書きなぐりな日記

 
 
2001.08.31
 フジテレビで今日&明日放送の映画「タイタニック」の吹き替え、何とかしてぇぇ〜! あれは我慢の限界を超えている! 妻夫木と竹内と小林っ! 視聴者をバカにするのも大概にしていただきたい。脇は豪華で良かっただけに勿体ない…。
 あれを見るくらいなら、絶対吹き替えなしで見るわ。ちなみに、ビデオ&DVDはちゃんと、別キャストです。
 世間の大多数のちびっこ諸君は、夏休みも終わりかな(それとも来週から?)。宿題は全部終わったかな? 「読書感想文がまだ」というどこかの誰かに、とっておきのオススメ絵本を1冊紹介。『かたあしだちょうのエルフ』(おのきがく文・絵/ポプラ社)。
 なんのことはない、自分が子供の頃好きだった絵本なんだけど。今も好き。数年前に、書店でこの本に偶然再会して、買って読み返してみたら、やっぱりよくってさー。心の中に残ってた印象そのまま。
 絵は大胆な構図が素晴らしい。たとえば浮世絵で「広重や北斎もいいけど、好きなのは写楽」と思える人には気に入ってもらえるかも。
 ストーリーは「スッキリ爽快なハッピーエンド」ではありません。が、少し哀しい後味がたまらなく良いのです。たとえば新美南吉の『ごんぎつね』みたいな。こういう話が好きだった自分って、やっぱり昔から暗かったかも(笑)。
 みんなめでたしめでたしの大団円も、まぁ時にはいいのだけど、「そんなのウソっぱちだ!」という思いは、今も昔も自分の中に変わらずあったものなんだなーと思うと、ちょっと滑稽な気も。
2001.08.29
 韓国で放送されているアニメの視聴率ベスト10のうち、日本のアニメが7本を占めているらしい。これをみると、日本で現在放映されているラインアップと大差なく、殆ど時差がなく放映されているものもあるように思われる。民間レベルの交流が中止されたりしている中、日本のアニメがちゃんと放映されているのは、ちょっとびっくり。

 それはさておき、「テレビ局側がよりレベルの高い国産アニメで子供の関心を引くよう努力する必要がある」とは、立派な心がけだなーと感心するやらあきれるやら。クラスのまじめな優等生が、目標を立てて計画的に遊びますと言っているような印象(あ、そういえば、数週間前に放送した「ちびまる子ちゃん」で、丸尾君がめずらしく「遊ぶ」っていう話があったけど、そんな感じ←見てない人には分からない)。

 例えば国産の映画なんて、ぶっちゃけて言っちゃえば、とっくに斜陽産業だけれど、ハリウッド映画に負けないよう、一般庶民の関心を引くよう努力する必要がある…なんて論を大新聞様が大まじめに言ってるのを見たことがない(少なくとも自分は)。文化が浸食されてるような自覚はあまりない。「浸食」と呼ぶならマイナスイメージだけれど、文化が混じり合って溶け合ってると言えば、そう悪いものでもない。

 そもそも「関心を引く」とか、そんな程度の志でいいのか、韓国アニメ。いや、まあ、それを考えることも必要だけどさ。

 “倭色”アニメ(倭なんて言葉が今でも、かの国では使われているのは、発見だ)に、自分の国(韓国)が浸食されてしまう危機感というのは充分に理解できる。でも、こんなノリで、たとえば国がお金を出して作ったものなんて、私は見たくない。助成なり何なり、お金だけを出してくれるなら、ありがたいが、お金を出したら口も出すのがこの世の悲しい常識。
 日本という国は伝統芸能以外の文化にお金を出さないことで有名なので、「国は文化にもっと助成をすべきだ」という意見はしばしば聞く。けれど、口まで出されたとしたら、作り手も受け手も、不幸だな〜と思ってしまう。

 別に韓国でなくても構わないけれど、面白い外国産アニメに、たくさんお目にかかりたいね。テレビのチャンネルは、余るほどあるんだし。もちろん、東京都の地場産業(笑)アニメにも頑張ってほしいけど。

