平成15年(2003) 9月 10月
10月31日
 
明日から11月です。時候の挨拶も「秋冷の候」から「向寒の候」に変わります。沖縄の人達も時候の挨拶は「向寒の候」を使うのでしょうか?関東も新潟も「向寒の候」を使っています。それぞれの地方により「寒さ」に対する感じ方が違うからそれでいいのでしょうね。
 人の幸・不幸も同じ事。それぞれみんな感じ方が違います。ただ、それをきちっと受け止めればいいのです。
 明日から、朝のお勤めも6時30分からになります。ご近所の皆さん。本堂の鐘(喚鐘)が遅いのは朝寝坊したからではありません。念のため
(^_^)v

10月30日 回檀 吉田町 高木地区
 
吉田町 高木地区の回檀が終わりました。毎年のことですが、高木の回檀が終わると「報恩講の案内」の発送準備が始まります。11月に入るとあっという間に「報恩講」なんです。報恩講等に使う大根も100本漬け終わりました。・・・もう100本漬けるんだそうです・・・ とにかく報恩講、回檀が終わる12月上旬まで一頑張りです。
 
追記
 昨日は風邪気味だったのですが、一晩寝たら、治ってしまいました。十分な睡眠が良かったのか、まだ若いのか・・・両方ということにしておきます。\(^O^)/

10月29日
 
外は強い風模様・私は弱い風邪模様。燕市であった勉強会を休んでしまいました。
 風・風邪・雨の事を考えると明日の回檀も少し心配。明日の天気は「曇りのち晴れ」温度は「最高17度」風は「やや強い」・・・まぁまぁな天気です(^_^;。
 問題は「風邪」です(-_-;)。 と心配しているより、早く寝た方がいいみたいです。お酒が飲めれば、卵酒を呑んで「一気」に寝てしまうんですけどね。とりあえず。 おやすみなさい。

10月28日  回檀 吉田町 高木地区
 まだ、10月です。日差しのはいる玄関先はポッカ・ポカ。「わんこ」というには余りに大きすぎる「わんこ」と、日差しに誘われて家の奥から出てきた「ニャンコ」が仲良くお昼寝です。「わんことニャンコ」は昼寝もお仕事。
 その昼寝を邪魔した私はにらまれてしまいました。 「仕事の邪魔をするな」と言わんばかりです。
 そうです。どんな仕事も大変なんですよね。なんといっても、朝の9時頃から昼寝なんですから・・・。ご苦労様です。(^_^)/ 

10月27日
 思いっきりいい天気でした。紅葉のニュースも聞かれ、弥彦の「もみじ谷」の紅葉も始まっているのでしょう。
 「もみじ谷」??私の記憶の中のもみじ谷は、保育所の時の写真の記憶だけです。小学校の時の遠足にも行ったはずなのですが、全く記憶がありません。今年は「スポーツの秋」は取り止め「もみじ狩りの秋」にしようかな?
 「スポーツの秋」から一歩後退です。 
 写真は、保育所の時の写真です。年代を感じるさせる白黒写真です。でも、もっと年代を感じさせられたのが「老眼鏡」がないと顔が見えなくなってしまっていたことです (*^_^*)

10月26日  法事 吉田町 高木  ・中陰法要 寺泊町 鰐口
 
土曜、日曜の法事も終わり、少しホッとしています。少しホッとすると、疲れはドッと出てきます。「心身一如」「心身一体」の言葉が体感できました。気持ちのゆるみは、体のゆるみとして出てきます。でも、体のゆるみ?は気持ちのゆるみになるのでしょうか?
 そういえば、最近は運動らしい運動はしていませんね。少し遅い「スポーツの秋」でも考えないといけないかな?
 
10月25日  法事 分水町 真木山  ・  法事 寺泊町 敦ヶ曽根
 
びっくり! 人と人とのつながりは不思議なものです。法事宅のご主人の実家は新発田市で、姉の嫁ぎ先の近所。奥さんは、学校の先生だった頃、実家の次女の担任ということでした。何気なくすれ違っている人も、きっとどこかでつながっているのかもしれません。偶然と思っている出遇いも、本当は単なる偶然ではないのかもしれません。「いのちといのち」の出遇いには偶然というつながりは、無いのです。
 

10月24日  回檀 分水町 五千石地区  新潟教区組内会議
 近所のニャンコが我が家にプチ家出。ご主人が孫ばかりかまっているので、ちょっとすねての行動です。お迎えをもらって喜んで帰っていきました。
 プチ家出は、家から何とか連絡が付く、探せば所在が判るのような家出を言うのだそうです。不思議な家出です。 
 携帯が普及してきたので、プチ家出も楽?になりました。一人で居たいたいけれど、みんなとのつながりも持っていたい。寂しがり屋で、わがままな人にピッタリの家出です。

10月23日 回檀 分水町 大川津地区  高志会(勉強会)
 
