2006年2月28日(火)
初七日 寺泊鰐口

 オリンピックが終わり連日の就眠不足が解消された方も多いかと思います。今回のオリンピックの話題はカーリング、アルペンスキー男子回転の皆川賢太郎さん。 そして金メダリスト荒川静香さんのイナ・バウアー。

 ある報道でイナ・バウアーは「大きく上体をそらしながら滑る技」とありましたが、フィギュアスケート資料室によると「片方のひざを曲げ、もう片方の足は後ろに引いて伸ばした姿勢で両足のトウを外側に大きく開いて横に滑るもの」ということで、上体を大きく反らす必要はないのだそうです。ちなみに、イナ・バウアーは1950年代に活躍していた西ドイツのIna Bauer選手が初めてた技で、彼女の名前が付いたのだそうです。
 写真は2003年2月28日に紹介した近所のニャンコ。3年ぶりに写真を撮ったらガンを飛ばされてしまいました。(-_-;)  そんなににらみ付けていると、荒川選手流のイナ・バウアーを無理矢理に練習させるぞ。(^^ゞ

 明日から忙しい3月がいよいよ始まります。春3月の到来は、近所の農家にとって忙しい農繁期の到来でもあるのです。

2006年2月27日(月)
 都合で伺った時間は正午直前。往訪には最悪な時間帯なので、おそるおそる入ったお宅には先客があり少しホットしました。先客は補聴器メーカーの人で、おばあちゃんの補聴器の修理ということでした。読経が終わりお茶の間でお茶をいただきながら補聴器の話をあれこれ聞かせていただきました。
 「一番高い補聴器は、国産では30万円くらい。外国産では40万円以上の物もある。日本、アジアでは片耳が主流だが、アメリカ・ヨーロッパでは両耳に補聴器を付けるのが主流。(交通事故があった場合、両耳着用を勧めておかないと訴えられることもある。)」
 また「補聴器を付けて声が大きく聞こえるということと、会話が聞き取れるということは別。聞き取るということは、脳の働きだか個人差があり、個人に合わせた調整が大切。聞く相手の声を限定した調整も可能。」とのことでした。
 つまり、耳元で大きな声を張り上げても大して意味がないということのようです。仏様の願いがよく聞こえるような補聴器があったらいいのですが・・・・。
 私の学習心?・好奇心?をやや満足させて、帰る頃には正午を随分過ぎてしまっていました。ご迷惑をお掛けいたしました。m(_ _)m
2006年2月26日(日)
内佛法要 分水町 桜町
 午前中は中央アルプスがはっきり見えていて、午後は雨といっても3月の下旬の気温ということで過ごしやすい一日でした。・・・・が、やっぱり昨日のお酒が残っていて少し二日酔い気分(;^_^
 「酒は百薬の長」という言葉は、さぞかしお酒好きな人が言った言葉なんでしょうね?お酒の弱い人が言ったとは到底思えません。 そこで早速調べてみました。(ё_ё)
 言葉の起源は紀元元年のころ前漢の王位を奪った「新」の国王の王莽(オウモウ)にまでさかのぼるといわれ、漢書の食貨志に出てきます。「夫れ塩は食肴の将、酒は百薬の長、嘉会の好、鉄は田農の本(そもそも塩は食物の中でも最も重要なものであり、酒は薬の中でのかしらで、宴会の楽しみであり、鉄は農耕のための大事な本である。)として塩、酒、鉄を専売制にして確実に税を取り立てるための言葉だったのです。食貨志は国家財政の立場から食料・通貨の政策をしるしたもので中国経済史第一級の史料といわれています。 どこかのおっさんが酔っぱらって言った言葉かと思いましたが・・・・調べてみないと判らないものですね。
2006年2月25日(土)
法事 分水町大川津     時斎 分水町中島
 近所のご門徒さんの時斎ということでお酒を呑みすぎたようです。お酒は「酒は百薬の長」との事ですが、今の私は「頭痛・悪寒・ムカムカ」ということで、まるで風邪の症状。
 お酒は、適量以内なら「百薬の長」適量を超えて飲み続けると「万病のもと」とおっしゃる方もいらっしゃいます。
 あるお医者さんの資料によると、平均的日本人は週最低2日休んだとして、1日に飲めるお酒の量の目安は
  日本酒(15.9%) 1合=180g 197kcal
  ビール(4.5%) 大ビン1本=約650g 247kcal
  ワイン(12%) ワイングラス1〜2杯=約240g 約150kcal
  ウイスキー(43%) ダブル2杯=約60g 約150kcal

