2006年12月31日(日)
葬儀 燕市中島
 今日は大晦日。後数時間で2007年になろうとしています。あらためて一年分のホームページの日記を読み返すと、もう一年・・やっと一年。様々な思いが交差する大晦日です。
 毎年、日本漢字能力検定協会が発表する全国から公募した2006年を表す世相漢字「今年の漢字」は圧倒的応募数で「命」に決まりました。今年の世相漢字はマイナスの命でした。来年はプラスの命という漢字が世相漢字に選ばれることを念じます。
 今年も皆様のお陰で何とか乗り切ることが出来ました。有り難うございました。来年もよろしくお願いいたします。     合掌
                           大蓮寺 住職 鷲澤文雄
2006年12月30日(土)
時斎 燕市源八新田
 新築されたばかりの家の茶の間。最近は見ることが少なくなった炉(ろ)が切ってあります。家族の為でなくお客さんのための茶の間(炉縁)なんだそうです。建築関係のお宅ということで、鈎竹(かぎだけ)の長さに合わせて天井の高さを決めたというこだわりを持った茶の間でした。
 最近は何事に関してもこだわりを持ちにくくなった様です。平成18年もあと一日。最後の一日くらいはこだわりを持って生活できるかも?。何にこだわって一日過ごしましょうか?
2006年12月29日(金)
 鎌倉時代初期。親鸞聖人と同じ年に生まれられた明恵上人という方がおられます。
明恵上人は華厳宗中興の祖。御成敗式目(鎌倉幕府の基本法典)を編纂させた北条泰時の師。「月の歌人」と呼ばれた歌人であり、宇治における茶の栽培の創始者とも伝えられます。特に法然上人の選択集(せんじゃくしゅう)を批判した摧邪輪(ざいじゃりん)の著者ということで、真宗僧侶でも、名前を聞く機会の多い方です。
 この明恵上人が書かれたもので「夢之記」というものがあります。この「夢之記」はご自分の見た夢を十九歳より、死亡する一年前(五十九歳)まで、克明に書き続けたという世界で唯一の夢の日記であるとのことです。40年間毎日夢を見て、しかもその内容を克明に覚えていたということは、夢に見るほどに真剣に緊張感をもって生きておられたということのようです。
 それにしても40年間・・・毎日・・・克明に・・・夢の日記を・・・ (・・;)
2006年12月28日(木)
葬儀 千葉県松戸市
 81才女性の葬儀。最近は体調も回復し元気になられた矢先。ショートステー先の介護施設で事故に合われたのだそうです。ご家族のお悲しみもひときわでした。娘さんご夫婦は全国転勤のある公務員。年末を控え大げさになってはということで、内々だけの葬儀でしたが、心温まる葬儀でした。
 昨日今日は特別とのことでしたが、関東地方はポカポカ陽気。関越道の向かう先には山と灰色の雲が段々近くに見えて来ます。 長〜いトンネルを過ぎると正しくそこは白い雪の降る雪国でした。何と気温差は16度。 そういえば、今日の喪主様云わく「春になったら伺います」とのことでした。
2006年12月26日(火)
 明日から通夜・葬儀で千葉県に行ってきます。人の生死には年末年始は関係ないのです。
 夕方、千葉の葬祭担当者から通夜・葬儀の打ち合わせの電話をもらいました。同じ仏式の葬儀でも地域によって式の内容に差異がありますので、細かな打ち合わせが必要な場合があります。「ご本尊を掛ける場所はありますか? おかみそり(帰敬式)は? 朱蝋燭は?」 すべて「ありません」との返事でした。 越後流の葬儀が一番などと言うつもりもありませんが、新潟から出られたお宅なので、担当の人に無理をお願いしました。少しは越後風の葬儀が出来そうです。  明日はあの山を越えて・・・通り抜けて行ってきます。
2006年12月24日(日)
 毎年であれば少しは白い雪が見えるはずの国上山。 今のところの暖冬でスノータイヤの交換は早すぎたかな?と後悔することも・・・・・。
 今日は日曜ということで伺ったご門徒さん宅ではお父さんが留守番。 「今日は晴れてるから、これから母ちゃんの車のタイヤを替えようと思って・・・。前からずっと言われていたんだけど・・・。なかなか・・・・。一度換えれば二度しなくていいから・・・」 土壇場にならないと気持ちが動かないのは私だけでないようです。 でも、2度目の交換。春が来て早く交換出来るようになればいいですね。
 私も一度すれば二度しなくていいから少しずつ正月の準備を始めることにします。
2006年12月23日(土)
初七日法要 長岡市寺泊
 朝から気になってたことが・・・・。忙しさにまぎれて髪は伸び放題。おまけに出がけに気づいたのが後頭部の寝癖。時間が無くて水道水でチョチョイ。後頭部を撫でながら出かけたのですが、結局はお昼までそのままでした。実に頑固な寝癖でした。
 自分の体は自分の意志で自由に動かすことが出来ると思っていても、自分の意志で髪の毛さえ自由にコントロール出来ないのが現実です。
 私たちの究極の望むことは「全てのものが自分の思い通りになる」ということでしょうけれども、これは全く無理なようです。解っているのですが・・・でも・・・やっぱり・・・悲しいことに腹が立ってしまうんですね。
 写真はご門徒さんの半てん姿お孫さん。半てんは少しゴロゴロしますが暖かいんですけどね。最近はあまり見なくなりました。室内を暖かくしているからでしょうか?
2006年12月22日(金)
初七日 地蔵堂
 今日は冬至。一年で一番昼が短い一日です。昔は夜明けと共に起き、日暮れになると仕事を止めるという一日の生活でしたので、昼夜の長さが日々の生活に大きな影響が有ったはずです。 でも、 時計に起こされ、時計に促されて眠る、現代の生活では、昼夜の長さはさほど影響が無くなったようです。
 仰ぎ見ることを忘れ、自分の足元しか見えなくなってしまった現代人は、空を見上げる生活から、手元の時計を見る生活に慣れてしまったからでしょうか?
 今年もゆずを頂いたので、早速ゆず湯にして使わせてもらいました。ありがとうございました。 
2006年12月21日(木)

