2005年4月30日(土)
法事 燕市三王渕   法事 分水町中島
 暖かいを通り越して暑い一日でした。夕暮れも心なしか夏の風情を感じます。
 今日は法事の読経の最中に後ろがザワザワ。春の鳥の代表「つばめ」が巣を作る場所探しに部屋の中に入ってきていたのでした。つばめは家の軒先に巣を作ります。理由は「子育ての環境に適している」という事でしょうけれど?ちょっと不思議な気がします。カラスなどの天敵・餌を総合的に判断すると「人間の側がbetter(より良い)ということなんでしょうか。 毎年巣を作るつばめとその家の人との信頼関係が出来ているのかも知れません。 子どもの頃から私の住んでいる家につばめが巣を作ったことがありません。つばめにまで子どもの頃からのわんぱくがばれていたのでしょうか?(^^ゞ
2005年4月29日(金)
内佛法要 吉田町佐渡山
 ゴールデン ウイーク初日。雨の予報もあったのですが、雨も降らず暖かな一日になりました。 中島では本格的に代かき作業が始まり、地域によっては田植えの光景も見ることが出来ました。
 代かきが始まってしまえば、田植えは一週間ほどで終わってしまいます。連休はにぎやかな田んぼも、日中はほとんど人を見かけません。 以後の田んぼの管理は「早朝出勤・休日返上・残業」という形で行いますので、兼業農家は休む暇がありません。
2005年4月28日(木)
 大門に5本の松を寄付していただきました。 十数年前は大門に大きな松が10本以上あり、冬の強い西風を弱くしていてくれたのですが、数本を残して枯れていました。この5本の松も10年・20年経てば、ちゃんと役目を果たしてくれることと思います。 ありがとうございました。
 一年先の様子も見えない私たちの人生です。でも、今という時間をふまえた準備は必要です。 県内、所によっては真夏日になっていたとのこと。今の時期をふまえた夏の準備も必要な様です。慌てて薄着になって、風邪などひかれません様に。(^o^)
2005年4月27日(水)

 分水交番から電話が有ったとのこと。ドキ!何事(・・;) やっぱりびっくりしますね。 電話の内容は「県下全域でお寺の空き巣が頻発中。今日も三条のお寺で二人組が目撃され、紺色の軽自動車で逃走中。十分注意して、見かけたら110番」とのことでした。
 三条で紺色の軽自動車? どこかで見かけたような?  そう言えば徳誓寺様(三条)のHP「気まぐれ日記」「紺色の軽自動車」が代車で届いていると記してありました。
 寺へ出入りする「紺色の軽自動車」(;¬_¬)。 お衣を着ておられれば勘違いされることもないですよね。 m(_ _)m   
 ちなみに、黄色い代車をうちに置いていってくれたのは、徳誓寺様のご門徒の自動車さんでした。

2005年4月26日(火)
 オイル交換をお願いしたら代車が来ました。 スズキのTWIN(ツイン)(ё_ё) このTWINは二人乗りで思いっきり小回りが効きます。当然燃費もいいはず。 普段の法務はこれで十分。(^◇^) と現車を見ながら思ったのですが・・・。後で色々なケースを想定すると、だいぶ不便なこともあるようです。「大は小を兼ねない 小も大を兼ねない」ということでしょうか。
 最近の電気製品は普及型でも、色々な機能が付いていて高性能になっていて、パソコンのソフトの機能もどんどん増えています。 でも、普段使う機能は限られていて、高機能なるが故の使いにくさを感じることがあります。
 「高性能・多機能は便利になる」という勘違いがメーカー・消費者にある様で、それは「生活が便利になれば幸せになる」という近代文明の勘違いと同じ様です。
2005年4月25日(月)
 遅れましたが、大川津分水の桜が見頃になっています。元々冷たい川風で開花が遅いのですが、今年は冷春ということで特に遅くなりました。 「こんな遅い開花は記憶にないな」と近所のおじいちゃんの話。
 遅いといえば、やっと我が家の五月人形を出してきました。「忙しい・寒い」という自分自身のいい訳も、節句も間近、しかも今日のと暖かさでは・・・・。(^^ゞ  でも、やっとスッキリしました。 (^^)/  
 写真は昨日の長岡市内での散り始めた桜
2005年4月24日(日)
法事 分水町新堀    中陰法要 長岡市
 県職で中越地震の復興に携わっておられた方の中陰法要でした。例年にない降雪の中、毎日・毎日が激務だったのだそうです。お通夜・葬儀も寒波の真っ最中でした。
 季節は変わり、梅が咲き、桜も咲き、田植えの準備があちこちで始まっています。帰り道の与板町では代かきも始まっていました。
 「過ぎた去った時間は早い。これからの時間は長い。」 言い尽くされた言葉が頭の中から離れない中陰法要の帰り道でした。
2005年4月23日(土)
法事 燕市道金    法事 分水町真木山
 夕べのあられを伴った雷で、分水町渡部地内の山では立ち木が燃え、消防車が出動したということです。そして、一晩明けると春の陽気。 今年の天気はどこか変です。 それでも、暖かいビニールハウスの中の苗はしっかり成長しています。農家のお父さんは「今のところ順調ですよ」とのことでした。要は「これからが大切です」ということなのでしょうね。
 それにしても、苗の柔らかで淡いみどりは心が安まります。暖かい気温に淡いみどり。こんな部屋で一日のんびりしたいものです。  
2005年4月22日(金)
 昨年の地震で倒れた石灯籠の再建が始まりました。中庭では、機械が入らないため石材店さんは、昔ながらのチェーンブロックを使っての修復となりました。「錆びていて、使えるかどうか、心配だった」と冗談が出るほど最近は手動のチェーンブロックは使わなくなったとのことでした。手動のチェーンブロックでも20トンを吊り上げることの出来る機種もあるのだそうです。ただし、チェーンブロック上部のフックを「つり下げる場所が安定している」という条件が大前提とのこと。安定しているものに支えられていないと、大きな力は発揮できない様です。
 外は、雷を伴う雨です。春にこんな雷ってあったかな?雷が段々近くになってきて、二階のこの部屋は落雷の音で揺れ始めています。停電しないうちに日記の更新をしておきます。おやすみなさい。
2005年4月21日(木)
新潟教区総会 大蓮寺
 佛光寺派新潟教区総会の会場でした。本年度の教区事業案が可決され、これから本格的に担当ごとに教区事業の準備が始まります。
 今回の総会も会場という事で、あれこれ準備させてもらったので、少しは本堂周りがきれいになったようです。手間のかかる準備も有り難いご縁でした。 そして、もっと有り難かったことは、会議終了後、会場の後片付けをしていただいた事。あの、重いテーブルを1人で運ばずにすみました。ありがとうございました(∩.∩)・・・・
 ・・・・・・・・「有り難いご縁」と記した直後に、後片付けしてもらった方が有り難い (-_-;)  何とも情けないことであります。 m(_ _)m
2005年4月20日(水)

