updated May 10th, 1999, since May 10th, 1999.Welcome to the CASTLE NO.3 / Doro UENO
第1部 東京市陥落
1.2 喫茶東京天国
ついに、東京市に新年は来なかった。国連が正式に敗北を認めた後、地球連邦はイエス・キリスト生誕に起因する暦を廃止し、ガガーリンが始めて宇宙に出た西暦1961年を宇宙元年とし、西暦2108年元旦から宇宙暦140年とした。又、首都を衛星キングダムに定めた。大戦で破壊され、地球連邦に占領されていた都市は各国に返還された。各都市では、地球連邦政府による国連兵士の残党狩りが行われていた。国連の最期は無惨だった。東京市の基地は総て最後まで戦って玉砕した。誇り高き国連兵士は地球連邦による降伏の呼びかけにはいっさい応じなかったといわれる。僅かな生き残りが核兵器を持ち去ったとされ、地球上の各都市は地球連邦によって厳重に監視されていた。多くの国が滅び、多くの人が殺された事は遠い過去のように忘れられ、世界は落ちつきを取り戻しつつあった。
宇宙暦140年6月、上海。爆撃の影響を余り受けなかった上海は戦前から各国からの難民を受け入れていたため、地上で、唯一100万都市になっていた。戦前の米のように人種のるつぼと化していた。ここだけは地球連邦政府も口出しできなかった。日本からの避難民も多く、市内に5ヶ所に日本人街もできていた。街には、至る所に露天が並び、賑わっていた。
「見ろよ、発破屋(洋一)。あの女、俺に惚れてるぜ。俺の方ばかり見てるもん」
「電気屋(康夫)、仕事の邪魔だ。新聞屋(信行)、アイスコーヒー3つに団子2つあがったよ」
喫茶東京天国という看板の出ている店の前には、パラソルの開いたテーブルが並べられ、買い物帰りの客がコーヒーを飲んで、休んでいた。
「発破屋、行って来たが、豆は余りねえな。それより、紅茶があったから買ってきたぜ」
「どれどれ、これ紅茶か? 機械屋(進)」
「何、又似せ物掴まされてきたのか、機械屋は。忙しくなけりゃあ、俺が行くのに」
「うるさいぞ、花屋(?)」
「まあ、飲んでみな、花屋」
花屋と呼ばれる男は、団扇で仰ぎながら表に出てきた。一口飲むなり吹き出した。
「何だこりゃ、ハッカが入ってるぞ」
「ホントだ。騙したな、何が高級紅茶だ。あの親父」
みな、表に出てきて騒いでいる。新聞屋と飛ばれる男が一人、注文取りに走り回っている。
「みんな、遊んでないで手伝ってよ」
「ハッカはハッカでも、花屋、ハーブ・ティと言って香りのする植物の紅茶だ。幾らで買ってきた?機械屋」
「6000円/缶かな?」
「好きな奴なら60000円/缶でも買うぞ。上出来だ」
発破屋は、新聞屋の注文を嬉しそうに見ると、又、コーヒーを入れ始めた。通りを通った者は皆、懐かしがって、注文するため、1杯5000円もするコーヒーが飛ぶように売れた。
材料の手に入りやすいラーメン1杯が1000円程度だった。
「花屋、しかし発破屋は商売上手だな。何処にあんな才能があるのやら」
「電気屋、俺もそう思うわ。やつは確かに戦争向きじゃ無いな」
「俺らが思いつく商売と言ったら、バイク屋とか裏で武器屋だろ、そんなことやってたら地球連邦に一発で捕まるぜ。だろ、機械屋」
「ラーメン屋をやっても、味で敵わないだろうな」
「今日は、土建屋(スティーブ)は?」
「会計屋(?)と5号店出店の現地調査に行ってる。いよいよ港町に出店するらしい」
「吉野屋かここは?」
「ははは、おっと、皆さん、そのままそのまま。警察のお偉いさんだ」
コーヒー飲んでいた者が2、3人席を立つ。新聞屋が注文を取りに行く。
「ここです、警部。市内で唯一まともなコーヒーを飲めるところです、はい」
「いらっしゃいませ」
