*** Dukeのフィリピン旅行記 ***

渡る世間は塞翁が馬?初めてのフィリピン旅行で起こったことは・・・・


当HPのボードの常連さんであるDukeさんが、このたび初のフィリピン旅行を執り行われました。
旅の目的はフィリピーナである彼女の実家を訪問して結婚の許可を貰うこと。
この旅行記は帰国後にDukeさんがボードへ投稿して下さった内容を、
それへの読者のコメントを含めてUPしたものです。
果たして一体初めてのフィリピンで何が起こったのか・・・・
まだフィリピンへ行かれたことの無い方、上辺だけの観光しか経験の無い方々、
そしてベテランにとっても、なかなか面白い内容です。
じっくりとお読み下さい。(記:管理者アイク)


まずは帰国直後のカキコです。

取り敢えず、帰って来ました  投稿日 6月13日(日)23時27分  投稿者 Duke

う〜ぅ、ハートマークがかな漢字変換できない。

ということで、渡比の目的は無事に達成できました。これからも色々と問題はあるでしょうが、がんばって行きたいと思います。
まあ、仕事の関係とか子供の問題とかあるので、実際の結婚は来年になると思います。

Now, I'm very happy. Because I found very good girl, who has good family.

問題は、みんなワランペラってことかな。

P.S.台風は大した事はなかったですよ。確かに最初の3日間は雨ばっかしでしたが、残りはほとんど晴れ。夕方一時雨って感じでした。
地図
本文に出てくるマニラ〜ヌエバイシハ周辺の地図です。
出てくる地名には白枠が付けてあります。クリックすると拡大されます。


ではでは旅行記の始まり始まり・・・・

フィリピン旅行記 旅立ちの朝

まるで子供の時の遠足の朝の気分だ。4時半には目が覚めてしまった。今日姫の家族に会うために単身フィリピンに旅立つ。もちろん初めてのフィリピン旅行なのである。インターネットや各種出版物で情報は集めているが不安は隠しきれない。しかし一番の不安は初めてあう姫の家族にアコ「私」が気に入ってもらえるかどうかである。
一応姫とは結婚を前提につき合ってはいるが、家族中心主義のフィリピンの場合家族の同意が必要である。特に姫の実家はヌエバイシハ(Nueva Ecija)という田舎にありそういう傾向が強い。
姫と姫の同僚から預った荷物を肩に下げながら出かけることにした。しかし荷物の大半は姫達のものでアコのものは若干の着替え、蚊対策・下痢対策の薬と電子機器(PC、カメラ、WorkPad)だけである。この旅行記もフィリピンの空の下、空いた時間にWorkPadで書いている。
6:12に京成うすい駅を出発し成田空港に向かう。アコのバハイ「家」は自然に恵まれていることと空港に近いことだけがメリットだ。普段仕事で東京に行く時は遠くてたまらない。
7時前には空港第二ビルに着いてしまった。出発2時間前(7時半)までにチェックインしろと書いてあったのですぐにできるかと思ったらチェックインカウンターは空だった。結局職員(PALの職員ではなくJALの職員が代行していた)が現れたのは7時45分過ぎだった。まあフィリピン航空の中では一番安いと思われるチケットを買ったのだからしかたがないだろう。しかしこの格安チケットの列に列んでいるのは日本人だけなのもちょっと不思議な感じだ。
チェックインが終了したところで姫のための家族の写真用にコニカのフラッシュ付き使い捨てカメラを買った。この時残金87,000円。
出国審査をでて、免税店でウィスキー2本とタバコ2箱を買う。タタイとタタイの長兄へのプレゼントおよびアコの自己消費分である。後子供達のために板チョコを購入した。
待合室に行くと本日帰国するフィリピーナ、フィリピン人の家族と男性だけの日本人のグループ/一人が目立っていた。

結構待ち時間があったのでタバコを吸いながらのんびりしていると隣に座っていた柄のわるそうな親父が急に携帯電話で話だした。
お「帽子忘れたけどそっちでゴルフするから、帽子買っとけや」
Pn「今台風が来ているからゴルフなんかできないわよ」
お「えぇ、台風だって。俺ここから帰るわ」...
携帯電話の向うは聞こえないのであくまでも想像ですが、いきなり横でそんな話をするなよなって感じだった。
姫には悪いが周りを見渡すと結構可愛いフィリピーナ達がいたので飛行機の中で隣になれないかなと思っていたのだが、姫の思いの強さかやぼなおっさんが隣に座ってしまった。飛行機への搭乗はほぼ定刻通りだったが、なぜかなかなか動き出さず、定刻を約40分過ぎた10:08に青空目がけて飛び立った。

フィリピン旅行記 6/05/1999

予定より30分程度遅れて、13:20にNAIAに到着した。飛行機が着地し安定し出すと、まだ席にいろとのアナウンスにも関わらず、一斉に立ち上がりはじめる。う〜ん、フィリピンだなと初めて感じた瞬間である。
イミグレーシュンを抜け、荷物待ちをしていると、空港職員らしきバッチを付けた人がアコの名前を呼んでいる。やな予感。声を掛けると荷物を受け取ったら彼の所へ来いとのことだった。早くチェックインしたせいか荷物がなかなか出て来ない。仕方無しに、ターンテーブルを眺めていると同じような青い箱をガムテープで止めた箱がどんどん流れてくる。日清食品のシーフードカップヌードルを2〜3箱くっつけたやつだ。話には聞いていたがフィリピン人はシーフードカップヌードルがとても好きなようだ。
やっと荷物が出て来て、税関を通り、さっきの職員の所へ行くと、警備員か警官らしき別の人を差し、彼は私の友人だとのたまった。オイオイ、そんなこと関係ないだろうと思っていると、急に外に出る為に1万円出せと言った。『なんでだ。』とごねていると、『クリスティーが外で待っている。』と、しかしアコはクリスティーなんて知らない。姫のファミリーの名前は姫から聞いていったが、その中にはクリスティーなんていない。
『クリスティーなんて知らないし、1万円は高すぎる』と、さらにごねていると、あきらめた顔で『付いてこい。』と言われ、取り敢えず1万円を払わずにゲートを出た。そこには見知らぬ2人のフィリピーナが待っていた。
彼女たち(クリスティーとコニー)の自己紹介によると姫の従姉妹だった。特にクリスティーは日本に来たことがあり、日本語が話せた。どうもアコがなかなか空港から出てこないので出迎えのためには入れない空港内部に入ったのらしい。しかしそのためにさっきの職員らしき人にワイロを払わなければいけないらしいことまでは理解できた。
クリスティーと相談し、5千円に値切ることにした。彼もいろいろとごねてはいたが、結局5千円で手を打つことになった。

空港を出るともともと待ち合わせるはずだった"S"の柱があった。しかしそこにはムチャクチャ数のフィリピン人達が待っていた。もしクリスティー達が迎えにきてくれていなければ姫のタタイと会えたかどうか不安なところだ。
待機場所を抜け外の駐車場ヘ出ると2人のおばさんが寄ってきて急にレイを首にかけられてしまった。ただし、ちょっと貧弱な白い花でたぶん道端で取ったサンバキータを糸でつないだだけではないかと思う。そして日本の小銭を見せられ同じものをくれと言われたが、この時はクリスティーがレイを返しおばさんたちを追い払ってくれた。
その時、姫のタタイ「父親」が現れ挨拶をした。フィリピンに着く前はタガログで挨拶をしようと思っていたが、バタバタしているうちに急に会ったので出てきた言葉は英語だった。「ナイスツーミーチュー」まあ、日本語でないだけましってもんだが。タタイはにこやかに笑っていて気の良さそうな人だった。
タタイ達と車まで歩いていく途中で若い男が荷物を持ってくれた。クリスティーが何も言わないので、クリスティーと同じで親戚かと思っていたら、車に着いたところでチップを要求されてしまった。とっさの事だったので、つい1000円を手渡してしまう。(後から考えれると100円玉で十分だったような気がする。)しかし、お金を出すと『何でお金払う』とクリスティーに怒られてしまった。それなら先に言ってくれよと思ったのだが...
すぐに出発かと思ったがタタイがどこかへ行っいてしまった。仕方無しに車の中で待っていると見知らぬフィリピーノが車の窓から顔を突き出し、何らかのタガログをわめきだした。そのタガログ語の中に『1000円』という日本語が入っていた。多分何らかの理由で1000円を要求しているのだろうが、さっきの1000円の件もあり、訳も判らないのに支払うのは馬鹿らしいし徹底的に無視をした。10分ぐらいわめいていたが、結局あきらめていなくなってしまった。
タタイが戻ってくるたびに一人・二人と出迎える人が増えてきた。結局、ロラ・タタイ・ナナイ・弟・義理の息子・従姉妹3人の8名での出迎えだった。姫からはタタイが迎えに来るとしか聞かされていなかったので、恐縮至極。

14:20に空港をバンで出発。ペソを入手するために、途中エルミタへ寄り30000円両替をした後、Texisでマノック「チキン」の空揚げとスパゲッティーの組み合せを食べる。コーラ付きで一人45P。
しかしここからが遠い。メトロマニラを出るまでにムチャクチャ時間がかかってしまった。かの有名な交通渋滞である。さすがにメトロマニラを抜けると道路もすきだし一途 高速を北上した。しかしフィリピン人のドライブは危険である。渋滞が多いためか、ちょっとでも空きがあるとそこに車の頭を突っ込む。他人もそうしようとするので、ぶつかるのを避けるためクラクションを鳴らす。右側の車線がちょっと空いたのでウィンカーを右に出した瞬間に、左側の車線が空くとウィンカーをそのままに左側の車線に車を移動する。アコも日本では運転するがマニラ市内は当分恐くて運転できないだろうと思った。
ブラカン州ブラリデル近くで高速を下り一般道へ出た。すぐにあきたさんの住むブラリデルを通ったが結構にぎやかそうな町だった。すでに空港を出発してから4時間が経っており、このあたりからしだいに日が暮れだしてきた。地図を見るとここからサンレオナルドまで約60kmなのだが日が暮れると街燈もなくあたりは真っ暗闇になってしまい、距離感がまったくつかなくて車はスピードを出して走っているのだが、いつまでたっても到着しなかった。
20:00にやっと姫の実家があるヌエバイシハ州サンレオナルドに到着した。成田からマニラまで4時間半なのにマニラからサンレオナルドまで6時間近くかかってしまった。交通渋滞のせいだからしかたがないが、普段スムーズにいった場合は3時間程度とのことだった。この間姫から5回ほど国際電話があった。(帰国してから聞くと、アコの渡比期間内に10000円使ったとのこと。この請求は後できっとアコに来ると思う。)

