平成15年(2003) 1月・2月 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2月28日
2月27日 小の月(何年かぶりで使った言葉です。何か懐かしいな!)の31日分の月読経は、30日に行っています。そして、明日は月末の28日です。ということは、28日29日30日31日分の月読経を明日行かなければならないのです。もう、大変です。 しかも、2月3月は、日にちの曜日が同じなので、今月、日曜日で忙しく行けなっかた、家はまた行けないかもしれません。どうして、31日を減らして2月の日にちを増やさなかったのでしょうか? と、毎年同じ愚癡を言っています。毎年同じ愚癡を聞かされる家族も気の毒です。 2月26日 2月22日の日記の続きです。小学校6年の国語の教科書に「子供は未来人−手塚漫画にこめられた願い−」ということで石子順氏の文章が載っていました。以下はその一部です。 「鉄腕アトム」などのSF漫画といわれている手塚作品では、科学文明が発達した未来における人間の思い上がりをえがく中で、科学文明の発達が本当に人間や生き物の幸せをもたらすのかと問いかけている。 手塚氏の描いたSF漫画に、現代がどれだけ近づけたかという、大人の傲慢な比較では、「鉄腕アトム」は読めないということなんでしょうね。手塚漫画は、子供(未来人)に帰って読みましょう。 ちなみに、思い出というのは、単に「懐かしい」ということだけでなく、「起点に帰る・起点に帰るきっかけ」ということがあるんでしょうね。みなさん、起点はどこにありますか? 2月25日
2月24日 所要のついでにホームセンター・電気屋さん・リサイクルショップへ行ってきました。。みんな大好きな所です。結局、魚の餌しか買いませんでしたので、ウィンドゥーショッピングというところです。ひさしぶりにのんびりさせてもらいました。でも、こんなにのんびり出来るのも携帯電話のお陰なんです。携帯電話があればどこにいても、すぐに対応できて安心感があります。便利になったものです。 私は携帯電話のお陰で解放されまが、縛られている様で嫌だという人もいます。同じ道具でも、解放されると感じる人と、縛られると感じる人といるんです。それぞれのライフスタイル・年代等で変わるんでしょうか? 子供の頃親しかった大工さんが言っていた言葉を思い出しました。 「道具の善し悪しは、使う人間によって決まる」 携帯電話の問題がとかく論議されますが、やっぱり使う人間・使わせる人間の責任なんでしょうね。 2月23日 掲示板でもご案内しましたが、3月7日(金)は、本山布教です。お誘い合わせてご参詣下さい。今年は、滋賀県 光闡寺 ご住職 藤井靖信師の布教です。もちろん若い方も大歓迎です。 2月22日 誕生日と言えば2003年4月7日は鉄腕アトムが生まれた(生まれる?)日だそうで、ちょっとしたアトムブームです。そう言えば、小学校の図書館に鉄腕アトムの本がおいてありました。家庭で漫画を買ってもらえるような時代ではなかったので、ずいぶんお世話になりました。懐かしい、思い出です。 あの頃は、とんでもない先の事と思っていたのですが・・・・。 手塚治虫氏が、思い描いた未来像と現代との比較が盛んにされています。その事も、興味深いことですが、手塚氏が鉄腕アトムを描かれた動機の方がもっと、興味深い問題です。まとめて、鉄腕アトムを読んでみようかな? 2月21日 昨日の続きです。お釈迦様は誕生された直後に「天上天下唯我独尊」と言われたそうです。「そんなバカな」と言わないで、このように誕生を表現されたのは、なぜかということを考えてみます。 お釈迦様は全人類の代表としてうまれられたのです。代表というのは、その周りに多くの人がいるということです。しかも、周りの人と心が同じでなければ代表ではないのです。つまり、我々も「天上天下唯我独尊」と表現される誕生があったのです。独尊というのは、釈尊だけ、私だけ尊いということでなく、すべての人、独り一人が全てが尊いということです。 尊いということには、2つ意味があります。 @ 生まれたということが尊い A 生まれ出て歩む人生が尊い 思春期には「何の為に生まれたのか」という問いを持たれた方も多いと思います。言い換えれば「尊いと言える人生を送る為には何をすればいいのだろうか?」という問いです。