平成15年(2003) 5月 6月           
6月30日 願われて生きる
 
人はそれぞれいろいろな願いを持って生きています。そして、その願いを実現するように日々努力しています。
 でも、「願い」というときには「願う」ということと「願われる」ということがあります。その両方が「人は願いに生きる」ということの内容です。
 でも私たちは願われているということは、普段あまり気付きません。しかし、私たちは間違いなく、願われて生かされている存在なのです。そのことの確認方法はやっぱり「聞く」ということなんでしょう。
 
6月29日  人は願いに生きる
 朝早く近所の「あおい保育所保護者会」の代表が、七夕用の竹を切りに来られました。もうすぐ七夕なんですね。短尺に書く子どもたちの願い事は? ちょっと興味があります。
 さて、私が短尺に書くとしたら・・・・・。皆さんは、何を願って生活されていますか?子どもたちに負けないように真剣に考えてみましょう。


6月28日  雨も
 
梅雨とはいえ雨も2日以上続くと、ゲンナリしてきます。
 大学を卒業して四半世紀。未だに雨が続くと思い出すことがあるんです。
     「洗濯物・・濡れないかな?」
 ベランダに洗濯をして干しても、取り込まない生活でした。ベランダがタンスの役割をしていたのです。せっかく乾いた・・・・も、雨が強いと濡れてしまいます。だから、梅雨時期は、何回も濡れ・乾くを繰り返します。
 京都に行っている長男もそんな生活をしているのでしょうか?ちょっと気の毒でもあり、大いにうらやましくもあります。明日にでも、大学時代の友人に電話でもかけてみようかな?

6月27日
 天気続きの頃は赤茶けていたスギゴケも、ここ2〜3日雨で元気を出しました。立ち直りの早さはうらやましいかぎりです。
 ついで、元気を出してきたのは雑草です。「畑の草も元気出してきて、大変だね」とお上手をいうと、「この雨で、草も生えねよな、畑らったら、どうしょばね」と近所のおばあちゃん。自然相手の畑仕事60年以上。都合の善し悪しは言いません。恐れ入りました。


6月26日 マメのふる里
 今日も近所のニャンコが遊びに来ました。名前はマメ。もちろん、「ごめん下さい」とは言いません。でも「ただいま」という雰囲気なんです。それには理由があって、捨て猫が、我が家の車庫の二階で産んだニャンコなんです。運良く、近所の人に飼ってもらたのです。
 趣味は昼寝と散歩。散歩の途中に実家に立ち寄るということなんでしょうね。大蓮寺がマメにとってのふるさとなんです。

6月25日
  
 昨日6月24日は地蔵様のお祭り。理由は?。わかりません。ともかくあちこちの地蔵様に旗が立っていました。
 吉田町高木でも、地蔵講があり、毎年お祭りがあります。大人はお酒、子どもたちは飴が振る舞われます。私の場合は両方いただきました。
 子どもたちよりも、ずっと前の子どもたちの方が楽しそう。でも、子どもたちは、地蔵様の祭りでもらった、飴の甘さをずっと憶えているんでしょうね。
 大人になって遠くに行っても、何時か地蔵様の前を通る時、かすかな記憶の中で飴の甘さを思い出すんでしょうか? きっと、なつかしいふる里の甘さでもあるんでしょう。

6月24日 体は絶好調・・でも
 
今日で3日連続のお通夜でした。ここ数日間は、予定も段取りも全く間に合わないという状態です。また、こういう時は別な用件も出てくるんです。いろいろな方にご迷惑をお掛けしました。すみません。
 不思議なことにこういう時は体は絶好調なんですね。(歳を考えると後が恐いような気がしますが・・・)でも、寝不足で頭が体に付いていけません。(^^; ....
 
6月23日  段取りだけで
 
寺に住む者とって「予定」「計画」は、まったく当てになりません。一年前からの「準備」でも、急用が出来れば、個人的なことはみんな中止・延期になります。それは、食べること・寝ることに関しても例外ではありません。
 でも、いのちということで言えば、みんなが同じなんです。娑婆のご縁が尽きれば、全てのものを置いて浄土に帰っていかなければならないのです。当てにならない「予定」「計画」「準備」に振り回されて生きるのでなく、「今」をどのように生きるかが大切なことなんでしょう。
 
