2005年1月1日(土)
年始
 新年明けまして おめでとうございます 
          本年もよろしくお願い致します

 除夜の鐘には、積雪にも関わらず大勢の方にお出で頂きありがとうございました。順番待ちで風邪を聞かれた方はいらっしゃらなかったでしょうか?
 除夜とは「除日」(ジョジツ)の夜、つまり一年最後の日の夜の事をいいます。除夜の鐘は、除夜の12時をはさんで、「108の煩悩を除去し新年を迎えるという意味を込めて108回つく鐘をつくこと」と言われています。ただ、私たちの煩悩は鐘をついたくらいで無くなるような、ヤワな煩悩ではありません。除夜の鐘は「煩悩を煩悩として頂いていける教えの開かれていることを確認する」という意味の方が適切な様です。
2004年12月31日(金)
歳暮法要

 2004年も終わろうとしています。
 日本漢字能力検定協会が全国から公募した2004年を表す世相漢字「今年の漢字」は「災」に決まりました。正しく、今年は新潟県にとって7.13水害、10.23中越地震、水田の塩害。日本規模、世界規模に見ても災害の多い年でありました。
 でも、「災」ということを通して「共」ということに出遭った年でもありました。災いを単に災いで終わらせないのが「智慧」の働きかと思います。
 本年もHPをご覧頂きありがとうございました。皆様に励まされて、また年を越すことが出来ました。よい年をお迎え下さい。
                            大蓮寺 住職 鷲澤文雄

2004年12月30日(木)
葬儀 吉田町
 世の中には、そそっかしい人もおられるようで、二日も早く本堂に年始のお客さんがありました。
 今朝、一時半頃、本堂の防犯用警報のけたたましい音で目が覚めました。(ё_ё)
 本堂に行ってみると、先に駆け付けた長男が直ぐに警報のスイッチを切っていてくれたのですが、 警報の音で年始には早いことに気が付き、びっくりされたんでしょうね。年始のお客さんは、既に戸を開け放したままお帰りの後の様です。 一応、本堂内にお客様がいらっしゃるかどうか長男と確認したのですが、やっぱり居られませんでした。
 申し訳ございませんが、年始は「1日 午前6時から午後3時まで」 「2日 午前6時30分から午後3時まで」です。 あらためておいで下さる様お願い致します。
2004年12月29日(水)
上法事 新潟市
 お通夜の最中に停電しました。ほんの30秒程かと思います。蛍光灯が消えて、ロウソクだけが明かりを放っています。わずかなロウソクの光で見えていたものは、ご本尊(阿弥陀如来)の掛け軸と亡くなった方のお写真でした。
 蛍光灯は昼間のように明るく部屋の中の全てのものを照らします。ロウソクのわずかな明かりは、本当に大切なものだけを照らします。 多くのものが見えるということは、大切なものを見失うということがあるようです。 ロウソクの明かりは如来さまの智慧をあらわしています。
2004年12月28日(火)

 「猫は昼寝が仕事」11月14日に紹介した野良猫の続報。
 14日の写真が安心できる場所とは言え、無防備な姿を写真を撮られたということで野良猫のプライドを傷付けられたというのでしょうか?
 今回は、警戒態勢に入ってのお昼寝です。ポジションの関係で、一匹助っ人が加わり鉄壁な守備です。しかも、監視役のネコ(車両下)・本来の仕事(昼寝)をしているネコと役割分担も完璧です。今回は入念な事前打ち合わせを感じさせます。
 ところで、何に警戒していたかというと・・・みんなこっちを向いています。と言うことはσ(^_^;)?  お騒がせしました。  m(_ _)m ごめんなさい

2004年12月27日(月)
葬儀 吉田町
 近頃の高校生は、いろいろな業種のアルバイトに一生懸命。でも、高校生アルバイトの正当派はやっぱり「年賀葉書の配達」です。年末は、地図を片手に元日の順路の予行演習というところでしょうか? 乗り物は定番の赤い自転車。 このプロチャリ?はちまたのママチャリとはだいぶ仕様が違っています。実用自転車の中でも「配達車」に分類されるそうで、一番の特徴は荷台の補強。しかも、この自転車の補強には、ビニールが付いたまま・・・。新車の様ですね。新車担当になったラッキーな高校生、後は三箇日が天気になればいいですね。きっとご家族も心配されていますよ。 
2004年12月26日(日)
法事 分水町中島
 午前中の雪で弥彦山もすっかり雪化粧をしました。午後からの日差しで特に白く映っていたのが多宝山(たほうざん)です。写真中央が弥彦山でその右側が多宝山。 多宝山は岩室村にある標高633.8mの山で、新潟方面からは尖ったように見える山で頂上には新潟地方気象台の気象レーダーがあります。
 私の生家は岩室村にあるのですが、まだ「多宝山」に登ったことがありません。岩室村ももうすぐ新潟市と合併するとのことですので、岩室村の名前のあいだに一度登ってみたいと思っています。 
 ところで、「おめさん 実家どこらね?」と聞かれたら、合併後は「新潟市です」と答えていいものでしょうか?ちょっとまずいですかね? 「今は新潟市です」くらいに抑えておくことにします。(∩.∩)
2004年12月25日(土)
法事 吉田町佐渡山
 「儲かったね(^〇^)」と近所のおばあちゃんはニコニコ顔。思いがけず得をした好天にピッタリの言葉です。その上に天気雨のお陰で虹まで見させてもらいました。
 子どもの頃に、虹の真下に行きたくて自転車で走ったことがありました。勿論、疲れただけで見事に徒労に終わりました。でも、虹に向かって走っているときの爽快感を思い出しました。 目的に向かう爽快感をすっかり忘れていた自分に気づかされた虹の光景でした。
2004年12月24日(金)
中陰法要 新潟市
 「今日はホテルでディナー(*^_^*)」 と言っても夕方、寺で勤められた中陰法要のお斎です。お斎は午後6時からの予定ということでしたので、皆様より少し遅れてホテルに行くことになりました。
 「ぜひお酒を呑んでほしい」ということでしたのでタクシーで行くことにしました。地元のタクシーに来てもらい。「***ホテルへお願いします」 と行き先を告げると「忘年会ですか?」と運転手さん!! (・・;)   「・・・・・・お斎です(^.^; 」
 今日は金曜日のクリスマスイブ。お衣姿でホテルに入っていく私を見て「忘年会?」と思ったホテルのお客さんもいたのでしょうか? 少し 気になっています。(^_^)/
2004年12月23日(木)