とのことです。(勿論、一種類だけの場合ですよ) ということは、平均的日本人にとって日本酒であれば1合が適量ということのようです。
 平均的ということが、いかにいい加減な実体のない事なのかを、頭痛を通して実感しています。戦後からでしょうか?「平均・人並み」という言葉に日本人は意味のない安心感を求めていたように思います。・・・・・・・・まだ、だいぶ酔っているようです。おやすみなさい。
2006年2月24日(金)
葬儀 寺泊鰐口
 12月30日、31日、1月5日と日記で紹介しっぱなしで忘れていた、あの「こんと」。 昨日の会議の途中で「あのこんと・・」と弥彦村のKさんから忘れていたことを教えていただきました。
 正解は「理院」でした。(*^^*)  引っ張るだけ引っ張ったわりには、たいしたことなくてすみません。m(_ _)m  写真は以前、企業店舗紹介のHPからお借りしました。でも、今は削除されています。もしかして・・・・・ 
 「こんと」とは名字なのでしょうか? 実際に足を運んで、頭を刈ってもらいながら写真・取材ということにしたかったのですが・・・・。 
2006年2月23日(木)
新潟教区事務局会議
  「真宗佛光寺派新潟教区事務局会議」という長〜い名前の会議でした。要はお寺さんの会議なのです。会議では香り豊かないコーヒーと美味しそうなシュークリームまで用意していただいていました。予想通り美味しいコーヒーを二口いただいて、次はシュークリームを・・・・・。なぜか私の前にシュークリームがありません? そう言えば、さっきまで話に夢中になっていたので・・・・無意識に食べてしまったのでしょうか? 何となく最後の一口(シュークリームの底)を食べたような気もするのですが・・・でも、お皿も目の前にないんですよね。 食べたか食べなかった判らなくなるのは認知症の典型的症状。少し落ち込んでおります。(-_-;)
 (長男へ この様子では早めに京都から帰って来てもらう必要があるかも?心の準備だけはしておいて下さい 父より) 
2006年2月22日(水)
新潟教区編集局とびら編集会議
 教学研修部機関誌「とびら」の編集会議に旧月潟村まで行ってきました。最後の校正・編集が終わり後は印刷所の仕事になります。
 講演会の場合、わずかな言葉を編集・更正の都合上、削除するこにより、話し手の真意が伝わらない場合があります。人の文章の編集・校正は難しいですね。もっとも、自分の文章に至っては、読み直しさえ・・・・・(≧◇≦)
 
 数日続いた春の陽気に、「春はもうすぐヽ(*^^*)ノ」と気持ちはウキウキ気味ですが・・・写真は去年の2月21日の写真。ウキウキ気分にはまだ早いようですね。
2006年2月21日(火)
 行事の案内の入った最後の封筒を持って吉田町へ法務に行ってきました。これで、行事の案内の作業は終了です。\(^O^)/
 吉田町も3月20日から燕市になります。最近、物忘れの多い私でも、封筒を持っていましたし、昨日の日記の名残も残っていましたので、忘れることなく、新住所の確認をさせていただきました。
 「燕市の後の新住所はどうなりますか? 郵便番号は?」 
 「燕市吉田・・・になります。郵便番号は変わりません。今のままでも当分届くそうですから・・・・でも、・・・・前から言おうと思っていたのですが・・・名前の漢字が違っているので・・・・・。」
 とのことです。 (・・;)   確認の項目が1つ増えてしました。(-_-;) 

 写真は、今日届いたダイレクトメール。こちらは気が早く、もう新住所でした。 
2006年2月20日(月)
 3月20日の合併による町名変更まで後一ヶ月になりました。地蔵堂地区では、1月1日と3月20日の二段階の住所変更が行われます。年賀はがきに記念になるからと、旧住所・現住所・新住所を印刷した家もあったととか。大蓮寺の住所は「新潟県西蒲原郡分水町中島628」から「新潟県燕市中島628」に変更になります。しばらくは、「旧分水町の中島です」と言わざるおえないようで、住所の文字数は少なくなっても、所在地を理解してもらうためにはかえって手間がかかるようになりそうです。
 郵便番号変更の地域もありますので、寺の檀信徒名簿の変更は・・・・・・これも、手間のかかる仕事になりそうです。
2006年2月19日(日)
法事 分水町中島
 午後からは穏やかで暖かい日のなりました。農家のご主人はそろそろ春の準備が気になる様です。が待ちきれないのか、それともよほどせっかちなのか、田んぼのあぜ塗りをしている人までいたのにはびっくりしました。
 去年の21日22日はまとまった雪が降っています。自動車のタイヤを交換するというような暴挙にでませんように・・・・ ・・・と自分への戒め(;^_^。でも、早くタイヤを交換したいものですね。
2006年2月18日(土)
時斎 吉田町高木
 本堂前の雪のかけらは雪だるまの名残ではありません。本堂の屋根から落ちた圧雪がもう少しで無くなりそうになっています。
 子どもたちが屋内で遊ぶようになったので、最近は雪だるまを見なくなりました。私の子どもの頃は、雪だるま・雪合戦・かまくら・土手からのそり・・・そして痛〜いシモヤケ。
 子どもたちの冬は来ない前に終わってしまいそうです。
2006年2月17日(金)
 頻繁に雪がちらつく一日でしたが、地表が暖かくなっているのか?道路には雪は残っていません。先日のポカポカ陽気で車のタイヤを夏用に交換した気の早い人もいたとか?(私じゃありません) でも夕方、家に帰ると本堂の雪除けには氷柱(つらら)が下がっていました。
 これから一ヶ月は冬と春が鎬(しのぎ)を削るシーズン。 そして、この鎬合いのとばっちりで風邪をひきやすいシーズンでもあります。お体ご自愛下さい。(^_^)/
 