段取りは一生懸命なのですが、行動が・・・・私の問題点です。
 

6月22日
 
鈴虫のふ化が始まりました。去年と比べると約1週間遅れです。体より触角の方が大きいので、触角が動いているという感じです。鈴虫の寿命は1年で、秋に卵で産まれ、春にふ化、そして秋には死んでしまいます。だから、親のことは知りません。知っているのは私だけ。何か変な気分です。秋になったら、きれいな音を聞かせてくれることと思います。

6月21日 報謝講開催
 報謝講でした。風もなく天気で助かりました。10時から始まって終わったのが3時。逮夜(たいや)のお勤め、昼食を挟んで6席の説教でした。長丁場ということでお参りされた方には本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。
 7月に入ると今度は盆参・墓参の準備が始まります。だから、それまでちょっと休憩・・・というわけにはいきません。勉強会、会議等に日程が入っています。のんびり出来るのは・・・12月に入ってからでしょうか?  

6月20日
 
台風らしい風も無く、一安心しました。でも、明日の報謝講の為にせっかく奇麗にした庭が風で元に戻ってしまいました。風がくても台無(^o^;です。
 言い訳にはちょうどよかったかもしれません。 明日は、10時からお経が始まります。お参りしてください。

6月19日
 本堂の冬囲いを外してもらいました。去年の11月から、本堂を雪や風から守ってくれた囲いです。風が強い日でも安心して眠ていられました。今日までありがとう。
 
 明日は、台風接近とか?囲いが無くなったので、これから本堂に行って風対策をしてきます。
 でも、囲いには、せめて、明日まで頑張ってもらってもよかったのかな?
 何処までも、楽をしようとする私でした。 

6月18日
 不思議なメールが届きました。数日前に出したメールの返事です。こんなスタイルのメールが流行っているのかなと一瞬思いましたが本文を読んで納得。

以下メールの本文です
  「こんばんは かくにんが おそくなって すいませんです
  なぜか かんじ にゅうりょく できません・・・
  ファイルは ぶじに よみこめました ごあんしんください
  6/20 PM 2:00 おまちしております
  それまでには なおしておきます」
  

ひらがなメールに返信しました
  kanji nyu-ryoku dekinaito ha komarimasitane
  saiakunobaai [TOBIRA] ha zenbu hiragana dattarisite (-_-;)
  demo ro-mazi yori yomiyasui to omoimasu
  20hi madeni syuufuku surukoto wo nenzimasu (^o^;

 やっぱり、漢字があると読みやすいですね。漢字は凄い!
                             

6月17日
 寺泊聖徳寺様の報謝講でした。写真は聖徳寺様の裏庭です。裏山の斜面を利用してツツジが植えてあり、下の池には蓮も咲いています。寺泊町指定の文化財にもなっている素晴らしい庭です。
 何年か前に若い人たちが数十人集まったときのことです。始めて庭を見たこと人が多く、「ほー 凄い」「んー 好いな」そんな声があがっています。
   
 そんな中で、「この庭・・・・掃除、大変だろうな」という声がします。振り返ると若いお坊さん。普段、庭掃除で苦労していたんでしょうね。
 
同じものを見ても、聞いても、受ける印象はその人によって違います。そんな当たり前なことを、テレビのニュースショーは画一化したコメントで、否定しているように思えるのですが?

6月16日   安くて美味い
 そら豆に続いて、我が家の畑の初物たちが食卓に並び始めました。八百屋さんの店頭には、時期が分からないほど多くの種類の野菜、果物がならんでいます。でも、旬のものは、安くて美味い。やっぱり旬が一番です。
 畑には四季を通じて旬の野菜があります。私たちにも年代によって違う種類の旬があるように思います。その年代による旬を楽しむことは、やっぱり、安くて美味いかもしれません。みんな、みんな今・この時間が旬なんです。


6月15日
 火事ではありません。床下防除です。朝5時前から地区の青年会の手で行われました。床下防除は蚊・羽虫の駆除かな?(ごめんなさい。知りません)
 午後からは、地域の人によるアメシロの駆除。どちらにしても、虫にとって今日は大変な日だったようです。
 私にとっても今日は大変な日でした。理由?
 個人的にお問い合わせ下さい。 (;^_^ 内緒でお教えします。ただし他言無用ですよ。


6月14日  
 
米寿のお祝いを兼ねた法要がありました。

米寿のおばあちゃんに質問。  「何時頃が一番よかったね?」
 おばあちゃんの返事。  「バカになって仕事しているときが一番よかった。布団に入れば、すぐ寝られた。時間になれば腹が空いた。」

 
思ってもいない返事でした。おばあちゃん ありがとうございました。大切なことを教わりました。


6月13日
 
黄色い帽子の小学1年生はともかく好奇心が旺盛です。今日も学校からの帰り、よそのお宅の玄関先に数人しゃがんでいます。地面に何か落ちていたのか、丸くなってしゃがんでいました。子どもの頃に同じような記憶がありませんか?