 昨日の初雪に続き、今日は国上山も薄化粧。願わくば、道路の厚化粧はもうちょっと待ってもらいたいものです。
 今日は何度か「やっぱ さ〜むいねー」 という挨拶をもらいました。正確には「雪が降ると、やっぱり寒いですね」と言うべきなのでしょうが、寒さに震えたしかめ面には、「やっぱ さ〜むいねー」という言葉がピッタリです。でも、もうすぐ「ほーんきね さーむいねー」に変わるんでしょうね。
 中越地震から2ヶ月。大きな余震もなくなり、復興に向けたTV報道が放映されています。そんな最中、21時過ぎに大きな余震がありました。 自然には人の都合など全く通じません。  

2004年12月22日(水)

 寺泊町敦ヶ曽根のバス停と駐輪場。かなり凝った作りです。出来上がった時は正直言うと「何もココまで凝らなくても!」と思ってしまいました。
 このバス停の中は明るく、六角形の壁沿いにベンチが付いています。つまり、バスを待っている人達の顔がよく見える構造になっているのです。
 最近は、地方でも近所の人達と顔を合わせる機会がどんどん減っています。せめて、同じバスに乗り合わせる人達にはコミュニケーションをとってもらいたいとの願いがあったのでしょうか? 願いが形になった?バス停の話題でした。

2004年12月21日(火)

 風が冷たい一日でした。遅まきながら、天気予報に雪だるまが登場して来ました。それもそのはず。今日は冬至なんですね。冬至は一年のうちで昼がもっとも短く、夜がもっとも長い日です。つまりこの日から、日一日と昼の時間が少しずつ長くなるということです。昼・夜の時間差だけでいうと冬季の山を一つ越えたということでしょうか。\(^O^)/
 
後、幾つ山を越えたら
になるんでしょうね。

追記
 昨日のニャンコを大きな画面で見たいという方がおられましたので、大きくなるようにしました。 写真は個人でお使いになるのは自由ですが、肖像権の問題もあり、販売はしないで下さい。また、略歴、住所はお答えできませんのでご了承下さい。  

2004年12月20日(月)

オー!  思わず声が・・・。 個性的と言えば・・個性的 ・チャーミングと言えばチャーミング。 特技は「ヒゲダンス」と言うことは・・・まったくありません。ドンピシャのタイミングでカメラに収まってくれた、とても人なつこい素敵な女の子でした。 (*^_^*)
 ただ、人間から見ればかなり個性的ですが、本人にとっては個性的という自覚はないようです。
 人は「個性的に生きたい」という。でも、その「個性的に生きたい」という自身の選択内容が「他と比較して異なる」ということだけだったら、はたしてそれが「個性的」と言えるのでしょうか? あるがままの自分を受け入れることが、そのまま「個性的」ということなんだと思います。 

2004年12月19日(日)
中陰法要 寺泊町敦ヶ曽根  時斎 分水町新堀
 今日から「平成17年度年回 ご案内」(法事の案内)の本格的な作成作業を始めました。その元になっているのが右の過去帳です。
 本来は、500年以上前の過去帳があるはずなのですが、火事で焼失したためか、現在は宝暦13年(1763)からの過去帳だけが残っていてます。
 この過去帳は、ご門徒の方々一人ひとりのいのちの歴史であり、大蓮寺の歴史でもある大切なものです。現在、過去帳の内容ははパソコンに入力されてありますので、普段は取り出すことはせず、大切に保管されています。
2004年12月18日(土)
入佛法要 吉田町田中  時斎 地蔵堂
 クリスマス・コンサートに行ってきました。坊さんとしては、クリスマスなど、あるまじきことですが、同級生主催ということですのでご勘弁下さい。m(_ _)m
 聴衆のほとんどが主催者の友人・知人。テーブルの上には差し入れ等のおにぎり・ケーキ・飲み物。家族的雰囲気のディナーショーというところでしょうか?
 本題の音楽? 勿論GOODでした。 足でリズムを取り、身体が揺れる・・自然に出てくるのは不思議ですね。この調子だと明日のお経はちょっとヤバイかも?(^^ゞ
2004年12月17日(金)
 現在の本堂・鐘楼・庫裏(くり)は明治41年の落雷焼失以降の建物です。落雷で焼失した本堂(右写真)、焼失の様子は口伝で伝えられてはいましたが、文章での記録は確認できていませんでした。
 先日、分水町史編さん室の西海土寿郎氏より当時の様子を報道した新聞(新潟新聞 明治41年11月12日版)のコピーをいただきました。実に興味深い内容でした。ありがとうございました。
 特に、「延焼は一切なかった」との言い伝えでしたが、延焼が有ったことには驚きました。
 以下は新聞の記事です。「句読点」「改行」が入っていない文章でしたので、そのまま記載しました。本文の漢字には全て「ふりがな」が付いていましたが省略しました。本文中「長井」とあるのは「永井」の間違いだと思います。
大蓮寺焼失詳報 原因は落雷 損害四萬圓
去る十日午前七時三十分西蒲原郡國上村大字中嶋大蓮寺(住職鷲澤法梁)より出火し同寺の烏有に帰したることは前号の本紙に掲載したるが今其詳報を聞くに同日払暁より三四回の雷鳴ありしが最後に同時の屋上へ落雷し其火焔より発火し折柄西方の暴風にて瞬時に一圓の火となりしより地蔵堂派出所室田巡査部長は巡査二名並びに同町消防手七十名喞筒
(ポンプ)二台を率い現場に駆け付け消防に尽力し一面には付近二三の私設消防組を指揮し消防に努力せし為めさしもの暴風にも拘わらずその隣家たる長井福松住家の一部分のみにして他へ延焼せしめざりしは全く地蔵堂消防組の奏功なりしが同寺並びに長井福松方焼失損害左の如し    
▲大蓮寺の損害額
  本堂一棟(此坪数二百十八坪三合五勺) 此損害約三萬二千七百三十七圓五十銭
  庫裏一棟(此坪数百三十坪二合九勺) 此損害約六千五百十五圓五十銭
  鐘楼一棟(此坪数六坪二合五勺) 此損害約五百圓
▲長井福松の損害額
  納屋一棟(此坪数約十二坪) 此損害約二十四圓
  雪隠坪数(三坪三合五勺) 此損害約十円
  稲四百五十束(此石数九石八斗) 此損害三十五圓三十銭
2004年12月16日(木)