実家の近くで皆で夕食を取る。アコは料理名は良く判らないので、取り敢えずサンミゲルだけをオーダーし、後はクリスティーにまかせる。マノック・バカ・イカなどの料理がでてきた。
ライスに料理(汁も一緒に)をのせて食べると結構おいしかった。
姫から御土産を預かっていたので、姫のバハイへ行き御土産をあけることにした。バハイに着くと長男のマーロン、妹のマデル、その外に女の子(?)が3人いた。一人はナナイの妹のネネ(独身のおばさんかな。姫に言わせるとトンボイだそうですが)、二人は姫の従姉妹だった。
タタイ・ナナイ・JR・トントンへの御土産を渡したが、後の人への御土産がない。今回はまだ途中なので御土産をいっぱい用意できなかったと説明したが、妹のマデルは部屋に閉じこもり泣かれてしまった。何とか姫のためにリカバリーしなければと思ったがタガログはほとんどできないのでフォローのしようがない。(タタイ・マーロンは英語OK)
姫の実家は現状2寝室+リビングしかなく狭いし扇風機しかないということで、アコはぜひ泊めて欲しいと言ったのだが結局今晩は実家の近くのモーテルに泊まることになった。
モーテルといっても日本でのラブホテルに相当するのではないかと思う。部屋の前に車が置けるようになっており、その前には車を隠すためのゴムのカーテンがあったので、そう思うのだが。もしかしたら単なる習慣の違いかもしれない。ただし、内装は簡単なもので入るとすぐ右手にダブルベッドがあり、奥にシャワーとトイレが一緒になった場所があるだけである。一応良く見えないTV、クーラー付き、温水シャワーだった。ここにマットレスを入れてもらいタタイと一緒に泊まることになった。1泊2人で800P。一日中トラベルをしていた事もあり、タタイと簡単な話をしただけで今日は寝る事にする。

本日の酒量 ビール5本

フィリピン旅行記 6/06/1999

まだ台風が残っており、今日も一日中雨。朝早く目が覚めてしまったが、特に何もすることがないのでWorkPadでこの旅行記を書き出す。しばらくしてタタイが起きたので、朝食にする。タタイに朝食は何がいいのかと聞かれたので、ブレッドというと、モーテルの前の食堂で目玉焼き・ツナサンド・コーヒーを頼んだ。
朝食を待っている間周りを眺めていると食堂の横に水槽があり、なにか泳いでいる良く見るとなまずだった。タタイとこれをどう食べるのかとか、日本でも食べるとか話をした。やがて朝食が出て来たが、目玉焼きはなぜ日本みたいに平らに焼けないのだろうか。今回はあちこちで目玉焼きを食べたがみんなボコボコの目玉焼きばかり、きっと油の量が違うのかなと思うが良く判らない。
朝食が終わったところで、部屋に戻りシャワーを浴びる。シャワーの水の出るところにミルク缶程度の電気器具が付いており、水を出してコンセントにソクソクする(突っ込む)と一気に温水に変わるというやつだ。ただ、後で聞くとまず水を出してからコンセントを差し込まないと故障してしまうような物もあるみたいだ。
朝食を取りシャワーを浴びると、やはりもよおしてきた。日本にいる時も朝食後トイレに行く習慣があるのだが、フィリピンに来てもやはり同じ。しかし、トイレは日本とは違う。まず、便座が無い、水タンクが無い、ペーパーが無い。まあ、話には聞いていたので、やり方は頭では理解しているのだが、実行に移すには踏ん切りが必要である。今回はポケットティッシュをいっぱい持ってきたので、取り敢えずバケツに水を汲んでから、直接便器に腰を下ろし、用をたす。手でしようかどうか悩んだが、結局ペーパーで後始末する。バケツから水を流すが最初はなかなかうまく流れなかった。
後でタタイの叔父から聞いた話だが、便座がないのはフィリピン人はプラスティックの感触が嫌いで陶器の方が良いからしているとの事。今回泊ったモーテルは普通の洋式トイレから便座をはずしたようなものを使用しているが、タタイのバハイのトイレは最初から小さく便座もない形をしていた。

トライシクルに乗り、モーテルからバハイへ行く。ナナイが部屋で横になっており、どうも頭痛らしい。普段あまり長距離ドライブはしないので、昨日アコを迎えに空港まで往復したので疲れたらしい。タタイがナナイを病院に連れて行く。帰ってきてから話を聞くとそう大した事はなく、『ノーブラッド』だと言っていた。『ホワイトブラッド』とか『ハイブラッド』というのは聞いた事があるが、説明を聞いてもよく判らなかった。多分貧血なんだろうと思った。
タタイが帰ってきたので、タタイ・マーロン・ネネとガパンのクリスティーのバハイに遊びに行く。途中タタイと話していると、昨日の両替分は昨日の出迎えのバンのレンタル代(1000P)・レンタルのジプニー代(500P×6日)・モーテル代(800P×3日)・ナナイの診療費等でほとんど消えてしまい、後1000P程度しか残っていないと言われた。仕方が無いので、ガパン(Gapan)で再度両替を行う。大体30000円で9000P強だった。やはりエルミタと比較すると換算率が低い。田舎の方が損だった。
クリスティーのバハイ(日本でいう1K程度)に入るとクリスティーの娘が寝ていた。フィリピーナは美人が多いが、子供も目がぱっちりとしていてとてもかわいい。起きてアコの顔を見ると恥ずかしそうにクリスティーの後ろに隠れてしまう。彼女だけでなく子供のフィリピーナにはシャイな子が多いという事を今回感じた。もしかしたらアコの顔が恐いのかもしれないが...
後でショッピングモールへ行こうという話になり、一旦姫のバハイに戻り、待っているとクリスティーと彼女のだんなの妹が子供達を連れて姫のバハイにやってきた。
クリスティーと話していると、姫からロラへの御土産がなかったのでロラにワルイでしょと言われ、しかたがないのでアコが代わりに1000Pを渡す。

フィリピン人は日本人とは異なり特に待ち合わせをするでもなくみんなバラバラに行動する。この時もまず、トントンとクリスティーたちの子供がゲームセンターで遊んでいたが、ナナイやタタイの子供たちはどっか別のところに行っていた。タタイがゲームセンターに現れたので、タタイと一緒に一回へ行くと今度はクリスティーたちがどこかへ行ってしまう。
やっと、みんなが揃ったところで、奥のスーパーマーケットに向かった。
ナナイがクリスティーにすまなそうに通訳を頼んでいた。「あなたを泊めてあげたいけど扇風機も1台しかないし狭いから。」と言われ扇風機を買いに行った。大型の扇風機が1500P。ナナイに非常に喜ばれる。クリスティーにもミルクなどを500P買って上げる。
ジョリピーで昼食とる。ハンバーガーのバリューセットが31P。
昨晩姫と約束した御土産がないと泣かれた妹になるマデルに靴を買ってあげた。実はナイキのシューズを買ってくると約束していたらしいのだが姫自身はまだ給料を貰っていないため買えなかった。しかし泣かれてしまってはアコが変わりに買ってあげるしかない。マデル達とシューズを見にいくと最初はナイキ等のブランド物のコーナーへ行って眺めていたが値段が高すぎるのか、あきらめて別の店へと向かった。ちなみにブランドシューズは大体3000〜6000Pで日本円に換算すると一万円から二万円で高すぎる。
結局、マデル+マリリン+トントンの3人にシューズを買ってあげて700Pだった。

帰り道、明日は学校に行かなければならないので、従姉妹にあたるマリリンとレスリーをパタンガンにある実家まで送る。彼女たちの父親(ナナイの弟)は既に亡くなっており、週末はタタイのバハイで生活しているらしい。
実家の直前に下り坂があるのだがこの雨つづきで非常にぬかるんでいて結構危なそうだと思っていたら、案の定帰りにジプニーがスリップしてしまい坂を上れなくなってしまった。しかしこういう場合はフィリピン人は元気なもので雨の中皆で車を降りて一斉に車を押し出した。アコ以外は女性だけなのにも関わらずにだ。ちなみに乗っていた男性はアコとアコの弟になるマーロン(彼がドライバー)以外は皆3歳位の子供達だけだった。最初は押してもスリップを繰り返していたが何回も押すうちにジプニーは坂を上りだした。
マーロン曰く『エキサイティング ディバ』には笑ってしまった。

バハイに戻りタタイにトイレの場所を聞いた。しかし日本にいる時に姫からトイレはないと聞いていたからどこでしたらよいかというつもりだった。タタイは『ちょっと待っていろ』と言うとバハイの後ろに行き、やおら荷物(後から考えると水を溜めるタンク)を片付け、掃除しだした。次にバケツに水を汲み出し手桶を用意したのを見て、ちゃんとトイレがあるんだなと判った。
トイレに入ってみると中央に小さな便器があった。いわゆる洋式だが、やはり便座はなかった。もうひとつの問題点は壁はあっても屋根がないことである。いったい雨が降っている時はどうするのか心配になってきた。まあ、この時はおしっこだけだったのでそれほど深くは考えなかったのだが。後でタタイに聞くと、まだバハイは建設途中で、今回姫が帰って来たら残りの屋根の部分ともう1部屋作とのこと。壁も現在はブロックむき出し状態だが、これもきちんと塗ると言っていた。

夜モーテルにて一二走教授作成のカンニングペーパー(IBSホームページ内の過去のタガログ語講座にある求婚の言い方編)を直接タタイに見せてしまう。見ながら読もうかなとも思ったのだが、どうせタタイは日本語の部分は読めないし、タガログ語の部分だけを読んでもらった。
英語でこれはアコの本当の気持ちだというと、タタイは『元々姫から電話でアコのことを愛していると聞いており本当に二人が愛しあっているなら何も問題はない』とのことだった。そこで、アコの将来設計や姫の事などをいろいろとタタイと話した。ビールが入っているせいか、英語がポンポンと出てくる。不思議なもんだ。
(上記会話はすべて英語)