その問いの正解はありません。なぜなら、問いが間違っているのです。 我々は既に尊い人生を歩んでいるのです。生まれたという、「いのち」そのものが尊いのですから、そのいのちが歩む人生は当然尊いはずです。尊いものを外に求めるのでなく、内に自覚し、人生の歩みの力とするということが誕生日の意味でないでしょうか?尊いいのちをいただいて生まれたのだから、祝う(おめでたい)ということなんですね。 2月20日 今日は次女の誕生日です。満12才になりました。もう12才。やっと12才。これから12年後は・・・。親としては思いは複雑です。 誕生日には「おめでとう」と家族が言い、本人は「ありがとう」と挨拶をします。「おめでとう」はおめでたいことを祝う挨拶です。ちなみに昨日は私の姉の誕生日だったそうです(すっかり忘れていました)。五十数才の誕生日です。世間では、年を重ねた誕生日はそんなにめでたくもないと言います(姉が言ったのではありません)。特に女性に多いようですね(もっと、どんどん年を重ねると目出度くなるようです)。不思議なものです。その年齢によってめでたいときと、それほどでもない時があるんですね。 誕生日を祝うと言うことはどういう意味があるんでしょう? 明日までに、考えておきます。皆さんはどのように思いますか? 2月19日 今日は泊まりがけでお出かけです。といっても近所の岩室温泉です。会議・勉強会・新年会・座談会・懇親会・慰労会・・・。実は、飲もうか?というだけの集まりです。 遅刻しそうなので、行ってきます。 2月18日
2月17日 葬儀 分水町 中島 一週間ほど前から、「お彼岸・本山布教・維持費納入のお願い」等のダイレクトの作成を始めたのですが、なかなか進みません。ぎりぎりでないといつも終わりません。よく言う一日延ばしです。「今日でなくても、明日でもいいのだから・・」今日も負けそうになっていました。 でも、今日の葬儀のおばあちゃんが、亡くなることを通して教えてくれていたんです。いくら、元気だからといっても、明日も元気だという保証は一つもないことを・・・ だから、今夜は頑張ってみます。みなさん、おやすみなさい。 2月16日 法事 分水町 砂子塚 中陰 分水町地蔵堂 通夜 分水町中島 明治40年生まれ。97才のおばあちゃんのお通夜でした。病気らしい病気もなく、亡くなる30分前まで元気で生活されていたそうです。聞法会にも何十年も出ていただきました。長い間ありがとうございました。 2月15日 時斎 吉田町 高木 春が来たみたいだったので・・・・・車のタイヤを夏タイヤに交換してしまいました。1本変えた段階で「待てよ」とも思いましたが、後は思いっきりと、勢いです。 人生には多々迷ったり、後ずさりすることがあります。そんな時は「思いっきりと勢い」も大切です。考えてばかりでは先に進みません。 でも、後で後悔する事もあるんですね。きっと・・・・・・・ 2月14日 「分水町青少年問題協議会」に出席してきました。「青少年を健全に育成するための地域の役割について」というテーマでした。会が終わった後に「健全?育成?地域?役割?・・・・」 言葉にこだわるわけではありませんが、どういう状態を健全と言うのでしょうか?辞書には、 (1)体や精神に悪いところがなく,元気なさま。 (2)状態や考え方が片寄らず堅実で安心できるさま。 とあります。 ちなみに不健全は 体や精神,あるいは物事の仕組みに欠陥やかたよりがあること。 辞書には、こんな風に書いてあるんですね。びっくりしました。配慮のない言葉が並んでいると思いませんか?言葉は本当に難しい。実感しています。はい。 2月13日 寒い一日でした。寒さは1月の寒さと同じですが、でもこの時期の寒さは光の春の予感があります。寒さを感じても少し余裕があります。もうちょっと先は光の春ですよ〜。 今、足下が真っ暗でも、先が明るいことが信知出来れば、胸を張って歩けます。人間って凄いんです。 2月12日
2月11日
2月9日 時斎 分水町中島
2月8日 中陰 寺泊町 敦ヶ曽根 時斎 分水町 中島