 「鎬合い」 自分で使っった言葉ですが久しぶりです。最近はあまり使われなくなりましたね。現代人は職場での鎬合いの激化で疲れてしまい、個人的な鎬合いは避ける傾向にあるようです。
2006年2月15日(水)
 「月刊がん もっといい日」 がん告知は当たり前になった昨今ですが、それにしてもドキッとする名前の月刊誌。闘病生活を送られながら「胃胃日旅立ち」というホームページを開いているSさんから、ご自身の体験談が載っているということで見せていただいた本です。
 この日記で以前紹介したことがありましたが、Sさんのがん闘病日記のはじめに「病に対して肩肘など張って闘うのではなく、病とともに仲良くして生きる。即ち【闘病ではなく従病にて歩む】という事でした。そしてこの貴重な体験がこれからの私の人生において【いい日旅立ち】になることを願い題名を【胃胃日旅立ち】とつけました。」と記されています。
 身の事実を引き受けることは、明るくなれるということ教えてもらっているホームページです。 
2006年2月14日(火)
 を思わせる暖かな一日でした。 「あったか(暖かく)なって、さーむ(寒く)なって春が来る(^o^)」とご門徒のおじいさん。2月も中旬になると少し気持ちの余裕が出てきます。
 行事案内の発送作業は順調に進んでいます。・・・・・・が3月・4月の法事シーズン?を目前にして、「法事までには」と延ばし々していた幾つかの頼まれごとの締め切りが迫って来ています。締め切りの一覧表を作って置かないと忘れてしまいそう。2月も中旬になると少し気持ちの余裕が無くなって来ています。
2006年2月13日(月)
 チョコレートをいただきました。一日早く、しかもご門徒さんのお父さんから・・(^^; ....
 アンコールワット(カンボジア)のお土産なんだそうです。あぁーよかった(^.^)・・でなくて、ごちそうさまでした。m(_ _)m
 アンコールワットはクメール時代の建物で、全体の大きさは東西1500メートル、南北1300メートル。周囲の環濠は幅190メートル。正門にあたる西塔門から東に伸びる西参道は長さ350メートル。アンコール遺跡群の中で最大級の規模を誇ります。
 アンコールワットは、1993年に行く予定だったのですが、内戦下のカンボジアでポルポト派の支配地域に近く、日本からも自衛隊がPKOとして派遣されているさなかということで中止になりました。
 世界遺産といえ、現在でも自然崩壊は修復を上回るスピードで進んでいるとのことです。 「何時かは行ってみたいアンコールワット」そんな想いで美味しくチョコレートを食べさせていただきました。
2006年2月12日(日)
法事 分水町地蔵堂
 外は寒い一日でした。でも家の中では春を迎えています。ひな祭りまで、もう少しということで、ひな壇飾りを見かける様になりました。「よいご縁があればと思って・・」とは、お年頃のお嬢さんを持つご両親。ひょっとしたら、今季は冬が長かった分、今年は春が2回来るかもしれませんね。
 春と言えば、「お師僧・彼岸・維持費・等のご案内」の作成を今日から始めました。毎年は2月初旬には始めていますので、少し遅れています。20日頃の発送を予定していますのでよろしくお願いいたします。 
2006年2月11日(土)
涅槃会 照瑞寺様    時斎 分水町中島
 弥彦村照瑞寺様の涅槃会のお手伝いに行ってきました。法要・法話・お斎の後は「団子投げ」が始まります。
 団子投げは、お釈迦様が荼毘(だび)に付された後のお骨を民衆が、競って拾ったという故事に由来しているということで。お骨に見立てた団子をその年の年男が投げ、お参りしている参詣者が拾うという行事です。
 お釈迦様が亡くなられておおよそ2500年。お釈迦様のお徳を伝える涅槃会がずっと伝承されています。
2006年2月10日(金)
初七日 吉田町溝   回檀 新潟市明田
 事情があって、三ヶ月遅れで、しかも年越しの回檀に行ってきました。回檀後には、時間の決まった予定が入っていたのですが、一年ぶりにお会いする方もいらっしゃり、ついつい長話になってしまいました。 帰りは時計を気にしながらの運転。不思議なことに、こんな時は大抵、前の車はゆっくり走ってるんですよね。 「またか (-_-;) 」と思いながらも、昨日の日記のことを思い出して安全運転で帰ってきました。駄目かと思っていた約束の時間にも間に合い、無理をしないでよかったと思っています。(^o^) もっとも、この緊急車両を追い抜くには、ちょっとだけ勇気がいるようです。(^_^)v
2006年2月9日(木)
葬儀 新潟市

 今日の葬儀は新潟市紫竹山IC付近でしたので、青山斎場には新潟バイパスを通っていきました。昼間の交通量の多いことで知られる新潟バイパスは、平均速度も早いようで、目を三角にして運転されている方も多いようでした。
 皆さん、よほど急いでいるのでしょうね。サイレンを鳴らしている救急車を次々に追い抜いていきます。尋ねると、いつもの事ということです。 (・・;)  もちろん、霊柩車も当然のことのように救急車を追い抜いき、緊急車両が一番ゆっくり走るという不思議な道路です。
 『大無量寿経』に説かれている
「然に世人、薄俗にして共に不急の事を諍う。」という部分が頭に浮かんできました。 共に、急ぐべき事を後回しにし、尊ぶべきものを当たり前として生活している私たちの生き方を薄俗という言葉で言い当ててあります。