 何となく疲れが取れきっていません。歳相応ということでしょうか?そこで、目が行ってしまうのが
 「壮快」「ゆほびか」「今日の健康」「わかさ」「健康365」「からだにいいこと」
 今日の新潟日報の広告です。いろいろな雑誌が出版されているんですね。内容的には「老化防止」「病気の発見、予防、治療」「美容」というところでしょうか。見出しを見ていると、どれも身体によさそう(^_^)。でも、長く続けることが大前提なんでしょうね。
 「本物は続く。続ければ本物になる。」これって誰が言ったのかな?忘れてしまいました。m(_ _)m

2004年12月15日(水)
高志会合宿    入佛式 寺泊町敦ヶ曽根
 昨日からの合宿の勉強会もお昼には終わり、今日の天気と同じでスッキリ爽やかな気分の午後でした。家の中より屋外の方が暖かいなんて、12月の日差しはこんなに暖かだったんですね。
 「準備万端整えていたのに、その準備が何の役もたたない」ということはガッカリしますが、冬囲いだけは別。せっかくの努力が徒労に帰してもニコニコ顔でいられます。雪が無くて困る地域もあるでしょうが、下越地区は雪が降らないに越したことはない様です。でも・・・・・そんな訳にはいかないでしょうね。
 ところで、準備万端整えていたのに、その準備が何の役もたたない」ことはあるのでしょうか?
2004年12月13日(月)

 明日は、高志会(勉強会)の合宿です。レポートを出さなくてはならないので、今日は午後からの予定は入れず「勉強三昧」のつもりだったのですが、いくつかの所用で午後は「勉強散迷」になってしまいました。夜は夜で、近所のお宅のお通夜でした。 
 「予定は未定であって決定ではない」 ということは、十分学習している言葉のはずなのですが、学習効果が全く出て出てきていません。我ながら困ったものです。
 という、言い訳はこのくらいにして、これから勉強します。みなさんは おやすみなさい。

2004年12月12日(日)
中陰法要 和島村   時斎 分水
 高2の長女が沖縄への修学旅行から帰ってきました。沖縄旅行の前日、学校でそれとなく旅行業者から渡されたという沖縄お土産のパンフレット。申込書まで付いていて、旅行前にお土産を決めていけるというアイデア。脱帽ものですね。
 旅行中の長女から珍しく携帯のメールが届きました。「元気だよ。楽しいよ。(^-^)v」というメールかと思いましたが「お土産は着払いで届きます(^^ゞ」とのことでした。さすが現代っ子!送料は親にということでしょうか?少ないお小遣いを有効に使う方法ですね。 数日後、お土産が届きました。当然、着払いでしたが・・・・なんと・・・お土産代金+送料の着払いでした。(ё_ё)  代金引き換えという言葉を知らなかったようです。(^_^;   それとも、確信犯でしょうか? それにしても旅行用のお小遣いはどこへ行ったのでしょう?気になりますが、未だに聞けません。
 追記 本日、本人がお金を払ったお土産が別口で届いたそうです。よかった よかった ??
2004年12月11日(土)
寺院子弟研修会
 今日は「寺院子弟研修会」 「寺の子どもたちが集まっての研修会」ということです。研修会ですから、お勤め(お経)・法話・等あります。研修が終わった後はボーリング大会に懇親会で親子で盛り上がっていました。ボーリングはなんと・・・33年ぶりでした。ボーリングの結果は・・・33年ぶりですのでお察し下さい。(;^_^
 今は、少し腰が重くなっている感じがするのですが、明日の朝はどんなになっているか・・大いに心配しています。(*^_^*)
 気持ちとは別に、段々と無理が出来ない年齢になっていることを、身体が教えてくれます。自分の思いを身体に相談することも必要な年代なんですね。何に付けても、相談相手が増えたということは有り難いことです。
 
2004年12月10日(金)
新潟教区臨時総会

 ここ数年、雪で田んぼが覆われるまで、刈り残しのモミを食べに来るのか、白鳥が近所に来ています。白鳥もあまりの陽気に「のんびりムード」?と思ってしまうのは、見ている私が「のんびりムード」ということなんでしょう。白鳥にしてみれば食べるために一生懸命なのかも知れません。
 人間も一生懸命生きています。でも、ただ「食べるため」という訳ではない様です。
 
