目を瞑ると安らかな寝顔が目に浮かぶ。辛い。でも何故なんだろう。本当に辛い人は辛いなんて言わない。事実を静かに受け入れる。
気分が悪い。頭ががんがんする。酷い二日酔いだ。平衡感覚が保てない。気がつくとゴミ箱に囲まれ、どこかの通りに座り込んでいた。寒さに目が覚めたようだった。薄暗い街灯の下に人影はない。今何時なんだろう。どうして俺はこんな所に居るのだろう。「いつっ」。後頭部の痛みに気づき、手で触れてみる。激痛が走る。乾いた筆のように髪の毛が固まっている。泥酔しているためか極度に狭まった視界が捕らえた掌にはべっとりと黒っぽい血がついている。振り返ると寄掛かっていた壁やシャツの背中がどす黒く染まっている。どうやらよろめきながら歩いていたため硬いものに頭をぶつけたらしい。それともどこかで喧嘩でもしたのだろう。公園を見つけ、水道で頭の泥を落とし、汚れたシャツを脱ぎ捨てた。頭部の傷による血はすでに止まっていた。ベンチに腰を下ろし、煙草に火をつけた。見上げると紫煙の向こうに小さな満月が見える。あれは月じゃない...。視力も回復してきたころ目の前に魔国(地球の存在する宇宙とは異なる宇宙に存在する国。金剛環銀河のほぼ重心にある恒星ヘリオスの第4惑星である宙新星を合宮国と2分する。この国は自国領土の地表面、空中、地下の3次元の一点を無限に拡張することによって国土としているといわれる)トロイ市の旧市庁舎が聳えているのに気づいた。「またか」。行く当てもなく彷徨しているうちに酒場コクテールに足が向いていた。半年前までこの習慣は最も好きな時間の一つだった...
重い扉を押して開ける。ライトに照らされたステージのドラムスの眩しさに目を眩んだ。同時に人々のざわめきの中にピアノの音が飛び込んでくる。女性ボーカルがハスキーな声で何か叫んでいる。むっとする湿度の高い空気と煙に迎えられるように奥の席へと向かった。午前3時を回っているというのに、多くの客が酒や演奏を楽しんでいる。数名のカップルが頬を合わせてゆっくりしたリズムで踊っている。「陶酔」と言う言葉はこのためにあるのだろう。その横をテーブルを縫うようにウェイタが酒を運んでいる。土気色した顔の男が入ってきたことなど気づこう客はない。柱の影になって演奏の聴きにくい照明も届かない最後部の席に着く。知る限りどんなに混んでいるときでもこの席は埋まった試しがない。
何やらもめているので見ると、魔国のお偉いさんかなにかがウェイタに抗議していた。ほとんど前の方のテーブルは埋まっているというのに、舞台の右手の演奏を聴くのにうってつけのテーブルが空いている。この役人が空いているならとウェイタに金を握らせて席に着こうとしたが断られたらしい。座れないと分かるや横にいる若い女性に謝りながら出ていった。客がウェイタに喝采を送っている。席の上には「予約席」と書かれた札がおかれている。今後この席が埋まることないだろう。座ろうと思えばそこに座れるのだが、今の俺にそんな勇気はない。確かに半年前までは俺らはそこへ座っていた。ピースに火を付け、噎せながら演奏に浸る。咳込んだ拍子に、痰に鉄の味をおぼえた。2、3週間前から咳が出るようになった。止めていた喫煙を始めたためと思うことにしていた。急に悪寒を覚えた。トイレに行って喉に指を突込んで気分をすっきりさせる。生暖かい黄色い液体がやけに苦かった。
戻ると聞き覚えのある曲が演奏されていた。「ブルー・イン・グリーン」。もともとジャズを聴く習慣はなかった。東京天国(西暦2088年成立。本部を東京市に置く。当時地球は大規模な内戦中で大勢を掌握していたのが国際連合に代わった地球連邦。これに対する反政府組織。戦後まで残った数少ない組織。かつてこの男が所属していた。なお正式名称は「東京市に平和を市民連合」)にいた時分はハードロックやメタルを聴いていた。合宮国(宙新星を魔国と2分する。この男はなぜかこの国に来ていた)に来てから二人でいられるときはよくここへ来た。誰にも邪魔されない時間だった。言葉を交わさずとも意思が通じた。彼女がよくリクエストする曲がこれだった。「あなたの似合う曲」、よくそう言っていた。その時彼女は別れの来ることを知っていたのかも知れない。そう、この習慣は長く続くことはなかった。過去は2度と戻らない。前を向いて歩かなければならない。少しでも自分を欺くために何かに陶酔していなければならなかった、何かに...
「喫茶東京天国(西暦2110年頃、上海に誕生した太陽系最大の喫茶店チェーン。太陽系最大のホテルチェーン、カシノチェーンを有する。ボーダレス・シンジケートである東京天国との関係は不明。後にこの酒場コクテールが経営難に陥ったとき、買収し、魔国最大のバーのチェーンを持つに至る。なお合宮国は覚醒作用を及ぼすことから度数の高い酒の飲酒を禁止している)のボトルを」
注文を取りに来た若いウェイタに半ば怒鳴りながら言った。余り飲むと差し障りがある事は知っていたが飲まずにはいられなかった。また今飲んで何に差し障りがあるのだろうか。さっきまで飲んでいたように記憶している。呂律も回らないほど酔っているはずなのに、吐き気も治まらないはずなのに飲まずにはいられない。酔っているときだけ人は苦痛から解放される。
以前彼女に言われた事がある。今ではもう泥酔の原因は何であったかは忘れてしまった。しかし彼女が横で三日三晩書物を読み続けていた処を見ると彼女も余程何かを惜しんでいたのだろう。合宮国人の彼女は何か忘れられないことがあると、気がすむまで本を読む。そうすることによって再度その本を読めばそのときの感情が蘇り、事件が風化しないのだと言う。彼女も口に出して言わなかったが俺に同情していたように思う。合宮国人に比べ、酒に弱い体質の俺は彼女以上に飲み、潰れた翌日に又飲んでいる、そんな堕落した生活を送る俺に向かって彼女は言った。
「言っても無駄でしょうけど、一応注意して置きます」
彼女は祖父に倣い、医学を身につけていた。俺は呂律も回らない状態で彼女を罵倒していた。後で素面に戻ってから陳謝した。ただ事件については言及していない。そのとき俺は己の無力さに憤りを感じていたのだ。
「程々になさい。飲めなくなっても宜しいの」
そう、だから止めていたのさ。お前が還ってきたらまた一緒に飲もうと思って。だがもうその必要もない。情けない男だよな、四六時中飲まずにはいられないんだ。一時的でも何かほかの事に熱中していなければ...。すべてを忘れてしまうようなことに。たった一つだけ総てを忘れる手段がある。でも俺はもう以前の俺には戻りたくない。そんなことをしたら地獄の底から救ってくれた者、それがお前だった、に合わす顔がない。ウェイタが早足でウィスキーを持って来る。それを取り上げて酒と水差しとを交互にごくごくやる。このウイスキーはあまり見かけないのだが口当たりがマイルドで飲みやすい。グラスを傾け、酒が途切れて噎せないように喉に流し続ける。すると30分もしない内に強烈な酔いが回ってくる。暫し我を忘れる事が出来る。もう他に方法がないんだ、お前は許してはくれないだろうが。
「お客さん以外にもこの酒を注文する方を知っていますよ」
仰向くとさっきのウェイタが1/4切れのチーズを差し出している。俺は聞こえない振りをしては黙って飲み続けた。水を飲んでいる間ウィスキーのボトルが卓上でゆらゆらと振り子のように規則的に首を振っている。アルコールを注入したガラスの水飲み鳥のように、瓶は永遠にゆれているように思える。永遠。形あるものはいずれ滅びる。物質が永遠に存在することなんてありえない。分かっていたはずなのに、永遠であるかのように錯覚していた自分が嘆かわしかった。
「その人は見ててほんとに酒が好きなんだなと感じる飲み方をしていました。ちょっと変わっててオンザロックの氷を食べちゃうんですけど...」
ウェイタは、まるで自分に言い聞かせるかのように話している。
[いつも隣に物静かな、綺麗な貴婦人がいらっしゃいました。多分奥様だと思います。そして二人で何やらひそひそと話しては微笑していました」
あるいは1、2度なら頼んだことがあったかもしれない。しかし以前俺はオリーブの実の沈んだジンを飲んでいた。
「私はその男の方のようになりたいと思っていました。少し前からお見えにならなくなっていたのですが、ある日突然一人でいらっしゃるようになりました。以前とはまるで別人で、その飲み方は酷い物で、何かに憑かれた様に飲みまくっていました」
「はっはっは、かみさんに逃げられたんだろうよ、屹度」