2006年2月8日(水)
葬儀 吉田町溝  とびら編集会議 新潟市
 教区機関誌「とびら」の編集会議が新潟市上曲通(旧月潟村)でありました。今号は私の担当ということで、事前の根回しをさせてもらい、その効果があったのか、私が書く予定の「編集後記」以外は全部の原稿がそろっていました。(-_-;) しかも葬儀ということで、1時間半遅れで会議に到着。重ね重ねご迷惑を掛けてしました。m(_ _)m ごめんなさい。早々に「編集後記」の原稿を送らせていただきます。
 ところで、会議を終えて外に出ると一面の雪。その後すぐ向かったお通夜の会場(旧新潟市内)では全く雪の様子はありませんでした。除雪の体勢はどうするのかと心配になるほど、新潟市は広くひろくなったのでした。
2006年2月7日(火)
 今日は公務の研修会新年会。それにしても、「時間の有効利用?それとも新年会だけだと家を出にくい?」やたら研修会・会議の付く新年会ばかり。あまり潔(いさぎよ)いとは言えませんがやっと、この会で予定の新年会は全て終わりました。でも、これから3月〜4月にかけては「会議懇親会」が始まるのです。(*^_^*)
 燕市・分水町の偉い方々が来賓のこの法務は、任命されてから18年経ちますが、私より若い人はたった1人。定年が80才ということで急激な若返りも望めそうもありません。若い方で引き受けてくださる方がいないという理由もあるのですが、段々世相に合わなくなってきているように感じます。・・・・ところで、この会は老人クラブではありません。念のため・・・(^_^;
2006年2月6日(月)

  法隆寺西室(にしむろ)(国宝)の木製格子が切断され、中にあった文殊菩薩像の複製が盗またそうです。逮捕された容疑者は「仏像が欲しくて埼玉から来た」とのこと。思わず苦笑してしまうNEWSですが、何事に関しても勉強が必要ということを教えられました。
 ところで、ちょっと気になるCD。歌手生活20年を迎えた徳永英明氏が、バラードのベストアルバムを発売するそうです。ハスキーで人気のある歌声ですが、意外にも彼は、ずっと嫌いだったとのこと。でも、長く難病に苦しみ、その中で自分の声が好きになったと彼は語ります。 自分自身をあるがままに好きになる(うなずく)ことは、大きなご縁を頂いて勉強しなければならない様です。

2006年2月5日(日)
中陰法要 分水町中島  初七日法要 分水町中島
 3月20日に行われる燕市・吉田町・分水町の合併に伴う、住所名変更の準備が進んでいます。でも、住所名が変わる事への住民の思いは複雑!
 住所名が変わったといっても、住所(住んでいる所)が変わるわけではないので極端な生活の変化はないはずなのですが・・・・どうも・・・・。

 子どもに「お父さん、お母さん」と呼ばれることを通して、「お父さん、お母さん」として子どもから育てられるということがあるようです。このように、名前には識別の為の呼称と同時に働きとしての役割があります。
 同じように「南無阿弥陀仏」という称名念仏には、育ち育てられるという働きがあるのです。 
2006年2月4日(土)
時斎 大蓮寺
 夕べは法中寺院の会議兼新年会。今晩は自坊の時斎ということで胃の休まる時がないようです。今日の時斎は、聖徳寺様・村世話方。それから30日に亡くなられた鷲澤さんのご長男からも参加していただきました。ありがとうございました。
 昨日は節分。節分といえば豆まきですが・・・今年は巻き寿司を食べる恵方巻きが大流行。恵方(今年は南南東)を向き、無言で願い事をしながらひたすら食べるののだそうです。 恵方巻きは大正の初期から始まったということですが、商業的には1989年に広島県のセブンイレブンが販売しヒット商品になったということが、全国展開のきっかけになったのだそうです。24時間営業の「何でも屋さん」凄いものです。
 どんなところに住みたい?の問いに、高校生時代の私は「歩いて喫茶店に行けるところ」。 現役高校生の長女は「歩いてコンビニに行けるところ」、納得できる答えが返ってきました。  
2006年2月2日(木)
 今日は法務で三条市曲渕に行ってきました。分水町では田んぼの雪はほとんど消えていますが、下田に近い曲渕では、田んぼにまだ雪がたっぷり。(ё_ё)
 でも・・・やっぱり・・・まだ・・・2月の2日なんですよね。雪がたっぷりあっても、当たり前の時期なんですよね。
 二月が如月(きさらぎ)。衣更着とも書きます。すなわち、「寒いので更に上着を着る」という意味だそうです。 今週は寒くなるそうです。風邪などひかれません様に・・。m(_ _)m
2006年2月1日(水)
葬儀 分水町中島
 寺を会場とした葬儀が終わりました。人の出入りの多い二日間でした。葬儀の手伝いに昨日帰ってくれた当院も早速今晩にでも夜行で京都に戻るということで、日常の生活に戻ることになります。

