書きなぐりな日記
もどる
2001.01.03
  一足早く仕事始め。
2001.01.04
  「特ホウ王国2001! 新春大復活スペシャル」(午後7:00〜)の放送が楽しみな日。仕事で帰りが遅くなるものだから、ビデオに録って見ました。司会者も以前と同じなら、ナレーターの来宮良子さん、青森伸さん、若本規夫さん、小林清志さんも同じ。ふふふ。
2001.01.06
  仕事帰りに書店へ寄る。実は今年初めての本屋さん♪
  新年は、去年買って読みかけだったり、“積んどく書”になっていた本を読んでいたもので。
  あ〜なんか久しぶり(と言っても1週間ぶり)と、店内に入ると、有線放送から聞こえてきた「クリスマス・イブ」(山下達郎)。なんとも新年気分ぶちこわし(笑)。こんな季節はずれな曲をリクエストしたの誰や〜?

  それはさておき、去年から気になっていた私の嫌いな10の言葉(中島義道著・新潮社)、今日付の某新聞の書評欄で見つけた『化粧せずには生きられない人間の歴史』(石田かおり著・講談社学術文庫)を含めて書籍5冊と雑誌1冊、コミック1冊を購入。
  『私の嫌いな10の言葉』は、「お前のためを思って言ってるんだぞ!」「もっと素直になれよ!」「相手の気持ちを考えろよ!」といった、いつかどこかで聞いたような、そして、他人に言われると恐ろしくむかつく、もしくは、こいつ何言ってるか分かんないにょ!って感じの(本書の帯によれば“虫酸が走る!!”)言葉を「なぜコレほどまでに嫌いなのかあらためて探求してみることにしました」(あとがきより)という本。哲学者である著者が、理路整然とこれらのムカツキ言葉に“鉄槌”をくれてるところが、とても爽快(笑)。
  しかし、世の中には信じがたいことに、こういった類の言葉が「大好き」な人たちがいるから困りもの。こういうお方たちには、往々にして「言葉も議論も通じない」とワタシは感じる。もしまた、こういった言葉を浴びせられたら、仕方がないので、この本の内容を反芻して溜飲を下げることにしよう……かな。自分的に新世紀を飾るにふさわしい一冊。

  帰ってきてから、録画しておいた「ほんパラ」を見た。

2001.01.07
 うをー、積もってるよ、雪……。
200101.08
  昨日、うっかり変な時間に仮眠をとってしまったせいで、変な時間に目が覚めてしまった。めちゃ早起き。仕方ないので、自分の住居の周辺を雪かき。と言っても、雪かきグッズなんて所有していないので、ホウキとペットボトルを切って作ったちりとり(?)を使って階段の雪をどけたりしてみる。
  やり始めると、面白いので、燃えてしまって、まるで「雪かきそのものが目標」みたいな錯覚にとらわれ、かれこれ1時間も雪と戯れてしまった…。だんだん面白くなってしまった結果、雪だるまも作ってしまった。(^_^;  何年ぶりだろ? そしてぐったり疲れて、また寝る。
  本来、今日は出掛ける予定だったけど、予定変更。その代わり『桶川女子大生ストーカー殺人事件』(鳥越俊太郎&取材班著・メディアファクトリー)を一気読み。マスコミの在り方を問うている一冊。こういう内容の物を読むと「法律って、知ってる者勝ち」って気がして、勉強しておかないといかんなぁ、と思う。
  普段から、ワイドショーなんて殆ど見ないものだから、事件の経緯などは殆ど何も知らないことばかり。「そんなコトがあったのかー」と、何だか遠いところの出来事のよう…。逆に言えば先入観もなく読んだんだけど、こんな“熱い”出来事があったなんて知らなかった〜、生で知らなくてちょっと残念だったかも。遅まきながらも読んでよかった。さらに言えば、ワイドショーなんて見なくてよい代物だとますます思った。
2001.01.09
  BS2で再放送中の「シャーロックホームズの冒険」、毎週楽しみっ!
  今日のエピソードは「プライオリ・スクール」。いやぁ、自転車に乗って疾走するホームズ君(ジェレミー・ブレット)の姿に、妙に感動。さらに池田秀一さんのお声も発見(発聞?)。

  それにしても、最近パソコンの調子が良くない……。めげずにネットを彷徨う。

  Linus Tovaldsさんのインタビュー、面白かった。
  HTML式のウイルスが発見されたんですってねぇ。ぶっそうな時代になったものです。

2001.01.10
 今日から「ボイスラッガー」の再放送が始まってた。なぜ…?公式ホームページさえ更新されてないのに。
2001.01.11
  年末のクロスワードの答え、UPしておきました。