 子どもたちは、不思議なこと、解らない事は率直に話し、知ろうとします。
  「これなんだ?」「見たことない。なんだろ?」
  「棒で突いてみるか?」
 
こんな、感じでしょうか? 

 大人になると、知らん顔・・・・
 「これなんだろ?」「さー?」
 
これでお終い。後が続きません。

 子どもは、知らないことを相談しあいます。
 大人は、知ってることだけ相談しあいます。


6月12日  報謝講の案内 発送
 
6月21日の「報謝講の案内」の発送が終わりました。夜だけの仕事になるので、案内の印刷・封筒の宛名・封筒入れということで、一週間くらいかかります。
 そしてついに、今日で発送・配布が終わったのです(ちょっとオーバーですが)。今夜はすっきりとした気分で次の仕事に取りかかれそうです。
 
 本題を忘れてました。(^_^;   
 21日は、ぜひお参り下さい。お待ちしております。

 

6月11日  誰の勉強会?
 大蓮寺で坊守(寺の奥様のこと)会の勉強会がありました。会場の住職がお話しするということになっています。少しお話しさせて頂きましたが、こんなに話しのしにくい会はありません。
 坊守様方の勉強会のはずでしたが、終わってみれば、自分の不勉強を知らされる、私の勉強会でありました。

6月10日  そら豆は 甘いか?しょっぱいか?
 この時期、「そら豆とビール」はベストカップルです。
 そら豆をゆでる時には塩を入れます。勿論、そら豆本来の甘さを引き出すためです。塩があるから、そら豆は甘いんです。
 悲しいことがあるから喜ぶべきことが喜べる。そら豆の哲学です。
 明日は枝豆の哲学を・・・・内容はそら豆の哲学と同じなのでやっぱり止めておきます。

6月9日  
 昨日・今日と出雲崎 万因寺様の自坊法要ということで、御法中が皆さん集まりました。とにかく控え室はにぎやかです。しゃべる・笑う・歌う?(すみません。お経は読んでも歌はありませんでした)
 そして、いろいろなことを教えてもらいます。こうやって、何世代も何百年も伝統が続いているのです。
 私にとって楽しい、しかも大切な時間です。
 法中(ほっちゅう)は各寺の行事をお手伝いしあうグループです。 大蓮寺は浜法中(七ヶ寺)に属しています。


6月8日  祭りだ わっしょい!
 今日は子供会のお祭りです。田舎でも子どもの数が年々少なくなりちょっと寂しいお祭りです。それでも、中島の三地区の子供会が、それぞれ元気にわっしょい!わっしょい! 
  大人も負けずにわっしょい!わっしょい!
 かけ声というのは不思議と元気が出てきます。

 御輿のかけ声でも「わっしょい・わっしょい」の他に「そいや・そいや」・「せえや・せえや」と、いろいろです。

 私たちは、いろいろなかけ声でいろいろな元気をもらって、生活してるんです。
いろいろな「わっしょい・わっしょい」 ありがとうございます。


6月7日  無学
とは
 「無学」という言葉は事柄を理解するに必要な知識がないこと。本質・道理を心得ぬこと。能力がないこと。 等の意味で広く利用されています。
 ところが、仏教で「無学」というのは、学ぶべきことは全て学び尽くした。学ぶべきことはない状態をいいます。
 それに対していまだ学ぶべきことを残していることを「有学」といいます。つまり「有学」とは、学ぶべき課題を持って生きるということです。ある意味、親鸞・法然・良寛の諸師の課題の一つは「愚」だったんです。
 言葉は時代と共に変化します。無学という言葉は全く逆の意味になってしまいました。折を見て(書くことが無くなったら(^^; .... )別な言葉も紹介しようと思います。

6月6日   愚か
とは
 
聞法会でした。京大総長・医師であった平沢興先生の「愚かさとは深い知性と謙虚さである」というお言葉に学びました。脳解剖学の権威であった先生八十八才の時「人の体は研究すればするほど、解らんことがしみじみ解ってくる」と言われたそうです。
 知らないから愚かということでなく、知れば知るほど愚かということが解ってくるんですね。 愚禿親鸞・愚癡の法然・大愚良寛。先達がご自分で名乗られた名前です。愚かであることを知るためには勉強(聞法)しなければならないのです。愚かであったという悲しみの中から本当の人間関係が生まれてくるのでしょう。