 昨晩は小中学校の同級生で主治医でもある先生に、これからの私の健康管理、現代の医療問題、等々についてお話を聞いてきました。この懇談会は、毎年年末恒例で今年で3回目になります。
 とても大切な話なので、お互いに率直な意見交換できるようにと、毎年雰囲気作りの為にお酒の力を借りています。昨晩はお迎えにあがった車の中で話が弾み「私の健康管理、現代の医療問題」は終わってしまい、お酒の席では「等々」の話題になってしまいました。 早い話が忘年会ということです。  でも、お医者さんと坊さんの異業種交流会・・・・・・・何か問題あるかな? でも、今年も有意義な会でした。お世話になりました。 

2006年12月18日(月)
葬儀 分水本町
 今日は雪という天気予報でしたので、いよいよ真冬突入かと思ったら、・・・・ポカポカ陽気でしたヽ(*^^*)ノ。・・・と言ってもいいような今日の写真(上)ですが、地表が暖まっていて直ぐに消えましたが、数時間前はあられが降ったのです。

 午後に月参りで燕市へ。「午前中にあられが降りました?」と聞くと「車の屋根に積もってました」とのこと。何気ない天気の会話なのですが思わず出た言葉は「それは、よかった(*^^*)」 何とも悲しい私の根性が思わず出てしまったようです。

 今日はこの冬一番の寒気が流れ込み、山沿いではまとまった雪が降ったそうです。どうりで風がとっても冷たかったわけです。でも、去年の今日は除雪車が出るほどの雪だったのです。(写真下) そうなると今日の天気は◎。
 引き受けるしか、仕方のない天気模様なのですが、身勝手な一喜一憂が続きます。
2006年12月17日(日)
内佛法要 燕市吉田   時斎 燕市新堀
 数え年九十九才 男性のお通夜でした。あと、半月足らずで百才。御生涯の足跡(ご苦労)から考えれば、九十九〜百という数そのものに大した意味のないことは承知していても、ご家族はもちろん、ご親戚、私も「ここまで頑張ってくれたのだから、もう少し頑張って百才に・・・」と思うのは純粋感情からすれば当然のことかと思います。
 でも、私たちの日常生活の中から出る「もう少し頑張って」という純粋感情の言葉が多く人を傷つけるということがあるようです。そこで最近では「頑張れ」という言葉は傷つけるだけで励ましの言葉にならないということで、特に子どもさんには使ってはいけない言葉になっているようです。・・・本当にそうなのでしょうか?
2006年12月16日(土)
時斎 寺泊聖徳寺様
来年度の年回忌の案内は順調に進んでいます。といっても、空いている夜の仕事になりますので、あと4日程かかりそうです。大蓮寺では年回は一周忌、回忌、七回忌・・・・三十三回忌と三と七の付く年に出します。三十七回忌も出しておられる御寺院もあるようですが大蓮寺は出しません。三十三回忌の後は五十回忌、百回忌・・・・と五十年を区切りとして出しています。
 以前二百回忌(主人)の案内を手にされ「どんな人か検討が付かない。もちろん顔も知らない。法事をすることはないので、出す方も大変だろうから、わざわざ出さなくてもいい。」とのお話をいただきました。でも、年回忌のご案内は法事をしていただく為だけの案内ではありません。手にされる年回忌の案内は、亡くなられた方の記録です。そして、もしその方が生まれなかったらば・・・今生きている一人ひとりのいのちの歴史でもあるのです。
 「年回忌のご案内」は一枚の紙でしかありません。でも、いのちの尊さを学ぶご縁には十分だと考えています。本来は、500年以上前の過去帳があるはずなのですが、火事で焼失して現在は宝暦13年(1763)からですので、数年後には二百五十回忌のご案内が出来そうです。