  今日付の「日本経済新聞」の1面に載ってた「ちゃんと見える義眼」の記事、興味深かったです。現在のところ、まだメガネ型らしいですが、実用化は近いって感じでしたよ。

2001.01.12
  そーゆーワケだったんですよ!
  去年11月23日に、ある日ィ突然って感じで広中さんからメールが届きました。その時、紅茶を飲みながら、ほげ〜っとメールチェックしてたんですが、コップを落としそうになるほど驚きまして、独りで、あたふた、あわわわわ…となってました。
  早く皆さんとこの驚きと喜びを分かち合いたいっ! と思ったんですけど、我慢がまん……それで、今日やっとお知らせにこぎ着けることができて、ほっとしています。

  これからも、ますますよろしくお願いしたいと思う次第です。
  なんだか、オフィシャルサイトになるなんて、とってもおそれ多い気がするんですけど、なんとか、やってゆくつもりでおりますので、ご意見・ご要望などお待ちしております。とりあえず、トップページを変えたりしてみたんですけど、Netscape推奨なのは、コレまでと同じ。Internet Exploerでも、なんとか表示可能ではありますが…。表示がうまくできないとか、そんなコトでも結構ですので、お知らせください。

  もっと、あちこち更新しようと思っていたのですが、いつの間にか“すごい時間”に、なってしまったので、また明日……。 

2001.01.16
 実は、1度ならずYahoo!オークションにはお世話になったことがある。しかし、それが有料になるとあっては、もうこの世界から足を洗わざるをえないかも。まだ詳しいことは不明ですが、月額で課金するのは、ちょっといただけない。3月に導入の見込みらしいので、これから、駆け込みのオークションが増えるのではないかと、予想。むぅ。

 それはさておき。
  塩沢兼人さんの公認ファンクラブDreamin’のオフィシャルサイトが、どうやら昨日開設されたようですね。写真や出演リストなどいろいろ。思わずしみじみ眺めてしまいます。さっき初めて見にいったらカウンターはまだ「83」でした。

2001.01.18
 あの佐藤雅彦氏……と言っても分からない人は、「だんご3兄弟」や「バザールでござーる」、ゲームの「IQ」の生みの親、と言えば「ああ」と分かるでしょう……が、So-netで「ねっとのおやつ」なるものを始めました。平たく言ってしまえば、ショート・アニメーションの日替わりで配信(因みに無料)。ショートと言うからには本当にショートで、動く4コマ漫画みたいな感じ。サンプル映像(要FLASH)を見て、すぐに気に入ってしまいました!
 しかし、1日1回しか見られないから、よーく刮目して見ないと!!(もう1回見る方法もあるけど) CM付きなんだけど、CMもふしぎな感じで面白いので許せる。
 今日の「おやつ」は、うどん屋さんの話。ワタシの評価は★☆☆(星ひとつ)かな。まぁ、4コマ漫画も「ヒット!」な日もあれば、「う〜ん、どうよ?」って日もあるので。でも、企画自体は、おすすめです。
 というのは、ネットドラマとかネットアニメとかの企画もいろいろあるけど、現在の日本の一般家庭の通信環境を考えると、まだ苦しいものを感じます。というわけで、4コマ漫画ぐらいが、ちょうどいい!
 それにしても、一体いつまで続くのだろうかというのも気になる。「WEB上のサザエさんをめざします!」って言ってるから、とりあえず、ずっと続くんだろう、と勝手に期待。(現在β版公開中、Windowsのみ対応)
2001.01.19
 『迷宮学入門』(和泉雅人・講談社学術文庫)を読む。
 結論から言ってしまえば、期待していたのとは少し違った…。
 というのは、「迷宮」と「迷路」の区別から始まって、古代の神話やら通過儀礼やらとの関わり、歴史なんかがずーっと書いてあって(巻末には新石器時代〜現代に至る「迷宮主要年表」付き!)、確かに「入門」って感じだったけど。自分としては、“迷宮の不思議”なんかを数学的に解りやすく説明してくれたりしてくれたら楽しいな〜と思っていたけれど。
 でも、「クレタ型迷宮図」の書き方を覚えられたので、よしとする(でも、これしか書けない)。覚えられた、とは言っても、本書にあるように「慣れればすぐに描けてしまう」ので、そんなにたいしたコトでもない。「無聊をなぐさめる」のにちょうどよい感じ。
 が、「実際に描いてみるとかなり興味深い」というのは本当で、この「興味深い」辺りを知りたかったんだけど。でも、あまりに専門的に論じられてしまうと、『ミトコンドリアと生きる』みたいに、読み進めてゆくほどに理解ができなくなってしまうので(自分が頭悪いだけ)、あくまで、解りやすく、というのがポイント。
 なんか文句を垂れてしまったけれど、「入門」というタイトルには偽りはない。あとがきで、「うずまき」と「迷宮」のかかわりについて、仮定に基づいて触れられていたり、「おわりに」の章で、現代では迷路と迷宮が混同され、前者が後者を駆逐しようとしているのは「中心の喪失」に起因するとする説が披露されていたり、本書の先にまだ世界が広がっていそうな気配を感じる。この広がりが、「入門書」というものには欠かせない要素であると私は思う。
 うずまきや良くできた迷路・迷宮を眺めていると、引き込まれるような不思議な何かを感じるんだけど(OVA「究極超人あ〜る」の1シーンが思い起こされる・笑)、それを古代の人は、ある種の(呪術的な)力だと考えたのではないか…というのは、私の勝手な推論なんだけど、これを思えば、ピタゴラス学派が宗教団体に発展しちゃったり、無理数を発見して「あるまじき数字を発見してしまった!」 と思いこんで、門外不出にしちゃった気持ちも分かる気がする。「魔法陣」を魔法でも何でもないのに、そう名付けてしまう人のセンスも分かる。
 この引き込まれるような、魔法とも思えてくるような、不思議のことを、知りたかったんだ、私は。