 明日が今日と同じと思うのは妄想。今日が昨日と同じと感じるのは鈍感。日常(常なる日)なんか無いことを葬儀を通して教わったばかりなのに・・・もう忘れておりました。
2006年1月31日(火)
「年始が終わると多くの方が炉を囲んで休んでいかれます。写真左の鷲澤さんは近所に住む大蓮寺の分家のお父さん。 鷲澤さんは亡くなられた父親の後を継いで、40年も寺の行事のお手伝いをお願いしています。知り合いのお寺さんも「こんな人がうちの寺にいたらなぁ」と、うらやましがられ、頼りになる、大蓮寺になくてはならない人なのです。「徳子さん(次女)が嫁に行く時まで頑張る」と言われながら大笑い。 正月は、炉縁でお茶の接待。今日も「40年座っていると、年始のお客さんも三代目になる人もいるな〜」とのことでした。
 これからも、身体に気をつけて、末永くよろしくお願いします。」

                   平成17年1月2日の日記より



 鷲澤さんはこの後一ヶ月後に怪我をされ、ずっと入院されていました。回復の兆候もあったのですが昨日亡くなられてしまい、今日は本堂でお通夜でした。
 広い本堂でも入りきれない大勢の弔問の方々の想いは、私と同様に「お疲れ様でした。ありがとうございました。」だった様です。
2006年1月29日(日)
 春を想わせる暖かい晴天の一日でした。こんな暖かい日は自然と海が見たくなります。・・・と思ったのは私だけでないようで、結構海岸の道は車で混んでいましたので、帰路は山間の迂回路で帰ってきました。さすが、山間の道だけあったまだ雪がたっぷり。今日の天気とは逆に、本体の真冬に戻った感があります。
 でも、よく見ると平場とは逆に土の上には雪はほとんどありません。ちょっと、異様に見えますが、暖かい土の所から雪が消えていく、というのが本当は自然なんでしょうね。
2006年1月28日(土)
 チョコレートの中で王道を行くのは、やっぱり板状のミルクチョコレート。LOTTEチョコレートの中では「Ghana」が定番。子どもの頃から大好きでした。先日、コンビニで見かけたのがラム酒に漬けたレーズン入りの「Rummy(ラミー)」。季節限定の文字に誘われて買ってみました。
  パッケージが変わったようで、以前は樽とブドウのイラストだったと思います。「お酒が入っていますので、 運転時などはご遠慮下さい」の注意書き。アルコール分3.7%だそうで、一口食べただけで注意書きも納得。中身は2本に別れてパッケージングされていて、呑まずの私にとっては一本がちょうどほろ酔い加減のいい調子。(*^_^*) \(^^\)  ノラムレーズンと柔らかめのチョコとの組み合わせは絶妙。ちょっと、はまってしまいそうです。(^^; ....
 それにしても、メーカーの戦略と知りながらも「季節限定・数量限定・地域限定・・・」限定の二文字になんと弱いことか(-_-;)
2006年1月27日(金)
 12月から積雪が始まってしまった長ーい冬。もうよっぱら(うんざり)になりました。でも、津南町などの山沿いは大雪を記録していますが、平野地域・海岸地域では平年より少雪な様です。
 毎年であれば、ブーツが必需品のこの季節ですが、今年は靴底の滑り止めさえあれば普通の靴でもOKです。出来ることなら、今季はブーツが玄関の飾り物であってくれたらいいのですが"""^_^""" しばらくは、翌日の降雪量・最低気温の予報が気になる夜が続きます。
2006年1月26日(木)
 連日、TVで非難の報道がされている堀江貴文容疑者ですが、昨年まで、あれほど持ち上げていた報道はいったい何だったんでしょうか? あまりの報道の変わり様で、あるおばあちゃん言わく「まるで終戦直後のようだ」
 フォークシンガーの松山千春氏は、「マネーゲームの果てに何が残ったのか。ただ、マスコミも政治も彼を利用しつくしてきたはず。その反省も踏まえて語るべきだと思う」と言われたという。
 自己の傷みを伴わない批判は、堀江被告逮捕の裏に見え隠れする、現代日本の状況を問い直す報道にはならないはずです。

 ところで、連日報道していた大雪・耐震強度偽装問題はどうなっているのでしょうか? Livedoor事件(という名称でマスコミは報道)の影響なのか、すっかりTVに登場しなくなりました。不思議です?
2006年1月25日(水)
 ふきのとうの寄せ植え。(ё_ё)  遠くにがチラッと見えたように感じました。ふきのとうは俳句では春の季語ですが、実際にはもう雪の下から出始めていて、そんなふきのとうは苦みと甘みのバランスがよく美味しいのだそうです。
 子どもの頃にあんなに嫌いだった苦みのあるものが、年を重ねると美味しく感じるようになるのは、何とも不思議です。
 子どもの頃は嫌いでも、今はだーい好きなものは昼寝タ*コ(^^ゞ
2006年1月24日(火)
 辞書によると公平すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと」

 今回のセンター試験から初めて導入された英語のリスニング(聞き取り)テスト。全国で約50万人の受験生が体験した専用のICプレーヤーはトラブルもあったようです。
 教室内の場所による聞き取りの不公平をなくすために導入が決まったというICプレーヤーを使ったリスニングテスト。試験当日、配布されたICプレーヤーによって不公平が出来てしまったというのは皮肉な感じもします。