聞いていない振りをしていたが、知らぬ間にそのウェイタに答えていた。「いいえ、奥様はそんな方には見えません。いつも旦那様の事を優しく見つめていらっしゃいました。だから、奥様はご病気か何かで、亡くなられたんだと思います」
「...それで亡き妻を偲んでその酒を飲んでいるというのか。甘いな、その男も」
すでに呂律の回らなくなっていた俺は2回ほど言い直してやっとのことで答えた。
「私はそんな事は止めて欲しいんです。奥様だって決して喜ばれないと思います」
「それはその男が一番よく知っているはずだと思うが」
「貴方の飲み方はその男の方に似ています。見てて不愉快です。そんな飲み方をするなら出て行って下さい」
「出て行ってもいいのかな。二度と来なくなると思うけど、その奥さんのように」
「勝手にして下さい」
「チーズありがとう」
ウェイタが振返って手を振って答えた。俺は素早く舞台のほうへ振り返った。舞台では拍手に惜しまれながらバンドの演奏が終わり、客達は席を立ち始めた。急に静かになる。一人になると虚しくなってくる。火を付けたままだったタバコが灰皿で燃え尽きようとしている。もみ消して次に火をつけ、ぷかぷかとふかす。煙が目にしみる。下を向けば涙がこぼれそうになる。グラスの酒をあおった。急に咳き込んで、俯く。歯をぐっと噛締める。口を開けば、嗚咽してしまいそうになる。目を閉じればお前が目に浮かぶ。美祢子。
(註:この章のみ、一人称が洋一の親友の康夫になっています)「なあ、康夫。戦争中の所といえばどこだ」
久し振りに東京市に帰ってきたと思ったら、開口一番洋一の発した言葉がこれだった。焦臭い話だった。一瞬、洋一が再び感情を失ってしまったのではないかと危惧した。
「俺は現場を離れた人間だからな。戦争中の国と言われても...」
来客を知るやダージリンティをいれて居間に入ってきた奈保子は洋一を見て飛び上がった。洋一は一目で察したらしく、ただ「しばらく」とだけ言った。私は婚約した旨を報告した。かしこまった様子で隣に奈保子が座る。「ふっふっふ。いいじゃないか、別に隠さなくたって」と洋一は笑っている。洋一が笑っているところを見たのは本当に久振りだった。最後に見たのは恐らくまだ美祢子さんが存命の時と記憶している。
「いや、その、報告しようと思ったんだが、誰もいなかったから...」
私は恥ずかしさを紛らわすためか弁解を試みていた。洋一は目を細くして私たちを変わる変わる眺めていた。それは孫の結婚を見る祖父の目に似ていた。
「俺か、俺は今ドクタ貝原(宮国人。洋一や康夫に友好的な科学者)と魔国にいる。用事があるならトロイ市旧市街の酒場コクテールに来ればいい」
西暦2100年、地球では人類最後となろう惑星内戦が勃発した。人口爆発による南北問題が深刻化し、先進国は地球連邦という枠組みを発足させた。そして人口の削減ができない途上国に対し、宣戦布告した。地球連邦は半年で軌道上のスペースコロニ、月面基地及びテラフォーミング中の火星研究所を占領した。事実上の勝利だった。軍を持たないことが災いし、国際連合は軌道上からの攻撃になす術もなかった。途上国は、優秀な軍人を集め、国際連邦軍を結成し、これに対抗した。最後の地となっていた東京市を失ったとき、国際連邦軍で地球連邦に対し、降伏。しかし最後までゲリラ行動をとった反政府組織は地球連邦から「東京天国」と呼ばれ、恐れられた。過去の恨みを晴らすためだけの、存在しない確率を信じた、未来のない、虚しい戦いだった。俺も洋一もこの東京天国に所属していた。戦後、洋一は東京市を後にした。現在洋一が身を置くところは金剛環銀河のほぼ重心付近にあるヘリオス星系第4惑星宙新星にある合宮国である。合宮国は128の都市国家からなり、宙新星を隣国の魔国と2分している。この国の存在する宇宙は、われわれ地球の存在する宇宙とは時間も空間も構成も異なる別のものである。合宮国はこの全く異にする他の宇宙へのアクセス方法をもつ。また合宮国の存在する宇宙の時間と空間、物質を完全にコントロールするといわれる。洋一はこの国の王位継承第3位の美祢子と結婚していた。
洋一は俺が気を使っている事を察すると時計に目をやりながら、
「ああ、もうこんな時間か、邪魔して済まなかった」
と席を立った。変な噂を立てられてはたまらないと思い、じっくり説明しようと引き留めたが無駄だった。別れ際戸口で洋一は言った。
「そうだ、この頃遺跡人(とある遺国人:遺国人は東京市の地下に住む宇宙人である。有史以前より地下に住んでいたらしい。地球人よりは寧ろ合宮国人に近い、で洋一や俺が付けたあだ名。本名は寿下無寿下無のように恐ろしく長い。{作者註:遺跡人はスタートレックのスポック博士を拝借してきてます。あまり似てませんが})に会わないがどうしてるかな」
「真下だよ」
洋一は事情が分からないらしく、聞き返した。
「奴さん達地下都市の整備を行っている」
「何で亦」
「さあ。ここからだと丸の内線東京駅が近いかな。フォーム降りて、線路沿いに5,600mいくと奴さん達の宇宙船がある」
「国鉄のトラック288はどうなった」
「埋もれた」
「ばかもん。でも、しゃないか、じゃあな」
見送りを断わり、ゆっくり歩いて行く後姿を見ていると二ヶ月前に会った時に比べずいぶん痩せた感じがする。何処か悪い病気にでもかかっていなければよいのだが。長年見慣れたせいもあるが美祢子が傍らにいないと何かしら不安を覚える。美祢子はここ半年くらい前から宇宙病(主に宇宙線による遺伝子欠損症候群)が重くなって、入院していたが治療の甲斐もなく永眠した。永眠といっても、合宮国人は寿命がきまっていて、それまで死ぬことはない。このまま寿命まで眠り続けるか、宇宙線を浴び再び目覚めるか、一旦眠りに付くともう誰の手にも負えなかった。二ヶ月前、洋一は合宮国連邦最高法廷から離婚を言い渡された。宙新星の防衛管理者である美祢子がいなくなると、合宮国は統制が効かなくなり動乱が起こるだろうと言われていたが、姉の美智子が星の制御を引継いで行なっているお蔭で何も起こらなかった。一人を除いて皆ほっと胸を撫で下ろしていた。いつもと変らぬ日々が、唯静かに過ぎていた。それは文明の成熟末期に訪れる静寂にも似ていた。
日が西に傾きかけた頃、洋一は時間が惜しそうに丸の内線東京駅に通じる階段を駆け降りていた。遺国人は殆どが夜行性である。元は地上で暮らしていたらしいが、数万年前地球、どうも合宮国が勧めたらしいのだが、に来て以来地下に住むようになったせいらしい。勿論地上には我々人類がいたからである。この遺国人、決して戦おうとはしない。故郷の惑星パイとその恒星系を内戦で失って以来、たとえ奴隷にされようとも、皆殺しにあおうとも決して戦わない。彼ら曰く、そうすれば少なくとも片方は必ず生き残るからだと。これは金剛環銀河の合宮国とその連盟が同じように不戦を誓う千年以上前からである。残念ながら今では方々に散らばった遺国人は魔国の一部と、地球に降りた者だけとなっている。まだ遺国人達は起きていないのか、街灯は点いていなかった。懐中電灯を点けて歩いていくと康夫が言うとおり、確かに大きな宇宙船がある。試しに入口とおぼしき所をどんどんと叩いてみる。中から眠そうな顔をした門番らしき者が出てくる。
「遺跡人に会いたいのだが」
と言うと、門番は、不機嫌そうに怒鳴った。
「ここは地球人の来る所じゃない。それに遺跡人という奴なんかいない」
頭にきたのでこっちも負けじと
「ここは何時から始まるんだ」
と聞くと、勝ち誇ったように門番は
「夜からだ」
と言って扉をバタンと閉めた。地球人は戦争ばかりしているので嫌われているようだ。なるほど「なぜ戦争をするのか」という問いは発せられるが、「なぜ戦争をしないのか」という問いは発せられない。康夫が止めた方がよいと言った意味が分かった。仕方なく駅へ戻り、フォームのベンチにゴロンと転がる。なんだか戦時中に戻ったみたいだ。この頃ろくに眠ってなかったのですぐ眠りについた。静かだ、何も聞こえない。自分の耳鳴りだけが気に障る。
「地球人殿、地球人殿。眠ってる場合ではござらぬ」
白髪の爺さんに起こされるとそこはどこかの街だった。きな臭い。蒸し暑い、それに夜だと言うのに家の焼ける炎と照明弾のせいで昼のように明るい。遠くで砲火が聞こえる。空では大型の降下艇から沢山の落下傘がばら蒔かれている。明らかに東京市ではなかった。しかし見覚えのある市街地である。総煉瓦作りの宮殿と城壁。紛れもなく合宮国第2京(合宮国最大の都市。事実上の首都。古い歴史を持つ。現在の文明である合宮国や魔国以前の文明であるマーパ光国の都市の上に築かれている。この文明は現在ですら解明できない{合宮国の科学は地球のそれより進んでいる}ほど進んでいる科学を持っていた。約20万年前黄橙銀河帝国の侵略を受けて滅亡)だった。美祢子が永眠し、防衛管理者を欠いた合宮国で戦争が勃発したのだ。