 話は変わって。
 「スーパーロボット大戦α外伝」の発売日決定! 3月22日。

 さらに話は変わって。
 「さんまのまんま」のゲストは月亭可朝さん。意外におしゃれな人だな〜と思って好感度UP。というのは、おみやげにカンカン帽を持ってきて、「色の白い」さんまサンには、色の濃い帽子。自分は色が黒いから薄い帽子をかぶってる…みたいなコトを、さらっと言っていたから。きっと数え切れないほどのカンカン帽を所有しているに違いない(商売道具みたいなもんだからね)。もしかしたら、おしゃれなんじゃなくて、ただの「カンカン帽マニア」という線もあるけど(笑)。カンカン帽マニアだとしても、それはそれで、尊敬に値する。だって、カンカン帽なんて、みんな同じだと思ってたもん。
 年季の入ったおしゃれというのは、かっこいい。

2001.01.20
 なんだか、週末ごとに雪が降るという天気予報で、今日またホントに雪。前回と違って今日のは殆ど「みぞれ」。これじゃ、雪だるま作ったりできないよ。ちぇっ。

 ゆうきまさみの「ブラック・マジック」後編を読もうと、サンデーGX2月号を買い求めに行ったら、その隣に置いてある「ゆうきまさみ絵」が目に入る(商売上手な並べ方ね、本屋さん)。手にとると「AICコミックLOVE」という雑誌。こんなのいつの間に創刊されていたんだ?(元々コミック誌って買わない方だからよく分からない) それに「AICって、AICだよな…?」などと妙に納得。しかも、こっちの方は「土ワイ」(をを、「土曜ワイド」まだ続くのか・笑)と、田丸浩史との合作「マリアナ伝説」の第2回が載っていた。田丸浩史との合作やるのは知ってたけど…わー、第1回連載を見逃したぁぁ。…仕方がない。両方とも抱えてレジへ行くと、案外高くて「?」と思って、見たらAICが高いのね。家に帰ってよく見たらCD-ROM付きだった。なるほど。

 やっぱり、という結果のYahoo!オークション有料化に関するアンケート。利用しなくなったら、皆さんどこに流れるんでしょう?

 「ダーマ&グレッグ」見てたら、三ツ矢雄二さんが声のオカマのトリーナ登場! 可笑しくて転げ回った…。もう絶品。

2001.01.21
 去年読んだマンガ『刑務所の中』以来、この作者の花輪和一という人の作品が気になって仕方がない。自分より年上の人たちにとっては、どうやら「すっかりスゴイ人」らしいんだけど、「ガロ」なんて読んだことないから(初めてその名を知った時、既にガロは廃刊)、古くて新しいんだな、私には。
 書店でその新刊を見つけたので、手にとると\3,600円(税別)。何故か箱入り。マンガにしては高いんでないの〜? 立ち読み封じの袋に入ってるから、中も確かめられない。購入するか迷ったが、その本の背表紙の絵のあまりの美しさと色に惚れて、結局買ってしまった。それに、箱に「限定五千部」「シリアルナンバーも著者の肉筆」とあるのも、気をひいたので。

 そんな売り文句なんか関係ないほどに、面白かった『ニッポン昔話』(小学館・初出は「ビッグコミックオリジナル増刊号」)。その名の通り、「かぐや姫」「桃太郎」「舌切り雀」「猿蟹合戦」「浦島太郎」など10編の昔話を収録。そのどれにも、少女がかかわって、オリジナルとは別物の話になっている。