「何のために一生懸命生きているの?」 人間の場合は少し状況が複雑な様です。

2004年12月9日(木)
真宗教団連合結成式
 本堂の冬囲いも終わりました。大勢の大工さんの息の合った手慣れた作業でしたので、午前中にはほぼ終えていただきました。息が合って手慣れているといっても、高いところでは、声を掛け合っての作業です。「ホイ・ホイ」という声が聞こえてきました。
 「地獄は言葉の通じない世界。極楽は言葉のいらない世界。娑婆(しゃば)は言葉の通じる世界」と譬えられています。娑婆が言葉の通じる世界ということは、言い変えると「言葉を必要とする世界」ということです。この娑婆世界、やっぱり「聞き、語る」ということは大切です。
2004年12月8日(水)
 玄関に丸まった筒が置いてありました。カレンダーが届けられる時季です。正月には仲間がいて、厚かったカレンダーも次々に役目を終えた一枚一枚を見送って、最後の一枚になっています。風でまくられる様子も寂しそうです。 この際、来年のカレンダーも一緒に重ねたら便利かとも思いますが、そんな吊し方を見たことが無いですね。
 吊し方といえば、茶の間に同じようなカレンダーを5枚も6枚も吊してあるお宅があります。「これみんな必要なんですか?」とお聞きしたことがありました。答えは「仕事でいろいろな付き合いがあるもんで(^^; .... 」とのことでした。 なるほど、取引先に電話するとき便利だからですね。 という訳はないか?(^O^)
 カレンダーを吊す場所にも気を使っておられるようです。 ちなみに我が家では、毎年、同じ場所に、同じ店のカレンダーを吊しています。 先代住職が決めたことですので、理由は不明。 いたって、事務的な作業ですので、別段これといった意図はありません。 あしからず。\(^O^)/
2004年12月7日(火)
大蓮寺聞法会

 本年度最後の聞法会でした。講師の花井先生、ご参詣の皆さんお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。最近は部屋にいて、大抵の事が間に合います。見たい映画ははTV・知りたいことはパソコン・勉強は本・連絡はメールという具合です。年中無休、予定はたたない私にとって時間に縛られず夜中でも対応できるのは大いに助かります。
 でも、その反面、足を運ぶということが少なくなっています。億劫(おっくう)になっているといった方が正確かもしれません。日程を調整し、足を運び、その場に身を置くということは大切なことなんでしょう。
 雨の日も、風の日も、畑仕事に疲れた日も、毎月足を運ばれている皆さんには、唯ただ頭が下がります。

2004年12月6日(月)

 回檀も終わり法務も一段落。まだ、薬は数日分あるのですが、思い立って掛かり付けのお医者さんに行ってきました。薬といっても中年おじさんにありがちな、コレ***−ルの薬です。年相応ということでしょうか?
 診察の結果ということで、早速、日にちは未定ですが忘年会の約束をしてきました。 誰と? 勿論、お医者さんと忘年会の約束をしてきたのです。 実は、掛かり付けのお医者さんは同級生。実家に近いこともあり、待合い室で懐かしい人に会うこともあります。一番いいことは診察の時に気を使わなくてもいい事でしょうか?
  この忘年会はお医者さん付きですねで少しくらいの暴飲暴食も大丈夫。居合わせたお客さんも安心です。急病の時にはお医者さんもいるし、坊さんも・・・・・・・・(^_^;   それにしても、お医者さんと坊さんの二人だけの忘年会。ちょっと組み合わせが変でしょうかね?

2004年12月5日(日)
法事 燕市    中陰法要 分水町
 暖かかったのはよかったのですが、台風並みの暴風です。二階の私の部屋は時々の突風でグラグラ揺れています。地震以来、部屋の揺れが大きくなった様な気がして、二階が抜けるのではないかと心配になっています。・・・・・でも、きっと、揺れに敏感になっているのでしょう。
 今まで、気にしていなかったことが、ある切っ掛けで気になるということがあります。今日の法要で隣に座られた方が、「姉を亡くしてから、暴飲・暴食に気をつけるようになりました。。姉が叱ってくれてるようで。でも、最初の30分だけだけどね。」と笑って言っておられました。 亡くなられたお姉さんも心配されています。 お大事に!
2004年12月4日(土)
法事 吉田町米納津    法事 分水町新堀
 「中島地区も大渋滞」 寺の裏通りが大渋滞と思ったらみんな駐車の車でした。今日は近所のあおい保育園の発表会です。発表園児の大応援団の自動車でした。きっと、「アルビレックスVsジーコ・ドリームチーム」に負けない応援が繰り広げられたことと思います。
 今日のチャリティーマッチにあたって「楽しむことと、手を抜くことは別」は反町監督のコメント。
    
 きっと、今日の保育園・サッカーの応援は「楽しいことは手を抜かない」だったんでしょうね。お疲れ様でした。(^〇^)
2004年12月3日(金)
回檀 分水町新堀地区
 朝、寒いと思ったら霜が降りていました。初霜でしょうか? でも、朝の寒さと引き替えに暖かな一日でした。畑仕事に精を出す人も多かったようです。これから冬に備えて、雪国新潟にとって好天の日は貴重な一日です。
 こんな天気の日になると気になるのが車の汚れ。最後に車を洗ったのは???。10月だったかな?ウインドーガラスまでドロドロになっていて「ガラスがココにあるぞ!」という感じになっています。
 ガラスで一番大切なことはガラス自身の存在を隠すことにあります。自分自身を見せないことが仕事です。ちょっと変な仕事ですが、そんな仕事をなさっておられる方も多いはずです。  お陰様です。 ありがとうございます。
2004年12月2日(木)
葬儀 分水町