「ついに始まったのか」
宙新星は金剛環銀河の火薬庫と言われるほど、紛争が多い。殆どが防衛戦争である。戦略的な位置にあるのと、金剛環銀河のエナジをコントロールすると言う古い言い伝えがあるためである。いつ、敵が防衛ラインをくぐり抜けて、宙新星に押し寄せてきてもおかしくはなかった。しかし合宮国と一部違うところがある。合宮国と魔国との国境の川に真新しい石橋が架かっている。あれはそう短期間に造れる代物ではない。方々から人々が集まってきて橋を渡り魔国に逃れている。先ほどから鐘が鳴り始めた。合宮国に長くいるが第2宮殿の鐘を聞いたのは初めてだった。爺さんに聞くと、鐘が鳴るのは城が落城間際である印らしい。要するに最終避難勧告だ。宙新星が占領されても、4次元空間に国を構える魔国が占領されることはない。また、第3京(美祢子の居城。合宮国の首都は第2京とされるが、第3京は合宮国領内にある。合宮国と同盟関係にあるが別の国であり、京を名乗る。これは、帝宮暦2200年(合宮国暦2200年)に合宮国が陥落した後も銀河旅団に対して第3宮殿が抗戦していたことに由来する)経由で東京に行くか、恒星ヘリオス防衛の最終拠点であるαβ星に逃れる方法がある。都市国家連合の合宮国でも第2京だけは別格で外国人45万人を含む約100万人もの人々が暮らしている。恐らく第2京以外はすべて避難が終わっているはずだ。爆弾が雨のように降って来る。余り威力はないのだが、直撃すれば命に関わる。人の波に乗って、橋の近くまで近付くには近付いたが、敵のヘリコプターがいて近寄れない。家の前まで人が溢れている。魔国は合宮国に比べ、山河が多く住む所が少ないためある座標の一点を四次元にしてある。つまり一等地を無限に広げて活用している。平時は魔国人しか知らないが、合宮国と魔国は相互援助条約を結んでいるので、今合宮国人を受け入れているのであった。渡るのを待っている人達は、全滅かも知れないが、突破するか、暫く待つかを協議していた。
「なあ、地球人殿。あんた何故合宮国に居られるんじゃ」
さっきの爺さんが言った。多少諦めた感があった。
「さあ、よく分かりません。処で、合宮国がこれほどまでに攻め込まれることはないはず。敵はどこのものですか」
「金剛環銀河のものではない。合宮国は3種類の防衛システムを持つ。1つは第4惑星宙新星の外側に質量をかけて時間を停止させてある層を持つ。次にマーパ光国時代から伝わる強力な兵器を持つ。そして最後に金剛環銀河内の中型船程度の物体の移動をすべて監視している。ゆえに、敵は黄橙銀河帝国しか考えられない」
「見慣れぬ橋がありますけど何時出来たものですか」
髭を掻き分け煙草を吸っていた老人は灰を落しながら、
「わしの生まれる前からじゃよ」
「お生まれは何時で」
「忘れもしない帝宮暦2122年(合宮国暦2122年)の夏」
洋一は思わず叫んだ
「じゃあ、第3宮殿は」
「No.3なんかありゃせん。それこそ黄泉の国じゃ」
爺さんはもったいなさそうに煙草を揉み消すと昔を懐かしむように小声で呟いていた。
今(合宮国の暦、合宮国暦2320年)から120年前、合宮国では金剛環銀河を消滅させうる程の大戦が起きた。大きさは都市程の国家帝国宮殿(現合宮国)と銀河旅団という艦隊(現衛星国)の銀河一を賭けた闘いだった。双方とも首都やら主力艦やら大半を失っていた。帝国宮殿にはもう軍人がいなかった。軍事コンピュータに操られたロボットが闘っていたが、占領は時間の問題だった。以後100年に渡り合宮国は占領という苦汁を飲む。
艦砲射撃が命中し、鐘は鈍い音を立てたかと思うとそのまま止んだ。魔国は鐘が鳴り止むと橋を上げ始めた。魔国領は隈なく絨毯爆撃が行われていた。逃げ遅れまいと人々は一斉に走り出した。洋一はこれを制止した。網に洩れた何人かはヘリの機銃に倒れた。
「待ってください。このままでは全員殺されます」
魔国側から援護射撃が開始された
「待って、お願いです。橋はもう一度下ります。それにあれではヘリコプタは落とせません」
橋は完全に上がり射撃は終わった。諦めた者もいたが洋一の話に耳を傾けた。
「あと20分もすればこの辺の照明弾は総て落ちます。ヘリコプタも飛び去ります」
「しかし鐘が止んだからもう直き帝国宮殿全域の時が止まるぞ。そうすると永久に閉じ込められる」
「いや、正確には第7宮殿の大時計が止まるまでじゃ」
我々はじっと待った。待つこと2時間天からのような鐘の音が聞こえ始めた。無情にもそれは第7宮殿の大時計からだった。みんなだきあって泣いていた。そのとき橋が再び降ろされた。
「今だ。魔国はまだこっちに人がいると思ってるんだ」
「いや、いよいよ魔国は空間を閉じる腹だ」
ヘリコプタは暗くなり橋の下りたのに気づかず第2宮殿の方へ飛んで行った。
「急げ。閉じ込められるぞ」
すぐさま魔国第1宮殿(魔国の首都、その構造から重力城と呼ばれる。魔国暦1211年(合宮国暦1111年)竣工)が現れた。ゴシック調の細長い背の高い城である。通常は魔国内の4次元空間にあるが、いかなる3次元空間にも瞬時に移動することが出来る。だが何時7宮の鐘が鳴り止むやもしれない。いくら4次元に身を隠す魔国といえども100年の絨毯爆撃には持つまい。魔宮は既に移動のため回転を始めていた。我々は寸出で入城した。7宮の宙新星の防衛機構が7宮最後の鐘で宙新星を金剛環銀河から時間的に切り放す。切り放された宙新星は永久に時間のループの中を巡り続けることになる。合宮国には不文律がある。宙新星を他民族に明け渡してはならない。宙新星を破壊してはならない。宙新星がこの危機に曝されたとき、合宮国は自動的に宙新星を全く別の次元、無限の時間に封印する。現在存在している宙新星は、恒星ヘリオス系惑星とは別の組成から成っていることがわかっている。故に、過去にもこのようなことがあり、別の空間に封印された1つ以上の宙新星が存在するのではないかと言われる。存在の予言されている別の宙新星は宙心星と呼ばれる。魔宮はその前に4次元に戻らねばならない。城は高速で回転し始め、空間を抜け始めた。その勢いはすさまじいもので、トルネイドように回りの物を総て空高く巻き上げていた。
「おおい、外壁のタイルがはぎとられてるぞ」
「中心に集まってください。外壁がふきとぶかもしれません」
最後まで外を眺めていた洋一は橋のあったところに人影を認めた。同時に見殺しにせざるを得ない事を悟った。身を切るより辛い決断だった。代償の重さを知った。
「止めろ、まだ人がいる」
幼女を抱いた婦人だった。洋一は全身に戦慄が走った。鐘は8つめを数えていた。洋一は構わず飛び降りようとして魔人に制止された。幼女は知らなかったが、貴婦人は見覚えがあった。長年連れ添ってきた、喜怒哀楽を共にした美祢子だった。見間違う筈がない。城は6割方4次元に消えていた。男は叫び続けていた。
「美祢子」
「後生です。貴方丈でなく魔国も滅びます」
城の者全員敬礼していた。遂に鐘は10を数えることはなかった。気付いていたのかも知れない。貴婦人は幼女をだっこして一緒にばいばいと手を振っていた。2人は楽しそうに微笑んで、まるで出勤する夫を見送るかのように。
飛び起きると東京駅のベンチだった。全身に汗をかいていた。夢なんだろうか。激しいけだるさを感じる。蛍光灯がまぶしい。
「気が付かれましたか、だいぶうなされていたようでしたが」
見ると遺跡人が冷えたポンジュースを差し出している。一気に飲み干してもう1本要求する。
「顔色が余りよくないようですが」
「そうか、この頃同じ様な夢ばかり見る。あっちの方じゃないがな」
「はっはっは。元気そうでなによりです」
「必死に、まるで夢の中から抜け出そうとしている美祢子を見る。それで『美祢子はまだ生きてるんじゃないか』ってね。俺を呼んでるのかもしらぬ」
遺跡人は腕組して何か考え込んでいる。遺国は開店したらしく人通りが多くなってくる。さっきとはうって変わってにぎやかだ。
「それよりよく分かったな、ここに俺がいることが」
「ええ、先ほど変な地球人がきたと言ってましたので。康夫は変装してきますから。貴方だとすぐに分かりました」
