平成15年(2003) 7月 8月
9月 1日
 
東京まで葬儀に行ってきました。何かと葬儀のやり方が違うので戸惑いました。東京では葬儀の際の帰敬式(おかみそり)が一般的でないようで、葬儀の前に葬儀屋さん・親族の皆さんに説明しなければなりません。説明しておかないと「何が始まった」とびっくりされます。
 
本来「法名」は生前仏弟子になる式の際に頂く名前です(帰敬式といいます)。法名は御本山の御門主様より帰敬式の際に頂くものですが、生前ご縁がなかった場合、手次の住職が変わって行います。
 ですから、法名は「亡くなった後の名前」でなく「生前頂く名前」です。

 9月になりましたので、日記のページが新しくなりました。次回はホームページのTOPよりお入り下さい。

8月30日
 先日の児童大会の写真をYAHOO!フォトアルバムにアップロードしました。枚数は330枚です。かなり(^o^; お暇の時にでもご覧下さい。スライドショーをクリックするとスライドでご覧になれますので、お試しください。
 子どもたちの笑顔と引率スタッフの努力をゆっくりお楽しみ下さい。
 明日は、東京へ行っているため日記はお休みします。 

8月29日
 
夕方電話があり31日・1日と東京へ葬儀に行くことになりました。自宅で急に亡くなったんだそうです。お寺の法務は予定が全く立ちません。個人的な事は1年前に約束していたことも、2日前にキャンセルということもあります。これは仕方がありません。
 でも、本当は法務の予定が立たないということは、「いのちの予定が立たない」ということなんです。「予定が立たないいのち」だからこそ、今のいのちが大切なんです。

8月28日  内佛法事 分水町
 火星観測は出来ませんでしたが、「無事児童大会」は終了しました。写真は宿泊に利用した「山荘 京ヶ岳」と「坊ヶ池」です。大自然に囲まれ少しリフレッシュしてきました。、
 スタッフの一人が言っていた「子どもたちは一晩眠ると復活する」ということを身をもって体験してきました。子どもたちは疲れ知らずです。私はと言うと前日のプールと圧倒的な子どもたちのパワーで、体の方はへとへとです。
 だから、今日はちょっと早い・・・・・おやすみなさい・・・・・

8月26日
 
27日・28日と佛光寺派新潟教区主催の「児童大会」が上越の清里村で「自然に学び・自然と遊ぶ」というテーマで開催されます。参加する子どもたちにとって、私はお父さんよりもおじいちゃんに近い年齢になっています。もう、体が付いていきません。どこまで子どもたちに付いて行けるのやら?
 毎年、子どもたちからいろいろなことを教わりますが、今年は何を教わるのか楽しみです。私個人のテーマは「子どもに学び・子どもと遊ぶ」かな?
 
27日・28日の月読経は当院にまかせましたので安心?して行ってきます。明日の日記はお休みします。

8月25日
  
43年ぶりに貸し付けの公募を再開した東京都立青山霊園で50区画に計2205人の応募があり、1000万円を超える区画も高倍率だったとのこと。墓地までもブランド志向なのかとあきれる人も多いかと思います。
 でも、青山霊園というブランド霊園?であれば、子や孫がお墓を守ってくれるのではないかという悲しい願いが見え隠れしているような気がします。これも当世、お墓事情の一つかもしれません。


8月24日 中陰 弥彦村
「変〜身」
 鈴虫の羽化が始まっています。鳴き始めた鈴虫もいます。昆虫は劇的変身を数回行って幼虫から成虫になります。驚くべき変身です。
 人間も、昆虫の羽化みたいに幼児から成人に変身したら・・・。テレビのコントに使えそうです。
 徐々に成長?する人間と違い、昆虫には「ピーターパンシンドローム」はないんでしょうね。 

8月23日
 
今日おじゃましたお宅で昨日の日記のことで「そんなことで腹を立ててはいけません」とお叱り?をいただきました。でも、立てようと思っても腹は立つものではありません。自分でコントロールして腹を立てることはできません。 だから、腹は「立てるものでなく、立つもの」なのです。
 「立てるつもりのない腹が立ってくる。」だから、腹を立てた後は、悲しく、寂しい気持ちになるんです。それだからこそ、腹を立てた後は素直になれるのかもしれません。
 昨日の愚癡の言い訳になってしまいました。
 
8月22日
 「マイクロソフトは二十一日、同社のパソコン向け基本ソフト(OS)ウィンドウズ上などで動作するインターネット閲覧ソフト「インターネット・エクスプローラ6」などに、深刻度が四段階のうち最高である「緊急」の欠陥が見つかった、と発表した。 修正プログラムの配布をウェブサイトを通じて始めたマイクロソフトは「この間題を悪用される可能性は高く、すぐに対策を」と呼び掛けている。」
 