2月7日 今日は朝から気になっていることがありました。寝癖です。大したことないと思い、そのまま出かけてしまいました。出先の玄関の鏡を見てびっくり。顔の左右に立派な?寝癖があります。気になり出すとどこまでも気になりますよね。時々手で押さえたりもしていましたが、結局お昼に家に帰るまでそのまま。早速、寝癖直しのスプレーのお世話になりました。 普段、自分の体は、自分の思う通りになると思っています。でも、少なくなった髪でさえ自分の思う通りにならないのです。また、思う通りにしようとしても、何かのお手伝いが必要なのです。 寝癖でさえ自分の自由にならないこの体だこそ、尊く・大切なんですね。 2月6日 昨年の12月5日にホームページのカウンターを付けてから約二ヶ月。今日で1.000カウントになりました。ありがとうございます。住職の日記とは、だいぶかけ離れた日記になってしまいましたが、今後とも、よろしくお願い致します。 ところで、1.000カウントになって、何が嬉しいかというと、今日は日記のネタを考えなくてもよかったのです。1.000カウントになったらと一週間ほど前から狙っていました。 (^O^; 2月5日 夕方ホームセンター隣接の書店にいってきました。言わずと知れたT書店です。びっくりしました。夕方は勤め帰りの人で結構混んでいるんですね。お目当ての本を見つけレジへ行こうとしましたが、止めておきました。レジにズラーッと人が並んでいるんです(5〜6人でしたが)。 仕事柄、土日よりも、平日・昼間の買い物ばかりなので、並んで順番待ちのレジは苦手です。そういえば、順番待ちの食事も、記憶にありません。都会だったら生活できませんね。田舎生まれの、田舎育ちでよかったと、変に納得しました。 でも、混んでいる書店でいいことも発見しました。何も買わなくても、平気で出てこれるのです。これがお客さんが2〜3人だと、やっぱりね・・・・・ 追記 今、本を買ってこなかったことを後悔しています。明日昼行って買ってきます。二度手間でした。暇人でなければ出来ないことです。 2月4日 今日は立春です。寒さも雪も、まだ続きますが、暦の上では春です。 この「立春」は、二十四節気の一つ。二十四節気とは、365日を24等分した約15日ごとに特別な名前を付けたものです。これらは、中国の暦法を採用しているため、必ずしも日本の気候とは一致せず、多少のずれがあるのです。 それでも、立春はさまざまな行事の起点とされ、立春から88日めを八十八夜と呼びますし、210日めを二百十日といい、台風がよく来る時期などとされています。 春は、起点・スタートの季節です。さしずめ、立春はスタートの準備開始の日ということでしょうか? 今年は、長女・次女それぞれ、進学の年です。遅まきながら、親子で進学の準備を始めようと思います。 冬来たりならば、春遠からじ。春は、もうすぐそこまでやって来ていますよ。 2月3日 今日は節分です。節分というのは立春・立夏・立秋・立冬の前日のことを言います。特に立春が1年の初めと考えられることから春の節分が最も重視されており、一般には単に「節分」といえば春の節分を指すものとなっています。 節分と言えば、豆まきの口上は「鬼は外、福は内」・・・。でも、場所によっては「福は内、悪魔外」「鬼は内、福も内、悪魔外」、「福は内、鬼は内」、「福は内、鬼も内」と口上もいろいろで、鬼が豆まきをするところもあるのだそうです。 「鬼は外、福は内」を言い換えると「都合の悪いのはあっち、都合に良いことはこっち」何とも身勝手な口上です。私たちの日頃の生き方そのものです。 2月2日
2月1日 時斎 大蓮寺
1月31日 今日で前住職が亡くなって丸5年になります。もう5年・やっと5年・・複雑な心境です。この5年間、何が出来たのかを考えると、助けてもらった事ばかりが思い出されます。ありがとうございました。 私が、大蓮寺にお世話になった時は、住職、私、役僧2人、前寺と5人で寺役を務めて参りましたが。いつの間にか私一人になってしまいました。今後も、忙しさにまぎれて、ご門徒の皆さま、家族に迷惑をかけ、ご協力をお願いすることも多々あると思います。今後ともよろしくお願い致します。 1月30日 昨日、1週間前くらいの私の写真を見てびっくり。普段は、少なくなった前髪しか見ていませんでしたので、気にならなかったのですが、後ろ髪が、異常に長くなっていたんです。それであわてて、散髪に行ってきました。お陰で、ちょっとすっきりしました。 考えてみると、自分の、後ろ姿は見ることはありません。どんな、後ろ姿なのでしょう? 「子供は、親の後ろ姿を見て育つ」 自分でさえも知らない後ろ姿を、子供が見て育つ。子供を見ていると、納得したり、がっかりしたりで、複雑な心境です。 でも、「親も、子供の後ろ姿を見て育つ」それが、親子の関係なんでしょう。 1月29日 新潟教区会議 初七日 分水町中島