世を挙げて「マイナスイオン」ブーム。電気店に行くと、マイナスイオンという文字だらけです。マイナスイオンの出るパソコンまでが発売されています。
 そして、ついに出ました!「マイナスイオン」のローソク?薄水色の箱には「植物性原料・環境にやさしい・新素材・・」購買者の心をくすぐる文字が並んでいます。極めつけは
「マイナスイオン」と大きく書かれた「シール」。???何でシールなのでしょう???きっと、後で思いついたんでしょうね。
 ところで、「マイナスイオン」って何?本当に健康にいいのでしょうか?
 「マイナスイオン」は昔から言われていたようですが、結局は「よう わからん」ということらしいです。ただ、「体にいいかもしれない」という精神的効果は期待できるそうです。(;^_^A
 
10月22日  回檀 分水町 大川津地区
 秋の夕暮れは、夏と違い、もの悲しい雰囲気がします。裏のケヤキの葉も散り始め、イチョウも場所によっては色づいてきました。みんな、みんな冬を迎える準備が始まりました。
 私はというと・・・。未だに夏の後始末、秋の計画に追われています。毎年のことですが、秋の「もの悲しさ」を楽しむという訳にはいかないようです。
 写真は、団参に行った時に撮影した「琵琶湖の夜明け」

10月21日  回檀 分水町 野中才地区
 
「いくら話してもわかってもらえない」「想いがどうしても伝わらない」
誰もが味わう苛立ち、不快感。それを解くキーワードは「バカの壁」だった!
「"話せばわかる"なんて大嘘だ」と思ったことは誰にでもあるはず。「バカの壁」こそが、コミュニケーションの断絶を解くキーワードだ。・・・

 「バカの壁」(養老孟司著)という本の紹介文です。固定観念(バカの壁)によって人がどれだけ視野が狭くなっているかを、指摘しています。最近は老いも若きも、保育所の幼児までコミュニケーションがとれなくて悩んでします。だから「バカの壁」という本がベストセラーになるんですね。
 固定概念ということで言えば「自分の想いが伝わる」と「コミュニケーションが取れている」と思ってしまいます。でも、可動式の「自我の壁」を相手に押しつけて納得させても「コミュニケーションが取れている」とは言いません。一方通行のコミュニケーション?です。
 

10月20日  葬儀 寺泊 長善寺前坊守様   とびら編集会議
 実は、18日19日と続けて事故直後の所を通りかかったのです。「二度あることは三度ある」という格言があるので「もしや?」とは思っていたのですが、まさか自分の番だとは思いませんでした。相手の飛び出しによる接触でした。人身事故にならなっかったので一安心でしたが、愛車の姿を見ると悲しくなってきます。
 でも、もっと悲しいのは、「今日の日記のネタが出来た」と少しニヤリ(^_^)としてしまったことです。(-_-;)
 みなさん。くれぐれも交通安全を心がけましょう。

10月19日 中陰 東京 赤羽  法事 分水町 中島
 
納骨を兼ねた中陰法要でしたので本堂でのお勤めでした。中島の法事も納骨が有ったので、2件の納骨を勤めさせてもらったということです。「人は死んだら骨になる」・・・そして「人は死んだら願いになる」。ただ、その骨にまでなった願いを聞くかどうかは残された家族の問題です。
 ????今日は少し疲れているみたいです。前略・中略・後略のお話しでした。

10月18日
分水町の地蔵堂地区は下水道工事で、いたる所「通り抜けできません」の看板だらけです。車を止める場所を探すのに一苦労ということもあります。徒歩・自転車よりも快適で便利な自動車も駐車スペースがないと厄介物になってしまいます。
 私たちが快適で便利な生活を送ろうとすると、その代償として厄介物も出てきます。身近なところではゴミ、大きいものでは原子力発電関連・・・・。無条件で快適・便利とはいかないようです。

10月17日   法事 分水町 新堀
 団参で行った滋賀県甲良町 西明寺は特に印象に残りました。とにかく境内・庭の掃除が行き届いていました。木下の苔の上に葉っぱ一枚落ちていません。観光寺院?ということを差し引いても「見事」としか言いようがありませんでした。そんな西明寺の庭に、春・秋・冬に開花する樹齢250年といわれる「不断桜」があります。珍しいということで県の天然記念物に指定されているそうです。写真上は11月の写真ですが、今回行った時も咲いていました。
 我が家の裏庭にも春・夏・秋に開花する「不断ツツジ?」があります。珍しいかどうかは判りませんが、もしも珍しかったら、天然記念物になるかも・・・・・。もっと、手入れをしないといかんかな?
 私たちは、滅多に無いもの(珍しいもの)は、大切に、大切に扱います。一生懸命手入れをします。貴重なもの・尊いものとします。でも、あっちこっちに有っても、貴重なもの・尊いものもあるんです。それは、私たち一人ひとりの「いのち」です。国宝よりも「貴重で尊いいのち」なんです。当たり前の事ですが、うっかりすると、忘れてしまうのです。 