 どの話にも多かれ少なかれあるのが、宇宙人やUFOのイメージ。元の話だったら、それは、妖怪とか鬼とか、神仏やそれに近い何者かの力だったりするものが、そういうものっぽく描かれている。
 たとえば「一寸法師」では、“リトル・グレイのもっと小さい版”みたいな奴が、“空飛ぶうち出の小槌”から出てくる。そしてそのリトル・グレイもどきが一寸法師よろしく活躍するかと思ったら、そんなことはない。「瓜子姫」が天界へ帰る時に乗った「瓜船」は、ピカーッと光って、まるでどこかから飛来した「何か」のよう。「浦島太郎」が持っていた玉手箱は、何か科学技術のにおいがするブラックボックスのように描かれる。
 でも、この「リトル・グレイもどき」や「瓜船」や「ブラックボックス玉手箱」が、一体何なのか、よく分からないまま話は閉じる。元の話でも、別に説明されているわけでなないけれど、登場人物たちは、それが何なのかを追究するでもなく、あっさり受容してしまう。 それは、まるで元の話それらが何であるか、知りたいとも思わなかった自分のよう。しかし、こんなふうに描かれると、「ちょっと待て、それは一体何なの?」なぜそこで突っ込まないの? という気分になった。それを考え始めると、リトル・グレイもどきの頭にチョロっと出てるその物体は何? どんな機能があるの? とか、いろんなコトが気になる。しかし答えは、見つからない。
 「桃太郎」の扉絵(?)の「鬼ノ首をヲ取ッタ桃太郎凱旋ノ図」(←勝手に名付けた)を見たとき「そんなコワイ鬼の首を取って、しかも涼しい顔して槍の先に吊して歩いてる桃太郎、アンタの方がコワイよ」と思ったり。

 さんざん、いろいろ突っ込んだあと、ひるがえって元の話のことを考えたら、全く同じコトをつっこめることに気付けたりするところが面白い。昔話の不思議ワールドを堪能できるってコトかな。そして勿論、絵が素晴らしいのは言うまでもない。
 巻末の解説に高橋留美子が書いているように、「一度存在を知ってしまうと、次も次もと読み続けずにはいられない」というのは、本当だ。楽しみ方も人それぞれ。懐の深い作品だと思うよ。

 ちなみにシリアルナンバーは、1833。本当に5000部しか刷らないのかな〜、もったいない。

 まんだらけが3月下旬に新宿店をオープンさせるとか。便利になるね、ありがたいね。
2001.01.22
 NHK・BS2で「未来少年コナン」の再放送が始まった。久しぶりに見た〜。
 これで月曜日は「コナンDay」やね。
 そのもう一方の「コナン」、平次のオカン(声:勝生真沙子さん)登場。うわ、そんなのあり〜!? アクの強いNewキャラやな〜と思ったら、来週、新展開の予感…。
2001.01.23
 第124回の芥川賞&直木賞の発表があってから、もう1週間。
 「いまさら」な話題なんですが、気になっていることがあって。それは芥川賞の青来有一氏のこと。
 ペンネームの由来は「セーラームーン」だと報道されいてるんですが、何故にセーラームーンなのでしょう? 一体、セーラームーンの何が彼にそうさせたのでしょうか? 42歳の長崎市役所職員が、どーして? 
 いや、別に、それが悪いとか言ってるんでなくて、こっちの世界(どっちや!)に住んでいる者として(笑)、気になる話題ではありませんか!
 1週間、テレビや新聞に気を配っていたつもりなんですが、だ〜れもそんなコトには触れやしない…。
 作家のペンネームって、わりと重要なものではないですか。
 例えば、“言文一致体おじさん”二葉亭四迷の名前が、「くたばってしめぇ(しまえ)!」と父親に罵倒されたことに由来するという、嘘みたいなホントの話とか、夏目漱石の“漱石”は、「石に漱ぎ、流れに枕す(漱石枕流)」という、意固地で負け惜しみの権化のような故事成語から取ったことは、『坊っちゃん』などを読む上でも参考になるし。作家に限らず、漫画家・門ふみは、ポール・サイモンのファンだからとか。 
 まぁ、そこまで深い意味を求めようとは思わないけどさ、何故セーラームーンなのか、とっても知りたいわけです。
2001.01.24
 SEGA、ドリームキャスト生産中止。昨日あたり、ネットでは情報錯綜してましたけど、結局そういう話だったのですか。そんなネタがテレビのトップニュースで流れるとは。WBS(ワールドルドビジネスサテライト@テレビ東京)日経の1面にもデカデカと載ってたもんね。
 で、さっきSEGAのオフィシャルサイトを見に行ったんだけど、どうやらサーバがダウンしてるらしい…。
2001.01.25
 ドラマ「ER」(日本ではNHKでO.A)のグリーン先生、来年にも降板…。な、なぬ! 降板の理由は、マーク・グリーンを演じているアンソニー・エドワーズが「家族と過ごす時間を増やしたいから」とか。同番組のジョン・ウェルズ(エグゼクティブ・プロデューサー)は「できれば残ってほしいが、本人の希望を尊重したい」とのこと。うーん、残念。まだ先の話ですが。
2001.01.26
 寒いな〜。「関東地方を中心に大雪のおそれ」なんていう天気予報が出たものだから、諸般の事情を鑑みて今日は終業時間が2時間も前倒しになった。なんだか皆さん忙しそうだったが、「やれば出来るじゃない!」って気がする。いつもは、ダラダラ仕事してるってことなのね。ふぅ。