1月28日 時斎 吉田町 高木 私は日記は書いたことがないのです。住職日記でなく、個人の普通の日記です。マメな人は、20年も30年も書いているんだそうです。読み返すことはあるのか、と聞くと大抵の人は読み返してはいないようです。ただ、2〜3年前の農作物のタネ種えの時期とか、天気は見ていみたいです。 普通は、天気を書いてから、日記が始まります。 ところで、今日みたいな天気の日はどのように書くのでしょうか?人ごとながら気になります。 雨・あられ・雪・晴れ・曇り・雷・強風・・・・どんな組み合わせだったか忘れていますし、後で読んでもこの天気では、判らないでしょうね。住職日記に天気の欄がなくてよかった。 でも、もし書くとすれば・・・・・・「天気 何でもあり」・・・・・・かな? まるで、私のこころの中みたいです。 1月27日 暖かいけど雨・・・・寒いけど天気 どちらの天気がいいか。自分の都合の問題ですけど。「暖かい」ということで、今日の天気はちょっと期待したんですけど・・・結局は「寒くて雨」。 だから、ちょっと不機嫌でした。 不機嫌の原因は・・・「天気」・・・「予報」・・・ やっぱり、わがままな自分勝手な都合でしょう。上機嫌・不機嫌と言っても原因はたいてい自分の勝手な都合なんです。 1月26日 葬儀 分水町 中島 とてもいい天気でした。本堂前の雪も少しずつ消えています。雪が消えるとうれしいのですが、雪の下から出てくるのは、松の枯れ葉です。特に今年は、折れた枝が多いようです。雪解けと共に段々気になってきました。いいことがあれば、困ることもあるんです。私たちの人生みたいに・・・・ 1月25日 中陰 分水町 中島 通夜 分水町 中島 お通夜は、近所のおじいちゃんでした。長い間、大蓮寺のお世話をしていただいた方です。20日にお見舞いに行ったばかりでした。「生者必滅」その絶対の道理も、ご縁の有った方が亡くなることを通してしか、実感できない人間の悲しさを感じるのです。親鸞聖人の言われる「凡夫」ということが心にしみてきます。 1月24日 最近、スローフードという言葉をよく目にします。スローフードとはファーストフードにより画一化されてきた食を世界何処でもその土地土地の伝統的な食材や調理法を大切にし昔からの味、食の多様性を守って行こうという考え方です。 マスメディア等の発達により、生活習慣がスピード化され、全国的に画一化されてきています(ファーストライフ)。土地土地の先輩たちが築き上げてきた伝統を守り、ゆったりとした生活習慣の運動(スローライフ)も必要かと思います。スローライフによって、ギスギスした人間関係が、温か味のある生活に戻るのでないでしょうか。 追記 ファーストライフ・スローライフについては、いろいろはHPがあります。ご覧になってみてはいかがですか? 本当は、ファーストライフ・スローライフという言葉があることを知らなかったので、自分で作ったつもりでいました。はずかしい! 1月23日
1月22日 出かけ先で、雪に隠れたコンクリートブロックにタイヤをぶつけてしまいました。大したことない様子だったので、次のお宅へ・・・・。着いてみると、タイヤの空気が半分になっています。こりゃダメだと、早速、行きつけの修理工場へ直行しました。修理工場に着いて、タイヤを見るとぺっちゃんこで、摩擦で湯気まで立ってます。ホイルで走ってきた状態でした。 そばにいた整備士さんに「タイヤ、ダメでしょうね?」と言うと、 即答で「だめですね。」の返事・・・・・・ 本当は、「見てみましょうか」くらいは、言って欲しかったんです。だめだと、わかっていても・・ 1月21日 月読経も20件を超えると、ちょっとしんどい。お経が終わって、「たまに、お茶飲んでかんかね」の声を背中に聞いて、「今日はちょっと」と言いながら玄関へ。そして、そそくさと、次のお宅に向かう。 昨日の20日は、結構暇だったんですけどね。忙しいときは、体が2つあっても足らないくらい。暇の時は、体を持て余す。「ご命日が平均してあればいいのに」と言うわけにはいきませんね。 1月20日 午後から吉田町の総合病院へお見舞いに行ってきました。