 アメリカの教師ロン・クラーク氏の著作 「あたりまえだけど、とても大切なこと 子どものためのルールブックが日米で話題になっています。 人間の生き方・他者との関わり方・人生の楽しみ方などの内容で、具体的には「大人の質問には礼儀正しく答えよう・人の意見や考え方を尊重しよう・口をふさいで咳やくしゃみをしよう」等の文字通り誰もが知っている当たり前のことが書いてある本です。でもそれは、ルールを学ぶということだけでなく、あたりまえのことを学ぶ大切さを教えてくれる本でもあるのです。
 知らない事柄を知ることを学ぶといいます。知っている事柄・あたりまえな事柄を確認することも学ぶというんでしょう。
 「いのちは、あたえられ、生かされている」というあたりまえな事実を学ぶ教えが仏教なのです。

2004年12月1日(水)
 法務で三条市曲渕に行ってきました。曲渕と言えば7.13集中豪雨の決壊した場所です。決壊からやがて5ヶ月になろうとしています。ひと月に一回の往訪ですが、何時行っても工事車両が近辺に数台は止まっています。修繕・改築とハウスクリーニングで住めるようになった家。新築に踏み切った家。急ピッチの復興が進んでいます。
 中越地震の影響で報道される機会が少なくなりましたが、ココにも、真っ正面を向いて歩んでおられる方々がおられました。
2004年11月30日(火)

 先日、地震のお見舞いに伺った方よりお礼状が届きました。
 
「まずは、家族みんなが無事でと思いましたが、時間の経過と共に大切にして来たものが、あっという間に無くなってしまうものだと痛感しております。・・・・被害が大きかったのですが、少しずつ、やれることからと考えています。」
 「時間が解決してくれる」と言われるように悲しみ・痛みは時間の経過と共に癒やされる事もあります。でも、時間の経過と共に大切なものを失った、悲しみ・痛みが新たになってくることもあります。大切なことは、少しずつ、少しずつ、やれるところから、真っ正面を向いて歩むことです。 そんなことを教えてい頂いたお礼状でした。

2004年11月29日(月)
回檀 寺泊町敦ヶ曽根

 そろそろ積雪に備えて秘密兵器の設置が始まりました。雪国の方にはおなじみの赤と黄色のポールです。
 ご存じでない方の為に説明しますと、道路の雪を除雪車で除雪する際の左側の目印になるポールです。冬季以外は白いポールだけなのですが、冬期間は長さが足らないので、目立つ色のポールを付け足します。 こうして、冬を迎える雪国の準備が一つひとつ整っていくのです。
 回檀終了まであと少し。今年は初雪までには終わりそうです。回檀が終わると「平成17年度年回のご案内」の作成準備が始まります。こうして、正月を迎える寺の準備が一つひとつ整っていくのです。

2004年11月28日(日)
回檀 寺泊箕輪地区
 少し前から消雪パイプの点検が始まっています。除雪は雪が山になって残りまが、消雪は雪が消えて無くなります。
 山になった雪の後始末が必要がないので楽チンです。\(^O^)/

 ところで、少し前から、数年分の書類の整理を始めました。雑多に書棚の中に入っていたので、必要な書類が見つからずに困っていたのです。
 まず、本棚の書類を全部出します。次は書類を分類分けしながら、保存する書類を選びます。この、仕分け作業に未だに手こずっています。結局、部屋の中は書類の山・山・山。
 山になった書類の後始末が必要なので大変です。(-_-;)
2004年11月27日(土)

 ちょっと懐かしい「あけび」がお仏壇の上に上がっていました。あけびは、中の半透明の白い部分を食べます。バナナのニオイににていて美味しそうなのですが、黒い種が多くて、あまり美味しかったという記憶はありません。「バナナ」があこがれの高級品だった頃はニオイだけでもご馳走だったのかも知れません。日記用に写真を撮っていたら、「ご院住さま 持って行くかね?」とおばあちゃん。丁重にお断りして帰ってきました。ただ、後で判ったのですが、アケビの皮の油炒めは珍味とのことです。ちょっとしくじったかな?
 名前の由来は、果実が熟すと実がさけるので、「開け実(アケミ)」から転訛(てんか)して、アケビの名になったという説があるんだそうです。なるほど。(^_^)! 

2004年11月26日(金)

 天気予報通り強い雨風になってきました。地震の影響で本堂に雨漏りが・・・・。と心配したのですが、今のところ雨漏りは確認できませんでした。ホッとしています。
 きょうは、午後からのんびり出来ました。
日中にこんな時間を過ごすのは久しぶりです。いいお天気でしたので、あれも、これもと考えていたのですが、結局ボッとして過ごしてしまいまとまったことは出来ませんでした。 日中はボッ(-.-)y-~~~。 夜はホッ(^.^;。 締めくくりはお酒でポッヽ(=^-^=)ノといきたいところですが、慣れないお酒は止めておきます。

2004年11月25日(木)
回檀 燕市道金地区   吉田町田中新田地区
 久しぶりに日没の様子を見ることが出来ました。今日は比較的暖かい一日でしたが、お日様が地平線に帰る頃には冷たい風に変わってくるので、数分間、車外にいただけで体が冷えてきます。
 あと、30分位経てば冷えた身体を暖める為に家路を急ぐ自動車の往来が増えてくるはずです。 でも、冷えた身体を温める家路を急ぐ事の出来ない人も沢山おられるのでした。
2004年11月24日(水)

 久しぶりに日中の時間が取れたので、遅くなってしまいましたが長岡市と越路町へ地震のお見舞いに行ってきました。お見舞いにうかがったお二人とも「うちは他所から比べれば大した被害はありませんでした」と言っておられましたが、私からすれば、十分被害があったように見えていました。
 長岡市の繁華街から東、山の方へ入ると屋根・道路・山などを覆う応急補修のブルーシートが目立ってきます。あくまで、応急ですので、これ以上余震が起こらないことを願うだけです。
 写真は越路町の紅葉の山に敷かれたブルーシート。