 1人として、同一条件で生かされている人はいないのですから、すべての人を公平に扱おうとすると、別な不公平が生ずる場合もあるようで、人間の場合もやっぱり複雑です。
2006年1月23日(月)
 とんでもなく寒じた一日でした。夕方法務から帰ると自動車はご覧の通り (・・;) のヒゲの様な氷柱(つらら)が出来ていました。あんまり立派なので写真を撮ってみました。
 その日の写真を日記に載せることが出来るのはデジカメのお陰。でも、手軽で便利なデジカメの出現で、一部高級機を除いたニコンがフィルム写真からの撤退を発表しました。キャノンの撤退発表も時間の問題とのことです。1826年に、フランスのニエプスがはじめて感光材料(かんこうざいりょう)を使った「写真」を完成させて以来の歴史も終わろうとしているのかと思うと寂しいような気がします。
2006年1月22日(日)
 昨晩は中島地区9班の新年会。 毎年呑み過ぎてしまうので、今年こそは呑み過ぎない様にと思いながら出かけたのですが、やっぱり二日酔いしてしまいました。
 「この一杯でお終い」と思いながらも盃を出してしまうのが、お酒の悪いところでもあり、また良いところでもある様です。
 お酒は適度にたしなめば百薬の長。晩酌が楽しみで、一日仕事を頑張れる方もいらっしゃいます。呑めない私にとって、晩酌をされている方と比べたら1年・365回、損をしている様な気もしますが、あえて無理をして晩酌をする必要もない様です。
2006年1月21日(土)
 関東では積雪を記録したとのことで、大慌てされた方も多かったことと思います。 分水町(あと、2ヶ月くらいしか使えないのは残念)では、朝は檄寒・日中は晴天・夕方は雪。体も気持ちも対応できないくらいの忙しい天気の一日でした。でも、雪に慣れてしまった、この時期の晴天は「何か外仕事無かったかな?」と落ち着きません。少しくらい雪が降っていてくれた方が、かえって潔く家の中でのんびり出来るような気がします。
 昔のこの季節には、炉ぶちを囲んで近所の人と講釈(話す)して日中を過ごすのが常。炉ぶちという講釈の場がなくなったことにより、地域のコミュニュケーションも段々無くなって来ているのでしょうか?
2006年1月20日(金)
 昨日は聞法会の新年会。岩室の「綿々亭綿屋」さんにお世話になりました。
 新年を迎え「2005年」が「2006年」に変わりました。では、新年を迎えて私たちはどのように変わったのかというと・・・・・・・。これでは2006年は2005年と同じような繰り返しになってしまうのでしょうか?
 新年を迎えるということは、私たちの人生にとって、後戻りできない・二度とない新しい年に出遭えることが出来たということです。単にカレンダーが変わったということでは「新年 明けましておめでとうございます」とはならないようです。
2006年1月18日(水)

 明日は聞法会の新年会・教区会議ということで準備を始めました。でも、あるものが見あたりません。
  
  「捜し物は何ですか 見つけにくいものですか カバンの中もつくえの中も 探したけれど見つからないのに・・・・」
 会議にどうしても必要という物ではないので
「まぁいいかd(^_^o)」とも思うのですがやっぱり気になります。イライラする心を抑えるため、鼻歌交じりで探すこと30分。やっと見つかりました。しかも、前から探していた物も途中で見つけるというおまけ付き。でも、困った事に、途中で見つけたおまけを何処に置いたか判らなくなってしまいました。もはや、おまけまでは探す元気はありません。 こんな事は、きっと年齢とは関係ないのでしょうね。 (-_-;)

2006年1月17日(火)
 雪の朝から一転。穏やかな一日になりました。登ってみたいとは思いませんが、刻々と変化する冬の山は実に魅力的です。今日の天気模様では、冬は終わりかな?と思いそうになりますが、まだ一月中旬。今年は冬が二回来そうです。

 今日から私立高校の入学試験が始まりました。朝の電車も受験生が多くの乗り込むということで普段よりもかなり混み合ったようです。
 普段は混雑している通勤電車に乗り込むことなどない受験生。ドア付近にあふれている人を見て、どうやって乗っていいかわからなくて、まごまごしていたんでしょうね。受験ですので乗せてあげてください」と、どこからか聞こえて来たそうです。
 混雑して皆さんがイライラしている電車でも、「受験ですので」という、一言で皆さんのイライラも優しい気持ちに変わったのでないでしょうか。勿論、乗りこぼしなど無かったとのことです。
 今日は、付け加えた一言で優しい気持ちになれた人。国会で聞きたい、その一言が聞けなくてイライラした人。両方おられたようです。
2006年1月16日(月)