「これだろ、シークレット・イヤー。ここも随分変わったな」
「はい?」
「今ある4DTV。戦前あれは遺国新宿の地下でスクリーンと呼ばれてたろう」
「良くご存知で」
「今残っている記録の中で最古に合宮国に行ったのは地球人は親父だ。合宮国に残っている記録を見るまで信じられなかったが」
「まさか」
「表銭湯、中演芸場、舞台に上がるとスクリーン...」
「...後に廻れば新世界」
「今さっき宇宙船を見るまで気付かなかったがな。新宿地下街を造ってたのか、これは」
「そうです。康夫には分からないらしく、しつこく聞かれました。親父さんは何をしてらしたのですか」
「さあ」
「さっき美祢子が生きてるんじゃなかろうかと言われてましたが」
「戦争をしている所とい...。続けてくれ」
「貴方に言われてから気が付いたのですが、彼女は魔国人ですから宇宙病には懸かりませんよ」
「えっ」
「魔国人は免疫力もさる事ながら、宇宙線に対する遺伝子の防御に関しても銀河一だから宇宙病には懸からないはずです」
「残念ながら美祢子は魔国人ではない。これは間違いない」
「子どもの頃からですから本人も気が付かない筈です。元々純粋な合宮国人は別として合宮国人とは魔国人と他星人の相の子です」
「相の子から魔国人がでるというのか」
「ほとんどの合宮国人は劣性遺伝である魔国人の血をひきません。しかし確率上有り得なくはないのです。歴史上何度か問題となっています。彼女が合いの子であるかはわかりません。しかし彼女は間違いなく魔国人です。それに...」
「何だ」
「彼女もその事に最近気付いたようです。もしかしたら彼女の永眠は計画的かも知れませんよ」
「しかし分らぬな、何故そんな事を」
「さあ、自分が存在していないほうがうまくことが運ぶということでしょうか。ところで、合宮国人は自殺できない事はご存知ですね」
「ああ、なんでも昔余りに自殺が多くて遺伝子を組替えたとか」
「そうです。一般的には魔国人も自殺はしません。しかし宗教上の問題で、別に不可能ではないそうです」
「当然だな、自殺は合宮国だけの問題だった」
「しかし、美祢子は自殺などせんぞ」
「自殺が問題なのではありません。何故自殺しないかと言えば、簡単に言えば悲しくないからです。合宮国人は悲しまないのです」
「確かに美祢子は悲しむ。しかし、それは俺が教えたからだ」
「学べば自殺できるようなシステムを埋め込むと思いますか。合宮国人は学ばずとも話せる人種ですよ。それで何百年も合宮国が存続してきたと思いますか」
「ありえない。国が滅びるかどうかと言う瀬戸際にそんな事はしない。美祢子は合宮国人じゃない」
「ええ、それから美祢子は自殺が出来るという事を憶えておいて下さい」
「美祢子は知っているのか」
「しかも自分以外この事を知らないと」
「このことは我々だけの秘密にしておいてくれないか」
「もちろん、処でさっき戦争をしている所がどうとか言われてましたが」
「何処だと思う。おまえの所が一番詳しいからな」
「現在、天の川銀河や金剛環銀河内で闘っているところは在りません。我々のネットワークは合宮国それの2.5倍以上有りますが該当する区域は在りません。後で火星のネットワークにもアクセスして結果をメールしておきますが...」
「では?」
「他の宇宙か、もしくは」
「ん?早く言え」
「現在ではない所です」
「未来の戦いに出かける馬鹿はいないな」
「ええ、現在如何では戦いは起こりませんから」
遺跡人は長期休暇を取るため、船へ行った。船からは作業服姿の遺国人達が大勢出入りしていた。トラックに乗って工区へ向かうようだ。地上も見えるが、地下は丁度10階位下に人が米粒のように動いている。更にその下の方で青白い炎が付いたり消えたりしている。地下道の線路も残っている。大型のダンプトラックを乗せたリフトが上がってくる。さっきは暗かったので分からなかったが、巨大な穴が開いていて、それに骨組みが取り付いているように見える。フォームからベルトコンベアで土砂を地上に運んでいる。しかしやけに静かだ。エンジンがない為らしいがそれにしても静過ぎる。まるで地球人に内緒で行っているように。突然沈黙を破ってけたたましいエンジンの音が鳴り響いた。総ての作業が停止した。宇宙船から四駆が凄い勢いで走ってくる。私を指さし、何やら騒いでいる。すぐ隣にいた作業員が「特高だ」と叫んだ。一斉に作業員は物陰に隠れた。四駆は一直線に走ってきて私の前で止まった。
「そこの地球人。何をやっとる」
この一言の意味するところは、相手が返事次第では俺を逮捕しようとしていることらしい。しかし法により理由もなく逮捕できないことも分かる。
「私は地球人ではない。合宮国外務大臣の上野洋一だ。東京市政府の依頼で査察にきている」
「失礼致しました大臣殿、遺国へようこそ。ご案内致します」
隠れていた作業員が、ボディランゲージで止めろと言っている。
「いや、亦の機会にしよう。零時には戻らねばならん。それはそうと遺跡人はどうした」
「はっ。体調が優れず入院しております」
「ほう、それは見舞いに行かねばならんな、警察病院かね」
「いえ、精神病院です」
厄介なことになってきたなと思いながら階段を昇って行った。恨めしそうに2人の警官は見送っていた。地上に出るともう真暗だった。東京市は日が暮れると皆寝静まる。生憎月も出ていない。これからどうするかを考えるために、煙草に火をつける。ポケットからスコッチを詰めた携帯用のアルミの水筒を出し、栓を開け、くわえる。何も食べていないせいか胃がひりひりする。つまみのチーズを探す。目がなれてくるとすぐ近くに人がいるのに気付いた。近付いてくる。しまったと思ったが、遅かった。梟の遺国人にはかなわない。御丁寧に男は吸殻を拾い上げ、
「旦那、ゴミはご自分で始末してくだせぇ」
と言った。手渡されたのは両切りのピースの新品だった。
「何処へ捨てればいいかな」
「燃えるゴミは月曜日の昼一番大きい炉に投げ込んで下せェ。燃えないゴミは水曜日の朝出しとけば回収してくれるだ」
男は去って行った。ピースに火をつけた。「遺跡人、何を考える?」。
確か宇宙船に乗るときは偽名にしておいたはずなのだが、火星アインシュタイン宇宙港に着いたときには「上野洋一様来火熱烈歓迎」と横断幕があった。火星の情報省は遺国のそれと同規模を有する。合宮国連盟内はおろか魔国にも火星街は存在する。これは火星が戦時中ほとんどの人が科学者だった事と中立だったため情報が入手できた事に始まっている。蓄積された膨大なデイタは瞬時何処の火星街からでも引き出せる。そのため何処の国からも引合いが止まない。また無政治、非武装、無宗教も敬遠されない理由だ。火星は2118年、女王制となり国連(戦時中の国際連合の崩壊を受け、戦後地球連邦を解体し、国際連合の枠組みを強化した国際連邦が発足した)から独立したがすぐに国内で大規模な暴動が起こり3日で共和制になった。議会は国連に留まり、女王は独立していると言うよく分からない国である。ちなみに各地に散らばっている火星街は議会側のである。いずれ国連は火星連邦に吸収されるだろう。入官を出るとすぐ放送局のリムジンが待っていた。「上野様でいらっしゃいますね...」
別に好きで上野なわけじゃない旧姓に戻っちまったんだ、知らねえうちに。
洋一は合宮国の第2王女美祢子(合宮国第3京第3宮殿主、合宮国の首都は第2京とされるが、第3京は合宮国領内にあり、合宮国と同盟関係にある。京を名乗るのは帝宮暦2200年(合宮国暦2200年)に合宮国が陥落した後も銀河旅団に対して第3宮殿が抗戦していたことに由来する)と結婚したので名字が三宮(さんのみや:私的)、三主(さのー:国外向け)、宮主(のー:宙新星は金剛環銀河の寿命を左右するといわれる。美祢子は宙新星の防衛管理者であるから金剛環銀河の管理者を意味する)であった。通常、合宮国人は名前に地名を併用し、名字は用いない。
せめて子供でもいりゃァよかったんだろうが。
「失礼」
黒服を気にも止めず、タクシ乗り場にいた白のメルセデス1971年型SE280クーペ3.5に乗り込む。
「オリンポス火山までやってくれ」
「えっ?オリンポスへですかい」
車は急に速度を落とした。
「何だ、前金制か」
「旦那、丸2日はかかりますぜ」
「明日の朝までに着かなきゃならん」
「そいつはお役人様でも無理ですわ。一体何の祭りなんですかい」
「非合法でもいいんだが」
「止めときますわ。理由もおっしゃらずに」
「うーむ。困ったな...」