 夕方は聖徳寺様の時斎でした。だいぶお酒を戴き過ぎたたみたいで・・・・。写真はお酒を戴き過ぎた証拠写真。もちろん、私1人で呑んだわけではありません。 でも、今晩の仕事は無理なようです。
2006年12月15日(金)
 3日ほど暖かい日が続いています。何となくのんびり気分でいたのですが、お正月まで残るは半月になっています。近所のおばさんは「ど〜しょば また、歳とらんばだめら〜」「ど〜しょ まら 年賀状 終わってねいや〜」とは、少し離れたところのおじさん。
 私の場合は、来年度の法事の年回忌の案内がまだ手付かずでした。パソコンに頼っている案内なのですが、最近プリンタの調子が悪くて・・・・。思わぬトラブルも想定できますので、少し早めに・・・今日から頑張ります。 元旦には本堂に年回忌の案内を置いておきますのでお楽しみに(^o^)/~~~~~
 写真は過去帳の原簿です。過去帳は「門外不出・外見べからず」ということで大きな画像はご勘弁!
2006年12月13日(水)
時斎 燕市中島
 「時代が変わった(-_-;)」 月参りに伺ってお茶をいただこうと私が茶の間に座った途端の、80才を過ぎたお婆ちゃんの言葉でした。 驚きとも悲しみとも違う諦めに近い様な言葉でした。もちろん、具体的な事は記すことは出来ませんが、私も最近、感じていることでした。
 時代とは辞書によると「社会構造・政治形態や文化・思想など、ある目安によって区分された、相当の長さの歴史的期間。年代」
 時代が変われば人が変わる。人が変われば時代も変わる。 当たり前の事ですが、あまりに人間の変わり様に思わず出てしまった言葉が「時代が変わった(-_-;)」ということでした。
 でも、時代が変わっても、人が変わっても変わらないものを真実・事実と言います。その真実・事実を鏡として変わりゆく自分の姿を見ることの教えが仏教なのです。
 12日.13日の合宿勉強会では「観経疏」を通して『観無量寿経』を学びました。『観無量寿経』な中にはいわゆる王舎城の悲劇を通して登場人物のごう慢性・悲劇性が説かれています。 登場人物全てのごう慢性・悲劇性を自分の中に感じた勉強会でした。
2006年12月11日(月)
 明日は高志会の合宿勉強会。レポートが出来ていなかったので午後からはガッチリ勉強・・・・と予定していたのですが、今日の様な好天でないと出来ないと、気になっていた池の冬囲いをしました。気になっていたことが終わると気分爽快。そうなると、すっかり予定は忘れて水槽の掃除までガッチリとしてしまいました。 日記は早めに更新してこれから勉強を頑張ります。
 12月4日の写真。解りましたでしょうか?換気扇にエアコンの吹き出し口。両脇はカーテン。病院の診察台から見た天井でした。
2006年12月10日(日)
時斎 燕市新堀
 もしも携帯電話がなかったら・・・・・・。とは昨日の日記。もしも携帯電話、ナビ、自動車がなくても・・・過程は違っていても目的が一つですから結果は同じだったのでしょう。もしも携帯電話、ナビ、自動車がなかったら・・その場で対応出来ないので、しっかり準備して出かけたことと思います。 便利だけをを求めたタイムトンネルを通り抜けても、人間が幸せになりた、幸せになるということにはなんらの因果関係も認められないようです。便利と幸せは全く別物です。
 写真はタイムトンネルでなくて、昨日の関越トンネル。トンネルを過ぎると・・・・・やっぱり雨でした。
2006年12月9日(土)
 法務で埼玉県ふじみ野市に行ってきました。法事ではないので「月参りを終えて10時に出発すれば1時〜2時くらいには到着します。」とあまり時間を気にせず、のんびりとドライブ気分で出かける予定だったのですが、伺う先の打ち合わせ不足で自宅でなく事務所へ行ってしまいました。そのほか渋滞、ナビの不調が重なって、結局到着は3時半になってしまいまいご迷惑をお掛けしました。 それにしても携帯電話は本当に便利ですね。もしも携帯電話がなかったら・・・・・・。(;¬_¬)
 写真の銀杏は渋滞でイライラの車中から一枚。さすが関東 (ё_ё)!まだしっかり葉が残っていました。