今日の新潟日報の記事です。お盆の疲れが今頃出てきたのか、怒りっぽくなっているのかもしれませんが読んでいて不愉快でした。
 不愉快の原因
 @Blasterワームであれほど騒動になっているのに、マイクロソフト社は何をやっているのか。
 A本文「エクスプローラ6などに」のなどとは?もっと具体的に記して欲しい。
 B本文「すぐに対策をと呼び掛けている。」そんな呼び掛けのメール届いていません。誰に呼び掛けている   のでしょうか?すぐにと言われてもどういう対策を取ったらいいのか、記事に書けなかったのでしょうか?
 インターネットは、年代・業種を問わず活用されています。そこのところを把握していれば、マイクロソフト社・記事の対応も自ずと違ってくると思います。
 
 書き終わったら、だいぶすっきりしました。普段パソコンと悪戦苦闘している住職の愚癡だと思って下さい。失礼しました。


8月21日
 
「20日の写真は何時頃の写真?」との質問をいただきました。本堂再建が大正15年(1926)年ということなので、その数年前というところなのでしょうか?写真には年月日の記入はありませんでした。
 ちなみに現代のような重機を使っても屋根部分をそのまま持ち上げることは出来ないそうです。
 写真からく大変な仕事であったことをうかがい知ることができます。また、この写真は私に責任の重さを感じさせてくれる写真でもありました。


8月20日
 大蓮寺の本堂のちょっと不思議な写真です。上棟式寸前に地震でつぶれた本堂の写真ではありません。屋根部分の仮組み立ての写真です(もっと適切な言葉があると思うのですが、知りませんのでお許し下さい)。
 この後、もう一度バラバラにして、下の部分から組み上げて、上棟式になったんだそうです。重機のない頃は、大きな建物の木材加工のミスは許されなかったんですね。「どうだ!」といわんばかりの大工さんの様子が印象的です。

8月19日
 
毎年はお盆の13日頃には鳴いている鈴虫が、まだ鳴きそうもありません。来週ぐらいから鳴き始めるのかな?
 「鳴き始めたら差し上げます」と約束した人も「今年はいいから来年お願いします。暑い時に涼しそうな鈴虫の声を聞くところがいいので、涼しいのに涼しい声を聞いてもなんにもならない」とのことでした。時期を外した、秋の風鈴みたいなものですね。
 時期を外す、ということから言えば、我々の生き方も秋の風鈴みたいなものかもしれません。外していることさえ気が付いていれば、ちょっと、もの悲しくても「人生。それも有りかな?」

8月18日
 
7月に行われた分水町基本健康審査で「要指導」の項目があり、小中学校が同年のお医者さんに行ってきました。偶然、別の同年の人に会いました。やっぱり「要指導」で来院したのだとか・・・。ちょっとした、ミニミニ同年会でした。お医者さんもたまに行くにはいいものです。でも、みんな「要指導」の年代に成っているみたいです。気を付けないといけませんね。
 いっそのこと病院を貸し切り待合室で、検診を兼ねた同年会というのはいかがでしょう?実に、健康的な同年会だと思います。でも、話題は「体の変調」のことばかりになりそうでちょっと暗いかな?
 ちなみに、私の「要指導」の方は大したことなさそうです。

8月17日
 7月23日の日記で「ケイ蛄春秋を識らず」 蝉は、夏以外の季節を知らないという事を紹介したのですが、今年の蝉は、夏も知らない蝉が多かったようです。ちょっと気の毒な感じがします。
 でも、そんな人間の心配に関係なく一匹、一匹が
Only oneのいのちを輝かせています。
 懐中電灯を持って外に出て下さい。運が良ければ、いのちの輝きに遇えるかもしれません。でも、今日は雨だからダメですね。

8月16日   法事 分水町 大川津
 平成15年度のお盆が終わりました。1日の盆参会から始まりあっという間の半月でした。Uターンラッシュも始まっているとのことです。
 お盆は帰省されている方が多くおられます。関東に出られて何十年、年に一回のふる里です。それでも私は「お帰りなさい」の挨拶に心がけています。「お帰りなさい」と挨拶をすると皆さんニッコリされるんです。「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」心の安まる言葉ですね。
 ちなみに英語では「行ってらっしゃい」「行ってきます」「お帰りなさい」「ただいま」という日本語に当たる固定した表現はないとのことで、「お帰りなさい」「ただいま」はHello!HI!なんだそうです。
 日本人で良かったと思うのは、お盆が終わった安堵感もあるのでしょうか?

