2005年6月30日(木)
葬儀 巻町西遊寺
 前住職のおば様の葬儀でした。行年百才。少し前までは「知力・気力・体力」共にシッカリされていて、10年ほど前は「ハワイへ行ってみたいと」言われご家族を慌てさせた程。私も子どもの頃からお世話になっていたおばさまでした。長い間ありがとうございました。
 今日、ある老僧が「住職を隠居してから一日が長くて長くて・・・でも、一年が短くて短くて」と話されていました。これからの時間は長く、過ぎた時間は短く感じるという事でしょうか? 今日で一年の半分が終わり、明日からは一年の半分が始まります。やっと、おばさまの半分の歳になっています。過ぎた半年が無駄にならない様、これからの半年を送れる様に頑張りたいものです。
2005年6月29日(水)
葬儀 燕市 三王渕
 「子ども叱るな来た道じゃ。年寄り叱るな往く道じゃ」 今日見かけた言葉です。「なるほど」とも思ってみるのですが・・・気になるのは、何歳くらいの人が詠んだんでしょう? 少なくとも40代から50代の人ではないようです。
 50代の人にしてみれば「子どもは叱るな往く道じゃ。年寄りは叱るな来た道じゃ。」の方が素直にうなずけます。
 「叱る・叱られる」「誉める・誉められる」ということは、世代を超えて人として成長するためには必要不可欠だと思います。でも、世代間を埋めるキーワードは「叱る・誉める」でなくて「ありがとう・ごめんなさい」だと思うのですが・・・・。 
2005年6月28日(火)

 昨日からの雨で田んぼの稲は鮮やかな緑がよみがえったように観じます。でも心配通り、県内各地で雨による床上浸水・通行止め等の被害が出ています。ご心配の電話をいただいていますが、分水町での被害は今のところ聞いていません。
 ですが、中越地方を中心として大雨洪水警報が出たままになっていて、NHK・TVでは、時折、枠外での「大雨情報」で被害・交通情報を流しています。これ以上災害が拡大しなければいいのですが・・・。
 世界四大文明は「治水」から始まったということです。人間の「治水文明」が始まってから5000年が経過しています。
2005年6月27日(月)
上法事 新潟市
 「梅雨入りしたらしい」という発表からいきなり「大雨・洪水警報」が出されました。農家にとっては恵みの雨なのですが、また極端にならないかと心配されておられる方も多いようです。
 今日は午前2時半頃、法務の電話をもらいました。4時過ぎに帰って来てからは、何となく寝そびれてしまい、一日ボーッとした感じがしていました。若い頃には、寝貯めも出来たし、一晩眠れば元に戻った体調も、最近は2〜3日かかるようになっています。シニア世代では仕方ないところです。
 魚は「まぶた」がないので目を開けて眠るのだそうで、「マグロ・サメ」などは呼吸の関係でゆっくり泳ぎながら眠るのだそうです。
 人間も仕事をしながら眠れたらどんなに便利かと思ってもみたのですが・・・こんな便利はNO GOOD!  身の回りを見ても「便利=GOOD」 とは必ずしも言えない様です。 
2005年6月26日(日)
法事 弥彦村  上法事 新潟市
 久しぶりにのんびり新聞を見ていると目に飛び込んできたのは「今!!話題のマンモスが人気爆発!!5万年前のマンモスが時を超えて再びあなたの分身印として・・・誕生!」印鑑の広告でした。ワシントン条約で象牙の輸入が禁止されたので、象牙の代わりに「マンモスの牙」? と思いましたが、象牙は条件付きで輸入が再開されていると事でした。 
 それにしてもマンモスの牙の印鑑とはびっくりしました。「大丈夫?合法?」と思いましたが、結構輸入されているようで、なんと、愛知万博でもマンモスの牙の細工品が記念品として販売されているのだそうです。
 マンモスの牙はワシントン条約などの規制の対象外になっているとのことですが、「自然の叡智」をテーマに掲げ、冷凍マンモスが目玉展示品と言われている「愛・地球博」で記念品としての販売に違和感を感じるのは私だけでしょうか?「人間の叡智」はどこまでも貪欲なようです。
2005年6月25日(土)
法事 分水町地蔵堂
 先日伺った家で懐かしいたわらぐみを出してもらいました。覚えのある酸っぱさが口の中に広がりました。庭にそのたわらぐみがあるというので行ってみると、これでもかというくらい沢山の実が真っ赤になっています。 子どもの頃にはよく見かけた懐かしい光景です。
 最近は「柿・イチジク・栗・ナツメ・・・」などの木を見かけなくなりました。誰も食べないから、切ってしまったというご家庭が多いようです。庭の木から直接採って食べた時の素朴な美味しさを、知らない世代が増えていくであろうことは少し寂しいような気がします。

 「忙しそげらね。コレ持ってけね。」といっていただいた黒酢が効いたのか、おばあちゃん?の優しい気持ちが効いたのか、中だるしていた体も元に戻り、少し続いた忙しさも明日で一応は終わります。 明日は、散らかっている机の上の整理でもしようと思っています。 
2005年6月24日(金)
吉田町高木地蔵講   高志会(勉強会)
 梅雨が来ないうちに夏が来てしまうのでしょうか?昨年来の極端な天候に憂慮されている方も多いことと思います。
 我が家の鈴虫も「報謝講までに孵化してほしい」(17日日記参照)と、私も願ったのがよかったのか?単に孵化の時期だったのか?偶然、報謝講の日から孵化を始めました。たとえ鈴虫であっても、いのちの誕生は感動的なものです。ただ、今のところは鈴虫でなくヒゲ虫という感じで、よく見ると二本の白いヒゲがわずかに確認出来る程度です。 後、二ヶ月程で、いのちの歓呼の音を聞くことが出来ることと思います。
2005年6月23日(木)
報謝講 弥彦村 広福寺様     百ヶ日法要 弥彦村麓

 昨年の秋に種を蒔いたタマネギの収穫が進んでいます。16日深夜の雨を境としてタマネギが急に大きくなったとのことで、収穫時期の差がそのまま収穫量に反映している様です。
 「蒔く」という漢字は「くさかんむり時」ということで、漢字の作りに特別な意味があるのかなと思ったら・・・「艸+音符時(シ)」。「とき」という意味には関係がない。 ということで日記ネタ不成立というお粗末でした。 

