後夜祭

 後夜祭とは、文化祭・体育祭を締めくくる最後の祭りのことである。内容はフォークダンス。現在も後夜祭が行われているのかはよく知らないので、このページでもまた私の知っている範囲で書きたいと思う。
 体育祭が終わったあと、生徒達はバックの解体にかかる。苦労して作ったバックをいとも簡単に壊してしまうのは忍びないことであるが、これが終わらないと後夜祭は始まらない。教室内からは文化祭で使用した劇の小道具等が運び出され、グラウンドに組み立てられた櫓(2基)へ投げ込むのである。教室から荷物を持ち出し、生徒全員が再びグラウンドに集合する。衣装は応援で使った衣装をそのまま着ている。私が高校1年生の頃何も分からずに、カッターシャツ着替えてグラウンドに出てしまった記憶がある。少しヒンシュクだった。

 下の写真は後夜祭開始前の体形である。
 確か、夕方5時ぐらいから1時間ほど「オクラホマミキサー」と「コロブチカ」を踊る。

点火前
ファイヤー点火前
(1995年撮影)

 日が沈みかけてきた頃、グラウンドの櫓に点火となる。この点火のシーンが後夜祭のメインイベントである!屋上から櫓までひかれたワイヤーの上を滑車に吊された火の玉が飛んでくる。櫓にあたって「ボンッ!」と音をあげて勢いよく燃え上がる。現在では体育祭・後夜祭が米原高校で行われていないので、このシーンが見られなくなった。1995年に校舎屋上でこの点火のシーンをビデオに録画しておいて良かったとつくづく感じている。

点火後
ファイヤー点火後

 ファイヤー点火後もフォークダンスは約30分ほど続く。最初は雰囲気があっていいのだが、残暑の中でのファイヤーだから熱くて仕方がない。段々とフォークダンスの円が外側へ膨らむのも恒例のことである。ファイヤーの火が下火になった頃、フォークダンスは終わり、楽しかった学園祭が終焉するのである。それぞれ荷物を持って遅くなった帰宅かなと思いきや、その後は...(想像に任せる)。

 こういうのが例年であるが、私が高校3年生の時は違っていた。

 体育祭をやっている日中から少し風があり、応援をやっているときには砂ホコリで応援を中断したぐらいひどいものであった。「この風では後夜祭のファイヤーは無理や」ということで、「体育館の中でフォークダンスだけでもやろうか」ということになったが、生徒側としてはどうしてもグラウンドでやりたかった。生徒会長の努力の甲斐あって、グラウンドで先生の車のライトを使ってフォークダンスを行うことになったのである。車を10台ほどグラウンドに入れて、車の後部をグラウンドの中心に向けてライトを焚く。フォークダンスをやっていた我々はあまり気づかなかったのだが、卒業アルバムでその写真を見てみると実にいい雰囲気になっていた。

 会場が長浜ドームに移ってから少し後夜祭の形態が変わってきた。ファイヤーが無くなったことは当然であるが、フォークダンスもなくなりつつあるらしい(1999年は開催していた)。もう少し"祭り"の余韻に浸る時間として「フォークダンス」をしてもいいのではないか、と私は思う。