8月15日   葬儀 燕市
 葬儀でした。本来なら棚経が間に合わないところでしたが、当院(長男)が手伝いをしてくれているのでなんとか間に合いそうです。20年もすれば、私が手伝いの方に回るのでしょう(元気でいればの前提付ですが)。子どもたちは、ゆっくり、ゆっくり成長してくれている様です。 ありがとう。


8月14日
 明日は、分水町の成人式です。「成人式」とは人に成る式
 「人」という漢字は「人のたった姿を描いたもので、身近な同族や隣人仲間を意味した。」ものなんだそうです。自分を支えてくれていた人を知るということが「人に成る」という事なんでしょうか。身近なところで言うと「生んでくれてありがとう」ということなんでしょう。
 成人式を迎えるみなさん。おめでとうございます。8月9日の日記の続きでした。

8月13日   墓参会
 お盆の13日とは思えない涼しさでほとんど汗もかきません。楽は楽でしたが「らしさ」に欠けた墓参会でした。
 「らしさ」と言えば最近めっきり少なくなったのが「浴衣と提灯」。写真はドラエモン大好きな近所の女の子と自称「浴衣三姉妹」さんです。やっぱり日本の夏は浴衣かな?日記ネタのご協力ありがとうございました。
 白衣の袖にデジカメを入れ、墓経を読みながら日記のネタ探し。らしさに一番欠けていたのは、私かもしれません。

8月12日
 明日はお墓参り。でも、お盆のというより秋のお彼岸という気温です。いったい、どうなっているのでしょうか? 明日は雨の心配もいらないようですし、当院も京都から帰って来ましたので一安心です。
 去年の墓参会のことです。真っ白なワゴン車から茶髪の20代前半の兄弟が降りてきました。続いて両親・祖父母と、家族全員が車から降りてきます。20代前半の男の子といえば、兄弟で行動することはあまりないようです。両親・祖父母ということになればもっとないはずです。まして、家族全員ということになれば・・・・。お墓参りはやっぱり特別な行事なんです。
 「お寺へGO」  皆さんご一緒にご参詣下さい。お待ちしております。
   本堂のお参りもお忘れなく!

8月11日
 どこのニャンコもお昼寝名人。名人ともなるとお気に入りの場所というだけでなく、それぞれ経験・工夫・ポリシーが伺えます。お昼寝を仕事にしているニャンコたち。「たかが昼寝、されど昼寝」きっと苦労もあることと思います。今年の夏は天候不順です。ニャンコ達。風邪をひかないようにお気を付け下さい。
 今日の日記の対象はニャンコでした。ニャンコに見てもらって下さい。(^^; ....

8月10日 初七日 分水町中島・中陰 分水町大川津・法事 寺泊町 敦ヶ曽根
 
台風一過 うだるような暑さでした。台風も風、雨ともにたいしたこともなく一安心でした。・・・といっても、台風が通過するというニュースで大いに影響があった人も沢山いるはずです。
 各種イベントの中止、延期。果物農家の早期収穫など・・・。それに伴う人的、金銭的影響は大きかったはずです。台風はたいしたことがなかったと、諸手をあげて喜ぶわけにはいかないのです。

8月9日  中陰 新潟市
 今日おじゃましたお宅に「うまれてくれてありがとう」と表紙に書かれたリーフレットが置いてありました。「うまれてくれてありがとう」これは皇太子妃雅子さまが言われた言葉で、母親の喜びを率直に表現された言葉です。
 「子どもをつくる・子どもをつくらない」日常的に聞く言葉です。でも、子どもはつくるものなのでしょうか?もし、親がつくれるものならば、「最初は女の子で芸能界デビュー、次は男の子でプロサッカーの選手」と計画してもこんなにうまくはいきません。
  親がつくれるものであれば、いろいろな条件を付けます。「五体満足で、頭もよく、スポーツ万能、しかも親のいうこともよく聞き・・・・」というような子どもがいいな。
 真宗では「子どもは如来さまからの預かりもの・授かりもの」という表現を使っています。預かりものですから、預かった方は無条件です。預かるもの・授かりものに誰も条件は付けません。
 「うまれてくれてありがとう」という言葉はそんな無条件の中から出てくる言葉なんでしょうね。

8月8日  合同之碑 追弔法要
 本堂前にある戦没者「合同之碑」の追弔法要でした。戦争で亡くなられた方々のご家族が、守り伝えて来た碑の法要です。毎年8月8日に行われ、今年で50回目になります。
 戦争は勿論、戦後さえも遠くなってしまったと思われる、昨今の社会の様子を考えると、実に意義のある法要だと思います。
 この法要を通して戦争でご家族を亡くされている参列者の皆さんは、戦争に対する思いを新たにするのです。

8月7日  盆参会
 今日は盆参会。たくさんのご参詣ありがとうございました。お斎(とき)は一回に出せる数は70人分です。参詣が多いと、一番膳、二番膳、三番膳・・と、素早く準備する必要があります。
 だから、お斎の準備は平行して作業が行われます。
 一番膳の70人が食べている間に、二番膳の70人分の盛りつけ。
 一番膳が終わって片付け、食器を洗っている間に二番膳を並べ始めます。ということは、食器は140人分必要と言うことです。だから、お勝手のお手伝いの人たちはずっと動きっぱなし。お疲れ様でした。
 そんな時に役に立つのが、折りたたみ式の棚(上の写真)です。盛りつけの終わった器をおぼんに入れ、直ぐに配膳できるように準備するのです。
 本来この棚は、配膳の終わったお膳を乗せておくものなのです。 この棚の名前はもちろん「お膳立て」。準備・段取りの意味を持つ「お膳立て」のもとになっている棚の名前です。