 午後から、いつものお医者さんに行ってきました。少し混んでいた暖かい待合室には、静かなオルゴールの音楽が流れています。暖かく、心地よい音楽、ちょっとの待ち時間。条件はそろっていました。 夢を見なかったのが不思議なくらい爆睡してしまいました。幸いにも診察の直前に目が覚めたから良かったもの、診察時はまだ寝ぼけた状態。 衝撃的な診察結果がなかったようで、いつの間にか診察は終わっていました。  診察料・薬代は払ってきたのでOKということにしておきます。
 ところで、学生時代から「いすに座ると眠くなる」ということは変わっていない様です。

2005年4月19日(火)
高志会(勉強会)

 新聞の一面「ライブドアと和解発表」の見出し。「敵対的買収」という言葉で象徴された、ライブドア・フジテレビ・日本放送の経営権を巡る騒動は、提携という形で一応の解決を見た。報道陣からのリクエストに応じた関係四氏の握手をする写真は報道陣のねらい通り・・・・。 満面の笑顔は、やっぱり大人の笑顔でした。「朝からちょっと嫌なものを見た。」と思われた方も多かったと思います。
 庭のしだれ桜が咲き始めました。これで、朝の気分と帳消しでしょうか?
しばらくは楽しめることと思います。

2005年4月18日(月)

 今日伺ったお母さんは午後になると憂鬱(ゆううつ)になるとのことでした。もうすぐ帰ってくる、元気すぎる孫の事かと思いましたが、「夕飯の献立」とのこと。「毎日、毎日、献立を考えるのが大変」  そうそう、毎日のことですからね。気持ちはよくわかります。実は私も午後になると気になりだすのが、ホームページの日記ネタ。(;^_^
 でも、日記は「今日はやーめた」ということもありますが、夕飯は「今日は夕飯なしよ。」という訳にはいかないので大変ですね。昨日のでいうと、夕飯は間違いなく@とA。 日記はAのはずなのですが、なっていないのが「ざんね〜ん ですから〜!」
 追記 大川津分水の桜も咲き始めたとのことです。

2005年4月17日(日)
上法事 新潟市   中陰法要 吉田町高木

 四月の中旬なのに風の冷たい日でした。天候の事は気になっていても、農家のあぜ塗り・田おこしの農作業は始まっています。「やるべき事は、やっておかんとね」 兼業農家は雨の降らない土曜、日曜が勝負。朝早くからトラクターの音が聞こえていました。
 最近の農業機械は屋根付きが主流になってきました。当然購入金額は「田んぼの仕事じゃ人件費は出ないね」と言って(^O^)。 人件費の出ない仕事ですが農家にとっては、経済に関係ない生活の糧なのかもしれません。

  糧・・@ 食糧。食物。 A 精神・生活の活力の源泉。豊かにし、また力づけるもの
2005年4月16日(土)
法事 三条市 西照寺様
 御門徒さんのお宅で飼われている目の不自由な猫です。飼い主によると、この猫はわずかながら、光が見えているようで、光を当てると、目で光を追うとのことでした。でも、急に大きな物音がすると、逃げようとして、あちこちに頭をぶつけて痛そうです。 
 びっくりさせては可愛そうと、こっそりお邪魔しようとも思うのですが、泥棒と勘違いされても困るし・・・。何か、名案はないでしょうか?