 先日、河出書房の社長の訃報があったので、河出書房の本でも買って読むか、と思って書店に寄ったが、どうもピンとくるものが見つからず、ふら〜っと引き寄せられたコミックコーナーで「Juneクロニクル」なるものを買ってしまった。…当初の目標と全然違う…のはさておき、結構な収穫であった。実はそれほど熱心なJune系読者でもないので、Juneが創刊23年にもなる古株雑誌だったとは、つゆ知らず。つまり1978年創刊っすよ!「名作選」と銘打っているだけあって、どれも見逃せないものばかり。
 訃報といえば、大学の時の「倫理学」の教授もお亡くなりになっていたことをネットの訃報欄で知った。倫理は一般教養だから大教室での講義ぐらいでしかご縁はなかったけど(この教授は「東洋思想史」もあったけど、履修しなかったし)。この教授、鎌倉の黙仙寺というお寺の住職で、名をジオンという!!(読み方が、ですが・笑) 専門はインド仏教とかその周辺。単位を取るのが、やや大変な教授で、われわれ学生は「お坊さんなんだから、もっとお慈悲を〜!名前の一部に“慈”の字があるくせにぃ(←それは慈悲でもなんでもないっつーの)」などと、冗談半分でぼやいていたものだった…。 なーんか個性的な人だったような印象が残っている。ジークジオン…じゃなくって、合掌…。

2001.01.28
 便宜的に掲示板からの続き。

 勉強してる時って、ふと、考えちゃったりするものですよね。特に外的要因に多くを依存して開始することの多い受験勉強では。 「どうして、こんなコトしてるんだろう?」…ってな具合に。まあ、その考えた、ある一例としてここに書き記そうと思います。

 勉強っていうか、「学問」って楽しいなぁと思います(学問っていう言い方が硬ければければ、勉強と言ってもいいですけど。この際、何と呼ぶかはあまり重要でないです)教授とか研究者をやってる人も、みんなそう思っていると思いますよ(それほど少数意見ではない筈)。ってゆーか、みんなそれぞれの学問の分野のヲタクみたいなもんです(我ながら、乱暴な言い方だなぁ)。好きだからやってる。勉強以外でも、「その道の名人」とかいう人も、「その道のヲタク」みたいなのかな。その人の興味あることが、たまたま、世間では「立派」だと思われているから、教授とかいう肩書きを持っているだけのことで。それに、「勉強」と「それ以外」を区別することが、自分にとっては困難な気がします…(だから「何と呼ぶか」は重要でないんですね)。

 「受験」は、また別の面白さがあって、(語弊はありますが)ゲームみたいな感じです。例えばスポーツの場合、オリンピックとか国体とかがあって、選手は普段1人でトレーニングに励んで、本番では、他人と「競う」面もありますよね(「祭典」とは言ってますが)。
 受験もそんな感じがしています。普段コツコツやってる時は、ある意味自分との戦いですが、受験という本番では、結果的に競争になります。が、それも一つの側面…ではないかと考えます。

 ワタシはスポーツは苦手だから、オリンピックや国体やそーゆう「競争」には、加わらなかったけど、勉強なら、ワタシもやってみようかな、と。

 だから、受験勉強が嫌だと思ったら、別にその競争には加わる必要はないし、加わらなかったからといって、別に誰に責められるようなコトでもないです。加わったからといって、威張るようなことでもないし。それは、人間全員がオリンピックに出場しなくてよいのと同じです。
 どこに行っても「競争」は、ある程度避けられなくて、気に入った競争があれば、それに加わってもいいし、加わらなくてもいい…そんな程度です。

 もし加わったのなら、加わった以上は、真剣にやるのが楽しいです。だから受験勉強してるときは、スポーツ選手みたいに自己暗示をかけたり、セルフコントロールしたり、机に向かって勉強する以外のことだってしましたっけ。健康管理も受験の一環だったし。

 勉強も含めた「学問」って、知らなかったり分からなかったりする世界から、分かるっていう世界に移動することかもしれないなーと思います。勿論、これも一つの側面です。ただ、受験勉強は、「分からない→分かる」っていう過程しか踏みませんが、学問の方は、「分からない→知りたい→試行錯誤→分かる」というような過程を踏むような気がします、まぁ簡単に言ってしまえば、ですが。
 受験も含めた勉強は、今日までにどこかの誰かが、学問で知り得たことを、
試行錯誤せずに、ジャンプして「分かる」っていう地点に辿り着くことだと思います。

 これって、結構お得なコトなんですよ。
 例えば、ニュートンが「リンゴが木から落ちるのを見て重力を発見した」なんていう逸話が(真偽は別として)ありますが、ニュートンに始まる「力学」を、木から落ちるリンゴを見て、それを「不思議に思う」という、偉大な「目の付けどころ」を持たない凡人に過ぎないのに、現代人はニュートンより後の時代に生きたという、ただそれだけの理由で、そっくりそのまま、受け継ぐことができるわけですから。