6月5日 仏教婦人会総会
 仏教婦人会の総会。100名ほどの参加をいただきました。ありがとうございます。講師は出雲崎 万因寺様。
 「自分が作ったものでない、多くのご縁をいただいて、今人間として生かされている。その事を喜べるのか?」
というお話しでした。悲しいこと・苦しいことがあると、本来喜ぶべき事も喜べなくなる。そんな私の生き方を問われるお話しでした。


6月4日   青々とした緑 ?
田植えから約一ヶ月。頼りなさそうな細い苗も、立派に青々とした苗になりました。 あれ?緑なのに何で青なんだろう?青葉、青菜、青虫などもそうです。
 わからに時には、インターネットで調べましょう。下の二つのことが書いてありました。

 何となく納得しましたが・・・・ちょっと?
 俳句の世界ではどうなっているのでしょう?青は季語になっているのかな?大門の前の阿部さん。後で教えてください。
 
1. 日本語の「あお」は、「緑」色を含んでいる応用範囲の広い言葉です。実際には緑色のものを青と表現します。 しかし昔に「緑」という言葉が無かったわけではなく、ちゃんと有りました。 しかし、日本人の感性の中で、若々しい、みずみずしい、生き生きしているものに、それが緑色でも「あお」とよんだのだと思います。
 
2. 以前は現在の緑色の事を青と言っていました。当時の緑は色の名前ではなく「新しい」と言う意味でした。 なので生まれたての子供のことを「みどりご」と呼んだりしていたのですね。



6月3日  新しい発見
 夕方7時過ぎに部屋の窓からの写真です。左手前が国上山。右奥が弥彦山です。毎年、この時期の夕日ってこんなにきれいだったのかな?記憶に残っていません。
 昨年10月から日記を書き始めてから、色々なものが目にとまります。もちろん日記のネタ探しの為ですけれど。
 弾みと勢いで書き始めた日記ということで、負担になることもありますが、新しい発見も多くあります。今まで見えていなかったものが、見えて来るというのは、ちょっと気持ちを豊かにするのかもしれません。


6月2日  法中講始まる
 本年度の法中講(ほっちゅうこう)が吉田町本町の広海寺様から始まりました。七ヶ寺で、お昼のお斎を挟んで説教六席・逮夜(たいや)が、日にちを変え持ち回りで勤まります。
 大蓮寺は6月21日です。皆さんのご参詣をお待ちしております。近日中のご案内を配布します。
 写真はお逮夜前の緊張?する皆さん。


6月1日    衣替え
 
衣替えの週間は、宮中の行事として始まったものです。しかし、当時は、今と違って旧暦の4月1日と10月1日に行われていたとのことですが、もっと複雑だったみたいです。現在では、今日が制服のある仕事・学校では、ほとんどが衣替えということです。
 普段の洋服では、衣替えはほとんど意識しませんが、和服についてはいまでもこの習慣が守られていて、6月になると単衣(ひとえ)(着物に裏地がついていない)を着、10月になると袷(あわせ)(着物に裏地がついている)を着るというきまりになっています。
 ということで、今日から私も衣替え(お衣変え?)・・・でなく、30日に衣替えをしてしまいました。
 せめてHPの衣替えと思い、雨上がりの新緑をイメージしてトップページの色だけ変えてみました。
 東京の友人の言葉を思い出します。「ホームページはセンスの問題だよ!」
 
片山君、確かに君の言う通りだと思います。(-_-;)


5月31日   先人の知恵
 「お経を読むときは、鼻から息を吸うのが作法だ。」
と教えられています。でも、理由がイマイチ納得できません。考えられることは、「鼻呼吸は健康に良い」という事くらいでした。
 昨日のことです。あるお宅にお経を読みに行きました。お仏壇の前には酸っぱそうな甘夏が供えてあります。酸っぱい物は苦手な私はお経の最中に唾液がどんどん出てきます。呼吸をしたとたんに、唾液が気管に・・・・・。最近時々あるんです。経験ありませんか?咳き込んでしまってお経は一時中断。
 口から息を吸っていたんです。鼻で息を吸い込めばそんなことはないんでしょうね。やっぱり先人の知恵はすごい。