 先日、しゃばってどんな字を書くんだね?」と尋ねられました。御経本の「娑婆」と書いてあるところを見せると、「やっぱり婆らね。(*^_^*) この漢字にどんな意味があるんだね。」とのことでした。
 娑婆は梵語サハーの音写でこの現実社会のこと。つまり梵語の音が似た漢字を充てただけで漢字そのものには意味はありません。また、「南無阿弥陀仏」も「ナム・アミターバ」の音写で、「亜米利加・伊太利亜」などは音写の代表的な例だと思います。漢字自体と言葉の意味が全く関係がないのでいくら考えても答えは出ません。コレも「なるほど。そうか。」ということです。
2005年6月22日(水)
法事 分水町願成寺様

 親戚寺院で願成寺様の法事でした。 同じ浄土真宗(真宗)でも、願成寺様は本願寺派(お西)、大蓮寺は佛光寺派、実家の願善寺は大谷派(お東)。(ちなみに、真宗教団連合に加盟しているのは十派)
 宗派は同じでもが違うと法要等における念珠の持ち方・焼香の仕方・踏み出す足の左右まで宗派によって決められており作法が違うことがあります。
 他派の法要の際は、「大きな声を出して読経の邪魔をしない」ということがマナー。ということで、今日の法要では、ゆっくりと本願寺派の作法を拝見させていただきました。 
 「それで?どうだった?」ということについては、作法のことですので、基本的には論評などあるはずもなく「なるほど。そうか。」というコメントしかありません。 
 評論を加える必要もない「なるほど。そうか。」と、うなずくしかないことは多くあります。特に自分自身のことは、言い訳などせず「なるほど。そうか。」と素直にうなずくことも大切です。

2005年6月21日(火)
報謝講 大蓮寺
 今日は夏至。北半球では一番昼の長い日ということで温度も朝からぐんぐん上がって、ところによっては、今年初めての真夏日になったようです。
 日照りのせいか、何となくほこりっぽい風が本堂に入ってきます。決して涼しいとは言えない本堂での報謝講の聴聞、お疲れ様でした。
 今日、教えてもらったことですが、「呆(ぼ)けると人の話が聞けなくなる」とのことです。ということは、認知症の症状は「自分の都合だけ言って、人の話を聞かない」ということでしょうか? こりゃ 他人事ではありません。現代人はちょっとまずいぞ!
2005年6月20日(月)
入仏法要 寺泊町 敦ヶ曽根    教区機関誌とびら 編集会議
 最近は婦人から女性にという様に使うべき言葉が変わっていることがあります。道路脇においてあったプランターは「農協婦人部」から「農協女性部」に変更されていました。大蓮寺の「仏教婦人会」「仏教女性会」に名称を変更する必要があるようですね。認知症にいたっては、ぼけ・痴呆症・認知症と名前が変わっています。ただ、財団法人「ぼけ予防協会」という会があるくらいですから、そんなに気を遣う必要もないのかもしれません。
 でも、気になるのは「物忘れ」「認知症」の違い?あるお医者さんに聞いたところ「朝食に何を食べたか忘れた」のは物忘れですから大丈夫。「朝食を食べたかどうか忘れた」というのは認知症の疑いがあるので要注意だそうです。
 ある、おじいちゃんにその話をすると「それなら、物忘れも大丈夫だ」とのことでした。「じゃ朝食は何を食べた?」と聞くと「そんがんの決まってるこてね。昨日の夕飯の残りらこてね。」 「じゃ 夕飯は何を食べたね」  すると返ってきた答えはなんと「朝飯と同じらこてね」
 このおじいちゃん 物忘れは別として、これだけのユーモアがあるのですから認知症は当分の間、大丈夫な様です。
2005年6月19日(日)
法事 分水町大川津   法事燕市三王渕   米山講吉田町高木
 写真は吉田町高木の米山講。米山講は「米穀の豊穣」を願う柏崎、米山(五輪山)の米山寺(べいさんじ)への民間信仰です。この時期、数人が講中の経費で米山寺に代参(代表参拝)し、帰ると講中全員でお酒を飲み交わすという、農家の交流・親睦を兼ねた会です。
 一時は各地に600以上の米山講があったということですが、近年は専業農家もほとんど無くなり、講中人数の減少、廃講が多くなったとのことでした。 
 同じ「講」でも21日は大蓮寺の「報謝講」です。10時から始まります。代参ではなくて、皆さんでお参り下さい。お待ちしております。
2005年6月18日(土)
法事 燕市三王渕   法事 分水町大川津   時斎 分水町中島
 平日は時間を持て余すこともあるのですが、土曜、日曜の法務は「体が二つあれば」と思うことがあります。それは、法務を半分にしたいということで「一日が48時間あれば」と思わないのは元来の怠け者の発想ですね。全くの無意識で楽な方を考えてしまうということに、私自身、苦笑しながらも驚いてしまいます。
 よくお年寄りが「歳をとると段々時間がたつのが早くなる」と言われます。最近の私も月一回の月読経で「ついこの前に行ったばかりなのに」と思うこともしばしばです。そろそろシニヤ世代も卒業・・・というのは少し早いですよね。
 今日も、そんな思いで伺ったお宅のビニールハウスを見てびっくり。 写真上が先月19日の日記で紹介した写真。下が今日です。 私の思いとは別に一ヶ月は確実に過ぎていました。ナスとキュウリの苗が大きくなった一ヶ月の間、私は何をしたのか?何が出来たのか? 考えてしまいます。
2005年6月17日(金)
報謝講 寺泊 聖徳寺様
 聖徳寺様の裏庭で泰山木(たいさんぼく)の花が一輪咲いていました。泰山木はモクレン科の常緑高木で、5〜6月頃に香りのある白い大きな花を咲かせます。開花が遅れている泰山木も大奥様の「報謝講までに咲いてほしい」という願いに呼応してか、一輪だけ咲いてくれたとのことでした。
 我が家の鈴虫も孵化を始めている時期なのですが、さっぱり様子が見えません。「報謝講までに孵化してほしい」と私も願ってみようかな?
 私たちは「願いはかける」ものと思っていますが、願いには呼応があります。願いをかける数と同じだけ願われているということがあるようです。
2005年6月16日(木)
新潟教区児童大会下見
 ただいま・・・児童大会の下見から帰ってきました。天気にも恵まれ十分な下見が出来ました。といっても、企画立案をしている若いスタッフの中には、子どもの頃に児童大会に参加したという人もいて、私は足手まといにならない様に付いて行ったという感じです。 「そろそろ潮時かな?」と実感した下見でした。
 でも、気持ちとは別に、しっかり日焼けだけはして来た様で、午後から行った法務で「日に焼けましたね」また言われてしまいました。本当に、このまま日焼けを続けたら、どんなになってしまうのでしょうね。日焼けしたら、空の色みたいになればいいのに(*^_^*)
2005年6月15日(水)
新潟教区児童大会下見
 今日は、新潟教区主催の児童大会の下見に行ってきます。今年の会場は以前に行ったことがあるのですが、大切な子どもさんをお預かりして行くのですから十分な下見が必要です。
 今年は八海山サイクリングターミナル(南魚沼市 旧大和町)が会場になります。 企画案はココをクリック。後日あらためてご案内いたします。
 そろそろ。出発の時間ですので・・・行ってきます。
                      写真は去年の出発の様子
2005年6月14日(火)
初七日 分水町 牧ヶ花
 アツバキミガヨランが満開になりました。さすが原産国が、情熱の国、中南米。あっという間に咲きました。でも、あっという間に散りそうです。
 原産が中南米であってもアツバキミガヨランは、日本で育ち、咲いてもアツバキミガヨランです。オランダ原産のチューリップも・・・・。
 馬の母親から生まれるのは馬。犬の母親から生まれるのは犬。でも、人の母親から生まれた、オオカミ少年はついに人にはなれなかったとのことです。
 人は母親から生まれると半分だけ人になり、後の半分は周りの環境に育てられます。 仏教では環境のことを「ご縁」といいいます。ご縁は「ある・ない」でなく、「気付く・気付かない」ということが問題なのです。そしてご縁とは頂くものなのです。
2005年6月13日(月)
 世はサプリメントブーム。先日もある会議で「低血圧で朝起きるのが辛くて」と話すと「ウコンがいいですよ」とのことでした。ウコンといえば肝臓でしょう」とも思いましたが試しに10日程服用しています。サプリメントは長期の服用が前提ということで残念ながら未だ効果は見えて来ません。
 日本臨床栄養協会の定義によると「サプリメント」とは、「食生活で不足する食品成分、または通常の食生活に追加して摂取することで健康の維持・増進に役立つ食品成分を含む食品」となっています。
 つまり、サプリメントは食品ですので薬と違い、薬事法などによる有効性や安全性は求められませんし、効果・効能は記載されません。
 気になることは、サプリメント【supplement】は雑誌・書籍などの付録。補遺。追録。という意味だそうです。後、4〜5日でウコンが無くなります。飲み続けようか迷うところです。
2005年6月12日(日)
法事 吉田町 溝
 今日は十王堂(中島の下村地区)のお祭り。この日は普段付けられている木戸も外され、子ども御輿も出てにぎやかになります。
 この十王堂は閻魔様など十体の木造を安置してあります。 堂宇は寛文年間(1661〜)に建立され、国上寺客僧萬元上人が宝永年間(1703〜)に再興されたされたと伝えられています。堂宇の材は建築当時のもとされ素朴な原形を保っています。
 ということは、ほとんど由緒は判らん?ということらしいのですが「誰が・何時・どうした」という格付けが全く必要ないところが民間信仰の凄いところです。
 今日は民族研究家の高橋郁子氏が取材に来ておられました。立ち話で少しお話ししたのですが、十王堂の事は、はっきりしたことが判らないので、取材になったかどうか少し心配しています。