 そんなことより、何年後か、どこかの国の人と「アニソン大会」でもできれば、素晴らしい。もちろん、それぞれの国の言葉で歌うの。

 頑張るといえば、H2Aが飛んだ! 本当に飛ぶのかどうか、ずっと半信半疑だった。スマン。

2001.08.27
 パブリシティー権について争っているゲームソフトへの馬名使用、馬主の訴え棄却だそうです。判決についてどうこう言うつもりはないんですけど、馬など「物」には認められない−というのはちょっと腑に落ちない。馬は物っすか〜(泣)。馬好きには少し寂しい。
 かといって、GT馬だけはそうではないというのも、寂しい。

 ここ数年、勝馬投票券(馬券)の売り上げが落ちているとはいえ、日本の中央競馬の人気は、世界的にみると異例らしい。競馬発祥の地英国でも、日本みたいに一般人が競馬場に詰めかけるということはなくて、経営は苦しいらしい。
 それは、英国の「クラブ」という制度も関係していて、クラブに入れる一部の人間のための競馬が開かれているからだという意見もある。

 それに、日本みたいに「アイドルホース」がいて、応援したり、肩入れしたり、グッズを買ったり、ポスターを飾ったりすることは奇妙な現象だと思われているらしい。競走馬はあくまで「馬主のもの」であって、自分のものでもないのだから、なぜ応援などする? という考え方らしい。例えば、「いくら立派(あるいはかわいい)からといって、あなたは隣の家のペットの写真を大事に持っていたりしないでしょう」と説明されて、ふーんなるほど、という気もする。

 とはいえ、「自分の物」となると、とても大切にするらしい。
 最近は、普通の人は「馬」なんて滅多に見かけないし触ったこともない人も多いかもしれないけれど、一昔前の日本では、馬は牛豚同様「家畜」だったせいか、馬を家族として扱う伝統がなかったと聞いたことがある。まぁ、それが正しい認識かどうかは、疑問もあるけど(だって、家畜の馬や牛とひとつ屋根の下に暮らしてたんだもんね、日本では)。
 一方、欧州では、馬はどちらかというと、犬や猫と同じ、コンパニオンアニマルとして捉えられているとか。
 そういう馬を「物」と言い切ってしまうのは、日本の裁判所だからなのかな〜。それとも、もしも、イギリスやフランスやアメリカやドイツ、それからアラブ(ドバイ)に「ダビスタ」があったら、同じ理由で同じ判決が下るんだろうか。
 しかし、日本の一部の地方競馬場並みに閑古鳥が鳴いているときく競馬場を抱える欧州には「ダビスタ」が売れる土壌が、そもそもないんだけどさ。

 裁判関連、もう1件。パソコン通信で中傷されたとして、相手の名前・住所の開示と賠償を求めた訴訟で原告敗訴。当然です。こんなものを取り締まったら大変です。オバさんは隣の奥さんの悪口も言えなくなっちゃうし、罵声飛び交う国会中継だって放送できません。

2001.08.16
 8月7日号をもって写真雑誌『フォーカス』が休刊した。

 一昨年起こった桶川ストーカー殺人事件。
 別にそれにこだわりがあるってワケではないし、報道されていた当時も“ワイドショー”の熱心な視聴者でさえなかったのだけれど、この本はいつか読もうと思っていた『遺言 桶川ストーカー殺人事件の深層』(清水潔著・新潮社)。この本の著者である清水記者やそれにまつわるカメラマン達が所属していた『フォーカス』がなくなってしまった今になってこれを読むと、休刊は「惜しい」気がする。