10月16日    回檀 寺泊地区
御伽草子の版木見つかる  佛光寺 現存最古で貴重な資料  
 
 江戸時代前期に作られた仮名草子や御伽(おとぎ)草子の版木計41枚が、真宗佛光寺派本山の佛光寺(京都市下京区)で見つかり、11日、同寺が発表した。仮名草子や御伽草子の版木としては現存最古で、江戸時代の出版の在り方を知るうえで貴重な資料という。  同寺には版木が受け継がれており、昨年6月から整理を進めている。今回の版木はその中から同年11月に見つかった。仮名草子の仏教説話集「因果物語」は全6巻(202ページ)分の版木27枚がそろっていたほか、釈迦(しゃか)の生涯を描いた「釈迦八相物語」も版木65枚のうち10枚があった。御伽草子は、釈迦の伝記を記した「釈迦の本地」と「宝満長者」で、一部の版木があった。 整理を終えた約1400枚の残りは仏教関係の講義録などだった。保管場所の大師堂回廊の床下などには、まだ整理していない版木が2100枚ほど残っているという。 近世の出版に詳しい永井一彰・奈良大教授(近世国文学)によると、古い版木は表面を削って再利用されたり、燃料にされるため、ほとんど残らないという。


 
昨日、近所のお母さんにテレビで報道してたと教えてもらったニュースです。8日に本山に行った時、積み上がられた木片は見かけたのですが・・・・知りませんでした(・・;)
 
気が付かなかった私が悪いのか、教えてくれなかった本山の・・・・。でも、母は「そうだよ」と知っていました。(-_-;) まだまだ、好奇心が不足しているようです。
 気付いていれば、日記の話題になったはずなのに・・・。という日記の話題でした。
(^^; ....

10月15日
 朝早く「新潟バイパス」を通りました。「新潟バイパス」「新新バイパス」「新潟西バイパス」は、合計約36kmも信号のない道路なんだそうです。日中でもペースの速い道路ですが、早朝ということで、高速道路でもスピード違反になるようなハイペースです。
 新潟国土事務所のHPによると・・・「日本一の交通量でも、信号による停止・渋滞がないので、スムーズな交通が確保されている。結果、二酸化炭素の排出量が抑制され、環境にやさしい」(要約しました)のだそうです。
 もし、みんなが法定速度を守っていたら・・・・?スムーズな交通が確保されるのでしょうか?そんなことを考えてしまいました。
 私たちが何気なく生活をしているということも、新潟バイパスみたいな状況にあるのかもしれません。

10月13日 法事 吉田町 溝
 今日の法事は、父親の50回忌・母親の7回忌の法要でした。親の50回忌は、早くに親に別れなければ勤めることが出来ない法要です。父の面影・母の苦労・自分の人生・・・。様々な想いが交差する大切な法要だったと思います。
 私はというと、三連休中は時間に追われながらの法要ということで、「みのせがねぇ」ことで申し訳ございませんでした。
 団参の写真が出来てきました。公開はもう少し後になります。写真は本廟の本堂前。

10月12日  法事 分水町 五千石 ・ 法事 分水町 砂子塚
 秋の収穫シーズンに入り、銘柄米の盗難が相次いでいます。滋賀県ではコンバインを使用して刈り取っていくという「コメ泥棒」出現のニュースまでありました。「犯人は、育てるという苦労を知っている同業者なのか?」と、農家の人達もがっくりです。
 単に、銘柄米の値段が高いというだけの原因ではないようです。現代は「泥棒」をも流行としてしまうのでしょうか ┗(-_-;)┛

10月11日  法事 燕市 中央通り ・ 法事 分水町砂子塚
 社会復帰一日目が終了しました。想像通り長〜い一日でした (-_-;) 子どもの頃、月曜日の学校が長〜く感じたことを思い出します。
 子どもと言えば・・・本山で長男と会ってきました。休みで帰っている時の印象と違うのでびっくり! みょーに親の方が照れたりして(^^ゞ
 少しずつ成長してくれているようです。卒業まで2年半?。いろいろな人と出合い、そして学費の半分くらいはせめて勉強してきてください。 
バカ親
 親ばか日記でした。

10月10日

 本山の団体参拝から帰ってきました。やっぱり本山の重みは違います。おいおいと、団参の様子を報告させていただきます。3日間は天候にも恵まれ、参加者の病気・怪我もなくホッとしているところです。
 ところが、帰ったばかりの明日からは、連休ということで法要が続きます。3日間も法務を休む(団参も法務なのですが)ということはほとんどないので、社会復帰出来るかどうか心配です。