「もう、じれったいわね。火星に何しに来たのよ。迎えをやったのに断わっちゃうし...」
顔を上げると陽子がいた。船井陽子、洋一の幼なじみである。戦前日本の世界最大の造船会社が、戦争に加担することになった時、反対した技術者の起こした会社が船井造船である。本社は火星にある。戦後復興に大きな役割を果たした。この会社の創立者の一人、船井善三氏の令嬢である。
地球を一歩離れるともう情報を制御することは不可能だった。私がリムジンを断わりタクシに乗ることまで計算ずみだったらしい。唯、どうして火星に来たのかが分からなかったらしい。
「お久振りです、陽子さん。お元気そうで」
「何言ってるのよ。心配してたのよ、連絡もしないで」
彼女は独身である。この年だからもう結婚はしないだろう。大変な美人で今年合宮国/魔国の高感度No.1だ。こちらの方が女王にふさわしい。
「遺跡人と会うためです」
「地下東京市(Sub-Tokyo)じゃ?」
「はぐれました」
それだけ聞くと彼女はニュートン国際空港に引返した。駐機場に入るとまず大きな飛行船が数機係留されているのが目に入った。火星では国際線に飛行船を用いる。次の建物はガリレオ航空博物館と書かれていた。クラシックプレインが沢山ある。更に奥へ行った。ここは軍用機ばかりある。飛行機の墓場だ。陽子はその中から比較的速そうなジェットヘリを選んだ。
「操縦できるわね」
洋一は気に入らないらしく戦闘機を眺めている。
「あれがいいんですけど」
「オリンポスには滑走路なんてないわよ。飛び降りる積り」
「ご心配なく、VTOL機ですから」
「好きになさい。私も行きます」
「ええ、ご自由に。二人乗りですから」
夜まで待って、宇宙船の離着陸でうるさい滑走路からこっそり離陸した。
「火星の法は地球のよりむしろ合宮国や、魔国の法を参考にしているの。だから戦後、翼による揚力利用の飛行物は禁止なの」
「知ってる。過去に、合宮国で5000人乗りが滑走中バク中したそうだ」
急に雲の一角が明るくなった。
「Heliosよ、気を付けて」
地上80,000mに浮かぶ軍事衛星だ。高出力のレーザー砲を積んでいる。光の柱が近付いてくる。辛うじて避けたがまた他のところが光だした。
「警告なしか」
「発見されたわ。もう逃げられない」
急いで雲の中に避難する。まだ4,000km以上ある。
「ん?まずいなスクランブルか」
「無人機よ。撃ち落として」
「撃ち落としてったってあれイーグルじゃないか。こっちがおだぶつだよ」
「まあ、どうしましょ」
雲の上に出る。Heliosは作動してないようだ。暫く飛んでいたがイーグルもいなくなった。
「どうしちゃったのかしら」
「わからない」
やがて日が昇ってきた。
「あれがオリンポスか。富士のようだ」
「遺跡人は何処にいるのかしら」
近付いて初めてその大きさが分かった。高さだけで30,000m以上ある。旋回し、着陸地を選定する。
「降りるならフリーウェイがいいわ。今の時間帯なら通行する者もいなわ」
「いや、火口に降りる」
「でも今はカルデラ湖になっているわ」
火口は巨大だった。我々は自動車も通っていないハイウェイに降りた。機内では日が射していたのでうとうとするほどだったが、外はひんやり涼しかった。日陰では寒いくらいだ。機に野営テントがあったので張って機体はカモフラージュした。これで発見される事もないだろう。ゴツゴツした岩場を火口まで登って行く。湖と空と赤い大地しかない。生憎雲もない。地平線の彼方迄丸で時の止った様に微動だにしない。大気が薄い為星がよく見える。
「あれが地球よ。洋一は始めてね」
昇った許りの太陽の上方にキラキラ輝く星がある。
「あれ、」
「月が二つあるなんて言うんじゃないでしょうね」
ここは火星だった。二人でしばらく明るくなってくる空を眺めていた。陽子とゆっくり話すのはこれが最後のことになる。人生なんて一瞬先はどうなるかわからない。やりたいことがあるならば迷わずやることだ。今やりたいと思っていることは今しかできない。
段々暖かくなってくる。先上空を見かけぬ輸送船が通過した。近くに大きな港でもあるのだろう。陽子はしつこく遺跡人と二人で何をやっているのか問い質してくる。
「さあ、遺跡人に聞いてみないと」
と胡麻化す。にしても長閑だ。暫くすると警察のパトロールカーが来た。陽子が言うには、毎年10人位この辺で行方不明になるそうだ。それから、矢鱈UFOの目撃数が多い。どこかに亜空間航路の抜道でもあるのだろう。
不審気にしながら警官は、「一応規則なもので」とじろじろ我々を見ながら身分証の掲示を求めたが陽子のIDカードを見ると驚き、申し訳なさそうにサインをせがんだ。上司らしき中年は、「いやあ、息子がファンなもので」と頭を掻きながらノートを渡していた。「上野洋一です」と言ってIDカードを差し出したが、「いいんですよ」と笑顔で拒まれてしまった。恋人かなにかと勘違いしたのだろう。別れ際に思い出した様に若い警官が、「『上野洋一』ってあの東京天国の上野洋一と同姓同名ですね」と言った。上司は「失礼だろ、馬鹿者」とずっと陽子の方を見つめながら言っていた。陽子と握手までして上機嫌の二人は、「何かあったら、呼んで下さい。すぐに駆けつけますから」と言って去った。
「大変ですな、有名人は」
「あら、洋一の事もちゃんと知っていたじゃない」
「...」
昼近くになり、気温は45度を越えた。風は全くない。陽子には何かあったら連絡するからと言って機に戻らせる。太陽は真上だ。観光客もいない。多分僧だと思うが、二人湖に向って呟いている。頭が朦朧としそうなのに、黒い袈裟を来て良く平気なものだ。「心頭を滅却すれば火も又涼し」と言った奴がいるが、何事にも限度はある。残っているピースを取出し湖に投込む。僧がじろりとこちらを見た。一通り済ますと、来た道をゆっくりと引返して行った。再び湖に目を移すと水中からこちらを伺っている者がいる。逆上せたのかとも思ったが、幻ではない様だ。二本角を生やした動物と言えば、確か竜だが。こちらが気が付いたのを知ると吃驚たように潜った。次の瞬間、水の柱が空に延びたと思うと、何時の間に湧いたのか雲も渦を巻き始め、トルネイドの目を悠々と竜が昇って行く。すさまじい暴風雨だ。無線で陽子を呼ぶ。
「トルネイドが発生してます。西方に脱出して下さい」
「...操縦できないのよ」
岩から手を話してしゃべる事が出来ない。出来る事は唯必死に岩にしがみつく事だった。無線の音が途切れたのに気が付くとくわえていたのはアンテナ丈だった。「畜生!」、自分にさえ聞こえない罵声が惨めだった。
「う、うん、もう少し丈、後10分丈寝かせて置いてくれ」
又誰かがグイと揺すった。俺はとても寝起きが悪かった。目覚めるとそこは火星ではなかった。かといって、三途の川を渡った記憶はない。地球にも、合宮国にも見えない。魔国かな。近くに先の黒い袈裟を着た僧が立っている。
「気付かれましたかな」
顔を見ると遺跡人だった。
「なんだ、遺跡人、無事だったのか。それならそうと連絡ぐらいしろ」
もう一人の僧もやってきた。こいつも遺跡人と同じ顔をしている。二人で顔を見合わせて首をひねっている。
「失礼しました。友人に似ていたもので、ここは遺国ですか」
「帝星ですが」
「帝星ですか。所で私の連れを知りませんか」
「知らない。我々は貴方をお連れするように頼まれただけだ」
遥か上方の闇の中に皿のような空が見える。
「あれは」
「あれは明港だ」
この星には空はない。上を見ても彼方まで闇だ。うっすらと霧が懸かっている。この空間は地下の巨大都市を彷彿とさせる。何処に位置するかは分からないが、どうも遺国の親戚に当たる国らしい。遺国人に似た者ばかりだったが、中には他国人も多い。市内は桃源郷だった。皆生き生きとしている。どうも態と夕方にしてあるようだ。海賊船があるビルに入る。国会のような所だった。何をしているのか訪ねるとどうやら裁判をしているらしいことがわかった。壇上の男に答え、袈裟男が右手を高々と上げたと思うと、「皆がお前の意見を聞きたがっている」と言った。長い羽根を頭につけた壇上の男が言う。
「何故火星人は戦うのか」
「私は火星人ではない。しかし私の知る範囲で判断すれば火星は戦わない」
「では、何故戦ったのか」
「戦ったのは地球だ。火星は戦っていない。地球が戦った理由を一言で言えば、地球を守るためだったと思う」
「地球と何か、人類が滅びても地球なのか」
「地球は人類の為にあるのではない。では、帝星は帝星人の為にあるのか」