2005年6月11日(土)
葬儀 分子町牧ヶ花  法事 分水町中島  中陰 分水町地蔵堂   中陰 川崎在住
 マグロの種類や原産地を偽って販売するケースが相次いでいることから、農水省はマグロの虚偽表示に関して調査を始めました。卸売業者がメバチマグロを値段の高い本マグロと偽ってスーパーに販売したという消費者にとっては許し難いケースを受けてのことです。
 東京都中央卸売市場での冷凍マグロの平均価格(03年度)は、本マグロが1キロ約2600円なのに対し、メバチマグロは同約800円。小売りの段階ではもっと値段の開くが出てくるそうです。
 見た目では種類を判別しにくく、我々でもお刺身にしてしてしまうと判別出来ない程・・・・・と卸売り市場の人の談。そこで、農水省では疑わしいものはDNA鑑定を実施するとの頼もしい取り組みが開始されています。
 ただ、個人的意見ですが・・・DNA鑑定をしなければ判らない程であれば、安いメバチマグロでも私は十分です。
2005年6月10日(金)
仏教婦人会総会
 仏教婦人会の総会でした。お説教は昨年に引き続き三条の福井憲雄師(徳誓寺様)にお願いしました。「当てが外れるというが、その当てとは自己中心の都合。 そんな身勝手な都合(思いこみ)を仏教では迷い・無明(闇)と教えている。」ということでした。

 辞書によると「当てが外れる」とは「見込みが違う。期待に反する。」という意味です。
 見込みも、期待するのも私の当てなのですから、当てが外れても、当然自分の責任です。ところが、当てが外れると、自分に腹が立つのではなく、相手に腹が立ってしまうんです。
 そんな、自分の身勝手(都合)で当てにしたことが「適う・外れる」で一喜一憂する私たちに、仏教は「当てにするな」と教えいるのでなく、「当ては身勝手なものであり、身勝手な当ては外れるもんだ」と教えています。そんな当然の道理が納得できない私たちの生き方を迷い・無明という言葉で言い当てられています。



2005年6月9日(木)
 先日紹介したアツバキミガヨランが咲き始めました。といっても下を向いた花びらがは開くことはないということなので「つぼみが開ききった」と言った方が適切なのかも知れません。茎がセンセーショナルな出方をした割には花はかなり控え目な感じでした。
 茎は意外と弱くて、花の重みに耐えられず倒れてしまうこともあるとか。明日は夕方から雨の予報が出ていますので、支え棒を付けてきました。
 ただ、いろいろな状況で言えるのですが、守る為の支えが原因で傷付けてしまうことがありますので、しばらくは様子見です。
2005年6月8日(水)