 三ヶ月ほど前から、右腕をねじり上げようとすると肩の痛みを感じるようになりました。(>_<)  普段は傷みを感じることあまりないので、そのままにしていますが五十肩のようです。
 五十肩の定義は「加齢的退行変性が基盤となり、40代〜60代にかけて発症する有痛性肩関節拘縮症。」ということだそうです。つまり、「老化を原因とした肩の傷み」ということで、江戸時代は「長命病」と呼ばれていたとのことです。 原因は詳しくは解っていないとのことですので、当然ながら治療法・予防法も色々あるようです。いろいろ調べた結果の結論は「適度な運動・無理をしない」そうすれば「そのうちに治る。辛抱せよ」ということでした。 五十肩でもないのにネコの腕は後ろは回りません。ネコになった思えば、さほど不便は感じないことと思います。きっと!(-_-;)

2006年1月15日(日)
 二日間の暖気と雨の力で道路の雪はほとんど無くなりました。微力ながら私もお手伝いさせていただきました。 このまま雪が道路に積もらないということはないのですが、次ぎに雪が積もった時には除雪が楽になります。
 そう言えば、事務等の仕事がだいぶ溜まってきています。仕事は溜まってからでなく、継続的に少しずつの方が効率がいいのは解っているのですが・・・。
 机の上に未処理の書類を雪の様に次々に積もらせておけば、少しは効率よく仕事が出来るかもしれません。でも、かなり大きな机じゃないと間に合いそうにありません。
2006年1月14日(土)
中陰法要 長岡市 寺泊
 今年初めての法要でした。久しぶりの法要ということで今日は朝から緊張気味。でも不思議なもので体調は久しぶりにスッキリ。(^o^) 正月が過ぎてからボーとしていた体調も、ある程度の緊張感で少しだけ元に戻って来たようです。
 ある先徳は「初事」ということをしきりにおっしゃっておられました。「慣れたことでも、初めての事のように丁寧にしなさい。」ということです。初事・初事の緊張感。あらためて大切なことだと感じさせていただきました。
2006年1月13日(金)
 大門の道路は雪というよりも、圧雪となり氷の状態です。少しずつ進めている除雪は、氷はがしという方が正確です。 写真のように、量は少ないので生活には支障はなく、必ず必要という作業ではありませんので少し気楽です。
 でも、豪雪地域の作業は必ず必要な作業。しかも、明日は暖かくて雨模様という予報が出ていて、全層雪崩の心配もされていて、体だけでなく気持ちまでもお疲れの事かと思います。
 高三の長女は一週間後にセンター試験に挑戦。体はともかく気持ちはお疲れムードのようです。やがて来る18才の春は何処で迎えてくれるのでしょうか?
2006年1月12日(木)
 新潟地方にNEWSは勿論、全国NEWSでも連日新潟の雪の模様を報道しています。県外の旧友から「雪はどんなですか?毎年大変ですね。」とメールが届きました。そう言えば、ここ数年、自然災害で新潟が「TOP NEWS」として出てくることが多いようです。県外の新潟のイメージといえば「米と酒と雪」。でも、「水と地震と大雪」にイメージが変化しているのでないかと少し心配になってきます。でも本当は「新潟はとってもいい所なんだぞ〜(^o^)/~~~~~ 」 と旧友にはメールを出しておきました。
2006年1月11日(水)
 今日は少し暖かく感じた一日でした。今までは踏み固められ凍結していた玄関前の雪はザクザク状態。凍結状態では手も出せなかった雪ですが、どうにか立ち向かえる状態になったので、頑張って挑戦(^-^)v ・・・・でも、わずか一時間後には敗退。(-_-;) 津南町の皆さんは毎日、毎日こんな作業をされているのかと思うと頭が下がります。近所の田んぼは真っ白。まだまだ、冬は続きます。
 今日は長男の22才の誕生日。しかも、卒論の提出締め切り日。提出は済んだということですので、爽快な気分で誕生日の夜を迎えていることと思います。 一方、父親の方は除雪の疲労で体がだるく・除雪が中途半端ということで沈んだ気分の夜を迎えているのでした。
2006年1月10日(火)
 今年はいぬ年だからということでしょうか?最近来なくなっていた近所のご老体の犬も年明けから顔を見せてくれるようになりました。
 いぬ年は、犬年でなく戌年と書きます。戌という漢字は元々「刃物で作物を刈ってひとまとめに締めくくり、収穫する」という意味。????
 十二支は古代中国で考えられたもので、日本では、日付・年・月・時刻・方位の順番を表す文字で、動物には関係なかったとのことです。なぜ動物と組み合わせられたかについては、人々が暦を覚えやすくするために、身近な動物を割り当てたということです。 ということは、干支による性格の分類は全く当てにならないということのようですね。
 ところで、この事はやっと元気が出てきたの近所の犬には、ガッカリすると可愛そうなので内緒にしておくことにします。(^_-)〜☆ 
2006年1月9日(月)

 「誰だ!こんな無茶な止め方をしてるのは(`−´)!」
 実は
「私です。m(_ _)m」  
 雪中の法務は少しでも寒くないようにと、ご門徒さんの玄関の近くに車を駐めたいと思ってしまいます。(出来るならば、玄関の中まで車で入って行きたいくらいです。) でも、現実はその逆で、雪に邪魔されて駐車スペースがなく、普段以上に遠いところへ駐車しなければならないこともしばしば。
 寒波の厳しい今季は、長男のジープ型の車のお陰で、だいぶ楽をさせてもらっています。地上高の高い車は駐車スペースがなくても、無理矢理にでも駐車スペースを作ることが出来るのです。あまり無茶はしないようにとは思うのですが、まだ一月の初旬。一度覚えた楽はなかなか止められそうもありません。(;^_^A 