裁判所内に笑いが起こった。裁判長らしき人物が何か怒鳴っている。袈裟男が言った。
「帝星は人造星です」
羽根男が続ける。
「我々には戦いは要らない。必要を覚えない」
「我々にも戦いは要らない。必要も覚えない」
「滅ぶ事も厭わないのか」
「地球が滅べと言えば滅ぶだろう。我々は子孫、地球を受け継ぐ者のために地球を預かっているだけに過ぎない。地球を壊す事も、他の者に与える事も許されない。だからこの不文律が破られようとき、我々は死を持ってしてもこれを止めなければならない」
「戦う事にならぬか」
「勿論、大勢人が死ぬ事になるだろう。しかし、我々が今住んでいる地球は、気の遠くなるような昔から、こうして守られてきた。我々には守る義務がある」
「!」
「そうだ。だから我々はこの不文律が崩れたとき、地球と共に消えるだろう」
「お時間です」、袈裟男が言った。羽根男が不適な笑いを浮かべていた。われわれ三人の靴音だけが議場に響いていた。
ストリップと呼ばれる大通りを南下する。ネオンサインが眩しい。ピラミッドを模したビルに来ると、袈裟男は、「では我々はこれで」と言って、元来た方角へ消えた。ピラミッドは遥か上空まで一筋の光線を発している。人混みに押され中に入る。壁丈で天井がない建物だった。入り口に、「魔国へようこそ」と書かれている。他に比べ魔国人が多い。みんな帝星出国者らしい。正面のレセプションに行くと、魔国人の受け付け嬢が、「洋一様ですね、郵便が届いております」と言って封筒とナイフをくれた。「魔国トロイ旧市街の酒場コクテールにて待つ、遺跡人」。他にチケットとカードが入っていた。魔国行きの船は2時間後に出ると教えてくれた。子どもが多い。みんな大騒ぎしている。旅行するからだろうと思っていたが、どうやら、ここだけ子ども用のプレイ・グラウンドがあるらしい。レセプションにいた魔国人の女性がやってきた。
「ラクエルと言います。遺跡人様からお伺いしています。先ほどは失礼しました。丁度手が空かなかったものですから」
近くのレストランに行った。
「帝星とは宇宙の何の辺にあるのですか」
「魔国はご存知ですか」
「難しい質問ですな。知ってはいますが...、合宮星のどこかにあるらしいですね」
「帝星は魔国領内にあります」
どうも、帝星、帝星人が自国を称している物だが、の地下に当たるのが魔国らしい。先、袈裟男が言っていた空にある明港と言うのが火星航路で、オリンポス山のカルデラ湖に繋がっているそうだ。一方、帝星の人造湖、アーサー湖が逆様の位置にある、魔国の旧首都トロン市の宮殿の背後にあるボーマ海(魔国はかつてボーマ帝国といった。合宮国はその頃、ダイル王国といった。そのなごりである。合宮国第2京にはダイル教という宗派のダイル教会がある)と繋がっている。魔国最大で、合宮国への裏道のある第8区の湖、緑海が地上の魔国領の暗海に繋がっている。こちらを暗港という。ちなみに魔国内の火星街は暗海の近くに位置する。暗海と明海は定時にしか、繋がらない。現在魔国から合宮星外に出る場合、合宮星魔国領にある、暗海に繋ぐ。東京にある4DTVと仕組みは同じだが、4DTVは常時開放固定型に対し、魔国のは元々4DTVの向かいにあった物を火星の人が持って行ってしまったそうで火星、魔国、帝星の協議の上、現在のようなタイムシェアリングして各国が利用しているそうだ。以上は極秘事項で、絶対に口外しないよう言われたが、得体の知れない私にまで教えてくれる秘密なのだから、周知の事実なのだろう。
現在、合宮国地球間を大型の物を輸送しようとするとこの方法以外にはない。金剛環銀河で唯一超時空航行を行える魔国空母も、後に財政悪化を理由に売却され、重水素タンカーに改造されたときに兵器、装備は総て外された。ボーマ帝国時代に建造された3隻の巨艦の一隻で型式は空母なのだが、銀河旅団との戦争で沈没した合宮国戦艦(魔国が降伏した際摂取された)と同型式で途中まで戦艦として造られたのを変更して空母になった曰く付きで、底部に一門丈砲を持つ。この砲一門丈で、恒星を消す事が出来る。バラバラに破壊するのではなく、そっくりそのまま消し去る事が可能だ。最後の一隻は亜空間潜航艦で常時、亜空間に潜んでいる機動要塞的な艦である。武装はないと言われる。現在の魔国の存在形態の原型と言われながら、ボーマとダイルの大戦中、ボーマ領内で行方不明になっている。3隻中で唯一、「戦うことを必要としない艦」という称号が与えられている。金剛環銀河が不戦決議を行ったとき、非常時に備え、合宮国戦艦を摂取したが、同時にこの潜航艦を探したがどうしても見つからなかった。魔国空母はついに大戦に担ぎ出される事はなかった。不思議な運命を持つこの艦は、合宮歴3000余年に火災を起こして沈没した超大型豪華客船ハイパ薩摩Uを所有していたα・ケンタウリ星第7惑星センダイの天の川銀河最大の定期船運行会社西郷汽船が購入、3年かけハイパ薩摩Vに改修したが客足が遠のき、負債を返せず倒産しかかった。そこでこの帝星一の富豪シーザーとホテルと船を賭け、見事勝ち、ホテル丸事船に載せてしまった。その後、合宮歴8000余年に合宮星が合宮太陽に飲み込まれる寸前、最後まで救援活動をしていたのがこの船である。尚、合宮歴8000余年の危機は回避される。
遺国のCATVが火星のオリンポス山を映し出している。私が遭難している事を報じている。妙な感じがする。陽子は無事だったらしい。合宮国からも可成捜索隊が出ている。砂漠から、火口、湖底迄、人口衛星から、ボーリング・マシーン迄持ち出して、お疲れさん。ただ、凄いと思ったのは、美祢子の姉美智子、義姉にあたるが、彼女丈は私は無事でこの空間にはいない事を見抜いていた。この人なら、美祢子に就いて何か知っているんじゃないだろうか。合宮国もペンダントの電波を頼りにこの空間にはいない事は知っていたが、合宮国人の生命維持装置に就いての管理上の問題から公表は差し控えられていた。可哀そうなのは、陽子に勘ぐられた所為で調べられている何も知らない遺国人達だった。陽子にはもう少し戯れていて貰おう。
千人乗りの船チャールストンは3分足らずで魔国に着いた。一等チケットのせいか通関はなかった。確かにいつも来る魔国なのだが、違和感を覚える。
合宮国は覚醒作用のあることを理由に度数の高いアルコール類の飲酒を禁止している。したがって、ウイスキー、ウオッカや焼酎などの蒸留酒を飲みたいものは魔国などへ行って飲む。これに習い、火星や地球などでもアルコールには400-800%という高額の税金をかけている。
コクテールに入ると、スピーカーの音が割れているのに気付かず演奏しているバンドが魔国で流行っている「タイム・ゴーズ・オン」という曲を演奏していた。よくドクタ貝原と一緒に来ていた店なので見つからぬように魔国人に扮してきた。見回すと、みんな黒装束の帝国人である。誰が遺跡人なのか分かる訳がない。席に着くとウェイタがおそるおそる来て、「何にいたしましょうか」と言う。無理もない、こんなに帝星人がいたのでは。怪しい宗教団体だ。確か帝星人はアルコールでは酔わない体質の筈だ。何が楽しくて高い金払って酒など飲むのだろう。向こうで一人ベレンベレンに酔っている奴がいる。案の定ドクタ貝原だった。人が行方不明になっているのに酒を飲んでいるとはけしからんと思っていると隣にいた帝星人に絡み始め、終いにはウェイタに摘み出されてしまった。酒を注文し、噎せながらピースをくわえ、演奏に浸る。人が近寄ってくるのが分かった。
「煙が目に滲みるねえ」
そう言って顔を上げると遺跡人がいた。ウェイタがトマトジュースを持ってくる。
「ようこそ、洋一さん」
「凝った演出だな、何の余興だ」
「これで私と上野洋一は地上から消えた訳です」
「ほう、じゃあ何でも気兼ねなくできる訳だ」
「なんなら、殺人でも強盗でも」
「丁度良い、国庫にでも押し込むか」
「はい?」
「なにやってもいいんだろ、連いて来な」
洋一と遺跡人はモデルガンを2丁買うと魔国を後にした。
第1宮殿の扉53に出る。番兵はいるのかいないのか分からない。都合がいい。何かの催しがあるらしく非常に忙しそうだ。ここの所ニュースを見る暇がなかったので世間で何が起こっているのかさっぱり分からなかった。人の通行量が多い許りでなく、荷物も凄い勢いで動いている。湾にも多数宇宙船が停泊している。
「何の宴会だい」
隣で忙しそうに仕分けをしている背の高いじいさんに聞いた。
「へえ、何でも王子が婚約したそうで」