 で、歴史が始まってから、(極端に言えば)昨日までに、どこかの誰かが考えたり研究した成果を学んだ後、その上に新しい成果を積み上げている人たちが、学者とか研究者と呼ばれる人たちだと思います。

 その人たちが興味あるジャンルが、たまたま「世間の役に立つ」とか「長い間研究されてきた」とかいう理由で、学問ってコトになっていますが、自分が「知りたい」とか「やりたい」とかいうジャンルは人間の数だけあっても良いと思います。だから、それが「世界で自分1人だけのジャンル」という場合もアリ。

 で、ジャンルの話。
 受験とは話がそれますが、上に書いた、「勉強」と「それ以外」を区別することが、困難という考えにも通じるお話なので少し書きたいと思います。
 京都精華大学芸術学部にマンガ学科が設置されたり、昨年、文部省(現文部科学省)が「教育白書」で、マンガやアニメが取り上げたりしたのは記憶に新しいニュースです。マンガやアニメ好きなワタシにとっては嬉しい限り。やっぱり虐げられるよりは、認めてもらった方がうれしいですもん。
 けれど、こうやって、だんだん「つまらない」と思われるようになっていくのかなーと、チラッと思ったんです。つまり、「マンガも学問だ」ということになって、そういう先入観でマンガを捉える人が(将来的に)増えれば、つまらないと思う人が多くなるかも…なんて考えたワケです。
 でもマンガが大学の学科の一つに加えられたからといって、その日から突然、マンガが変質するわけでもないですから、「学問」と「それ以外」の区別は難しいと思うんです。
 そういえば、今発売中の「コミック・ファン」の特集は、「もうひとつのまんが史」ですが、これがマンガじゃなくて、文学だったら「文学史」、人類の歴史だったら「世界史」です。どれもさほどの違いはないと思えるのは私だけでしょうか。
 さらに、たとえば、「古文」の授業で習うような文章を、それが書かれた当時の人は面白い娯楽として楽しんだと思います。でも、現在では、多くの(一部の?)受験生を悩ませる「つまらないもの」に成り下がっていたりもする。この辺りも、語り始めると長くなるので、それはまた機会があれば…(あるのか?)。

 なんか、偉そうに書いてしまいましたが、言うまでもなく、現在のワタシの考えであって、他の人は違う考えを持っていると思います。いえ、持っている筈です。それどころか、数年後の自分がこの意見に賛同できるかどうか、自分でも、分かりませんが、現在の自分が考えていることには間違いありません。
 こんなコトを考えたりしたワタシの受験期ではありましたが、まぁ、何も考えないよりは、マシだよなーと思います。何のためにこんなコトするんだろうって、疑問を解くために勉強してれば、それぞれに何か思う事があるかもしれません。
 それから、手段としての受験っていうのもあります。何か目標があって、そのためには受験が避けて通れないものだとしたら、ただ単に勉強させられている人よりは、すこし余裕を持って取り組めるかもしれません。

 どーも「受験ヲタク」だっただけに、「昔取ったきねづか」で、長くなってしまいました。ただ、私の専門(?)は大学受験ですが。今思い出すと笑っちゃう武勇伝(?)も、いろいろあったりします。 本当に長くなってしまいました。まだ書きたいコトは尽きないんですが、いい加減終わりにしないと(笑)。

 こんなことも心おきなく書ける雑談用掲示板、ってあった方がよいのかしら…?←試験運用してみます。諸般の事情により「ツリー式掲示板」ですが。ツリー式って、私個人は、あまり好きじゃないんですよー。記事の中で時々迷子になってしまうので。様子を見て、新たに設置するか、やっぱりやめるか、考えようと思います。
2001.01.29
 広中さんのカキコにあった「田中経一氏」と「小山くんどう君」の名前を、いつかどこか(テレビのスタッフロール以外)で見たような気がして、うーん、うーん、とかなりの時間悩む。
 きょうになって、記憶の底から「たぶん雑誌だろう」という考えがやっと浮上。部屋中の“それらしき”雑誌をかたっぱしから見直すことにした。邪魔なのに捨てられない雑誌の一群を眺めながら「捨てずにとっておいて良かった」と初めて思う。
 …あった! 去年の「日経エンタテインメント!(6月号)」。ふぅ、胸のつかえが取れたように、スッキリ。自分の記憶力もまだ捨てたもんじゃないなぁ、などと悦に入る(この無駄な行為に関して、他に喜ぶべき要素が見つけられない・笑)。と、ここまで書いて「日経エンタ」のリンクを引っぱって来ようとして、愕然。サイト上にバックナンバーがあったなんて。これなら、最初からネットで検索した方が早かった(泣)と、散らかった雑誌の山を見て思う。やれやれ。
 「スーパーロボットメーラー」というものが発売されるらしい。ちょっと欲しいかも。
2001.01.30
 『〈じぶん〉を愛するということ 私探しと自己愛』(香山リカ著・講談社現代新書)を読んだ。
 ◆まえおき◆(この本のことをサッサと知りたい人は、すっ飛ばしてね)
 実は、この本は去年買ったのだけれど、どうも読む気がしなくて放ったらかしになっていた。ところが、最近自分の中に空前の「新書ブーム」(ヘンなブーム…)が来て、そうだアレを読もうという感じで読み始めた。
 どうも読む気がしなかったというのには理由があった。この本の「帯」に書いてある「アイ・ラブ・ミー?」に居心地の悪さを感じてしまったからだ。たとえば「あなたは(私は)、自分のことを好きですか?」という問いに、胸を張って「私は自分がだぁーい好き!」と答えることも、「私は自分なんて嫌い」と答えることも、私にはできない。
 それに、もしも誰かがこの問いに対して、前者のような答えをしたならば、私はその人に胡散臭さを感じずにはいられない(たとえば「アヤシイ宗教か何かに入ってる?」とか「究極の自惚れ屋?」というような疑念を持ってしまう)し、後者のような答えをしたならば、そこまで言っちゃうと「そんなに嫌いだったら生きていけないだろうに」とか「逆に自分が好きなことの裏返しかも…」なんて思ってしまう。とはいえ後者の方に、まだしも親しみを感じるのは、私が自分に対してもそう思っていることが投影されているのかも…という気もする。