2006年12月8日(金)
聞法会
 仏照寺様に講師をお願いしている聞法会は真宗教団連合カレンダーの言葉を勉強しています。12月は「迷信に惑わされ 正信を見失うこと なかれ」  仏照寺様から迷信は我々の罪福心であるとの指摘がありました。
 倫理的関心を仏教では罪福心といいます。罪福心とは、罪悪を犯したならば人間の不幸に直結し、善を行じたならば幸福につながる。罪悪の報いとして必ず不幸があり、善根の報いとして必ず幸せがあるということです。しかし、現実は「うまくいけばおごる。失敗すればくじける」のが私たちの日々の生活です。 凶禍を嫌い(鬼は外)、吉福を求める(福は内)というような罪福心では自分自身を見失います。迷信とは外にあるのでなく、迷っている自分自身信じようとする心ことです。 仏法に出遇い、ありのままの自分自身に出遇い受け止める力を正信といいます。
2006年12月7日(木)
法事 福成寺様
 新潟市和納 福成寺様 先代御住職の7回忌法要。実家の寺の隣の寺院のご住職ということで、私が子どもの頃からお世話になっていた方。お元気でおられたらと、お写真を見てあらためて残念に思いました。
 福成寺様は実家と同じ大谷派(お東)。久しぶりに大谷派のお勤めをさせていただきました。意外とすんなりお勤めが出来て・・・・・小さいときに覚えたものは体に染み込んでいるようです。「門前の小僧 染みた御経は忘れず」というところでしょうか。 (#^.^#)
 「仏法は毛穴から入る」と言います。仏の教えを学ぶということは、頭で理解できなくても、ひたすら聞くことが大切である。 何時しか、体全体の毛穴から染み入るという意味です。
 「いのちの教育」も一言で「そうか解った」という訳にはいきません。言わば身体(からだ)全体で聞く「毛穴式染み込む教育」?が大切なことかと思います。
 写真は昨日の威徳寺様の報恩講、お昼の精進料理のお斎です。
2006年12月5日(火)
 明日は黒崎の威徳寺様の報恩講のお手伝い・・・と言っても大したお手伝いも出来ないのですが・・・・・ ということで、今日は明日の分の月参りも少し回らせていただきました。「12月は6日に来られないので一日前の5日に来ますね。(^〇^)」とお願いしたのは一ヶ月前。(手帳に書いてあるので、たぶんお願いしたと思うのですが・・・・) お願いした本人が忘れるくらいに早くにお願いしてしまったので、皆さんが覚えておられるか心配だったのですが・・・・・大丈夫でした。(*^^*) 
 最近は物忘れと言わないまでもうっかりが特に多くなった様な気がします。何時も忘れ物をしている様で・・・・。 Wさんに月参り変更の電話をするのを忘れていました。今日は遅いので明日の朝にでも電話することにします。しっかりしろと自分に言いつつもがっかり
 本堂の冬囲いをしていただきました。これで冬の強い北風にも安心です。
2006年12月4日(月)
 今日は久しぶりに月参りの法務だけでした。午後からの時間は私用で使わせてもらいました。 年末にかけての予定を離れて少しだけリフレッシュしたような気がします。
 TVなどでは「今年は・・・ 」という言葉を多く聞くようになりました。「来年もお願いします」とは近所のおばあちゃん。月参りの法務では次回に伺う時は、もうお正月になっています。 よどみなく流れる時間に区切りを付けた「今年は・今年も・来年は・来年も」 ということは自分の生き方を考える絶好の機会のようです。
 写真は今日、私用で出かけたところです。 いったいどこでしょう??? 
2006年12月3日(日)
回檀 燕市新堀
 朝起きて寒いな!と思ったら、新潟地方は初雪でした。12月ですから、しかたがありません。日中は雪が降り続いていましたが、積雪も風も無かった為、今年最後の回檀は予定通り午前中に済ますことが出来ました。 午後の空いた時間はもちろん自動車のタイヤ交換。
 春のタイヤ交換は好天の日に爽やかな気分で行います。(*^^*) 冬のタイヤ交換は雪の中で・・・ (-_-;)  雪の時期になると雪の降る前にそろそろ・・そろそろと思いながら一日延ばしにするタイヤ交換。 忙しいというより毎年の後悔は性格の問題のようです。