午後の病院は午前中の病院とちょっと雰囲気が違います。 入院する人・退院する人。入退院で荷物を運び込み人・運び出す人。近親者の急を聞いて駆けつける人・出産のお祝いに来る人。・・・・・・・いろいろな人が、玄関を出入りします。病院の玄関は、多くの人の人生模様の玄関でもあるのです。 1月19日 中陰 燕市小中川 分水、弥彦、寺泊の3町村が燕、三条などと合併が検討されているとのこと。二転三転している分水町の合併問題は、先が見えない様子です。合併問題が、具体化されれば、されるほど市町村のエゴの押し付け合いとなることは必至です。 仏教の始まりは初転法輪(しょてんぼうりん)です。初転法輪とはお釈迦様が初めて悟りの内容を説いた説法のことをいいます。説いたということは、説法を聞いた人がいたということです。言い換えれば、仏教は、お釈迦様の説法を聞いたということが始まりです。 町村合併の問題も、自分たちの意見を言い合うのでなく、聞き合うというところから始めれば違う展開が開けてくるのでないでしょうか。 人間の生活も、言い合うのでなく、聞き合うというところから互いの理解がうまれるのでしょう。 1月18日 葬儀 吉田町 佐渡山 法要 寺泊町 蛇塚 吉田町の葬儀は数え年で101才(明治36年生まれ)のおばあちゃんのでした。病気らしい病気はしたことがなく、お元気でしたが老衰で眠るように亡くなられたということです。世間的にいうと「長寿で元気で痛みなく、しかも自宅で亡くなられる」ということで理想的な最期だったわけです。ご家族にとっても納得の出来る親族のご最期だったと思います。 ただ、帰り際見た、喪主のご長男は、年老いた母親の葬儀を終えた、子供としてのの勤めをはたした安堵感と、寂しさの表情が入り交じった複雑なご様子でした。 1月17日 震災でなくなった米津漢之君(当時小学1年生)の父勝之(かつし)さん(42)はこの日、神戸市内での兵庫県主催の追悼式典で遺族代表として決意を述べた。 「いのちを大切にする社会をつくるために伝えたい。震災の痛み、悲しみ、重みを乗り越えることが出来た『あの日』の支えあい、人間の優しさを」 毎日新聞より 阪神大震災から、8年経ちました。追悼式典の記事です。 痛み・悲しみがあるから、支えあい・優しさを実感できるんです。また、ひとの痛み・悲しみを共有するところに支えあう・優しさがうまれるのでしょう。如来さまの慈悲は、大悲同感なんです。何の痛み・悲しみもない優しさは、優しいとは言わないんでしょうね。痛み・悲しみのない優しさは、単なる優柔不断なんです。 1月16日 昨日の報告です。 無事プレーヤーのセッティングも終わり、レコードのヘレン・メリルとの久々の再会です。本棚の奥に追いやってしまった、レコードの中からヘレン・メリルのジャケットを見つけ出しいよいよ再会です。ジャケットからレコードを取り出そうと中を見てびっくり!中身がありません。ほかのレコードの間に挟まっていないか、しばらく探しましたが、見つかりませんでした。仕方なくほかのレコードにプレーヤーの針を置きました。それは、それで懐かしくてよかったのですが、何か拍子抜けでした。ヘレン・メリルのレコードを聴くためにやっと針を準備したのに・・・・ジャケットの中身を確認してから準備すべきでした! 「体のことを思い、日頃運動したり、健康診断も必ず受ける。病気になったときの為に保険に入り、預金もする。・・・準備は万全。・・・そのことも大切だけれど、何の為に生きるのかと聞かれると答えることが出来ない。そんな、準備のために人生を我々はおくっているのでないか?」 ある先生が言っていたことをほかのレコードを聴きながら、思い出していました。その日、その日の準備・段取りで追われて、大切なことの確認を忘れている今の自分の様子を象徴する出来事でした。 1月15日 昨年、ご門徒さんのお宅で久しぶりにレコードを聞かせて頂きました。アナログで聞く、「ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォードブラウン」・・・本当によかった。 私もこのアルバムはレコードとCD両方持っているので、時々CDは聞きますが、プレーヤーの針がなかったので、レコードの方はしばらく聞いていません。でも、やっと針が手に入りました。これからセッティングです。