8月6日  葬儀  分水町中島
 大蓮寺の過去帳は屋号で記入されています。たいていは、その家の初代の人の名前を屋号とします。屋号の場合、世帯主が変わっても、同じ名前ですかから、何百年たってもその家の特定が出来るのです。ところが、屋号も呼び名と漢字が違ってくる場合があります。らあち(利八)・るん(利右衛門)はその例です。
 
また、屋号の他に通称もあります。「桶や・ロウソクや」など仕事上の呼び名です。
 私の知っている範囲で通称「いもじ」という家が2件あります。どんな字を書くと思いますか?ずっと知らなかったんですけれどつい最近教えてもらいました。いもじは鋳物師(いものし)の呼び名が変化したものでした。

 
個人の呼び名は、変化すると共に数も増えてきます。友人間、会社間、地域間、家庭内、戸籍・・・・・。色々な呼び名で呼ばれます。呼び名というのは、識別の手段というだけでなく、働きがあるのです。その呼び名の働きによって、安らぎ、励まされ、力となるです。だから、名前は大切なのです。
 
 すみません。屋号の話しから、脱線してしまいました。
 明日は、盆参会です。10時からお経が始まります。ご参詣下さい。
 

8月5日
 
本堂を会場としたお通夜でした。大蓮寺としても鷲澤家としても大変お世話になった方でした。いろいろな思い出が、思いが交差します。そして、その思い出を思いを言葉でいうと「ありがとうございました」というたった一言でした。たった一言だけど、「ありがとうございました」と言える出遇いがあったことは素晴らしいことだと思います。
 「ありがとうございます」「ありがとうございました」という言葉は、「出す言葉」でなく、ご縁を頂いて「出てくる言葉」なんですね。


8月4日
 8月1日より「弘前ねぷた祭り」が開幕しました。以下は、弘前ねぷた村のHPのコピーです。(勝手にコピーしましたのでご内密に)
 
Q.どうして「ねぷた」って呼ぶの?
 津軽弁で「眠い」ことを「ねむてぇ」または「ねぷてぇ」と言い、これがなまって「ねぷた」になったのではないかというのが一般的な説です。「ねぷた祭り」のはじまりについては、昔、農民が夏の忙しい時期に襲ってくる眠気を追い払うため、睡魔を船や燈籠(とうろう)などにのせ、川に流した「ねむり流し」という行事から発展し、祭りになったという説があります。
Q.「ねた」と「ねた」って何が違うの?
 津軽弁は、文字で表現するには非常に難しい方言です。「ねぷた」と「ねぶた」どちらも起源は同じですが、なまりの違いから分かれたものと思われます。昔の文献を見るとは「ねふた」だったり、「ねむた」だったり呼び名が定まっていませんでしたが、弘前市の「ねぷた」、青森市の「ねぶた」というように、地域の差別化を図る目的もあったようです。


 説明文を読んでも理解できません。原因はパソコンにありました。私のパソコンは「ぶとぷ」の区別が分からないのです。フォントを大きくしてみると「ぶとぷ」よく見ると違いも分かるようなのですが?ちなみに「ばとぱ」「びとぴ」「べとぺ」「ぼとぽ」。ちゃんと区別が付いていますか?私のパソコンだけが変なんでしょうか?
 

 
人は気になることが有っても、みんなが同じだということになれば、あきらめがつきます。現状が変わることがなくても。その事は人間のしたたかさなのでしょうか?弱さなのでしょうか?

8月3日  回檀 真木山 蛇塚 地区
       初七日 寺泊町
 朝から暑い一日で、法務の時は、汗拭き用ハンカチを離せません。写真は、今日おじゃましたお宅の子どもさんです。とっても気持ちよさそうだったので「お寺さんも入りたいな」と声をかけると、元気よく「いいよ」という返事が返ってきました。残念ながら海水パンツを持っていなかったのであきらめました(当たり前ですね)。我が家の車庫の上に、以前使っていたプールがあるはずです。今度内緒で挑戦してみようかな?「まさか、娘二人がお付き合いしてくれる」ということは、ないと思います?(^^; ....

8月2日  
 三条市曲渕に法務に行ってきました。土曜日・三条の祭り・長岡の花火ということか国道8号線は大渋滞です。渋滞のない所ばかり走っている私は少しイライラ・・・。
 ふと見ると後ろの車は、高校生らしい男の子と、母親と思われる二人が乗っています。母親は、前を見ながら手振りを交えて、実に楽しそうに話をしています。男の子といえば脇を見ながら無表情。あまりに対照的だったので、うっかり笑ってしまいましたが・・・・・・。
 「車の外は大渋滞。車の中は一方通行。」国道8号線でのことです。

8月1日
   盆参会

 盆参会の参詣者が250人ほどになり本堂も満堂状態です。敷地内では、駐車スペースが足りず、ご近所に迷惑をお掛けしました。
 参詣者が多いとお勝手の手伝いの皆さんも休む暇がありません。
 こうやって、皆さんのお手伝い、ご迷惑をおかけして、無事、盆参会を勤めることが出来るのです。本当にありがとうございました。
 