本日の酒量 ビール6本。気分ウキウキ。

フィリピン旅行記 6/07/1999

朝食 ナナイが作った目玉焼き・ベーコン・ライス。初めてナナイが作ったものを食べた。姫からはナナイは料理が下手と聞いていたのでちょっと心配だった。目玉焼きはちょっと塩っぽかったがパサついたライスとは良くあっていた。ついでに当座のアコの生活費として1000Pを渡しておいた。まだ金銭感覚が湧かないので、どの位の価値があるのか良く判らない。
姫の同僚のジーナの実家まで頼まれていた手紙を届けに、General Tinoに出かけることにした。幹線道路はアスファルト、姫の実家付近はコンクリート製のまあしっかりした道路だが、だんだん周りに水田が広がってくると道路のコンクリートがひび割れてきていてオンボロジプニーはガタガタとゆれだした。姫の弟曰く「ナイス・マッサージ ディバ」またまた皆で大笑い。
さらに進むと舗装は途切れ穴ぼこだらけの道となった。しかし、ヌエバイシハ付近は日本の田園風景と非常に似ている。遠くに山が連なり、手前には水田が広がっている。非常に懐かしい雰囲気だ。
住所を頼りにジーナの実家を探し手紙を渡してきた。ジーナのバハイは姫のバハイと比べると結構大きい。結構いい家の子なのかもしれない。タガログができないアコにとってはタタイの手助けが非常に助かる。
帰り道はGapanに寄るため行きとは別の道を行くことにした。途中に橋があるのだが非常に古く一応鉄製の橋の上に木が敷き詰めてあった。しかし、その幅がほぼジプニーの幅よりちょっと広いだけなのである。アコは助手席に座っていたが、ジプニーが右に左に揺れると川に落ちるのではないかと非常に不安だった。なぜかこの橋では通行料を取られた。まあ5Pなのだが、そういえば初日も町中の路地を抜けようとした時に通行料を取られていたみたいだった。
今日も従姉妹のクリスティーのバハイによる。クリスティーもすまなそうに生活が苦しいと言われ、しかたがないので生活費として1000Pを渡す。
タタイから姫の従兄弟のチェチェが手術の入院をするので、費用が必要だと言われた。この件はもともと姫から聞いていたので、手術費用として2000Pを渡す。

しかし、お金がかかるものだ。昨日両替した30000円があっという間になくなっている。若干疑う気持ちが無い訳ではないが、見ていると本当に困っている事もうすうすながら判ってくる。しかし、またまた残金がないので、最後の20000円を両替する。歓迎してあちこちに食事に連れていってくれるのはいいのだが、その費用はアコ持ちなのだ。アコは日本に帰れるのだろうちょっと不安になった。なにせ、3日目にして日本円がなくなっている。ペソも6000Pしかない。

従姉妹のコニーとナンシーがバハイにたずねてくる。ナンシーが私のバハイを見に来ないかというので、遊びに行く。ナンシーは旦那と別れたらしく、息子と2人で住んでいた。昔のニッパ椰子タイプのバハイである。しかし、屋根はブリキになっている。この付近の家はもうニッパ椰子タイプのバハイはほとんど無く、壁はコンクリート・ブロック、屋根がブリキといったパターンが非常に多い。英語の話し方でちょっとした議論。ナンシーはすぐ『Do you like to ...』というのだが、アコは習慣的に『Do you want to ...』と言ってしまう。フィリピンでは本来は『Gust kong ...』、日本では『...したい』なので、本当はどちらの方が良いのかなんて話をしていた。まあ両者ともネイティブスピーカーではないので結論はでなかったが。
夕方、従兄弟達と近所の川まで遊びに行く。この付近の川はまだまだきれいだ。日本の子供と同じように、石を投げて水切りをしたり、遠くまで石を投げたりしていた。蛙がいたので子供たちはボンブだといって、蛙に石を投げつけ、最後にはつぶしてしまった。
夜姫の家族と共に病院にお見舞にいった。チェチェは4歳程度で日本でいう奇形児で指が両方とも6本ある。多分日本だったら家族は深刻な状態になるのだろうが、その点フィリピン人は明るい。手術をして余分な指を切り取るらしいのだが、暗い影はない。

明日はタタイが早朝に花嫁をマニラまで送る仕事があるので今晩はマーロンとモーテルに泊まる。モーテルのTVがちゃんと写る事を発見した。アンテナ線が2本あり中間に切替機が付いている。この切替機がちゃんと切り替わっていなかったのが原因だった。ちなみに1本は通常のTVもう1本はポルノビデオだった。確かフィリピンではポルノは禁止されていると聞いていたのだが、いわゆる本物だった。

本日の酒量 ビール3本

フィリピン旅行記 6/08/1999

鶏の鳴き声で目が覚めた。モーテルの外に出てみると雲は多少あるが青空が見えている。今日は久しぶりに晴れかもしれない。
残金も少なくなり扇風機も買った事もあり、今日からはタタイのバハイに泊まる事にした。ジプニーでタタイのバハイへ行くと、今日は隣のサリサリストアでちょっと太目の麺のラーメン的なものとコーラを買って来た。ラーメンは塩味で上にコショウで炒めたバブイがちょこんとのっていた。味はまあまあだったが、麺をスプーンだけで食べるのはなかなか難しい。また、コーラとは合わないのだが、どうも姫が生水は飲ませるなと言ったみたいで、食事には必ずコーラが出て来た。(さすがに夜はビールにしてもらった。)
姫の友人のミラがタタイのバハイへ来た。姫がアコが退屈しないように日本語のできるミラに頼んだとのこと。ミラは日本に6回行っており、子供ができてしまったので日本には当分行けないとのこと。今回姫にダンスのレッスンをしてものミラで、その時にはミラのお腹は大きかったなんて話を聞いた。ミラに姫の昔の話をいろいろと聞いた。しかし、みんな姫の事はちょっとボイッシュだけどいい子だと言う。家族想いだし、きっといいアサワ「奥さん」になるだろうと言われる。
いつのまにかナナイが窓越しにミラとタガログ語で話をしていた。ミラの通訳によれば、『この日本人は娘と本当に結婚する気があるのか』とか『娘を本当に幸せにしてくれるのか』というようなことを聞いているらしい。そこでアコはミラに『うん本当。絶対に幸せにするよ』と伝えてもらった。アコが本当にタガログ語をしゃべれればいいのだが、こういう場面ではちょっと歯がゆい。なにせ『コンティラン タガログ』なのだから仕方がない。

いろいろ話していると従姉妹のナンシーが来て、タタイの姉の家へ行きたいかと言うので、もちろんと答え、一緒にトライシクルで行く。しかし、トライシクルには見知らぬ別の女の人が乗っており、彼女も親戚かと思ったらタタイの姉のバハイについてアコ達が降りたら、そのまま先に行ってしまった。どうも相乗りをしたらしい。
タタイの姉(コニーの母親)の家はサンダル(現地ではスリッパと呼ぶ)を作るのが仕事らしく、バハイの横で手作業にてサンダルを作成している。ビールをごちそうになりながらサンダル作りを眺めていた。ここで昼食をごちそうとなる。焼き魚・トマト・マノックのスープ・ライスだった。しかし、フィリピン人はどんどん食えと薦めてくる。アコはもともとあまり食べる方ではないし、特にアルコールが入り出すと食べなくても平気である。早くタガログ語で満腹ですというのを覚えないと、アコはバブイになってしまう。
コニー・ナンシー達にもNEパシフィックモールに行かないかといわれるが、既に残金がなくなって来ているため、今日は断り、ハンドメードのジープでタタイのバハイに送ってもらう。急に帰ってきたのでタタイは御昼寝の最中だった。
タタイと一緒に近所の散歩に行く。まず、マリのバハイに寄った。マリは九州に6年、最後にランナウェイして新潟に4年いたフィリピーナで、今は結婚のためにオーバーステイで出頭しペナルティー期間中である。明日、日本人と結婚式を行うフィリピーナの友人で、タタイがマニラまで送っていく予定である。アコにも参考になるので、その結婚式に参加した方が良いと言われた。しかし、アコは新郎も花嫁もまったく知らないのである。

次に寄ったのがタタイの長姉のバハイだった。この付近にはタタイの兄弟が多く住んでいる。バハイの前に4人のフィリピーノが座っており、それぞれタタイの叔父が2人、兄弟が2人だと紹介された。タタイと叔父の通訳の元、雑談をしていたら、奥に行かないかと誘われる。奥にいくとバハイの外に置いてあるテーブルで家族が食事をしていた。食事を薦められたが、既にコニーの家で昼食を取っていたので、丁重にお断りをする。叔父がビールを買ってくるように言った。しかし、フィリピンの子供たちはよく働く。年長者に言われるとTVを見ている最中でもちゃんと買い物に行ったり、掃除をしたりする。日本の子供たちに見せたいところだ。
ビールを2ケース(1ケース=130P)買ってくるとテーブルを6人で囲み、ビールを飲み出す。アコはゲストだという事でコップとフォーク・スプーンをもらったが、後の5人は1つのコップとフォーク・スプーンで飲みだした。
ピッチャーにエロ「氷」を入れ、そこにビールを注いでいく。栓抜きなど洒落たものは無いので、ビール瓶2本を組み合わせて栓を抜いていく。やり方は2種類あり栓抜きに似た要領で片方の栓に逆向きにもう1つの栓を引っかけて開ける方法と、2本の瓶をハの字型に組み合せて2本を強く握り締め片方の瓶をテーブルにドンと叩き付ける。そうすると上側の栓が見事に宙を舞っていく。別途コップ荒い用の水が入ったバケツを用意する。
ビールが冷えた時点で、コップにビールを注ぎ、それを一人が飲み干す。コップを戻すと水で洗いながし、新たなビールを注いで次の人にまわす。すなわち、順番に一人1コップ分のビールを順番に飲んでいくのである。タタイなどアルコールに弱い人にはつらい飲みかたである。
途中タタイの別の兄弟や姫の従兄弟達が入れ替わり立ち代わり、寄ってきてビールを飲んでいく。しかし、そろそろ頭はパニック状態。何せマシラン・ファミリー(タタイの家系)の人数が多すぎる。タタイが11人兄弟、ナナイが9人兄弟。それぞれに婿・嫁がいたり、子供(姫の従兄弟)や孫がいたりでもう覚えきれない。今回の旅行であった親戚の数は50人を超す。