2006年12月2日(土)
 師走になったのに・・・・待ったなしで進めなければならない、段取り、行事が終わると気が抜けて様で何も手に付きません。12月になったら時間が取れる様になりますので・・・・・「書きますね」と預かったっている過去帳が4冊、「行きますね」と返事をさせてもらった埼玉県のWさん。今日の天気ではそろそろ自動車のタイヤ交換も・・・・。そのほかにあれもこれも・・・・。全く12月の予定の確認さえ出来ていない体たらく。困ったものです。
 写真は昨年の12月18日。後、半月ほどで待ったなしの雪が降ってくるのでしょうか?
2006年11月29日(水)
回檀 長岡敦ヶ曽根
 三条市 西照寺前住職(義父)様のお通夜でした。県外にいる我が家の長男・長女も急きょ帰ってきました。勿論、落ち着いて話をする余裕などありませんが、久しぶりに家族全員が揃いました。 西照寺様では前住様の子ども全員・孫全員・そしてひ孫。遠い親族の皆さんも駆けつけておられていました。
 大切な方と別れることを通して、宿世のご縁を頂いた人が集うのが通夜式・葬儀式。人、人、人の満堂の本堂を見て改めて感じさせていただきました。
2006年11月28日(火)
回檀 燕市新堀
 回檀の接待に出てくれた、日頃本堂のお世話をしていただいている宮大工さんの三代目。パイ菓子を勧められましたので、美味しくいただきました。次いで、同じ菓子器の中のチョコも・・・・・。本当はご自分も食べたかった様ですが、隣のおばあちゃんのアドバイスで、じっと我慢して違うお菓子を食べておられました。 たとえ自分は食べられなくても、自分の食べたいものをお客様に勧める。これは接待の基本ですね。  そして、Vサインなどのにやけた写真など間違っても撮らせない。威風堂々 今から棟梁の風格さえ感じさせる子どもさん。 m(_ _)m まいりました。 
 築90年ほどの大蓮寺の本堂。 傷みも少しずつ出てきましたが、当分は安心。(*^_^*)  よろしくお願い致します。
2006年11月27日(月)
内佛法要 燕市砂子塚   御講 中島川島地区
 昨日朝、家内の父親でもある、三条市下須頃 西照寺の前住職が亡くなられました。公私ともにお世話になっていたことの、万分の一でもお返し出来たらという思いの、葬儀準備のお手伝いは、万分の一でさえ私の思い上がりと痛感しています。
 ここ数年は、毎年のように御寺院の葬儀のお手伝いをさせていいただいていますが、同じ佛光寺派寺院の葬儀でも一般の葬儀同様に、地域、本堂の形状、亡くなられた方、などにより、少しずつ差定(式次第)、荘厳(お飾り)などが変わります。枠にはめるだけでなく、お釈迦様の対機説法と同様に臨機応変ということも必要かと思います。
 ご門徒さんでは長ネギの出荷準備中。この大きな機械は、長ネギの長さを揃えるものだそうです。同じ長さ、同じ太さでないと出荷出来ないとのこと。規格化することによる運送の効率、見栄えをよくするためであって、農家の方が一番気をつかっている「美味しい」ということとは全く無関係な作業です。
2006年11月26日(日)
法事 燕市中島    上法事 燕市笈ヶ島
2006年11月25日(土)
法事 長岡市寺泊
 前をパトカーが走っている時は、ほとんどの場合スピードメーターを確認する必要はなく、パトカーに追走していればOKです。もしも、後ろにパトカーがいた場合は、常の運転以上にスピードメーターに気をはらう必要に迫られます。
 先日、前をパトカーが走っていました。「前でよかった(^.^)」と思いルームミラーを見ると後ろにもパトカーが・・・(^^; .... 。 生涯初の思わぬ事に遭遇すとおかしな事を考えるものです。「そうだ。写真を撮ろう(*^^*)」 今考えると、ほとんど病気に近い行動であったと、深く反省しております。 m(_ _)m
 思えば、日々生涯初事(はつごと)の連続。慌てる必要もありませんが、1つひとつのことを初事として大切にしたいものです。  無理にまとめて見ました。<(_ _)>
2006年11月24日(金)
内佛法要 地蔵堂