7月31日
 いよいよ明日から8月です。8月に合わせてHPの表紙を少し涼しそうに変えてみました。本格的に改造しなければ成らなくなっているのですが、何せ時間が・・・・・。今度、暇になったらと思うのですが何時の事やら。
 明日は盆参会です。準備は終わっているつもりなのですが、何か大切なことを忘れているような気がします。?????「本当に大切なことだったら明日になれば気が付くことでしょう。」という気持ちになれればいいのですが、なかなかそういう訳にはいきません。きっと布団の中で思い出すことと思います。
 明日の参詣者は200人以上になります。車等の混雑が予想されます。お気を付けておいで下さい。

7月30日
 
隣の吉田町長選の告示が昨日でした。市町村合併の問題が絡んでいるので、気になるところです。いつもなら全く気にならないのですが、自分の生活が絡んでくるとそうはいきません。やっぱり自己虫なんですね。当分はお斎の時の話題に合併の問題があがりそうです。話題の資料集めという訳ではありませんが、分水町で配布している資料に目を通すつもりです。 でも、一体どうなるんでしょうね?

7月29日
 毎日見ているろうそくの明かりです。ご存じのように、ろうだけでは、火をつけようとしてもつきません。芯が必要なのです。芯があると、芯を伝わってとけたろうが少しずつあがってきて、これが加熱されて蒸気になり、これがもえて炎が出るわけです。とけたろうを少しずつはこぶ役、これがろうそくの芯の役割なのです。 ロウソクは芯が燃えているのか、ろうが燃えているのか?正解は両方です。(^o^;
 明るく輝く炎は、ろうが燃えているのには違いないのですが、芯になるものが必ず必要です。人間もきっとそうなんでしょうね。

7月28日
 
寺泊町敦ヶ曽根地区の回檀でした。去年は当院と一緒に回らせてもらったのですが、当院がまだ京都から帰って来ていないため一人でした。今年は、全地域の回檀は一人で回らせてもらうことになります。
 あるおじいちゃんが、以前の事を思い出し「一人らってかね?」とため息混じりに呟かれたことを思い出します。おじいちゃん もうちょっと我慢してください。数年後には当院が帰ってきますから。
 何のことはない、今日の日記は一人住職の愚癡に成ってしまいました。ごめんなさい。

7月27日

 いよいよ梅雨明けです。前日の青空と白い雲のコントラストもきれいでしたが、やっぱり梅雨明けの空は違います。
 今日は月潟村に行って「ランチュウと鈴虫」をもらって来ました。ランチュウは3年連続で、もらっています。・・・ということは ( i_i) 
 手を抜いているわけでは無いのですが、何故かダメなんです。我が家に添わないということもないと思うのですが・・・・今回は、ずっと水槽の中にいることを願っています。
 そろそろ、盆参会の準備も始まりました。ぜひお参り下さい。お待ちしております。

7月26日
 ちょっとだけ夏気分の青空が見えました。そういえば真夏の雲は真っ白だったんですね。あんまり綺麗だったのでちょっと車を止めて眺めていました。
 遠くから見える雲は悠々と流れているようですが、近くによれば怒濤のごとく流れているのでしょう。
 悠々自適と生活している様に見える人も、大きな流れの中で必死にもがいているのかもしれません。
 海で大きな波にさらわれた時は、全身の力を抜き、波に一端、身を任せるのだそうです。解っていても、随分と勇気のいることだと思います。

7月25日
 今日から小中学校も夏休みに入り、小学生のラジオ体操も始まりました。ラジオ体操の運営も子供会の自主運営になり、休日・お盆はラジオ体操もお休みです。でも、何日かは、休みの日に目をこすりながらラジオ体操に来る子どもさんがいます。大抵、うなだれてのお帰りとなります。・・・ご苦労様でした・・・
 本堂では6時からお朝事(朝のお勤め)が始まり、本堂前では6時半からラジオ体操が始まります。8月に入れば盆参会・墓参会もあります。一年中でお寺が一番にぎやかになる季節です。
 涼しくても、やっぱり夏なんです。

7月24日
 
「ケイ蛄春秋を識らず」
 蝉は、夏以外の季節を知らないという事でした。
 では、蝉は夏を知っているかというと、実は、今が夏であることを知らないのです。なぜなら春と秋を知らなかったら、今が夏であること分からないのです。夏の主役である蝉が夏を知らないんです。
 さて、それぞれの人生の主役である私たちは、自分自身のことを知っているのでしょうか?自分の事ばかりに関心を持ち、周りのことが見えなくなってしまう。そして、自分自身のことさえも見えなくなっている人生の迷子になっているのではないでしょうか?


7月23日
 
今日は二十四節気の一つ「大暑」です。一日雨模様で「大暑」どころか夏日にもならない様子です。毎年であれば、分水祭りが終わったこの頃に梅雨明けなのはずなのですが・・・。
 外で聞こえているにぎやかなはずの蝉の声もやっぱり寂しそうです。
       「ケイ蛄春秋を識らず」(ケイは虫+惠という字です)
という言葉があります。暑い時期だけ地上で生活する蝉は、夏以外の季節を知らないという意味です。でも、今年の蝉は、幸いにも夏以外の季節も経験した様です。よかった・よかった???