アコはゲストという事で別途コップをもらい自分のペースで飲んでいたが、隣に座った叔父の所に来ると必ずトスといわれ、グラスを底まで開けろと強要されるし、そのうちにはタタイの兄弟たちまでトスと言い出すしまつ。酔いが回り出すとこの叔父はにぎやかになる。年を聞くと65才という事だが、元気だ。太平洋戦争時代を過ごしており、若干の日本語を覚えている。さっきのトスの時もアコがグラスを空けると『ありがとう』と日本語でいう。また、戦争時代の日本兵の話しや山下将軍の話などをした。
ビールが少なくなってきたのでアコが300Pを出して、後2ケース+タバコ4箱を追加した。叔父がビールを飲み、空いたクラスをトンとテーブルの上に置いた。その瞬間グラスがパーンと割れてしまい周りに飛び散った。アコが思わず『ワラン プロブレマ(問題無い)』とタガログ語言うと、とても受けてしまった。少しでもネーティブの言葉を覚えていた方が仲良くなり易いと思う。
タタイは途中で酔っ払ってしまって、長姉のバハイでおやすみ、アコもすでにコニーのバハイで飲んでいる事もあり、ビールが4箱目に入ったところでさすがに疲れたので席を離れる事にした。タタイの2番目の兄が自家用のトライシクルでバハイまで送ってくれた。さすがにタタイのバハイに戻るとバタンキュー状態だった。目を覚ましてみると夜の10時。その間に姫から電話があったらしいがアコは寝ていたので起こさなかったとのこと。

しかし、今日は300Pしか使わなかったし、タタイのファミリーと結構仲良くなれたし、良い日だった。

本日の酒量 ビール数えきれなかった。

フィリピン旅行記 6/09/1999

5:30 起床。簡単にコーヒーとサリサリで買ってきた甘いパン(名前を聞いたのだけど忘れてしまった)を食べる。
6:45 タタイと花嫁の友人のマリと一緒にマニラに向かう。ブラリデルまではまあ順調に走れた。とはいえ、トライシクルが結構走っており、スピードが遅く対向車線が込んでる時などはなかなか抜く事ができない。地方道での渋滞の原因はこのトライシクルじゃないかと思う。プラリデルの高速入り口近くでトイレ休憩兼朝食を取る。ゴトを食べてみた。中華風おかゆといった感じだ。高速も順調に走れたが、高速を降りた当たりから渋滞が始まりだしていた。地名は忘れたがメトロマニラの端の方らしいのだが、サンレオナロドと比較すると非常に町らしい。お店が立ち並び活気がある。
ちょっと走って、横の路地に入っていく。今日結婚するフィリピーナの実家だった。結構家の周りに水が溜っていたが、これでもかなりひいた方らしく昨日は膝まで水がきていたらしい。
タタイのバハイに比較すると、戸締まりが厳重な雰囲気。バハイの前にバルコニーというかテラスというか4畳半位のスペースがあるのだが、テラスの外の壁と屋根の部分がすぺて鉄柵で囲われていた。花嫁のナナイ達の準備にちょっと時間がかかったので、テラスでのんびりしていたら、近所のロラがやってきた。このロラと英語で話をしたが昨日と同様に戦争時代の話が出てきた。兵隊さんがやってきてお辞儀を指導したり、下手だとビンタを食らわしたりなんて話が出てくる。ほとんど日本語は忘れたとのことだったが2・3の単語だけ覚えていた。

準備ができたので、花嫁のナナイ、弟、娘の3人を乗せるて結婚式場に向かった。
ここからは下道をずっとマニラの中心街まで走るがやはり渋滞はひどい。タタイは道を良く知っているらしく、いろいろな抜け道を走っていく。途中マカティーを抜けたが、非常に高級そうな住宅が多く、またビレッジと呼ばれる入り口に警備員がいるような所も初めて見た。今まで見てきたスラム的だと場所(後日見たトンド近辺よりは全然ましなのだが)とマカティーの様な高級住宅街の差は日本以上に大きい。なかなか目的地に着かず、マリやナナイが苛立ってくる。
12:15エドサのSMメガモールの前でついついバス路線に入ってしまい、右折したところ警官に停止を命じられてしまう。後でマリに聞いたところ、一般車はバス路線に入ってはいけないらしく、警官に100P支払っていた。ここで行き先の店がどこにあるのかを警官達に聞いたのだが、2人がそれぞれ別の場所をさしている。仕方が無いので、SMメガモールの中にある姉妹店で目的の店の場所を聞いた。ただしこの付近の事情はすべてタガログで話されていたのであくまでも聞き取れた2・3の単語からの推測なのだが。12時過ぎにやっと目的地に着く。

既に結婚式は始まっていたが、マリに薦められるまま着席した。結婚式は判事の前で行っており、宣誓・キス・立会人の署名といった感じで、結構簡単に式は終わった。
13:30現在なぜか上信越地方のK氏とB嬢(初対面だし、事情も判らないので取り敢えず匿名にしておきます。)とのレストランSaisakiでの結婚披露宴会場にいてまたビールを飲んでいる。新郎に挨拶したら、飛び入り大歓迎ですよと言われてしまった。Saisakiは日本食レストランで、そこで結婚式+披露宴を行った。食事はバイキング形式で日本食とフィリピン食が選べる。花嫁の親戚はフィリピン食中心だったが花嫁の友人達は日本での経験も長いらしく、みんな刺し身とか寿司をおいしいと食べていた。
今のところ我が姫は寿司・刺し身は全く駄目。何とか教育しようと思っているのだけど、名前を聞いただけでいやだというもので、困っている。アコは寿司が食べたいのだ。
披露宴の最後にウエディングケーキのカットがあったが、その直前にフィリピーナたちがケーキから出ているリボンの様なものを引っ張っていた。このリボンの先には、コインや指輪などが結ばれていた。披露宴も順調に終了し、タタイのバンに乗り込む。すると一緒に花嫁・花婿も乗ってきた。新婚のホテルまで送っていくらしい。バスの中で、新婦が結婚指輪を差し『これちょうだい。質屋持っていくから』と日本語で話した。アコ一人がつい大笑い。新婦が『イカウ。日本語ワカルカ』といった感じで楽しくバスの中で過ごしていた。ホテルに着くとタタイを残して、みんなゾロゾロと花婿・花嫁の部屋まで付いていく。アコもなぜか一緒に部屋まで押しかけてしまった。この付近の感覚は日本人とは違うところだ。

部屋の中で新郎と久しぶりにゆっくりとちゃんとした日本語で話しをする。知り合った経緯を聞くと、彼女は偽造パスポートで入国し、オーバーステイ中に知り合った。そして結婚のために帰国する事になり、偽造パスポートの名前まま出国させたそうだ。逆に言うと新婦は記録上は一度も日本に来ていない事になっている。彼も今回の結婚式を含めて3回しか渡比をしていないという事なので、偽造結婚だと疑われる可能性がないとは言えない。ちょっと婚姻ビザの取得が簡単に行くかどうかが心配だが、でも結構行動力がありそうな人だからなんとかなるだろうと思った。
何せ、今年の年初から彼女の出国・結婚の準備など何度も東京まで出てきていて、仕事はほとんど父親任せにしており、この5〜6月も稼ぎ時なのに仕事は全然していないと言っていた。しかし、みんなフィリピーナにはまっていく。日本人同士ならこんなはまり方は絶対しないだろう。なぜかフィリピーナには不思議な魅力がある。アコもはまり込んだ口なので他人のことはなんとも言えないのだが...
新郎がシャワーを浴びに行ったので、新婦とも話をした。オーバーステイ歴が長いのか彼女の日本語は達者な方なのでいろいろ話していたら、新郎はアコの2才下の42才だということが判った。結婚式で初めて会った時は、絶対アコより年上だと思っていたし、彼女もアコの方が年下だと思っていたみたいだ。彼女に言わせると『ハゲだから』ということだった。ちょうどその時新郎がシャワーから戻ってきて、アコの年齢の話となり、再度『あなたはハゲだから』と言っていた。しかし、言われた新郎も苦笑いをしていた。アコから言わせると、ハゲというより、職人っぽい角刈りだった。

16:00にホテルを出発、途中で新婦の親戚の家やマリの姉の家で、ウエディングケーキのおすそ分けをする。豪快に切って皿の上にドンと置いていく。マリの姉の家で姉の娘をピックアップ。今晩はマリのバハイに泊まるそうだ。この子がまたかわいい。キティーちゃんのサングラスをしていて、体は細く、目はパッチリ。フィリピーナは子供の頃から美しい。
途中ガソリン補給1リットル=8.79pでやはり日本と比較すると安い。でも、この2〜3年前からインフレが酷いと聞いているので、これでも結構値上がりしているのではないかと思う。
8時半にサンレオナルドに到着。今日も疲れた。
夜、HPに第一報を入れてもらおうと、あきたさんの携帯電話に電話した。てっきり、あきたさんがでてくると思って『もしもし』とやったら、英語で応答があった。急遽英語に切り替えて『日本人のあきたさんはいますか』と聞いたが『あきたなんてしらない。PLDTに電話して番号を確かめろ』と言われてしまった。どうも、アコが電話番号を控え間違えたらしい。

本日の酒量 ビール2本

フィリピン旅行記 6/10/1999

4:15にサンダルを満載したバンでマニラに向けて出発する。これがタタイの仕事らしい。確かにサンレオナルドにはサンダル作りが多い。後でマーロンに聞くとやはり、サンレオナルドはサンダル作りと農業が中心だとの事。タタイも週に3回ほどはサンダルを運んでマニラまで行くと言っていた。
5:20に高速に入り6時過ぎにはマニラ市内に入る。さすがにこの時間帯なら交通渋滞もなく2時間で到着してしまった。ただ思いの外、早朝にも関わらず車の量は多かった。真っ暗な中多くのトライシクルが客を乗せて往来していた。フィリピンの朝は早い。
バクララン(Baclaran)に到着する直前にパトカーに捕まってしまった。後でタタイに聞くと屋根の上までサンダルを満載していたので重量超過の疑いで停止を命じられたのだが、そこで自動車の登録証を見せるとすでに期限切れでタタイにペナルティーが付くとのこと。しかしこの車はサンダル運搬の依頼人のものでタタイは自分の所有ではないと怒ることしかり。バクラランに着くとサンダルの荷卸しが始まったので手伝う。バンの後ろのドアを開けると中から女性が出てきた。彼女が依頼人だった。タタイのバハイの前で見かけたのだが、依頼をしてもう帰ったのだと思っていたのでついびっくり。