 明日は分水町として最後の「分水桜まつり おいらん道中」。やっぱり、大川津分水の桜は間に合わなかった様です。 でも、晴天の予報が出ていますので、お出かけになったらいかがですか? という私は、毎年日曜ということもあり、一度も見ておりませんでした。(^^ゞ 
2005年4月15日(金)
 去年そのままにしておいた、枯れた芝刈りをしていたら、薄茶色のかえるが出てきました。春です。かえるも冬眠から・・・・・。すっかり忘れていました。我が家の「おかめさん」(亀の名前)はまだ冬眠中。「4月の中旬になっているぞ。そろそろ起きろ(▼▼メ)と怒ってみても「オレちっとも悪くない(-。 -; )」おかめさんの声が聞こえてきそうです。
 冬眠から覚めておかめさんは早速、水の中。人間ならさしずめ朝風呂というところでしょうか? とっても気持ちよさそうです。
2005年4月14日(木)
 清々しい春の一日でした。連翹(れんぎょう)がきれいでしたので思わずパチリ。写真を見て気がつきました。連翹の黄色がきれいだったのは澄み切った青空があったからなんですね。
 連翹の花言葉は希望! 青空と連翹の下を新生活を始めた人が希望を持って闊歩(かっぽ)しているんでしょう。 がんばれ 新人さん\(^O^)/ でも、後ろで支えている青空の存在もお忘れなく。

 新潟市では開花宣言とのことですが、分水町はまだ咲いていないようです。でも、分水駅前では、花の咲いていない夜桜のライトアップの下で、商工会?が屋台で焼きそば等の販売が始まりました。開花前の紫のつぼみのライトアップもGOODでした。分水町としては最後の桜一色のシーズンに入りました。
2005年4月13日(水)
葬儀 分水町地蔵堂
 先日の法事でのことです。「こんな写真があったので持ってきました」 セピア色の写真には、若い先々代住職の顔が見えます。おそらく、昭和の十年代の写真だと思われます。地蔵堂から東京へ転居されたMさんが、本堂で法事を勤められた時の写真だろう?ということになりました。
 現本堂が建立されて八十年余。どれだけの方がこの本堂で合掌されたことでしょう。そんな皆さんの願いと思いがヅッシリと詰まった本堂なんです。
2005年4月12日(火)
回檀 吉田地区
 先日、門の脇を掃除していて拾った鍵付きのクマのプーさんです。鍵もくさりも錆が出始めているので、かなり長い時間、土の上に有ったものと思われます。
 落とした人物像を推理すると・・・門の前がバス停ですからバスに乗る人。中島在住。キーフォルダからすると高校生以下。
 鍵の種類・・・大きさからすると家の鍵ではないようです。自転車だとすると、バスに乗るひとが自転車の鍵を持っている出かけるのは変だ。まてよ。駅に自転車が置いてあるのかも知れない。ロッカーだとすると鍵付きのロッカーだから高校生以上。
 数日前から、掲示板に写真入りで、落とし物の案内をしているのですが、未だに落とし主が判りません。合い鍵を作られたのでしょうか? このまま落とした人が判らないと・・・・気になって、気になって。
 「落とした人は困っているだろうな」と思いながらも、野次馬的好奇心。 この好奇心が少しは知的好奇心に向かえばいいのですが・・・。(-_\)   
2005年4月11日(月)
 入学式から一週間になろうとしています。新一年生は先生に引率されて集団下校。そして引率は途中でご父兄にバトンタッチ。 我々の子どもの頃は、引率はなかったので、道草のし放題でした。今は、自動車、不審者と何かと子どもたちにとって、危険なことが多くなっています。子どもたちにとっても、大人にとっても悲しく残念なことです。
 不審者と言えば、こんな写真を撮っていると、そのうちにお巡りさんから職務質問を受けるのではないかと少し心配しています。
2005年4月10日(日)
初七日 吉田町田中

 一気に春の日曜日。節句を控えて鯉のぼりも見かけるようになりました。暖かさに誘われて、半袖姿で久しぶりの境内の草取り。近所の人に「半袖?若いね(^-^)」と誉められた?もので (*^^*)・・・・ちょっとガンバリ過ぎた様です。(;^_^  お陰で夜になるとグッタリ・・・。やっぱり、若くありませんでした。 まぁ 明日は雨とのことですので、体を休めることにします。 
 追記 誰だ!「明日は雨」って言ったのは(`_') 予報では日中はだぞ。それだったら、こんなにガンバらなかったのに・・・。と思わず愚癡が出てしまうのが・・・・恥ずかしいρ(- -、)

2005年4月9日(土)
法事 分水町地蔵堂
 大学時代の友人の来訪がありました。今日は、鉄工所の社長をしていた父親の百ヶ日法要だったそうです。彼は2代目社長。でも、彼の長男は「会社は継がないと思う」とのことでした。
 久しぶりに会った話題は、互いの仕事の話(-_-;)。 次は、お決まりの子どもの話(;^_^ 。 最後はやっぱり学生時代の話(*^^*)。 「それじゃ・・」とだけ言って別れるました。勿論、「それじゃ・・・」という簡単な挨拶の後に続く言葉は沢山あったのです。
2005年4月8日(金)

 一冬、強い風と雪から本堂を守ってくれた、冬囲いを外してもらいました。散髪に行ってきたようでさっぱりした本堂になりました。ありがとうございました。
 雨とよの点検、冬囲い外しと、春になったらお願いしていた事がどんどん進んでいます。
 でも、
「春になったら・・・」と先送りしていた自分の仕事が、ほとんど手付かずだったのです。あれと、これと、・・・・あのことも。σ(^_^;) 春に浮かれてばかりはいられないようです。