7月22日
 
最近我が家は蜘蛛の大発生!!小さな蜘蛛ですが、巣は取っても取っても、次の日には元通りになっています。特に困るのは、車庫の入り口の巣です。壊れても、壊れても次の日の朝には、シッカリと巣を作り直しています。いい加減にあきらめて違うところに巣を作ったらと思うのですが・・・。蜘蛛の学習能力のなさに呆れます。
 そして、蜘蛛の巣があることを忘れて、毎朝顔で巣を壊してしまう私の学習能力のなさにも呆れてしまいます。

7月21日
 
庄屋(この辺の言葉で旦那様)の家に生まれ、戦後ご苦労をされたおじい様の葬儀でした。奥様も昨年、亡くなられています。事情があって、お二人で血のつながらない4人のお孫さんを育てられての苦しい生活だったそうです。
 お孫さんが成人される頃には、お二人は介護が必要になります。今度はお孫さん4人で献身的な介護生活が始まました。・・・・・そして今日が葬儀です。

 
おじいさまと4人のお孫さんにかけられる、「ありがとう・ご苦労様でした」の声が聞こえてくる暖かい葬儀でした。
 そして、4人のご兄弟がそれぞれの為の人生を歩む時がきました。今度お会いする時は、思いっきりの笑顔を見せてください。 「ありがとう ご苦労様でした」


7月20日
 
あるお宅の事です。連休ということで、単身赴任のお父さんの帰宅。お父さんには、久しぶりにお会いしたということもあり、お茶をいただきました。
 お母さん・・・
「お父さんは帰ってきてすぐに、草取りを始めるんです。早死にすると困るから無理して欲しくないんだけど。」
 おとうさん・・
「タマの草取りは気持ちがいいんで・・」
 お母さんのやさしい言葉に、まんざらじゃなさそうなお父さんでした。世の男性は、単純だからそんなやさしい言葉で頑張れるのですね。
 でも、
「無理して欲しくない」の理由が「困るから」ということです。誰が、どのように困るのか・・・?
 世の男性は、そんなことを考えない方がいいのかもしれませんね。 きっと。
 
7月19日
 
お昼ちょっと前の時間。近所の人が畑に向かうところに合いました。
         
「のめしこきの 盆稼ぎ らてばね」。 ?
 初めて聞いた格言ですが、
 「人が休んでいる時に仕事をしなければ間に合わない怠け者」という意味になるのでしょうか?
 「お盆・正月・土曜・日曜日・・・・」ともかく、人が休んでいるときに忙しくなる私にピッタリの格言で笑ってしまいました。 
 格言は本当に沢山あります。 でも、格言というのは人に向けるものでなく、自身に受け入れるものなんですね。

7月18日
 夏の主役はひまわり汗だくの子どもたちなのですが、近年、汗だくの子どもたちをあまり見かけなくなりました。エアコンの効いた部屋でテレビゲームでしょうか。せっかく自然に恵まれた所に住んでいるのに、家から出ないのでは都会と同じです。
 佛光寺派新潟教区では、子どもたちに自然を体で感じてもらいたいと、「自然と学び・自然と遊ぶ」というテーマで児童大会を開催いたします。詳しくは、佛光寺派新潟教区のHPをご覧下さい。

7月17日
 
昨晩は近所のお宅の百ヶ日法要でした。ご近所ということで、自分の限度ということをわきまえず、ついついお酒が過ぎてしまいました。顔は真っ赤っかのお猿さん。目も真っ赤っかのウサギさん。そして頭は・・・・・。日記を書ける状態でなかったということで昨日はおやすみでした。
 お酒は不思議なものです。「好きな人・嫌いな人」「強い人・弱い人」「笑う人・怒る人・泣き出し人・沈んでしまう人」。いろいろな症状?がでます。
 程々に呑めばいいのでしょうが、お酒が弱い私でも後先を考えず、程々という訳にはいきません。まして、生き甲斐にされている方にしてみれば・・・・。
 でも、お酒はそれだからこそ、いいのかもしれませんね。


7月15日
 夏を予感させる日差しの一日でした。この時期の
男性の三点セットは、「野球・ビール・山盛りの枝豆」
女性の三点セットは、「ウォーキング・習い事・カルチャーセンター」
 男性が、枝豆と野球をつまみにビールを呑んでいる間に、女性は、頭と体を鍛えていたのです。
 凄いですね。歳を重ねれば、その差は歴然。
 世の男性諸氏!くれぐれも、油断召されるな。 

7月14日
 珍客の来訪がありました。よりによって、風呂場の窓からの来訪だったのです。 千客万来の我が家ですが、出来ればこのお客様にはお会いしたくなかった。(・・;)
 お客様も弾みの来訪だったのでしょう。早く帰りたいと必死です。早く帰したい、私も必死です。「どうぞ」「では」という風に穏便にいきそうもなかったので、強制退去をお願いしました。でも、一応お客様ですので、玄関からお帰りいただきました。