 お昼前に法務の途中に掛かり付けの病院へ行ってきました。脱水症状があるとのことで点滴を進められました。私が躊躇(ちゅうちょ)していると先生から「まだ仕事が・・・  急がば回れ」とアドバイスをもらい、結局、生涯初めての点滴をすることになりました。 昼寝を兼ねた点滴が効いてずっと楽になりました。有り難うございました。
 ただ、「丈夫な体で点滴さえしたことがない」ということが自慢だったのですが、もう言えなくなってしまったのが残念です。 点滴を躊躇した理由の一つはこれだったのかも・・・・ f(^_^) 
 生涯最初の点滴はH医院で、生涯最後の点滴は何時・何処で・どんな形で受けるのか?頭の上の点滴液の落ちる様子を見ながら、あれこれ想像してしまいました。

2006年11月23日(木)
回檀 燕市 大曲 太田 柳山    上法事 地蔵堂
 祝日の場合はお勤めの人もお休みをもらえないこともあるようです。ある男性は仕事が忙しいということで今日は出勤。「勤労感謝の日なのに仕事?」と奥さんが聞くと。ご主人は「勤労できることに感謝に行ってくる(^o^)/~~~~~ 」と言われて出勤されたそうです。
 実際に勤労感謝の日には安心して勤労できる周りの環境(会社、知人、家族など)に感謝する日という意味もあるそうです。当たり前にしている、私たちの環境は「お陰様」と頂けば見え方が変わるようです。風邪をひいたようで今朝から悪寒がします。休むことの出来ない私たちにとっては体が基本。今日は早く寝ることにします。お休みなさい。
2006年11月22日(水)
老人クラブ追弔法要     回檀 燕市 道金 田中
 徳島市の急斜面で動けなくなった犬の救助活動が昨日から報道されていました。絶壁犬、崖っぷち犬という愛称まで付いた、加熱模様の報道の在り方の是非は別として、無事救出されたとの報道にホッとした方も多いかと思います。この報道によって多くの人が「いのちの大切さ」を学ぶご縁になってほしいものです。
 普段は平穏の私たちの人生も、一歩足を踏み外せば崖から真っ逆さま。一分先のいのちの保証すらない私たちの人生は、まさに崖っぷち人生。そのような私たちの絶体絶命の人生を善導大師二河白道の比えで教えられています。あえてここでは記しませんので検索サイトで検索してみてください。
 写真は追弔法要の控え室。色とりどりの法衣と・・・・・・・。
2006年11月21日(火)
回檀 月潟  燕市 小中川 八王寺
 ポカポカの一日でした。道路からは季節を前に少雪パイプのテストで地下水がチョロチョロ。別の道路では何を間違ったか季節外れのヘビがニョロニョロ
 ポカポカ、チョロチョロ、ニョロニョロなどの様な擬態語,擬音語(擬声語)は状況を表現するには欠かせない言葉です。外国語の中にもあるようですが、日本語の様な擬態語,擬音語の豊富さは特異とのことです。しかも、同じ音を2回続けることで確実にイメージを伝えるという働きがあるようです。 明日は暦の上では小雪。もうすぐチラチラの季節になります。
2006年11月20日(月)
回檀 燕市佐渡山地区
 以前は報恩講が終わると、ご門徒さんの家に泊めてもらいながら行われる「下方(しもがた)の回檀」の始まりでした。(一般にというと北の方向をいうのですが、下方の回檀は旧吉田町 旧燕市をが対象になっています。)何百年も続いた行事でしたが、時代、交通機関、寺の事情などの変化で15年ほど前から泊まらずに帰らせていただくようになりました。
 それでも、普段の月参りは遠方ということで伺っていないお宅も多くあり、一年分のお話をまとめてお聞きすることができます。そのお話の内容は・・・・・・。一年、365日はやっぱり長い時間のようです。
2006年11月19日(日)
回檀 長岡市  寺泊箕輪    中条新田
 寒い朝でしたが久しぶりの青空。それも午前中でお終いでしたが、清々しい天気でした。写真の建物は隣の弥彦村麓に出来た日帰り温泉施設。11月にオープンしたばかりということで、混み合っているとのことです。日帰り温泉は気軽に温泉気分を味わえるということで、利用者も多く、近隣にもいくつか出来ています。 知り合いに遇うのが何となく気恥ずかしくて利用したことが無かったのですが、先般ご縁があって「Dの湯」へ行ってきました。きれいな施設で食事も出来る。何といってもお湯がGOOD。(^_^)/  ゆっくり暖まってきました (#^.^#)
 12月に入れば少しは余裕が出来るはずですので、もう一回携帯電話と時計を持たずに行ってみたいと思っています。
2006年11月18日(土)
報恩講
 報恩講が終わりました。お集まりの皆様、お手伝いをいただいた皆様にはあつくお礼申し上げます。
 まだまだ今年の予定は多くあるのですが、報恩講が終わると気持ちの上では「今年は終わったかな?」という感じがします。それは、脱力感・疲労感ということもないし、残念ながら安堵感・充実感でもないようです。
 先に記しましたが、「宗祖が出遇われた念仏の教えに、私たちが遇い得たことを慶び、その恩徳に報いる」ことが報恩講です。 今年の寺の行事としての報恩講は終わりました。でも、慶び、報いるということの自身への問いかけを通して「今年の歩みは終わらない」ということを親鸞聖人から喚起せられているようです。
2006年11月17日(金)
報恩講
 大蓮寺の報恩講としては、まずまずの空模様。今年も仏照寺様から法話をいただきました。高史明先生の言葉を引用されて「人はいろいろなものや人に支えられている。でも、そのことに気づかない。そんな有り様を教えてくれるのがお念仏なんです。・・・みなさん、毎日お世話になっている足の裏にお礼を言われたことがありますか?」
 そんな仏照寺様の言葉にドキッとしました。実は、昨日から足にあかぎれが出来て、足の裏にお礼どころか、文句を言っていたのでした。
 「支え、支えられて生かされている」という見えない身の事実をギブ‐アンド‐テーク【give-and-take】 (相手に利益を与え、自分も相手から利益を得ること。) という形に置き換えている私たちの生活だどこか変。
 明日も10時から読経が始まります。ご参集下さい。
2006年11月16日(木)
 明日から報恩講です。 報恩講は、宗祖親鸞聖人の亡くなられた日をご縁として開かれる法要です。
親鸞聖人が亡くなられた日は旧暦11月28日といわれています。それをもとに真宗各派の本山をはじめ、その各末寺で法要が毎年催されています。 各派の開催時期はそれぞれですが、本山佛光寺では11月21から28日までの七昼夜にわたる法要が行われ、末寺でもその前後にそれぞれ執り行います。
 報恩講は、宗祖が出遇われた念仏の教えに、私たちが遇い得たことを慶び、その恩徳に報いる真宗門徒にとって大切な法要です。明日は10時から読経が始まります。お誘い合わせてご参加下さい。
2006年11月15日(水)
内佛法要 燕市分水大武