2005年4月7日(木)
葬儀 吉田町田中
 4月1日から購読新聞を換えました。伏せ字の意味がないようですが、子どもの頃から見慣れた地方紙のN日報から全国紙のY新聞への変更でした。一週間が過ぎましたが、未だに・・・(;^_^。
 優劣の問題でなく、どうも紙面の割付が違うようです。「この記事の続きは・・・(`_')」記事の迷子になってしまいそうです。
 一つ気になるといろいろなことが気になり出します。広告がやたら多い。新潟のNEWSが少ない。・・・・・・・・ 。(*`∧´) でも、新聞の変更の時に「何でもいい」と言った手前、黙って寝たふり(_ _;)。。。が一番の様です。
  猫は、自分に関係、関心のない事には見向きもしません。でも、ちゃんと耳だけは音のする方向に動かしています。やっぱり、寝たふりのチャンピオンは猫ですね。(あれ、狸かな?狸寝入り) 猫は、見ないけれども聞いている。人は見ているけれども聞いていない。  人は寝たふりチャンピオンの猫を見習う必要もあるのかも知れません。(=^_^=)
2005年4月6日(水)
聞法会
 毎春お願いしている、雨どよの点検に来てもらいました。ありがとうございました。
 この道50年?。ベテランのS板金屋さん。この、板金屋さんは以前、二連はしごについて、こんなことを言っておられました。「仕事に使う物は、いい物でなければだめ。安い二連はしごは、ふらふらして、怖くて使えない。怪我をすれば自分も困るし、第一お客様に迷惑がかかる。」
 「お客様の為にも怪我をしないように注意する」ということは自己中心的な人が増えている中で含蓄(がんちく)のある言葉でないでしょうか?
 追記 一輪だけでしたが、梅の花が咲きましたよ〜。
2005年4月5日(火)
 お日様が顔を出すと日差しはすっかり春です。「春の日差しは炭が降る」という言葉があるそうですが、今日一日で右顔半分が日焼けしてしまいました。(●^o^○)
 この日差しでも、玄関前の梅のは、赤いがくから、ピンクの花がのぞいているのに、未だに踏ん切りが付かない様です。 毎日梅の花を観察していると、「花が咲けば春」と私自身思いこんでしまっているようで、待ち遠しいですね。 「2月の時は3月が来れば、3月には4月になれば」と待っていた春。「もうちょっと、もうちょっと」と待っているのも、春のもう一つの楽しみなんですね。
 明日は、20度を超えるという予報が出ています。明日こそは、「大蓮寺に春が来た」とお知らせできるかと思います。
2005年4月4日(月)

 午後からは入れ替わりながら、ずっと来客がありました。一番最後は配置薬(または置き薬)の富山の売薬さんだったのですが????? いつもの売薬さんとは違っていました。今まで来ていた人は3年ほど前に引退されたのだそうです。
 この、売薬さんは3代目ということでしたが、売薬さんの数は、10年あまり前からすると半分以下になったんだそうです。
この業界も、後継者不足だそうです。 

 富山売薬は1690年代に始まったといわれ、「まず預けた商品を先に用いてもらい代金はその後に回収する」というシステムに特徴があります。又、懸場帳には、 得意先の名前、住所、配置した薬、売掛金の残、家族構成や病気などがを記入され、回を重ねるごとに、そのデータベースが、売薬さんとお客様との信頼関係を構築し永続的商売(長期信用取引制度)が可能となったとのことです。
 取材協力 マルイ薬品石黒進誠堂  ありがとうございました(*^_^*)
2005年4月3日(日)
法事 吉田町 佐渡山
 「いゃー 昨日はひどかったね あの天気じゃね」 何の話かと思ったら「杉花粉」ことでした。 天気のいい日は家の窓は開けられないということ。 花粉症は、1年を大きく分けると、2〜5月スギ、ヒノキを代表とする樹木花粉シーズン。 5〜11月のイネ科、キク科を代表とする草の花粉シーズンに分けられるそうです。 ということは、残りのシーズンは冬!(;^_^  家の窓を開ける時がありません。花粉症対策の家として「密閉型住宅」が売り出されることは必至かも知れません。1960年代に日本で初めて花粉症患者が発見されて以来、毎年増え続けているとのことで、ある統計では、日本人の10人に1人以上は花粉症に悩まされているとのことでした。
 
私は今のところ大丈夫な様ですが、もし花粉症になったら・・・御経が読めなくなるのではと密かに心配しています。そう言えば、私の周りのお坊さんで花粉症になったということは聞きませんね。きっと、普段から線香の煙で喉を鍛えているからかも知れません。
 車の窓を全開にすると、窓から春の少しだけ寒い風と香りが入ってきます。
 と書いた昨日の日記は花粉症でお悩みの方には言語同断だったようです。ごめんなさい。
2005年4月2日(土)
法事 弥彦村 麓   法事 分水町 地蔵堂
 暖かい一日でした。畑に出る人。ビニールハウスを組み立てる人。洗車する人。タイヤを替える人。遠くで大きなバイクの音が聞こえています。みなさん、久しぶりの春日を過ごされています。
 残念ながら私は法事が2件ということで、春日を楽しむ余裕はありませんでした。ただ、法務の帰り際、車の窓を全開にすると、窓から春の少しだけ寒い風と香りが入ってきます。心配しなくても、チャント春はやってきます。
2005年4月1日(金)

 「スタート・スタート」の言葉が踊る年度初めです。職場・学校・等で新たなスタートを迎える人も多いかと思います。写真は近所の「あおい保育園」。紅白の幕が新入園児を待っていますが・・・・・ご家族はちょっと心配です。あるおばあちゃんは「よその子からいじめられないか心配で」と言われていましたが、不思議なことに「よその子をいじめないか心配で」ということは聞いたことがありません。
 ともかく、新たなスタート新たな人との感動の出遇いのスタートでもあるのです。

2005年3月31日(木)