7月13日
    
「キチンと負けたことありますか。」
 
負けてしまうのがこわいから。イヤだから。かんたんにリセットして、あきらめてしまう。・・・時にはキチンと負ける経験も必要でないでしょうか。

 「JT将棋日本シリーズ・新潟こども大会」の新聞広告です。
 そういえば、私もキチンと負けてませんね。失敗しそうになると、何かしら言い訳を考え、逃げ道をチャンと作っておくんです。キチンと「ごめんなさい」が言えないんですね。「ごめんなさい」と言っているつもりでも、心のどこかで「オレだけが悪いんじゃない」ということがあるようです。

 
キチンと負けることを「頭が下がる」と言います。一応負けておくことを「頭を下げる」と言います。こんなに頭でっかちの重たい頭なのに、下げることがあっても、下がることはなんです。

7月12日
 
今晩はお通夜でした。どこのお祭りでしょう?帰りに、車の中から打ち上げ花火が見えました。花火の真下では、パッと咲く花火に歓声が上がっているんでしょう。でも私には、パッと散る花火が、悲しく見えていたのです。今晩のお通夜の方は、小粋な花火みたいな方でしたから・・・・。
 同じ花火でも、ご縁によって見え方が違ってくるのですね。

7月11日

 昨年の日本人の平均寿命は女性が前年より0.30歳延びて85.23歳となり、初めて85歳を超え、男性も0.25歳延びて78.32歳となり、過去最高を更新。女性は世界一、男性は香港に次いで2位になったそうです。
 でも、私たちはその平均寿命まで生きられとは限りません。一時間後のいのちの保証すら何一つないのです。そんな「いのち」だからこそ、「今の今」が大切なんです。「明日」というのは、「今の今」の積み重ねですから・・・

7月10日
 
親しくして頂いていた方が亡くなったと連絡がありました。突然の知らせでした。夢を見ているような気がします。 

 人間は
辛い、悲しい、都合が悪い事実は、なかなか受け入れられないのです。眼を反らそうとします。でも、その受け入れがたい事実を受け入れるところからしか、人間としての歩みを歩み出せないものなんでしょう。あるおばあちゃんがいっておられた言葉を思い出します。
     「生きるということは、そんなに簡単なことじゃない。」

7月9日
 8日に大学時代の友人と「一杯」呑むつもりでしたが「いっぱい」になってしまいました。ということで昨日の日記はお休みでした。
 これを機会にちょっと手を抜こうと、「大蓮寺住職 日記」を「大蓮寺住職気 気まぐれ日記」に改名しようとも思ったのですが、三条 徳誓寺様が「気まぐれ日記」なのでこれはパス。
 順番を変えた「気まぐれ大蓮寺住職日記」は「気まぐれ 大蓮寺住職日記」
・「気まぐれ大蓮寺住職 日記」と言葉の切り方で意味が変わってきますのでこれもパス。「時々・・・」は「ドキドキ・・・」に「つぶやき・・・」は「ぼやき・・・」に似ているのでやっぱりパス。
 
ということで、名案が浮かばないので、いままで通りにしておきます。
 
それにしても日本語は音・区切りで全然違う意味になるんですね。そんな複雑な日本語でも、伝えきれない、「言葉にできない」こともあるんですね。


7月7日
 昨日の日記の続きです。湯沢に行くのに電車の時代だったら、当然のこととして温泉に入り一泊してきたんでしょう。どんどん便利になり、その結果・・・どーんと忙しくなった。
 何か変だとは思いませんか。何処が変なんでしょう?


 
せっかくの七夕なのに雨模様です。地上ではがっかりしている人も多いのでないでしょうか?でも、当の彦星、織姫は望遠鏡で覗かれることなくゆっくりと一年ぶりのデートを楽しめてGOODというところでしょう。
 
私も明日は大学時代の友人と一杯飲むことになっています。言い訳も出来ない代わりに格好を付ける必要もない友人です。彦星気分とはいいませんが楽しみです。
友人とはもちろん男性です。念のため。


7月6日 湯沢に行ってきました
 
湯沢に行ってきました。もちろん法務の法事でした。車で1時間半あれば楽々行けます。高速道路の威力は凄いですね。お斎(とき)は旅館だったので、温泉にでも入っていったらと勧められましたが、残っていた月読経が気になってすぐに帰ってきました。今考えたらすごーく残念。
(-_-;)
 
長男が帰ってくる2年半後まで、しばらくお預けです。

7月5日
 
去年は、中学時代のクラブの仲間、大学時代の仲間と何十年ぶりに集まる会がありました。始まる前は何を話したらいいのか心配しましたが、いざ始まってしまえばその時の年代に帰って実に楽しい会でした。
 ところで、今日聞いた話しです。来年米寿を迎える男性3人、女性5人の8人が集まって小学校(尋常小学校?)の同級会が最近あったそうです。なんと、80年ほど前の同級生です。
 「何の話ししたんだね。」出席したおばあちゃんに聞いてみました。でも、おばあちゃんは耳が遠く私の言ったことは、聞こえなかったようです。互いの元気な顔を見ているだけで十分な同級会だったんでしょうか。ともかく、素晴らしい同級会であったことは間違いないようです。
 そんな同級会に参加したいものです。でも、40年後なんですね。