どんな音が出るか楽しみ・・・・ 報告は明日いたします。 1月14日 いくら、パソコンの画面をにらんでいても、日記に何も書けない日があります。そのタイプは2つ。 @ 特別書くようなことが思いつかない日。 こんな日はまだ大丈夫です。無理矢理探してきますから。 A 書く気にならない日。 こんな日は、全くダメ。諦めるほかありません。 さて、今日のタイプは@orA。どちらでしょうか? 1月13日 法事 弥彦村 通夜 分水町 中島 寺泊町で、晴れ着姿の新成人?が美容院から出てくるのに合いました。母親らしきご婦人が、付き添っていました。本人より付き添いの方が嬉しそう。やっぱりご婦人は、母親なんでしょうね。「今日は、成人の日だったんだ。」うっかり忘れていました。 夕方、20数年前の成人式のアルバムを引っ張り出して、・・・若いときの私にご対面・・・・びっくりです。・・・・・めがねをかけないと見えないんです(もちろん老眼鏡)。成人式も遠くなったわけです。 成人の日は、 「おとなになったことを自覚し,みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます日。」 なんだそうです。 近年、成人式が成人の日に行われる市町村は少なくなっているとのことで、日にちも、法律の改正により1月15日でなく、「1月の第2月曜日」となりました。 成人の日は、単に3連休という意味しか持たなくなってきているように感じます。「国民の祝日ってなんだ!」少し考えさせられました。 1月12日 法事 分水町 地蔵堂 内佛法事 分水町 新堀 めずらしく、穏やかで、暖かい一日でした。本堂前の雪も段々少なくなってきました(でも、まだ沢山ありますが)。ちょっとスコップを持って雪かき。ついでに洗車までしてしまいました。前に洗車したの何時だっけ?忘れました。でも、何ヶ月ぶりは間違いありません。思ったよりも水は冷たくなく、まるで春先のようです。 まだ、ずっとずっと先の春の予感でした。北国の人は、春を迎える予感があるから、冬を過ごせるのでしょう。春を迎える喜びがあるから、冬に耐えられるのでしょう。冬の向こう側には、必ず春があるのだから・・・・ 1月11日 今日は京都に行っている、長男の19才の誕生日です。19年前のことが思い出されます。雪がありとても寒い日が続いていました。あれから19年・・・・。産まれたときのこと・小学校入学の様子。いろいろな想いが交錯します。 19年の間に子供は間違いなく成長しています。きっと、腕相撲は私より強いはず(私が負けそうでここ数年長男と腕相撲はしていませんので定かではありませんが)。 子供の成長は親にとって、うれしいものです。また、同時に宿命のライバルである、長男に負けられないというのもオヤジの本心。まだまだ、負けられません。当分の間は。 直接は照れますので、ここで長男にメッセージを(^^; .... 「十代最後の一年、楽しいこと・悲しいこと・辛いこと沢山あります。がんばれよ!兄ちゃん。」 1月10日 内佛法要 寺泊町 敦ヶ曽根 パソコン用無停電電源装置を買ってきました。ノートタイプのパソコンならいいのですが、デスクトップタイプのパソコンは、雷が鳴り始めると冷や冷やものです。これで少しは安心できると思います。 では、これから取り付け開始しますので、皆さんお休みなさい。 1月9日 通夜 分水町 中島 世の中の情報源といえば新聞・テレビが代表的なものです。最近若い人を中心に新聞をとらない家庭が増えているんだそうです。一般的ニュースはテレビで、興味のあるニュースはインターネットで情報を得るのだそうです。テレビからの情報は限られていますが、インターネットからの情報は無尽蔵です。 ちょっと、前まではいかに多くの情報を集めるかということが重要でした。近年、インターネットの発達により、多くの情報の中から、自分が必要で、信頼に足る情報だけを選び取ることが重要になってきました。つまり、必要な最新情報を必要な時に取り出せる能力が、今求められているのでしょう。 ところが、いくら無尽蔵の情報を持ったインターネットも、取り出せない情報が有るんです。個人情報です。個人情報といっても、自分自身の情報・・・。 案外、自分自身の事は一番知らないのかも? 1月8日
1月7日 初七日 分水町 地蔵堂 法事 新潟市 勝楽寺さま