 そんな、居心地の悪い気分になった本をどーして買ったの? と訊かれれば、それはこの香山リカという精神科医の本が今までどれも面白かったから。
 たとえば「猟奇的」と言われるような事件を“若者”が起こすたびに、マンガやアニメやテレビゲームの悪影響だと報道されて、それを聞くにつけ、イジケ気分になったり「観たこともやったこともないクセに、決めつけるなよなっ」と心の中で言い返したり(笑)しているときに、こんなふうに考えてる人もいて嬉しいなーと思えるのがこの人だから。『テレビゲームと癒し』(岩波書店)という本では「『テレビゲームと心』の問題に関しては自分でもまだ『考え中』といったところで」と書きながらも、テレビゲームを仲立ちもしくは一つのステップ(遊戯療法)のようにしてにして恢復してゆく例を挙げて、テレビゲームの可能性みたいなものを書いている。
 さらに、この人の語り口が気に入っている。上に引用した「考え中」みたいな、言葉遣いがイイ感じなのだ。
 そして何より「こころ」の問題には何だかんだ言っても興味がある(と正面切って言ってしまうのは、こっ恥ずかしいが)。
 と、ここまでは前置き(ヤケに長いな)。

 そんなワケで“積んどく書”から、晴れて読まれる書になったこの本。「自己愛」なんて、ちょっと引いちゃう言葉がタイトルに付いてるけど、これは心理学で使われるれっきとした用語らしいので安心して読んで欲しい。上に書いた私みたいに過剰に反応する必要はなかったわけだ。

 ◆ここからが本題◆
 本書では、ここ数年あるいは十数年ほどの間にすっかりメジャーになった心の問題と深くかかわる用語―多重人格、ストーカー、アダルト・チルドレンなど―を「ほんとうの私探し(自分探し)」というキーワードで読み解く。
 「ほんとうの私」というのは、大雑把に言ってしまうと、「現在の平凡な自分」の中に眠っているに違いない「本来あるべき自分」で、この自分は「何かすごい才能を持った自分」「他人とは違う特別な自分」でなければならないという。
 そんな「ほんとうの私」と、ビリー・ミリガンのような多重人格やストーカーという言葉がメジャーになった点にどんな関係があるのか、というのがこの本の面白いところ。

 が、面白いところ―なんて言っていられたのは、この辺りまでだった私。この「ほんんとうの私」探しを始めてしまうのは、子どもの頃だれもがもっているという「誇大自己」を、成長の過程でうまく捨てられなかったからだという論になってきたあたりから、どうも自分のコトを振り返ってしまったりして、だんだん、ある意味で冷静でいられなくなる。
 誰でもそうだと思う(思いたい)が、近代的自我などというものが認識されるようになって以来(もしかするともっと以前から)、人は「自分」「自分の深層心理」といった事柄を考えずにはいられない―その程度に差はあるとしても。自分というものに全く無関心ではいられないし、自分を眼差さずにはいられない。
 もちろん私もそう。まるで人間というものが「自由であるように呪われている」(サルトル)ごとく、人間は自己という存在からは逃れられない。それどころか、私は他の人より「厄介な自己」を抱えているような気さえする(実際問題は別として)。心理学や精神学なんていうものに、他の人よりちょっぴり多くの興味を持っているのは、そのせいかもしれない。知れば少しは厄介な自己から解放されるかも…などという期待を抱いて。
 本の中で「自分にもそんなフシがありそうだ」などと薄々思っていることが語られ始めると、単なる本の中の出来事(他人事)ではなくなってしまい、突然「自分はどうなの?」ということになってしまう。