10月7日  御講 吉田町 高木地区
 御講で「倶会一処(くえいっしょ)(共に一所に会する)について話させてもらいました。数人集まった子どもたちがそれぞれのポケットゲームをしている様子は、共に一所にいても会っているということにはなっていないようです。 千葉市の少女殺害事件の容疑者は、墓地駐車場などに集まる遊び仲間だそうです。
 共に一つ所にいたのに本当の意味で出会っていなかったんです。集まった皆が自然と「頭が下がる」ところに出会うということがあるのでないでしょうか。御講の大切な意味なんです。
 明日は、皆さんと本山に行って「倶会一処」してきます。日記は2〜3日お休みです。

10月6日
 いよいよ、本山の団体参拝が近くなり、昨日から「団参のしおり」を作り始めました。インターネットがつながっていない時は、「資料集め・打ち込み・・・・」と、半月ほどかかっていましたが、今は3日ほどで完成です。便利になりました。
 今年で5年連続の団参ですが、「本山に行かなければ団参にならない」との近隣寺院の声に負けて?本山に宿泊することになりました。本山宿泊ということで私自身は少し気合いが入っているのですが、参加者が平年と比べると少ないのです(;^_^A
 
 今夜中にしおりを完成させるつもりです。何時頃終わるのかな? みなさん、おやすみなさい。


10月5日  法事 分水町中島  法事卒寿祝い 弥彦村
 卒寿のお祝いがありました。御達者というには余りに、頭も体もお元気です。「長生きする人は、ちっとも、じっとしていない」と本人の談。
 私も子どもの頃から「ちっとも、じっとしていない」言われて育ちました。ということは、私も長生きかな?(^-^)v 
 でも、「落ち着きがない」とも言われていました(^^; ... 同じ「じっとしていない」でも意味が違うようです。

10月4日  回檀 分水町 牧ヶ花地区
 
朝早く御邪魔したお宅では、ちょうど奥さんが御仏器を仏様にあげておられました。
     
「土曜だけど、今日は仕事ですね?」
     
「はい。宝くじでも当たれば家に居られるんだけど・・・(*^_^*)。」
     
「おれだったら、宝くじが当たったら家にいないな・・・\(^O^)/ 。」
     
「・・・・・・・・ (・・;) 」
   朝も早くから、つまらないことを言ってしまいました(-_-;)。ごめんなさい。

10月3日  大蓮寺聞法会
 昨日は学生時代の友人とゆっくり呑んできました。沢山たくさん話してきました。学生時代の友人との話は、ただ懐かしいというのではありません。「今」という時間を通すことによって、「懐かしい」という事柄の内容のとらえかたが変わってくるのです。
 
今日は、昨年死んだうさぎ、「ミミ」の一周忌です。また、悲しむのでないかと、娘二人にそのことを話そうか、どうしようかと
10日ほど迷っていましたが、二人ともチャント覚えていてくれました。一緒に遊んだという思い出は、悲しみになります。でも、その悲しみを通して一緒に遊べたという喜びに気付いてくれたらと思います。
 写真は、去年の夏にミミと夕方海岸へ遊びに行った時の写真です。さすが、ウサギだけあって、夕日・海よりも反対側の山の方が気になっているようでした。

10月2日
 秋の天気にしても凄すぎます。土砂降りに、ポカポカ陽気・・・。近所のイチョウの実がだいぶ落ちていました。風はしっかり秋風ですね。秋といえば回檀シーズンということで忙しくなります。今まで以上に月読経に行けなくなりそうです(言い訳ですが)。ごめんなさいm(_ _)m
 
ところで、今晩はお出かけです。お出かけの目的は明日の日記に・・・f(^_^)
 
行ってきます \(^O^)/

10月1日
 
いよいよ10月です。HPの表紙も衣替えをしてみました。今回も色を変えただけでした。人間の衣替えも、外見が変わっても中身が変わりませんよね(^_^;
 早いもので大蓮寺のホームページを立ち上げてから丸一年です。「見てますよ」という励ましの声と、カウンターの数字に助けられて何とか一年を迎えることが出来ました。ありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します(^_-)〜☆

9月30日  新潟教区 総会
 秋晴れの一日。天気がいいので近所の法務は徒歩で行ってきました。途中、キンモクセイの香りに出遇い、立ち止まって深呼吸。香りをお届けできないのが残念です。あらためて、周りを見渡すと柿も色づいて来ています。やっぱり秋なんですね。
 今日は、宿泊で真宗佛光寺派新潟教区秋季総会(長い名前です(^^; ....)ですのでちょっと早い日記の更新でした。 

9月29日 教区機関誌「とびら」編集会議
 後六つ・・勝つとアルビレックスもJ1昇格だそうです。サポーターもインターネットの掲示板も盛り上がっているようです。今年こそはJ1昇格でしょう
         (/^^)/\(^^\) (ノ^^)ノ
 気になっていることがあります。J1昇格の場合、まさか、万代橋から飛び込む人はいないでしょうね。高さ・水深・季節・・やっぱり止めましょう。でも、万代橋なら・・・・提灯行列が似合うかも。
   ( ^^)/\(^^ )