1月6日 走っても息切れず、心肺能力高める遺伝子変異見つかる 走っても息切れしないほど体内で効率よくエネルギーを作り出す遺伝子の変異を東京都老人総合研究所の白沢卓二研究室長らが突き止めた。この変異がある人は、高地トレーニングで鍛えた陸上選手のような心肺能力を潜在的に備えていることになる。遺伝子を調べることで、優秀な長距離ランナーの卵を発掘できる可能性もある。(読売新聞) 近年、遺伝子に関わる記事が新聞紙上に載ることが多くなっています。クローン植物・クローン動物・ついにはクローン人間と遺伝子操作の実態は驚くべきものです。確かに遺伝子の解明は、病気治療への応用も期待できるでしょうけれど、素朴に疑問も感じます。 遺伝子の研究によって、遺伝子レベルで人間に優劣が付けられてしまうのでないでしょうか?遺伝子での(生まれつき)優劣を肯定すれば、それはそのまま、「いのち」そのものにも優劣を付けることになります。 人間の都合によって「いのち」に優劣など付けてはいけません。本来、いのちに優劣などあろうはずもなく、あってはならないものだから・・・・。 1月5日 中陰法要 分水町中島
1月4日
1月3日 葬儀 分水町 地蔵堂 今年の正月の連休は土曜・日曜が入ったため、大型連休になりました。連休どころか、休日など縁がない私にとっては実にうらやましい話です。 私は子供の頃、日曜日の午後になると、だんだん憂うつになってきました。憂うつの理由は簡単。次に日が月曜で学校に行かなければならないから。 月曜から土曜までは、日曜日が来ることを張り合いにして、学校へ行っていました。日曜日の午後になると「また一週間学校か」と憂うつになっていたということです。 こんな事考えていたのは、私だけでしょうか?今が休みなんだから、今を楽しめばいいのに、次の日のことが気になって楽しめないのです。 言葉を変えていうと「先のことばかり考えて、今を忘れている」ということです。そんな生き方してませんか?「灯台もと暗し」ということでしょうか? ちなみに、今は休みがないので、午後から憂うつになるということはなくなりました。休みがないということは、いいこともあります。・・・でも、うらやましい。 私が、大蓮寺のHPを作ろうと思ったのは三条の徳誓寺 福井さんのHPを見ていたからです。 見応えのあるHPであることは、もちろんですが、作っている福井さんが実に楽しそうなんです。お寺のHPと言えども「見て楽しく・作って楽しい」これが一番!!! 私のHPとは一味も、二味も、楽しみ方が上です。 三条 徳誓寺 福井さん の HP アクセスしてみてください。 ところで、同じ三条の原さん まだHP作らないの? 1月2日 昨日の晴天からは信じられない寒い一日でした。毎年、1日と2日は年始のお客様がいらっしゃるので、暖かい家の中です。年中無休・24時間営業のお寺の仕事で、家の外に出ないということは、正月の1日・2日だけです(正確にいうと、出られないということです)。 今年は、違っていました。1日の午前3時に連絡があり枕経に行き、今日は、お通夜でした。世の中正月ムード一色ですが、大切なご家族を亡くされ悲しみにくれている方々もおられるのです。 「一年の計の始まりはぼやきでした」 という昨日の日記を払拭させられる出来事でした。私たちの限りあるいのちは正月も、日曜日もないんです。日々そこには、「今、与えられてある大切ないのち」があるだけです。 一休さんは浮かれ立つ正月に、骸骨を掲げて街を歩き、 『門松や 冥途の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし』 と詠んだといわれます。新しい年を迎えた正月に、生きる喜びを分かち合うことは、まことに素晴らしいと思うが、はかないいのちの現実を忘れ去ればただの空虚な喧騒にしか過ぎない、という意味です。 ご用心・ご用心
1月1日 近郷の年始 明けまして おめでとうございます 本年もよろしくお願い致します 新しいページになりました。また、お付き合いお願いします。 「一年の計は元旦にあり」 「計」とは多くの物事や数を一本に集めて考えること。 なんだそうです。一年の計画を元旦に考えなさいということ。 それにしては、お寺の元旦は忙しすぎます。ものを考えている余裕などありません。私の元旦は3日以降かな?一年の計の始まりはぼやきでした。お粗末。 |