荷卸しが終了したので、もう一つの目的である銀行を探すことになった。いくらなんでもワランペラのままでは姫の御土産も買えないし、下手をすれば日本にたどり着けなくなる。取り敢えずクレジットカードでキャッシングしようと思ったのだ。エルミタに向かい取り敢えず最初にあったATMが24時間利用可能な銀行に入った。車を止めるとすぐに二三人が寄ってきて、「10,000円、3200ペソ」とか「トケイいらないか」とか日本語で言ってきた。カードでお金を下ろすだけなので断って銀行に入った。しかしこの時の偽物トケイのおじさんが後で役にたった。
アコの持っているカードはマスターカードで裏にCirrusのマークがある。入った銀行のATMにはマスターカードとPlusのマークしかなかった。一応トライしてみたが、やはりインバリッドトランザクションではねられてしまった。窓口で聞くとこのカードは扱っていないので他の銀行に行ってくれといわれてしまった。次の銀行のATMもVisaとPlusしかない。やはりインバリッドトランザクション。これは大手銀行じゃないと駄目かなということでメトロバンクへ行くがやはり駄目。窓口で聞くとフィリピンナショナルバンク(PNB)なら扱っているとのこと。しかしこれも嘘だった。
もう駄目だなとあきらめた時、さっきの偽物トケイ屋が現れて、カードでお金を下ろしたいのかと聞いてきた。そしてそれなら場所を知っているという。元の場所とはちょっと離れたところだったので、さっきの偽物時計屋がなぜそこにいたのかは不明。ちょっとあぶない所に連れていかれるのではないかとの不安な気持ちもあったがタタイと一緒だしワラにもすがる気持ちでついていった。しかし行った先はなんと銀行。この銀行ではATMではなく窓口でカードとパスポートがあればお金を下ろすことができるのだ。お金に困った時はEquitable Banking Corporationが便利である。ただし、VISAとMasterCardは確認したがJCBは使えるかどうかは判らなかった。まあ、後3日だけなので、取り敢えず6000Pを入手した。偽物時計屋にはチップとして100Pをあげた。

これに安心してしまって、もう一つの目的のフィリピン航空のリコンファームはすっかり忘れて再度バクラランに戻った。姫の義理の息子のトントンが今度幼稚園に入るのでそのバッグや洋服を買う事にした。
タタイが『Do yo want to sha...』と言った。よく聞き取れなかったのだが、アコのジーンズを買おうという話をしていたばかりだったので、てっきりTシャツが欲しいのかと聞かれたと思って、『Yes』と答えた。タタイはアコの先に立ってスタスタと歩いていく。食堂の横の薄暗い露地に入っていく。なんとなく怪しげな雰囲気。突き当たりにタイル張りでドアが4つぐらいある小部屋があった。なんとシャワー屋だった。さっきタタイは『シャワーを浴びたいか』と聞いたのだった。まあ汗もかいていたし、ここでシャワーを浴びた。しかし、朝のシャワーは気持ちいいのだが、気温がある程度上がってから浴びるシャワーは、浴びた瞬間は気持ちがいいのだが、洋服を着て町中を歩き出すと今浴びたシャワーの湿気が体にまとわり付き逆にちょっといやらしい。まあ、すぐに慣れてしまったのだが。
しかしバクラランを歩いているとタタイビクトールは有名人であった。歩くたびにあちこちから声がかかる。タタイもあちこちに声をかけて歩いている。しかし、なぜか女性が多い。マーロンもそうだがフィリピーノは女性が特に好きなのだろう。

バクラランは一種の問屋街的な雰囲気があり、あちこちでファクトリープライスと言っている。しかし、タタイはそのファクトリープライスからさらに値切るのである。
タ『マグカーノ(いくら)』
店『220』
タ『200ナラン』といった感じである。
しかし、アコには『200にならない?』と言っている風に聞こえる。
トントンのバッグ、シャツ×2、スボン×2、ノート、鉛筆等を買う。また、JRのバッグ、マデルのトレーニングパンツ等も買った。アコはジーンズ×2で450Pだった。
依頼人の女性を待つ間、駐車場の横のサリサリで休憩。先ほど買ったバッグにその他のものを詰めていすの上に置いておく。当然車のドアは全てロックしておく。タタイの顔を見つけて寄ってくる。タタイは娘の将来の婿だと紹介してくれる。タタイは一人でどこかに行ってしまったので、アコ一人でフィリピーナ(といってもおはさんだが)+フィリピーノ+2と雑談。年齢を聞かれ44と答えると、おばさんは45だといい、ほぼ同じ年だというような話題になったり、日本での収入や本当に独身なのかとかいろいろ聞かれてしまった。しかし、こういう時フィリピンは英語を知っていると役に立つ。もし、英語ができなかったらこんなにフィリピン人と仲良くなれなかっただろうと思っている。まあ、タガログ語ができるともっと良いのだろうが。
13:00に依頼人が戻ってきたので、バクラランを離れる。途中、ガソリンスタンドで並んでいるとなかなか前の車が移動しないのでタタイはイライラしていた。後ろの方が空いたのでタタイはバックに入れようとする。後ろからクラクションを鳴らされたので、切り返して給油する。しかし、後ろの車のドライバーが怒ったような感じでこちらに寄ってくる。どうもバンパーにぶつかったぶつからないでタタイと相手のドライバー間でもめているようだ。確かに相手の車のバンパーをみるとちょっと凹んでいるのだが、本当に今当たったのかどうかは判らない。
アコは日本人だと判って余計な事を言われると困るので、知らん振りをしていた。
結局うやむやのままになったが、タタイはまた怒る事しかり。タタイにハンドルを握らせるとちょっと危ない。

同乗の女性二人がトンド(この時はアコはまだトンドにいることは知らなかった。ただ周りが結構汚らしい建物が多く一人じゃ歩けなさそうとは思っていた。)で仕入れをするということで車から降りた。そこでは停車しておくことができないので、タタイとアコは近くのジョリビーで待ち合わせをする事にした。しかし、ここは結構道幅が狭い。自家用車が少なく、ボロボロのジプニーがたくさん走っている。周りの建物も非常にぼろい。狭い路地を右に左に走っていると目の前にちょっと広めの道が見えた。しかし、その前にはジプニーが3台道路に出ようと詰まっていた。仕方が無いのでその後ろに停車し、前の車が出るのを待った。
広い通りに出て走り出すと、後ろから寄ってきたジプニーの運転手がタガログ語でアコとタタイに話し掛けてくる。タタイは急に後ろを振り向くと怒鳴りだした。
実は停車しているうちに若い男がバンの後ろの窓から手を突っ込み、さっき買ったばかりのバッグ2個を盗んだのだ。タタイは運転で忙しかったし、アコも助手席で前ばかり見ていたので全然気づかなかった。損害金額はファクトリープライスを値切って買ったので700P程度なのだが、折角ファミリーのために買ったものを盗まれたのが心に痛かった。
ジョリビーに着き、タタイに地名を聞いた。地名はちょっと忘れたのだがビ...とか言っていた。窓の外を見ると“Tondo Clinic”とか“Tondo Festa”とか書いてある。恐る恐るタタイに『ここはもしかしてトンド』と聞いたら『そうだ』と答えた。アコが友人から『トンドは危ないから気を付けろ』と言われたと言うと『私もそう思う。しかし、ついバッグをいすの下に入れるのを忘れてしまったのだ』と嘆いていた。
帰り道はトンドの中をバンで抜けていった。言われてみると確かに怪しげな雰囲気だし、自家用車もめっきり少なくジプニーだらけ。ついでに線路脇のスクウォッターのバハイも外から見学した。ちょうどベニヤいたらしき物を釘で撃ち付けていた最中だった。

バハイに帰ってみると次女のマイラがマニラから戻っていた。彼女はマニラのハイスクールで教師をしており、なかなか帰ってこれない。特に今回はアコが来ているのでバハイに帰ってきてくれた。マデールを大人にした感じでどちらかというとマレー系の顔立ちのかわいい美人である。ナナイから聞くと日本人と文通しており結婚したいみたいだ。ただナナイは英語があまり喋れないのでタガログまじりで一部アコの想像の部分があるので後で直接マイラに確認してみようと思う。
内緒にしておけばいいのにと思ったのだが、タタイはバハイに帰るとナナイに今日の出来事をすべて話してしまった。後のナナイの態度は想像通りであった。
夜TVでプロレスを見ていると血だらけのシーンがあったのだが皆「チダラ」と言うのでついビックリ。呼びかけの『オーイ』や疑問の『アノ』などなぜか日本語を想像させる言葉がある。

しかし、今日はいろんな出来事があった。

本日の酒量 ビール4本

フィリピン旅行記 6/11/1999

朝3時頃、姫から電話があった。タタイ・ナナイとタガログ語で話していたので詳細は判らないが聞き取れた単語から想像するとやはり昨日の盗難事件の話をしているみたいだ。アコも姫と話がしたかったのだが、アコは寝ているということで電話はさっさときられてしまった。アコはタタイ達の隣の部屋で寝ており、隣の部屋の音は筒抜けなのである。しかし、もう三日も姫の声を聞いていない。ちょっとさみしい。
今日はタタイの長兄の誕生日だ。タタイのファミリーも一緒に行くのかなと思っていたが、マーロンが運転手であとはタタイの兄弟・叔父・近所の人・アコの14人だった。ナナイ達は姫への御土産を買いに行くらしい。アコが持ってきたタタイ・ナナイへの手紙の中に姫が欲しい御土産の一覧表が入っていたのだ。ベンチのTシャツ・化粧品....
しかし、当然のことながらワランペラなのだから買う事はできない。後3日だし、今日は誕生日パーティーでお金を使う予定はないし、残金7500Pの内、姫への御土産を買うために5000Pをナナイに渡した。残金2500P。
8:40にアコがお金を出しているジプニーで出発した。途中でガソリンスタンドによる。このガソリン代もアコ持ち。いつもの通りブラリデルまで行き、高速に乗る。今回はメトロマニラまで行かず、途中のブラカン州南部で高速を降りる。そしてブラカン州サン・ホセ・デルモンテ近くのゴトー(Gotto)の親戚のバハイで昼食をとる。焼き魚となんだか判らないけど茶色のカリカリしたもの。味はそんなに悪くはないが何なのかが不明なのでちょっと不安。隣の家で子供たちがちょうどサルのノミ取りみたいな感じで髪の毛内の何かを取り合っていた。ここでレチョンを積み込む。
さらに親戚4人が同乗し、18人で出発。途中工事現場みたいなところがあったのだが、無茶苦茶くさい。フィリピン人もみんなタオルで鼻の周りをふさいでいる。もしかしたらゴミ捨て場なのかもしれない。でも塀の向こうには住居らしきものが多数ある。こんな場所で生活しているのだろうかと思う。また1時間強走り、リザール州モンテルバン(Montelban)の長兄のバハイに到着する。ここはタタイのバハイとは違いちゃんとした造りだし、広く、電話もあった。