「えっ、清(合宮国王位継承権第2位、美祢子の兄)さんが。で、相手は」
じいさんは横で梱包をしている白髪のじいさんに尋ねている。
「確か、誰だっけな、ポール」
「えっ、聞こえないよ。ミック」
「わしはミックじゃなくて、ジョンだって」
「だから聞こえないって、ミック」
我々は先を急いだ。こんなに混んでいれば好都合だ。臨時に壁にTVが据えてある。
「今回の電撃婚約は...。火星共和国として...。皆が望んだ結果ですよ。ですが、ソフィア・ベルヌーイ公爵令嬢は若干まだ...」
「聞いたか遺跡人」
「ええ」
「火星の公爵の所の。でも随分若いの貰ったね。彼女14だろ」
「そうですね。3月生れですから」
廊下はごった返していて進めないので、窓から屋根に出る。快晴は久振りだ。ここん所日光さえ碌に浴びていなかった。気分がいい...。
「いいんですか、こんな所歩いて」
「ああ、見つかりゃしないよ」
窓の前を通ると、部屋の中の者は吃驚して顔を出す。何だ、結構暇な奴もいるんだ。
「人に隠れたり、隠さないと拙い事をしている人ほど驚くものだ」
遺跡人はそんな事には興味がないらしくすたすた歩く。しかし、次第に空が暗くなる程飛行物は増えてくるし、廊下は愈歩けなくなり、屋根の上に迄溢れてくるわで何うにもならない。入城制限しなかったのが失敗だ。
「どうやら夕方までには戻れそうにありませんね」
「全くだ。『上野洋一』ならすぐに行けるものを...。不便だな一般人は」
第一宮殿は政治の中心の為出入口が少ない。鏡の部屋は中央に位置するが流れないので身動きできなくなっている。各国の要人達が入城できない有り様だ。夜になって少し減ってきたがそれでも1時間に2,30mの大渋滞だ。
「2、3日懸かりそうだぜ」
「結納は1ヶ月先らしいですが、更に延び延びになっているらしいですよ」
深夜まで城内放送のスピーカーが鳴り響いている。火事でも起きたら一貫の終わりだ。左側通行なのだが、唯でさえ狭い上、廊下一杯の荷物を運んでたりする。みんなブーブー文句を言いながらしゃがんで待つ。早くも仮装して荷物を運んでいる奴や、TVが点いたまま運ばれている。階段には臨時の信号が設置され、警官が笛を吹いている。縫いぐるみを運んでるのか、縫いぐるみがマネキンを運んでいるのか分からない。緊急用車両が、オートバイなのだが、時速100km/h位で走り回る。更にここ3日程城下の浮上用プロペラが最大回転していたが、一枚羽根が飛んで、出力が70%に落ちた上、異常振動を起こしている。追いうちをかけるように荷物が搬入され、最上階には祝砲用の戦車が装備され、パレード用の水陸両用車が並べられている。人が最大乗員の20倍を越え、沈まない方が不思議な位だ。それを何うにか宇宙船と、飛行船が支えている。飛行船からは迄1ヶ月以上あるのにアドバルンが上がり、毎時鐘が鳴る毎にピカピカの紙吹雪が舞っている。最も重要な問題は殿はおろか王子本人も公爵令嬢もまだ第一宮殿に入城できないでいる事だ。一旦極秘で第2宮殿で婚約を発表したのだが、1週間後の今日でさえ祝いの客が途絶えず、足止めを食らっているらしい。仮設トイレなど10m置きにある。壁には電話が並んでいるが総て各国の報道陣が占領している。朝日が昇り始めると、愈身動き一つできなくなってきた。山手線高田馬場、新大久保間並だ。あちこちで喧嘩や発砲が起きている。
「処で洋一さん、何処へ行くのですか」
「銀行だ」
「都市機能を持たない為、第1宮殿に銀行はありませんが」
「あん、聞こえないよ。ああ、銀行ね。なければ金庫でもいいよ」
「金庫ですか。『黄金の7人』じゃあるまいし」
「いいからいいから」
わあと言う声を聞いて窓から身を乗り出すと当局が強行手段に訴えている。
「なんだ、あれは」
各階で用の済んだ人間は廊下の突き当たりから湖に落とされている。警察のバイクも一緒に落ちる。
「勘弁してくれよなァ、『たけし城』じゃあるまいし」
「一体どうなっているんでしょうね」
どうやっても今は最低でも1ヶ月は地下の大金庫には到達できそうもない。
「仕方ない、引き返そう、遺跡人」
「でもどうやって」
「参ったなァ」
見ると妃の部屋の近くである。この部屋の周辺だけ落ち着いている。
「そうだ、妃に頼もう」
「まだ第2宮殿から戻ってないと思いますが」
「ポートドアから王族専用の通路がある筈だ」
「一介の市民を通してくれるんでしょうか」
「遺跡人、しょせんは机上の計画、やってみなきゃわからんさ。それに駄目なら駄目で他を考えればいい」
遺跡人は黙って終った。こういう時は何かを思案している。ノックしてみると返事があった。遺跡人を引きずりながら入っていく。
「帝星人の401と402です」
先客がいた。火星のベルヌーイ公爵だった。やばい、面識がある。顔色一つ変えず妃が言った。
「ゆっくりノックしなさい、でないとマフィアと間違えられますよ」
王子達の姿は見えない。宴会の準備に忙しいのかも知れない。話は終わっていた物らしく公爵は恭しく礼をすると自分で上着を取り、退席した。妃がこちらに向き直った。待女が湯飲みを変えている。鉄瓶にはまだ湯が沢山入っていると見える。待女が下がったので話を切り出そうとすると、妃は少し微笑みながら、「おかけなさい」と言った。遺跡人が珍しく緊張している。そのまま我々にはしゃべらせず、抹茶を入れている。見事な手付きだ。やはり美祢子の母だ、血は争えない。それを我々の前に差し出しながら、「何のご用かしら」と言った。この人にはジョークなんか通じないんだろうなと思った。不真面目な所が全々ない。「実は...」と切り出しかけると、遺跡人が口火を切った。
「私どもは地下金庫に用があるのですが、この状況です。そこで是非お力をお借りしたいのですが」
「貴方方に出来ない事が何故私に出来ましょう」
遺跡人の抵抗は終わった。又下を向いて思案している。妃は私の用を向いて微笑んでいる。扇子で仰ぎながら、一瞬鋭い眼差しで何かを狙っている。蛇に睨まれた蛙だった。身動き一つ、息すらできなくなってしまった。脇を冷たい物が流れる。室内は完全防音で、外の騒がしさは聞こえない。時間が止まっているように錯覚する。茶に口をつけた後、徐に口を開いた。
「王族専用通路の通行許可を戴きたいのですが」
間発入れずに妃は言った。
「王族専用通路は王族しか通れない物です」
「そこを...」
「理由もおっしゃらずにあんまりじゃありません事、洋一さん。...」
「えっ」
「...美智子(合宮国王位継承権第1位、美祢子の姉)に何の用」
最初から分かっていたらしい。我々が気付くまで待ったいたのだ。それでいて、涼しい顔をして話す。この人とは会話は必要ないんだ。ばれているなら話は早い。
「私の隣は友人で遺跡人と言い...」
「存じております。クワトロさん、ロードル・リレイエスさんはお元気ですか」
「はい、お陰様でとても元気です。合宮国は度胸があると褒めていました」
「それはとてもよろしいことですね」
日常会話に花が咲いている。俯いていると眠気が襲ってきた。
「洋一さん、洋一さん...」
はっと気が付くと遺跡人が何か同意を求めている。
「うん、ああ」
遺跡人は小声で、「何で美智子さんに会いたいか尋ねられていますよ」と言った。今何時か聞くと、夕方の6時だと教えてくれた。3時間も眠っていたのか。そういえばまともに眠った記憶がない。
「長居をして申し訳ございません。色々難有うございました」
暇を告げると皆変な顔をしている。遺跡人も何か用があるのかと訪ねた。
「一刻も早く美智子さんに尋ねたい事がございまして」
妃は漸く分かったと言う顔をして、「美智子に何の用ですか」と言った。
「ああ、途中でしたね。ご免なさい。少し疲れているようです。何処までお話しましたっけ」
「私を紹介してくれた所までです」
「そうでした。もう半年になりますが、よなよな美祢子が夢枕に現れ、私に何か訴えかけるのです。最初それが何なんだか分かりませんでした。美祢子に聞こうにも彼女はしゃべりません。所がこのごろ別の夢をよく見るのです。毎回同じで恐らく帝宮歴2200年の夏の陣だと思います。最後に見た夢はこのような物でした。私は魔宮に逃げる一団にいました。今の第2宮殿との違いは国境にアーチ式の石橋が架かっている事です。これは開閉可能です」
「はい?」
妃が声を上げた。
「かけ橋は緊急時に現れます。極秘事項で一般人は知りません。どうしてそれを」