9月28日  法事 燕市 三王淵
 夕べ、大学時代の友人から新潟出張との連絡がありました。勿論、一緒に呑もうということです。ずっと法務が続いていた為ちょっとお疲れモード(-_-;)でしたが、友人の声を聞いたとたんに20代に戻ってしまい青年モード(^〇^)です。唯、気持ちだけが青年モードでも、体が付いていかないということが気になる昨今です。でも、おじさんモードに成り切れないおじさんも、自分ではすこし気に入ってます
\(^o^)/

 

9月27日  法事 寺泊町 小豆曽根    中陰法要 燕市 道金
 法事になると親族が集まります。兄弟・親・おばさん・おじさん・本家・分家・甥・姪・・・・。近況報告の後は、記念写真ということになりました。
 親族が一同に交いするといえば結婚式、法事、葬式くらいのものです。 だから、準備が大変です。家族の間では、数ヶ月前から、もう法要は始まっているのです。家族が協力しないと出来ないんですね。
 法要を迎えた、若いご主人のすがすがしい顔が印象的でした。ご苦労様でした。

9月26日  回檀 地蔵堂 旭町地区
 今日おじゃましたお宅で方言の話しが出ました。ところで「だりこっぺ」ってどんな漢字???
「だりこっぺ」とは散らかした様、だらしがない様をいう言葉ですが、思いっきり・全く漢字が思いつきません。インターネットで調べてみると、 
 
乱離忽敗(物事が乱れて散り散りになる様子)なんだそうです。 忽は「たちまち。いつのまにか。うっかりしているまに」、という意味。
 また、ちがうHPでは、「だりこっぱい」(漢字に近くなってきています)ともいい「散らかっている状態」で「汚れている」ということと同義語でないそうです。
 真偽は定かではありませんが、一応はそれらしいので
「乱離忽敗」ということで決定
 これで安心して眠れます。しかし、いろいろなHPがありますね。あんまりびっくりして眠れないかも?

 
写真の拡大ファイルを置いておく倉庫が明日9時〜19時までメンテナンスのため休止するそうです。その間拡大写真は見られません。

9月25日   回檀 地蔵堂 大武地区
         上法事 寺泊町
         高志会(勉強会)
 
小雨の中の回檀でした。地蔵堂は、下水工事の真っ最中です。去年は幹線道路だったので、片車線は通れたのですが、今年は小路ということで、通行止めが多くあります。今日行ったお宅も家の前で工事中。車を止める場所を探していると、交通整理のおじさん(ごめん)が「どちらへ行かれますか?」 「・・さんのお宅なんですけど。」「私が案内します。こちらへ車を止めてください。」「オーライ・オーライ」の声をかけてもらい車を駐車し、家の前まで案内してもらいました。もちろん、帰る時も案内付です。
 「大丈夫です」「いえ、危険ですから」みょうに恥ずかしくて何度も、遠慮したんですけども、迫力に負けてしまいました。 日曜日に隣のお宅に行くんですけど、またあの迫力に負けるのかな?
 日曜といえば、工事もお休み・・・。ホットしました(*^_^*)

9月24日
 自家用米か来年の田植え用の籾(もみ)なのか解りませんが、稲が乾してありました。ビニールハウスのパイプという簡易はざ木です。
 子どもの頃の秋遠足は、稲が乾してあるはざ木の前を歩いての徒歩遠足でした。引率の先生は、自動車の往来でなく、子どもが稲を引っ張らないように注意をはらいます。時々振り返り「こらー 引っ張るなー」と怒鳴る先生の声を思い出します。
 乾してある稲からは秋の香りがするはずです。そっと近づいてと思いましたが、近所のおばあさんがすぐ側にいたので止めておきました。
 「おめさん なんだね?」と聞かれても「秋の香りを・・・」とは言いにくいでしたから(^_^;

9月23日  彼岸法要
 「暑さ寒さも彼岸まで」この格言も今年は当てはまらないようです。「春夏秋冬」いろいろな季節が毎日入れ替わりで来ていて、今年は季節感が感じられません。ただ、「大蓮寺の梵鍾は彼岸から彼岸まで」ということで、明日から6時の梵鍾は春の彼岸まで突きません。私にとっての季節感です(^o^;
 決して、寝坊して梵鍾を突かなかったということではありません。ご近所の皆さんに念のため(^◎^)

9月22日  回檀 地蔵堂 新町地区
 近辺の寺も世代交代が進み、自称若手の私も中堅になってしまいました。一方、自民党総裁選で再選を果たした小泉首相の党役員人事・組閣が終わりました。超目玉は安部普三氏(49)の若手の抜てきなんだそうです。49才といえば私と同年になります。政治の世界は幾つくらいまでが若手なんでしょうか?最近は墓場に妖怪が出ないで、国会に出るようになったのかもしれません。11月総選挙に向けての人事ということが気になりますが、若い?安部氏には存分に力を発揮してもらいたいものだと思います。同年として熱ーいエールを送ります。\(^O^)/
 明日は、彼岸の中日。10時よりお経が始まります。ご参詣下さい。