到着すると長兄に挨拶し、誕生日プレゼントのウィスキーを2本渡す。サントリーロイヤル12年とメーカーズマークの2本。前者は多分日本のウィスキーは飲んだ事がないだろうと、後者は単にアコが好きだから。家に脇にマンゴの木があって長い竹でマンゴの実を落としたりした。ちょっとのんびりした後、家の前の木陰で宴会が始まる。しかし、宴会は男性だけ。女性は別途食べ物の準備などしている。
今日は人数が多いためか、サンレオナルドで飲んだ時と異なり、各人がコップを持って飲むスタイルだった。グリーンマンゴーやレチョンをつまみながら、グラスにエローを入れてサンミゲルを飲み干す。このグリーンマンゴはとてもすっぱかった。レチョンの皮はもっとパリっとしているかと思ったら意外にゴムみたいな感じ。肉の部分はとてもおいしかった。
途中で女性が一人入ってきたが、ちょっとスペイン系の若干バブイ美人。一体誰かと思っていると長兄の誕生日のための雇ったシンガーだった。彼女が席を一周して各人に挨拶をしていく。しかし、フィリピーノはいいかげんである。みんな自分は独身だと言うのである。どこの国も男はスケベなものである。長兄がさっき渡したメーカーズマークをもって現れる。しかし、95Proofなので結構みんな敬遠して飲まない。もともとこのバーボンはアコが好きだから買ってきたので、アコもウィスキーに変更する。しかしタタイが近寄ってきて今日は夜まであるので、ゆっくりと飲むようにと言われてしまった。
飲んでいると後ろでドンと音がする。もう一度ドンと音がした。何かなと思って振り返ると近所の人が長兄のバハイの横の椰子の木に登り椰子の実(ココナッツ)を落としているのだ。この木は確かにバハイの外側に生えているのだが、勝手に取っていいものだろうか。ちょっと疑問。
歌手が歌い出すと近所の子供たちが歌声を聞きつけて集まってきた。その中に7〜8才位の女の子がいた。その子が歌手の隣で音楽に合わせて踊りだしたのだが、リズム感がものすごくいい。踊り終った所で彼女と雑談。7〜8才程度に見えたので『英語喋れる』と聞いたら『もちろん』と言う。賢い子だなと思ったのだが、年齢を聞くと13才だった。ハイスクールに言っているので一応英語は喋れるみたい。しかし、何度見ても7〜8才にしか見えない。

途中から若干カラオケモードになり、折角ハポーンから来たのだから何か歌えと言われ、受けを狙ってアナックを歌う。ただ、カラオケテープがなかったので、覚えていた最初の3フレーズ位だけを歌った。これは拍手喝采だった。

そういえば帰りの飛行機のリコンファメーションをしていないなと思い出し、フィリピン航空に電話するが、何回かけてもビジー。結局あきらめてリコンファメーションなしで行く事にする。しかし、こんなに電話が通じなくてマニラ以外に行った人はどうするのだろうと不安になる。
あきらめて部屋から出てくると見覚えのある女の子が4人いた。従姉妹のチャーとスーシー達だった。ここでちょっと雑談。
宴会も後半になってくると、アコが酒のつまみになってきた。いつものパターンで年齢はいくつだ、どこに住んでいる、から始まり、姫のことをどう思っているんだ、本当に独身なのかなどいろいろと聞かれた。まあ、簡単な質問にはドンドン答えたのだが、既にアコ ラシン ナ状態。ちょっと長い質問をされると頭が付いていかない。
『Sorry, I cannot catch you.』の繰り返しだった。
しかし、後でマーロンや姫に聞くと、まじめにちゃんと答えていたので、マシラン・ファミリーには気に入られたみたいです。
さすがに、帰りのバスは最初から最後まで寝通しだったので記憶なし。タタイのバハイに着いたのが夜の2時。すぐにベットへ直行。実はこの後姫から国際電話があったのらしいのだが、アコは寝ていて出られず。日本に帰国後『イカウ、いつもラシンな』と怒られてしまった。

本日の酒量 ビールいっぱい、ウィスキー1/3ボトルかな?

フィリピン旅行記 6/12/1999

6時過ぎに起床。まだ昨日の酒が残っている。コーヒーを飲みながらのんびりしていると姫の従姉妹(チャーとスーシー)が二人バハイにやってきた。昨日のタタイの長兄の誕生日にも来ていた子達なのだが昨日会った時点ではすでにアコはラシン「よっぱらい」状態だったので何を話していたかあまり記憶になかった。チャーに「昨日の約束は」と聞かれアコは「忘れた」といった感じである。雑談をしているうちに裏の畑に皆で野菜を取りにいかないかとの話になった。
妹のマイラ、チャー、スーシーの三人のヤングフィリピーナに囲まれつつ、バハイの横の道を歩いていくと家の裏の方は一面畑だった。ここに来てからすでに一週間経つのに道路側からしか見ていなかったのでぜんぜん気づかなかった。
彼女たちの写真を取りつつ、カラマンシー、チリ、ストリングビーンズ、エッグプラント等を取ってきた。マイラがカラマンシーを食べていたでアコも試しにと食べてみたら無茶苦茶酸っぱくて思わず顔をしかめてしまった。しかしチャーは明るい。18歳なのだが良く笑うし英語も良くできるのでアコの話し相手をしてくれた。野菜を2袋程度取り、チャーの家へ向かう。チャーは姫のタタイ兄弟中の6男の娘で日本に来たがっている。しっかりアコの弟(いまだに独身)を紹介しろとか、アコの息子を紹介しろとかうるさい。
10時からマーロンの運転でカバナチュアンにあるNEパシフィックモールに向かった。チャーがお腹が空いたと言うのでランチを取ることにした。歩いていると真っ赤なバンダナ・Tシャツ姿の女の子達が今外で無料でアスレチックのデモが経験できると誘ってきた。チャー達女性陣は興味を持たなかったが、さすがにマーロンはやりたそうだった。取り敢えずまずランチにすることにして近くのファーストフードに入った。彼女達にライスとヌードルとどちらがいいかと聞かれサンドイッチにすると答えたらけげんな顔をされてしまった。基本的にライスを食べ、たまに麺類が当たり前の人達にパンだけというのは奇妙に写るらしい。

ランチ終了後、皆でアスレチックを楽しむ。最初がフリークライミングだった。一応ロープで安全は確保しているが手と足だけで10m程の壁を上らなければならない。マーロンは全く問題ないと思っていたが、チャーやマイラが壁を上りきってしまったのにはビックリした。特にマイラは手も細くシャイな女の子だと思っていたのでフィリピーナの強さを見た気分だ。2番目がロデオマシンだが、マイラはこれでもどんどんトライしてしまう。最初は女の子なので動作を弱くしていたのだが一回終了するとロデオマシンから降りようとしないでタガログ語で何か叫んでいる。内容は判らないが多分もっと強くしろとの事らしく二回目になるとさっきよりももっとはげしく動き出した。しかし二回目が終ってもまだ降りようとしない。結局さらに動きを強くしてトライした。ただしやはり危ないらしくちゃんと合図を決めて駄目だったらこういう風に手を動かせと指導していた。さすがにマイラも3回目で諦めた。最後がマウンテンバイクだった。さすがにこれだけは普段の鍛錬が必要なようでマーロンだけは色々とトライしたが女性陣はみんな台の横をサイクリングしただけに終った。
アスレチックの後映画を見る。昨日姫への御土産を買うためにナナイに5000P渡しており、手元には2000P程度しか残っておらず、入場料がいくらなのか不安だった。まあそんなに高い事はないと思っていたが、出せないような金額だと折角誘ってくれたのに悪いことをしたかなという気持ちになってしまう。しかし二階席で一人40p、一階席なら35pだった。6人で見ても問題ない。一安心である。タガログの映画なら解説すると言われたがやはり英語の映画にした。「Virus」という映画で結構スリルもあり面白かった。
映画を見終わって、タタイのバハイへ戻る。しかし、若い女性たちはまだ物足りないようで、マイラ・チャー・スシーの3人はバスでマニラに向かった。

もうワランペラ状態なので、バハイでのんびりしていたら、ナナイがやきそばを作ってくれた。結構日本のソースやきそばに近い味。でもやきそばをスプーンで食べるのは結構大変だった。食べ終わった頃、タタイがマリの所から日本のコインをもらってくるので50P必要だといった。実は、気が付いたら日本円が440円しかない。日本着は日曜日夜なのでお金を下ろす事もできないし、空港から自宅へ帰る電車賃がなかったのだ。この前マリに会った時にその話をしたら小銭ならいっぱい持っているのであげると言ってくれていた。従って、お金は要らないはずなのだが、まあいいかと50Pをタタイに渡す。
タタイは出かけていったが、いつまで経っても戻ってこない。アコも退屈してきたので散歩に出かける。ネネが何か近くに500Pでどうのこうのと言っているが、タガログ語なのでよく判らない。確か前にもロラが近所に何も身につけないで踊る店があるとか言っていたが、もしかしたらそれかもしれない。でも既にワランペラ状態だし、第一プロポーズに来たのに目の前でそんな所に行けるはずないと考えるのが日本人だと思うのだけど...
まあ、ネネを無視してマリのバハイに向かう。100円だけでいいと言ったのだけど、マリは500円をくれた。ちょっとバブイ女の子で美人ではないが気立ての良いやさしい子だ。マリのタタイがコピーを飲むかと聞いてきた。Yesというと、ちょうど飲もうと持ってきたコーヒーをアコに渡した。マリは『だいじょうぶ?タタイのコーヒーはめちゃくちゃ甘いから』と言い、確かに口を付けてみると砂糖をいっぱい入れたコーヒーだった。(ちなみにアコはブラック派)

またそこで雑談をし、今度はタタイの長姉のバハイに向かう。
タタイがいた。何と兄弟たちとカード賭博をしていた。さっき渡した50Pが資本金に違いない。しかし、あまり日本でしらないルールでちょっとの間後ろで見ていたが、結局ルールが良く判らない。カードの動かしかたは判るのだが、途中で急にカードを空けて終了してしまう。その結果どちらが勝ったのか、何で勝ったのかが理解できないのである。ルールの判らないカードプレイを見ていてもつまらないので、再度散歩に戻るとマーロンがジプニーに乗れという。どこへ行くか判らなかったが、着いてみるとコニーのバハイだった。コニーの旦那がアコにサンダルを作ってくれるというのだ。
コピーとビールとどちらがいいというので、ビールを頼んだ。ビールを飲みながら旦那のサンダル作成方法を見ていた。サンダルは2種類。1つは前が帯のようになったサンダルタイプものと、ゴム草履にような、親指と人差し指の間に挟む鼻緒タイプの2種類である。
見ていると足の裏が直接触れる面は一体整形らしくプレスで加工してある。しかし、プレスまたは整形機はそこにはないのでこれは購入しているのだと思われる。
まず、ちっちゃな箱に白い染料をほんのちょっと滴らす。その箱を帯の上に置き、板へらで染料を伸ばす。そうすると帯にFILAのマークがきれいに浮かび上がる。いわゆるイミテーションなのだろうが、野暮なことは言わない。鼻緒タイプの方は編んだプラスチックの帯をまずミシンで縫う。次にはさみで切断した後、端を炎であぶる。反対側は2つの帯をそれぞれ斜めに切断し、切断面をくっつけて炎であぶる。こうすると2つの帯がきれいにV字型につながる。このV字型の交点にさらに別の帯を掛けて、その交点をミシンでちゃんと縫い合せる。これで鼻緒の部分が出来上がりだ。サンダルタイプの方は先ほどの帯が通るように半月刀でフリーハンドで穴を空ける。鼻緒タイプの方は大きさに合わせた鉄板の穴空け位置に穴が空いた型板を使って穴を3個所開けた。先ほどの帯・鼻緒をそれぞれのサンダル面に装着した後、手で接着剤を塗り、取り敢えずの乾かす。若干乾いたところで、足型の木型を使用して、それぞれの帯・鼻緒をちゃんとした長さに揃える。