 「頭がいい人、悪い人の話し方」(樋口裕一著) 売れに売れている本ということです。 インターネットで検索すると、話し方の悪い例として、「自分の価値観だけですべてを判断する」、「根拠を言わずに決めつける」、「難解なことを言って煙に巻く」、「詭弁を用いて自説にこだわる」などと書いてあるのだそうです。
 結局、樋口氏のいう頭の悪い人とは「人の話は聞きましょう」と言われ続けて育っているのに、「人の話を聞けない人」ということなのでしょうか? そんな意味からすれば、「頭がいい人、悪い人・・」という本のタイトル表現は納得できるような気もするのですが・・・・・どんなもんでしょうか?
 余談ですが、書店で本を選ぶときの基準は?作者・販売ランキング・値段・話題性・・・・そしてタイトル?
 ところで、日本サッカー ワールドカップ出場おめでとうございます 
     

2005年6月7日(火)
大蓮寺 聞法会
 先日、門徒さんの家で「じいちゃんが大事にしていた菓子器」といって見せてもらったものです。漆塗りの菓子器でふたの裏には「大正八年9月上旬大蓮寺再建記念」と書かれてありました。 大正九年と言えば86年前になります。よほど大切に扱われていた様で、古い感じがしますが、光沢がありしっかりしたものでした。
 寺伝によると「本堂は明治四十一年十一月十日雷火(2004年12月17日の日記参照)により焼失、後京都佛光寺本山阿弥陀堂を模して設計、大正十五年(1926)八月再建」ということです。 わずかな資料による本堂再建の課程は以下のようなります。
 明治41年11月10日 落雷焼失 本堂 鐘楼 庫裡 
 明治45年以降     本堂土台の砂利がち
                    (弥彦神社再建と同時期)
 大正 7年         本堂の瓦を上げる
                    (瓦の引き替え時に確認)
 大正 8年 9月     大蓮寺再建(菓子器による)
 大正15年 8月     大蓮寺再建(落慶法要か?)

 大蓮寺再建が2回あることは不思議ですが、大正8年は再建工事終了、大正15年は再建の落慶法要ということでしょうか? 気長に大蓮寺の年表を作って見ようと思っています。 




2005年6月6日(月)
 近所のおばあちゃんに「気持ちの良い天気ですね(^O^)」
 すると、「雨が降らんで、泣きそうらてばね(・_ ; )」 畑は春の低温で植え付けが遅くなり、やっと順調に育ってきたのに、お天気続きで畑が乾燥してしまったいるのだそうです。 しばらくは雨が降らな予報ですので、おばあちゃんの憂鬱(ゆううつ)が続きそうです。
 気持ちがいい
都合がいいということは別です。お天気もそれぞれの都合がありますから、うかつなことは言えないようです。

 とは言っても今日もいい天気。近所の男の子はおじいちゃんが作ってくれたクローバー畑に女の子を誘ってのデート。 エスコート役の男の子はこんな時は張り切ってしまうんですよね。(#^_^#) でも、「おかあさん・妹さん」同伴のデートでけどね。 それでも頑張れ「男の子」  


2005年6月5日(日)
 今まで誰も気にしていなかったのですが、前庭の植物に異様な茎が伸びてきました。20年以上も前にもらって畑に植えてあったのですが、10年ほど前に前庭に移植したものです。
 植物図鑑によると リュウゼツラン科 ユッカ属 アツバキミガヨラン(厚葉君が代蘭・別名アメリカキミガヨラン)だそうです。 場所によっては年に2回クリーム色の花が咲くのだそうですが、さして珍しい植物ではないようです。
 気になるのは、厚葉君が代蘭(和名)の別名がアメリカキミガヨランなんでしょう?原産が中南米だからなんでしょうか?「アメリカ」と「君が代」がミスマッチの様に思えます。
 それにしても、20年以上も咲かなかったのですから、次ぎに見ることが出来るのは20年後かもしれませんので、心して観賞したいと思っています。