 それに、自分の心の状態が理解できたからといって「じゃあ、ここは手術で取っちゃいましょ」みたいなコトができないからココロは面倒だ。
 で、本書も終わりに近づくと、当初「私探し」という言葉とそれを実戦しようとする人々に違和感を感じたり「恐ろしいから自分のことは考えない」としていた筆者が、「私もついに『私探し』をはじめなければならないのでしょうか」「精神科医は、他人のことはよくわかるが自分のことはちっともわかならい」と述べている…というか告白している(!)。
 すると読んでいる私は、心細いような、でも安心したような、アンビバレンスに放り出される。心細いのは精神科医になっても自分のココロの問題は解決しないらしいということが分かったことから生まれた気持ち。安心するのは、こころの専門家でさえ、そうなんだから素人の自分もそれでいいかという「赤信号みんなで渡れば恐くない」的気持ち。
 「じゃあ、どうすればいいのか」という事については、「等身大の自分」を受け入れよう…みたいな、言われなくても何となく分かっていたコトが書いてあったりして、あまり参考にならない本だけれど、私はこれでもいいと思う。本書に書いてあるように「『自分探し』をしてしまう人間の心の仕組みについて知るだけで」(p.191)自分探しの迷路にハマってしまうのを防ぐことができる―こんなもんで、私にはひとまず充分。
 たかが一冊の本で、自分の心が突然、明快に分かるようになってたまるか! と思う。自分の心はそんなに単純じゃないぞ、と。それは本に限らず、なんだけど。

 だから私は、ある日突然、全てが分かったとか、急に自分はある能力に目覚めたとか、そういった類の話は信じない。信じれば楽になるだろうなーという事は分かるし、そういう何かにハマってしまう人の気持ちも理解できる、でもそんな安住の地を私は欲しいとは思えない。
 あ、話が逸れた。
 逸れたついでに、もうひとつ。「ほんとうの自分」の、この「ほんとうの」という言葉には、妙に興味をそそられる。「ほんとうの」とか「うその」というのは、何か哲学的な命題になりそうな、そんな気配を感じるので…。

 そんなわけで、きょうは『I miss me.』(香山リカ著・青春出版社)を入手してきた。これは、上記の本の翌年(2000年)に刊行されたもの。 その後、香山さんは、自分探しをしたんでしょうか…。それは、私にとって、何かの手がかりになるものだったりするのかなー…などとムシのいい事を考えつつ、ページを繰り始めたところ…。

2001.01.31
 他人事だから、こんなことを考えてしまうのかもしれないけど…と先に断っておこう。

 交際していた男性と三角関係になった相手の女性に対して嫌がらせのメールを送りつけたなど脅迫の容疑で、主婦が逮捕されたという報道があった。
 この話を知って思ったこと…人間って、嫌いなモノに対しても、好きなモノに対しても、似たような反応を示すもんだなぁ、とゆーこと。普段から考えていたことの傍証がまたひとつ増えたような気がしたわけ。え、何を言っているか、分からない?

 つまり、こういうことだ。
 記事によると、メールは4カ月に200通。単純計算で最低でも1日に1通以上(1.6通)。さらに「被害を受けた女性の夫」に対しては6700回の電話をしている。まさに「執拗」という形容がぴったり。
 でも、もしも相手が友達とか恋人同士だったとしたら「まめな人」という印象だよね。「彼ってば1日に1回はメールをくれるし、電話はもっとたくさんくれるの、うふっ」って感じ?(なぜ女言葉なんだというツッコミはさておき)

 逮捕された女性の頭の中は、きっと“彼を奪った”女性のことでいっぱいだった(!)のではないかという気がする。頭の中だけではなく、かなりの時間をその(被害を受けた)女性に費やしていたはずだ。当然お金もかかる(通信費が!)。いやぁ「ものぐさ」で「けち」な私には到底真似できない行為。

 内容が内容だから「脅迫」だけど、「メールを送った」「たくさん電話をした」という現象(例えば通信記録)だけに目を向けてみれば、熱烈なラブコールと見分けが付かない。 被害に遭った人は大変だったろうけど。

 こう考えると、嫌いな人にいやがらせをするのは辞めようという気になりませんか(笑)。「憎ったらしい奴」に対して「愛しいあの人」にするのと同じようにしてしまうなんて、許せませんもの。
 いや、まあ、勿論「好き嫌いなんて事を言ってはいけません」と言われたら、それが一番いいんだろうと思うけど、私なんかは、そんな立派な人ではないから、腹が立つ時は腹が立つもんで。

 一方、もしも、こういった事の被害者になってしまったら「記録を付けること」が、後々、被害届を出したり裁判などをする場合、必要だそうです(ある法律の先生の話)。それは日時や内容のメモといった簡単なものでも良いそうですが、できれば、録音などの記録メディアに残しておくと、更に良いそうです(メールは自動的に残るので、恐ろしがって“削除”などしてしまわないように。それは重要な証拠です!)。
 あと詳しいことは知りません(爆)。