2004年11月23日(火)
回檀 燕市小池地区     時斎 寺泊町
 新潟中越地震から一ヶ月。今だに6800人の方が避難所で不自由な生活をされています。10月23日を境にして仕事がしたくても、仕事をができる環境を無くされた実質的失業者も多くおられるようです。

 今日は「勤労感謝の日」。国民の祝日に関する法律によると、勤労感謝の日は、「勤労を尊び、生産の豊かなことを祝い、国民が互いに感謝しあう日」という趣旨により制定されました。
 近年、雇用不足に伴う失業者が増えています。ご自身、ご家族の健康面の心配による失業者もおられます。いろいろな周りの条件が整わなければ勤労(心身を労して仕事にはげむこと)に従事することはできません。
 「勤労感謝の日」は仕事をすることの出来る全ての環境、全ての人に「働く事が出来る事」感謝する日ではないでしょうか。 少なくとも、勤労することに感謝してもらう日ではないようです。
2004年11月22日(月)
回檀 燕市八王寺地区

 吉田町高木地区の越後線を見かけない列車が走っていました。JRのホームページで調べたところ、中越地震による「新潟〜長野」間の臨時列車でした。新潟を11:00に出発して長野着14:47。 接続の列車に乗り換えて東京着16:36。 なんと!新潟〜東京の所要時間7時間36分。 新幹線の所要時間に慣れてしまった人には海外に行くほどの覚悟がいるようです。
 上越新幹線が開通する前は、夜行列車も運行していた区間です。新幹線の開通で関東方面の出張は日帰りになったとか? 交通機関に象徴される文明の発達は、生活に余裕をもたらしてくれたとは思えないのですが?

2004年11月21日(日)
法事 月潟村     法事 寺泊町敦ヶ曽根
 ムク鳥はご存じですか?スズメより一回り大きくて徒党を組んで飛び回っている鳥です。そのムク鳥の数百数〜千羽(詳細不明)が本堂裏の竹藪を寝床にしてしまいました。このムクドリは寝言が凄く騒音公害となっていました。そこで登場したのが竹藪のヒモ。見えるでしょうか?夕方、このヒモを引っ張ると竹が揺れて、驚いたムク鳥が逃げていくという作戦です。作戦は見事成功して、3〜4日で来なくなりました。\(^O^)/
 ところでムク鳥は、田んぼ・畑にいる「害虫」を食べるということで「益鳥」と呼ばれていました。近年、田んぼ・畑に虫がいなくなり、エサを求めて民家の周りで生活するようになったとのことです。騒音・フン公害などで最近は「害鳥」と呼ばれているようです。
 「益鳥・害鳥」と言ってもすべて、人間の都合で呼んでいるだけなんですね。「眠りを妨げる」ということで追い出してしまいました。ムク鳥の事を少し知っただけで、「してやったり」から「ごめんね」に気持ちが変化しています。人間関係もほんの少し相手を知るだけで優しくなれるのかもしれません。
2004年11月20日(土)
回檀 燕市小中川地区  月潟村
 朝一番 今日も頑張るぞと門徒さんの家の前に車を止めると、車の中のスピーカーからさわやかな女性アナウンサーの声が聞こえてきました。  「週末、一番運勢が悪いのは天秤座のあなた。ラッキーアイテムはミニ双眼鏡」σ(^_^;)?  聞かなきゃよかった!
 「占いは信じない」といっても、朝一番にそんなことを聞かされては(;^_^  「ミニ双眼鏡なんて何に使うんだ? 週末というのは日曜日も入るのか?」と考えてしまいました。当てにならないことは判っていても、何となく気になる。当てにならない事を当てにする。まことに情けないことです。 
 ところで、夕方、中島地区では私の嫌いな寒さの使者「あられ」が降ってきました。ひょっとしたら「悪運勢」はコレかな? \(_ _) 
2004年11月19日(金)
回檀 吉田町佐渡山地区
 写真は報恩講でお手伝いをいただいた中島のお世話方です。もうお二人おられるのですが、地震の被災地へ仕事に行っておられて昨日はお休みでした。
 ご門徒さんの中には地震以来ずっと小千谷へガスの復旧工事に通っておられる方もおられ、「雪と競争だ」と話しておられました。上越新幹線も12月28日に復旧予定とのことです。ライフラインの確保に随い生活復旧に向けた基本的な環境が整いつつあるようです。
 何でも写真館の行事スナップ集に報恩講の写真を追加しました。 
2004年11月17日(水)
報恩講
 「報恩講」は宗祖親鸞聖人のご恩を報ずる法要です。
 「恩・報」は普段の生活ではほとんど使われなくなってしまった漢字です。「損得」「ギブ・アンド・テーク」の自己中心的生活の中からは「感謝・お礼」という言葉は出てきても、決して「恩・報」は出てこない言葉です。でも、目を閉じれば、報じきれないご恩が見えてくるはずです。
 明日の報恩講は、午前八時 梵鍾ゴオーン  十時 読経です お待ちしております。
 写真はお説教をいただいた花井性寛師です。
2004年11月16日(火)
分水町老人クラブ追弔会

 明日から「報恩講」です。今年こそは、時間をかけてゆったりと準備をするつもりでしたが、結局はぎりぎりで、どうにか間に合いました。 ここまで来ると気になるのが明日の天気。やや風がありますがとのことです。でなければOKでしょうね。
 写真は「見真大師傳繪」(親鸞聖人の伝記)。報恩講の二日間だけ掛ける掛け軸です。 よく見えないですか?お参りしてご覧下さい。(*^_^*) 明日は10時からお経が始まります。お待ちしております。