 31日ということで、月読経の法務も少なく、時間が取れたので長岡の病院へお世話になっている方のお見舞いに行ってきました。
 入院されて二ヶ月。まだ、声を出すことが出来ませんが、今日から自分で左足を動かせる様になったそうです。私の方をジッと見て、私が手を握れば、握り替えしてくれました。 入院直後の様子を思うと、少しずつの回復ですが、うれしくて感動してしまいました。
 私たちが「見て、考えて、手足を動かす」 その一つひとつの事は、本来感動すべき事なのですが、私たちの日頃の思いは?
 「よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為(しわざ)なり。」 
                                          歎異抄第9条

2005年3月30日(水)
 2006年ドイツワールドカップ(W杯)アジア最終予選B組。今日は、緊張する2試合が行われました。少し早く退社された方も多かったと思います。結果OKとしても、2試合を見終わった時点では、選手に負けないぐらいにぐったり(´ヘ`;) 知らず知らずの間に体に力が入っていたようです。 
 明日は月末。しかも年度末です。ホームページ「大蓮寺年中行事」の更新準備をしながらサッカー観戦のつもりだったのですが、予定通りにはいきませんでした。 玄関前の梅もまだ、つぼみ状態だから・・・まぁいいか(^_^o)  すごい いい訳をしてしまいました。(^^ゞ
2005年3月29日(火)

 大河津分水路右岸堤防の強化工事も進み、新しい桜の移植も終わっています。(1月21日参照) 福岡・静岡では桜の開花宣言ということですが、この分では分水の開花宣言は当分先のようです。
 
「花見」という言葉が表す様に、日本人にとって「花を見る」といえば、それは。 見ているかどうかは別として、その桜が咲けば、日本全国桜の下で大宴会。ともかく、日本人には切っても切れない花が桜の花の様です。
 「なぜ、日本人は桜が好きなのか?」という疑問も「好きだから好き」としか言いようのない様ですが、桜の春「四季の始まり・新たな人生の進路の始まり」ということと、無関係でないようです。 早く、堤防いっぱいに咲いた桜の花を見たいものです。

2005年3月28日(月)
 直接の管理者がいないため、遠縁の方が管理しているお墓が出てきました。「いつまでも、このままという訳にはいかなし・・・中のお骨を自分の家のお墓に入れる訳にもいかないし・・」という遠縁の方の声も聞こえて来ます。
 本堂前の「御経堂」も傷みが激しいため、御経堂を兼ねた合葬墓を作る必要が出てきたのですが・・・・。問題は予算。 基本設計が無いと予算も決めようがないのですが、基本設計の検討が付きません。頭が痛いところです。
 参考になるもの建物を、インターネットで探していたのですが見つかりません。偶然、以前に撮影したものに、参考になりそうな形の建物が・・・。写真を拡大してびっくり!! これは、使えませんね(;^_^
 何でも、合葬墓に見えてしまうようでは、少し慌てて設計を考えていたようです。ゆっくりと時間をかけて考えたいと思っています。  
2005年3月27日(日)
法事 吉田町

 が加速度を増して急接近・・ならいいのですが? 天気予報では今月いっぱいはスッキリはれた青空は期待できないようです。 それでも、3月最終の日曜日で好天気ということで、あちこちで苗代用のビニールハウス作りが始まっています。
 午後にお邪魔した新堀のNさんのお宅では、一家総出の作業で、ほぼ完成状態でした。そこで、おばあちゃんとお孫さんの記念撮影。
 来月に入り、籾の筋巻き(21日の日記参照)が終わると、若い人たちのいない日中の、苗の水やり・ハウス内の温度管理はおばあちゃんの仕事。 畑仕事も出てきますし、農家のおばあちゃんは、春になると大忙しです。 そんな忙しい春ですが、おばあちゃんも
「はよ(早く)来いてば」と待っています。

2005年3月26日(土)
法事 吉田町高木   法事 分水町中島
 古代の日本では色はの四つしかなかったといいます。は明るい色。は暗い色。ははっきりした色。は赤黒白のどれにも当てはまらない色。
 は目で見えた色。 ひょっとして、こころで見える色なのかもしれません。
 めまぐるしく変化した今日の天気。時々見えた青空が、とても綺麗に見えたのは、こころで見た色だったからでしょうか?
2005年3月25日(金)
 明日は「第13回全国高校駅伝弥彦大会」開かれます。出場選手の準備として、昨日はマイクロバスで全コースの下見。今日は実際に走って、コースの感触を確かめていました。監督さんは選手のコンディションに気を遣われているようで、昨日見かけたマイクロバスは、「風邪対策」ということでしょう。監督以下全員マスク着用でした。(ё_ё)
 明日の予報は雪で風も強いとのことです。今日の監督さんは「風対策」で悩んでおられること思います。 選手の皆さん 体調に気をつけてがんばってください。 (^o^)/~~
 