これと同時にサンダルの底面と中央の部分を接着剤で結合する。型からはみ出た部分は半月刀できれいに切り取る。
最後に上面と底面を接着剤で結合した後、手押しのプレス機できちんと接着させる。最後は電動やすりでサンダルの周りをきれいに磨いて完成である。
言葉でいうと簡単かもしれないが、これだけの作業を手作業で1時間くらいの間に行ってしまうのである。偽者かもしれないが日本のサンダルより手がかかっている気がする。これで販売単価は非常に安いのである。フィリピンで生活する事は大変なのである。とはいえ姫のタタイの家よりは裕福みたいだった。
ビールを片手に作業を見ているうちに、段々人が集まってきて結局宴会になってしまった。最初の1箱は向こう持ちだったが、次の1箱はアコ持ちとなった。まあ、明日は帰るだけなので130Pを出す。コニーが作ってくれた料理とピーナッツを魚にまたビール宴会となってしまった。
コニーのバハイからタタイのバハイに帰る間、マーロンがジプニーを運転させてくれた。当然酔っ払い運転だったが、クラッチ等の感覚は日本車と同じで、ハンドルが最初から斜めにしないと直進しない事と、ギヤーが入りにくいことぐらいで、バハイに着いた時に、マーロンがグッドドライバーだと誉めてくれた。

本日の酒量 ビール10本程度

フィリピン旅行記 6/13/1999 帰国日

5時半に起床。荷物のパッケージングを行なう。しかし来た時よりも荷物の量が増えているのにはびっくりした。まあ日本にいる姫達はまだ最低の生活費以外の給料を受け取っていないはずなのでしょうがないのかもしれない。というかどちらの御土産もアコの財布から出たものだ。何せ両者とも「ワラン ペラ(お金がない)」状態なのだから。しかしアコ自身ももうワランペラ状態になっており、空港利用料の550Pを払うと手元には200P程度しか残らない有り様だ。
結局リコンファメーションはできていないので遅くとも12時前には空港に着きたい。タタイは8時にバンを頼んであるので問題ないと言っているがちょっと不安。タタイは人はいいのだがちょっと抜けているというかルーズというか危なそうな予感がした。8時を過ぎても8時半を過ぎても一向にバンは来ない。9時になりタタイの兄弟たちがもう出ないと間に合わないと騒ぎだしやっとバンを呼びに行こうとした。普通はもっと前に呼びにいくものだと思うのだが。丁度呼びにいこうとした瞬間バンが到着した。後でバンの運転手のメモを覗いたら、9時前に到着の事と書かれていた。
交通渋滞がなければ3時間あれば到着できる。しかし走っていると目の前をトライシクルがゆっくりと走りなかなか前に進まない。イライラして胃が痛くなってくるのであきらめて一眠りすることにした。そのせいかどうか気が付いてみると既にマニラ市内に入っており、若干の渋滞はあるものの何とか車は前に進んでいた。12時には間に合わなかったが12時10分空港に到着した。しかし空港内部には見送りの人は入れなので挨拶もそこそこに空港内部に駆け込んだ。荷物の重量超過もなく座席も確保できて一安心である。
心残りは姫の家族と別れの挨拶が充分にできなかったことだ。しかし携帯電話を持っていることも判ったし顔も覚えて貰ったのでこれからは電話でいろいろと話ができるはずだからコミュニケーションといった観点からは問題はないだろう。
まだまたこれからも色々と問題が発生するだろうが、姫との新しい人生を考えつつ帰国の途についている。


入国審査で日本人列に並んでいると、どうみてもフィリピーナにしか見えない人が日本人列に一杯いる。再入国は日本人列に並ぶのだろうか。アコも結構海外に入っているが、日本人以外が日本人列に並んだのを見たことがない。それだけ、フィリピーナと日本人が結婚しているということなのか。
税関では一人旅だったので何か言われるかなと思っていたが、特に大した事はなかった。ただ、ちょうどカップヌードルの箱位の段ボール(ガムテープでグルグル巻きにした)を持っていたので、これを左右に振ってこれは何ですかと聞かれた。『中身はミリエンダ、向こうのおやつです』と答えたらOKだった。
しかし、荷物が一杯だったので空港から姫に電話して、『これから行くから。後1時間位ね』と伝えた。電話代100円。タバコが吸いたくなったのでキャビンマイルド(260円)を買う。京成電車で京成臼井まで(500円)
結局、アコのバハイにも寄らず、直接姫のお店に直行。(とはいえ、姫のお店とアコのバハイは徒歩5分)姫達への荷物を全部渡す。ただ、姫の同僚への荷物の中に卵が入っていたらしくとても臭いと言っていた。バロットかと聞いたら、そうじゃなくて赤い卵と言っていた。
久しぶりに会ったし、家族にも会ってきたという事で姫はとてもとても甘い態度だった。アコもとても幸せな気分。
疲れていたのでセットの2時間だけすごしクレジットカードで支払ってバハイに向かう。ほとんど空のバックとリュックを肩に下げバハイに到着。

残金120P+80円

読者からのコメント (ご本人からのレスも含まれています)



☆RE:フィリピン旅行記  投稿日 6月14日(月)23時39分  投稿者 アイク

Dukeさんお疲れさま。(ホント!)
空港を出るまでに既に¥6,000の出費ですか・・・・(笑)
しかも8名でのお出迎え!
ある意味ではこの一家は、日本からのお客さんなんて初めてのように感じるので、良かったかも知れませんね。
妙に出迎え慣れていると、ちょっと心配になりますよ。(^^;
ただ、この分だと、何でこんな!と言うような出費のかさむ旅だったのでしょうね。
続きを期待しています。

ところで、「お金がかかる」をタガログ語では「マガストス」と言います。
マガストス カヨ!=あんたがた金食い虫だね!
なんてね。(笑)



☆目玉焼き  投稿日 6月15日(火)19時50分  投稿者 町蔵

Dukeさん wrote
>目玉焼きはなぜ日本みたいに平らに焼けないのだろうか。
>今回はあちこちで目玉焼きを食べたがみんなボコボコの目玉焼きばかり、
>きっと油の量が違うのかなと思うが良く判らない。
油の量が違うのは、或る意味、当りです。
向こうのは本当のフライドエッグで目玉’焼き’じゃないから。
目玉焼きにソーセージにスプーンとフォークで食べるご飯。
うーん、懐かしいな。食べたいな。



☆Dukeさん  投稿日 6月15日(火)19時57分  投稿者 町蔵

楽しく拝見させて頂きました。
あなたのお財布は、もうすっかりみんなのお財布になっていますね(笑)
十分、ご注意を・・・。アイクさん、これに対する対抗法は何かない?



☆目玉焼きと対策  投稿日 6月15日(火)21時23分  投稿者 アイク

>目玉焼きはなぜ日本みたいに平らに焼けないのだろうか。

あちらでは大目の油の中に卵を入れて、周りの油をすくって卵にかけながら焼きます。
その結果として、油のかかった部分が早く火が通り、でこぼこになるわけです。
そして天然粗塩(食塩は不可!)を振りかけると、美味しい卵焼きの出来上がり!
あちらは卵自体も味があるし、「塩」が美味しいので目玉焼きはアコは好きです。

無駄な出費を抑えるには、最低限の両替しかしないのも手ですね。
ペソが無いことを言い訳にして、買い物を控えさせます。
あとは不必要な連れを減らすことですね。お金があると判ると、おこぼれに預かろうと普段は来ないような人まで同行しようとします。
彼女が一緒なら抑制力になるのですが、日本人だけではそれを止めるのは難しいかもしれませんが・・・・
まあ、今回は初めての訪問なので、倹約は諦めて、有り金を叩くつもりいないと無理でしょうねぇ・・・・今更ですが(笑)
2回目以降は、(良識ある家族なら)ある程度は遠慮してくれますので、誕生日だとか特別な時以外は、チョコレートや簡単な雑貨程度のお土産で満足してくれると思います。

トイレは思い切って水洗いにチャレンジして下さい。>Dukeさん
慣れると非常に快適です。
とうとうアコは日本でもウオシュレットを買ってしまいました。(^^)



☆お帰りなさいませ。  投稿日 6月15日(火)21時33分  投稿者 やぎ

無事でなりより。旅行記楽しませていただいています。

ところで、Dukeさん。彼女の実家はまだまだ彼女の収入にたよらなくちゃいけないんでしょうね。でも、今の仕事は結婚が決まっていて続ける性格のもんじゃないし。やっぱり今後Dukeさんに頼る部分が多く発生するのか。

気張ってください。



☆目玉焼きと塩  投稿日 6月15日(火)21時50分  投稿者 やぎ

おいしかったです。特に塩は甘みがあります。

そのおいしい塩に惚れて、2kgほど送ってもらいました。私はそのまま食べちゃうんですが、家内は怖がって使いません。もし、日本で売るとした、確かにもう一度溶かして作りなおさないと、基準はパスしないと思います。



☆Re:目玉焼き  投稿日 6月15日(火)22時17分  投稿者 Duke

ナナイが作ってくれた目玉焼きは、多分単独で食べるとしょっぱいかなって思います。
ただ、ライスの上に乗っけてライスと一緒に食べるとちょうど良い塩加減でした。

まあ、姫がナナイの料理は下手だと言っていたので、本当の塩加減は判りませんが。



☆タタイの収入  投稿日 6月15日(火)22時28分  投稿者 Duke

やぎさん、どうも(^^;

旅行記の後半に出てくるのですが、タタイの仕事は基本的にはドライバーですね。
ただ、ジプニーではなく、スリッパを製造元から卸元に運送する係りみたいです。
一応週に3回くらいそういった仕事があるのらしいのですが、ないときはレンタルジプニーを借りて仕事をしたり、知り合いのドライバーをしたりしています。
ぎりぎり最低限の生活はできているみたいですが、親戚もタタイはいつもワランペラだからなみたいなことは言ってましたね。
あと長男のマーロンも、この前までは運転練習所のインストラクターみたいでしたが、現在は無職ですね。

まあ、2人とも運転技術は高いので、自分自身の車が持てるようになれば、車のレンタルフィーも不要となり、単独で食べて行けるようになるのではないかとあまい想像をしているのですが...