 くるくる変わる天気の一日でした。この時期は畑の収穫の季節。「少し早いけど、やってしまうか〜」という冬囲いの様にいかないのが、畑の農作物の収穫です。いろいろな野菜が一気に収穫を迎えてもこの天気では・・・・。 外の雨を気にしながら「どうしよう(・・;)  まだタクアンにする大根を獲ってない」とは可愛い孫さんをオンブした若いおばあちゃん。リヤカーのニンジンは「晴れ間を見て、畑から獲ってきた。でも、まだ残っている」とはニンジン嫌いのおばあちゃんと二人暮らしのおじいちゃん。 でも、こんなに沢山のニンジンをおじいちゃん1人で食べるのでしょうか? 当然、別所帯の子どもさん・孫さんが食べる分も含まれているのでしょうね。そうでないと、おじいちゃんの目がウサギみたいに赤くなっちゃいますよ。 それにしても、おじいちゃんが一生懸命作ったニンジンは美味しそうですね(*^_^*)。

2006年11月13日(月)
高志会(勉強会)
 数ヶ月前にご主人を亡くされた年配の女性から封筒が届きました。報恩講のご案内を差し上げたのですが、まだ外出することが重荷でお参りできないとのお詫びの手紙でした。
 その中に川柳が三首。紹介しようかどうか迷ったのですが・・・紹介することにします。
     「濃い薄い 言う人も無し お味噌汁」
     「つっかえ棒 外され消えた 笑い皺(じわ)」
     「耳鳴りは 仏の耳打ち かと思う」

 「これから明るいものを作っていゆたらと思います」と手紙の終わりに添えてありました。

 写真は今日の高志会風景です。
2006年11月12日(日)
法事 寺泊竹森
 低気圧の影響で全国的に荒れ模様の天気。各地で初雪の便りも聞こえる一日でした。「Xマスケーキ予約承ります」の看板を見かける昨今。伺ったお宅ではしめ縄の販売員の来訪。正月の準備も進んでいるようです。
 しめ縄は専門外(^^ゞですので、辞書で調べると「神聖な場所の境をしめすために張る、なわ。また、災いの神がはいらぬように新年に門戸に張りめぐらす、なわ。左撚(ヒダリヨ)りになって、三筋、五筋、七筋とわらのくきを垂れ、その間に紙垂(カミシデ)をたらす。しめ。《参考》「標縄」「七五三縄」とも書く。」とありました。 つまり、「不幸をもたらすもの、不快なものは入ってくるな。」ということのようで門松と同様の働きをするようです。正月はしめ縄門松を飾れば「今年も我が家は安泰」となれば良いのですが・・・・。
 室町中期の僧、一休(1394〜1481)の有名な歌に、「門松や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」とあります。
2006年11月11日(土)
 土曜日なのに午後からの予定は無し。買い物が有ったのですが、週末の人混みは苦手。仕方がないので、ちょっと早いのですが、少しだけ報恩講の準備を始めました。写真は本堂内陣の右余間(向かって左側)の本山の歴代御門主様の絵像(他のご寺院では見かけません)。報恩講では、その絵像を御絵伝(親鸞聖人の御生涯の絵)に掛け替えます。平年であれば時間に追われた作業のなのですが、今日はのんびりしていたので面白いものを発見しました。 明治41年の本堂の火事の時は御本尊(阿弥陀様)しか出せなかったと聞いていたのですが、この絵像の裏書きには「文政十年二月中旬・・」と書かれてありました。もちろん、文政の年号は明治の前で179年前になります。
 もう、十年ほどこの軸の掛けは外しは私がしているのですが、この事には気が付きませんでした。慌てず、ゆっくり、のんびり。これは大切ですね。今日はある事情があって特に痛感しているのです。(・_+)
2006年11月10日(金)
回檀 燕市大野地区

 報恩講が終わるまで回檀は一休み。一週間連続の回檀は予定通りに実施できてホッとしています。それにしてもこの一週間に回檀で伺った家は50件。月読経を合わせると・・・・・・・。一週間で何人の人と話をさせてもらったのか?(^〇^) 何匹のペットたちに挨拶したことか?(^^ゞ 疲れましたが充実した一週間でした。

 国連開発計画は世界177ヵ国・地域の中で日本は生活豊かな国の7位という発表しました。この発表は平均寿命・就学率・GDP・などから国別に算出したものだそうです。数字の上では「なるほど」と、うなずけるのですが、あえて、数字では表せない心豊かな国ということをあえて数字にすると、世界で何位にランクされるのか気になるところです。 でも、このランク付けは、世界中が1位ということも当然ありえます。そんな世界ならとってもいいですね。

2006年11月9日(木)
回檀 燕市 三王渕 灰方地区
 回檀に行ったお宅。私の顔を見るなり「あぁ〜」。70歳代 ご婦人 1人暮らし。回檀を忘れておられたとのことでした。 最近は物忘れが多く、親戚の人にもしっかりしろと言われたとのことで、認知症を心配されていました。明るく話されてはいたのですが・・・・・。 
 回檀を終え、お勤めの方よりも少し早めに帰宅の途中。日暮れが早くなったのでちょうど日没の時間でした。 赤い夕暮れに見とれながらも思うことは「こんな夕暮れが今年中に何回見られるかな?」。 いくら好天の一日でも、後のことを思うと物寂しく感じます。 さっきまでお話ししていたも、女性もこの夕日を見ているのでしょうか?
2006年11月8日(水)
回檀 旧西川町地区
 昨日の大荒れの天気は各地に大きな爪痕を残していきました。そのことから比べたら、取るに足らない事なのですが、大蓮寺でも大荒れの天気が厄介者を残していってくれました。 午後壱番に回檀に伺ったお宅では「へぇ 来なはったかね。来なさる前に掃除をしよと思てたてがんね。」と玄関前の落ち葉を気にされていました。
 これからの季節は風が無くても枯れ葉が落ちてきます。切りがないから葉が落ち終わるまで待つという手もありますが、玄関などの場所によっては、そんなわけにいかない所もあります。そうなると、考えなければならないのが優先順位。当然、他の人から見える場所が優先になりますよね。
 私たちの生き方や関心事も他の人から見える場所が優先? でも、本当は外から見えないところが大切なんですけどね。
2006年11月7日(火)
回檀 燕市砂子塚
 雨、強風、雷と荒れた一日。久しぶりの日中の雨、夕方にはあられまで降ってきました。県内のJR在来線では軒並み、運転見合わせになっています。
 今日は・・・・立冬でした。暦の上では冬。「やっぱりね」と無理に納得。回檀中も「今まで天気が続いたから・・・」「11月から・・・・」と様々な自分を納得させるための感想をお聞きました。 でも内心は「まだ早いだろ〜(≧◇≦) もうちょっと、冬は来るな(*`∧´) 」
 どうしようもないことは解っていても、愚痴が多くなるのはこの季節です。 明日は天気。暖かくなり過ごしやすい日になるとのことです。自分の都合の一喜一憂は続きます。
2006年11月6日(月)
回檀 燕市五千石地区