 追記 後ろに大蓮寺の本堂が見えています。結構、このアングルは苦労しました。(^_^)v

 雪が降っています。いつの間にか外は真っ白になっていました。・・・・・昼間カメラに収まってくれた高校生はもう眠っているでしょうか? 目が覚めたときには雪がすっかりなくなっていればいいのですが・・・。
2005年3月24日(木)
 少しでも暖かくなってくると、気の早い人は畑仕事に出かけます。「畑へ行っても大した仕事もないんだけど。気がもめて、気がもめて」と春を待ち着きれないお母さん。 本格的農繁期に備えて、一冬休んだ体の準備運動という事もあるんだそうです。 何事においても準備運動は大切です。
 昨晩はだいぶ間が空いて、3ヶ月ぶりの高志会(勉強会)。そう言えば、頭の準備運動をすっかり忘れていました。(^^ゞ
2005年3月23日(水)
彼岸法要   御講 真木山蛇塚鰐口       高志会(勉強会)新潟市船越
 薬が無くなったのでお医者さんに行ってきました。待合室にはお決まりの児童書が置いてあります。児童書は、一流の先生が書いておられるので、結構、あなどれません。目にとまったのは「しっぽのはたらき」という本です。
 多くの動物ごとのしっぽの働きを説明した本でした。紹介してあった動物は、くもざる・にほんざる・犬・牛・りす・カンガルー・狐・鯨・ガラガラ蛇・トカゲ。本の最後はこんな文章で終わっていました。「どうぶつのくらしかたのちがいによって、しっぽのはたらきがちがいます。このほかに、どんなしっぽが、どんなはたらきをしているんでしょうね?」
 児童書にはしっぽをなくした動物の話が多くあります。その中の多くは、しっぽをなくした為に、バカにされたり、仲間はずれになったり、劣等感を持ったりというストーリーのです。動物にとって、しっぽは陰に隠れていますが、特別な意味を持つようです。
 人は手足の進化により、しっぽが退化したと言われています。でも、振り返ってよくよく見ると、見えないしっぽがちゃんと働いてくれているのでないでしょうか?どんなしっぽが、どんなはたらきをしているんでしょうね?」
2005年3月22日(火)

 今年も「高校駅伝弥彦大会(3月26日)」が近づいて来ました。出場高校の登り旗が立てられ、中継所の設置も始まっています。駅伝は今年で13回を迎え、登り旗も近郷の風物詩として定着したようです。
 「人生はマラソン」に喩えられます。スタートからゴールへ。 入学から卒業・・・入社から退社・・・出会いから別れ・・・生から死・・・。 
 こうして考えてみると、「人生はゴールからのスタート」・「人生は駅伝」かも知れません。 どんなバトンを手渡すことが出来たでしょうか? どんな願いを伝えることが出来るでしょうか?

2005年3月21日(月)

 待ちに待っていた春を感じる一日でした。\(^O^)/  でも、境内の雪の下から出てきたのは、松の葉と雑草でした。(-_-;) 
 農家では、筋(条)を水に浸けて、筋播(すじまき)の準備も始まっています。 ところで、子どもの頃から聴いていた(すじ)と(もみ)の違いは何?
 調べてみたのですが???たぶん「稲作の筋播きに使う籾を特に筋」つまり、田植えに使う種籾をと呼ぶ様です。
 本来、という言葉は野菜を含めた種の播き方の種類で、他には点まき・ばらまき・線まきなどがあるようです。 大蓮寺版「トレビアの泉」かな? 

2005年3月20日(日)
彼岸法要  御講 弥彦 四ヶ村 源八地区
 昨日に引き続きお説教は弥彦村の照瑞寺様。昨日のお説教でのこと。
 照瑞寺様の「長生きしたい人?」の問いに手を上げたのはたった一人。照瑞寺様の質問が「元気で長生き」ということであったらちょっと様子も変わっていたかも知れません。近年の老人福祉、介護の問題で「長生き」ということに手を上げにくくなっておられるなら残念! 次いで「でも、年は取りたくないですよね」と照瑞寺様。(笑) むちゃくちゃかも知れませんが「元気で長生き。しかも年を取りたくない」これが私たちの本心かも知れませんね。
 全くの無条件で生まれてきたいのちに私たちは、いつの間にか勝手に条件を付けている生き方をしているようです。
2005年3月19日(土)
彼岸法要 御講北曽根鶴ヶ曽根地区   法事 分水町五千石   葬儀 弥彦村麓
 「暑さ寒さも彼岸まで」・・・さすがお彼岸(^O^; 多彩の天候でしたね。こんな感じでしょうか?でも確実にの日差しは暖かくなっています。そんな中、彼岸法要が勤まりました。ストーブを付けても暖まり切れない本堂で熱心な聴聞をいただきました。ありがとうございました。明日も10時から彼岸法要が勤まります。お誘い合わせてお参りください。
 明日から大蓮寺ではサマータイムに入ります。6時30分だった「お朝事」は6時からになります。それと・・・一冬休んでいた、梵鍾もつき始めます。近所の皆さんびっくりしないでください。 m(_ _)m よろしくお願いします。
2005年3月18日(金)

 83才 ご婦人のお通夜でした。 お元気だったのですが急病でした。今月も1日・7日にお会いしたばかりです。通夜の写真を見ながら「人のいのちは1分先もわからない」こんな当たり前のことを普段はすっかり忘れている自分に気がつきます。 
 「当たり前のことを素直にうなずける」
 難中の難なのかも知れません。

2005年3月17日(木)
内佛法要 分水町新堀

 「今日は5月の陽気ということで、近所の保育園はお散歩でした。 前庭の梅が咲き始め、裏庭からは鶯の声が聞こえ始めました。」 というのは去年の日記です。
 今日は彼岸の入り。冷たい雨の一日でした。実天候とは別に季節の節目です。
学生時代は季節の変わり目というと「これからの時季は何を着ようか」と洋服のことが気になっていましたが、50才を過ぎてくると、そろそろ「風邪をひかないように」などと体調のことが気になり出します。年齢によって「気になってくるものが違う」ということも「OK」かなと思います。要は「気になること」に正面を向いた生き方が出来るかどうかです。
 京都の大学に行っている長男は5日ほど前に帰って来たばかりなのですが、気になることがあるんでしょう。午後に京都へ戻りました。