 事件が発生したのは1999年10月26日。その日休日だった清水記者は、ペットのハムスター世話をして、クリーニングに出しっぱなしの「夏のジャケット」を取りに行こうと考えていた。
 この事件が“ひとまず”一段落し、クリーニング店から夏のジャケットを取りに来て欲しいという電話があったちょうどその日−2000年5月18日、「ストーカー行為規制法」が国会で成立した。この間約6カ月の出来事が綴られている。「あとがき」によれば、「『私』という一人称で文を書いていいものかどうかほとほと悩んだ」そうだが、その選択は正解だったと私は思う。記者が取材を進めていく上での、焦り、いらだち、怒り、安堵、喜び、事件の手触りのようなものを感じることができるからだ。
 犯人を−彼が警察より先に見つけた犯人の足取りを追いながら、彼は「俺はどこまで行くのだろう。いったい何のために、何をしようとしているのだろう」と自問する。
 屈斜路湖で死んでしまった事件の犯人の実兄の初公判の朝、彼は「一般傍聴席」を抽選で当てるために一番に地裁前に並んだ。「記者クラブ」加盟の新聞記者が彼に興味を持って尋ねる「失礼ですが、一般の方ですか」と。彼は取材を通して、尋ねた記者などより遙かに事件の経緯に詳しくなっているはずだ。にもかかわらず、彼は抽選に外れ、傍聴でず、テレビや新聞でその内容を知ることになり、彼は考える「私の立場は限りなく『一般』なのだ」。
 「世の中を斜めにしか見られない『三流』週刊誌記者」と自らを言う彼は、しかし、胸を張ってそう言っているような気がする。「『一見さんお断り』の京都府警」をはじめ、さまざまなところで多分悔しい思いをしてきたんだろう。
 この事件で、もしも埼玉県警が、記者クラブ加盟記者に対しても、それ以外に対しても、分け隔てなく情報を公開していたとしたら、事件は解決に向かわなかっただろう。情報を提供されないから、独自のルートで取材をし、事実をつかみ取れたのかもしれない。だから、非加盟の「三流記者」だと、胸を張って言えるのだと思う。
 本のタイトルは「真相」ではない、「深層」だ。清水記者は事件にかかわる人たちの心に迫った。

 読者から「今後も正義のためにがんばって!」と励まされて「赤面しまう」という彼は、本当っぽい感じがする。「私が正義だ」なんて言う人にゃろくな人がいないもんね。
 なのに彼は「私は週刊誌が嫌い」と書いている。『派手な見出し、愚にもつかないスキャンダル、強引な取材」そんなイメージ。「官公庁後方型の『公的なメディア』でないというだけで、そういうイメージが作られてしまっているところが嫌いだ。そういう社会の在り方が嫌いだ」。「報道される中身ではなく、メディアの形式で一流だの三流なだのと区別をするならば、週刊誌はいつまでたっても報道機関として『三流』でしかないではないか」。そういうことなら、三流結構−と私は思う。
 もっと言うなら、読者は選ばなければならない。目印はメディアの形式でもなければ、誌名などのブランドなどでもない。もしかしたら、記者の名前でさえないかも知れない(人はいつも同じクオリティで仕事を出来るとは限らないから)。では、どうやって…?

 そして、今年、『FOCUS』は休刊した。記者やカメラマンたちはどうしたのかなーと思うが私に知る由もない。

 『桶川女子大生ストーカー殺人事件』(鳥越俊太郎&取材班著・メディアファクトリー)の冒頭にも登場する清水記者がこの本の著者である。鳥越ら『ザ・スクープ』取材班がストーカー事件に端を発する「警察問題」に取り組んだ第2ラウンドだとすれば、清水記者たちは第1ラウンドから第2ラウンドの前半を闘ったともいえる。


2001.08.07
 ネットでツリー掲示板の無料レンタルをやっているネオシティが今月25日でサービスを廃止することになったそうです。それだけ聞いたなら「そーですか」って感じなんですが、廃止に至るまでの経緯が特殊かつ、いつ起きてもおかしくないものだと思います。サイトを運営している者なら誰でも一度は考えることかもしれません。