9月21日  中陰 分水町 中島
 
思いっきり肌寒い一日でした。思いっきり寒がりな私としては心細くなってしまいます。秋を通り越して冬の予感さえ感じてしまいます。・・・・・勘違いでした。「冬の予感」でなくさっきごちそうになった、「お酒のお燗悪寒」のようです。お酒を呑んで、体が温まる人はうらやましいですね。今日は布団をかぶって寝ます。おやすみなさい。

9月20日  法事 分水町 大川津
 今日は彼岸の入りです。お彼岸はインド・中国には見られず、日本においてのみ行われており、聖徳太子の頃から有ったと言われています。仏道精進の機会とする法要(仏道週間)ということです。
 鎌倉時代の道元禅師は、「仏道を習うとは、自己を習うなり」と言われました。仏道週間は、仏道を通じて自分自身を知る週間ということでしょう。「灯台もと暗し」周りのことは見えていても、自分自身はなかなか見えないものです。
 写真のニャンコは自分をニャンコと思っていないようです。(^o^;  でも、私たちもニャンコを笑えない生活をしているのかもしれませんね。(^^; ....

9月19日  回檀 地蔵堂 新田地区
        初七日 寺泊 鰐口
 水槽で飼っていた魚が死んでしまいました。タロウという名前を付けていたシルバーアロワナ(アジアアロワナではありません)です。一週間ほど前から餌を食べなくなり、元気もなかったので覚悟もしていたのですが残念です。 タロウさん「ありがとう そして ごめんなさい」。
 今夜の気分はめちゃめちゃブルー。
 こんな日は早く寝ることにします。おやすみなさい。 

9月18日  法事 味方村 西源寺様
 種が間違って落ちたのだと思いますが、鐘突堂脇の芝生の中に朝顔が一輪咲いていて、毎朝、梵鍾を突く時の楽しみになっています。  グリーンの芝生の中にポツンと紫の朝顔一輪。きれいですよ。
 人間社会であれば格好な、いじめの対象かな?でも、梵鍾脇の芝と朝顔は差異を認め、共存しています。共存というのは、我慢し合うのでなく、お互いの差異を認め合うことです。朝顔は芝生の、芝生は朝顔の光を受けて、より光り輝くんです。  
 明日は地蔵堂の新田地区の回檀です。いつもは午前に伺っていますが、明日は午後からの回檀です。よろしくお願いします。でも、新田地区の人は誰も見てないかな?(^^; ...

9月17日
 晴天の中、稲刈りが順調に進んでいます。農家は丹精して稲を育てたので「収穫」という「ごほうび」をもらっています。「ごほうび」ですから、農家は収穫量に愚癡は言いません。有頂天にもなりません。農作物は「ごほうび」なんですね。だから、お礼を言っていただくんです。
 私も、今日は枝豆をいただきました。丹精された、ごほうびのお裾分けです。有り難く、ちょうだい致します。ありがとうございました。
 写真は12日の朝焼けの様子です。(岩室温泉 ゆもとや で撮影)

9月16日 法事 寺泊 聖徳寺様
       葬儀 寺泊 鰐口
 寺泊の葬儀と同じ寺泊の聖徳寺様の法要が重なり、時計とにらめっこの一日でした。今週いっぱいは時計をにらみながらの法務が続きます。、今日一日の最後は、びっくりするくらい大きな夕日でした。ちょっと疲れた体のごほうびでしょうか?日が沈むまで見とれていました。「また明日」の呼びかけに、「はい また明日」と夕日に応える私(^O^)。
 お日様から元気をもらいました。 明日も頑張れるかな?元気をありがとう\(^o^)/
 追記 きれいな夕日を見ると夕日に向かって走りたく(車でですが)なります。青春ドラマの見過ぎだったのでしょうか?とにかく、夕日は中年おじさんでもロマンチックにさせてくれるようです(;^_^ 

9月15日  法事 寺泊 聖徳寺様
 聖徳寺 前住職様の一周忌法要でした。大蓮寺としても個人としても大変お世話になりました。お念仏・お説教に人生の全てをかけられた方で、聖徳寺様にいると今でも、前住職様の大きなお声が聞こえてくるような気がします。
 「初事(はつごと)」ということをよくおっしゃっておられました。なれてくると、どうしても気をゆるめるのが人間です。「なれていることでも初めての事のように感動を持って丁寧に接しなさい。」ということでしょう。
 人生には同じ時間・同じ出遇い・同じ感動・・・はありません。人生幾つになっても初事の繰り返しです。「初事・初事」大切な先人の教えです。ありがとうございました。