2005年3月16日(水)

 スッキリと春は来てくれません。農家の人はさぞかし、春の農作業の段取りを心配されている事かと思うと「大丈夫らて」との返事。自然相手は、「おまかせ」ということでしょう。 
 おまかせ気分になれない私は、少し早いようでしたが車の冬タイヤを夏タイヤに交換してしました。農家のお手伝いという訳ではありませんが、春の準備をしておくと少し早めに春が来てくれるような気がするのです。

2005年3月15日(火)
時斎 吉田町高木

 昨日はやっぱりだいぶ酔っているようでした。日記でシンデレラ白雪姫を間違えていました。失礼しました。(^^; ....
 ところで、「シンデレラシンドローム」「ピーターパンシンドローム」という言葉を最近聞かなくなりましたね。シンデレラシンドロームは、玉の輿願望。ピーターパンシンドロームは、成長拒否願望。ということでしょうか?強烈にインパクトのある言葉は消えていくのも早いようです。
 たとえば、第一回(1984)流行語大賞がNHKドラマ『おしん』「おしんドローム」だったのを覚えておいでですか?約20年前だから憶えてるわけないですか?でも、堪え忍んでもいつも明るさを失わない「おしんドローム」からわずか20年。今年は「白雪姫シンドローム(家宝は寝て待て)」ということになるのでしょうか?  (注 白雪姫シンドロームについては私が勝手に想像したものです。)

2005年3月15日(火)
葬儀 長岡市    教学研修部会議 三条

 葬儀の後、直ぐに三条で会議でした。会議後には懇親会もあり、久しぶりの午前様でした。思い出しても午前様は年一回のこの懇親会だけの様です。シンデレラ白雪姫でいうと滑り込みOUT。
 明日(今日)がきつくなるのは判っていても「もうちょっと」がついつい重なるお酒は? 良いところでもあり、悪いところでもあるようです。

2005年3月13日(日)
法事 弥彦村麓
 お斎では「隣り合った人、お酒を注ぎに行った先の人」と色々な話題で話をしています。もちろん内緒話は御法度。最近の話題はやっぱり「雪か合併問題」が多いようですね。
 そんな中、一人別世界に居られたのがご主人。久しぶりに会うお孫さんとご対面。(^◎^)  「孫は特に可愛いいんだそうだ」と私の隣の人。私を含め孫のいない人3人で「ウンウン」と首を縦に振る。孫はいなくても、とろけそうなおじいちゃんの顔を見れば納得できますよね。(o^v^o)
2005年3月12日(土)
法事 吉田町高木

 「あの日から*年」 嬉しかった、楽しかったあの日に思いを走らせ、思わず笑顔になることがあります。悲しく、辛かったあの日を忘れようとしても忘れることが出来なくて、身の置き所に困ることもあります。誰もがこんな事を思う日があるのでしょうね。
  そんな私たちの思いとは別に
「あの日から そして あの時から」時間は確実に過ぎ、今この時を、留まることなく私たちは「一歩一歩」。人生の歩みを続けているのです。
 昭和20年3月10日「東京大空襲」。 
「あの日から60年」 です。

2005年3月11日(金)

 お日様が見えなくても暖かな一日でした。 でも、本堂の前には屋根から落ちてきた雪がまだ身長の高さほどあります。こんな暖かな日は、雪の山を崩せばすぐに雪は無くなるのですが、雪の山がまだまだ硬くて、直ぐにヘトヘト(^^; .... 日頃の運動不足を実感してしまいました。ということで、本堂前の春はまだ先のようです。
 今日伺ったお宅の玄関猫?は、気持ちよさそうにお昼寝。やっと訪れて来た春を満喫していました。
 追記  また、寒波が来るのだそうです。 (・・;)
       「へぇ よっぱら らてばね」 (≧◇≦)

2005年3月10日(木)
新潟教区臨時総会

 新潟は4月上旬の気温だったそうです。暖かかったですね。少し気の早い御門徒さんのお宅では庭木の冬囲いを外しておられました。「もう春ですね」と声をかけると「雪も降らないだろうし。かわいそうだから。」との返事でした。 雪から庭木を守る為の冬囲いも、春になれば、「窮屈でかわいそう」ということでしょう。
 親が世間から子どもを守るということも、場合によっては「ただ窮屈でかわいそう」・・・・・なんでしょうかね?

2005年3月9日(水)

 昨日は中学校の卒業式。今日は公立高校の入試。「十五の春」は不安と希望の春です。十五才でなくても、この季節は、入学・卒業・転校・入社・退社・転勤と準備で大忙し!
 近所の田んぼでは、白鳥が餌を探して一生懸命。遠い北の国に帰る準備です。
 京都に行っている長男も、北国新潟へ帰る準備が出来ていないようで、とっくに春休みに入っているはずなのですが、まだ帰って来ていません。(^O^; ・・・・・

2005年3月8日(火)

 数ヶ月ほど前から、捜し物をしています。今の年齢が半分くらいなら「忘れてきた青春」と言いたいところですが、もっと現実的なものです。(^^ゞ  無くても取りあえず困らない。だからと言ってずっと無ければそれも困る。 そんな物ってありますよね。
 確かあの時・・・・急に車の中を片付ける必要があり、車の中にあったものをある入れ物に入れました。その時「こんな中に入れて大丈夫かな?取りあえずだから良いか。」と思った記憶があります。でも、大切な「こんな中」こんなを忘れてしまったのです。名探偵明智小五郎のように推理すると・・・・
 @「こんな中」と思ったのだから尋常な入れ物ではない。
 A有るとすれば、車・車庫・部屋の中
 B掃除は嫌いだから捨てたということは無い(^^; ....
 