 追記 違う理由だったら・・・・・・・ごめんなさい

5月30日  暑い
 「暑い・・ともかく暑い」
一日でした。ついこの前まで「寒い・・ともかく寒い」と言っていたような気がします。
 人間、言っても仕方のない愚癡がつい出てしまいます。言わなければならない事はおっくうで言えないくせに・・・。 変ですね。

5月29日   人と人のつながり
 
2年半ほど特別養護老人ホームに入っておられたおばあちゃんのお通夜でした。開所当初からの入所ということもあったのか、多くの特養職員の皆さんが来ておられました。
 通夜も終わり、最後のお別れをしている特養職員の皆さんの目から涙が・・・。人と人のつながりって素晴らしいな。そう思えた瞬間でした。


5月28日   こだまの哲学
 「チャレンジデー2003Inぶんすい」
が開催されました。町民の健康づくりを推進するということで数年前から「チャレンジデー」が行われています。15分以上の運動をしましょうということです。
 少しくらいはと思ったのですが何せ、今日の暑さです。見事に断念しました。
 「暑ければだれる。寒ければ固まる。」なんとも頼りない体です。「少しは頑張れ」と体に叱咤激励すると、体から返事が返って来ます。 
 「お前もな」      こだまの哲学です・・・・・・・(-_-;)

5月27日    磨けば光る
 仏教婦人会の役員会がありました。合わせて毎回仏具のお磨き奉仕をお願いしています。皆さんのお陰で仏具はピッカピカになりました。ありがとうございました。
 仏教婦人会総会の日程も決まりました。ご参詣をお待ちしております。


5月26日   支えてあるもの
 
「午後6時24分ごろ、東北地方で強い地震があり、新潟でも強い揺れを感じました。」と書きたいところですが、自動車に乗っていたため気が付きませんでした。家に帰って言われて、そう言えばと思う程度です。
 自分を絶えず支えている大地がグラグラ揺れても、自分がユラユラしていると気が付かないんですね。・・・・ひょっとして、支えられていることさえ気が付かなくなっているのかもしれません。

5月25日   苦労と喜び
 今日明日と二日続けて葬儀です。今日は95歳 明日は104歳。お二人ともご主人を亡くされて50年以上になる女性です。ご苦労の多かった一生だと思います。でも、ご苦労が多かった分、喜びも多かったのではないでしょうか。苦労と喜びは比例するんでしょうね。 ということは、苦労することのなかった人生は喜びも少ないのでは?

5月24日  人と人をつなぐもの
 
17日と18日の日記に「相互理解」ということを書きました。言葉にすれば簡単な言葉ですが、みょうに引っかかってます。
 「相互理解」ということはできるのでしょうか?そもそも、人が人を理解するということは・・・・・・・。

 仮に人が人を理解することができなくても人と人をつなぐものがあるはずです。

     ・ 私たちを共通に生かしている無量寿のいのち。
    ・ 差異を認める


 「共通と差異」の相反する物が「人と人をつなぐ」?????
 少し無理があったでしょうか?

 5月23日
 新潟市の佛興寺様で 新潟教区主催の「布教大会」があり、一般の参加者は100名ほどだったそうです。あんまり多くてびっくりしました。
 近頃は人を集めることが困難です。そんな中で平日、一番人数を集めることが出来るのは・・・・「老人クラブ」でしょうか。
   恐るべし「老人パワー」 

5月22日

 とってもきれいな夕日です。田んぼの水面にも夕日が反射していました。思わず車を止めて撮影。帰宅途中の皆さんにはご迷惑をおかけしてごめんなさい。。

 「最近の日記写真が多くなりましたね」とのこと。
 「ドキ!」 「決して写真でごまかしているわけではありません」ということにしておきます


5月21日    不思議なステッカー
 車を運転していたら、若いお母さんの運転する軽自動車が元気よく追い越して行きました。車の後ろには「赤ちゃんが乗ってます」「子どもが乗ってます」の二枚のステッカーが貼ってあります。
 ・・・・・で、オレどうすればいいの?何に注意したらいいのか判りません。考えてみれば何とも不思議なステッカーです。
 どうせ、貼るのなら「私が運転しています」という写真付きのステッカーならいいですね。写真によって何に注意したらいいのか判断できるかもしれません。 (^_^;
 
5月20日   伝えるべき事
 
分水町戦没者追弔会がありました。戦後58年ということで段々と参加者が少なくなっています。戦争の話しは、若い人は聞きたがらず、年配の人は若い人が嫌がるからと話しをしなくなりました。
 核家族化が進む中、どんどん伝えるべき事が伝わらなくなってきています。「伝える人」「伝えられる人」の努力が必要です。後ろ姿さえも見えない時代になったのでしょうか?