「分かりません。第7宮殿が落城し、残りの合宮国人がぎりぎりで魔国に逃れようとする瞬間、合宮国に残っていた最後の人々が駆けつけます。我々は彼女らを残し合宮国を離れます。二人、美祢子と三、四才の女の子でした。この二つの不思議な事柄より、美祢子が生きていて、何処かで戦っているのではないだろうかと心で思うようになりました。そこで、火星と共に金剛環銀河一の規模を誇る遺国のデイタベイスです。私は二つの重大な事実に気が付きました。遺跡人、説明よろしく」
「では、籍ではなく、美祢子は民族的に見ると、何人になるのでしょうか」
「合宮国人と答えれば良いのかしら」
「所がどうも彼女は違うらしいのです。私も遂最近迄騙されていましたが」
「ふふふ、では合宮国第2王女の美祢子は何人になるのかしら」
「合宮国人は、魔国人と他星人の間の子、但し魔国人の血は劣性遺伝ですので、滅多に現れる事はありません。処で洋一は何人だと思いますか」
「地球人かしら」
「違います。合宮国人という事になります。洋一の母は魔国人の麗子女史です。遺国に記録が残っています。先話の出た130年前の魔国人の亡命事件の...」
「それはいいとして、美祢子が合宮国人でないと確信できる証拠は何ですか、合宮国ですら確認できないのに」
「合宮国人と魔国人は外面は総て同じです。もし彼女が合宮国人であると仮定しましょう。すると必ず魔国以外の血を引きますからその国の血を受け継ぎます。彼女の行動、考え方、感情は該当する国がありません」
「地球の血を引くとすれば」
「合宮国にも地球にも彼女程の力持ちはいませんよ。彼女の怒ったときの力、あれは竜の力です」
「魔人は恐竜に変態できます」
「それから彼女はウィンドウポートを自在に操れると思われます。勿論彼女は気付いていないと思いますが」
「ウィンドウポートは合宮国人でも作動できますわ」
「決定的な違いがあります。彼女は悲しみを持つという事です。合宮国人は悲しみを持つ事が不可能な事はご存知でしょう」
「いかにも、合宮国人は如何なる手段を講じても悲しみを持つ事は出来ません」
「もし美祢子が魔国人だったとしてもそれが何になるのでしょう」
「大いに注目すべき点です。どうも先程から美智子さんがお待ちのようですのでお呼び下さい。今日は、美智子さん。今美祢子は何処にいるんですか。美祢子は帝宮歴2200年に行ったんでしょう。その為に貴女以外、妃まで欺かねばならなかった。そうでしょう。私も旨く騙された。これを調べるために我々も姿を隠したんです。美祢子に気付かれないように。お話下さい、美智子さん」
「美祢子はバンゴー国立病院で眠ってますよ」
「眠っているのは誰なんですか、美智子さん。先程の話は聞いていたと思います。もう一度お伺いします、美祢子は魔国人ですか」
「美祢子は魔国人でしょう。合宮国人とはなにかしら違うところがあります。私も兄も、妃もそうでしょう。美子3776世以下、殿は合宮国人でしょう。合宮国人からは分かりませんが魔国人からは分かるのです」
「魔国の人もそう言ってました」
「魔国人は宇宙病なんかには懸からないでしょう。血に余分な物が混ざっていないんだから」
「ふっふっふ、誰ですか、気が付かれたのは」
「遺跡人です」
「一体どうして」
「洋一が知ってたんですよ。魔国人は宇宙病には懸からないって」
「美祢子が自分が魔国人である事をもう少し早く気付いていれば、我々はおろか魔国人でさえ気付かなかったでしょう。美祢子はその前に私に悲しみを持つ事ができる事を証明してしまった」
「仕方ないわね、こうなってしまっては。いい事洋一、美祢子は貴方には決して知らせないように言っていました。何故だかお分かりね」
「多少は」
「ただ、私も美智子も美祢子の所在は確認できません」
「ありがとうございました、王妃様」
「行くのですか」
「ええ、わが本望は生き永らえることではないので」
「洋一さん、何うするんですか」
「さあ行こう、遺跡人」
「どうしても行かれるんですか」
「ああ、俺は...、美祢子と別れる事は死ぬより辛いのだ」
「このまま行方不明になっときますか」
「どうするか、分からない。お前はどうする、遺跡人」
「ご一緒させて戴きます。でも他の人達には黙っていた方がいいですね」
「伝えても構わぬよ。どうせタイムマシンは使えない筈だ。ウィンドウポートに頼るしかない。合宮国地球しか使えないあの魔国TVは役に立たないだろう。だから人知れず戦場に向かう事になろう」
「火星じゃまだ貴方を探しているでしょうね」
「忘れてた、陽子さん怒ってるだろうな。でも火星ってあのTVで貿易しているんだろう」
「ええ、ですから知っていると思うんですが」
「真逆見張られているわけじゃないだろうな」
「合宮国はともかく魔国では筒抜けでしょう」
「どうも気になる。こうなると只管騙し合いだな」
洋一と遺跡人が出て行った後、妃に美智子は言う。
「行かれるんでしょうか、矢張」
妃はじっと腕組をしていたが、
「だろうね。所詮私達には変えらないんだよ。分かるかい。そりゃ、私達は先も見えるさ。でもどうしようもないんだよ。彼らにしかできないんだよ」
「あの方が合宮国に来たとき、分かっていました。だのに私達は止める事もできない」
「ほらほら、お前が幾ら涙を流したって変わるもんじゃないよ。祈っててやんな」
「でも、美祢子はもう消えてしまいます」
「なんてこった。間に合わないのかい」
二人して城内を歩いているとTVカメラを構えた撮影隊が突進してくる。
「遺跡人、悪い、俺病院に用事思い出した」
「あっ、ずるいですよ。私だって見つかると拙い立場なんですから」
走って逃げる洋一の後を追う。その後を、カメラマン、リポータ、音声、照明が続く。
「遺跡人、何とか言って、お引き取り願え」
「嫌ですよ。陽子さんの所のTVクルーでしょ」
「すいません、洋一さん、今回の失踪に就いて何か一言お願いします」
「知らぬ知らぬ、俺は洋一ではない」
盲目滅法に走って、クルーはおろか、遺跡人迄振り切って終しまった。まあいいや、遺跡人は場所を知っているから後から来るだろう。しかしまずかったな。終わったら謝りに行こう。終わったら...
病院には未だ誰も現れていなかった。美祢子と称されている人の病室に向かう。
「一体何時入れ替わったんだか...」
白衣で胸の上で腕を組み、眼を瞑っている様は寝ているとしか思えない。只寝ている人と違う事は二度と起きる事はないと言う事だった。カプセルの上から見ている所では美祢子以外だとは思えなかった。クローンか。合宮国の科学をもってすれば記憶をもコピーし、複製する事が可能であると言われる。
「しかし、なぜだ?」
たとえ美祢子が行方不明になったとしても合宮国ならいざ知らず地球人の洋一に探し出す事は不可能と思われる。なぜそこまでする必要があるのか。洋一には分からなかった。
「もし、俺だったら...」
そこまで考えては洋一は気がついた。
「確かに俺もそう考えるな」
そうして洋一は急に泣き出した。声は出さなかった。ただ、ぼろぼろと涙を流していた。端から見れば滑稽に見えるかもしれない。というのは、洋一は笑っているように見えたからである。実際笑っていたのかもしれなかった。現在の洋一には美祢子の居場所を見つける事はできない。いや、洋一はおろか、合宮国の誰であれ、美祢子の居場所を見つける事はできないだろう。洋一はただ、美祢子からのメッセージを待つほかなかった。そのメッセージは決して楽しい事が記されていないだろう事を洋一は知っていた。そう、洋一は美祢子からの最後のメッセージを待っていた。そしてそのメッセージの内容も分かっていた。その瞬間、洋一の目の前に窓港が開けていた。ちょうど遺跡人が到着したときであった。後に遺跡人はこのとき洋一が「行こう」とつぶやいて窓港の向こうに消えたことを回想している。遺跡人は洋一の消えた次の瞬間、そこに眠っていた美祢子が起き様(おきざま)に次のようなことを話したと述べている。
「来てはならない」
なぜ美祢子が洋一を拒んだのか、遺跡人には痛いほど分かっていた。それは歴史が証明しているからだ。美祢子の居る空間は永久に時間のループに閉じこめられている。このような空間はヘリオス星系誕生より5個創造されていた。総て宙新星が侵略されたときに創造されている。そのたびに時の指導者は侵略者を別の空間に閉じこめ、宙新星を守ってきた。だから洋一さえ気づかなければ、過去の5回の場合と同様に事は進み、何事もなかったかのように収まっていたことだろう。そうすれば万事事なきを得たに違いなかった。しかし洋一にはそれが納得が行かなかったに違いない。
(続く)