9月14日 中陰法要 寺泊町
 
明日は、「敬老の日」でもあり「老人の日」でもあります。

敬老の日 
 多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う国民の祝日。
 「祝日法」の改正により、2003年からは9月第3月曜日となった。

老人の日
 
 国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意慾を促す日。2002年1月1日改正の「老人福祉法」によって制定。2003年から「祝日法」の改正によって「敬老の日」が9月第3月曜日となるのに伴い、従前の敬老の日(9月15日)を記念日として残す為に制定された。

 つまり敬老の日(9月の第3月曜日)と老人の日(9月15日)がたまたま重なったということです。敬老の日が9月の第3月曜日変更になった過程を考えると「敬老」よりも「お休み(連休)」の方に重きが置かれているような気がします。普段忘れそうになってしまう「敬老」の精神を呼び覚まそうとするのが「敬老の日」なのに・・・  「敬老の日が一番悲しい」と言っていたおばあちゃんを思い出します。

9月13日 法事 分水町 新堀
 一週間ほど前に本山より「法語カレンダー」の購入申込書が届きました。もう、そんな季節かと思っていた矢先の今日の温度でした。今季最高温度とか・・・・。「暑い」というよりうだる」温度には、本当にまいりました。法務に使うお衣は、透けていて涼しそうですが、「見かけ倒し」で結構暑いんです。
 今日一番張り切っていたのがコンバインです。ずっと、農舎の中で広いスペースを取り、凄味を利かせ他の農業機械を威圧してきたコンバインは、みんなの嫌われ者でした。でも、田んぼに出たコンバインはまさに、「見かけ通り」の雄志を見せてくれます。一年ぶりの雄叫びを十分楽しんで下さい。(写真はISEKIのHPから黙ってお借りしました。(^^; ....

9月12日   教区講習会(11日〜12日)
 
やっぱり・・日本はセネガルに負けてしまいました。昨日の日記は責任を感じて休んだのではありません。新潟教区主催の一泊の講習会でした。農繁期の9月に一泊の行事が多いようです。外での宿泊はお朝事の心配もありませんので、朝ゆっくりと起きようと思うのですが・・・・・。習慣とは悲しいもので、いつもの時間になると目がさめてしまいます。怠けこころより、体の方が正直な様です。
 

9月10日
 ビックスワンの「日本対セネガル」の試合が行われていて、テレビでLIVEも始まっています。TVの音は聞こえているのですが、見ようかどうか思案中です。というのは・・・・・・。あっ・・・セネガルが先取点を入れてしまいました。というのは、サッカー・野球など、私が見ていると応援しているチームが大抵負けてしまうのです。だから、思案中ということです。私が見ていたからセネガルが先取点を入れた。・・ということはないんです。「私がTVを見ていた」ということと、「セネガルが点を入れた」ということは全く因果関係はありません。ジンクスというものです。
 私たちは、本来引き受けるべき因果関係は認めようとしないのに、因果関係がないジンクスは、気になります。本末転倒ということでしょうか?
 今日は、最後まで試合を見ることに決めました。シッカリと応援させて頂きます。
追記
 もしも。もしも日本が負けても私の責任でありませんので、ご了解下さい。(^o^;

9月 8〜9日  新潟教区 4組 研修旅行
 研修旅行から帰ってきました。桐生市(群馬)足利市(栃木)を回る研修でした。初めて見学研修する場所なので大変有意義でした。写真は足利市の足利学校です。奈良時代には創設されていたと言われ日本最古の学校ということです。1550年頃には「学徒三千」といわれる程になっおり、授業の形態は「自学自習」が基本だったんだそうです。長い人は10年以上、短い人は1日の在学。つまり、納得できたら卒業ということです。
 入り口の山門の額は「足利学校」でなく「学校」の二文字でした。その時感じたのは・・・「何処で学ぶかでなく、何を学ぶかということが大切なんだ」ということです。現代は逆になって「何処で学んだか」が重要になっているような気がします。

9月 7日   法事 地蔵堂
 大川津分水の河川敷で稲刈りが始まりました。冷夏の影響で、平年より1週間以上遅いような気がします。餅米を刈った人によるとクズ米がだいぶ多いとのことでした。茄子の収穫も遅く始まり、早く終わりそうとのことでした。冷夏の影響が農作物に出ているようです。
 でも、農家の人は「農作物はお日様・土が育てているのでしかたがない。」と言われ、クドクドと愚癡はこぼしません。農家の重労働を「手伝いをしているだけだ。」と笑って言われます。自然から教わった智慧なんですね。
 
 明日は泊まりがけで研修旅行です。日記はお休みします。


9月 6日  回檀 地蔵堂 本町地区
 昨日の日記で「路線バスは一回しか乗ったことがありません。」と記しましたが、あの日はバスが時間より早くバスが通過したため乗り遅れていました。だから一回も乗っていませんでした。訂正致します(^_^;
 あの日は寺の前のバス停で到着時間前から20分以上も待っていました。近所のおばさんに予定時間より早くバスが行ってしまったことを聞きびっくりしたのです。「遅くなるのなら分かるけど、何で早く通過するんだ(・・;)」でも、中島では、常識なんだそうです。「なんで・・・」愚癡も出てしまいます。