2005年6月4日(土)
法事 分水町 中島
 「先日のHさんの葬儀 ご苦労様でした。」近所のおばあちゃんから声をかけられました。Hさんの家は離れていますし、ご親戚でもありません。「どうしてご存じですか?」と聞くと、Hさんとは10年ほど前に同部屋で入院していたんのだそうです。退院後も同部屋の人たちと温泉へ一緒に行ったりして交流があったとのこと。病室仲間は特別に仲良くなるとのことでした。
 病室は、今まで一度も会ったことのない人たちが、ある日突然、24時間生活を共有することになる不思議なスペースです。入院は病気・怪我などのご縁によるものですから、喜んで行く人はいません。 でも、同部屋の中で「同じ釜の飯を食べ・悲しみ・苦しみ・痛み」を共有している戦友だからこそ理解し合えるところが大きい様です。
 でも、日頃の生活では「悲しみ・苦しみ・痛み」を共有することのできない私たちの「自己中心」という相手のことを思いやれない病気は、慢性疾病になっているようです。
2005年6月3日(金)
 初夏の光を浴びて、近所の畑ではいろいろな花が咲いていました。自家用の切り花として使われるのでしょうか?
 花の色・形・大きさなどにより配列が考えられた花庭も、もちろん綺麗のなのですが、無造作に固め植えされた畑の花にも、なぜか惹かれるところがあります。
 花庭に感じるのはいのち調和。畑の花に感じるのはいのち躍動感。 最近、とんと実感してない躍動感・・・・・。畑の花に惹かれた理由はコレかな?
2005年6月2日(木)
報謝講  吉田町 広海寺様
 広海寺様で本年度初の報謝講がありました。報謝講は近隣七ヶ寺の佛光寺派寺院の集まりで、持ち回りでお説教の会場になり、ご法中の説教があります。6月21日には大蓮寺でも勤まります。お誘い合わせてお参り下さい。
 この報謝講の控え室は、何百年も御寺院方にとって「日頃の法務内容の確認・疑問」など率直に意見を述べ、学びあう大切な場になているのです。これで、お説教をしなくてもOKならば、いうことはないのですが・・・・。
 写真は広福寺様が撮ってくれた、お説教中の私の様子です。 自分では判らなかったのですが、お説教というより落語という感じですね。(;^_^A  
2005年6月1日(水)
 衣替えにはぴったりの夏日になりました。朝の清々しさは格別です。真木山(分水)のEさんのおばあちゃんイチゴを頂戴いたしました。2年前に亡くなったイチゴ作り名人の大おばあちゃんから比べたら「まだ、かなわない」と謙遜されていましたが、甘くて美味しかったですよ。
 お孫さんが喜んで食べるという、Eさんのイチゴは「亡くなられた、大おばあちゃんの直伝」という、ご家族にとっては特別な付加価値がついているんですね。 二人のお孫さんが、イチゴを美味しそうにほおばる様子を想像しながらいただきました。 ごちそうさまでした。 
2005年5月31日(火)
初七日 吉田町 高木     分水町戦没者追弔会
 今日のクローズアップ現代(NHK)では、戦中に作られた、地下壕の実態把握が出来ていないという内容の報道がされていました。戦後60年という年月が実態把握を困難にしている様です。また、確認されている地下壕でも、予算の関係で埋め戻しの工事が、なかなか進んでいないということです。「国・自治体の正面を向いた対策が必要」との結論でした。
 戦没者追弔会がありました。戦後60年ということで直接の遺族が少なくなり、段々と追弔会の参加者が少なくなっている様です。 戦後60年が過ぎたからこそ、戦争についての「正面を向いた実態把握」が必要な時代になってなっているのではないでしょうか。
2005年5月30日(月)
 日本では「隣の花は赤い」。外国には「隣の芝はあおい」ということわざがあるそうです。意味は「他人の物は、何でもよく見えてしまい、うらやましく思える」、また「他人のものは実際よりよく見える」ということのたとえだそうです。類語として「他人の飯は白い」「隣の牡丹は大きく見える」など。とかく隣のことは良くなって見えるようです。
 午後から所用で新潟市上曲通(旧月潟村)の梵行寺様へ行ってきました。掃除の行き届いたあおい芝の境内。(ё_ё) 「隣の芝は・・」ということわざを差し引いても見ても、我が家よりやっぱりあおい(-_-;)
 帰る車中で 「家に帰ったら境内の掃除でも・・・」ではなく、「暗くなってから来れば良かった」と思ってしまったことを、あまりに安易な考えだったと恥じ入っております。
2005年5月29日(日)
 法要がなく月読経も少ない日曜でした。この季節に、こんなゆったりした日曜日は久しぶりです。近所の北小学校では運動会が行われていたのでふらりとカメラを持って応援に行ってきました。運動会に来たのは長男が小学校1年生の時が最初で最後だったので15年ぶりになります。 当時と比べると子どもたちの数は減っていますが、応援のご家族は逆に増えているように感じます。
 元気な歓声を上げている、この子どもたちが大人になる頃は、「もっと少子化が進み、福祉の面でも負担が大きくなるのか?」と思うと複雑な気分の観戦でした。 頑張れ 明日の大人たち 
2005年5月28日(土)
葬儀 吉田町 高木     法事 巻町 河井
 いつの間にかイチゴも赤くなる季節になっていました。 伺ったお宅のイチゴです。孫さんがいたので「イチゴ赤くなってきたね(^Q^)」と声をかけましたが、「うーん( -_-)」と返事をしただけで浮かない様子。あまり興味がないようでした。
 前に、あるおばあちゃんが寂しそうに言っていたことを思い出します。「孫は買ってきた愛しげなイチゴは食べるけど、家で作ったイチゴは食べねんだてばね。」 温室育ちの愛おしげなイチゴには付加価値があって、おばあちゃんが家の前で丹精して作ったイチゴには付加価値が付かないのでしょうか? ちょっと、寂しい気がします。
2005年5月27日(金)
葬儀 新潟市升潟

 2〜3日前から近所でカラスの鳴き声聞こえていました。カラスの駆除が始まっていたので、民家の側に逃げてきたのだと思っていましたが、原因は傷ついた子ガラスを必至で守ろうとする親ガラスの鳴き声でした。親ガラスが子ガラスを守ろうとする本能の強さは驚くべきものです。
 屋根の上で威嚇(いかく)する親ガラスを見て
「おまえは幸せだな」 幼児虐待のニュースを思い出し、子ガラスに思わずつぶやいてしまいました。 今、人の強さ・優しさは自分自身にだけ向いてしまったのでしょうか?

2005年5月26日(木)
内佛法要 寺泊    分水町仏教会総会    高志会(勉強会)
 来年3月に分水町は燕市になるため、分水町仏教会としては最後の総会でした。当然、来年度からの仏教会の行事はどうなるのかという話題が出ましたが、後で聞いたところによると、一足先に合併が進んでいる新潟市仏教会もまだ手探り状態とのことでした。 仏教会だけでなく、多くの組織で手探りの組織再編成が進むことと思います。
 ただ、合理化を念頭に置いた組織再編成で、各組織の目的を見失う事のないように心したいものです。
2005年5月25日(水)

 今更とは思うのですが、FAX専用の番号を作ることのなりました。FAXの送信は全く困らないのですが、受信となると切り替えが必要な為大騒ぎ。大抵、一回目は受信できず、仕方がないので、電話機の前で二回目の送信待ちという状態でした。

 FAXなしという訳にもいかないので、コピー機のお世話になっているOA機器販売会社に相談したところ「月々300円で専用番号がもらえますよ」とのこと。FAX専用回線を引かないとだめかと思っていましたのでびっくりでした。こんなサービスが有ったんですね。もっと早く聞くべきでした。今までの大騒ぎはいったい何だったんだろう・・・・。

 世の中には、「知らないと損すること」が多くあるようです。「知らない」ということは
2種類。
    @ 何を知らないのか知っている
    A 何を知らないのか知らない