7月4日
 久しぶりの梅雨の時期を実感出来る一日でした。梅雨時期の花といえば、アジサイです。
 アジサイは咲き始めから落花まで花色が変化することから「七変化」とも呼ばれ、花言葉は「移り気、冷淡」なんだそうです。だから、アジサイの花を贈るということはないですね。花言葉の善し悪しで、需要も決まるんでしょうか? 梅雨の主役アジサイにとっては迷惑な花言葉です。
 花言葉に左右されないで、そっと花に耳を傾ければ優しい花の言葉が聞こえてくるかもしれません。

7月3日
 
一日遅れの基本健康審査に行ってきました。今日の審査の段階では異常なしとのことでした。一安心です。後は後日、連絡がある胸部レントゲン・血液検査の連絡待ちです。
 数年前に、胃のレントゲン検診を受けたとき、専門医に行くようにと言われたことがあります。レントゲン写真をもらいに行くと多くの人が集まっていました。今日と同じ会場でした。会場では胃ガン・カイヨウ等の説明が医師によって行われたのですが、医師は開口一番。
 「多くの方がここにおいでですが、この中で重大な病気という方ほんの数人かと思います。ご安心下さい。」
 ざわついていた会場が静かになりました。数人の中に自分が・・・・。ちっとも安心できません。普段は大勢の中の数人というと人事なのに、こんな時は別なんですね。
 ちなみにその時私は、単なる胃潰瘍でした。



7月2日
 
毎月2日は法務で、新潟・燕・三条・等々で150キロ以上は走ります。若いときと違って、体は疲れますが、車の運転が好きな私にとっては、・・・・・・。
 
毎月2日はドライブの日 密かなお楽しみの日なのです。
 
でもこれで、密かでなくなってしまいました。(^^; ....

 
交通網の発達によって、一日に移動できる範囲が大きく広がりとても便利になりました
。でも、その事によってかえって忙しくなったような気がしませんか?
 たしかに、文明の発達により生活は便利になりました。では、幸せになったかというと?「便利=幸せ」ということはないようです。何千年もかかって築き上げてきた文明は、人間の幸せとは無縁のものだったようです。


7月1日

 今日で一年の半分。早い?遅い?除夜の鐘を突いたのは、ついこの前の様な、ずっと前の様な。同じ時間なんですけどね。 時間には、実体はありません。でも、生きているかぎり、どんな人にも平等に与えられているものです。時間というものは本当に不思議です。
 今日は、忙しい一日で、日中の時間が全く足りませんでした。またまた、月読経が行けないお宅がありました。ごめんなさい。
 あるお宅に伺うと、広告裏に住所・名前がびっしりと書いた紙が数枚テーブルの上に置いてありました。「字の練習ですか?」と聞くと、「退職後の暇つぶしらてばね。することがねっけね。」という答えでした。「そうですか」としか言えませんでした。時間は、もらったり、あげたりすることも出来ないんです。
 「いのち・時間・信仰」などは、もらったり、あげたりできないものです。そのことは、個人所有(私有化)を許さないということなんでしょう。


6月30日 願われて生きる
 
人はそれぞれいろいろな願いを持って生きています。そして、その願いを実現するように日々努力しています。
 でも、「願い」というときには「願う」ということと「願われる」ということがあります。その両方が「人は願いに生きる」ということの内容です。
 でも私たちは願われているということは、普段あまり気付きません。しかし、私たちは間違いなく、願われて生かされている存在なのです。そのことの確認方法はやっぱり「聞く」ということなんでしょう。
 
6月29日  人は願いに生きる
 朝早く近所の「あおい保育所保護者会」の代表が、七夕用の竹を切りに来られました。もうすぐ七夕なんですね。短尺に書く子どもたちの願い事は? ちょっと興味があります。
 さて、私が短尺に書くとしたら・・・・・。皆さんは、何を願って生活されていますか?子どもたちに負けないように真剣に考えてみましょう。

6月28日  雨も
 
梅雨とはいえ雨も2日以上続くと、ゲンナリしてきます。
 大学を卒業して四半世紀。未だに雨が続くと思い出すことがあるんです。
     「洗濯物・・濡れないかな?」
 ベランダに洗濯をして干しても、取り込まない生活でした。ベランダがタンスの役割をしていたのです。せっかく乾いた・・・・も、雨が強いと濡れてしまいます。だから、梅雨時期は、何回も濡れ・乾くを繰り返します。
 京都に行っている長男もそんな生活をしているのでしょうか?ちょっと気の毒でもあり、大いにうらやましくもあります。明日にでも、大学時代の友人に電話でもかけてみようかな?