 結論
 車・車庫・部屋の片付けをすれば見つかる。・・・ということでしょうか。ここしばらく風邪気味なので、もう少し暖かくなったら本格的に片付けをすることにします。 やっぱり、「春よ来い 早〜く来い」という話題でした。 

2005年3月7日(月)
本山布教   御講砂子塚
 今年の御使僧は以前、本山(京都佛光寺)でお世話になった尾崎善久師。20年ほど前に年に何回か本山に行っていたときに、本山の職員をされていました。そうか・・もう20年位前になるんですね。お酒を飲みながらゆっくり話すことが出来ましたが、当時の話の内容とは違う話になりました。20年も経つとお互いに、抱えるものが多くなっているようです。
 今、大学時代の友人からメールが来ました。用件は「同窓会」。あまりに懐かしいので、夜にもかかわらず電話をしてしまいました。海外出張もあり忙しいとのことでした。
 みなさん、抱えるものが多くなっても、抱えている本人はそんなに変わってはいません。抱えたものを、「どっこいしょ」とちょっと置いておけるのが懐かしいということの様です。
2005年3月6日(日)
法事 燕市道金   法事 寺泊町北曽根
 20年前は「前住職・役僧さん二人・前寺・私」と5人で法事に出かけることもあったのですが、いつの間にか法事は私一人で出かけることになってしまいました。 たまたま、昨日・今日と二日続けて寺泊町の仏心寺様に法務のお手伝いをお願いしました。 そこで、気づいたことが・・・・何か変?・・・・私のお経に変な癖が付いているんです。
 「お経は一人でばかり読んでいると変な癖が付く。」「お経は周りの人のお経を聞きながら読め。」と言っておられた前住職の言葉を思い出します。周りの声を聞かないお経(生活)は自分勝手なお経(生活)になるようです。しばらくは一人のお経というのは仕方がないことですが気をつけたいものです。 
2005年3月5日(土)
御講 新堀地区    葬儀 吉田町高木    法事 寺泊町箕輪
 久しぶりに忙しい一日でした。今日一日で何回時計を見たことでしょう。時々、時間に縛られない一日を過ごしてみたいものだ、と思うこともあるのですが、時間を頼りに動いているから、一日の予定が無事終わるのです。「縛るもの」と「頼るもの」の微妙な関係です。他にも思い当たるものがあるようです。
 ところで今日のアルビレックスは完敗の様ですね。3/13日はホーム・ゲームですので、勝ち点3をゲットしてもらいたいものです。
2005年3月4日(金)
 いよいよ明日からJリーグが開幕します。 アルビレックスvs.ジュビロ磐田のプレシーズンマッも1−1ということで、3月5日の開幕初戦も期待できそうです。
 ところで、「Jリーグ」の正式名称は何でしたっけ? WEBサイトでだいぶ探してやっと判明しました。日本プロ-サッカー-リーグ(Japan Professional Football League)の愛称なんだそうです。
 
 そう言えば、偶然会った同級生。あだ名は覚えていても本名を忘れていました。この年になって「あだ名」呼ぶわけにいかず困った事がありました。 愛称・あだ名・略語は便利かも知れませんが、本来の言葉を忘れてしまうこともあります。一考の必要がありそうです。
2005年3月3日(木)

 「へぇ ゆき よぱらんなったてばね!」  朝一番に伺った先のおばあちゃんの挨拶代わりの愚癡でした。翻訳すると「もう雪はあきてしまったしまった」ということです。三月に入ったのに、生活に支障が有るほどではないですが、毎朝少しずつ雪が積もっています。
 「三月になれば暖かくなる」と願って過ごした一月二月ですが、ものの見事に裏切られてしまいました。願いがかないそうな「もうちょっと」は実に待ち遠しくて長いものです。明日は関東でも降雪予報が出ています。お気をつけください。
 冷たい水槽の中のランチュウも一冬ジッとしているので「へぇ よぱらんなったてばね!」

2005年3月2日(水)

 ハンセン病は、かつては不治の病とされていました。しかし感染力は極めて弱く、戦後は衛生状態が向上して、感染例はほとんどなくなり、有効な薬が次々に発見され、現在では確実に治る病気です。
 日本で誤った隔離政策が長く続いた原因を調べていた 「ハンセン病問題に関する検証会議」が、1日に最終報告書をまとめました。報告書では「医師の怠慢に行政が便乗」「行政の誤りを支えた教育、司法、報道の責任」が指摘されているとのことでした。
 ハンセン病に対する正しい理解が深められていれば、このような差別・偏見は起こらなかったはずでした。 世の中の「誤った差別・偏見」は無知が原因です。知る努力を怠った私たち一人ひとりに責任があるようです。 

2005年3月1日(火)
葬儀 吉田町佐渡山
 葬儀でした。誰もが、何時かはあの人を見送り、何時かはあの人に見送られるのです。限りあるいのちを生きる私たちにとって、避けられない悲しい時間です。
 でも、私たちは、大切な人との別れを通して、新たにその人と出遇っていくことが出来ます。言わば、第二の出遇いと言うべきものでしょう。その、出遇いの儀式を「葬儀式」と言います。