2004年11月15日(月)
葬儀 新潟市
 86才ご婦人の葬儀でした。8年前に亡くなられたご主人同様、生前に医学生の勉強のためになればと献体を希望されていたとのことで大学病院へのお見送りとなりました。ご家族も誰もお伴をしない、ワゴン車一台だけのご出棺でした。 86年間ご苦労された人生でした。そして、まだご苦労が続きます。お骨で帰ってこられるのは、ずっと後になるとのことです。
 自分自身の事で考えると、献体を希望されたご夫婦は勿論、承諾されたご子息にも頭が下がるばかりです。
 元検事総長の伊藤栄樹氏は「人は死ねばゴミになる」という本を出版されています。この本は末期ガンを告知された後の氏の闘病記録です。氏の知名度と本の題名で話題になった本です。伊藤氏の真意は別として、今日のご婦人の場合は「人は死ぬと願いになる」ということでしょう。  見送る私たちに、しっかり「願い」を置いていって下さいました。 ありがとうございます。
2004年11月14日(日)
法事 燕市大野   法 事 弥彦村麓
 「猫は昼寝が仕事」ということもうなずけます。ここまでくると野良猫の美しささへ感じます。風上に背を向けてお腹を冷やさないように身体を丸めます。また、丸めることによって表面積を小さくして体温の放熱を抑えます。しかも驚くべき事に、風の抵抗を少なくするために丸まりながらも身体は平べったくしています。その辺は飼い猫には出来ない離れ業。(下の写真奥 しまちゃんの写真参照)
 賢明な諸氏は、「それだったら風の入らない物陰で寝たらいいのに?」と思うかも知れません。 でも、そこがこの野良猫のプロいところです。車の上は、見晴らしがいいので、敵が来てもすぐに発見できます。しかも、近所の悪ガキが悪戯で石を投げようにも車の上では投げるわけにはいきません。 野良猫にとって車の上が一番安心できる場所の様です。 
2004年11月13日(土)
法事 分水町中島

 急に寒くなってきました。近所の猫はお気に入りのホットカーペットの上でお昼寝です。お腹を温めて気持ちよさそうでした。 
 人にもそれぞれお気に入りの場所があります。例えば・・・お父さんは、晩酌できる食堂の椅子の上。お母さんはドラマが見られるテレビの前。子どもたちは、マンガを読んでいても叱られない自分の部屋・・・・。お気に入りの場所は、リラックスできる場所なんです。 リラックス【relax】はくつろがせる・休ませるという意味です。
 日本語には安心という言葉があります。仏教ではあんじんと読みます リラックスとは意味合いが違うようです。安心の意味を調べてみると、「リラックスできる」ことと「安心できる」ということは別の意味の様です。 地震の事じゃないですよ 

2004年11月12日(金)
高志会(教区有志勉強会)
 あれから3年
 30歳で亡くなられた青年の3年目のご命日でした。お経が終わって振り返ると、ご夫婦でお参りされていたお母さんのお顔は微笑んではおられましたが、目が真っ赤です。
  「まる3年ですね。」   「はい。3年たちました。」 とお母さんの返事。余計な事は言わない方がいいと思ったので、挨拶だけして家を出ました。正確にはご夫婦のお顔を見たら、次の言葉がでなかったのです。帰り際に見たお墓には、新しいお花があがっていました。
 あれから3年 ご夫婦にとって今日は特別の朝だったのです。 あれから4年 あれから5年・・・・  ご夫婦にとって毎年続くいのちの日なのです。
2004年11月11日(木)
回檀 燕市大野地区
 今日、回檀にうかがった燕市は、地震の被害はほとんどなかったようですが、余震の度に揺れることは変わらないようです。「今日は、まら来ねね 地震」(今日はまだ地震が来ないね) 御邪魔した途端にこんな挨拶をいただきました。地震を待っているわけではないのですが、一日中気になっている様子です。 次のお宅では、テーブルを囲んで数人で話しをしているとお一人が・・・「お!」 全員で蛍光灯のヒモを見上げてしまい思わず苦笑いでした。
 一年に一回の回檀なので、いろいろなお話しをうかがいたいのですが、今年は地震の話題ばかりです。

 回檀も報恩講の準備のため一週間ほどお休みですが、明日は回檀中に行けなかった月読経をまとめて行く予定にしています。明晩は勉強会、13日の日中は法事が入っていますので、準備が始められるのは、13日の夕方からのようです。もう少し忙しい毎日が続きそうです。
2004年11月10日(水)
回檀 燕市三王渕地区   初七日 寺泊町   新潟教区教研部会議 燕市 緑芳寺さま
 相変わらず余震が続いています。余震の度に今まで無かった壁のヒビが増えています。今日来られた左官さんも本堂外側の大きな白壁の滑落は治して行かれましたが、「これからどうなるか判らないので後は来春に治しましょう」ということでした。報恩講も近いので,本来は治しておくべきなのですが、今の状況では適切は判断なんでしょう。
 辞書によると余震とは「大地震のあとしばらくの間、引き続いて起こる小地震」とあります。あくまで比較の問題ですが、とっても小地震とは思えない余震です。まだまだ油断出来ません。
2004年11月9日(火)
回檀 西川町    聞法会
 雪に備えて庭の冬囲いの設置が始まっていました。「もう?」と思っても見ましたが、もうすぐ11月中旬。暖かい日が続いたと言っても、寒い冬が駆け足でやって来るシーズンになっているのです。
 地震の被災地では、徐々に避難勧告が解除されてきました。ホッとしたのもつかの間、壊れた自宅を前に「どうやって冬を越せばいいのか?」と生活の不安を訴えておられる様子が報道されていました。被災された方々にとって、いつもの年より長く厳しい冬が始まろうとしています。
2004年11月8日(月)
回檀 分水町砂子塚地区