2006年1月8日(日)
佛光寺派教区会議
 真宗佛光寺派新潟教区の次年度の役員・部員を決める会議がありました。今年は教区だけでなく、教区以外の担当も決まっているので忙しい年になりそうです。
 10年ほど前、松食い虫で松が大量に枯れていた頃。あるご門徒さんは月曜から金曜はお勤め。土曜・日曜は木挽(こび)きの経験があるということで、多くの人から頼まれて松の伐採。休みなしの生活をされていました。「毎日、忙しいでしょうね?」と聞くと「ちゃんと寝てるいね」との返事。
 このご門徒さんにとっては、寝る時間が採れたら、忙しいとは言わないようです。私の場合、日記を書く時間が採れたなら、忙しいということにはならないようです。
 まだ、寒波の影響で道路が凍結しているところが多くあります。ご注意ください。
2006年1月7日(土)
太子講
 今朝の雪で(◎_◎)という間に、こんなになってしまいました。(*_*) といっても津南町の4メートルに迫る勢いには到底かないません。
 建物の構造計算では、雪の重みは同約200キロ・グラムが目安。50平方メートルの屋根に2メートルの雪が積もると、約20トンの重みがかかることになるとのことです。 屋根の雪下ろしは、豪雪地帯とって、生活・生命を守る必要不可欠の仕事。TVの報道では、連日の雪下ろしに疲れた津南町住民が「何時この雪が終わるかわからないので不安」と話しておられました。 雪国の宿命とは言え、あまりに心身・経済等の負担は大きいようです。
2006年1月5日(木)
 速いもので今日はもう5日。残っていた正月の余韻(1日、2日分の月読経)も今日でやっと終わることが出来ました。ついでに先日の雪の余韻も消えてくれたらいいのですが、予報では余韻どころではないようです。
 以前は50才も過ぎたら「余韻」を少しは楽しめる余裕が出来るのかと、想像していたのですが現実は全く逆でした。「余韻を楽しむ」ということは、年齢とは無関係のようです。
 12月29日の日記で紹介した「こんと」の看板について、弥彦村在住のお二人からメールをいただきました。ありがとうございました。 「こんと」の看板には驚愕の事実が隠されていました。事実は素直に受け止める必要があると思います。  ・・・・が、自分の目で確認するまでは、しばらくは余韻を楽しみたいと思います。真相は後日、ご報告いたします。(*^_^*)
2006年1月4日(水)

 各地で記録的豪雪により被害が出ているようです。今朝の分水での新たな降雪は数センチということで、雪は大したことはないのですが、除雪のうまくいっていない道路ではアイスバーン状態になってしまいました。今日は遠い法務もあったので、少々疲れ気味。(-_-;)
 今朝伺った先のおばあちゃん「後二ヶ月すれば暖かくなる」とのことでしたが、本格的な冬期は入ったばかり。子どもたちが指折り待ったお正月も終わって、今度は大人が指折り待っている春が来るのは、家中の指を借りても足りません。
 と、弱音を吐けるほど、正月が終わって気持ちの余裕が出てきたということでしょうか。(^^ゞ

2006年1月3日(火)
 元旦は晴れ。2日は雨。今日は雪。めまぐるしく変わる天気の三箇日でした。
 明日は仕事始めの方も多いかと思います。・・・・が、明日はもっと寒い一日になるんだそうです。お気を付けてお出かけください。
 国上の山は雪で覆われて、写真も懐かしいモノクロ風になってしまいます。子どもの頃は写真・テレビはモノクロ、映画の冒頭は誇らしげに「総天然色」の文字が映されていた時代でした。 数年前はに若い人の間で使い捨てカメラで撮るモノクロ写真が流行したことがありましたが、これも携帯電話のカメラ機能に取って代わられてしまいました。 でも、あらためて見るとモノクロ写真(風)は、色にとらわれない水墨山水画の様に心が落ち着くような気がします。
2006年1月2日(月)
年始
 今日は少し遠いご門徒さんの年始の日。昔は半日がかりの行程ということで、昔からお昼を食べていっていただきます。お酒も多少お出ししますので、数グループに分かれて乗り合わせて車でおいでになります。
 今日はたまたま、佐渡山地区のご門徒さんがほとんど揃われました。同じ地区のご門徒さんでも、このような機会は少ないので、給仕をしていた長男・長女も飛び入りして記念写真を撮らせていただきました。
2006年1月1日(日)
年始
  明けましておめでとうございます。 
         本年もよろしくお願い致します。


 新しい新年の始まりです。 一年の始まりの日が好天ということは、とても気持ちがいいものですが、お年始ということで、家からは全く出ることなく一日が終わってしまいました。少しもったいなかったような気がします。
 昨晩は多くの方が除夜の鐘を突きにお出でになりましたので、本来ならば人間の煩悩の数といわれる108つ鐘を突くのですが、結局は108つを少し超えてしまいました。「最近の人間の煩悩は108つより少し増えた様で・・・」ということご理解くださいませ。