5月19日   いのちの営み
 昼も夜も一日中じっと家で待っているだけのお仕事です。みんなに嫌われ、時々人間に家を壊されたりもします。それでも辛抱強く待っているのがお仕事です。
 そんな、いのちの営みもあるんです。いろんないのちの営みがあるんです。


5月18日  聞き上手
 
なぜ、相互理解の手段である言葉が、相互理解ならないことがあるのか?

答えは簡単。言葉は理解する手段であると同時に理解させる手段だからです。「する」「させる」とでは大違い。「聞く」「語る」の違いでしょうか?相互理解するためには、語るということより聞くということが大切なんですね。
 そういえば、最近少なくなりました。「聞き上手」。現代人は聞くことが下手になっているようです。

 
5月17日  言葉の不思議
   地獄は言葉の通じない世界
   極楽は言葉の必要としない世界
   娑婆は言葉の通じる世界

 我々の住む娑婆世界は言葉を必要とする世界です。私たちは、言葉を通して相互理解を深めようとします。
 でも、誤解が生じるのも言葉が原因ということが多いようです。相互理解の手段である言葉が、誤解を招き、人を傷付ける原因になるということは、なんとも皮肉なことです。


5月16日
 朝4時半頃の中庭の写真です。用事があってちょっと?早起きしました。 「雨上がり・新緑・明け方」今までこんな状況でゆっくり中庭を見たことがありません。いのちの息吹が吹き出しているようです。またまた、感動してしまいました。
 感動というのは回を重ねると薄まるのでなく段々濃くなるようです。
 早速デジカメで撮影しましたが、うまくお伝えできないのが残念。


5月15日
 
子どもたちの中間テストが近づいています。ところが、普段とは違って「もう寝るの?」というくらい寝る時間が段々早くなっています。
 自分の子どもの頃を思い出してみると・・・・やっぱり・・・同じでした。テストが近づくと、本を読んだり、部屋を掃除したりしてましたね。
 今はというと、相変わらず締め切りぎりぎりまで先延ばし状態。(-_-;)
 現実と向かい合うということは難しいようです。

5月14日 花もすごいが・・・
 燕市にある「安了寺様の白藤」です。樹齢三百年余りといわれ、県の天然記念物に指定されています。枝張りは東西約30メートル、南北約20メートルにも及んでいてカメラに入り切りません。藤棚は1m程もある大きな房に付いた白い藤の花で埋め尽くされ、花々から芳香される白藤の優美で甘い香りが境内一杯に漂います。
 花もすごいですが、幹のまわりは7メートルあまりもあるんだそうです。花に驚かされますが、幹を見て納得です。土に隠れた根と幹があって、これだけの花が咲くのですね。
 私たちは人生の結果(果)にばかり眼が行きます。でもその陰には必ず因と縁があります。因と縁に眼を向けることがなければ自分の人生を見つめることにならないんでしょう。。 


5月13日
 文部科学省は、小5−中3生を対象に実施した全国規模の学力調査の分析結果を公表した。自分の考えをまとめ記述式で解答する問題に対して無解答が多く、表現力や思考力が十分身に付いていないことを示した。

 全教科共通で無回答は記述式というキーワードがあるようです。無回答ということは、何を書いたらいいのか解らない、文章の問題の意味が解らないということでしょう。
 想像を超える描写を放送するTVは、もはや私たちの想像を必要としない。だから、文章を読んでも状況が想像できない。また、 「ピンポン・ブー」の二者択一の影響で、曖昧(あいまい)な表現が理解できない。分析した国立教育政策研究所は「明確な原因は不明」としているが、原因は明確です。「本を読まない」ということでしょう。
 毎日、日記を書いていると、つくづく思います。子どもの頃にもっと本を読んでおくべきだったと・・・・。老眼が進む前に本はしっかり読みましょう。


5月12日
 裏庭でボタンが咲きました。この時期は寺の行事はないので、お客様に見てもらうわけにはいきません。でも、そんなことに関係なく、精一杯花びらを広げて咲いています。
 人間だったら「ほら、見ろ」と言いたいところです。
 限りあるいのちをひたむきに一生懸命生きているからこそ、花は美しいんでしょう。
「人、見るもよし。人、見ざるもよし。我は咲くなり」
                         武者小路実篤