   友 遠方より来たる ( ^^)/\(^^ )
 
ということで、今日は久しぶりに夜のお出かけです。(#^.^#)  明日に響かない程度にと思っているのですが・・・・・。 とにかく行ってきます。(^o^)/~~
 今日は回檀・月読経を合わせて26件。いつもなら夕方帰るとグッタリ(-_-;)なのですが、今日はまだまだ余裕 o(^o^)o  何ともげんきんな体なのでしょうか。f(^_^)
 ところで、現代の「遠方」というのはどの辺からなのでしょうか? 車で3時間ほどでは、遠方とは言わないのかも? 遠方の基準とは時間?距離?・・・・・・・・・。

2006年11月5日(日)
納骨 長岡市宮栄   回檀 燕市 溝・佐善地区
  毎年なら、この季節はどんなに暖かい日でも夕方には寒くなるはずです。でも、夕方伺ったお宅では、おばあちゃんは豆の選別の真っ最中。豆と色を揃えたというわけでは無いでしょうが、少々薄手のトレーナー姿。この時期は油断すると直ぐに風邪をひきますよ。お気を付け下さい。
 風邪といえば、所用で新潟市のI寺様に電話すると、ご住職は風邪をこじらせ肺炎で入院されているとのことでした。携帯電話へかけ直して欲しいとのこと。数年前は、病院内の携帯電話は厳禁だったのですが、最近では許可されている部屋もあるようです。 「財布忘れても携帯電話忘れるな」の昨今。病院も対応せざる終えないようです。
 I寺のご住職は、予定では明日にでも退院?とのことでした。ご無理をなさらぬよう。ご自愛下さい。
2006年11月4日(土)
回檀 燕市米納津 新潟市河井、下和納
 今日は午後から少し遠目の回檀に行ってきました。暖かということで気持ちも時間ものんびりとした回檀でした。
 近所では体菜(たいな)の収穫が行われています。毎年であれば、つらい水洗いも今年は水温が高いということで、のんびりとした様子に見えました。
 この、体菜の塩漬けを使った家庭料理が煮菜。冬期間の生野菜が少ない時期に食卓に乗る、先人の知恵というべき家庭料理です。新潟を離れた年配の方が子どもの頃の懐かしい料理というと煮菜なのだそうです。 「好きではなかったけれど、食べてみたい。」 煮菜の味には、子どもの頃の思い出がしみ込んでいるのでしょう。
2006年11月3日(金)
法事 燕市砂子塚     法事燕市向山
 文化の日の今日。せっかくだから「少しは文化にふれる事でも・・・」と日中は思っていたのですが、法務を終えて家に帰った途端に緊張が解けて、部屋の中でお疲れ様 状態 m(_ _)m 。 今年も音楽鑑賞程度にしておくことにします。
 最近ではリラクゼーション‐ミュージック【relaxatio music】「息抜き。くつろぎ。緊張を解く」という音楽分野から、一歩進んでヒーリング‐ミュージック【healing music】といい、心身の疲れをいやすような効果のある音楽分野が増えています。いろいろな意味で音楽文化は人間の生活文化を反映しているようです。 最近はペットもヒーリング‐ミュージックを聞いているとか? 皆さん お疲れ様です。    日記と写真のネコは無関係です。
2006年11月2日(木)
 法務で三条市曲淵に行ってきました。曲渕といえば一昨年の7月13日に集中豪雨で大被害を受けたところ。2年余の間に復旧が進み、水害の爪痕をあまり見かけることはなくなりました。
 写真は曲渕のご門徒さんの隣の敷地。石の塀に囲まれ、立派な家と庭があったお宅だったのですが、水害後は取り壊されて空き地になってしまいました。そして、空き地は2年足らずで荒れ地に・・・・。  水害、地震の被害地は復旧と荒廃が隣り合わせで進んでいるようです。
2006年11月1日(水)
 先日ザクロをいただきました。飽食時代で果物というより飾り物に昇格?した感のあるザクロですが、あんまり綺麗なので一粒挑戦してみました。子どもの頃には酸っぱくて食べられなかったザクロですが、これがけっこう美味しくいただくことができました(^O^)
 このザクロが特別に甘かったのか?それとも歳を重ね味覚が鈍くなり、何でも食べられるようになったのか? それにしても、この美味しさは意外な発見でした。
 幾つになっても、意外な発見はあるものです。今年も後、二ヶ月を残すだけになってしまいました。どんな意外な発見があるのでしょうか?