「コーヒーを3つ貰おうか。暑いね、日向は」
機械屋、花屋、電気屋は耳をそばだてながら、先の奇妙な味のする飲み物をチョビチョビと飲んでいる。
「そうですな、警部。おい、君、もっと涼しい所はないのかね」
巡査が店内からちらっと顔を出した発破屋に言った。
「これは、先週もお越しいただいた方ですな。失礼いたしました。店内へどうぞ」
「君、憶えていたかね。今日は警部もお見えだ」
「これはこれは、私どもの店へご足労いただきまして。今日はコーヒーの中でも特に貴重な...」
3人は発破屋の言葉に興味津々に店内へ入っていった。それに続いて怪しげな客も後に続く。
「すげえな、発破屋は」
戸口から他の客に混じって花屋、機械屋、電気屋も発破屋の話しに聞き入っている。
「何だね、君たちは」
「まあまあ、巡査殿。これは一般人には飲めるような代物ではありませんから」
「そんなにすごいのかね、マスタ」
「それは、警部殿、何せ、戦前の日本でも余り手に入らなかった物で、まあ、見て下さい、この豆の光沢。ブルーマウンテンでも10年に一度とれるかどうか。たまたま3杯分手には入ったので」
発破屋は豆を砕き終えるとサイフォンにかけた。
「ほう、各地に支店まで出す喫茶東京天国でもそれだけしか手に入らないのか」
「ふつうの豆でしたら国内でも栽培しているところがあるので、調達できるのですが、この豆は特別です。ジャワという島に行かなければとれません。そこにさえ行けばもっと良い豆がたくさん手にはいるのですが」
「心配せんでも出入国許可ならワシが出すぞ」
「本当ですか?軍に輸送をお願いすると荷が軽くなってしまうのですよ」
「わっはっは、困った軍じゃな」
2人の巡査は、これがブルーマウンテンかというように香りをかぎながら飲んでいた。警部は壁に掛けてある古い銃に見入っていた。発破屋はこれに気付いて言った。
「これは代々当家に伝わる物で、こちらへ疎開するときに持ち出した物なんですよ」
「しかしこれは日本軍の拳銃では?」
「はい、6代前は海軍士官だったそうです。ちょっとお持ち下さい。どうですか」
「うむむ、確かに本物らしい。これは打てるのかね」
「さあ、私も撃ったことはございません。手入れはしてありますのでまだ撃てると思います」
「マスタ、これをワシに譲ってくれぬか。相応の額は…」
「売るなどとめっそうもございません。私もどうしようか思案していたところでございます。お持ち下さい」
「ただでか?ただでは貰えぬ。まあ、マスタの欲しい物と言えば分かるが」
「いえいえ、警部殿にお持ちいただければ、銃も喜ぶという物」
「うまいことを言うな。出入国証の件は心配しなくともいいわ」
「またのお越しを」
目を丸くする花屋、機械屋、電気屋をよそに発破屋はお辞儀をしていた。今日占領軍からの依頼で査察へ来たことも忘れ、警部は満足そうに帰っていった。部下の巡査も1カ月後に今日のコーヒーより格段うまいコーヒーが飲めるかと思うと足どりは軽かった。2週間後に地球連邦軍から国連軍兵士の潜んでいそうな怪しい商店として喫茶東京天国の名が挙がったとき、いくらスパイからの写真や証言を提示されても、上海警察はそれはでっち上げの証拠で、他の喫茶店が流した噂だと否定した。また、上海警察の総ての警官が口をそろえて喫茶東京天国は中国人の経営する健全な店だと証言した。後にそんなにうまいコーヒーが飲める店なのかと、地球連邦軍の軍人も積極的に利用する店となり、喫茶東京天国は瞬く間に、上海一のホテルを経営するにいたる。それでも市民は皆、それがコネや賄賂の所為ではなく、喫茶東京天国のコーヒーがうまいからだと疑わなかった。それほど、喫茶東京天国は評判の店だった。ある時、仲間にその理由を尋ねられたとき、発破屋は顔を赤くして答えた。「それは愛情を込めていれているからだよ」。