5月11日    おかあさんありがとう おとうさんがんばって
 今日は母の日。
 十数年前に、保育園に入った長男がもじゃもじゃ頭のおかあさんの似顔絵を描いて来ました。そこには先生の字で
    「おかあさん ありがとう」
と書かれてあります。
 うらやましく思いながらも6月はいよいよ父の日です。ちょっとの髪の毛とヒゲがおとうさんの特徴。なるほど!
 そして、そこにも言葉が ・・・「おとうさん がんばって」・・・
 なんで、「おとうさん ありがとう」じゃなかったんでしょう?やっぱり今もそうなんでしょうか?少し気になる思い出です。


5月10日   食いしん坊
 我が家の子どもたちは「クマのプーさん」が大好き。その影響か、恥ずかしながら私の携帯の裏にもプーさんのシールが貼ってあります。2000年度のディズニーの収益のうち、くまのプーさんは45億ドルを稼ぎ出したんだそうです。我が家もちょっとだけ貢献しています。
 原作者ミルンの子孫・関連商品を商品化する権利を獲得したスレシンジャー社・スレシンジャーに一定の権利使用料を支払いながら、プーさん商品を販売しているウォルト・ディズニー。この三者による「プーさん」をめぐる裁判の判決があったそうです。莫大な利益を生み出す「プーさん」だけに最終決着は当分付かない様子。蜜に群がる蟻の様です。
 蜜が大好きな「食いしん坊プーさん」も「食いしん坊人間」にあきれ顔かも?
 「プーさん」ファンの独り言です。



5月9日     すごい会話
 先日、ある研修会後の懇親会で70才半ばの男性と隣り合わせたました。
   私は車で行ったので「ウーロン茶」
   隣の男性も「ウーロン茶」
 以下はその男性との会話です。

    私  「車ですか?」
   男性  「おめさんもそらかね?」
    私  「はい」
   男性  「代行運転頼まれるかどうか分からんけ、ウーロン茶にしたわ」
    私  「平日だし。まだ夕方だから大丈夫じゃないですか?」
   男性 「代行って、自分のに乗るんだよね」
    私  「はい。そうですね。」
   男性 「酒飲んでバイクの後ろは危ないから止めとくわ」
    私  「えっ!・・・バイクですか?(;^_^・・・ヘルメットもう一つありますか?
        ・・・・・何ccですか?」
   男性  「ヘルメット?ねえな。50ccらろも。」
    私  「・・・・・・」

 世の中すごい人がいるんですね。とっさにヘルメットの心配をした私も・・かなりすごい。
 でも、代行を頼んでたら、代行の人はどうしたんでしょね。バイクの代行ってあるんでしょうか?今思い出しても・・(^O^)・・です。

5月8日    いのち淀みなく
 
またまた続きです。くどくてすみません。
 「西川の水は何処から来て、何処へ行くんだろう?」  西川の起点は見つけました。でも西川の水ということになると・・・?水の起源は何処?
 左の写真は信濃川と西川の分岐点であり、国土交通省と新潟県の管理責任の分岐点でもあります。でも、川の名前が変わっても、管理責任が変わっても同じ水が流れているんです。
 私たちのいのちの起点は「お母さんのお腹の中誕生日」ということでしょうか。では、いのちの起源は? 私たちのいのちは何億年も前から、脈々と受け伝え伝承され流れ続けているいのちなんです。真宗では無量寿という言葉で言い表します。「私のいのち」といっても、管理責任が変わっただけなんです。
 川の管理責任の仕事は、水を淀みなく流し、水の使命をまっとうさせることにあります。いのちの管理責任者の私たちの仕事も同じなんです。いのちは無量寿からの預かりものなんです。決して私有化できるものではないんですね。


5月7日    お釈迦様の歩み
 
子どもの頃はいろいろな問いを持ちます。
お釈迦様は、「僕は何処から来て、何処へ行こうとしているのだろう?」
 私は、   「西川の水は何処から来て、何処へ行くんだろう?」
 活字にすると何文字か違うだけで、そんなには違わない問いです。でも、やっぱり違うんでしょうね。

 お釈迦様の言葉は、迷子になってしまったという問いです。ただし、人生の迷子ということです。
 「僕は何のために生まれてきて、何をすればいいのだろう?」
ということでしょうか?思春期には誰もが持ち、答えのないまま忘れてしまった問いでしょう。記憶がありませんか?お釈迦様は問い続けたんです。ずっと。

      「自身に眼を向け、自身の在り方を問い続ける」

 お釈迦様と親鸞聖人のご生涯の歩みの共通点です。これが仏道なんでしょう。
 昨日の続きでした。  明日は?