 前者は「調べる・勉強する」「問い〜聞く」ということで知ることが出来ます。では、後者は全くのお手上げでしょうか?
 私たちは「自分自身のことはよく知っているようで、本当はまるで知らない」と言われ、このことは後者の「知らない」に属するようです。 仏法では「問い〜聞く」の順番でなく「聞くということから問いが出る」と言われます。 自分自身を知らないということは一生の損。6月の聞法会は7日です。仏法に自分自身を聞いてみませんか。
2005年5月24日(火)
仏教婦人会役員会
 仏教婦人会役員の皆様に本堂仏具のお磨き奉仕をお願いしました。ピカピカの仏具で総会を迎えることが出来ます。ありがとうございました。
 総会は以下の日程で行われます。総会の案内は役員の皆様より連絡していただきます。 ご参集下さい。

 仏教婦人会総会 6月10日(金) 11時〜
     読経
     総会
     お斎
     法話 三条市 徳誓寺 福井憲雄 師 
2005年5月23日(月)
法事 麓 広福寺様
 昨日・今日と広福寺様(弥彦村 麓)の前ご住職七回忌・前々ご住職二十三回忌の法要でした。過ぎ去った10年・20年の年月は早いもので、お二方より、ことあるごとにご指導を頂いたのも、つい昨日の事の様に感じます。
 過去という時間の実体は存在しません。でも、過去という時間は、私たちが頂いたご縁で確実に認知することができます。大切なことは、何年経ったかという時間の長さでなく、その時にどんなご縁を頂いたかということだと思います。
 「今」という一瞬の時間は、一瞬で「過去」になります。だから過去というのは「今という時間の積み重ね」。そして、今というのは「過去のご縁の積み重ね」なのです。
2005年5月22日(日)
法事 弥彦村麓 広福寺様
 残念ながら「猿」ではなくて「ざる」の話題です。「ざる耳」という言葉は「聞いても聞いても直ぐに忘れてしまう」という意味です。
 先輩によると耳には三種類あるそうです。聞いたことを忘れない貯金耳。直ぐに忘れるざる耳。右から左へ直ぐに抜けていく鉄砲耳。 鉄砲耳と比べれば、いくらか滴(しずく)の残るざる耳は、まだ良い方なのだそうです。
 私たちが聞いたことを忘れない貯金耳でないことは確かですから、せめてざる耳に留まりたいものです。 でも、ざる耳には問題点が二つ。
   @ 聞き続けていないと直ぐに乾いてしまう。
   A 滴としてどんな内容が残っているのか。

 「お前の耳はざる耳だ」と叱られる(誉められる)ためには、かなりの努力が必要なようです。
 「仏法は毛穴から入る」と言われます。仏の教えを学ぶためには、理解できなくても、ひたすら聞くことが大切である。そのうち仏の教えは、毛穴から入るように伝わってくるという意味です。
 「仏法はざる耳で聞くべし」と言ったら言い過ぎでしょうか。
2005年5月21日(土)
中陰法要 吉田町田中
 「ワン ワン」 月読経で伺ったお宅の玄関に入るなり歓迎?の挨拶。飼い主が旅行に出かけるので預かった犬だそうです。突然の挨拶だったのでびっくりした私の様子を見て「吠えるのは、入って来たときだけなんだけど」と家人は恐縮して言い訳。私は「犬は仕事ですから」と変なフォローをしてしまいました。預けられた先でもお仕事とはご苦労様です。
 「犬も食わぬ」「犬の遠吠え」「犬死」など、犬に関係した言葉はあまりいい意味で使われることはないようです。 でも、動物の中でという文字の引用した言葉が多いのは、それだけ人と密接な関係が有ったということなんでしょうね。 
 関係のない人を叱る人はいません。お叱りをいただくということは、その人と親密な関係ということなんでしょう。大切にしなければならない有り難いご縁だと思います。
 ところで、犬を旅の共に連れて行かなかったところをみると、飼い主は桃太郎さんではないようです。 日記の話題もキジ・犬とくれば明日の話題は・・・猿でしょうか?
2005年5月20日(金)
 爽快な一日でした。こんな日は何となくのんびりムードになります。近所の水田では白サギと青サギが仲良く餌取り。すぐ脇ではキジがゆったりとお散歩。中島地区では鳥までのんびりムードです。
 写真を撮り終えた後
   「(中島)すげぇ〜!」(ё_ё) 
と思わず出てきた言葉は落ち着いて考えると
   「中島はすごくいいところだな」
の言葉足らずでした。 言葉は省略するといらぬ誤解を招くことがあります。
2005年5月19日(木)
 現代は付加価値の時代。わずかな時間で、通常の電話などの公衆通信網は、コンピューターを使った付加価値通信網(高度な通信サービスを提供する通信網)になりました。農業においても例外でなく、農作物に付加価値を付ける努力が行われ、農作物のブランド化・販売方法・出荷時期の調整などがあげられます。出荷時期の調整と言えば温室栽培。
 今日、お邪魔した農家では、手間のかかる温室栽培の自動化を今年から導入されたとのことでした。初年度のせいか自動化といっても機械の微調整は、人の手でやらなければならない様で、やっぱり農家の経験と感は必要なんですね。
 こうして、農作物は暖かい温室の中で付加価値を付けてもらいます。でも、人間は温かい温室を出た後、自身の努力で付加価値を付けていくんです。
2005年5月18日(水)
新潟教区 布教大会
 新潟教区主催の「布教大会」に行ってきました。実演は教区内の若手・中堅・ベテランの三名の方でしたが、三者三様それぞれの方の個性あふれた布教でした。布教は、生身の自分の姿が出てくるようです。私の布教もいい意味でも悪い意味でも、個性丸出しかと思うと、少し怖いような気がします。(^_^;
 月読経は行けないところがありました。明日にでもお邪魔します。
 布教大会のスナップ集はココです。
2005年5月17日(火)

 ホットカーペットを片付けるか思案している間に、気が付けば5月も下旬に入ろうとしています。Yさんのおばあちゃんが若い頃に植えたという白藤は、見頃は過ぎてしまったとのことですが、まだまだ見事なものです。毎年きれいに咲かそうとすると手入れも大変。花の時期が終わると、花を一つずつ摘むのだそうです。
 その藤の手入れもそろそろ、お嫁さんにバトンタッチされるとのことでした。こうして、色々なことが願いと一緒に次々にバトンタッチして伝えられていきます。どんなに沢山相続しても、税金のかからない「願い」の相続です。

2005年5月16日(月)