☆出費対策  投稿日 6月15日(火)22時35分  投稿者 Duke

アイクさん、どうも(^^;

確かに最初の頃は親戚がドンドン付いてきますね。ハンバーガーのバリューセットが31Pでも、人数が集まればあっという間に500Pとかになりますから、それでどんどんお金が出て行きます。
まあ、今回は初めてということもあり、家族に気に入ってもらいたいという面もあり、あまり細かいことは制限していません。でも、アコは金持ちではないからつらいですね。

旅行記の後半にK氏(たまたま結婚式に出席しました。)にあって話したら、植木職人らしく、1回に50万とか100万とか持っていくみたいでした。
まあ、結婚式のために渡比したのでいっぱい持って来ていたのかもしれませんが、アコは10万円を用意するのが精一杯でした(^^;

トイレはアイクさんの書き込みを見ていたので、ぜひトライしようと意気込んでいったのですが、やっぱり今回はふん切れなかったですね。



☆旅行記は楽しい  投稿日 6月16日(水)06時23分  投稿者 nesu

Duke さん楽しく読んでいます。
今度はどのようなトラブルが発生するのだろうか、ハプニングが起きるのか
などと、無責任にも期待しながら笑っています。
今後の展開を楽しみにしています。

IKE先生 辞書が言う事を聞きません。
検索文字を入れても「一致するものはありません」の表示しかでません。
使用説明ファイルもあるのですか。



☆参考にします  投稿日 6月16日(水)11時45分  投稿者 しゃい

Dukeさん

旅行記を楽しく、時にはハラハラ(笑)しながら
読ませてもらっています。

私も近いうちに恋人の国へ行こうとしています。
場所はブラカンで、マニラから2時間くらいらしいですね。

私は貧しい自営業者なので(泣)、
ファミリーに大盤振る舞いなどは出来そうにありません。

今でさえ、おねだりばかりされて苦しいのに(トホホ.....)。



☆Re:参考にします  投稿日 6月16日(水)12時20分  投稿者 Duke

しゃいさん、はじめまして(^^)

アコが行ったのはブラカンの北東のヌエバイシハです。ブラカンはよく車で通過しましたが、道路沿いは姫の実家の方と結構似ていて、のんびりした田舎みたいで結構いい感じでした。
まあ、アコはマニラよりもヌエバイシハみたいな田舎が好きなのもありますが。

ブラカン州ならブラリデルにあきたさんがお住まいですね。今回アコもあきたさんの所に寄ろうと思ったのですが、姫のタタイ達がどんどんスケジュールを入れてくれたのと、一度探しかけたのですが、お店が見つからなかったのと、あきたさんの携帯電話番号を控え間違っていたのとで、結局あえませんでした。
後、道路が空いていれば2時間で行けるかもしれませんが、交通渋滞にぶつかるともっと時間がかかりますよ。アコの場合もメトロマニラを抜けるだけで3時間強かかりましたから。
アコは貧しいサラリーマンなので、大盤振る舞いはしなかったつもりですが、持っていったお金は全部吸収されてしまいました。
自分のもので買ったのは、ジーンズ2本だけです。あとは御土産にサンダルを3足貰いましたが...



☆Dukeさん旅行記の感想  投稿日 6月16日(水)12時26分  投稿者 soriano


Dukeさん SORIANOと申します。旅行奮戦記たいへんたのしく読ませていただきました。
私も3月、4月と2回ほど行ってきました、初回はPnが一緒だったので彼女のいうがままに行動していました、2回目は単独行動だったのでDukeさんのご苦労が人事ではなく感じられました。私は彼女と10ヶ月ほど前に知り合い、本格化したのが今年になってからですのでまだまだですが、2回目の訪問した時はお祭りがあったのでたいへんな散在させられました。トイレの話アイクさんとDukeさんのことからなぞが解決しました。2回目訪問時に便座を購入し取付けましたが家族の人たちはどうも使っていないようだったのです。



☆RE:フィリピン旅行記 6/07/1999 #1  投稿日 6月16日(水)15時32分  投稿者 FUJI

Dukeさんお帰りなさい。

旅行記面白く読ませていただいてます。

> なぜかこの橋では通行料を取られた。まあ5Pなのだが、
> そういえば初日も町中の路地を抜けようとした時に通行料を取られていたみたいだった。

もしかすると、道路の上にリボン(のような飾り)付きの紐が張ってありませんで
したでしょうか?もしそうならその町のフィエスタの寄付だと思います。
その時はそのあたりの家に入ると食事を振る舞ってもらえるのだそうです。

私、去年仕事でマニラからフィリピン人の同僚と一緒にルソン島のあちらこちらに車で行った
事がありますが、その時も何度か道路をふさいで寄付を募っているのに出くわしました。
出くわしたら10ペソ位だったような記憶があります。

それでは続きを楽しみにしてます。



☆Re:Dukeさん旅行記の感想  投稿日 6月16日(水)22時24分  投稿者 Duke

SORIANOさん、どうも(^^;

今回の旅は最初は同伴帰国する予定だったのです。姫の航空券はプロモータの方で手配するので、約1ヶ月前ほどにアコの航空券だけ手配したのです。
しかし、その晩、姫の3ヶ月延長が決まって、初めてのフィリピン一人旅になってしまったのです。

何故か姫がまめみたいで、アコの行動プランはほとんどお膳立てされていました。でも、基本はアコの財布(T_T)

トイレの件は最初はボロを使ってるなと思ってたんです。モーテルのトイレは確かに便座があった形跡があります。しかし、タタイの家へ行くと本当に小さくて低くて便座の取り付けようのない便器なのです。
そこでなんかおかしいなと思っていたら、タタイの叔父達と飲んだときに『フィリピンはどうだ』と聞かれたので、アコは『Ofcause, It's very good, except CR.』と言ったことから、ついトイレの話になり、旅行記にあるようにプラスティクの感触が嫌いだという話が出て来たのでした。
最後の方では水の流しかたもうまくなったし、後は手でジャブジャブするのをふんぎらないと。。。



☆通行料  投稿日 6月16日(水)22時31分  投稿者 Duke

FUJIさん、どうも(^^)

初日の方はリボンの飾りがあったかどうか、あまり記憶にありません。
でも、ほかの場所では結構リボンが飾ってあったところが多いですね。中にはジョリビーの紙コップを切って風車みたいにしてた所もありましたね。

橋の方は橋を渡りきったところに木製の料金所みたいなところがあってちゃんと料金表も張ってありました。でも料金を取れるような橋じゃないんだけどな。
すぐ隣に新しい橋が建築中だったので、それに対する寄付かもしれないなと思ったのです。

後は道路工事で片側通行の場合、交通整理をしている怪しげなおっちゃんがよく缶を差し出している光景に見かけました。
タタイは1人目は無視して、別の場所では払っていた。この付近も理由が良く判らないですね。



☆私設有料道路  投稿日 6月17日(木)15時49分  投稿者 soriano

DUKEさん 旅行記もう目が離せなくなってしましました。
私が経験したのは空港から彼女の自宅に向かう途中でのことでした。メイン道路が大渋滞のため、細いわき道に入り、しばらく進むとお墓の入口に来ました、そこにはマグカップを持った人がたっていて運転手がコインを入れて先に行くとまた同じようなことに出くわしました、ところがあまりたくさんいるので途中からは窓を明けてなにか一言、終いには指で後方を指すだけでどんどん先に進んで行きました。後で彼女に聞いたところ、あそこは私道だったため地元の人間が勝手に料金を徴収しているのだとのことでした。
あちらの人は仕事がなかなかないのでこのようにして日々の糧を稼ぎ出すそうです。
つづきをたのしみにしています。



☆おぉ!  投稿日 6月17日(木)19時55分  投稿者 町蔵

>コップにビールを注ぎ、それを一人が飲み干す。
>コップを戻すと水で洗いながし、新たなビールを注いで次の人にまわす。
>すなわち、順番に一人1コップ分のビールを順番に飲んでいくのである。
これは昔の日本人の呑み方と一緒ではないですか!
吉原の花魁やなんかとやるやり方ですね。
できるなら、私は小股の切れ上がった良い女ってのとやってみたい。



☆トイレでは  投稿日 6月19日(土)22時29分  投稿者 shin

Romのshinでございます。
慣れると紙よりも、病みつきになるって聞いて、まさか!?と思ってたけど、今は納得しとります。
結構、おなかの弱い人に、最適かも・・・・・。



☆Cirrus  投稿日 6月19日(土)22時57分  投稿者 アイク

>アコの持っているカードはマスターカードで裏にCirrusのマークがある。
>--中略--
>お金に困った時はEquitable Banking Corporationが便利である。

マニラに暮らす−貧乏編の「お金を送る」に
>さくら銀行とCitibankのキャッシュカードはPCIBankまたはEquitable Bank
>のCDかATMで"Cirrus"のマークのある所で降ろせます。
って書いておいたのに(^^)
Cirrusを扱っているのは、この2銀行だけみたいですね。



☆読み応えありました  投稿日 6月21日(月)23時33分  投稿者 fiesta

Dukeさん、楽しく読ませていただきました
光景が目に浮かぶようです

ああ、読んでたら、アタイもフィリピン行きたくなってきたなぁ
何回か行ってるけど、何時も仕事がほとんどですから
ゆっくり現地の生活を見た事無いんですよ

行きたいな、姫も来いと言ってるしね
休暇届出してみるかな....(多分却下だろうな...泣き)

PS.お幸せにね(^。^)



☆RE:フィリピン旅行記 6/13/1999 帰国日 おまけ  投稿日 6月21日(月)23時52分  投稿者 FUJI

Dukeさんこんばんは

旅行記、堪能させていただきました。
ありがとうございました。

> 残金120P+80円

完璧でしたね。

机の中のペソ札を使いに行きたくなりました。
−終わり−