5月6日   感動できない現代人
 生家(岩室村)のすぐ近所をを通る西川は、大川津分水の信濃川を起点として分水町〜吉田町〜弥彦村〜岩室村〜巻町〜西川町〜と流れ上水道にも利用される一級河川です。

 子どもの頃に悪戯をすると「西川に流れていたから拾って来た」と時々?親に、からかわれた記憶があります。(後に川上に流れて本当に拾われました(^o^))
 西川の土手は、子どもの頃の遊び場で写真(左上)も残っています。「この水。どこから流れてくるの?どこまで流れて行くの?」子どもの頃の問いでした。

 
今日は大川津に法務で行ってきました。車に乗ろうとした時30メートルほど先に赤い水門が見えます(右上)。西川の水門というのはすぐに解りました。天気もいいのでお衣姿でカメラを片手にぶらぶら歩いて見学。赤い水門の先50メートルほど先に橋があります(真ん中)。この橋も時々通っている橋です。でも、看板は今まで気づきませんでした。この場所が、西川の起点だったんです。

 本当に感動しました。感動の理由はすぐに気付きました。大川津に西川の起点があるということは知っていましたので、感動の理由ではありません。「この水。どこから流れてくるの?」という問いを思い出したからです。問いの答えがここに・・・・・・!
 人は答えだけでは感動しないんです。問いがあってはじめて感動するんです。「なぜ?どうして?」という問いを忘れ、答えだけを知ろうとする、知っている現代人。感動できない現代人の理由です。

 ところで、清司くん 伝市くん どうしてますか?写真を勝手に使ってごめんなさい。今度会いたいですね。

5月5日
   子供の日
 総務省のまとめた人口推移によると、4月1日現在の15才未満の子どもの数は1801万人で22年連続で減少し少子化傾向が続き、総人口に占める子どもの割合は14.1%と過去最低とのことです。

 ただ、大人の幼稚化を考えると子どもの人口比は40%くらいになるかもしれません。(^^; ....


5月4日
 いつもは、「ほとんど仕事をしない・邪魔だ」と軽トラック、トラクターから陰口を言われています。でも、今日は違います。どうですか。凛々(りり)しいでしょう。田植えは僕にしかできません。
 「♪♪NO.1にならなくてもいい 
           もともと特別なOnly one
♪♪

 SMAPの歌を口ずさむご主人も僕も上機嫌です。
 でも、人間はいつも「NO-1」になろうとしています。だから、いつも不機嫌!人間って不思議です。

5月3日
 待ちに待った、美味しい春が出てきました。やっぱり我が家の竹の子が一番。水を火にかけてから、竹の子を掘りに行くのです。アク抜きなんかいりません。小さくても鮮度が違います。
追記
 京都に行っている長男へ
  連休だし、竹の子を食べにちょっと帰って来ないか?


5月2日
 ブッシュ米大統領が一日、イラク戦争での戦闘終結を宣言した。
 しかし、大義名分の大量破壊兵器も発見できていないなど、大きな問題を残しての戦闘終結宣言です。戦闘は終結しても「イラク戦争」は終わっていません。
 壊れた物の修復と人のこころのケアはどのように進められるのだろうか?イラク国民を抜きにした、大国同士の石油利権の争い主導にならなければいいのですが・・。
 また、イラク関連のニュースの中に、イラク「国民の顔・願い」が見えているニュース報道なのか、「アメリカ発」のニュースでなく「イラク国民発」のニュースかどうか?マスコミの報道の在り方もしっかり見たいと思っています。


5月1日

 今日も歯医者さんでの話題です。先回は予約時間に遅刻しそうになったので、今日は早めに到着です。待ち時間に雑誌でもと思い、新潟の情報誌「新潟こまちWeek」を広げました。初めて見る雑誌でしたが、情報誌だけあって、衣・食・住・遊の記事が中心です。
 当然、中年のおじさんが心引かれる記事は「食」でしょう。どの、料理の写真もきれいで美味しそうです。「デジカメではこうはいかないな」と感心しきり。条件反射で食べたいと胃袋が要求します。
 でも、料理の写真の上に、コックさんの顔写真・・・・。「私が作ります」という感じでニコニコ顔です。とたんに、頭は胃袋の要求を却下・・・・。
 コックさんには悪いけど、コックさんの写真はいらない・・・・・かな?そんなこと思うのは私だけでしょうか?














.