 愚癡とは状況が好転する見込みもないのにくどくどと嘆くことを意味します。仏教でいう愚癡とは「仏の智慧に暗い・衆生の根本的無知」のことで、数ある煩悩の中でも、もっとも根強い煩悩の一つとして上げられています。ものの道理を知らないということでしょうか。簡単に言えば、思い通りにならない現実を思い通りにしようとする所から愚癡は出てくるんです。愚癡の内容でなく愚癡がどこから出てくるかが問題なのです。
 

9月 5日  回檀 寺泊 竹森 鰐口
        聞法会
 午後2時頃、大門の正面に越後交通の路線バスが停車していて、私の車が出られません。寺の前がバス停になっていますので、時々あることです。後方の入り口が閉まっていて、前方の出口が開いているので、「誰か降りるのかな」と思っていましたが、誰も降りてきません。よく見るとバスの中は誰も乗っていないんです。バスの運転手さんも乗っていません。近くのコンビニに強盗が入ったということもあり「まさかバスジャック?」・・・・なんと、運転手さんは、その時・・・フロントガラスを拭いていました?
 路線バスに乗り降りする人がいない(少ないのではありません)ため、時々時間調整の為の停車があるんだそうです。そう言えば、中島に来て二十数年・・路線バスは一回しか乗ったことがありません。やっぱり赤字路線なんです。
 ところで、バス停の名前が「農協前」なんです。大蓮寺の前なんだから「大蓮寺前」が自然だと思うのですが・・・・。まぁ、どうでもいいことですね。

9月 4日
 1日の葬儀で行けなかった月読経も、今日で一応終わりましたが、休ませていただいたお宅もありました。9月からは「回檀」も始まり益々月読経に行けないこともありそうです。ご勘弁下さい。
 写真は本山のホームページで見つけた夏安居(げあんご)の際の当院(中央手前)です。写真を見ていると「もう少し頑張れるかな?」と思えるのは「親ばか」を通り越して「バカ親」です。(^^ゞ
 本山のホームページは、「リンクのページ」から入れますので、本山のホームページもご覧下さい。

9月 3日 回檀 寺泊 小豆曽根地区
       教区勉強会 燕市 安了寺様
 昨晩は知人に誘われ?、弥彦の「山びこ」さんに行ってきました。ちょっと一杯のつもりでしたが、美味しい肴と楽しい話しで結局はイッパイになってしまいました。酒が弱い私はさぞかし今日はひどい二日酔いかと覚悟をしていたのですが、意外とすっきり。http://www6.ocn.ne.jp/~yahhoo/「山びこ」さんのHPです。でも、忙しくて更新が遅れているようですね。
 若主人も頑張っていますので一度いかがですか? 「大蓮寺から聞いて来た。」と言ってもらえれば、通常料金で飲めます(^o^; 言わなくても同じです。

9月 2日
 
ある社会人青年が、ふる里へ帰ってきました。仕事の都合でお盆に帰れなかったのです。久しぶりということもあり、わずか数日のお休みは、祖父母の挨拶・友人との再会・お墓参り等で両親との語らいの時間がなかなか取れないまま、あっという間に終わります。
 青年は長男でした。でも、仕事の関係でふる里の両親と一緒に暮らせないかもしれないと思っています。両親もその事は承知していました。でも、青年は「行ってきます」と両親に挨拶をして帰京していったそうです。両親も「行ってらっしゃい」と言って送り出したんでしょう。
 三宅島の人たちは避難してから3年になります。「帰る処がある」ということが三宅島の人たちを支えているのでしょう。
 「帰る処がある」ということは、それだけで、人生の、生きる力になるんです。
 「帰依処」という言葉があります。「ひたすら信じてよりどころとする処」ということです。あなたの帰依処は何処ですか?何ですか?

9月 1日  葬儀 東京 赤羽
 
9月になりました。日記のページが変わりました。と言っても形はあまり変わりません。ちょっと手抜きさせてもらいます。

 
東京まで葬儀に行ってきました。何かと葬儀のやり方が違うので戸惑いました。東京では葬儀の際の帰敬式(おかみそり)が一般的でないようで、葬儀の前に葬儀屋さん・親族の皆さんに説明しなければなりません。説明しておかないと「何が始まった」とびっくりされます。
 
本来「法名」は生前仏弟子になる式の際に頂く名前です(帰敬式といいます)。法名は御本山の御門主様より帰敬式の際に頂くものですが、生前ご縁がなかった場合、手次の住職が変わって行います。
 ですから、法名は「亡くなった後の名前」でなく「生前に頂く名前」です。