 それは「月刊交通違反」というジオシティーズ(日本)内に開設されているサイトの掲示板で始まりました。
 上記掲示板内の書き込みで、中傷されたと感じたさん(仮名)が、掲示板を貸しているネオシティに、その投稿を削除しないと訴える、と抗議したそうです。抗議されたネオシティ側は言われたとおり削除しました。すると、今度はサイトを開設している今井さんほか1人は、これを「極めて不当に『表現の自由』を侵害するもの」として、訴訟を起こすための原告(同志)を募集しはじめました。
 「ネオシティ側」と、先ほど書いてしまいましたが、これを運営しているのは後藤さんという個人だそうです。もし、裁判ということになれば、後藤さんは1人で「被告」をやらなければなりません。そのために「ネオシティを廃業せざるを得ない状況にもなりかねません」と後藤さんは書いています。
 そうですよね、裁判は多大な時間と費用と体力と多分気力を必要とします(私見ですが)。そして結局、サービス廃止ということになったようです(8月1日現在)。しかも、当のサイト開設者は、問題は解決したと認識しているようだけど。

 もう、だれが被害者やら、私にはよく分かりません。
 Pさんは「不当な中傷を受けた」と感じたから、削除を要求したのでしょう(本当に訴えるかどうかは別にしても)。
 サイト開設者の今井さんと寺澤さんも、「自分が借りている掲示板の内容を不当に削除された」と感じたから、やはり訴訟を起こすと言い始めたのでしょう。
 そして、その両者から訴えられそうになるという憂き目に遭ってしまったネオシティ後藤さんは、たとえ削除しなくても、削除しても、訴えられてしまうことになります。これではチェックメイト(詰み)です。最初はプログラムが好きで始めたことだったろうに、大変なことになってしまったものです。後藤さんのプログラムで動いていたこの掲示板、私はかなり快適だと思います。彼のプログラムは、社会の役に立っていたと思います。7月12日現在、貸し出していた掲示板の数は2万3000以上。たとえば各掲示板に1日平均10人が通っていたとしたら毎日20万人以上にサービスを提供していたことになるでしょう(この平均10人という試算が多いか少ないかは分かりませんが、多分少ないでしょう。7月22-28日の週間アクセスランキング1位の「ファイナルファンタジー]共同攻略掲示板」のpage viewは83万5328件ですから)。
 つまり、これらの掲示板を見ている人たちも、掲示板を借りて使っている人たちとともに、損害を受けている被害者と言えなくともありません。

 それとも、誰かが加害者だったのでしょうか。
 削除以来をサイト開設者(掲示板を借りている人)にせず、掲示板レンタルサービス提供者にしてしまったPさんに非があるのでしょうか。
 削除依頼を受けて、言われるままに削除した掲示板提供者に非があるのでしょうか。でもそれはトラブル回避のための措置だったように私には見ることもできます。
 あるいは、そうすれば掲示板提供者が、両者の板挟みになることを承知で、「表現の自由」を盾に訴訟を起こそうとしたサイト開設者も悪いのでしょうか。勝手に削除されるのが嫌なら(そのようなことは充分に想定できたはずですし)、自分でサーバを借りてプログラムを組むことだって十分に可能なのです。自分で出来なくてもお金さえ払えば(訴訟でかかる費用よりはるかに安価に)設置できたと思います。
 それとも……?

 ただ、現在のネット界だと、ネオシティのとった措置は、ごくありふれた対応ではないかと思います。何かあれば、すぐにプロバイダの責任が追及されてしまう(たとえ、それが見当はずれでも)昨今のネット事情を考えれば、それも当然だと思います。

 ネット訴訟については「インターネット訴訟2000」岡村久道編著・ソフトバンクパブリッシング)が面白かったです。たとえば、他人のサイトに断りもせずリンクをするのは違法なのかどうかとか、ダイレクトメールやスパムメールは違法なのか(受信者が通信料を支払わなければならない点で、郵便のダイレクトメールなどとは性質を殊にする)とか、興味深いトピックがいろいろあるけど、刑事訴訟や企業のかかわる訴訟がやや多いので、民事関連の続刊を望みたいです。

 そんなわけで、ネオシティの場合はどうなのか分かりません。