 横浜市の小学校で「学級連絡網 (保護者へ)メールで一斉送信」 を導入とのことです。4月から個人情報保護法が全面施工されたことで、クラスの住所・電話等の名簿の配布を取りやめた事への対応処置とのことです。カード詐欺などの犯罪が横行している世の中ですから仕方のないことかも知れません。
 長女の高校でも個人情報漏れの不安がありクラスの名簿は配布されていません。だから、住所も出身中学もわからないクラスメイトがいるとのこと。個人情報漏れとは関係ない時代に学校へ行っていた私としては不思議な感じがします。
 毎日の様に「・・高校に通っている・・・さんのおかあさん(おとうさん)ですか?」と妙に明るくかかってくる電話。学習教材業者は知っている個人情報を、クラス内では知らされていないということは奇異にさえ思えてきます。

 個人の集合によって社会(国家)は形成されているのですから、個人は社会に背を向けて生活する訳にもいきません。 時代と共に状況は変わっていますが、個と公の問題の本質は変わっていないように思います。

2005年5月15日(日)
法事 分水町新堀   法事 分水町佐善
 法事のお斎で初物の枝豆をいただきました。(∩.∩)  ご親戚が朝取りした差し入れということで、弥彦村の「弥彦娘」でした。 ブランド枝豆と言われるに恥じない香りと甘さを堪能させていただきました。ごちそうさまでした。
 これからの季節は地物の「初物ラッシュ」になります。あの、ビーフ・ジャーキーのゴン太もうらやむ 「ええ季節やな〜」
 という冗談も辛いフル活動の一日でした。疲れた〜。こういう時は・・・・・やっぱり、おやすみなさい。m(_ _)m
2005年5月14日(土)
法事 分水町佐善    法事分水町地蔵堂
 法事のお斎で南の島へ行ってきました。(∩.∩)  勿論、気分だけでした。(^^; ....  いつの間にか海は夏を迎える準備を初めているようです。
 大蓮寺でも仏教婦人会総会の日にちが決まり、役員会等の準備を始めています。今年も布教は三条市徳誓寺様の福井憲雄師にお願いしました。今月中にはご案内をお届けできると思います。お誘い合わせてご参詣下さい。 
2005年5月13日(金)
 お仏壇の前と隣の床の間にはいろいろな物が置いてあります。到来物の上書きには「寿」「お祝い」「御見舞」「内祝」など、そのご家庭の様子を知ることが出来る場合があります。
 「御見舞」に付いては、「暑中御見舞・残暑御見舞・寒中御見舞・寒気御見舞・病気御見舞・火災御見舞・類焼御見舞・近火御見舞・台風御見舞・地震御見舞・水害御見舞・災害御見舞・伽見舞・御水屋見舞・等々」多種に及びます。
 先日あるお宅で見かけたのが「皐月見舞」? 皐月(さつき)ですから五月の御見舞ということは・・・「田植え御見舞」なんだそうです。こんな御見舞もあるんですね。 ちなみに「皐」という漢字は白い光のさす大地をあらわしているのだそうです。「さ・つ・き・み・ま・い」日本語の美しさと優しさに触れた一時でした。
2005年5月12日(木)

 長岡市の病院へお見舞いに行ってきました。帰りに、病院の近くで「ダッチコーヒー」と書かれた喫茶店を以前見たことを思い出しました。
 ダッチコーヒーは水出しコーヒーとも呼ばれ、お湯を使わず「水」で抽出した珈琲です。 渋味が出ない芳醇なコクが特徴です。 京都の学校の近くでダッチコーヒーを出してくれる喫茶店があり時々飲ませてもらっていたのです。

 あの味が懐かしくて、その喫茶店を探しましたが見つかりませんでした。ガッカリ(-_-;)  「あの味」も25年も前の味になってしまいましたが、今でもはっきりと憶えています。若いときの味覚はすごいですね。

 お見舞いに伺った高齢のご婦人のお話は、少し痴呆があるせいか、お若い時の事がほとんどでした。 人は昨日の事は忘れても、若いときのことは鮮やかに憶えているということがあるようです。でも、若いときの記憶は鮮烈で鮮やかかも知れませんが、年を重ねると記憶に深みと奥行きが出て来るのではないかと期待しているのですが・・・・・・いかがでしょうσ(^_^;)
2005年5月11日(水)

 2005年3月期トヨタ自動車の純利益が1兆円を超えたとのこと。今後もハイブリッド車の順調な販売も見込まれるため、自動車業界も「勝ち組・負け組が出てくる」とのTV番組のコメントもありました。 歴史的背景を無視した「勝ち組・負け組」という言葉をよく聞くようになりました。ではマスコミでいうところの勝ち組・負け組とは?
 「○・×」「ピンポーン・ブー」「白・黒」「善・悪」
という事で単純に人間も社会も色分けできるのでしょうか。私たちは「裁く」という形で無理に色分けしているようです。TVのニュースショーを見ていると、水戸黄門的で善人役、悪人役がはっきりしています。善と悪に裁くことだけでは、問題点がすり替えられ本質が見えてこないように思います。
 「裁く」ことにより優越感を持ち、反面で劣等感にさいなまれます。また安心もし、不安にもなります。そんな「裁くこころ」によって、自分自身も右往左往しているのが、私たちの人生模様でもあるようです。 