 今日、伺ったお宅の茶の間にあった「お茶とおかし」。地震の備えでしょうか?
 新潟県中越地震から半月。今だに大きな余震が続いています。自動車が通り過ぎる振動、風の音、日頃気にしていなかったことまでも「また地震か?」と勘違いしてしまいます。地震でなくても身体が揺れているようで、「もういい加減にしてくれ」
、かなり神経質になっておられるようです。 
 今年は「自然は大きなホスピタル(病院)というテレビCMが素直にうなずけなくなっています。

2004年11月7日(日)
葬儀 寺泊町   法事 分水町中島    内佛法要 分水町地蔵堂 
 時計を見ながら走り回る忙しい一日が終わりました。しかも、夜の内職仕事だった「報恩講の案内」も発送準備OK。 
 連日の忙しさに50歳の身体に少し疲れが出ているようです。そこで、今夜だけは「何もしないぞ」と決めて始めたのが「水槽掃除」。(^_^;
 しばらく掃除も出来なっかったので苔がガラスの半分位を覆っていました。スッキリしたガラスにさぞやご満悦の「タロウとハナコ」(魚の名前ですが雌雄は不明)と想像していたのですが、やたらと器具の裏に隠れようとします。 見る私にとっては「スッキリ」でも、見られる魚にとっては、「いらぬお世話」だったようです。 
2004年11月6日(土)
法事 吉田町高木    御講 中島下村地区

  1日に発行されたばかりの新札が早くも流通しています。慣れてしまえばどうということもないのですが、新札が発行されるたびに「オモチャみたいだ」という声も聞かれます。
 ある先生にたずねたことがあります。
    「お経の中にお金のことについて書いてある箇所がありますか?」
 先生言わく
  「金庫の中にお金が沢山あっても死ぬことがあります。」
 と書いてあるとのことでした。 当たり前のことなのですが・・・大切なことを忘れている、私たちの日頃の生活を言い当てている言葉です。

2004年11月5日(金)
回檀 溝 佐善地区        六方会(勉強会)

 今日は午後から新潟市内で勉強会。田舎道に慣れてしまい、新潟市内の片側3車線の道は億劫になってしまいました。これから出かけるのですが少しドキドキものです。
 分水町では相変わらず下水道工事の片側通行が随所で見受けられます。今日みたいな暖かな日はいいでしょうが、雪が降ってくると大変なのは立ちずくめの交通整理。しかも、一日中、挨拶のしっぱなし。挨拶をした人の顔を覚えているのでしょうか?私は一日に何回も同じ道を通ることもあるので、少し気が引けます。「また、来た」なんて思われてたりして (;^_^ 

2004年11月4日(木)
回檀 分水町 五千石地区    初七日法要 和島村

 午前十時前の大きな余震の時は回檀のお勤めの最中でした。23日の地震以来こういうことあろうかと「地震マニュアル」を考えていました。マニュアルと言っても「すぐにロウソクの火を消す」ということだけです。
 今日の場合は、お経を読みながら、「火を消そうか? 避難すべきか?」と迷っているうちの余震が終わってしまいました。今考えると、やっぱりすぐに火を消すべきでした。
 とっさの時に「何をすべきか」ということで作ったマニュアルも全く意味をなしませんでした。自分では冷静に対処したつもりなんですが、 激しい余震の最中に、お経を読む僧侶。その後ろでお参りする家人。 とても、冷静な状態とは言えないようです。

2004年11月3日(水)
法事 分水町中島  回檀 巻地区

  コスモスの花も終わりに時季を迎えています。風にコスモスがゆれていました。
 寺の近くの広域農道に空き缶等のゴミが捨てられると言うことで10年程前に道の両脇にコスモスを植えられたことがありました。近所の人は勝手に「コスモス街道」と呼んでいたのですが、その後はほとんど手入れもされていなかったため、今は無くなってしまいました。コスモスが咲いていた頃は、ゴミの投棄も少なくなったということでした。 やっぱり花は人の心を優しくするのでしょうね。

 私事ですが、私の誕生花は「コスモス」なんだそうです。誰が決めたんでしょう。そして花言葉は「乙女の心 -Girl's mind-」だそうです。(ё_ё)  本当に誰が決めたんでしょうね。(*^_^*) 思わず苦笑いをしてしまいました。

2004年11月2日(火)

  プロ野球の新球団は楽天に決定しました。ライブドアの「落ちちゃいました」会見で少しガッカリ。楽天が落ちた場合は「楽天は落選」というおやじギャグを用意していたのに・・・・これも落選しました。
 新球団は「東北楽天ゴールデンイーグルス」に決定したとのことです。こうなると、プロ野球新球団が新潟に誕生するのも実現性が高くなって来たと勝手に想像してしまいます。なんといっても球団名が決まっているというのは強みですね。
 ところで、最近元気がいいのはIT関連企業です。IT(Information Technology)。情報工学とでも訳すのでしょうか?ちょっと前までは、企業のトップは少しでも多くの情報を得る為に必死でした。
 最近ではパソコン一台で山のような情報を得ることが出来ます。そこで有用な情報を山の中から選び出す能力とセンスが今、企業のトップに要求されます。
 私たちの身の回りにある大切なものの中で、本当に大切なものは何か?
 基本的に、企業も個人も自社、自分を知らなければ選び出すことは出来ないのです。

2004年11月1日(月)
葬儀 和島村
月読経にうかがうと、入園前の女の子の怒った鳴き声が家中に響いていました。原因はわかりませんが、妹さんとケンカして何かを壊してしまい、お父さんに叱られたようです。「のの様(仏様)ごめんなさいって言おうね」お父さんの優しい声が聞こえてきました。
 子どもの頃に叱られた場所は本堂、のの様の前です。
  「のの様ごめんなさい」
 大人になっても、仏様の願いに答えられない私は、今でもやっぱり
  
「のの様ごめんなさい」