大いに得たそうだが、このことについて、リカちゃんは疑問を持つ。
が、「〜ココロ週報」は続く。「『私はこうやってとてもよかった。だからみんなもそうすべ
わたしもテレビCMを見て、似たようなコトを考えていた。昨年末ぐらいからO.A.されている「世界でいちばん大切なのは家族です」っていう公共広告機構(AC)のCM(ジョン・レノンと息子のショーンとオノ・ヨーコの3人のポートレイトが出てくるヤツね?)。
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2001.05.07
ゴールデン・ウィークが終わってしまいましたが、心残りなのは「映画クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲」を観に行けなかったことですかねぇ。噂ではメチャ面白いらしい。「クレしん」(←略すな・笑)の劇場版は、いつも良いですよね。が、今回は、いつもにも増して素晴らしいらしく、いろんなトコロで勧められてしまってます。何がどう面白いのか(「感動」「泣ける」と言う人もいる)は、敢えて聞かないようにして、とっておいているのですが、その度に「そんなにイイのか!」と思っていました。 可能ならば、ゴールデン・ウィーク中、子供がいっぱい来てる映画館で観ると、子供の反応も見られて面白さ倍増! という話も聞いていたので、期間中に観られなくてちょっと残念…。 舞台は19××年。…と言われても、今となっては既に過去(笑)。現実って容赦ないね。でも、作品が発表されたのが1949年だから仕方ない。自分だって50年後なんて想像できないもん。映画の『2001年宇宙の旅』だって、今年だし(笑)。確かに宇宙旅行して「パラダイスだった」とか言ってるおじさんは実在するけど(笑)。100年後の人たちからしたら、このタイトルだけ聞いたら「記録映画?」と思われるかも。
6月に公開予定の映画も完成したらしく、「50年前に描かれた近未来の都市を舞台にした物語を、最先端の技術を使い、レトロ感たっぷり にアニメ化した」というのは、文字にするとよくわからないけど、そーゆーものなのかしらね。「フルアニメ的」というのも微妙な表現で、フルアニメじゃないけど、フルアニメっぽいってことなんだろうなーと解釈。「〜風味」とか「手作り風」の類の触れ込みと同レベル??? でも、スタッフ&キャストなどを拝見したかぎりでは、期待大。それどころか、絶対観たい。ふふふ。 |
2001.05.05
一部のあちこちでで評判になっている『かめくん』(北野勇作著・徳間デュアル文庫)は面白いよ。新聞のコラムで石川忠司氏が、大江健三郎の『取り替え子(チェンジリング)』の“ことばの貧しさ”にもの申していて、それに比べてその“リアルさ、志の高さ”よ!と褒めていたのを思い出して書店で手に取ってみたら、ハマっちゃった。ネットで調べたら小松左京賞ににノミネートされて落選したという経緯があるらしいけど、そんなことは読者にとっては些細なこと。 主人公は亀。でも、動物の亀じゃなくて、模造亀(レプリカメ)。メモリが生成される甲羅を背負って、二足歩行する無口な亀のロボット(?)。「ポケモン」のあのゼニガメにもちょっと似ているらしい。この「かめくん」が、「機械亀(メカメ)」に乗って、初めはよくわからないながらも“戦闘”をおこなったり、職場の人間たちの話を聞いたり、図書館に通ったり、好物のリンゴを「しゃくしゃく」囓りながら、つらつらものを考えたりする。 この思考が面白い。彼は亀なので、「思考の基準が亀」なのだ。亀の尺度で、日常のこと、日常からふわっと跳び上がったりしてものを考える。で、考え初めたらどんどん物事を突き詰めて考えるかというと、必ずしもそうではなく、結局「分からない」ということで折り合いをつけて、また日常生活に戻っていったりもする。この日常が、現在の−ピカチュウやドラえもんが日本と地続きなんだけど、すごく未来っぽかったり−木星に“路面電車”が通じていたり、レトロっぽかったり−かめくんが“クラゲ荘”というボロアパートに住んでいたりする。 レプリカメは「ほんもののカメではない。神に似せて作られたという人間が神ではないように」ということで、かめくんが、かめくんの視線で考え、認識していることを、読者は、自分(人間)に引き寄せて考えることができるような「仕組み」になっていて、上手い。何か大事件が起きたり、格別かめくんが成長したりするわけでもなく、淡々としているのだけれど、かめくんの思考が楽しいものなので、少しも退屈しない。 かめくんが住んでいる世界は、かめくんにとって何だかよく分からないことで構成されていて、ぼんやりとしている。かめくんは、わりと勤勉で、図書館へ行ったりして調べたりしているのだけど、でもやっぱり分からない。しかも、かめくんは過去の自分の記憶にプロテクトがかけられていて、思い出せないこともたくさんある。。けれど、振り返ってみて自分が現在生きている世界も、全てを認識・把握することができるものではなく、やはり、ぼんやりしているのだから、このぼんやり感を描けているところも好感度が高い。物事を認識することに注意深くあろうとする態度も好きだ。今、とてもオススメ。(にしても、たったこれだけの文章の中に私は「かめくん」と何回書いたんだろう? 本書の中にも相当の回数「かめくん」と出てきたとは思うけど) こどもの日、だからってわけではないのだろうけど、「アメリカで遺伝子を組み換えた赤ん坊が誕生?BBCが報じる」というニュースが。 |
2001.05.04
シュレッダーを、買いました。 紙を切り刻む、アレです。「いいものだ」とは聞いていましたが、実際いいですね。 ささやかなストレス解消(笑)と実益を兼ねて、一石二鳥!郵送されてきた電話料金の明細なんかをウィイイインと裁断すると何故か、えもいわれぬ気持ちよさがあります…。 この気持ちよさは、一体何なのでしょう。深い意味があるのかないのか…。誰しもやったことのあるだろうプチプチつぶし(エアークッションつぶし)に近いものを感じる。 プチプチつぶしのこれ↑、一応楽しいんだけど、やっぱり本物の方が楽しいな。 どうせするなら、こっちの方が楽しい。これを「コントロールする快感」と分析するなら、プチプチつぶしの快感は、何に由来しているのかしら??? |