2005年5月10日(火)
聞法会
 件名「本日 開店」 内容は「名前・アドレス・電話番号」だけが書いてあるメールが届きました。 時々ある迷惑メールかと思いましたが、名前を見ると、新発田に行っている姉からのメールでした。「インターネットを始めようかと思う」ということは聞いていたのですが突然でびっくり。(ё_ё) びっくりついでに電話したら、1時間近くも話し込んでしまいました。(^^ゞ メールは相手の都合を気にしなくていので便利ですが、気にしながらの電話はそれ以上のものがある様です。
 写真は、弥彦山での兄姉。もう40年以上も経っているんですね。 この頃に比べる今は・・・・・・・。後が怖いから書かないでおきます。(;^_^ 
2005年5月9日(月)
 お墓の立て替えに来られた石屋さん。土の中から太い根が出て来て四苦八苦。ついには「石なら得意なんだけれど」と電動のこぎりを用意して悪戦苦闘。上田さん。お疲れ様でした。(^_^)v
 ところで、こうした難儀したときに使われる「四苦八苦」は、「人生は苦である」という仏教の基本的な存在認識を表す言葉です。この苦からの根本的な解放を求めたのがお釈迦さまです。
 四苦とは、生老病死(しょうろうびょうし)の四つの苦のことです。生まれて老いて病み死んでいく人間の人生全体を苦と認識することです。 八苦は先の四苦と、愛別離苦(あいべつりく 愛する人と別れていく苦)、怨憎会苦(おんぞうえく 嫌な人と出会っていく苦)、求不得苦(ぐふとっく 求めたものが得られない苦)、五陰盛苦(ごおんじょうく 全ての苦しみ)の四苦を合わせたものです。
 前の四苦は人間の生き物として起こる苦しみであり、後の四苦は人間が人間であるために味わう苦しみです。しかし私たちにとって都合の悪い四苦八苦こそが生きていることの実質なのです。私たちが生きるとは、そういう苦悩する人生を生きることなのです。その意味では、仏教は私たちを苦悩から逃避させるのではなく、苦悩の正体に目覚めさせ、苦悩する人生を引き受けて立ち上がらせていく教えなのです。
2005年5月8日(日)

 中央の弥彦山より国上山が大きく立派?に見えます。日頃見慣れている、国上山・弥彦山も見る方向の違いにより大きさも形も違っています。 ということは当たり前のことなのですが・・・。
 物事の見え方・考え方・価値観もその方向・その個人によって変わるはずです。 多様な価値観を認め和えれば、他の価値観を否定することなく、自らの価値観のみをことさらに主張する必要もなくなると思います。でも、その相違を「聞く」ということをなおざりにしてきた私たちは、簡単には受け入れられない様です。  大河津分水路左岸より撮影
2005年5月7日(土)
 近所ではGWに上棟式が終わり住宅が急ピッチで建築中。まだ、骨組み状態ですが、もうすぐ屋根が上がり、壁が付くと一気に住宅らしくなります。でも、それからが施工主の期待とは裏腹に工事は進まないものです。
 近辺では「正月まで・お盆まで」までという工期が結構あるようです。職種によっては、工期・受け渡しが重なって「残業・お休み返上」は当たり前とのことでした。「お盆、正月は重なって大変ですね」というと、「お盆正月があるから仕事が終わるんで、なかったらいつまでも終わらない」とのことでした。
 そういえば「急ぎませんから」と言ってもらった頼まれごとは、いつまで経っても片づきません。 思いついた今日はあのことだけでも済ませておこうかな?
2005年5月6日(金)
 午後から、小針の病院へお見舞いに行ってきました。途中の田んぼでは、よく見なければ判らない程の苗ですが田植えはほとんど終わっています。
 今までは、暖かい、風のない温室育ちの苗ですが、活着するまは風が天敵です。風に揺れながら、必至に大地にしがみついている様子は可愛くもあり、けなげでもありました。
 今まではお客様扱いだった新社会人の皆さんも、これから活着の時季を迎えようとしています。 ガンバ!p(^^)q
2005年5月5日(木)
 一応、祝日最後の一日でした。伺った先のお父さんに「明日、会社は?」とたずねると「一応会社です。でも、仕事にならないね。」のことでした。明日行ってまた連休・・・。よほど頭を切り換えないと対応できないかも知れません。 ある会社では、「社内一斉大掃除の日」にしているとか。
 明日の私の予定表は久しぶりに特別な予定が入っていない「真っ白」です。\^o^/  と言っても、「特別」から「普通」の忙しさに戻るだけです。(^_^;  
 やっとタケノコが出てきました。今日は「立夏」ですので、我が家のタケノコはではなくて「夏の食材」だったのです。
2005年5月4日(水)
法事 分水町中島    中陰 弥彦村麓
 前の自動車が徐行運転。なぜか急ぐときには前の自動車はゆっくり走るような気がします。よく見ると前の車は時々脇見運転。(`_')何を見てるのかと思ったら・・・右の山。
 平地ばかり気になっていましたが、いつの間にか山は萌芽の季節を迎えていました。 「萌える春・いのちの春」 やっぱり、だーい好きです。\(^o^)/
2005年5月3日(火)
法事 分水町中島   上法事 分水町中島
 水田と言われるように、田んぼには沢山の水が必要です。特に田植えには大量の水が必要になるので、普段は水の少ない用水路にあふれる程の水が流れています。 これだけ広い水田を満たすだけの水量を「蓄え・流す」自然の循環力には唯々、驚くばかりです。
 最近目立つのが「菜の花」 ゆったりする気持ちになります。巻町の「上堰潟(うわせきかた)公園」の菜の花はきれいに咲いているでしょうか?まだ見頃かもしれません。 一昨年の写真ですが「上堰潟公園」の写真です。「ココ」をクリックしてください。
2005年5月2日(月)
 今日は新潟・燕・三条とちょっと遠い法務がある日でした。GWの谷間ということで、渋滞の心配もしましたが、スムーズに移動できました。約束の時間に余裕で間に合いそうでしたので、ちょっとドライブ気分も楽しんできました。

 雨上がりの晴天ということで、近所の畑ではナス苗を植え。このナスが収穫される頃には「あっちぇいね(暑いね)」という挨拶になっているんでしょうね。
 青森の弘前では桜が満開。沖縄では「梅雨入りしたと思われる(気象庁の発表)とのことです。狭いけれど細長い日本列島。全国でいろいろな挨拶が交わされていることと思います。
2005年5月1日(日)
法事 分水町地蔵堂
 素敵な「お布施」をいただきました。 最近は既製品の「志・お布施」の袋が出来ています。なんと、名前の脇に絵が描いてあります。こんな袋が出来ているのかと感心したろ、びっくりしたり(・・;) よく見るとつくしの絵です。ということは、12ヶ月分で12枚セットで市販されているのかな?とも思ってみたのですが、なんと手書きの絵でした。(ё_ё) 
 最近はやりの「絵手紙」を習い始められた様で、そのお宅のお母さんによると「書くところがなくて・・・」とのことでした。 最近の女性のチャレンジは感服します。「来月は何でしょうね?楽しみにしています。」の私の挨拶は、ちょっと厚かましかったかな?